第四コーナーを抜け、一周目のホームストレッチ。セイウンスカイは先頭を奪い返し、ドロップスティアーの逃げを潰した。これは自分の思う通りの展開ではあるが、かといってまるで安心出来る状況でも無い。
そもそもドロップスティアーの元々のスタンスを考えれば、今の状況は
(立て直して来た……下がる気配はナシ、か。全く、あんだけスペちゃんを意識してたんだから、大人しくそっちに付いてて欲しいんだけどなっ……!)
ドロップスティアーのやった事――偽装逸走は、セイウンスカイにはバレていなかった。わざと逸走して戻るという特異技術は、俯瞰的にレースを眺めるシンボリルドルフ達すら騙す程に巧妙であり、前に立ったセイウンスカイには確かめようが無い。
だが、すぐ足取りを戻して自分を追ってきた事実は近付く足音で分かった。少しちらりと斜め後ろを見たが、そこにドロップスティアーは居ない。
足音はする、しかし視界に映らない。つまり彼女は、自分の真後ろを取った。
(やだなぁ、
セイウンスカイは自分と勝負する可能性があり、対策必須の強敵である”黄金世代”と、自分の天敵であるドロップスティアーについて、事前に思考と分析を済ませている。だから先頭を取り返した今でも、後ろの彼女への警戒は怠る事はしない。
この技を喰らっても、キングヘイローやスペシャルウィークは掛からずに済んだ。自分のレースに集中し、ペースを維持する心構えさえ固めれば、この技の驚異には耐えられる。
しかしそれでも、菊花賞という長距離レースでドロップスティアーのマークを喰らう事の影響は大きい。
(けど、関係無いよ。ちょっと思惑はズレちゃったけど、先頭さえ取れてれば
セイウンスカイの作戦。それは、京都大賞典において見せた大逃げという
スペシャルウィークらを避けて出たあのレースで、圧巻の大逃げを見せつけた。同日のレースにて、サイレンススズカという先輩がグラスワンダーとエルコンドルパサーを同じ戦法で打倒した事も、こちらの追い風となった。
自分は大逃げが出来る。大逃げによって、格上にも勝つ事が出来る。それを京都大賞典において大々的に喧伝したのは、
(さーて……今日も、やらせて貰うよ!)
そう思いながらセイウンスカイは直線の中間を過ぎてから、分かり辛い様に徐々にペースを落とし始める。それは後ろのドロップスティアーに追いつかれ、マークを早期に仕掛けられる危険性があってもやるべき事だった。
京都大賞典で大逃げを試した時、セイウンスカイは確信した。
だから今回も同様、大逃げに
(京都大賞典では坂でやったから辛かったけど……
京都大賞典・2400メートル。菊花賞・3000メートル。数字的にも常識的にも、厳しいのは圧倒的に後者の方だ。しかし、京都レース場の特徴は菊花賞においてこの作戦をむしろ簡単にさせる。
淀の坂以外、完全に平坦。京都大賞典では大逃げで後ろを突き放して前に出た分、息を入れるタイミングは上り坂となってしまった。だが菊花賞のスタート位置は、最初に逃げて坂を抜けた後、ずっと平坦な道が続いている。だから息の入れやすさで言えば、この立地は理想的である。
最初からセイウンスカイは、京都大賞典でもやったこの作戦をやる気だった。それを思えば、最初にドロップスティアーが逃げた事はむしろ有り難い一面もある。
《コーナーを抜けて各ウマ娘、大きく縦長に広がって落ち着きました。先頭を行くのはセイウンスカイ、そのすぐ後ろにドロップスティアー。後続との差はおよそ三・四バ身程か、大きく差が開いています》
(……よし、ティアちゃんさん以外はムリに付いてこないな)
序盤において、ドロップスティアーを追い抜く為にセイウンスカイはペースを上げざるを得なかった。しかし今回、その”必要があった”という事実こそが、自分の作戦を上手く隠す影となる。
逃げたドロップスティアーと競り合った事で、ペースが自然と大逃げ気味になってしまった。そして後ろから追いかけられている事で、ペースを落とせない――と、後続に見せられる。
”仕方なく大逃げの形となってしまい、引き下がれなくなった”。ドロップスティアーの逃げという作戦は、むしろセイウンスカイの
(――ん?)
