ヤマ娘 ~Crazy Derby~   作:灰の熊猫

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疾走!世代編
『皆とのお話』


「――ティアちゃん? 痛みは、大丈夫ですか~?」

「アッハイ。だ、大丈夫ですよ、グラスさん。グ、グラスさんの脚の方は――」

「こちらの脚の痛みは既にありません。リハビリも順調です。貴方程心配をかけてはいませんよ。……貴方程は」

「……ひぁあぁ……」

 

 グラスワンダー。彼女の骨折は軽度のヒビであった為、現状も競走能力には問題を抱えたままではあるが、登校に支障は無い。

 同様、痛み止めだけ服用してればほっといても治るとすら言われた、そんな変則的な軽度骨折を両手に受けたドロップスティアーも、登校し始めた。そして、再会した。

 トレセン学園・三女神像のある噴水広場、その中央。女神像の印象すら圧するかの如き、静かに圧を放つグラスワンダーと。

 

「……随分と、話をするのが遅れましたね? やはり怪我が芳しくは無かったのですか?」

「そ、そんなことは、ないです、けどー……? 退院自体は、経過観察終わってすぐ、でしたし……」

「――では。何故会うのを遅らせたか。その理由を、聞かせては、貰えませんか? ……良ければ、ですが~?」

「う……ぉぉあ……」

 

 恐怖。ヤマ勘がフル稼働している。この場合のヤマ勘は、レースで用いる共感覚の応用ではなく、もっと根源的なモノ。ヤマ勘の原型たる、生存本能だ。

 『ヤバい』。下手をすれば今のグラスワンダーは、山道ショートカットの失敗を察してブレーキをかける時にも匹敵する、そんな”凄み”を纏っている。

 ドロップスティアーは誰よりも恐怖に立ち向かった存在ではあるのだが、同時に誰よりも恐怖その物を身に知っているウマ娘だ。故に、()()()()()()()()()に対しては身が竦む。

 その恐怖その物である相手が友人たるグラスワンダーでなければ、ドロップスティアーはとっくに音速スタートダッシュと鉤縄を使ってでもさっさとどこか高飛びしている所だ。文字通りの高い所へ逃げるだけの事なのだが。

 

「え、えーと……そのー……LANEでも言った通り……みんなが来るまで、ちょっと、ちょっとだけ、説明を待っていただければ……ハイ……」

「……では、一緒に待ちましょうか~。……その後に。私が言うべき事を、定めましょう」

「――……」

 

 グラスワンダーは一言一言の抑揚を、きっちりと付けて強調する。彼女が怒っている事など誰もが分かるが、その怒り方はいつもより多弁であった。

 それだけ彼女は憤慨していた。グラスワンダーは”黄金世代”の中で唯一、彼女がダービーという勝負にのみ全てを賭けて挑んだ事を事前に知っていた。知っていたからこそ、あの走りはしっかりと目に焼き付けた。

 ダブル鋭角コーナリングという極芸と、スパートのヘッドスライディングという自殺行為。執念の果てにあったアスリートの一種の極限と、最大の禁忌と言えるその二つを。

 

「……ついに。ついに、覚悟を決めたようね? ……おばか……」

「ヒィッ」

 

 ヤマ勘は一度覚えた相手を忘れない。故に、背後から声も無く近付いてくる相手であっても察知出来る――特に”恐怖”に直結し得る者であれば、声を聴くまでも無く存在を感知出来る。

 出来るには出来るのだが、声を聞かない事にはその内面までは理解出来ない。そして、後方よりかけられた声は、前門のグラスワンダーに近しい感覚をドロップスティアーへと与えた。

 ぎぎぎと、振り返る。見ずとも察知していた、後門のキングヘイロー。彼女は、額に青筋を立ててここへとやって来ていた。

 

「キングちゃん。”ついに”、というのは?」

「このおばかは、最近は私の姿を見るや否や――というより、姿を見もせず、声をかける間も与えず、早足で去っていっていたのよ。……本格的な説教をされるより前に、ね」

「……あらあら~。ダメですよ、ティアちゃん? その様な真似をしては」

「――……」

 

 ドロップスティアーは、今心底逃げたかった。それだけこの目の前後で挟み撃ちの形を取っている二人――グラスワンダーとキングヘイローは、ガチギレ状態である事を察していたが故に。

