ヤマ娘 ~Crazy Derby~   作:灰の熊猫

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『追駆』

「……うあー……」

 

 トレセン学園、夜。神戸新聞杯を終えた翌日、レースの疲労を取るべく完全なオフを与えられた――正確には『一日だけやるから、そのシケた面切り替えろ』と名入に言われた――ドロップスティアーはトレーニング施設にも寄らず、学園内の散歩をしていた。

 理由は無い。散歩がしたい訳でも無い。ただ、ぐちゃぐちゃになった気持ちを整理出来ず、寮に戻って休もうとしても落ち着けなかっただけだった。

 ”悔しい”という感情。これまで知らずに生きてきたその感情をどう受け止め、どう消化していいのか。それが分からないから、意味も無く歩いていた。

 

(……こんなん、してる場合じゃないのになー……)

 

 さっさと休むべきだ。レースの反省をすべきだ。これからする事を考えるべきだ。

 理性はそう訴えているが、体が言う事を聞いてくれない。こんな事は初めてだ。まるで、本能が勝手に自分の死を留める時の様に、頭で考えた事を一切無視して勝手に動く。

 今日のレースの事を思い出す。最初から負けるだろうと言われても、ベストは尽くした。尽くした上で、全く届かなかった。それまで通りの事で、何故かモヤモヤする。

 嫌な気分だ。何が嫌かと言えば、()()()()()()のだ。

 

「……スゴかったって、言えばいいのに……」

 

 自分の作戦を読んで対策し、その上でレースにも完勝したキングヘイロー。手放しに褒めるべきだろう事にも関わらず、その一言すら発せられない。

 そしてこんな自分の事をライバルと言ってくれたのに、釣り合わない走りをして申し訳無かったと言うべきなのに。そんな罪悪感を抱くべき所で、”悔しい”という感情がそれを邪魔している。

 

「――ん?」

 

 本当に分からない。何を考えれば良いのか、どうすれば良いのか。思考がまとまらない中で、目につく物が見えて脚が止まる。

 辿り着いたのは、トレセン学園に点在する庭の一つ。()()()()を除き、特に何の変哲も無い場所だ。

 

「……なんです、このデッカい……切り株……?」

 

 中央トレセン学園には、いくつかの名物スポットがある。その中でもかなりの有名所であり、そしてある種最もドロップスティアーとは縁が遠い場所。それが、この”大樹のウロ”だった。

 デカい。普通にウマ娘一人分は入り込める程度には大きい直径と深さのある、欅の空洞木。実家の山にも見られなかった、文字通り見事な穴場である。

 その穴の深さと暗さから、学園生の中では普段声に出来ない言葉――弱音や自戒の言葉を大きく吐き出す為の場として、いつしか定着していた。

 

「――……」

 

 ドロップスティアーは、少しその場で考えて――

 

  ◆  ◆  ◆

 

「わわっ、すっかり遅くなっちゃった……! 早く寮に帰らないとっ……!」

 

 跳ねのある黒い長髪を靡かせ、一人の小柄なウマ娘が駆けていく。

 ライスシャワー。小さな背丈に見合わぬ、中央でも屈指のステイヤーとして多くの実績を残してきた、名ウマ娘。彼女はたった今、オーバーな自主トレーニングを終えて帰る所だった。

 オーバーというのは身体への負荷ではなく、時間の方である。他者よりも圧倒的なストイックさとスタミナを併せ持つ彼女は、元々自主トレーニングの量が多い。

 ”あと一周”。そう思って一周を走り終えて、まだ余裕を感じて”もう一周”。それを繰り返した結果、尽きないスタミナが時間を忘れさせてトレーニングに没頭させてしまった。

 その上で、まだグラウンドから寮まで慌てて走るだけの脚と体力の余裕があるのが、ライスシャワーというウマ娘の驚異的な所であった。なお、当人はその異様さをまるで自覚していない。

 

「……あっ」

 

