ヤマ娘 ~Crazy Derby~   作:灰の熊猫

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『最悪』

「――お前の走りを完成させるにあたり。メチャクチャに大事な、前置きがある」

「なんです、改まって?」

 

 合宿二日目。初日で散々同期達と遊びまくり、その中で制裁として幾度となく海に放り込まれたり砂浜に埋められたりと、散々やってやり返され尽くした翌日の朝。

 水着姿のドロップスティアーに対し、大きなバッグを足元に置いた名入が開口一番、真剣な顔で相対していた。

 

「これから俺はお前に対し、()()()()()()()()()()()()

「は?」

「菊花賞に挑む直前まで、お前は()()()()()()()()()()()()()()()()

「はえぇっ!?」

 

 本格的なトレーニング初日にして、名入はとんでもない事を言い出した。

 確かに名入はあの病室で『夏で走りが完成する』と言った。だが、肝心のその内容――最終的に何を目指しているのかを知らないまま、トレーニングをする。

 名入が滅茶苦茶を言い出すのは今に始まった事では無い。だが、今回はとびきり異常な内容と言っても過言では無かった。

 

「ちょ、ちょちょちょ! なんですそれ!? 勿体ぶるにも程があるでしょ!? 目的地もわからず走れって事ですか!?」

「そういう事だな」

「いやいやいや! どうしろっつーんですそんなん!? 『答えは自分で見つけろ』とか、今更そんな事言いませんよね!?」

「当たりめーだろ。そもそも俺の頭の中にあるモンをお前が誤解して覚えたら困るだろうが」

 

 説明放棄。名入はある種、ダービーの作戦(とき)よりもトレーナーとしてあるまじき事を言い出した。

 名入は鋭角コーナリングを習得する時以外は、トレーニングに対し明確な目的と目標を伝えてきた。その鋭角コーナリングにしても、二十二人という多人数のプレイヤーの中でどうするかという思考力・観察力を鍛える為に、あえて説明しなかっただけである。

 そして最後には必ず目標に辿り着ける様に、複数の条件と制限を与える事で”極まったドリブル突破”という答えをちゃんと用意していた。しかし、今回はそれすら無い。

 ドロップスティアーは、()()()()というトレーニングをたった今告げられた。

 

「不確実にも程がありません!? トレーナーさんがばかなのは知ってますし、いやホントばかトレーナーさんって思いますけど、マジでばかですか!?」

「うるせーだあほ。いくら動揺してるからって語彙が死にすぎだろ」

 

 突然の愚考と愚行。これまで一年付き合ってきた中でも、恐らく最大の無茶振りを受けたドロップスティアーの脳細胞はハテナマークで染められた。

 名入は”走法の完成”のイメージを確信して持っている、そう断言しているにも関わらず、それを肝心の本人へ共有しない。しないまま、菊花賞までトレーニングを受け続けろと言っている。

 迷子になる確率には定評のあるドロップスティアーだったが、最初から迷子になれと言われて受け入れられる訳が無かった。

 

「あえて言うなら、俺が完成形を具体的に伝えると()()()が出る。『こうしなきゃいけない』と思ってトレーニングすりゃ、菊花賞以前に()()()()()()()んだよ」

「はぁ……?」

 

 ノイズ、不具合。そんな妙な単語に対し、ドロップスティアーは『何言ってんだこいつ』という表情をまるで隠そうとしなかった。

 ドロップスティアーの長所は、トレーニングに対する素直さである。坂路というスタミナ強化施設で直線の走り方を覚えろとか、プールを潜水だけで往復しろとか、何十万メートルとマラソンしろとか。そこで文句はぶつくさ言いながらも、与えられた目的へ愚直なまでに一直線に向かう。

 目標(ゴール)までの過程を問わない姿勢こそが、彼女の最大の武器。それを今回、名入は没収すると言い切った。

 

「あくまで『どんな形になるか』を教えないだけだ。その過程で、お前は()()()()()する。難しく考える必要は無ぇよ」

「……だ、大丈夫なんです、そんなんで……?」

「まだ疑問に思うんなら、ハッキリ言ってやる。菊花賞で勝つにあたり、()()()()()()()()()()()()()。だから追求すんな」

「…………」

 