 キングヘイローはドロップスティアーが退院して通学を始めたと聞き、誰よりも先にあの身の危険も省みぬダービーについて、エンドレス説教する気で居た。だが、どういう訳か全く対面出来なかった。

 理由はただ一つ。ドロップスティアーはヤマ勘をフル稼働させ、怒気を溜め込んだキングヘイローから、影も見せないつもりの超逃げを退院してから続けていたからである。

 

「『話があるので全員で集まってくれませんか。それまで待って下さい。一生のお願いです』。その言葉に従って……一応、ここまで、なんとか。……我慢してきたのだけれど? 納得の行く話なんでしょうね?」

「はひぃ……た、たぶん……」

「”多分”?」

「確約は出来ませんスミマセン! でもホントに! ホントに真剣な話なんで! それまで待ってくれませんかお願いします!」

「…………話が終わり次第。これまでの分、説教は存分にさせて貰うわよ?」

「キングちゃん。申し訳ありませんが、先約は私です。……疾く済ませますので、先手は譲って頂けませんか~?」

「良いわよ、グラスさん。どうせこのおばかに言いたい事は、同じ事でしょう?」

「ふふっ。そんな気がしますね~?」

「――あ、あはーっ……じ、自分も、そう、おもいます……はぃ……」

 

 ドロップスティアーは恐怖を察知し、その直前で留めて逃げる勘を鍛えてきたウマ娘だ。その勘が全力で『逃げろ』と言っているこの状況で、彼女はギリギリ理性で脚を抑えつけていた。

 彼女の勘、即ち生存本能は理性より圧倒的に強い。その本能に限界まで逆らって、この恐怖に立ち向かっている。この烈しくも心優しい友人達に心配をかけた事に対し、断罪されるべきだと。

 しかしそれでも本能が逃げようとしているので、ドロップスティアーは理性を更に強く抱いて抑えつける。結果、その脚は生まれたての子鹿よりガタガタ震え上がっていた。

 

「あっ、ティア! 久しぶりデース! 元気そうで何より――ではない、みたいデスね……」

「……いえ……元気です……元気いっぱいですよ……あは、あははっ……」

 

 太陽の様に明るい声で、エルコンドルパサーが手を上げ、軽々と駆けてくる。彼女のその声色は、場の空気――というか、グラスワンダーの醸し出すオーラとその矛先で震えるドロップスティアーを見た瞬間に落ち着いた。

 『あっこれダメなヤツデスね』。一瞬にしてエルコンドルパサーは、自分の親友が窘めに来る時の十倍ぐらいの圧を醸し出している事を察知する。この瞬間、エルコンドルパサーは思わず歩を完全に止めた。そしてのろのろと歩いて、ギリギリここなら大丈夫と思える所までは近付いた。そこが限界だった。

 

「やっほー、ティアちゃんさん。……大丈夫? 色々と」

「……セイちゃんさん程の頭脳であれば、この状況が大丈夫かどうか、わかるのでは……?」

「…………」

 

 セイウンスカイも両手の後頭部で組みながらゆるゆるとやって来たが、広場の”円”とその中心にいる渦中の相手に対し、優れた状況判断能力でその質問の答えを悟る。

 逃げウマであるセイウンスカイにはわかる。ここから逃げる手段は、絶対に存在しない。前門の怪物・後門の王は、今に限り完全に同レベルの雰囲気(オーラ)を繋げてフルシンクロしている。

 ドロップスティアーが横へ逃げようという素振りを少しでも見せれば、彼女達は完全に呼吸を併せてその左右を刹那の見切りで塞ぐだろう。そして肝心の逃げるかもしれない相手は、脚がガックガク。

 最早どうする事も出来まい。正真正銘の最期である。セイウンスカイは、そんな未来に対して心の中だけで合掌した。

 

「あっ、みんなー! ごめんね、一番遅れちゃった!」

「……あっ、スペさ――なんです、その人参の山?」

「実家のお母ちゃんから一杯贈ってもらったんだ! 皆で集まるって聞いてお裾分けしたくって! すっごい美味しいんだよ!」

 

 お通夜じみた空気が漂う中、スペシャルウィークだけがまるでそれを気にせず、ダンボール箱から零れそうになっているにんじんの山セットを抱えてやってきた。

 彼女の目からはグラスワンダーがにこにこ笑っている様にしか見えないし、キングヘイローの後方からやってきたのでその形相が見えていなかった。そして”勘”だの”圧”だの、そういう物を感じる事もしなかった。

