ヤマ娘 ~Crazy Derby~   作:灰の熊猫

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『深層』

「――ん……」

 

 悪い、悪い夢を見ていた。

 夢は、起きれば忘れる物だ。だけれど、気分だけは残る。悪い夢を、自分は見ていた。

 そして、代わりに現実が訪れる。いつも必ず、嫌だと言っても必ず、夢は覚めて、醒めて、そして何もかもが冷めてしまう。夢とはそういうモノなのだと、ずっとそう思っている。

 ドロップスティアーは病室のベッドの上で、白い天井を見ながらゆっくりと瞼を開いた。

 

「……まけた、なぁー……」

 

 しかし、現実逃避はしない。起こった過去は変えようが無い。忘れようも無い過去は永遠に、延々とついてくる。だから、絶対に忘れない。

 東京優駿・日本ダービー。一年をかけた大勝負で、自分は見事なまでに面白い負け方をした。ある種、当然の事だったのだが。

 ――良い勝負だった。最後の最後、綾がついたが。自分自身という、史上最低の綾が。

 

「……スペさんたちに……あやまらないと……」

 

 ドロップスティアーは基本的に、常時冷静である。日常的に滅茶苦茶な事をやらかすが、病院のベッドの上で起きてすぐにでも、寝ていた間に何が起こったのか。それらを客観的に把握出来た。

 新しいルールという理不尽な、しかし当然の敗北に対する()()()()の自分の発狂。それにより病院へと搬送されただろう事。そして、そんな自分のせいで折角の大勝負(ダービー)の会場はきっと酷い空気になったに違いない事を。

 ウイニングライブはどうなっただろうか。自分はどうでもいいが、あの”日本一”の走りが讃えられないなど、あってはならないのに。あの大勝負での皆の頑張りを、自分が台無しにしてはいけなかったのに。

 だから、携帯を探す。入院着に着替えさせられている以上、懐には無い。体を起こし、近場の棚の上を見る。見舞いの品らしき、果物と人参が山になったバスケットが置いてある。

 

「……何日経ったんだろ」

「――三日だ……この寝坊助が……」

「うひえぁ!?」

 

 見舞いの品が気付かれずに置かれている、その一点で『入院から数日は経過している』と推理した直後。自分の反対側――窓際から、低い声が鈍く響く。

 姿は何も見えない。しかし、誰の声は分かる。そして状況を考えれば、答えは一つ。

 

「……起きて下さい、トレーナーさん」

「そりゃこっちのセリフだ、だあほ……自殺同然の芸当を、やらかしたヤツのセリフじゃねーんだよ……」

 

 見舞いの品が置かれた棚、その反対側の()へと声をかける。むくりと、名入が地獄からやってきた様な形相――両目に色濃い隈を刻み、不機嫌極まりない歪んだ顔で、立ち上がった。

 そんな形相でこんな床に寝ていた理由など、一つしか無い。

 

「……悪いですね。自分だけ、いいお布団使わせてもらっちゃってたみたいで」

「だあほ……病院のベッドの上より、市販の()()のが余程ぬくもりがあるわ……」

「……あははっ。そう、ですよね」

 

 名入は床に置いてある寝袋から出て、のろのろと窓際のパイプ椅子に座る。

 簡単な事だ。地獄からの使者の様な形相の彼は、三日間泊まり込みでずっと看病してくれていたらしい。口の悪さに反比例して、やってくれた事は随分と情が深い。

 キャラじゃないなぁ。そう思いながら、悪い気分の寝起きにはありがたい気分転換にはなった。

 

「……負けましたねー」

「……ああ」

「……ライブ。どうなったんです?」

「一応開催された。三・四着を繰り上げのポジションにして。……歴代ダービーで最もお通夜状態のライブだ、ウケるから後で見とけ。よくもやってくれたな、だあほ」

「ごめんなさい……」

「いつものジョークだ。謝るんじゃねーよ、調子が狂う」

「……ごめん、なさい……」

「…………」

 

 名入は淡々と、ドロップスティアーの疑問に答えていく。

 救急搬送後、全てが終わって落ち着いた後、ウイニングライブは無事行われた。だが、一様に雰囲気は重苦しかった。センターのスペシャルウィークは、泣きながらライブをしていた。