 ドロップスティアーは怪訝に思いながらも、名入の言葉を考える。『お前に知られるのが、菊花賞で勝つのに困る』。

 全く意味が分からない。だが、名入は無駄を好まない。勝つ為のトレーニングもレース運びも、レースの常識に拘る事無く一切選んでこなかった。ならば、何か意味と意図があるのだ。

 ――何より。

 

「――はぁー、しゃーないですね。トレーナーさんの世迷い言に付き合ってあげますよ。自分ぐらいですから感謝して下さいよね、こんなばかな方針に付き合ってあげるの」

 

 名入は、病室のあの時に言った。『信じろ』、と。

 彼らしくもない、まるで根拠の無い言葉。それを自分は受け取って、その上で勝とうと決めた。信じて、自信も無いままに友人達へ宣誓をした。

 元々自分の歪んだ走法に、中央(レース)で通じる力と速さを与えたのは、このトレーナーなのだ。ならば、信じよう。信じた上で――

 

「聞き分けが良いじゃねーか。俺の偉大さがようやく理解出来たか?」

「いえ、コレで負けたら全部トレーナーさんのせいにしよっかなって」

「走るのはお前の仕事っつってんだろーが、だあほ!」

「『全責任は俺にある』とも言ってたじゃないですか、ダブスタですか!」

 

 そして負けたら全部コイツのせいにしよう。一心同体というか、死なば諸共の精神でドロップスティアーは名入の方針に従う事にした。

 実際、名入とドロップスティアーの関係性は一般的なウマ娘達とは性質が違う。名入は平気で負け戦を指示したり、レースの戦法や技術を丸投げする事も多々してきたトレーナーである。その最たる例が、件のダービーだった。

 ()()()()()()()()()。その程度の単純極まりない思考で、ドロップスティアーはこれから先の約三ヶ月、自分の全てを名入へ委ねる事にした。

 

「あくまで到達点(もくひょう)を教えないだけで、トレーニングの目的はキッチリ教えてやる。俺がマジモンの思考停止起こしてるとか思われたくねーし」

「その辺はもうどーでも良いですよ。で、何すりゃいいんです?」

 

 トレーニングの目的は明かすが、目標は不明。そんな無茶苦茶な提示に対して、ドロップスティアーは既にやる気マンマンだった。ガタガタ抜かさずさっさと言えとすら思っていた。

 ただ一瞬でも迷いを抱けば死ぬ、そんな無茶を人生レベルでこなしてきた彼女の心の視野は狭い。狭すぎるが故に、やると決めれば一切の迷いを捨てられる。

 一度進むと決めた道を後戻りはしない。決めたなら一秒でも早く進むべきだ。その姿勢こそが、一般的な才能を持たない自分が中央でも引けを取らない最大の強みであると自覚していた。

 

「この二ヶ月の目的は主に二つ。コーナリングの矯正と、純粋なスタミナ増強だ」

「……マジで普通過ぎません?」

「言っただろうが、思ったよりフツーだって」

 

 名入が二本の指を立てて、合宿で取り組むべき内容を告げる。しかしそれは、最早当たり前を通り越して言う必要すら感じられない様な、超絶基礎的な事だった。

 ドロップスティアーの弱点は、東京レース場――左回りのレースしか実戦経験が無い事と、ピッチ走法によるスタミナ消費の激しさである。しかもこれは、()()()()()()()()()だ。

 東京レース場という立地が故に、彼女はペースや仕掛け所を間違えずに好走してきた。これはつまり、自分の脚とスタミナを上手く使ってきたという裏返しでもある。

 しかしそれは言い換えれば、()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()とも言える。ペースを維持しやすい直線と異なり、コーナーの走り方はそのまま消耗に直結する。誰よりもコーナーワークが下手と言っていいドロップスティアーは、それを良く理解していた。

 

「ピッチ走法は元々短距離向きの、消耗前提の走りだ。菊花賞の3000メートルを走り切るんなら、その二つは最大の問題点になる。逆に言えば、その基礎中の基礎がお前の一番の伸び代だな」