 レース中で集中に入った状態の彼女はそれに近いモノを感じ取れるのだが、日常の彼女は極めてニュートラルに世界を捉えている。つまり、この場の空気の重さから唯一逃れていた。

 

「それで、今日はどうしたの、ティアちゃん? 皆で集まってする話って、何?」

「……スペさん。まず、本当に、ホンッットーに。改めて、すみませんでした」

「えっ!? ど、どうしたの、急に――」

「あのダービーを、後から見直しました。……自分が滅茶苦茶やったせいで、迷惑をかけました……」

「――……」

 

 ドロップスティアーの大問題たる日本ダービー。そこでスペシャルウィークは、極めて微妙な立場に立たされた。

 彼女は確かにダービーで勝った。『日本一になる』という目標は、確かにあの瞬間叶った筈だった。しかし、それは決して望んだ形では無かった。

 確かに、これまでのレースの決着の判定――前例に則れば、スペシャルウィークは完璧な勝者だった。それも散々マークを集中して受けた上で、自分の限界を超える程の最高の走りをした。

 ダービーウマ娘にはなれた。しかし、本人はどうしてもそうは思えなかった。あの時伸ばされた執念の手は、確かに自分に届いていたのだから。

 

「……セイちゃんさんにも、キングさんにも、他の皆にも。全員に、全員に謝りたくて。それで、皆で集まれる時間を作って、ここに集まってもらったんです。本当に、ごめんなさい」

「……その殊勝な態度に免じて、説教は一時間減らしてあげるわ」

「キングさんちょっと待って下さい。説教って”時間”単位なんですか」

「当たり前でしょうがッ! どれだけ自分が危険な事やったのか分かっているでしょうッ!」

「ハイもうしません絶対にしませんっていうか出来ませんアレ! ルールはまもります!」

 

 静聴していたキングヘイローから抑え込んでいた怒気が一瞬漏れ出す。一瞬の一端ですら、ドロップスティアーを完全に萎縮させるに十分だった。

 キングヘイローはこの命知らずの性根を、今回本気で叩き直すつもりでここへとやってきた。もう二度と、あんな事をやらない様に。今度こそ真っ当に、正当に、純粋に。そんなレースをして、そんな勝利を得たいから。

 グラスワンダーもまた、その必要があると考えていた。一年をかける執念は認める、だが一命を捨てる走りなど認められない。”不退転”とは、正しく生き抜き貫いてこそ意味がある。それをあのダービーの場で思い知らされた。

 両者の意見は一つ。彼女を、止めなくてはならない。走る足ではなく、その心の先を。

 

「スペさん。……自分のせいで、酷い目に遭わせてしまいました。間違いなくあの時、勝ってたのはスペさんです。自分は単に悪足掻きをしただけです」

「ティアちゃん……」

「”日本一のウマ娘”。自分は本当に、あの瞬間スペさんの事をそう思いました。それだけ怖かった――ああいや、自分の『怖い』は速いとか強いとか、そういうヤツで、スペさんを責めるつもりは無くって!」

「い、いいよそんな――」

「――良くないんです。良く、なかったんです」

 

 ドロップスティアーはそこで、スペシャルウィークに対して本気の顔で向かい合った。

 スペシャルウィークはあの勝利について、気に病んでいる。”日本一のウマ娘”として相応しい走りを見せたにも関わらず、彼女がダービーの決着に関して何度もマスメディアに囲まれている事を知っている。

 『あの走りはどう思ったか』『あの勝ちはどう思ったか』。周囲にそう言われ続けて、何度も答えに迷って。ドロップスティアーがどれだけ認めたとしても、彼女は自分自身の事を”日本一”と断言し切れていない。

 名入の言葉を思い出す。『ウマ娘がちゃんと褒められない事が一番嫌いだ』。それをドロップスティアーは、眼の前で意気消沈している”日本一”を見て、良く思い知った。

 だから、()()

 

()()()()()()()()()んです」

「……えっ?」

「スペさんが日本一になったって、胸を張れてない。……それがよく分かったんです。だから、()()()()()()()()()

「え、えっ?」

 

