「――まぁこんなモンか。大分マシになってきたな」
「ぜひゅー、こひゅー……」
ミスターシービーの突然の来訪より一ヶ月。夏合宿後半に差し掛かった辺りで、ようやくドロップスティアーはこの砂浜に適応し始めてきた。
砂浜の上でスキップをするという基礎中の基礎トレを徹底する事によって、下半身の使い方を覚えた。砂浜に適した、足で走るのではなく落とすというやり方を覚えた。
この意識では当然速さは出せないものの、ドロップスティアーは名入が最初に提示したコーナートレーニングを、なんとかそれなりの時間行える様になっていた。
それでも滅茶苦茶にスタミナを食う立地によって、やっぱり今日も脚を海に漬けて仰向けに寝っ転がっていたが。
「ったく、手間かけさせやがって。これでようやく
「へっ? ……コーナートレーニングばっかやるんじゃないんですか?」
「”メイン”はそうだ。こっからは
必死こいて基礎中の基礎トレに徹し、砂浜に足を取られながらもなんとかコーナーを曲がる感覚が掴めてきて。そこで名入は、トレーニングを増やす事にした。
コーナートレーニングは当然最優先事項であり、これのスピードレンジを上げていく事は必須事項である。ただ、
「この一ヶ月で散々分かっただろうが、お前のピッチ走法はマージでここに合わねえ。合わせる為にスキップで足を落とす感覚を覚えて、スキップしながら曲がって、そんで今ようやくすっとろく走れる様にはなった。どんだけ手間かかってんだよ」
「うっさいですよ! しゃーないでしょホント走りづらいんですから!」
「だから、
「へ?」
ドロップスティアーのパワーは、砂浜を崩す。普通に走るだけで異様に足が取られ、多大な消耗を足の筋肉にかける。
これは前に走る為に地面を後ろに蹴る事で発生するロスであり、その為にスキップで足の落とし方を覚えさせた。ならば次は、
「パーマー式走法。
「へっ?」
「
「……いやいやいや! ちょ、ちょっと待って下さい! マジですか!?」
「大マジだよ」
そして名入は、再びとんでもない事を言い始めた。
地獄マラソンで散々叩き込まれた、メジロパーマー式走法。中央では唯一と言っていい程ドロップスティアーに適合する、効率重視の走り。それを忘れろと言われれば、流石に口を挟むしか無かった。
まず、そもそも忘れろと言われて忘れられる様な事では無い。自分がレースを走るにあたり唯一の最適解と言えるこの走りは、百万メートル近いマラソンの結果、元の走り方を忘れるぐらいには体に染み付いている。
その上、”砂浜専用”を覚えてどうすると言うのか。この砂浜が自分にとって厳しい走りである事は確かだが、だからと言って
「理由を教えてやる。まず、コーナーを曲がる練習。コイツをもっともっと長い事やらん事にゃ、お前は強くならん。だから走りを変えて、根底から効率を上げる」
「……えぇえぇ……? なんか、えらく遠回りしてません……? つーか、そんな走り方あるなら最初から教えて下さいよぉ……」
「コイツは
だが、名入としては大真面目に言っていた。今から教えて、そして残り一ヶ月を過ごすにあたり、走法の変更は重要事項であった。
そしてその走りは、これまでスキップでトレーニングするだけでも苦心するドロップスティアーでは覚えられない。だから名入は、ここまで教える事が出来なかった。
それに忘れろとは言ったが、
「この一ヶ月で、砂浜じゃ足の使い方が大事ってのはよく分かったな?」
「……いやもう、お腹いっぱいってぐらいには……」
「そこで、パーマー式走法を砂浜用に
「えっ。……それ、効率悪くなる形になりません?」
「ああ。坂道でも無い平地で上体を傾けりゃ、スタミナ効率は悪くなる。
平地で上体を傾ける事は、スタミナのロスに繋がる。ラストスパートで重心を前に倒す時ならともかく、何もない平地で上体を傾ける事は当時のドロップスティアーが陥っていた無駄その物である。
しかし今回の場合、上体には
「足を落とす感覚はキッチリ覚えただろ。まずアレを意識しながら、意識的に回転数だけ上げてストレートに走ってみろ」
「……これまで覚えてきたロスのバーゲンセールじゃないですか……」
「確かに消耗はするだろうが、騙されたと思って騙されやがれ。無理に速度を上げようとか思うな、とりあえず最初は足の落とし方とピッチだけ考えりゃいい」