 それが嬉し泣きではない事など、誰もが理解していた。目の前であんなモノを見せられておいて、一着の喜びを噛み締める事など出来る訳が無い。

 ああ、謝らないと。何もかも、全部に、謝らないと。ドロップスティアーの頭の中は、それだけで占められていた。

 

「三日。泊まり込みで看病してくれてたんですよね。……ありがとうございます」

「だあほ。二日だ」

「……? あはっ、一日はほっといたんですか? 担当ウマ娘がぶっ倒れたのにー?」

「コイツを見ろ」

 

 名入は自分の携帯を前に突き出し、ドロップスティアーに見せる。

 そこには、一つのネットニュース記事が載っていた。

 タイトルは――『()()()()()()()()()()()()()()()()()()』。

 

「――――は?」

 

  ◇  ◇  ◇

 

「――では! あのスペシャルウィークへの危険な衝突寸前の行為も、最後の自殺的なゴールも! 名入トレーナー、貴方自身が命じた事だと!?」

「あー? 何言ってんだ、()()()()()()。あんな事でもしなきゃ、あのだあほは勝てなかっただろうぜ。ま、ルールとお上サマの不十分さで負けちまったけどよ」

「ふっ、ふざけないで下さい!」

「ふざける? ハッ、笑わせんな。青葉賞ん時も言ったろーが、()()()()()()()()()()()()()って。まさか本気にしてあんなバカやるとは、俺も思ってなかったってのによ」

 

 ダービー終了後。勝利者インタビューの場とは全く別の場所で、名入は各メディアから質問攻めに遭っていた。

 当然内容は、ドロップスティアーの危険行為。ダブル鋭角コーナリングは誰にも出来ない、審議も無かった技術だ。しかしルールの穴を突き、仕掛けられた相手も仕掛ける本人も、一歩間違えれば大クラッシュ確定の最悪の技である。

 そして問題の、ヘッドスライディング問題。前例が無いが、ルールがそのままであればダービーウマ娘の座と名前は変わっていただろう。しかしその先、肝心のウマ娘本人の命は全く確約されていない行為だった。

 どちらもドロップスティアーだからこそ可能な、そして全くドロップスティアーの身の安全を考えていない行動。それ故に、名入はメディアに囲まれた。一切の逃げ場など与えない、罪人の檻の様に。

 

「スペシャルウィークかキングヘイロー、両方が差しで来ると想像してた。展開次第じゃ、ダブル鋭角コーナリングはあの両方に効くと思った。今回はキングヘイローが逃げだったんで、()()()()()()()()がな」

「あ、当てられた……!? 一歩間違えれば、どちらもただでは済まなかったんですよ!?」

()()()()()()()()()()()だろが。実際事故も起きなかったし、()()()()()()しな」

「……このダービーで、最初からやるつもりだったと……!?」

()()()()()()()()()からな。青葉賞の後、あのバカも言ってたろ? あんにゃろ、うっかり口滑らせやがって……」

「……ッ!!」

 

 プランX。確かに名入はそう言って、ドロップスティアーを走らせた。五つ目の武器・ダブル鋭角コーナリングの使用も許可していた。

 しかし、許可しただけでずっと反対していた。やらずに済むならやるなと、勝負服問題が終わった作戦会議後もずっと反対していた。無しでも勝てる様に、目一杯まで練習させた。

 しかし内容は最後まで変更無し。ノープラン・作戦放棄。つまり、()()()()()()()()()を与えた事は事実である。

 だから名入は開き直れた。事実を誤魔化す必要は、全く無い。

 

「あのヘッドスライディング! あんなモノ、ラストスパートでやるモノではありませんッ!」

「ダブル鋭角コーナリングで落とせるのは、最悪”三強”の一人だけだ。残り二人は残る。なら、やんなきゃ勝てねーだろ。単純な()()()だ」

「引き算……!? 貴方は自分のウマ娘に、何を命じたか! 本当に分かっているのですか!?」

「さっき言ったが、俺もマジでやるとは思わなかったんだぜ? ()()()()()()()とは言ったんだが……まさかマジでやらかすとは思わないだろ、フツー?」

「な……ッ!!」

 

