◇ ◇ ◇
「――驚いたな。よもや、キングヘイローが逃げを取るとは」
「うん。差しウマだって聞いてたけど……器用だね。アレ、ティアのヤツじゃん」
時は約二分程遡り。全体を俯瞰できる関係者席でも、今回のダービーの展開を予想出来なかった二人――シンボリルドルフとトウカイテイオーは、驚いていた。
岡目八目。レースを走る最中では分かりづらい事でも、俯瞰して見れば走る本人達より判然と分かる事がある。即ち、この第二コーナーに至るまでに序盤戦で行われた駆け引き。
「ティアはセイウンスカイを狙ったけど、完璧に躱されちゃったね」
「多謀善断、上手いモノだ。彼女のブロック狙いは、実際に走る側としては極めて微細な初動だっただろう。それを即座に見極め、前に出た。ただの逃げウマなら、アレで捕まっていただろう」
ドロップスティアーの最初の仕掛け、音速スタートからのヤマ勘ブロック。これは、同時に走る側としてはかなり判断に苦しむだろう繊細なライン移動だった。
俯瞰しているから二人にはハッキリ見えたものの、セイウンスカイはドロップスティアーが自分の進路に入る兆候の瞬間フル加速し、ブロックの危機より逃れた。咄嗟の判断と言うには、余りにも反応が早すぎる。
彼女は、ドロップスティアーのブロックの驚異と、その突破法を事前に研究していたのだろう。その思考から対応までの速度は、シニア級のウマ娘にも等しかった。
「キングヘイローも一瞬掛かっちゃったのかと思ったけどさ。思えば、ティアのマークは確かに逃げには使えないんだから、対応としては正しいよね」
「ダービーで逃げというのは、本来それだけで予想外だ。事実、彼女はペースを上手く握れている様にも見える。……ティア君の技を覚えていたとは、私も予想出来なかったな」
そこからキングヘイローは、暴走にも見える先行策を取った。だが、第二コーナーのセイウンスカイとの駆け引きで、彼女が冷静さを失っていない事が分かった。
逸走策。ドロップスティアーがプランA・Bと呼んでいたあの足運びは、東京レース場の第二コーナーで散々に使われた技である。そしてキングヘイローは、彼女との対戦経験がある。
ドロップスティアーはペースアップが出来ないだけで、相手を消耗させる”上手い逸走”という、矛盾の先行バ群操作が得意だ。アレを見様見真似・一発勝負で成功させるのは、普通出来ない。
本家たるドロップスティアーの先手逸走は、誰にも内を突かせる事もせず全てのウマ娘を逸走させる。そこまでの練度はキングヘイローには無い。だが、外側に付いたセイウンスカイ一人に限って使えば、十分に通じていた。
「随分と研究されてきたな、ティア君は。これはかなり厳しい展開なのではないか、名入トレーナー?」
「あー? まぁキングヘイローが逃げってのは面白いな。セイウンスカイに躱されるのは、しゃーねーだろ。アイツらレベルならあんな小技、軽く躱せても何も不思議じゃねーよ」
シンボリルドルフが名入へ声をかける。誰もが予想だにしなかっただろうこの展開への感想を聞くべく。
名入とドロップスティアーは、策士だ。地力で劣る故に、レース展開を事前に読み、仕掛け所で確実に仕掛ける。そういう計算で動くコンビであると、シンボリルドルフは理解している。
その作戦は、誰も想像出来なかっただろうレース展開という形で完全に崩れた。そう思っていたが、名入はそれでも落ち着き払っている。その程度、焦る必要も無いとばかりに。
「不思議じゃないって言われても、コレ結構ヤバいんじゃないの? 青葉賞の逃げウマじゃないんだから、キングヘイローが前残りする可能性も無くは無いじゃん」
「だろーな」
「セイウンスカイだって、あのブロック抜けちゃったし。最終コーナーまで手ぇ出せなくなったんじゃないの?」