「まー、そうでしょうね。菊花賞、くっそ長いですし」

 

 そして、菊花賞は最長最高の坂を二回経由する過程で、コーナーを六回も回る。しかもその内、急角度で落ちる様な淀の坂の下りは、ただでさえ逸走しやすいドロップスティアーの欠点を際立たせる。

 第三コーナーの下りでスピードが上がり、第四コーナーで膨らむ。鋭角コーナリングを使えば曲がれるだろうが、この技には使()()()()()()()()()()()()が一つあった。

 

「一番の問題点は最初の第四コーナーだ。鋭角コーナリングを一回そこで使えば、()()()()()だろうぜ」

「……でしょーねぇ……」

 

 鋭角コーナリングは、スピードが乗った状態からでも軌道を捻じ曲げる技術である。だがこの技は、()()()()()()()()()()()という副作用があった。

 軸足への負担以前に、この技は慣性を無視する程のパワーで地面を蹴り飛ばす。それこそ、()()()()()()()()が逆足に求められる。

 今まではロングスパートや音速スタートダッシュの勢いと同時に使う事で誤魔化してきたのだが、()()()()()()()為にスピードの乗っていない道中・最初の第四コーナーで使えば、急激なペース変化による疲弊は避けられない。

 ピッチ走法によるスタミナ消耗と、コーナーでの脚の疲弊。坂にどれだけ強かろうが、この根本的な問題は菊花賞における致命的な問題点だった。

 

「つっても、二回もあの坂越えやらされる羽目になんだ。菊花賞は基本、道中はローペースになる。すぽーんと飛んでく程の逸走にゃならんだろうが……右回りへの矯正も兼ねて、コーナーワークの見直しは不可欠だ」

「じゃ、どうすんです?」

「シンプルな事だ。曲がるのに困ってんだから、曲がる練習すりゃいい」

 

 そう言って名入は足元に置いてあるバッグを開き、数本の手持ち旗を取り出す。

 旗の棒部分をぐるぐると回せば、人の背丈ほどの高さにまで伸びた。

 

「ちょい遠い場所にコレを等間隔に、ナナメにぶっ刺す。お前は右コーナーを想定して、なるべく速度出して左側から回れ」

「わぁ……なんだか、ちゃんとしたトレーニングみたいです……」

「だからフツーのトレーニングだっつってんだろ」

 

 ビーチでフラッグを横切るだけ。強いて言えばアルペンスキー競技に近い、極めて真っ当なトレーニング。散々っぱら奇をてらった無茶を一年指示されてきた身として、正統派過ぎるその内容は思わず裏を疑う程の衝撃だった。

 普通だ。本当に普通だ。トレセン学園に来て初めてレベルでアスリートらしいトレーニングを指示されている気がする。そして実際、それは気の所為ではなかった。

 

「言っとくが、コイツはお前にとっちゃ()()()のトレーニングになるハズだ。やりゃすぐわかるだろうが」

「いやまぁ、自分がコーナーヘッタクソなのはわかってますけど……”最難関”ですか?」

「鋭角コーナリング使ってもいいぞ。使()()()()()()()()

 

 それだけ言って、名入は旗を持ってドロップスティアーより離れていく。そしておよそ百メートル程先の砂浜に、宣言通りコーナーを想定して右斜めに旗を刺していく。

 ビーチランニングによるトレーニングを想定された、この合宿の砂浜の幅は広い。流石に実戦(レース)の様な、一ハロンにも渡るコーナーを再現する事は不可能だが、刺した旗の角度は十分に内ラチの曲線の入りを再現出来る。

 

「……うーし、準備完了。一回、全開でこの疑似コーナーの旗回ってみろやー!」

「りょーかいでーす!」

 

 旗を立て終えた遠くの名入から声をかけられ、ドロップスティアーは構える。全開の速度でコーナーを曲がるという事自体は本来自分には不可能だが、鋭角コーナリングも使っていいなら前提は変わる。

 とはいえ、”最難関”とすら言い切ったトレーニングがまともにこなせる訳も無い。全くわからないが、この試みは百パーセント失敗するのだろう。それを承知で、全力でやってみる事にした。