 名入はタバコ柄の包み紙を被せたココアシガレットを手に取りながら、カメラに対して横顔を見せ、他人事の様にタバコを吸う様な構えを見せた。

 これも、部分的には嘘ではない。作戦会議の際、『責任は自分にある』『自由にやれ』と言ったのは事実だ。だが、”六つ目”たる転倒疾走は完全初見の、現場でのアドリブだった。

 しかし、ドロップスティアーが本当の自由を与えられた場合、突飛も無い発想や技をやる事はこれまでにもあった。そういう意味では、名入はあの技を許可していると言っても良い。

 ただ、()()というだけで。

 

「ったく、お陰様でこっちまで悪者扱いだ。結局はあんな技に頼らないとダメってぐらい、アイツが遅いのが悪いんだよ。そうは思わねーか、メディアさん?」

「ふッ……ふざけないで下さいッ! 選手は、ウマ娘は、あなたの道具では無いッ! 『遅いから』と、あの様な事をさせるなど……貴方に人の心は無いんですかッ!!」

「あるからああいう作戦出来るんだろが。あーあ、失敗だぜ失敗。こっちまで責任問題だ、めんどくせー」

「――ッ! 貴方は、最低です! 最低のトレーナーです!」

「だっはっは。折角のダービーを台無しにしやがった最低のウマ娘にゃ、丁度良いだろ」

 

 最後にそう言って、名入はメディアを押しのける様にしてその場を去った。

 そしてありとあらゆるメディアは、満場一致で名入を批判する記事を上げ連ねた。人でなしの、人間失格の、最低のトレーナーだと。トレーナーの資格を、剥奪すべきだと。

 

  ◇  ◇  ◇

 

「――ッ! なんですかコレは! 何を、何をやってるんですかッ!!」

「うっせーよ……寝起きでお前の大声はキくんだよ……」

「それどころじゃないでしょ! 何ウソついてんですか! あのダービーは全部、自分がやった事でしょ!」

「それが”プランX”だろーが」

「あの転倒とヘッドスライディングは、あの場で思いついたんですよ!?」

「『自由にやれ』の内だろーが」

 

 ドロップスティアーは、激昂した。彼女は、素直なウマ娘である。

 自分に非があるなら、素直に受け入れる。彼女は今回、後出しとはいえルール違反をやった張本人だ。ダブル鋭角コーナリングについても、スペシャルウィークの精神力を信じていたから仕掛けたとはいえ、他のウマ娘であれば間違いなく大クラッシュさせる代物であった。

 それ故に、名入はずっとダブル鋭角コーナリングを禁止していた。使う本人の危険性のみならず、”三強”がアレを受けてもクラッシュしない程に強く、ヤマ勘で成功する確信を持ち、角度的にも使えるスペースが無ければ使えない。そんな代物(わざ)だからこそ、ずっと禁止されていたとは分かっている。

 転倒疾走とヘッドスライディングは、やった後に死を覚悟した。死んでしまえば、勝利もへったくれも無い。そんな事を思いつきでやった、それはルールで裁かれるべき事だ。二着への降着だけなど、生温い。

 全ての批判は、自分が受けるべき事なのだ。

 

「お前の勝負は俺の勝負だ。俺が()()()()出走させた事は何の違いも無い。間違いなく失格トレーナーだろーよ」

「ふ、ふざけッ――」

「ふざけてんのはお前の行動だろ。お前がやんなきゃ、こうはならなかった」

「――……っ」

「だが、全責任は俺にある。勝つ作戦を立案出来なかったから、こうなった。最低最悪の作戦を渡したのは、俺だ。担当の力にかこつけて好き勝手やった、ド悪党トレーナーだよ」

 

 名入はドロップスティアーに対し、まさに悪党の様な目の隈と形相である顔で、しかし視線は逸らさずそう言った。絶対に譲らない、そう言わんばかりの態度と形相に、何も言えなくなった。

 こうしてダービー直後、メディアにずっと囲まれたせいで、名入は一日中拘束された。『あーはいはい、んじゃあ入院した担当の看病ぐらいするわ、それぐらいは良いだろ』と、そう露悪的に吐き捨てる事によって初めて名入はこの病院まで来れた。