「だろーな」
トウカイテイオーの疑問に対しても、雑に応答していく。
何もかも予想通り。そう言わんばかりの、冷静極まった反応。だがそれを見たシンボリルドルフは、そんな訳が無いと思っていた。
「……名入トレーナー。何を考えている?」
「あん?」
「今回のレースの作戦だ。セイウンスカイにはブロックを躱され、キングヘイローは前に出た。これは普段の彼女の武器が、あの二人にはほぼ使えない展開になっている」
「だろーな」
やはり、おかしい。シンボリルドルフは名入の冷静を通り越して、適当としか言いようの無い応答に違和感を抱いていた。
名入は新人でありながら、キングヘイローに勝つ作戦を入念に立てる程に予測精度に長けたトレーナーだ。しかしそれはデータ頼みの、つまり可能性の最も高い展開を事前に考えて当てるという、数学の様な立案を意味する。
レースに絶対は無い。セイウンスカイがブロックを早々に躱すのはともかく、キングヘイローが前に出る事までは絶対に読めない展開の筈だった。この予想外の展開に対し、何故そこまで冷静にいられるのか。
ならば名入は、どんな作戦を立てて彼女をこのレースに送り出したというのか。
「……とっておきの作戦をくれてやった。
「えっくすぅ?」
トウカイテイオーはその単語に首を傾げる。
実はトウカイテイオーは、ドロップスティアーの作戦――プランA・Bについて聞かされた事がある。こうして勝てたんですよと、キングヘイローとの東スポ杯の後に自慢げに説明されたのだ。
あの時は『逸走を良くそんな逆用出来るなぁ』と感心した物だが、しかし”プランX”などこれまで一つも聞いた事も無い。
青葉賞でプランA・Bの逸走策が使えない事は既に見た。しかしこのダービーという大一番で、この誰も予想していなかった展開の中でも、冷静を保てる”
「そのプラン。良ければ、聞かせてもらっても良いかい?」
「大した作戦じゃねーよ。俺が今まで考えてきた中で、最悪の作戦だ」
「さ、最悪……?」
セイウンスカイに躱され、キングヘイローにペースを握られた。
”三強”の内二人が手の届かない所まで行った、この状況でも焦る必要の無い作戦。にも関わらず、名入はその作戦を『最悪』と吐き捨てた。
一体どういう意味なのか。名入の考えが分からない二人は、説明の続きを待った。
「プランXは、
「……バツ?」
「ああ。バツだ。
「……?」
『プランのバツ』。そう聞かされても、シンボリルドルフですら意味が分からなかった。
とっておきの、しかし最悪の作戦。『バツ』とは、何の事だ。
「
「「――はっ?」」
「俺はアイツに。
◇ ◇ ◇
「……ノ、ノープラン……?」
「……ああ。色々考えたがな、それが一番
勝負服問題が片付いた後の、当時の名入のトレーナー室。”五つ目”を前提とした、とっておきの作戦。名入はその答えを、『ノープラン』と答えた。
流石のドロップスティアーも、これには思考停止を起こした。何せ名入は、他ウマ娘の情報収集能力が高い。それを元に、レース展開を読んで、これまで仕掛け所を教えてきてくれた。
それを、名入は
「普通に考えりゃ、セイウンスカイがハナに立つ。スペシャルウィークが中団で、キングヘイローは警戒してそのすぐ後ろを走る。そんな所なんだが……今回は、
「そこまで分かっときながら、なんでです?」
「
セイウンスカイは逃げウマで、スペシャルウィークとキングヘイローは差しウマだ。それも”三強”と謳われる、歴代でも有数のウマ娘である。
東京レース場はシンプルな作りである。逃げウマはスローペースで前残りを狙い、差しウマは最終直線まで脚を溜める。それが普通の展開だが、今回は違う。
今回のダービーには、
「言った筈だ。『レースに絶対は無い、そのステージにお前は居る』って」