 しかしそんな帰路の中、ふと目に止まるモノがあり、同時に脚も止まった。

 大樹のウロ。未だ肉体的にも精神的にも、全てが未熟だった頃。辛い事や哀しい事がある度、何度も独りで泣きに来た場所。

 今のライスシャワーは、すっかりこの場所に自分から訪れる事は無くなっている。この場所には数々の悲哀と、苦難と、不幸を嘆いてきた。自分が嫌になる度に、この場所へ嫌と言う程に訪れていた。

 辛い思い出ばかりを、ここで零して落として積み上げてきた。しかし今では、それもまた今の自分を形成する為に必要なモノだったと断言出来る様になっている。

 

「……懐かしいなぁ……」

 

 ライスシャワーは苦笑しながら、大樹のウロに歩いていく。寮の門限は近いが、まだ急ぐ程の時間でも無い。なので、少しだけ寄り道をする事にした。

 今のライスシャワーに、ここで吐き出す悲しみは無い。しかし何度も訪れたこの場に来れば、まるで昨日の事の様に自分の過去を思い出す。弱かった自分の幻影すら見える程に、様々な記憶が頭を(よぎ)る。

 ウロの縁に、そっと手をかけて撫でる。思えばこの大樹は、自分以外にも多くの、それこそ数え切れない程のウマ娘達の叫びや嘆きを聴いてきたのだ。そう考えると、この一本の切り株は自分よりも遥かに不幸であり、そして偉大な存在であるとすら思う。

 

「――いつも、ありがとうございます」

 

 これまでの嘆きの代わりに、感謝を告げる。弱かった自分を、そして他の多くのウマ娘達に対しても、ただそこに居るだけで助けてくれた、そんな存在に対し。

 これまで、嫌な事ばかりを聞いてもらっていた。だから、哀しい事ばかり聴かされるのも嫌だろう。そんな想いで、ライスシャワーは物言わぬ大樹に心からの謝意を述べて。

 

「あれ、ライスさん?」

「……えっ?」

 

 ()()()()()()()()

 

「うわー、奇遇ですねー! お久しぶりですー!」

「なんで()()()()()()のティアちゃん!?」

 

 聞き覚えのある声色で返答してきた大樹のウロを、ライスシャワーは覗き込む。

 大樹の深淵を覗いたライスシャワーは、深淵で座っていたドロップスティアーに覗き返された。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「――へぇー。ここ、そんな場所だったんですねー。てっきり、いい感じの昼寝スポットだと思ってました」

「いくらなんでもこんな狭い所で昼寝する娘は居ないよ……」

「いやまぁ固いし狭かったですけど、逆に落ち着きますよ?」

「ティアちゃんだけだと思うな、ここでそんな事思えるの……」

 

 ドロップスティアーとライスシャワー。様々な方向に真反対で、色んな所で格が違う二人は、大樹のウロの根本に背をもたれる形で座り込み、雑談していた。

 唐突なサプライズエンカウントをした後輩に対し、ライスシャワーはこの場所が一般的にどういう認識の場所か、そしてどういう意図で中に入り込んでいたのか。そんな質疑応答をし、そして想定外の答えにちょっと引いていた。

 『”穴があったら入りたい”を実践出来そうだったから』。そして実際に入ってみて、人目を避けれるし実は昼寝スポットの一つなのではないか。そんな考察をしながら目を瞑って休んでいた所に、ライスシャワーが訪れたという。

 

「ここ、本当に色んな娘達がやってくる所だから。次からはこんな所の中に入ってちゃダメだよ? ……他の娘達もティアちゃんも、絶対びっくりしちゃうから……」

「わかりました。その言葉、この魂の奥底にまで刻みます」

「そんな大げさに受け取らなくてもいいと思うな……」

 

 善意百パーセントのライスシャワーの言葉を、ドロップスティアーは百パーセント中の百パーセントで受け取る。自分の言葉を素直を超えた盲信で受け入れられる事に、ライスシャワーは引きつった笑いを浮かべた。

 大樹のウロは、基本的にネガティブな印象がある場所である。負けて悔しい時や、挫けそうな時に普段出せない大声で発散する場であり、ここに訪れて声を上げている者には干渉しないという暗黙の了解もある。