 ドロップスティアーは”黄金世代”が、”三強”が。絶対に強い事を知っている。

 普通にやれば勝てないから、一年伏せた。その上で、レースの場で許されない事をやった。

 結果。勝者は素直に褒められず、自分を認められなくなった。今のスペシャルウィークは、()()()()()()()()()()()()()()なのだ。

 ()()()()()()()。だけど、あの時とは決定的に違う所が一つがある。

 

「……()()()()()()()

「……えっ」

「そこで、本当に決着を付けます。今度こそ正真正銘、()()()()()()で」

 

 ドロップスティアーは、自分が最後に()()()()()()()()事を理解した。だから死ぬ気で伸ばした手が届かなかった事について、当然の結果として、正しいルールとして受け入れた。

 しかし一方でスペシャルウィークは、日本一だと自分自身で胸を張れていない。あれだけの走りをしたにも関わらず、間違いなく”日本一”だったにも関わらず。

 だが、()()()()()()()()()()。そう捉えた。()()()()()()()()()()から。

 

「スペさん。自分はもう、二度とあんな事はしません。あんなスペさんの走りを、勝負を、勝ちを。そんな事にケチを付ける様な、そんな走りは……二度と、二度とゴメンです」

「――……」

 

 その場が、沈黙する。目の前の存在は深く反省しながら、とんでもない事を言っていた。

 エルコンドルパサーはダービー終了後、既にグラスワンダーから彼女の目的――ダービーで勝つ事だけを望んでデビューし、その強すぎる一念であんな事をやったと知らされていた。

 観ていたグラスワンダーも当然知っている。そして”三強”たるスペシャルウィーク・キングヘイロー・セイウンスカイに至っては、その発言を聞かされて共に走った張本人だ。

 自分が勝てない事を承知の上で、ダービーだけを見て命すら投げ出す、そんな存在が。全員が揃うここで、()()()()したのだ。

 

「――ちょ、ちょいちょいちょーい。ティアちゃんさんや、分かってるー? ダ、ダービーだけ考えてデビューして、それだけの為に一年走ってきた、って言ってたよねー?」

「……そうです」

「……言っとくけど。ただ決着を付ける為に、勝ち目も無いのに出るだけ、とか言うんだったら。私だって、怒るよ」

「――あはっ」

 

 セイウンスカイが凄んで、ドロップスティアーは微笑んだ。狂った様な微笑みは無く、ただ純粋に嬉しかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()のだ。セイウンスカイは、自分が東京レース場に、ダービーに特化した存在である事を知っている。それによって負かされた本人が故に、菊花賞では死力を尽くしてくるだろう。

 絶対に勝つ、そういう想いで最後の冠に挑む。その中に、勝ち目を見出しているのかどうか。その覚悟を問うてきている。単なる捨て試合になど、価値は無いと。

 ()()()()()()()()と、裏返して言ってくれているのだ。

 

「――負け、ませんよ」

「……っ!」

「皆強いです。スペさんも、キングさんも、セイちゃんさんも、グラスさんも、エルさんも……皆皆、自分より強いです。……()()

 

 だから、()()()()()()()必要があったのだ。この恐怖に、責任に、勝負に。その全てに立ち向かう為に、勝負の決着を付ける為に。この友人達が強いからこそ、言わなければならない。

 ――今まで、()()()()()()()()()()言葉を。

 

「菊花賞では……()()()()()()()()

「……ウソじゃない、みたいだね……?」

「……はい……」

 

 自信なさげに、しかしドロップスティアーはちゃんと全員に聞こえる声で、そう宣誓した。

 セイウンスカイは、これまでで一番の衝撃を受けた。ドロップスティアーはウソをつかない。

 ダービーでは一年越しに、勝ち目と根拠を示してみせた。それまでは『勝てるワケが無い』と、ずっと逃げていた。その上で挑むダービーでも、『勝ち目は薄いけれど』とも言っていた。

 普段やる事なす事が滅茶苦茶ではあるが、現実(きょう)だけを見てきた彼女が。初めて、決まってもない未来で『勝つ』と言ってみせたのだ。

 

「――ちょ、ちょっと! あなた、何を……!?」

「ダービーは自分の負けです。紛れもなく負けです。スペさんが、いや皆が強かったから、自分は負けました。だけど、()()()()()()()()()()()

 

 キングヘイローもまた、同様の異常事態に驚いて詰問する。しかしドロップスティアーはあえてそれを無視する様に、断固として自分の言葉を続けてみせた。

 スペシャルウィークは自分のヘッドスライディングという、レースで有り得てはならない行為によって、勝利を認め切れていない。それを、良く思い知った。それは、前例が無かろうが立派な反則だったのだ。

