「……中央?」
「ああ、君は知らないか。”日本ウマ娘トレーニングセンター学園”、略称トレセン学園。私は府中のその学園に所属しており、そこが主に”中央”と呼ばれているんだよ」
何を言われているのかわからない、きょとんとしたドロップスティアー。
何を言われているのか飲み込めていない、戦慄している彼女の父親。
正反対の反応にくすりと笑いながらも、シンボリルドルフは言葉を続ける。
「君は速くなりたいと言ったな? ならば、中央に来るべきだ。中央トレセン学園は速くなる為の施設も人員も豊富だ。君が望む通り、必ずや速くなれるだろう」
故意犯であり確信犯として、シンボリルドルフは持論を展開する。
ドロップスティアーは速くなりたいと言った。本人は山走りをこれまで通り、これまで以上に極めようというニュアンスでそう言っている。
だが、純粋に速くなりたいと言うのであれば、中央トレセン学園以上の場所は存在しない。故に中央へ引き抜くというこの屁理屈を、シンボリルドルフは本気で通そうとしていた。
「……本気ですか、ルドルフさん? このバカ娘を、中央に?」
「ええ。そうすれば、あの危険行為はしようが無いでしょう?」
「……中央に行く、その意味ぐらい俺にだってわかりますよ。このバカ娘に、それだけの価値があると?」
「はい」
店長はシンボリルドルフに対し、心配と困惑で染まった紛れもない親の顔を見せる。中央にスカウトする意味。それは、いずれレースに出るだけの素養を見出したという事だ。
それも、トゥインクル・シリーズ――プロのアスリートが競い合う、最高峰の
「……いや、いやいやいやぁー? ちょっと待って下さい、ルドルフさん?」
「何かな、ティア君」
「ムリがありますって。中央の学園がどんな所かは知りませんけど、このド貧乏な駄菓子屋のオヤジにトレセン学園の学費とか出す余裕無いですよ」
ドロップスティアーも遅れて、しかし一部だけ言葉の意味を理解する。しかし実際、シンボリルドルフの提案には一つ無理な点があった。
学費。トレセン学園は教育施設兼、レースに出る為の専門養成機関でもある。中央トレセン学園を通う学費というのは、一般家庭では相当の無茶を通さなければ払えない程には莫大だ。
当然だが、その金額は地方のトレセン学園よりも圧倒的に高い。そしてドロップスティアーの家庭は、地方の学園に通えてすらいない。純粋に、貧乏という根本的な理由から。
だが、そんな問題など些細な事だ。
「問題無いよ。奨学金制度を使えばいい、君には受けるだけの理由がある」
「奨学金……?」
「まぁ、シンプルに言えば学園側が君の学費を肩代わりする、という事だ。当然その分、将来的には支払ってもらうが」
貸与型奨学金。トレセン学園にとっても、優秀な才能を持つウマ娘にはチャンスを与えたい。故に、中央トレセン学園は奨学金制度によるスカウトを推奨している。
しかし、何もタダで金を渡す訳では無い。膨大な学費は、いずれ支払ってもらう。そう、レースに勝利するという形で。
そしてドロップスティアーは、それだけの力を
「……ルドルフさん。まさかとは思いますが、そのバカが受けるだけの理由とやらは……」
「デビューをしていない中等部でありながら、中央のウマ娘に勝利した。それも、七冠を持つ者に対して。これ以上の理由がありますか?」
「……無理がありませんか?」
「走った張本人が敗北を主張するなら、無理などありませんよ」
七つのGⅠを制したウマ娘に勝利した、地方の未デビューウマ娘。その事実だけを捉えれば、確かに天才的な真の化物と言えるだろう。
だが実際の所、シンボリルドルフが負けた理由はルールの穴が大半であり、しかも走った場所はレース用のトラックですら無い。その上、勝ったウマ娘はトレセン学園にすら通っていない、完全なレースの素人だ。
しかし、事実は事実。シンボリルドルフは自分の敗北を受け入れ、その主張を以てトレセン学園へのスカウト理由とするつもりだった。
「えー、っと……? 府中って事は、この家からは通えませんよね、自分?」
「ああ。だが安心していい、中央は全寮制でね。通うウマ娘の衣食住は、完全に学園側で保障されている」
「い、いやー……な、なんかスゴそーなのはわかったんですけどー……えーと……」
「君はさっき、『はい』と返事した筈だ。発言には責任が伴う物だよ?」
シンボリルドルフは彼女らしからぬ強引な弁舌で話を進める。有無は言わさない、絶対に来てもらう。そんな意志を、ドロップスティアーにぶつける。