 それはこの学園ではちょっとした常識の一つであり、そんな怨嗟の集う場所で昼寝など普通しない。というか発想もしない。その点、ドロップスティアーは普通のウマ娘とは常識と認識が明確にズレまくっていた。

 

「……えーっ、と。本当に昼寝しに来たワケじゃない……よね?」

「え? ……確かにそうですけど……なんで分かるんですか?」

「ティアちゃんがこの場所の事を知らなかった、ってのはほんとみたいだけど……なんだか、雰囲気がちょっと。ほんのちょっとだけ……暗いから、かな」

 

 その上で、ライスシャワーは核心を突く。ドロップスティアーがこの場所の認識に致命的なズレを抱えていると言えど、それだけで片付けられない・見過ごせない所をライスシャワーの目は見抜いた。

 僅かだが、顔に翳りが見える。以前会った時より、ほんの少しだけ表情がぎこちない。現在、再会に喜んでいるのは確かなのだが、誰よりも負の感情を受けて向き合ってきたライスシャワーは、誰も気付けないレベルの心の影が見抜けた。

 

「……う、うーん……ライスさんにこんなの言うの、すっっっごい気が引けるんですけど……ちょっとだけ……話、聞いてもらっても……良いですか? いやホント出来ればでいいんで。無視してくれてもホントいいんで」

「うん、良いよ。多分だけど、ライスも少しは力になれる事だと思うから」

 

 ドロップスティアーは物凄く躊躇しつつ、自分の抱える悩みを発する事にした。

 正直な所、この心優しい先輩に自分などの為に余計な手間をかけさせたくは無い。しかしその考えすら上回る程に、今抱えているモヤモヤは自分ではどうにも出来ず、つい優しさに甘えてしまいたくなった。

 一方でライスシャワーは、表面上はほぼ平然としているも煮え切らないこの後輩の悩みを、ハッキリとでは無いが察していた。この場所の常連と言っても過言では無いウマ娘だったからこそ、鋭敏に感じ取れる物がある為に。

 

「えーと、その……悔しいって思った時って、どうすればいいんでしょうか……?」

「……? どうすればいい、って……?」

「いやー、その。ヘンテコな話なんですけど、自分”悔しい”って思った事、前のレースで負けた時が初めてだったんですよ」

「それは……ちょっと、すごいね」

 

 ライスシャワーの想像に近い、しかしやはりちょっとズレた悩みが吐露される。

 これまでトゥインクル・シリーズで走ってきて、悔しいと思った事が無い。正しくは人生で初めて感情の一つを得たという凄まじくズレた実態なのだが、そこまでは予想出来ないライスシャワーはあくまでレースでの話と捉えた。

 その解釈でも、中央所属のアスリートとしては極めて稀な精神性(なやみ)なのだが。

 

「そのレース、勝ったのは友達で……絶対過大評価なんですけど、その友達からは前に”ライバル”って言われてて……勝てないって分かってても走って、予想通りに負けて……」

「……うん」

「それだけの事なのに、なんでこんなに悔しいのかがわかんないんです……フツーにやって、フツーに負けて、それがフツーの事なのに……」

「うん」

 

 しかし、そこから来る話はライスシャワーにとって既視感しか存在しないモノだった。

 中央ではどこでもある、そして自分にもあった話。ライバルの知人と、劣ると分かっていても負ける事への悔しさ。勝ちたいとどれだけ思い願って走っても、届かない背。

 その辛さに関して言えば、ライスシャワーは人一倍共感出来ると思っていた。

 

「今までは別にそれでも良かったのに、前のレースではそう思えなくって……それで、自分でもどうしていいかわかんなくなったんです……」

「……すごい、辛いよね。ライス、わかるよ」

「…………」

 

 モヤモヤとした気持ちが、口から少しずつ形となって出てくる。丸一日経っても消えない、”悔しい”という気持ち。それに対し同調と肯定をされて、ほんの少しだけ嫌な気分は薄れた。