 自分のやっていた山道勝負と違い。レースは、()()()()()()辿()()()()()()()()()()()()()()

 

「スペさん。自分は本当に、”スペシャルウィーク”の事を”日本一のウマ娘”だと信じています。……だから、()()()()()下さい」

「っ」

「”最も強いウマ娘”を決める、大勝負、で。自分は、今度こそ……今度こそっ、勝ち、ますっ」

 

 最後の辺りで、ドロップスティアーはどもっていった。この言葉は、ウソだ。

 ドロップスティアーにはまだ、名入が言う”完成した走り”が分からない。知らされていない。そして、先の事などわかりはしない。どんなレースでも、どんなに勝ちたいと言っても、勝てない世界なのに。

 ウソをつくのは嫌いだ。あれだけの準備と執念をかけたダービーでも、『勝ち目が薄い』としか言わなかった。言えなかった。

 ――だけど。()()()()()()()()を、知ったから。だから今だけ自分は、()()()()()()()()()()()になる。

 そして、()()()()()()()()()()。最後の最後で勝てば、それはウソにはならないのだから。

 

「――お願いします、スペさん。こんな事言えた義理じゃないんですけど。もう一度、勝負して下さい」

「……ティアちゃん……」

 

 ドロップスティアーは、慣れない嘘に――というより、自分の吐いた嘘のあまりの思い上がりと重さに、体を震わせて頭を下げた。

 今自分達を囲んでいるのは、”最強”の相手だ。今の自分では到底届いていない、そんな友人達。何の保証も無い嘘と、大事に思う人への嘘。その二重が、自分にとってはとても辛かった。

 泣きそうだった。あの病室で久々に泣いてから、まるで涙腺が壊れた様に自分の瞳は脆くなったらしい。頭を下げながら、瞳が潤み始めている。

 こんな勝手な事を言っても、やった事が許される訳が無い。それでも今、ダービーが終わってしまった今、出来る事はこれしかない。そう考えて、ずっと頭を下げ続け――

 

「――おばかーっ!」

「あいたーっ!?」

 

 キングヘイローに頭をしばかれた。

 

「な、なにすんですか、キングさんっ!」

「”なに”じゃないわよ失礼ね! 何よ、スペさんスペさんって!」

「へ?」

「菊花賞で勝つのはスペシャルウィークさんにだけ、って事!?」

「ち、違いますっ! 今度こそ、今度こそっ、ちゃんとレースで勝ちますっ」

「なら、なんで私を無視するのよ! 何よ、二回勝っただけで、このキングは眼中にも無い程強くなった、って言いたいの!?」

「そんな訳無いでしょ何言ってんですか! 自分よりキングさんの方が強いです!」

「勝ちたいのか負けたいのかどっちなの、あなたはーっ!」

 

 キングヘイローは俯いたドロップスティアーの肩を起こし、自分の方へ向かせる。

 キングヘイローは、これまでずっと怒っていた。このウマ娘がやってきた事に対し、反省させる為に。もう二度と、あんな危険な事をやらせない為に。

 しかし、怒りの方向を変えた。()()()()()()を、指摘した。

 

「あなたは、ダービーで勝つのが目的だったのよね!?」

「え、ええ、はい……」

「今度は、スペシャルウィークさんと決着付ける事だけが目的なの!? それなら菊花賞で、先着だけすれば良いだけじゃない! それがあなたの言う”勝ち”でしょ!」

「……ち、違いますっ、自分は菊花賞で、勝ち――」

「ならッ!! ……ちゃんと、()()()()()()()

 

 ドロップスティアーはそこで、恐る恐るキングヘイローから目を外した。

 まず最初に視線の先に居るのは、セイウンスカイだった。

 

「――いやー。大胆な宣戦布告作戦かと思いきやー? 随分な失策だねぇ、ティアちゃんさん」

「……さ、作戦……?」

「そうやって、スペちゃんだけ狙ってますよーみたいな作戦で油断させてズドン。……お得意の戦法じゃん。菊花賞じゃ、もう騙されないよー?」

「そ、そんなつもりは――」

「騙されないよ。……今度こそ、私が勝つんだ。()()()なんか、許さないから」

 