「そりゃ聞きましたけど」
「そんで、契約直後。俺はこうも言ったな? 『
名入は、ドロップスティアーを鍛えてきた。自分の思想――レースの”絶対”を、
彼女は実際に力を付けた。誰にも出来ない力と技を手に入れた。青葉賞を制するに足る速さも得た。彼女は、限り無く名入の思想に近い所まで辿り着いた。
――つまり。
「
「――ぷっ。あっ、あっはっはっはっ! ウッソでしょ、トレーナーさん! バカじゃないんですか!?」
「バカはお前だ。お前は、
生粋のデータ信者である名入にとって、天敵はデータを外れた存在である。
凄まじい伸び代を見せた、”黄金世代”。彼女達の実力は想定以上だが、想定外では無い。強いのは強い、強かったのは強かった。それだけで済ませられる。
だが、ドロップスティアーは
そこに居るだけで、周囲が勝手に警戒する。怖がる。困惑する。そんな、予想外の存在。
「東京レース場を誰よりも知っているのはお前だ。青葉賞で勝った事で、お前はそれを証明した。つまり、
だから、委ねる事にした。東京レース場を、ダービーという一日の為だけに一年をかけ、他の全てを放棄するという愚行のショートカット。それを知り尽くした、彼女の思考に賭けた。
彼女は、地元の山道勝負で負けた事が無い。シンボリルドルフにすら勝った。つまり、
名入が出来る事は全てやった。力も技も速さも、全て与えた。これ以上出来る事は無い。
「――自由に、走れ。そんで、勝て。……俺としちゃ、気分は最悪だがな」
この一世一代のダービーで、名入は
作戦放棄。これまで作戦を積んで積んで、研ぎ澄ませてきて。その上で、作戦を立てない。
それは誰も読めない、最大にして最悪の、一度限りの奇策だった。
「……あはっ、あははっ! トレーナーさんのばーか! ばかトレーナーさん! この最後の最後で、作戦ナシ!? 職務放棄じゃあないんですかー!?」
「これまで十分やってきただろが。たまにはお前も頭使え」
プランX、ノープラン。リアルタイムでの、現地対応。
ドロップスティアーは、無手でダービーへ挑めと言われ。爆笑するしかなかった。
「あはははっ! マジですかトレーナーさん!」
「大マジだよ。……やれるな?」
「あったりまえでしょ! ナイスな作戦じゃないですか!」
そして彼女は、その”とっておき”を笑って受け入れた。
自分の想像を超えた。そう名入に言われて、気分は最高だった。
そうして”最弱”の彼女は。”最強”達に、
◇ ◇ ◇
(……ティアちゃんが、居ない……?)
東京レース場・向正面。そこを走っている最中、スペシャルウィークは警戒すべき強敵の姿を探した。
彼女は追込を得意とする。だから向正面では控える、それはわかる。しかし、一度下がった後に向正面で上がってくる姿を青葉賞の映像で見た。
だから、どこかに居る筈なのだ。この向正面、大量のウマ娘がひしめき合う、この大量の足音の中で――
(――ッ!?
横を見ても、斜め後ろを見ても居ない。だが、
一塊になった中団の中でも一際目立つ、多く大きい足音。それが、
予想を覆す者。一番人気を落とすウマ娘。生粋の
”最も怖いウマ娘”・ドロップスティアー。彼女はスペシャルウィークに、
「あはぁっ……!」
(……ッ! 分かってても、これ、怖いっ……!)
ドロップスティアーの狙いは、本命バばかり。だから今回、スペシャルウィークは自分にも狙いを定めてくるだろうとは想像してきた。
しかし序盤、セイウンスカイへ向かって僅かに移動する姿を見た。あの時、今回のマークはセイウンスカイだと思った。セイウンスカイの逃げ切りを警戒して、そのペースを見て控えるのだと。
しかし、ドロップスティアーは
(うっ、くっ、うっ……! ホントに、同じ速度で付いてこられてるっ……!)