 しかしそれ以上に、心から沸々と湧き上がる空虚さが大きい。初めて知った、真の敗北の味。自分の理性を容易く上回ってくる、なんらプラスとならない苦く渋いだけの感情。

 そもそも”悔しい”とは何なのか。それすら知らなかった自分の歪みに対し、どうすればいいのか。あらゆる思考を鈍らせてくるこの最悪の感情に対し、ドロップスティアーは一切の答えを持ち合わせなかった。

 

「……ライスもね。クラシックの頃、勝ちたい相手がいたんだ」

「ミホノブルボンさん。ライスさんの世代最強の逃げウマ娘で、元々はスプリンターだったのに多量の坂路反復練習によってスタミナを増強。皐月・ダービーも取って、菊花賞でライスさんが勝つまでずっと無敗だった、スゴい方の事ですね?」

「いきなり早口になった上に凄い詳しいね!? ……ブ、ブルボンさんのファンなの?」

「ミホノブルボンさんの事が大好きな、めんどくさい知り合いがいまして……あ、自分はライスさんのファンですよ? ライスさんの菊花賞はこれまで三十六回見直してます」

「やけに具体的な数字! え、ほんとにそんなに見直してるの!? ウソだよね!?」

「すみません……他の方のレースを見る事もあるせいで、まだそのぐらいの回数しか見れてなくって……」

「多いよ! 見過ぎだよ! そんなに見なくてもいいよ!?」

 

 唐突な早口から来るとんでもない情報量をぶつけられ、ライスシャワーは一転ツッコミに回らされた。

 名入による菊花賞英才教育とミホノブルボン・ライスシャワー世代への思い入れから、ドロップスティアーは間接的にミホノブルボンについても詳しい。その上で個人的なクソデカ感情により、ライスシャワーの菊花賞は何度もリピートして見ている。

 ちなみにレース視聴回数のトップはトウカイテイオーが復活した有記念であり、そちらは四十四回である。

 

「……と、とにかく。知ってるなら分かると思うけど、ブルボンさんはすっごく強くって。……菊花賞の時も、また届かないかもって。最終直線(さいご)も、必死だったんだ」

「最後までスゴかったです。三着のマチカネタンホイザさんも第五十一回のメジロマックイーンさんのレコードより一秒上でしたし……ラスト一ハロンで内から伸びてきたマチカネタンホイザさん、更に差し返したミホノブルボンさん、それを並んだ状態から外から全員抜き去ったライスさんの三人とも。確か四着とは八バ身差ぐらいでしたね」

「…………う、うん」

 

 とんでもなく詳しい。下手すれば当事者の自分より詳しいのではないか。ライスシャワーは淀みなくすらすらと当時のレース展開と詳細を(そら)んじる後輩が、本当に自分の菊花賞を知り尽くしている事を強制的に理解させられた。

 無知ですっからかんの頭に名入が菊花賞の知識を詰め込んだ事で、ドロップスティアーは菊花賞という超限定的な部分のみ、並のトレーナーを超える知識を保有している。本人に自覚は無いが、最早菊花賞オタクと言っても過言では無い。

 これまでの意味不明の奇行の印象も覆す、異様・異常に偏った知識。その圧にドン引きしたものの、ライスシャワーはがんばってギリギリ脱線せず自分の話を続けた。

 

「ずっとずっと、勝てなくって。どれだけ頑張っても、主役はブルボンさんで。ライスはただ、必死でついてくだけで……でも、あの時ようやく追いつけたんだ。……嬉しかったなぁ」

「ライスさん……」

 

 微笑んで、ライスシャワーは自分が菊花賞で一着を取った時の事を思い出す。

 ずっとずっと、追い続けて追い求めた大きな背中。最初は目に見えない程遠くにあった背中を、少しずつ縮めていたクラシック期。気弱で自信が持てなかったライスシャワーにとって、気丈に己を貫くミホノブルボンという存在は、大きな憧れだった。