 飄々とした口調から、一気にセイウンスカイは視線を強めて睨み付ける。

 セイウンスカイは、キングヘイローの考えている事を察した。そして、求められているだろう言葉を叩き付けてやった。

 この、()()()()()()()()()()()ウマ娘に対して。

 

「……フッフッフ。確かに、アタシはジャパンカップを目指す以上菊花賞には出ません。デスがッ! ()()()()()()()()()よ!」

 

 エルコンドルパサーが合わせて、言葉を繋げる。

 現状、エルコンドルパサーは距離延長を試みている真っ最中である。マイルの頂点を取って、そこから少しずつスタミナを付けるトレーニングに集中している。

 だからと言って、一切レースに出ない訳では無い。()()()()()()()()()()()()()以上、菊花賞だけ見られて()()()()()()()()()()など、言われたくはない。

 あの共同通信杯で散々苦しめてくれた相手を、成長した自分で叩きのめしてやりたい。そんな気持ちが、エルコンドルパサーにはあるのだから。

 

「ティアちゃん」

「グ、グラス、さん……」

「貴方は今まで、何のために走ってきましたか」

「……ダービーの為、です」

「これからは? 菊花賞でスペちゃんにだけ勝てれば、終わりですか」

「――……」

 

 グラスワンダーは、穏やかに諭し始めた。自分が最初に、彼女の()()に気付いたのだから。

 だから、先に。キングヘイローよりも先に、予約しておいた説教をする事とした。

 

「貴方は、()()()()()()見れていない。ダービーで勝つ為に、全てを捨てて。それで今度はスペちゃんに、菊花賞に。ただ一点のみを盲目的にしか見れていないのであれば、結局何も変わりません」

「そ、そんな事は――」

()()()()()()()

「っ」

 

 グラスワンダーはまさしく不退転だった彼女の覚悟に感服してこそいたが、入院中にこうも思った。『彼女はダービーで勝った後、何をするのか』。

 ドロップスティアーはダービー以外見てこなかった。よって、()()()()()()()()()()()()()()()()。トゥインクル・シリーズは、クラシックだけでもまだ半年は続くというのに。

 彼女は確かに誰よりも勝負に拘ってきたが、その反面として()()()()()()()()()()に、レースをしてきたのだ。

 

「私達は、ただの貴方の通過点ですか?」

「ち、違います……」

「レースで出会えば、最初から走る事を諦めますか?」

「……勝ち目は、ほんとに薄いですけど……全力は尽くします……」

「なら、()()()()()()()

 

 グラスワンダーは、強く詰問する。このダービーで、彼女は確かに自分に対する危険行為に対して、深く反省をしたのだろう。だからもう二度と、『勝てば死んでも良い』という走りはしないのだろう。

 だが、彼女はまだ()()()()()()()()()()。まだ彼女の、根本的な所が変わっていない。

 この短くも駆け抜けて行く――()()()()()()()、レースの世界の中で。

 

「スペちゃんとの決着を付ける為だけに菊花賞に出て、他を疎かにする。それでは、身を投げ捨てたあのダービーの時と変わりはしません。貴方は、()()()()()と言うべきなのです」

「――……っ」

 

 その言葉は、言うだけなら極めて簡単な事だった。だが、ドロップスティアーにとっては何よりも厳しい言葉だった。

 彼女達の強さを、速さを、凄さを。その全てを、肌身で感じている。勘が感じている。現状、自分には太刀打ちは出来ない。名入の言った『勝てる』という根拠しか、今の自分には無い。

 ドロップスティアーは途中で負けても良いと思ってるし、一つの目的を達成する事のみに執着する。だからこそ、スペシャルウィークとの完全決着の為に、この逃げられない場で宣戦布告すべきと思った。

 それでも、()()()()()()のだ。

 

「ティアちゃん」

「……スペさん」

「”日本一”って、そう言い切ってくれるの、すっごい嬉しいよ? ……だけど、私は。私はティアちゃんだけじゃなくて、()()()()()()

 