スペシャルウィークは脅迫マークを受けて、ギリギリ掛からずにいられた。自分のペースを守れば、脅迫マークはただのマークになる。
今回
作戦が無いので、自由にやる。セイウンスカイにちょっかいをかける
即ち、
(近いッ……! これ、ホントに足当たってないの……!?)
スペシャルウィークに対し、ドロップスティアーは
今回、削るのはスペシャルウィーク。一番人気だからという理由では無い。青葉賞でも、一番人気は意識しなかったのだ。彼女はジャイアントキリングを狙いながら、そのマーク対象はあくまで本命バに限っている。
スペシャルウィークに張り付いた理由は単純だ。向正面で、
(――ッ!? 今、
完全な自由。無思考。作戦ナシ。作戦という思考の鎖から解き放たれたドロップスティアーは、
脅迫マークの一歩先・
真の自爆技。名入が聞けば絶対止めるだろう、本当の脅迫マーク。作戦を持たず思考の余裕があるからこそ、ドロップスティアーは自分の精神力の全てを注ぎ込む行為に突っ込めた。
普通の脅迫マークと同じに見えて、当人達にしか分からない、
掛からない相手に脅迫マークは通じない。それはつまり、一定のペースを保たれるという事。しかし一定の速度であるなら、限り無く同じ距離をキープされている、という事だ。
(う、くぅっ……!? き、気のせいじゃ、ない……!? どっちなの、ティアちゃん……!?)
スペシャルウィークは自分の集中が極限まで乱されるのを感じていた。走りながら靴に、芝以外の何かの感触が混じっている様な、混じっていない様な。そんな感じを受け続けている。
ドロップスティアーは友達が大事だ。自分の身などより、友達の身の方が何百倍も大事だ。出来得る事ならば、今のグラスワンダーの骨折を自分が何倍にも肩代わりして再起不能になっても構わない、そう真摯に願う程である。
だからスペシャルウィークを転倒などさせない。
しかもこの技は。
(……うぅぅっ! ティア、ちゃんっ……!)
スペシャルウィークは冷静になろうと、掛からずペースを保つ。マークされ続けてしまう。
誰もが走る中団の
スペシャルウィークはレースの中、
――
(第三コーナーッ……まだ、続けるつもりなのっ……!?)
ドロップスティアーはスペシャルウィークに張り付き続ける。ことレースにおいて、思考と集中はスタミナに直結する重要事項だ。
体を動かすのも、頭を働かせるのも、どちらも酸素を使う。脳を働かせ続ける事は、それだけ酸素を浪費する。ドロップスティアーは山道勝負で、一度地元トレセン生に対して歌いながら追い立ててみた事があるから、それを良く知っている。めっちゃキレられたので。
心理的圧迫・精神的孤立による乱心とスタミナ消費。擦過マークは、それを極める。スペシャルウィークは心底、これまでのレースで一番の恐怖を受けながら走っていた。
もう気の所為とは思わない。ドロップスティアーは、当てている。自分の走りに影響が出ない様に、彼女だけが痛がる様に。そんな自傷の走りを、やり続けている。
(なんて事するのっ……!)
スペシャルウィークは、普通に走れていた。
ペースを保っているつもりだが、足取りは僅かに乱れている気はする。しかしそれでも、ドロップスティアーは擦過マークを合わせてきている。スペシャルウィーク自身よりも、スペシャルウィークのペースを見極めている。
彼女は本気で、スペシャルウィークを
神業の様な曲芸。スペシャルウィークは靴に違和感を覚えているだけで、問題無く走っている。まるで事故を起きる気がしない。だが、
(――ッ、終わった!)