 寝袋は、今回の事情を知るシンボリルドルフに持ってきてもらった。”極悪トレーナー”が泊まり込みの看病など、メディアのイメージを反対方向へ損ねるから。

 その時のシンボリルドルフの顔は、極めて難しく痛ましい物だった。ドロップスティアーに任せた結果ああなったのは事実であり叱責されるべきだが、名入が彼女を全身で庇った事は事実だったが為に。

 

「……悪かった。批判確定の切り札まで許しといて、結局お前だけにレースを任せたのは事実だ。俺の指導力不足だよ」

「なんですか、その殊勝な態度はっ……いつもみたいに、『お前が遅いのが悪い』って言って下さいよっ……それが事実でしょうがっ……」

「確かに事実だ。だが、トレーナーはそれを直して速くするのが業務で義務だ。……お前は、良くやったよ」

「……ッ!」

 

 ドロップスティアーは同情的な名入の言葉に、病院の布団を強く握り締めた。

 自分が弱かった。ルール違反をした。大勝負を台無しにした。批判を浴びるべき、大罪人だ。誰にも、自分にも嘘を吐けない素直な彼女は、ずっとそう思っている。()()()()()()()と。

 ドロップスティアーと名入は、絶対に交わらないが似た者コンビだ。油と油と言うべき、全く混ざらない者同士だが、共通点は多い。しかし、決定的に異なる点が一つある。

 ドロップスティアーは意図して言葉にしない事はあるが、嘘をつかない。

 しかし名入は、必要とあらばどんな大嘘であっても、平気でつけるのだ。

 

「…………ごめんなさい」

「聞き飽きた。俺が聞きてぇのはそうじゃねーし、言いたいのもそうじゃねー。全部終わった事だ、どーでもいい」

「……」

「言うべき事はまず、お前の状態だ。お前の怪我や打撲は全身に及んでるが、想像よりも遥かに軽い。だが、()()があった」

「――えっ? いや、そんな訳無いでしょ」

 

 ドロップスティアーは名入の言葉に、それまでの暗い気持ちも忘れて本気で驚いた。

 彼女はアスリート的な大怪我を負わないだけで、痛みと怪我には慣れている。脳内物質による感覚麻痺が無くなっても、打撲や傷・出血に対しての自覚はあった。だがしかし、全身は一切問題無く動いた事を確認している。

 どんなウマ娘でも、小さなヒビの様な軽微の骨折があるなら、僅かな違和感や歩調の乱れが生まれる。しかしドロップスティアーは、本当に何一つ問題無く全身が動かせたのだ。なんならウイニングライブだって出来ただろうという確信があった。

 

「”黄金回転(ゴールデンスピン)”は我ながらカンペキに出来たし、今も足に違和感無いですよ?」

「なんだそのアホみてーな技名は。……足じゃねーよ、()だ。()()()()()、全治は一ヶ月半ってトコらしい」

「へっ?」

 

 掌の骨折。そう言われてドロップスティアーは、実際に掌のあちこちを自分で触ってみた。

 その内、()()()()。そこにいくらかの腫れと、触れた時の痛みがあった。

 有鈎骨。人間の掌にも存在する、手首付近に集約している骨の部位の一つ。これはゴルフ・テニスなどのスイングを多く行うスポーツによる疲労骨折や、()()()に手を地面にぶつける事で傷が入る、鈎状の突起物の様な骨である。

 今回、ドロップスティアーはフライングによる着地を試みた。その際、限り無く理想的なフライング――指先から掌にかけての荷重移動を行い、そこから前転へとスムーズに移行した。だが、時速60キロメートルオーバーの威力は完全には受け流せなかったのだ。

 むしろ、最も掌で骨折し易い突起部分のみしかろくなダメージが入ってなかった事が、彼女の異次元の頑丈さと受け身の上手さを物語っていた。有鈎骨は血行が悪く治りが遅いし、重度であれば手術も必要な物なのだが、どういう訳か彼女の骨はヒビ止まり。

 痛み止めと自然快復だけで十分と言われた時、名入は心底安堵と驚愕を同時にした。ちなみに全身を検査した医師も、他の部分の骨折を必死に探したが、結局そこにしか骨折(ヒビ)が無かった事に驚愕していた。