 背中を見たかった。少しでも近付きたかった。並び、追いつきたかった。その想いのまま、一心不乱にミホノブルボンを追い続け、最後の最後でその脚はレコードと共に届いた。その後には色々と辛い事があったが、それでもゴールした瞬間に抱いた喜びは確かだった。

 ちなみにドロップスティアーはその横顔を見て『こんなライスさん曇らせた当時の観客達マジ許せん』と、死神の如き漆黒の意志を抱いたのだが、ライスシャワーの手前なのでその感情は上手く隠蔽した。

 

「……ライスとティアちゃんは、全然違うと思うけど。でも、何があっても、諦めちゃったらダメだよ?」

「え?」

「どんなに負けても、悔しくても、自信が無くても。最後の最後まで諦めなかったから、ライスはなんとかブルボンさんにも勝てたんだ。……だから、何があって、どんなに辛くて、どう思っても。足を止めちゃうのだけは、ダメなんだって思うんだ」

 

 ライスシャワーとドロップスティアーには、類似点が殆ど無い。レースに対する才能を初めとして、”不幸”に伴う境遇、それに対する向き合い方が全く異なる。

 だけれど、憧れを追う立場という一点においては、現状のドロップスティアーは当時のライスシャワーと酷似している。その先達として、ライスシャワーは最も大事な所を強調して伝えた。

 足を止めない事。たとえどれだけ相手と差があると思っていても、走り続けなければどんな想いも届かない。果たせない。そして、どんな形であれ後悔が残るだろう。

 だから、何があろうと走らなければならない事だけは間違い無いのだ。そして走りの中に、いつだってウマ娘(じぶん)達の答えはある。

 

「……このウロ。ちょっと使ってみようよ、ティアちゃん」

「え? ……でも自分、今どんな言葉を言えばいいのか、よくわかんなくって……」

「何も考えなくていいんだよ。想いのままに、声を出すの。……そしたらきっと、辛い気持ちも心の中から顔を出してくれるから」

 

 最も大事な所を伝えた上で、ライスシャワーはドロップスティアー個人の想いについて触れる事にした。

 それぞれが抱く想いは、どれだけ形が似ていたとしても中身は異なってしまう。故にライスシャワーは、他人の悩みは同調出来ても完全な理解までは及べず、全てを解決出来る万能の言葉は無いと考えている。

 だから、少しだけ寄り添う。”こうすればいい”のではなく”こうしてもいい”と、本人が見えていない道を示す。暗い道の先導となる様に、手を引く。

 悩みを解決出来るのは、解決に至る道を走れるのは、問題という行き止まりで止まった本人だけだ。しかし一度歩くきっかけが与えられれば、また走る事が出来る事をライスシャワーは知っているから。

 

「ほら。なんでもいいから、とにかく声を出してみよ? ライスの事は、なんにも気にしなくていいから」

「……なんでもいい……」

 

 ぽんぽんと、ライスシャワーが大きな口を開いているウロの縁を叩く。

 上手く言葉に出来ずとも、想いは心にある。そして心を表す為にあるのが声だ。故に、ただ声に出すだけでも想いは自然と零れてくれる。

 それが分かっているから、ライスシャワーはドロップスティアーに言葉も思い付かないまま、このウロを使ってみる事を提案していた。

 

「……じゃあ……えーと……」

 

 ライスシャワーに聞かされた一般的な使い方の通りに、ドロップスティアーは大樹のウロに頭を入れる。なんにもない、真っ黒な穴。ただ自分が考えたまま、声を吐き出すだけの場所。

 初めて抱いた感情を、ちゃんとした言葉(かたち)には出来ない。だが、出来ないままでいいと言ってくれた。何も考えず、想いのまま、なんでもいい。そう背を押してもらった。

 なので、ドロップスティアーは一度深呼吸して――

 

「――どけェッッッ!!!」

「ぴぃっ!?」

 

 ()()()()()()()()()

 

「ぬ゛あ゛ぁぁぁッ! 耳がぁ! 耳がぁぁぁッ!!」

「何してるのティアちゃん!? いやほんとに何してるの!?」

 