そんな恐怖が、僅かに離れる。ドロップスティアーが、ようやくマークを止めたのだ。
向正面から第三コーナー中盤。ここまでスペシャルウィークは世界で最も怖いマークを受け続け、今ようやく解放された。しかしこれは、当然とも言える。
ドロップスティアーは末脚でスペシャルウィークに勝てない。だから早仕掛けを――この時点から位置を押し上げる必要がある。その為に先んじて、スペシャルウィークより外を走り始めなければならない。
スペシャルウィークは心底ホッとしていた。心理的圧迫もそうだが、何の事故も起きなかった、その事に安堵した。スペシャルウィークもまた、友達想いのウマ娘なのだから。
これでようやく、レースだけに集中出来る。そう思い、スペシャルウィークが第三コーナーから第四コーナーに入った所で――
――最後の。
◇ ◇ ◇
ドロップスティアー・五つの武器発表会。山彦砲・震山脚のアイデアを聞かされた当時の名入は、実はちょっと安心していた。
強制斜行は、ドロップスティアー自身の怪我に直結する技術だ。いかにエルコンドルパサーなどの強者である”黄金世代”ならばこれを躱せるだろうと言っても、万一が起こり得る。
一方で、山彦砲と震山脚は純粋な技だ。ドロップスティアー発案という時点で”純粋”と言えるかどうかはともかくとして、技術と呼べる範疇ではあった。
「……で? そのアホみてーなバカパワー技の後の、最後の五つ目ってのはなんだよ」
「ふふーん。コレ、まさに
「もう響きがバカっぽいぜ……」
ドロップスティアーは腕を組んでふんぞり返り、一番最後に回した技を”最終奥義”と称した。
奥義と言うからには、この五つの武器の中でも最も凄まじい物なのだろう。しかし、ドロップスティアーの発想は中央に存在しない。予測が出来ない以上、素直に聞くしか出来ない。
「トレーナーさん、鋭角コーナリングなんですけど。一レースで使っていいのって、二回までですよね?」
「あん? たりめーだろ、お前だから耐えれてるだけで、あんな技二回でもヤベーわ」
鋭角コーナリング。ドロップスティアーの基本戦術にして、必殺技。
特殊で特異な足先と極めたピッチ走法、レース外でのステップ技術の合作によってこの技は成立した。だが、足にかかる負担は大きい。
いかにドロップスティアーが足先の衝撃を逃がすスペシャリストだとしても、体の方向とベクトルを一瞬で捻じ曲げるこの技は、足への負担は極大だ。本来二回ですら危うい、そんな技。
「その理由って、軸足に負担がかかるからでしょ?」
「ああ、前に説明した通りだ。体の向き変える時に、お前の軸足――左足首から先には、ヤベー負担がかかってる。まぁお前はそんなん感じた事もねーんだろうけどよ」
左回りのレースのみを選ぶドロップスティアーは、鋭角コーナリングを必ず左方向へと使う。その時、曲がる方向である軸足は左足だ。そこに多大な負担がかかっている。
彼女であるからこそ、一レースで二回使っても普通にスパートが継続出来る。左足が問題無く動く。そういう、特殊な技だ。それをドロップスティアーは、どんなタイミングでも瞬間的に判断して使える。
――しかし。この技は、
「これ覚えたの、サッカーでしたよね?」
「あん? 懐かしいな、今もやってんのか?」
「ええ、結構サマになってきてるんですよ! あっちも『ドリブルだけならプロ並だから、良い練習になる』って言ってくれてましてね!」
鋭角コーナリングの原型は、サッカーでも使われるクロスオーバーステップである。だが、数々の球技やステップを研究・合成して作られたこの技は、普通のクロスオーバーステップと大きく異なる点がある。
クロスオーバーステップは、前を向いたまま足を横に動かして進む。要は斜めに走るのを真横近くにまで向ける技術なだけで、サイドステップの亜型なのだ。
だが、鋭角コーナリングは
「だからちゃんと練習してるんですよ!」
「何をだ」
「