 スペシャルウィークはにんじんを抱えた箱を地面に置いて、向き合う事にした。

 ずっとモヤモヤしていた。あの限界を超えた時、確かに自分は本気で”日本一”となる一心で、もう二度と出来ないだろう行動(はしり)に及び、そして実際に出来た。

 その全力の果てに勝利を掴んで、”日本一”と記録には残ったのかもしれない。だけれど、全然違った。

 ただダービーで勝つだけが全てじゃなかった。”日本一”を決めるのは、皐月賞に勝つ事じゃない。ダービーだけ勝つ事じゃない。勿論、菊花賞に勝つ事でもない。

 あの時、命ごと手を伸ばして勝とうとした彼女や、他のファン達、レース運営に『勝った』と何度言われても、”日本一”とは思えなかった。あのダービーが、()()を理解させた。

 ”日本一のウマ娘”は、()()()()()()()()()()()()んだと。そう思った。

 

「――皆で走ろう。()()()()()。全力でぶつかって、何度もぶつかって、ずっとずっと。一回勝って終わりなんて、そんな事言わないで欲しいんだ」

「…………」

「――もちろんっ! 私は菊花賞、負ける気は無いよ! ティアちゃんにも、キングちゃんにも、セイちゃんにも! ……グラスちゃんは、出るの?」

「……ふふっ。どうしますかね~? 皆が集まるなら、出るのもいいかもしれませんね~?」

「え゛っ。グ、グラスグラス! エルは仲間外れデスか!?」

「あら~? エルは、ジャパンカップに勝つのが目的なんでしょう? 菊花賞までに調整出来るんですか~?」

「う、ぐぐぐっ……!」

 

 スペシャルウィークは決めた。本当の”日本一”になる事を。

 皐月賞では二人に負けている。ダービーでは会心の走りが出来たが、()()()()()()と思った。なら、次の菊花賞で。それでもダメなら、さらにまた、その先のレースで。

 この強い友人達と競い合う中で、まだハッキリとはわからないこの心の不足を埋めたいと思った。それこそずっと、これからも、皆で走り続ける中で。

 一方、話を振られたグラスワンダーは、悪戯っぽく悩むフリをしてみせる。グラスワンダーは骨折も完治していないし、元々マイル路線を歩んでいた身だ。どれだけ完治後の夏にトレーニングを詰めても、長距離を走れるとは思っていない。

 こんな言葉に騙されるのは、エルコンドルパサーぐらいであった。その当のエルコンドルパサーは、割と本気で菊花賞まで視野に入れるべきか悩み始めてしまったが。

 

「――改めて聞くわよ。あなたは、菊花賞に出て、勝つつもりなのよね?」

「……はい」

「私も出るつもりよ。……スペシャルウィークさんに勝っても、私がいる。最後の一冠を、今度こそ渡すつもりは無いわ」

「はいはーい、セイちゃんも出ますよー? で、勝つよー? そしたらクラシック二冠だよ二冠」

「……だ、そうよ。だから、私達()見なさい」

 

 ドロップスティアーは、”黄金世代”に囲まれている。この世代最強と呼ばれている彼女達に、睨まれている。()()()()()()()()

 彼女は一つの決着のみを見ている。自分がどう見られているかも分かっていない。スペシャルウィークとの決着を付ければ終わりなど、たった一度の終着(ゴール)で終わらせるつもりはない。ただ一度の勝ちで全ての決着など、認めない。

 誰も菊花賞を渡すつもりはない。誰もが皆、皆に勝とうとしている。無論それ以外のレースでも、一着を目指す。()()()()()()

 だからこのウマ娘も、()()()()()()なのだ。

 

「『菊花賞に勝つ』。それを、少し言い直しなさい」

「……な、なんて……?」

「グラスさんが言ったでしょうが。『菊花賞で()()()()』。それが、正しい形なのよ」

「――……」

 

 キングヘイローは、”王”の如く毅然としてそれを命じた。

 自分は彼女に、二回も負けている。だからと完全に無視されるのは”一流”として腹立たしい。彼女にそんな気が無いとしても、彼女には()()()()が無いのだ。

 彼女は、一つの道だけを見ていた。ゴールの過程で確かにマークした相手に仕掛けを打つ走りをするが、そこにあるのは意識の集中では無い。

 ()()()()()。彼女には、周囲が正しく見えていない。自分の事を見つめていない。だから、今回の問題が起こってしまった。それこそが、問題の本質だった。

 自分がどう思われているか。自分の事をどう扱うか。アスリートとして、いや一ウマ娘として。当たり前の事を、当たり前の様に教え直す。”一流”として、そして――

 

「――()()()()がそんな弱気だと、張り合いが無いのよっ」

「キング、さん」

 