オーバーペースで最初に後続と差を付け、そこから中盤で減速し、後半に備える。そういう狙いとしてセイウンスカイは極めて微妙に、ホームストレッチで脚を緩め始めていた。
先行・差しは、逃げのペースに無理に付き合う訳には行かない。自分の脚と体力を考え、最終直線まで控えなければならない。だから明らかに速すぎる今のペースのセイウンスカイに近付こうとは、誰も思わない。
だがそれは、一般的なウマ娘の思考だ。一度抜かれて、そして背後に付いた筈のドロップスティアー。
(……なんだ……?)
後ろに居るのは足音でわかる。最初の大逃げで後続を突き放した以上、付いてきているのは間違いなくドロップスティアー一人だけだ。
だが、
おかしい。彼女のマークは、映像で見るだけでも恐ろしく思える代物なのだ。なのに何故今、自分は自分のペースで走れているのか。
彼女に追い立てられる消耗を受け入れる覚悟をしていただけに、セイウンスカイは今の状況を訝しんだ。
(……いない)
もう一度斜め後ろを見ても、そこにはいない。確実に彼女は、背後に居る。
だが、
あのマークを使わず、しかし中団に落ちるでも無く、半端な位置で控えている。これでは、何の為に後ろに付き続けているのか分からない。何故、彼女は自分に仕掛けて来ないのか――
(――ちょっと待った)
セイウンスカイは今、自分が考えた作戦の通りに走っている。脅迫マークもされず、自らのペースで走れている。
だから思考する余裕があった。先頭を走りながら考えて、今の状況を分析する。それは、
ドロップスティアーは不良バ場の泥を顔に浴びる程の距離でも、相手の背後にいさえすれば笑ってあのマークが出来る。自分の後ろにいる以上、彼女はいつでも脅迫マークをこちらへ仕掛けられる状況だ。
だが現実、自分はあのマークで迫られていない。その上で後ろに居る。
(……
そして気付いた。自分が仕掛けられていない、彼女が何もしていないこの状況。これはいつもの彼女の手口とは全く異なる。
後ろに付いているのに、脅迫マークをせず普通に走っている。一度こうと決めれば、笑いながら徹底して相手を追い詰め続ける、そんな恐怖の象徴の様なドロップスティアーがこの状況で何もしない訳が無い。
これは別人の考えだ。
その結論に至り――セイウンスカイの頭脳は、完全な答えを導き出した。
(――
あはっ。セイウンスカイの脳内で、そんな幻聴が響いた。
◇ ◇ ◇
「良いか、よく聞けよ。”三強”に勝つ作戦ってのはな……あの三人に勝つ走りだ」
「…………」
「なんか言えよ」
「いや、言うのはトレーナーさんの方でしょ」
菊花賞の作戦の本題である、プランS。名入がドロップスティアーを利用し、セイウンスカイの動きを誘導して、初めて使える作戦。その始まりは、沈黙から始まった。
何言ってんだこいつ、とすら思えなかった。勿体振って『よく聞け』と言われたから聞いたのに、話が盛大に何も始まらない。ちゃんと説明して欲しいと思いを乗せて、ドロップスティアーは名入を白んだ目で睨んだ。
「しゃーねーなー、図解しながら説明してやるよ。……第一フェイズ、スタートから大逃げのペースで競り合われ、第二フェイズではそのままセイウンスカイに先頭を譲る。この時点で、位置関係は大体こうなる」
そう言って名入は、ホワイトボードのトレイ部分に備えた多数の丸形のマグネットを手に取り、京都レース場を簡易的に描いた部分へと貼り付ける。
第四コーナーを抜けたホームストレッチの始まり。そこに名入はマグネットを五個テキトーに固めて置き、そこより少し離れた所に青のマグネットを一つ、そのすぐ隣に緑のマグネットを一つ置いた。