「……背を丸めて、傾けて、足を……」
これまで教えられてきた事と真っ向から反するやり方に疑問と抵抗感はあるが、やってみない事にはわからない。方針に従うと決めた以上、ドロップスティアーは言われた通り、本当に騙されてみる事にした。
走る前から軽く背を丸め、足を落とすイメージを抱き、その上でピッチ走法の特徴たる回転数を上げる。その上で、速度は意識しない。
バランスを崩し、速度を上げないのに回転数は増やす。非効率極まりない、そんな今までやらなかったフォームでドロップスティアーは走り出して――
「――あれっ?」
「ト、トレーナーさんトレーナーさん! めっちゃ! めっちゃ走りやすいんですけど! 足取られる感じ無いんですけど!」
「……よし、思った通りだな。流石俺だ、完璧な仕上がりだぜ」
「そこでなんで自分を褒めてくれないんです? やってるの自分なんですけど? 仕上がってるのも自分なんですけど?」
効率度外視の筈のフォームが、何故かピタリとハマった。速度はそこそこしか出さなかったが、ここ一ヶ月で最も爽快に感じた自分の走りに対し、ドロップスティアーははしゃいで戻ってきた。
尚、指示した名入本人はそんな姿をガン無視し、完全に自分の手柄として得意げに頷いていた。
「砂浜がお前の走りを殺すっつーのは説明したが、実の所
「は? いやいや、ウソでしょ。ホントに合うんだったら自分がココまで苦戦してきた訳無いじゃないですか」
「ウソだったら今の走りの理由の説明が付かねーだろ、だあほ」
散々ドロップスティアーを苦しめてきた、相性最悪の砂浜という立地。スタートダッシュで転倒し、曲がろうとすれば足がめり込みもつれるこの場所。
しかし名入が言った通りにフォームを意識的に崩してみれば、感触はまるで違った。滑る様に崩れる筈の足場でキッチリと加速し続けられる。力を入れる程逆効果だった筈の場所で、足が噛み合う。
自分で走っておきながらどういう事か分からないドロップスティアーは、素直に名入の説明を待った。
「パーマー式走法が膝を曲げ続けて、前に位置させ続ける事で効率出すフォームってのは覚えてるな?」
「トーゼンじゃないですか、それ聞かされ続けて覚えた走りなんですから」
「スキップで教えた、足を落とす意識。アレは”プッシュアウト”っつってな、名の通り”地面を押す事をやめる”、シャープでコンパクトな走りだ。コンパクトになった分、足はより速く前に戻せる。つまり、パーマー式走法のいいトコがさらに強調されるっつー寸法だ」
「ほえー」
最も効率の良い足裏の使い方たる、ミッドフット。砂浜を走るウマ娘は、無意識の内にこれを強調して覚える事になる。そうしなければ、足が無駄に取られてしまうから。
ここに加え、更にプッシュアウトの意識――足を垂直に落とせば、足は
即ち、悪路への適正。足が取られる事が無くなり、回せば回す程速度が出る、その力が。
「んじゃ、体を前にナナメらせたのは何の意味があったんです?」
「砂浜で地面を垂直に踏み締めるのは、極端な話足首が沼に呑まれてる様なモンだ。だから速度が出ないし、前にも行き辛い。だから代わりに、
「ほえー」
ドロップスティアーにはレースが分からぬ。言われた理屈はわかるが、言われるまで理論を知らぬ。なので名入の解説に対し、呆けた返答をするしか無かった。
肩を入れる事でコーナーを曲がる様に、砂浜で取られる足の推進力を体を傾ける事でアシストする。走る事とは足だけでは無く体幹を連動させるもの、全身を使う事である。
それを自然と教えるが故に、砂浜はこれまで数々のウマ娘を強くしてきた。
「……つまり、簡単にまとめると。今までのお前の走りがクッッッソ、ヘタクソだったせいで、お前は丸一ヶ月苦しんできた。たったそれだけの話だ」
「なんでもかんでも自分を口撃する方向に変えるのやめません? フツーに勉強になる話だったじゃないですか。『成程そういう理屈かー、タメになるなー』で済ませて下さいよ」
「うるせえこの結論に辿り着くまでどんだけ時間かかったと思ってんだ」
そして名入はこれ以上無い程、並び立てた理論を台無しにする様な雑な結論を出した。