 

「――ごーっ!」

 

 そして、いつも通りの全力のスタートダッシュを決めて。

 

「ぎゃあーーーっす!!」

 

 ()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

「……想像以上に、つーか想像以下にヒッデーなお前……コーナー以前に、一歩目で転ぶかフツー……?」

「……返す言葉もないです……」

 

 スタートと同時に砂浜へとヘッドスライディングをかまして突っ伏した、そんなバカ娘の元へと名入は戻ってきた。そして()()()()()で文字通り躓いたバカ娘を、全力で見下した。

 ドロップスティアーは路面状態に左右されない、というかパワーを吸収する不良バ場の方が得意だ。しかしそれにも、限度があった。

 ビーチランニングは砂浜に足を取られる事でトレーニングとしての負荷がかかる。足にかけた力の分だけ、地面の砂は動く。そう、()()()()()()()()()()、砂地という地面の形は変化する。

 つまり、世代一のスタートダッシュを可能とするパワーが、()()()()()()()()()()()()()()()()。それがこの、一歩目転倒という最大級の無様を引き起こした。

 

「最難関とは言ったが……流石にこんなん論外だぞ……?」

「う、うぐうっ……」

「……いつものスタートダッシュはやめとけ。百メートルもありゃ、フツーにスパートのペースまで上げられんだろ。オラ、いつまでも突っ伏してないで、もっかいやれ」

「……りょーかいです……」

 

 砂の感触と味を存分に味わったドロップスティアーは、心底恥ずかしかった。普通に顔真っ赤だった。地獄マラソンの超薄着を他人に眺められるのとはまた別の恥であった。

 気合入れて新トレーニングをしようと思ったら、それ以前の一歩目で失敗した。傷付くプライドこそ無いが、恥ぐらいは知っている。あの口の悪さに定評のある名入が、『だあほ』とすら言わない程に呆れ果てていたのだ。

 今度はちゃんとやろう。ちゃんとコーナーで失敗しよう。そう思い、再度走り出した。

 

(は、走りにくーっ……!)

 

 ある程度力を抑えたスタートダッシュから、コーナーまで速度を上げていく。その中でドロップスティアーは砂煙を上げて爆走しながら、心底そう思っていた。

 クッション性を通り越して、一歩ごとに形状が変わる柔らか過ぎる地面。メジロパーマー式走法は完全に体を起こして走る、バランス重視の走行姿勢だ。それでも尚、加速しようと力を込める度に足が砂に沈んでもつれそうになる。

 スピードが出ない、出しにくい。重バ場とは異なる、自分が力を込めるだけ余計に減速させられる様な錯覚の道。山中の悪路や不良バ場とも全く異なる感触に、ドロップスティアーは困惑しつつもフラッグへと向かう。

 そしてコーナー代わりの旗へとなるべく出せる速度の限界まで侵入し、いつも通り鋭角コーナリングで曲がろうとして――

 

「ぎゃあーーーっす!」

 

 ()()()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

「どうだ気分は? ん?」

「……サイアクです……これ以上無いぐらいサイアクです……」

 

 二度すっ転び、再度全身砂まみれになって、一度海に全身で浸かって。ドロップスティアーは、この超正統派トレーニングがいかに自分に不向きな、”最難関”たる代物かを身を以て理解した。

 自分の最たる武器であるパワーは、この砂浜においてはマイナス要因でしか無い。音速スタートダッシュでは一歩目ですっ転び、鋭角コーナリングで曲がろうとすれば()()()()()()()()()()()()()。それにより、鋭角コーナリングの軌道を曲げる力は失われた。

 スタートダッシュで転んだ時から薄々こうなる気はしていたが、鋭角コーナリングでの転倒は余計に酷かった。スピードが乗った慣性のままに、凄まじい回転数で横にごろごろすっ転んだ。尚、ドロップスティアーの死すら勝手に拒絶する生存本能は、不意の転倒だろうが完璧に受身を取ってみせたのでノーダメージである。

 