何としてでも、あんな危険行為は二度とさせない為に。それに、何も完全なボランティア精神という訳でも無い。
レース場の代わりに山道だけを走り込み続けた、他に見ない特異性。シンボリルドルフですら練習しても不可能と断言出来る、高い石壁を駆け上るという神業を成立させるセンス。
極めて尖った部分だが、彼女がシンボリルドルフを上回っているのは事実なのだから。
「い、いやー!? でも、一人娘が離れちゃー、寂しがるどっかのオヤジもいるでしょうし!? 流石に保護者が賛成しないんじゃー、父親想いの自分としては――」
「行けばいいじゃねぇか。折角のルドルフさんの厚意だ、受け取らない方が失礼ってモンだ」
「――はぁぁーっ!?」
タバコを片手に咥えつつ、店長はドロップスティアーから出された梯子をスッと外した。
まさに背後から刺された、そんなリアクションでドロップスティアーは自分の父へぐりんと顔を急速旋回させる。当の父親は、全く寂しさなど感じさせない平静極まった表情だった。
というか、よく見たら店長の持っている小箱には”ココアシガレット”と堂々と書かれていた。タバコっぽく構えているだけだった。
「ちょ、ちょいちょーい! 良いの!? 大事な一人娘がどっか行こうとしてるんだよ!? 心配にならない普通!?」
「普通のウマ娘ならともかく、お前は普通じゃないだろ。そもそも、こんな提案されてる理由考えてみやがれ。お前の身を案じて言ってくれてんだぞルドルフさんは」
「う、うぎぎっ……!」
前門の皇帝、後門の父親。ドロップスティアーは、完全に挟み打ちの形にあった。
どこにも味方が居ない。というか”普通”は中央のスカウトなど受ける一択だ。それも”皇帝”のお墨付きとなれば、断る方が普通では無い。
しかし、それにしたって娘の処遇に対して冷静過ぎないだろうか。シンボリルドルフはスカウトの張本人でありながらも、落ち着き払った父親の態度に違和感を感じていた。
「シンボリルドルフさん。うちのバカ娘は『はい』って言った、保護者の俺もオーケーだ。こんなバカで良ければ、いくらでも連れて行ってやって下さい」
「ちょーいっ! なんでそんな即決してんのバカオヤジ!」
「父想いだってんなら、キッチリ中央行って稼いで来いや。『駄菓子屋の稼ぎを良くする』とかさっきまで言ってたのは何処のどいつだ、んん?」
「ぐっ……! むぐっ……!」
新しいココアシガレットをドロップスティアーの口に押し当てつつ、店長は責め立てる。ドロップスティアーには反論出来なかった。ココアシガレットをもぐもぐ食べているから。
正直、シンボリルドルフにとって保護者の許可が得られるかが最大の懸念点だった。それがこうもスマートに通った事に、安堵以上に違和感が膨れ上がる。
……どうしてこうも、娘の将来を簡単に決定できる?
「……まぁ、
「俺に話す事は無いですよ、このバカも了承済みですしね。はっはっは、どうだ? いつもやってる”想定外”をやり返される気分は、んん?」
「ぐ、ぐぬっ……! こ、こんの、クソオヤジー! もー知らーんっ!」
ココアシガレットを食べ終え、髪と同じく藍色の尻尾を逆立ててドロップスティアーは駄菓子屋の中に大股で入っていく。年頃の少女らしさが欠片も感じられない、凄まじいご立腹ぷりだった。
台風一過。ドロップスティアーが居なくなり、店長とシンボリルドルフの間に沈黙が流れた。
「……良いのですか? 提案したのは私ですが、大事な一人娘でしょう?」
「分かってるでしょう? アイツはこの家に、この地元にいる限り山を走る事を止められない。こんな駄菓子屋畳んで麓の町に移っても、どうせ『新しい近道の開拓だー!』とか言って、無茶を繰り返すでしょうよ」
ドロップスティアーが座っていたパイプ椅子に、店長が座る。遠い目をしながら空を眺める店長の目は、その更に遠い所を見ていた。
何も思う所など無いという眼差しでは無い。細めた目つきには、確かな親愛が込められていた。
「それに、アイツは走るのが好きだ。一緒に走ったなら分かったでしょう」
「……ええ。本当に、楽しそうでしたよ」
「アイツが走るのに、この山は狭すぎる。俺が足引っ張ってトレセン学園に行かせられないばっかりに、アイツは”ヤマ娘”なんてからかわれるようになっちまった。悪いのは、親の俺なんですよ」
ココアシガレットを片手に、しかし新しく咥える事もせず手をぶら下げて。そう零す父親の声色に、先程まで見せていた烈火の如き感情は無かった。