「この先頭の緑のマグネットがセイウンスカイ、後ろの青いのがお前、塊はその他中団。お前ら二人は大逃げのペースで最初から前に出た分、この時点で他の集団よりそこそこリードを取った状態になる」
一周目のホームストレッチ、外回りのコーナーを抜けた約500メートルの直線。”第二フェイズ”を終えた時点で起きる位置関係を、マグネットで表現する。
名入の読みが正しく機能した場合、これは確定的な状況だった。長距離レースである菊花賞で逃げる、それも大逃げペースで最初から飛ばす二人に対し、それ以外のウマ娘達は少し距離を置いて様子を見る。
淀の坂を二回も超えなければならない長距離レースにおいて、どう考えてもオーバーペースのドロップスティアー達に並ぼうと思うウマ娘はまず存在しないからだ。
「で、だ。先頭を譲った後、お前はセイウンスカイの後ろに付け」
「ペース落として、スペさん達をマークするのはナシなんですね」
「それやんなら、最初から大逃げで抜きにかかるセイウンスカイから逃げねーだろ」
セイウンスカイに抜かせた後、ドロップスティアーはそのまま後ろに付く。それはある種、当然の帰結であった。
スペシャルウィークやキングヘイローにマークを移すのならば、二つ目のコーナーまで逃げ続ける必要は無い。一つ目のコーナーを大逃げペースのまま外を回らせた時点で、セイウンスカイはいくらか消耗させられる。そこから他へマークを移すならば、わざわざ偽装逸走という小細工をする理由も無い。
「んじゃ、セイちゃんさんにアレやればいいんです? 脅迫マーク」
「なんでだよ」
「へ? ……だって、そのままじゃ逃げ切れないから先頭譲るんでしょ? セイちゃんさんの逃げを潰す為に、後ろ取るんじゃないんですか?」
脅迫マーク。ドロップスティアーだけが出来る、恐怖で追い立てて相手を掛からせるマーク技術。”黄金世代”レベルの相手は掛からないが、それでも集中力を削る事は出来る。
ドロップスティアーとしては、この技はセイウンスカイにかなり効くと考えていた。最初から大逃げすると分かっている相手ならば、いかに掛からないとしても、圧をかけ続ける事でスタミナを大きく削る事が出来る。
しかし名入は、『なんでそんな事をするのか』と聞き返した。
「だあほ。お前の脅迫マークは、”黄金世代”には効きが悪い。それはダービーで証明されたろ」
「……全力でスペさん削ったつもりだったんですけどねぇ……」
「つーかあのマークは、ヤマ勘ブロック程じゃないが集中しなきゃ出来ねえ技だ。つまり、
しかしこの技は、こちらも相手のペースに完璧に合わせる集中力が求められる。ドロップスティアーも最初に使った時はぐったり疲れたこの技は、長距離レースには不向きの技だ。
ダービーでは、無思考・無作戦だからこそ出来た進化系である擦過マークを使ってなお、スペシャルウィークに負けた。神戸新聞杯では、似た性質の技であるヤマ勘ブロックを使い続け、キングヘイロー相手に末脚切れを起こして負けた。
ならば”三強”最後の一人であるセイウンスカイに対しても、然程通じないと考えて良い。
「でもマークしないなら、どうするんですか?」
「
「は?」
「そのまんま、フツーに走れ。
ならばどうするか。それに対する名入の答えは、
ヤマ勘ブロックと脅迫マーク、この二つの技は使えば使う程こちらの体力を使う。しかしドロップスティアーはこれまで、そんな技をずっと使い続けて走ってきた。
つまりこれらの技を使わなければ、いつもより長く走れる。しかしどちらかと言えば、
「さっき、プランの事を『あの三人に勝つ走り』って言ったな? それは正しく明文化すりゃ、セイウンスカイ・スペシャルウィーク・キングヘイローに勝つ、と言える」