「芝だろうがウッドチップだろうがポリトラックだろうが、普通走る地面にゃ反発力がある。だが砂はソイツが限りなく少ない。つー事で、本来は走行時のフォームの最適化とかにゃ良いトレーニングになるんだが……」

「……フォームとか、それ以前の問題ですよねコレ」

「ああ。ココは()()()()()()()()()()()場だ」

 

 ビーチランニングの主な効用は、不安定な砂場に足を取られながら走る事で、バランス感覚や走行フォームの無駄を省く事にある。しかし、ドロップスティアーが山で命懸けで鍛えた感覚と、百万メートル近く走って覚えた走行フォームは、無駄その物は少ない。

 ただし、ドロップスティアーの根幹たる跳ねるピッチ走法の異常なまでのパワーは、()()()()()()()()。そもそも歪んだ走りでも速度を出す為に、これまではピッチの回転数と脚力で誤魔化してきただけだ。

 砂浜は込めた力に応じて形を変える。そこで誰よりもパワーとピッチを上げて走れば、砂はその走りを咎める様に彼女の脚に絡み付き、深く引きずり込む。

 この砂浜は、死に繋がる地獄への道の上すら走れる彼女が()()()()()()場所だった。

 

「走り方をまともに整える為のこの場所で、お前のバカパワーで走ればこうなる。身を以て良く知れて良かったじゃねーか」

「……事前に注意ぐらいしても良かったんじゃないんです? コーナリング失敗して横にすっ飛んだ時、ちょっとビビったんですけど。怪我とかしたらどーすんですか」

「知らなかったのか? 即死する速度でヘッドスライディングかまして地面に叩き付けられたにも関わらず、生きてるウマ娘が最近見つかったらしいぜ」

「…………」

 

 名入の皮肉にドロップスティアーは閉口する。『今更お前がそんな事で怪我するか』という信用と、『お前が怪我の心配とか片腹痛いわ』という嘲笑。二つの意味が裏に透けて見えたからだ。

 事実、ドロップスティアーは砂浜へスパート並の速度で横にすっ飛びながらも恐怖は欠片も感じなかったし、むしろ自分から勢い良く横に転がりに行くという無意識の受身によって、脚へのダメージを逃した。

 

「……で、トレーナーさん。コレ、どうやって曲がりゃ良いんです?」

「本来コレも基礎の話なんだが……()()使()()

「肩ぁ?」

 

 ドロップスティアーは名入から言われた指示に対し、首を傾げた。

 足運びや体の傾きではなく、肩を使って曲がる。なんのこっちゃ。そう思いつつも、名入の説明を待った。

 

「本来コイツも中央ならフォームを直す過程で無意識レベルでやってるんだが……()()()()()()()っつー意識でな、曲がる方向に逆側の肩を向けんだよ。こうすりゃ、上体を傾けずに済む」

 

 そう言いながら、名入は実際に自分の左肩だけを捻る様な姿勢を取る。

 高速でコーナーを走る事になるウマ娘のレースでは、コーナー側への重心を傾ける事が重要である。が、だからといって体を斜めに傾け過ぎれば、スタミナ効率は悪くなる。

 レース道中において最もスタミナを温存出来る体勢は、上体を真っ直ぐに起こす事だ。故に、コーナーでも体はなるべく傾けず、極端に言えば()()()()()()()()()()()のが理想形と言える。

 真っ直ぐにした全身の軸をブレさせないまま、最小限の動きでコーナリングを取る。その”最小限”こそが、肩の使い方だった。

 

「地獄マラソンじゃフォーム維持の為にジョギングさせてたから、曲がる時の重心だとか意識する必要は無かった。東京の左回りに特化させてた分、レースでも然程気にする必要が無かった。つーか、()()()()()()()()()()()()()()()だからな」

「……あー、そっか。アレ、そもそも()()()()()()()()()()()()技ですもんね」

 

 体を真っ直ぐにしたまま走る事。その点で言えば、鋭角コーナリングは大外から回る技術であるという事を除けば全くロスが存在しない、まさしく机上の空論的な理想の技術だった。