 

「日常生活を送るのに問題は無い。手首を動かしゃ痛いだろうが、痛み止めで十分だそうだ。……どうなってんだお前マジ。再起不能レベルのスピードと体勢で転倒したんだぞ。なんで普通に退院出来るレベルで済んでんだよ」

「まー、やっぱ何もかも、ゴールドシップ姐さんのおかげですね! 姐さんはこの時の為にきっと、真っ先に受け身を教えてくれてたんですよ! やっぱり姐さんはスゴいですっ!」

「……アイツ、関係者席にスッと湧き出てサッとどっか行ったんだが。アイツもなんだったんだよ。……そこの机の上にしれっと薬草も置いていったし」

「……姐さんっ……!!」

「いや薬草はねーだろ薬草は。マジで鎮痛作用あるヤツだったけど。普通に果物にしろよ」

 

 ゴールドシップは今回、本当にどうやって関係者席に侵入したのか分からなかった。ドロップスティアーの搬送後、警備員に気付かれて全力で逃走した。

 そしてその後、病院が閉まっている筈の時間帯に『自称・妹分へ』と書き置きと共に、鎮痛作用のある干し薬草を置いていた。やっぱりこの時も病院の警備員に気付かれ、全力で逃走した。

 ともかく、今回の事について。ゴールドシップは、自分なりに思う所があったらしい行動を取っている。これは普段の彼女について知るトウカイテイオーも、『理解出来る行動で珍しい』と漏らしていた。まともな見舞いでは無かったのだが。

 

「……お前の他の症状は、全身打撲と筋肉痛(コズミ)。有鈎骨のヒビよりは遥かに早く治る。打撲の経過観察が終わり次第、普通に退院して良い。……そこは、良かったぜ」

「あははっ。トレーナーさんが優しいと、逆に怖いんですけどー?」

「茶化すな。……今回の事で、俺は本当に思い知らされた。お前の、本物の異常性を」

「――……」

 

 ドロップスティアーの体は、実質的に手首の違和感以外何も無い様な、そういう軽症である。有鈎骨もヒビだけであり、トレーニングこそ控えるべきだが、これからも走る事その物に支障は全く及ぼさない。

 だがしかし名入は今回、心底理解した。このウマ娘は、本当の意味で異常者だった。

 自由を与えた結果、彼女は勝利の為に自殺行為まで敢行した。受け身は完璧だったが、”六つ目”については知らされていなかった――つまり、本当にあのレースの最中で思いついた技だと名入は看破している。

 シンボリルドルフとトウカイテイオーも、どれだけ悪ぶったとしても、あの時の名入の反応からそれは察していた。プランX・自由行動。彼女は本当に、自分の意志だけでアレをやった。ドロップスティアー本人ですら自殺行為であると自覚する、そんな危険行為に自ら及んだのだと。

 

「……俺は。担当に――というより、他人にあまり肩入れし過ぎない方が良いと思っている」

「はい? どうしたんですか急に」

「誰にも触れて欲しくない、そういうライン。必死で隠している事は暴かれたくない。そういうのが人情で、そしてレースの世界でそういう私情はノイズだ。人でなしらしく、必要なモノはデータだけで良い。そう()()()()()

「……?」

 

 名入の全く無関係な自分語り。それにドロップスティアーは首を傾げた。

 名入はデータ信者である。担当ウマ娘との信頼や親愛など、感情論や根性論が通用する程レースの世界は甘くない。想いがどれだけ強かろうが、一度も勝てないウマ娘は中央にはごろごろいる。

 信頼は、”信”じる感情に”頼”る事。現実主義者である名入は、そんな綺麗事が嫌いだった。そんなに”信頼”という言葉の甘さが好きなら、作戦もトレーニングも無しに信頼と感情とやらを存分に舐め啜って勝ってみせろ。そんな風に思った事すらあった。

 だから名入は、代わりに信用を求める。”信”じるに値する実績を”用”いる。それは感情論では無く、実際に存在する事を追求していく事。そしてそれらは、全てデータに表れる。

 だから、”信頼”に関係する()()()()()()()()()について、触れる気は無かった。

 しかし、()()()()()()()のだ。

 