「いや、だからそんなん当たり前じゃ――」
「だが、スペシャルウィークとキングヘイロー。この二人に勝つ作戦は、
「――えっ?」
再び当たり前の、言うまでも無い言葉に対してドロップスティアーが言葉を挟もうとした時。名入はとんでもない事を言い出した。
『三人の内、二人に勝つ作戦は
「お前の実力じゃ、三人を同時に相手取る事は限りなく難しい。……だが、良い所に居るだろ? スペシャルウィークとキングヘイロー、
「……あの……そ、それ、って……」
「……くっくっくっ……」
ドロップスティアーはセイウンスカイ相手に逃げ切れない。そしてセイウンスカイをマークすれば、消耗した所を他の二人に差される――マーク戦術特有の、共倒れを起こしてしまう。
それならば。
「プランSの”S”。これは、そいつの
「……セ……
「大正解だ。つまりプランSってのは――」
セイウンスカイ。それは”黄金世代”最強の逃げ。
かつて皐月の冠を獲り、京都大賞典で最強級のステイヤーすら破ったウマ娘。それを――
「
◇ ◇ ◇
(――ハ……ハメられたッ……!)
ホームストレッチの500メートル弱の道中、セイウンスカイは自分のペースで走り続ける。そしてその背後では、ドロップスティアーが
逃げの難しさの一つは、スタミナ管理。自分から先頭を走り続ける事により、最後まで走り切るペースを考え、空気抵抗に逆らい続ける事にある。
ドロップスティアーには、セイウンスカイの様な逃げの経験が無い。そして自分の技を使えば、体力を使ってしまう。それをカバーする為に、
この世代で最も逃げが上手いウマ娘を
セイウンスカイはこの狙いに気付き、そして
(私の作戦、最初から読んでたな……!?)
セイウンスカイの作戦である大逃げの強さは、京都大賞典で勝つ事で証明された。だが、京都の2400メートルで一度大きく失速したのを見せた事で、3000メートルでやれば脚が保たない、とも思わせた。
しかしこの作戦の要点たる息を途中で入れる問題は、平地なら問題無いと想定済みだ。坂でなければ3000メートルでも同じ作戦が出来る、その為にセイウンスカイは今日に至るまで体力を鍛えてきた。
しかし今回、この作戦は
(
セイウンスカイはこの大逃げから溜め逃げに移行する作戦を、ドロップスティアーへの対抗策としても用意していた。最初に大逃げでブロックを躱し、その勢いのまま後続とリードを取る。
しかし今回、ドロップスティアーは二つ目のコーナーまでセイウンスカイとほぼ同速で逃げた。セイウンスカイに先頭を取らせない様に、
セイウンスカイは、ブロックで作戦が妨害されればスペシャルウィークらに勝てなくなる。だから先頭に立つ必要があり、その為に大逃げで競りかけ続け、思い通りに先頭を奪った。
しかしこの一連の流れは、
(最初っから私の動きを誘導して、この状況を作った……!)
セイウンスカイは自分の作戦が完全に
京都大賞典の頃から考えていた、見せかけの大逃げ。確かに最初からこれをやるつもりではいたが、逃げるドロップスティアーから先頭を取り返すには大逃げで対抗するしか無かった。
そしてそのまま、ホームストレッチに入れば。最初の大逃げの分で消耗した分をペースダウンで抑えなければ、最後まで走り切れなくなる。つまりドロップスティアーの逃げは、セイウンスカイの作戦を
そして自分が先頭を取れば、後ろのドロップスティアーは
この時点で作戦を変更すれば、スペシャルウィーク達に勝てる形にならない。だからセイウンスカイはこのまま、自分の考えた作戦を
(こんな作戦、ティアちゃんさんの発想じゃない! 後ろにいるヤツが仕込んだんだ!)