 空洞から全て反響(カウンター)され、盛大な自爆により聴覚が麻痺した。

 

「お、おごぅぁあぁ……な、なにもきこえない……ライスさん、そこにいますか……?」

「ここにいるよ!? 目は見えてるよね!?」

「……わぁすごい、ホントになんにも聞こえないや……これド至近距離でやるのは危険行為って取られるかもですし、やっぱレースじゃ遠距離限定にしないとダメですね……」

「なんの話してるの!?」

 

 自分の大声という名の武器――走らないまま発する完全版(フルパワー)山彦砲――をまんま受けたドロップスティアーは、ウロから吹っ飛ばされた様に庭で仰向けにぶっ倒れ、自分の耳を両手で抑え悶え苦しんでいた。

 確かに思ったままに声に出せばいいとは言ったが、横にいる自分すら驚いて慄くレベルの大声を発し、思いっきり自爆するとは。ライスシャワーは予想外の事しかしないこの後輩に、どう反応していいかわからなかった。

 

「ぐぉぉ……いやー、なんでも良いって言われたから、ちょっと自分の全力全開にチャレンジしてみたんですけど……」

「ライスが言いたかったのはそういう事じゃないよ!? っていうか、ほんとに凄い大声だったね……」

「――よし、鼓膜は破れてないみたいですね! ようやくちょっと聞こえてきました」

「…………」

 

 自分から鼓膜が破れたかと心配するレベルの自爆をかましたドロップスティアーに、ちょっとだけライスシャワーは自分が示した道が間違ってたかもしれないと思い始めた。

 そっと背中を押したつもりが、相手はアクセル全開で明後日の方向へぶっ飛んでいった。全てが予想外で絶対に非が無いにも関わらず、ライスシャワーは自責の念を抱く羽目になった。

 一方加害者と被害者を兼任したドロップスティアーは、聴覚が戻る最中で『昔より大声出るようになったな』と、これまでのトレーニングの成果をその身を犠牲にして実感していた。

 

「あー……でも、確かに大声出すとちょっとだけ気持ち軽くなりました。でも、ここ使う生徒さん達、大丈夫なんですか? 毎回こんなん喰らってたら、耳壊れちゃいません?」

「ライスはティアちゃんの声量がおかしいだけだと思うな……」

 

 ズレている。どこまでもズレている。ライスシャワーは本当にこの後輩が自分とは全然違う事を思い知らされた。

 確かになんでもいいから声に出してみようとは言ったが、それで自爆ダメージを負うウマ娘がいるとは誰も思うまい。というか、自爆出来るだけの声量がある事がおかしい。

 これ、ライスがダメだったのかな。善意の塊であるライスシャワーは、そう思わずにはいられなかった。

 

「ライスさん」

「な、なに?」

()()()()()()()()()()()()んですかね?」

「――……」

 

 そんなバカやらかした直後に、ドロップスティアーが無意識に零した一言。そこにライスシャワーは、本当の本心を見出した。

 ドロップスティアーの人生には、多大な苦痛はあっても挫折が無かった。何があろうと最終的に求める形の勝利を得る為に、真っ当な勝負に対し誰も考えない裏道を通ってきた。

 だから、悔しいと思わなかった。そして悔しさを覚えた心は挫けて、勝手に諦めそうになっていた。それが本人すら自覚出来なかった、あまりにも普通にしてこれまで知り得なかった変調の正体だった。

 

「うん。絶対、大丈夫だよ」

「……ホント、ですか?」

「諦めないでいいんだよ。追いつこうって、思っていいんだよ」

 

 だからライスシャワーはその疑問を、はっきりと肯定する。他ならない自分だからこそ、追い求めて走り続けた自分だからこそ、強く断言出来た。

 どんなに形が違っても、同じだ。ミホノブルボンやメジロマックイーンなど、自分より大きく遠い背中へ挑んだ自分と。そしてどんなウマ娘にも同じく持ち合わせる、挑戦し続ける権利。