結局の所、ドロップスティアーは走るのが周囲に比べて下手である。今回の合宿での問題は、その一言に尽きていた。悪路に強いピッチ走法でストライド走法のウマ娘よりもこの場所で上手く走れていなかったのが、その証左である。
「とにかく、今やった走り方は砂浜でトレーニングする効率を上げつつ、下半身を仕上げられる。コイツでお前の一ヶ月の無駄を取り返せや」
「言い方は死ぬ程気に食いませんけど、りょーかいです。コレ、走りやすいですし」
「なら、さっさと体で覚えろ。今日明日は真っ直ぐ流して覚えて、一日休みを挟む。そっからはまたコーナートレーニングに戻るが、肩の入れ方を覚えながらコレで走れる様になれ」
「……はーい」
砂浜トレーニング用の変形走法。それを教えられたドロップスティアーは、名入の悪口レベルの指示に極めて顔を歪めながらも、ドロップスティアーは早速砂浜を走り出した。
本当に気に食わないが、実際に走ってみれば名入の言う事は事実でしか無かった。真剣にスキップする事で覚えた足の落とし方を組み合わせた走り方は、この一ヶ月で最も楽に砂浜を走る事が出来る。
実際、徹底的なまでにスキップを覚えていなければ、今こうして自然に走る事は出来なかっただろう。そう確信出来る程、一ヶ月前とは砂浜の感触が異なる。
ピッチを上げれば、その分加速する。砂浜を思う通りに走れる。これでようやく他のウマ娘達と、友人達と並ぶ事が出来る。どう考えても周回遅れレベルではあったが。
「――ったく。世話が焼けるったらねーぜ……はぁあぁあ……」
ドロップスティアーが砂浜の向こうへと走るのを見送り、名入は凄まじく深い溜息をついた。
砂浜に適応するのに手間がかかるのはわかっていた。だが、これ程までとは思わなかった。ドロップスティアーはトレーニングに関して言えば、素直で従順である。故に指示した事はきっちり覚える。
だが、時間がかかり過ぎた。当然だがこの合宿の間、”黄金世代”も同じ時間でそれぞれのトレーニングをこなし、地力を底上げしている。にも関わらず、こちらはようやくスタートラインに立ったような物だ。
ハッキリ言って、とてつもなく現状は厳しい。
(
――
◆ ◆ ◆
「……さて。お前がようやっとまともにトレーニング出来る様になった所で、次のレースについて話しておくぞ」
「へ? 早くないです? まだ合宿終わりまで一ヶ月残ってるじゃないですか」
「だあほ、遅いぐらいだ。GⅠ目指す様な連中は、最初っからどのレースで
そしてその日の夕方、トレーニング終わり。名入は次に走るレースについて話す事にした。
この合宿の目的たるコーナートレーニング・及びスタミナ作りはいくらやっても足りる事は無い。なので合宿期間中、八月終わりまではレースに出ない。これは周囲と同様である。
だが、夏が終わった後の予定が決まっていない。これまでダービーで勝つ為、走る全てのレースを限定して選んだ様に、挑むレースというのはウマ娘にとって最重要事項だ。
三冠レースには、トライアル競争が存在する。皐月賞には弥生賞が、ダービーには青葉賞があった様に、近い条件のレースがある。誰もがGⅠ出走権を賭けてその前哨戦に挑む様に、ぶっつけ本番で菊花賞に挑むのは地力で劣るドロップスティアーにとっては愚行中の愚行だ。
――しかし。
「当然の事だが、菊花賞は京都レース場で行われる。だから京都レース場を走るレースに挑むべき、なんだが……ここに少し問題がある」
「問題?」
「菊花賞は、
クラシックロード最長にして最後たる菊花賞にも当然トライアルは存在する。だが、
これから菊花賞まで行われるトライアルレースは三つ。GⅡレースの京都新聞杯*1・セントライト記念・神戸新聞杯。しかしこれらが行われるレースは、どれも距離が2400メートル以下のレースである。
その上で。
「菊花賞のトライアルは三つあるが、その内二つは中山と阪神で開催される。つーか今から菊花賞までは、京都新聞杯以外に京都の外回りレースが無い」
「ふんふん」
「そして俺は
「……え゛?」
そして今日の名入の最大の問題発言は、ドロップスティアーに
これまでドロップスティアーが格上相手にも劣らず走ってこれたのは、同じレース場を走り込んできたから。しかしこれから菊花賞までの間、京都レース場・外回りという絶好のコースに、名入は出走させない。
ドロップスティアーが”黄金世代”相手にギリギリまで伏せて持ち込んだ、ある意味最大の武器・レースの予習とコースの逆算。