「そらそーだ。出来なきゃ困るわ」
何を今更。名入はその言葉に呆れた。大本であるクロスオーバーステップがサイドステップの亜型なのだから、そりゃ左右両方使えるに決まっている。
鋭角コーナリングは片足に強い負担がかかり、使い続ければ脚と体幹のバランスが崩れる技だ。ダービーだけを目標にしているのだから左方向へのステップにキレはかかっているのだが、名入は右方向への鋭角コーナリングもちゃんと練習させていた。
これにより脅迫マーク中に相手が転倒したとしても、彼女は確実に避けられる。左にウマ娘がいれば、右に逃げられる様に。どんなイレギュラーがあっても、彼女の事故の可能性は低い。
「で、で! それで思いついたんですよ! 鋭角コーナリングの
「……進化系ぃ?」
体のバランスが偏らない様に、事故回避の為に、鋭角コーナリングは左右のどちらにも使える様に鍛えてある。だから彼女は、五つ目の武器を思いついた。
鋭角コーナリングを更に進化させた、究極形とも言うべき技を。
「クロスファイヤー、でしたっけ? 鋭角コーナリングってそういう、『やっべ当たるんじゃないのコレ』って感じで見えてるんでしょ?」
「ああ」
鋭角コーナリングの大外捲りの驚異。有り得ない直線的なスパートで、大外から内へと突っ込む軌道。これは見慣れていない他のウマ娘達にとって、時速60キロメートルオーバーの砲弾がぶつかりに来る様な目の錯覚を及ぼす。
だからこそ、これを受けたマーク対象のウマ娘は怯んで内へと逃げる。よってコーナーでの仕掛けをしくじり、バ群に沈む。ヨレてストライドもズレるので、再加速にも一手の遅れが出る。
これを
「じゃあ。
「――は?」
「
「……あぁ……?」
ドロップスティアーは、いつも通りのあどけない顔で言った。『ぶつかる軌道で突っ込む』。
スパートの速度でぶつかる軌道を描けば、押圧どころか完全な衝突事故だ。内側を走るウマ娘も、外から走るウマ娘も。お互いがぶつかる大クラッシュを引き起こしてしまう。
――だが。ドロップスティアーは、
「それで!
「――おい。テメェ……何を、言ってやがんだ……?」
普通のウマ娘であれば、スパートでぶつかる軌道を描ければ慣性のまま”絶対”に直撃する。
しかし、ドロップスティアーは鋭角コーナリングの唯一の使い手だ。
「ねぇトレーナーさん。二回までって制限は、
「……おい、待て……待て、おいッ!」
「じゃあ、逆方向のステップは
「……テ、テメェッ……!!」
鋭角コーナリングは、二回までしか使えない。使ってはいけない。使えば契約を解除する、そんなルールすら与える程に危険な技だから。
だが、その危険は方向転換時の軸足への負担を考えての事だ。つまり彼女の回数制限は、
あろう事か、彼女は。
「つまり!
「――――」
「これぞ、鋭角コーナリングの最終形!
鋭角コーナリングは、危険な技だ。使う足は、極度の負担を受けてしまう。
だから二回しか使っていけない。しかし、その理由は
なので、
――彼女は。事前の取り決めを、
◇ ◇ ◇
「――喰らえ、スペさんっ!」
「え!?」
裂帛。ドロップスティアーは少しずつ前に位置を押し上げ始めたスペシャルウィークに対し、
今回のレースにあたり、スペシャルウィークは鋭角コーナリングをトレーナーから良く知らされていた。相手の外側をギリギリ掠める様に突っ込んでくる、異常軌道。
だが今声を上げた彼女は、
「あ、危なッ――!!」
当たる。
時速60キロメートルオーバーで、彼女は衝突する。優れたレース勘とは、正答を一瞬で導く直観力である。スペシャルウィークは、自分と彼女に起こる悲劇に身構え、目を瞑り体を竦ませ。
「――あっはぁーーッ!」
ダブル鋭角コーナリング。たった一人の敵に対し、全力の衝突事故という
観客も、後ろに控えるウマ娘達も、誰もかも。その有り得ない挙動に、目を疑った。
(――……嘘でしょ、ティアちゃんッ!?)