 キングヘイローは、負けているのだ。この自称弱者で、自暴自棄で、自分勝手な彼女に。

 ”三強”などと言われようが、世間がどういう目で自分達を見ていようが。彼女は自分にとって勝つべきライバルの一人であり、自分は彼女に意識されるべき相手なのだ。

 そして、その認識は全員同じ筈である。

 

「ほら、しゃんとしなさい! そして、言ってみせなさい! 『菊花賞で皆に勝ちます』って、いつもみたいに笑って! 本当の本気で、勝ちに来なさいよッ!」

「――……っ」

 

 そう言ってキングヘイローは強制的にドロップスティアーの体を直立させ、姿勢を整える。

 今度こそ、間違ってズレた宣誓などさせない。この勝負バカの目を、ちゃんと覚ましてやる。覚まして、見せてやるのだ。

 ()()()()()()()()()()を。

 

「――かちます……っ」

「聞こえない! もう一回!」

「ッ! 菊花賞でッ! みんなにッ! 勝ちますッ!!」

 

 根拠も何も無い、勢いだけの宣誓。一度たりともやった事が無かった、完全な愚行。

 半ば強制的にドロップスティアーはそれをさせられ――全身の力が抜けた。

 

「……あ、あはっ。あははっ。ヤバい、スゴいこと言っちゃった……あはは、なんでこんな大声で言っちゃったんだろ……これ、もう負けられないじゃないですか……」

「なーに言ってんのさ。最初っから『勝つ』って言ってたんだから、同じでしょー? 随分長い作戦だったけど、セイちゃん今度こそ読み負けしないって決めてんだからねー?」

「全く、急にうじうじと歯切れが悪くなって……世話が焼けるったら無いわよ!」

「私も、私も負けないよ! 絶対、勝つからっ!」

 

 完全なる大言壮語。それをやらされ、しかし自分の意志で選んだ事に。ドロップスティアーは、失笑するしかなかった。

 だが、悪い気分はしなかった。自分でもまだ信じられていない、決まってもない、とんでもない大嘘をついてしまったというのに。何でこんなにスカッとしているのか、不思議だった。

 皆が皆、こんなバカみたいな言葉を真剣に捉えてくれている。”黄金世代”などと言われている、圧倒的な強者である彼女達が、揃って。

 

(――あー……そういえば、そうだったなぁ……)

 

 自分は、『負けたくない』『勝ち目は薄い』とばかり言い続けてきた。それは、結局逃げていただけだった。勝負には立ち向かっていたが、勝利に向かっていなかった。負けなければ、勝てていたから。

 でも、皆はいつだって『勝つ』と言っていた。何も未来の事など決まっていないのに、”絶対”は無いのに。分からないままに、ただ本気で勝ちに行っていた。走っていた。

 ――これが。これが、”絶対”に立ち向かうという事なんだ。そのアスリートとしての精神を、ドロップスティアーは真に理解した。

 

「――勝ちます……勝ちます……勝ちます……」

「……キングー。なんか、勢いのあまり壊れちゃってるみたいなんだけど?」

「えっ。……ちょ、ちょっと? あなた、大丈夫?」

「あは、あははっ、あはははっ! 『勝ちます』、『勝ちます』て! あはははっ!」

「ティ、ティアちゃん!? だ、大丈夫!? に、にんじん食べる!?」

「ブエノ! 元気な事は、良い事デース!」

「……ふふっ」

 

 現状の自分にとっての大ウソを平気で、大声で言い放ってしまったショックによって。多少思考回路がオーバーヒートを起こして笑い出したドロップスティアーを、周囲が取り囲む。

 しかしその笑い声は、女神像の広場全体に綺麗に響く笑い声であった。

 




コイツの根本的な歪みを直すには、でっかい勝負に匹敵するでっかい機会が必要でした。
これで一年越しに狂った「クレイジーなダービー」が正され、真っ当な(レース)を走れます。

第五部終盤からの流れは問題が問題なので、早期決着させる為に頑張って連日更新しました。
この小説は、”ウマ娘”に成る為の話です。そしてようやくリスタートラインに立てたので、次から終着点の第六部に入ります。

その問題で勉強不足を大量に指摘されたんで、第六部書けるか割と真面目に不安になってます。出来る限りやるつもりではいますが、失踪したら「なんだ消えたか」程度で済ませて下さい。今絶賛胃薬飲んで静養中なんで……。
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