「え、ぅえ゛ぇぇ!? なんですそれ、なんでですそれ!? 菊花賞、コース未経験のぶっつけ本番でスペさん達と戦うとか、勝てる気しませんよ!?」
「そらそーだ。死ぬ程トレーニング積むだけでGⅠ勝てるんなら、お前はダービーで負けてねえ。確かにお前は菊花賞を頭に死ぬ程インプットしてるが、実際に走らん事にゃコース感覚が掴めねえ。まぁ九割負けだな」
「いや何しれっとほぼ負け確通告してんですか。信条曲げてまで『お前が勝つ』ってキメ顔したあの時のトレーナーさんどこ行ったんですか」
「あん時は『今日だけ信条曲げる』っつったろ。現実っつー目の前見ないで走ってGⅠ勝てんなら誰も苦労しねーんだよ」
その宣言に対し、ドロップスティアーは本気で焦った。自分は、
走る場所を把握する事は、作戦の成功率を左右する。ドロップスティアーの走りは、事前の予習と作戦ありきだ。既知であるからこそ地元の山ではシンボリルドルフにすら勝てたし、ダービーですら好走出来た。
その事実は名入もよく知る所ではあったし、実際本命のレース前に同じコースを走らないというのは不利という言葉では足りない事である。
しかし今回に限っては、
「お前の手口、つまり『最初からコース覚えときゃ良くない?』作戦は、ダービーで完全に割れた。だから”三強”連中は確実に
「……というと?」
「コースの予習。つまり、
京都開催レースである菊花賞の最大の練習は、やはり京都でのレースを走る事である。そして事前に走り込む事で力量差を埋められる事を、ドロップスティアーは”黄金世代”達に示した。
――実の所、
「だが、こっちとしちゃどんだけ夏に仕上がったか、それを菊花賞前に知られたくねぇ。映像として残るのは良いが、
実戦経験というのは、何よりも重要で警戒すべき事だと名入は思っている。
ドロップスティアーの走りは、中央では見ない戦法だ。これまでの勝負は、基本的にその特異性を押し付ける事で相手の想定を外してきた。
しかし、
鋭角コーナリングの効力は完全にバレているし、伏せていた五つの武器は既に見せ尽くした。無論見られただけで完全に全てを無効化出来る技では無いのだが、その驚異は体感される度に弱まっていく。
「なんで、アイツらの想定から外れる。出るべき京都新聞杯をあえてスカして、
「別、ですか?」
「ああ。東京と中京レース場が似てる構造なのは覚えてるだろ。
ダービーに挑む為に東京レースばかり走っていたドロップスティアーは、一度だけ中京ジュニアステークス――中京レース場を走った事がある。その理由は、中京レース場のレイアウトが東京と類似していたからだ。
京都レース場最大の特徴であり難関たる淀の坂は、全レース場で上り下りも最大・最長の唯一無二たる坂であり、代わりは無い。しかし、
「
阪神レース場・外回り。これは第一・第二コーナーが短く厳しく、第三・第四コーナーが長く緩やかに設計されている。この形は、淀の坂を取り払った京都レース場と言っても良い特徴だった。
こちらは三・四コーナーに坂が無い代わりに、ホームストレッチで下り、ゴール前に急坂がある。しかしそれ以外の所、つまりコースの大半が
故に”三強”を回避しながら、京都レース場を擬似的に体験出来るレースは唯一つ。
「阪神の外回りレースで、菊花賞の練習になるだろうレースはたった一つ。GⅡ、神戸新聞杯。コレ一択だ」
京都のレースを回避しながら予習出来るレース。コースの類似性故に菊花賞のトライアルとして成立しているレース。それが神戸新聞杯であった。
外回りを経験するだけならオープン戦・ローズステークスも該当する。しかしこちらはポケットからスタートする、
なんやかんやでダービーで二着を取ったドロップスティアーは、
「九月後半のここでお前の夏の仕上がりを確認し、調整挟んで菊花賞に挑む。良いな?」
「良いなもクソも、走れるのそれ一個しか無いんでしょ? そんなら走りますよ」
名入の確認に対し、ドロップスティアーは即答する。というか、せざるを得ない。
京都レース場を経験出来ないのは不利要因ではあるが、元々坂の方が強いウマ娘である。これまで事前に目一杯菊花賞の情報を叩き込まれている以上、足りないのは実際に走る感覚のみ。