 それを言葉という形で、想いによって自覚させる。今のドロップスティアーに必要なのは、些細な一歩を踏み出す勇気一つで良い。

 

「……ありがとうございます、ライスさん。ちょっと、元気出ました」

「うん。ライスに出来る事なら、いくらでも力になるから。何かあったら、またお話しよ?」

「え゛。いやライスさんにまた迷惑をかけるのはちょっと、神に挑むよりも気が引けるんですが。まぁ自分神サマなんて信じてませんけど」

「ティアちゃんにとってライスってどういう存在なの!? ……と、とにかく。今日みたいに、ほんのちょっと喋るだけでも楽になる事、あるから。ライスの時間がある時なら、またお話しても良いよ? ほら、LANEの交換もしよ?」

「えっ、いやそこまでは……」

「大丈夫だから。ね?」

 

 やんわりとした笑顔で、しかしライスシャワーは強く連絡先の交換を申し出た。

 この少しの間話しただけで分かった。彼女には、()()()()()()()()。友人が居るとは聞いているし、奇行を除けば社交性も感じられるのだが、無人のウロにすら悩みを吐き出せない程に彼女は精神の一部に孤独を抱えている。

 先輩後輩という立場と、なんかやけに持ち上げられている扱いから、ドロップスティアー側から相談をしに来る事態は考えにくいだろう。しかし、たった一つでも繋がりがあるだけでも”独り”では無くなる。

 当時の自分に近しい状態であるドロップスティアーに対し、同じ悩みを持っていた者として、ライスシャワーは少しでも力になってあげたいと思っていた。

 

「……ライスさんがそこまで言うなら……」

「うん。また何か辛い事あったら、連絡しても良いからね?」

 

 ドロップスティアーは渋々好意に甘え、ライスシャワーと連絡先を交換する。

 こんな偉大な先輩に自分から迷惑をかけるのは本当に避けたい。ドロップスティアーは心根にある自罰的な性格によりそう思っているし、実際早々連絡する事は無いだろう。しかし、一人分のアイコンが追加されるだけでも、ライスシャワーのありがたすぎる善意の温もりが伝わってくる。

 この連絡先お守りにしよ。神に祈らないドロップスティアーは、代わりにこの一行の電子データを拝む事にした。

 

「――って、あぁっ! ついいっぱい話しちゃった、もう遅くなっちゃってる……!」

「へ? あー、門限ヤバいですかね」

「それだけじゃなくて、もう正門閉まっちゃってるかも……! ど、どうしよ、ライスのせいで……!」

「いや変な相談した自分のせいでしょ」

 

 が、携帯の画面を見てライスシャワーは大声を上げる。すっかり話し込んでしまったせいで、思っていた以上に時が過ぎてしまっていた。

 寮の門限よりも、学園の正門が閉じる時間は早い。全速力で走ればギリギリ間に合うかどうかという時間だが、万一の衝突・転倒事故を考えて構内で速度を出し過ぎる事は厳禁とされている。

 門が閉まっちゃってたらどうしよう。生徒会長さんか理事長さんに謝って、開けてもらわなきゃ。ライスシャワーが真剣にそんな事を考え始めた所で――

 

「そんな慌てなくて良いですよ、ライスさん。自分にいい考えがあります」

「え?」

 

  ◆  ◆  ◆

 

「よし、()()()()()()ね。ライスさん、これが自分の”逃走経路”ですよ」

「なんで()()()用意してるの!?」

 

 その後、ドロップスティアーはこっそり学園縁の茂みに隠しておいた()()()()()()を、正門から離れた壁面に引っ掛ける事により、ライスシャワーと共に学園外へと脱出した。

 余談だが、この時使用したロープは正門を乗り越える現場を何度か目撃・厳重注意された事で用意しておいた代物であり、寮の窓から脱出する為に使う手作り鉤縄一号機とは別の物である。

 




自分のシリアスを自分で続けられない主人公

悩みは失くすべき物ではなく、時間をかけて自分の中に取り込むモノです。
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