「この際、別にトレーナー資格の剥奪はどーでもいい。だが、今回のレースであそこまでされておいて。俺には()()()()の責任がある」

「あの、何の話してんですか? っていうか、資格がどうでもいいって……」

「マジでどうでもいい。それどころじゃねーんだよ、マジで」

 

 中央のトレーナー資格は、極めて取得が難しい。年々トレーナー不足問題が目立ち、契約されないウマ娘が学園であぶれてしまう。トゥインクル・シリーズという国内最大の興行であり、その最高機関である中央トレセン学園ですらまるで解決出来ない、根本的な問題。

 名入は今回の件で、最大級の謹慎と罰金を受けた。しかし、ギリギリでトレーナー資格の剥奪までは行っていない。それはトレーナー不足という切なる問題に加え、()()()()()()()()()()()()があったのも大きかった。

 信賞必罰。罪には相応しい罰を与えるべきだが、しかしドロップスティアーを中央に連れて来た責任は自分にもあり、自分に出来なかった責務を果たした事に酌量の余地がある。そう彼女が訴えた結果、中央トレセン学園・秋川理事長は極めて難しい顔をして、最大級ながら最大ではないペナルティで済ませた。

 代わりにシンボリルドルフは名入に対し、()()()()()を与えた。トレーナーとして果たすべき、最大の責務を。

 

「……お前の走りは、中央に存在しないどころじゃない。誰もやらない、本物の自殺行為だ。皇帝サマは壁走りだとかを笑ってやらかす、そんなお前の行為を止める為に中央(ここ)へ連れて来た」

「まぁ、はい」

「だが、お前の異常性は単なる山好きじゃなかった。”勝負”に対する精神的な、もっと深いトコ。そこに皇帝サマは、早期の段階で違和感を覚えていた」

「ルドルフさんならそりゃそう思うでしょうねぇ……あー、今回も怒られるんだろうなぁ……」

「だから、俺には聞く仕事が――義務が出来た。恐らく、()()()()()()()()()をしなくならなきゃなった。それがトレーナーとしての責務だと言われたし、俺もそうすべきだと思う」

「……? あの、何を――」

 

 中等部にして、異常なまでの勝負への拘り。偏った精神面の熟成。

 シンボリルドルフは選抜レースの時点で、違和感を覚えていた。誰もが耐えられない敗北の苦痛を覚えながら、誰も抱けないだろう勝利への執念を。それが()()であると願った。

 だが、違った。彼女の精神の()()にあるモノは、シンボリルドルフの心配を()()()()()()、そんな事情である事を名入は調査・予想した。

 それを、確認しなければならない。担当トレーナーとして、自分の信条を曲げてでも。

 

「――お前の。()()()()()()()()について、話を聞かせろ」

「――――」

 

 ――その言葉を聴いた瞬間。ドロップスティアーから、()()()()()()

 表情が無くなった。感情が消えた。耳は力無く横に垂れた。極度のリラックス状態に見えて、()()()()()()()()

 

「――……オヤジは。なんて言ってましたか」

「……俺には、『尻拭いをさせて、本当に申し訳ありません』。お前には、『()()()()()()()、バカ娘』。そう聞いた」

「バカオヤジ……オヤジは、なんにも悪くないって、あんだけ言ったじゃんか……」

 

 ドロップスティアーは全ての力を失くした顔と瞳で名入を見つめ、真っ先に自分の父親(オヤジ)の事について聞いた。

 ここまでの名入の質問までの流れに、彼女の”オヤジ”の話題は一切無かった。だが、ドロップスティアーは名入からの質問に対し、一瞬にして事態を把握した。

 名入が()()()について知って、()()()()()()()()()()。全ての力が失せた様で思考だけは高速で回り、話の外で何があったか、どんな事情があったか。その答えを、すぐ導き出した。

 ()()()()()()()()”オヤジ”に、質問する許可を得るべく連絡を取った事を。

 

「……その様子だと。オヤジからは、詳しく聞いてないみたいですね」

「親父さんは、お前の口から聞けと言っていた。……俺が知ってんのは、結果だけだ。それだけでもなんとなく予想はつくが、な」

「……バカオヤジ。ばか。ばかばか。……()()()が悪いのに……」

 