大逃げで並走し、第四コーナーで先頭を譲り、それから後ろに付いて風除けとペースメーカーにする。こんな細やかなレース予測など、ドロップスティアーの考えでは有り得ない。
彼女はその集中力で以て、決めた一点の仕掛け所で勝負するウマ娘だ。そんな性質の彼女が、スタートからここまで自分を誘導し、こちらの走りを妨害せず逆に利用する。そんなレース的な組み立てをする訳が無い。
思えば夏合宿の時、ドロップスティアーは『トレーナーから言われたから菊花賞まで何も考えてない』と言っていた。つまりこの状況は、彼女のトレーナーが意図的に作り出したモノなのだ。
「……ホンット、ナメられたモン、だよねぇっ……!」
しかしこの流れは、
こちらの作戦が上手く行くほど、ドロップスティアーの逃げも正しく行われる。しかしそれで勝ちたいなら、先行する自分を最後までに抜き返さなければならない。
同じ策で、同じ走りをして、その上でこちらを上回る。このドロップスティアーの仕掛けは、これ以上無い自分への宣戦布告だ。
(……良いよ……そんなに勝負したいんなら、その喧嘩――お高く買ってあげるよッ!)
セイウンスカイは決意した。初志貫徹、自分が最初に考えた作戦通り――相手が思った通りに走ってやる。
絶対に譲らない。同じ作戦で同じ走りをするなら、自分が勝つ。あの夏に自分は彼女に宣言した筈だ、『何をしてこようが捻じ伏せてあげる』と。
――勝つのは、私だ。
◆ ◆ ◆
「メ、メチャクチャなコト、考えたね……」
「だっはっはっ。そりゃそーだ、俺はセイウンスカイを信じてるからな。だから俺もアイツに、『
「……明目張胆、だな……よくぞ、その様な策を考えついた物だ……」
関係者席にて。ホームストレッチでドロップスティアーが
”プラン・セイウンスカイ”。セイウンスカイが考えた作戦を誘導・強要し、ペースメーカーにする。これはセイウンスカイの策が強い程効果的に働く作戦であり、逆にセイウンスカイが策をしくじれば無力となる諸刃の剣だ。
だが名入は、自分と同じぐらいにセイウンスカイを信じている。そしてドロップスティアーも、”三強”と呼ばれている自分の友人の強さを信じている。だからこんな無茶な作戦を、迷わず実行出来るのだ。
「不慣れな逃げの手本は、目の前で見せて貰える。同時に菊花賞という長丁場において、バ群に呑まれず風除けも得られる。これに気付いた頃にゃもう手遅れだ、セイウンスカイは自分の作戦を実行するしかねぇ。あのだあほ一人の対処の為に、スペシャルウィーク達に勝つ作戦の放棄なんざ出来るワケねーからな」
「……とんだペテン師だね、キミ……」
「知らなかったのか? 俺は世間じゃ、トレーナー失格の極悪人って事で有名なんだぜ?」
「…………」
自分のウマ娘を利用し、それにより相手をも利用する。まさしく邪道も邪道の、とんでもない作戦。そのえげつないやり口に、心底トウカイテイオーはげんなりした顔を浮かべた。
しかしシンボリルドルフは心情的にはともかく、この作戦の巧妙さに舌を巻く思いだった。何せこの手口は、形こそ違うが
ドロップスティアーの山道勝負。走る場所を完全に把握し、シンボリルドルフが想像もしていなかった近道――階段ショートカットに敢行した彼女に対し、自分はその走り方を背後から真似して追従していった。
あの勝負において、土台から不利だったのはシンボリルドルフだった。その不利を覆す為に、ドロップスティアーの背後に付いた。名入の作戦は、計画的犯行である事を除けばそれとほぼ同じと言える。
「……セイウンスカイの逃げが成立する事を前提とし、こちらの逃げの消耗を抑える。理には適っているが……しかし、本当にそれで勝てるのか?」