”三強”を避けられる神戸新聞杯で経験を積み、菊花賞へ挑む。正直、坂が少ないというだけで阪神レース場での勝負は分が悪いのだが、ホームストレッチが最長クラスで地力勝負に持ち込まれやすい東京レース場程では無い。
故に夏の仕上がりを確認するという意味であれば、神戸新聞杯は試金石として申し分ないレースだった。
「正直、菊花賞トライアルでGⅡとかいう、最悪に難所なココも避けてぇ所なんだがな……”三強”以外にも菊花賞で当たるだろう相手も居るし、つーかお前がGⅡ勝てるかもめっちゃ微妙だし……」
「あの、自分GⅡの青葉賞勝ってんですけど? ダービー二着なんですけど?」
「成績だけしか見てねえ虚勢はやめろ、俺まで虚しくなる」
「…………」
名入のいつもの愚痴に対し文句を言ったドロップスティアーは、見事なジョルトカウンターを受けて閉口してしまった。
ドロップスティアーは、これまでの成績だけで言えば中央でも上位である。多くの重賞にも出ながらどのレースでも掲示板入りし、GⅢ・GⅡを獲り、ダービーでも二着。これだけを見れば、間違いなく強いウマ娘である。
しかしそれは形振り構わず、東京レース場にのみヤマを張った結果の成績だ。右回りレースの実戦すら初めてである以上、ドロップスティアーの力量は成績で計る事は出来ない。というかそもそも、戦法が力量を誤魔化すスタイルなので、トレーナー本人ですら力量が計れない。
強いのか弱いのか分からない、絶対が無いウマ娘。ただでさえ紛れが多いレースの世界において、どうなるかは結局出たトコ勝負となってしまう。
「つー事でこれから合宿終わりまで、トレーニング休みの日も阪神レース場について多少の時間座学を挟む。イヤとは言わせねえぞ」
「……はーい」
そういう訳で少しでも勝率を引き上げる為に、足と心の疲労を取る為のオフに別の練習が追加される羽目になった。
砂浜地獄から抜け出た休みの日にすら、勉強という名のトレーニングが入れられる。合宿期間とはいえ、一応トレセン学園は現在夏休みの状態だ。よって当然、学生たるウマ娘達には普通に夏休みの宿題が渡されている。
これまでドロップスティアーは宿題を休みの日コツコツ、というかダラダラとローペースで地道に消化していた。しかしその休日の一部が名入との座学に割かれる以上、余裕は減ってしまう。
厳しい。勝つ為とは言え、何もかもが厳しい。アスリートでありながら学生ならではの悩みに、ドロップスティアーは渋い表情を浮かべざるを得なかった。
「……言っとくが。夏休みの宿題終わってないから補習とかになったら、菊花賞に勝てないとまで思っとけよ。弱いお前に与えられた時間はガチで少ねぇんだ、時間を無駄にすんじゃねー」
「ぐぬっ」
そんな心情を見透かした様に、名入はキッチリ釘を刺してきた。正直名入としても、トレセン学園の生徒が抱くこの学生とアスリートの両立に対する問題には同情の余地があると思っている。
しかし勝負が懸かっているとなれば話は別だ。クラシックレースは今この一年間しか存在しない、人生唯一の期間であり機会である。これで『学業が疎かだったので負けました』など、笑い話にもならない。
ドロップスティアーは学業成績は中央でも平均ぐらいのウマ娘なのだが、
「菊花賞っつー最大の勝負所が待ってんだ。そんな事で躓くんじゃねーぞ」
「分かってますって、全くもー。GⅠじゃなくて宿題に負けました、なんていう間抜けな事ある訳無いじゃないですかー」
◆ ◆ ◆
「み、皆! 宿題! 宿題あるの、忘れてない!? 私今まで忘れちゃってたよー!」
「グラスー! グラース! 国語! 国語の宿題だけでも良いから見せて下さーい!」
「スペシャルウィークさん、あなたねぇ! 前々からあれだけ勉強はちゃんとしなさいって言ってたでしょうがー!」
「……エ~ル~? 私も、与えられた課題を写させる事はしないと、以前から言っていた筈ですが?」
「はぁー、やれやれ。コレじゃあの二人、レースじゃなくて宿題に負けちゃいそうだねぇ……あれ? どしたのティアちゃんさん、そんなチベットスナギツネみたいな顔して」
「…………」
翌日。日本ダービーとマイルカップの覇者が、二人で揃って宿題と頭を抱えている姿を見て、ドロップスティアーは真顔になった。
トレセン学園特有の大問題
作者は夏休みの宿題では追込型でした。