当たらなかった。”絶対”に当たると思った彼女は、”絶対”に有り得ない角度で逃がれた。
しかし。これを受けたスペシャルウィークの
(し、しまっ、
死ぬ。そう覚悟すらしたその一瞬、スペシャルウィークは
ストライド走法の一歩が鈍る所では無い。思考も身体も、何もかも。この最終コーナーという最終局面で、
ダブル鋭角コーナリングは、斜め後ろから直撃コースを描き、しかし接触しない技だ。故に、
斜行によるルール違反は、前方を走るウマ娘の真横から範囲が始まる。故に、
そうして二度の鋭角コーナリングという異様な軌道をしたドロップスティアーは、スペシャルウィークを
「あっ――っはぁ!!」
このコーナリングでは、
彼女は初めて、
(なんで……なんで、使わなかったんだッ!?)
強制斜行も出来ない、離れた進路へ追い上げるドロップスティアー。そこでセイウンスカイは、山彦砲が来なかった事に驚いた。だが、これは
鋭角コーナリングは山彦砲と組み合わせられるし、その方が威力が出る。しかし、
極めて短期間で鋭角コーナリングを三度も使うこの技は、強い集中力が必要だ。そして脳が集中するには、
だからドロップスティアーは、山彦砲を
だからドロップスティアーは、青葉賞で勝った自分の速さを信じ。
(スペちゃんが来ない――何かやったな、ティアちゃんさん!?)
セイウンスカイはそろそろ来る筈のライバルの一人の気配を感じない事に、確信を抱いた。ドロップスティアーが、スペシャルウィークに何か仕掛けを打ったのだと。
ダブル鋭角コーナリングなどという奥の手・最大級の極芸が行われた事は、前を走っていれば知りようも無い。だがしかし、現実は一つだ。
彼女はスペシャルウィークを落とし、そして山彦砲を使ってやってくるという自分の予想すら外して、ここまで追い上げてきた。
――予想の上を、行かれたのである。
「……あはぁっ……」
囁く様な狂った笑い声が、セイウンスカイの耳に届く。
ドロップスティアーは、信じていたのだ。自分の友人達の強さを。
キングヘイローが逃げという不利な作戦でも、最後まで粘る事を。
セイウンスカイが対抗しながら、自分の作戦をも読んでくる事を。
スペシャルウィークの末脚に、仕掛けられれば負けるだろう事を。
信じて、信じて、信じていた。だから、
「大一番、ですよッ!!」
「やらせる、かぁッ!!」
「最後の、勝負よッ!!」
絶対の強者達に対し、絶対を破壊する狂者が追い付く。
セイウンスカイは歯噛みして、キングヘイローの横に出る。
キングヘイローも、残る脚を振り絞り始めた。
――大勝負の終結まで。残り、500メートル。
五つ目の武器・”本物の死の恐怖”
この技は、失敗すれば撃たれる側より撃った側がまず最初に死にます。しかしドロップスティアーは『失敗する』感覚がわかるので、撃つ時は逆説的に成功してしまいます。
コレを使うか耐えられるのは、横から突っ込んでくるバイクに衝突される時にも、まばたき一つせず棒立ちして眺められる、そんな精神力の持ち主だけです。
今回、Chama.様より当小説の主人公・ドロップスティアーの支援絵なるモノを貰いました。この場を借りてお礼申し上げます。
なんか強そうな主人公みたいな迫力です。支援絵にすら負けそうな主人公ですが、これからもよろしくお願いします。
【挿絵表示】