「そうだよねぇ……あのマーク使わないんなら、セイウンスカイは自由に逃げ放題じゃん。あっちが勝つって考えた作戦通りに動かれるんなら、そのままじゃ負けちゃうよ」
しかしこの作戦は、自分が楽をする為とはいえセイウンスカイをフリーにしている。いつものマークを使わない以上、ドロップスティアーは彼女を自分から揺さぶりに行けない。
確かに逃げる途中で先頭を譲っても、最後にゴールを先頭で抜ければ勝ちなのは確かだ。しかし、それ程強い信頼を寄せるセイウンスカイの逃げに対し、同ペースで付いていって勝てるのか。シンボリルドルフとトウカイテイオーは、揃って疑問に思った。
「あっちの作戦通りってのはちょい違うぜ。セイウンスカイは当初、大逃げでアイツのブロックを躱してから最内回るつもりだった筈だ。だが今回、アイツの逃げとブロックを警戒した結果、第三から第四コーナーの終わりまでずっと外を回らされた。このロスは、計算外にある」
それに対し名入は、ドロップスティアーを逃げさせた事でセイウンスカイが受けた
言うまでもなく、コーナーで外を回る事のデメリットは大きい。最後まで少しでも効率的なコースとペースで走りたいのが逃げという作戦だが、こと今回に限りセイウンスカイは
最内を取れなかった。大逃げという消耗が激しいペースのまま、コーナーで外側を余計に走らされた。二番手でありながら、背後に付けなかった事で空気の壁に当たり続けた。
スタミナ勝負となる菊花賞において、この序盤の計算違いは遅効性の毒の様な物だ。セイウンスカイがペース配分を間違えない優れたウマ娘だからこそ、この序盤で受けたペースの乱れはレース後半になる程大きく影響する。
――そして。
「ついでに言えば。確かに俺はアイツをミホノブルボンに重ねたが、本質的には全く違うウマ娘だ。だからこそ出来る、
「罠……?」
「……さぁてと、セイウンスカイ……お前の勝ちの為に、そして俺らの勝ちの為に。しっかり作戦通り走ってくれよなぁ……くっくっくっ……!」
「ねぇカイチョー。やっぱりこの人、なんか追加で処分とか下した方が良くない? ほっといたらヤバいって絶対」
「テイオー。気持ちは本当に分かるが、言っている事自体は担当の勝利を願っているだけだ。裁くに足る罪状は無い」
トウカイテイオーは極めて冷静に、シンボリルドルフに対し名入の危険人物っぷりを訴えたが、残念ながら口が悪いだけでは人を裁く事は出来ない。どれだけ悪人的でも、言っている事自体はレースの為に担当ウマ娘と共に全力を尽くしているだけだった。
それはそれとして、シンボリルドルフは名入がこの菊花賞において”罠”と呼ぶ企みについて考えてみる。名入が自信満々にこちらにすら見抜けないとまで断言した、更なる策謀。
未だ表出する前であるその策は分からない。ただ一つ確かな事は、この菊花賞の行方はまだまだ荒れる――彼女によって、意図的に荒らされるだろうという事だけである。
(……”絶対は無い”、か……)
大逃げとして後ろとリードを取り、しかしセイウンスカイとドロップスティアーは揃って微細な減速を挟み、背後のバ群を縦長に引っ張る様に二人は一足早く第一コーナーへと入っていく。
この先に何があるか、シンボリルドルフにすら行方は分からない。それ程までに、ドロップスティアーと名入という二人は何をしでかすかわからない、そんな存在だ。
しかし、次にこの場所へ最初に戻ってきた者が勝者という事だけは”絶対”だ。シンボリルドルフは関係者席より、レースが次に動くその時を俯瞰して待つ事にした。
策士、策を泳がされる(強制)
やってる事は正面勝負なのに、そこに至るまでの思想が全く健全じゃないです。