 直線と同様のフォームを維持して曲がる事がコーナーのロスを減らすのならば、そもそも直線的に曲がるこの技は上体の傾きが全く発生しない。ウマ娘の脚をほぼ確実にへし折る程の負担があるという最凶最悪のリスクにさえ目を瞑れば、この技は無茶なロングスパートを最後まで支える効率が存在していた。

 

「こっから二ヶ月のお前のメインは、この肩の入れ方を意識して右コーナーを覚えながら、お前殺しのこの砂浜でひたすら走る事だ。これでコーナーワークを矯正しながら、砂地でバカみてーにスタミナを使う。やりゃやる程どっちも鍛えられる、一石二鳥の素晴らしいトレーニングって寸法だ」

 

 鋭角コーナリングに途中で頼れない菊花賞において必要な、コーナリング技術とスタミナ。この短距離砂浜コーナートレーニングは、やればやる程ドロップスティアーの必要としている部分が補強される。

 これはこの合宿(ばしょ)でしか出来ない、基礎でありながら極めて限定的なトレーニングだった。

 

「バカみたいにスタミナ使う、ねぇ……言うて自分程スタミナあるヤツ居ないと自負してますよ? それはトレーナーさんが一番知ってるでしょ」

「その上で言ってんだよ。ともかく、曲がれる限界の速度をトライアンドエラーで確かめて、肩で曲がる意識をしろ。……初日だし、二・三十分も保てば良い方か」

「あっはっはっ、流石に三十分は無いでしょ。自分の事ナメすぎじゃないですかー?」

 

 名入が言った言葉を、ドロップスティアーは笑い飛ばす。実際、彼女の純粋なスタミナは豊富である。有り余っている。

 坂路施設を遥かに超える山道を半生走り続け、潜水泳法で肺活量を鍛えられ、ひたすら地獄マラソンで桁がおかしいジョギングをしまくり。レースではその圧倒的な体力を無駄に浪費する走りをしているというだけで、たかだか三十分のトレーニングでヘバるなどあり得ない。

 ドロップスティアーはそれを実演し名入の鼻を明かすべく、早速言われた通りに旗に向かって走り出した。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「――だーっはっは! ()()()()()()()()()じゃねーか! 『ナメすぎ』とか言ったの誰だったか? バカ過ぎんだろ、腹いてぇー!」

「……ぬ゛っ、ぅうぅあぁあぁ……」

 

 そしてドロップスティアーは、十分弱でヘバるハメになった。

 ()()()()()()()()()()()()()

 

「確かにお前は心肺機能は人十倍ぐれーあるが、()()の方はそうはいかねぇってこった。走るだけでバランス崩れるこの場所じゃ、脚の方が簡単にヘタれる。……ここまでダメとは思ってなかったが」

「お、おごごご……」

 

 震える脚を海に浸しつつ、海辺で仰向けに寝転がるドロップスティアーは、このトレーニングがいかに自分にとって厳しいかという本質を思い知らされた。

 ドロップスティアーの脚は元来、コンクリートの坂を登る事に最適化されている。その過程でピッチ走法でのロングスパートという無茶にも耐え得る筋持久力は鍛えられたが、クッション性の無いコンクリートとは真逆の性質を持つ柔らかい砂浜を走るには、走法とセットで鍛えられた筋肉が全く働いてくれない。

 走る為のスタミナとは、肺活量と脚の筋肉のセットである。山道よりも走りやすいウマ娘用のコースばかり走ってきたドロップスティアーは、後者についてこれまでろくに意識する必要が無かった。

 そして今、そのしっぺ返しがここに表面化したのである。

 

「こんなんが二ヶ月続く訳だが、改めて聞いとくか。どうだ気分は? ん?」

「……サイアクです……」

 

 ”最難関”とまで称された、肺活量を無視して自分の脚を虐めに来た超正統派にして相性最悪のトレーニング。

 たった十分で音を上げる羽目になったコレを二ヶ月も続ける。ドロップスティアー自慢のスタミナというなけなしのプライドは、見事に跡形も残らず海辺の塵と化した。

 




夏合宿トレーニング(失敗率99%)

まともじゃないヤツが今更まともな事出来ると思うな
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