 ドロップスティアーの一人称が変わった。彼女の一人称は、『自分』である。

 しかし、違うのだ。彼女はかつて自分の事を、『()()()』と呼んでいた。

 そこには、彼女の深い過去が絡んでいた。彼女の、本当の父と母についての過去が。

 

「――良いですよ。オヤジの()()は分かりましたし、トレーナーさんの事情も分かりました。知る権利はあるでしょ。あの、つっまんない昔話を」

「……」

「あーあ。そりゃ、ちょっと調べればわかりますよねぇ。わたしのおかーさんが居ない事も、おとーさんの事も、オヤジの事も。……ぜーんぶ」

 

 ドロップスティアーはそこで、名入と対面する為に起こしていた体をベッドに下ろした。

 体を起こす気力も失せた。今から話す事は、口だけが動けば十分だ。別に大した話でも無い。他人がどう思うかなどは、別として。

 

「結果は知ってる。そう言いましたよね」

「……ああ」

「じゃあ、知ってますよね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……それだけだ。親父さんは、『ちゃんとお前が喋れバカ娘』って言ってたぜ」

「――あは。あはは。あーははは。あー、はいはい。わかったよ、バカオヤジ」

 

 ()()()()()()。聞くべき、話すべき話題はその事だった。

 低い天井を見上げる彼女の顔に、笑みは無い。いつもの笑い声は、口だけだ。

 ダービー直後に見せた激しい絶望とはまた異なる、深い絶望。そんな表情を見て、名入は心底痛ましくなった。こういう事があるから、()()()()()()()()()()というのに。

 

「……それなりには。長い話になりますよ」

「……ゆっくりでいい」

「ジュース。買ってきてください。のど、かわきました」

「…………」

 

 名入はその言葉に、何も言わず従った。それだけ今の彼女は静かで、酷く弱々しかった。

 名入が出ていき、少しの間誰も居なくなった病室で。ドロップスティアーは、目を閉じる。

 夢は起きれば忘れるが、気分だけは残る。代わりに現実が訪れる。嫌だと言っても必ず夢から覚めて、醒めて、そして何もかもが冷めてしまう。()()()()()()()()

 いつでも残るのは、過去という名の現実だけ。だからドロップスティアーは、”今日”しか見なくなった。()()()()()()()。昔なんて、思い出なんて、無駄に重いだけだから。

 それでも忘れようも無い過去は、永遠についてきて。結局、逃れる事は出来ない。

 

「……ほらよ」

「水じゃないですか」

「炭酸水とかよりは喉に優しいだろが」

「……言えてますね」

 

 帰ってきた名入は、果物の風味付きの天然水のペットボトルを二本持ってきた。一本は自分用である。

 一本をドロップスティアーの枕元に添える。寝たままでは飲めないが、いつでも起き上がって飲める様にはする。起き上がる事を、待つ事しか出来ないのだから。

 

「――トレーナーさんは。神サマを、信じますか?」

「……居るかどうかも知らんヤツは、どうでもいい」

「学園の中央には、”三女神像”なんて()()()()()モノがありますよね」

「……ああ」

 

 ドロップスティアーは、聞く者が聞けば本気で怒られる言葉を平然と吐き捨てた。

 しかし()()は、彼女の昔を話すにあたり。ある種、最も大事な一点だった。

 

「神サマなんてモノがいるなら――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉は最初に学園へと訪れた時、広場の三女神像を見た時に漏らした、しかし突風に連れ去られて空へと失せた呟きと同じだった。

 彼女はこれまで数回、自分の事を()()()()と言っている。『神サマなんて信じてない』と。

 神など都合の良い存在は居ない。彼女は()()()から、そう思い続けていた。

 

「――普通の。普通の事なんです。わたしがただ、気にしすぎてるだけの……」

 

 そして彼女は、過去を語り出した。彼女の”勝負”に根ざす、深い過去。

 戻れるものなら戻りたい――六歳の頃、()()()()()()()の事を。

 




「わたし」のおはなしをします

次回より、第零章。
第一章書く前に決めて、お蔵入りにして連載終了する気マンマンだった話です。
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