無力感。聞いているシンボリルドルフにも伝播する程、行き過ぎて何も感じさせない様な深い哀しみがその言葉に込められていた。
「荷物はすぐに俺が纏めます。アイツがどんだけ反対しようが、家から追い出してやりますよ。例えそれで俺が恨まれようが構いません、どうか中央でアイツを走らせてやって下さい」
「……良いのですか?」
「『バカオヤジ』ですからね、俺ぁ。反抗期の娘に何思われようが、失う物なんぞありません。アイツが好きに走れりゃ、それで良い。……ま、アイツがレースに勝てなきゃ、ちょいと人生キツくなるってだけでしょう」
そんな事を言いながら、店長は小さく口角を上げていた。
レースで勝てないままトレセン学園を去れば、残るのは莫大な奨学金という名の借金だ。だが、それも”ちょいとキツいだけ”と言い放つ彼の言葉に強がりや不安は感じられない。
信じているのだ。信じて、その先に何があろうと味方となる。まさに”父親”が、そこに居た。
「親としちゃ、情けないんですがね。あのバカの事を頼んます、ルドルフさん。あのバカな”ヤマ娘”を、”ウマ娘”にしてやって下さい」
「……ええ。粉骨砕身、私に出来る限りの事はさせてもらいます」
そう言って、店長は頭をシンボリルドルフへ深く下げた。
元より自分が言い出した事だ。”皇帝”として、全てのウマ娘達に出来る事を為す。それは誰に何を言われようと変わらない。
シンボリルドルフも店長へ――娘を想う父親へ、謹んで頭を下げる。
(――……)
静かな山の風は声を乗せ、駄菓子屋の方へと流れていった。
◆ ◆ ◆
「……休暇、というには随分慌ただしかったが。良い余暇となったな」
翌日。旅館の温泉でゆっくり休んで疲れを癒したシンボリルドルフは、駅のホームで中央行きの新幹線を待っていた。
得る物がある休暇だった。代え難い、というよりは二度と得られない経験をさせてもらった。
きっと彼女は、ドロップスティアーは必ず中央へ来るだろう。父との折り合いを付けるのにどれだけ時間がかかるかはわからないが、きっといつか。
彼女の父親へ連絡先は渡した。有望なウマ娘にスカウトをかけたという話も、中央の学園に通した。前途洋々、いずれ彼女がトレセン学園の制服に身を通す姿をシンボリルドルフは既に楽しみにしていた。
「それは何よりです。ルドルフさんに楽しんでもらえたとなれば、自分も箔が付くってモンですよ。いやどんだけ凄い事か、まだよくわかってませんけど」
「……んっ?」
そんな思いを馳せていると、聞き覚えのある声がすぐ後ろからかけられる。
シンボリルドルフが振り向いた先には、余りにも鮮烈な印象を焼き付けた藍の髪と尾がある。
先日山の上で別れを告げたウマ娘――ドロップスティアーが、キャリーケースを持ってそこにいた。
「……ティア君? 何故、ここに?」
「家出してきましたッ!!」
「はぁっ!?」
堂々と胸を張って家出を告げたドロップスティアーに、シンボリルドルフは驚愕する。
家出? 何故? そして何でここに? 疑問の津波が一度に脳へ押し寄せてきた。
「娘にあんなヒドイ事言うあんなバカオヤジ知りません! 中央がどんなトコか知りませんけど、あのオヤジがいる所よりは良いでしょうし! ルドルフさん、中央の寮に住ませて下さい!」
「い、いやいや。流石に家出というのは、その、後味が悪い別れでは無いか……? せめて、無事の連絡を――」
「拒否しますッ! あのオヤジにはトコトン寂しい思いをさせてやるんです! 一人娘を追放するつもりならば、自分から出ていってやりますよ! 今頃泡食ってるでしょ、ザマーミロです!」
「え、えぇ……」
周章狼狽。怒涛の勢いで捲し立てるドロップスティアーに、シンボリルドルフは冷や汗を流していた。
いずれ来るとは思っていたが、まさか即日にこんな形でやってくるとは思わなかった。というか、これでは喧嘩別れではないか。その切っ掛けを起こしたのが自分となれば、親御さんに何と詫びれば良いのか――
そう考えている中、シンボリルドルフの携帯がポケットの中で震えた。
「しょ、少々失礼するよ」
どうしようどうしよう。この家庭内緊急事態をどう対処するかについて、少しでも思考時間を稼ごうとシンボリルドルフは携帯を取り出す。
携帯の着信は、ショートメッセージ。送信元は、ドロップスティアーの父の電話番号だった。
タイミングが良い――……良す、ぎる。
『早速迷惑をかけます。申し訳ありません』
一文。まさに今の状況をどこかで見ている様な、簡潔極まりないメッセージだった。
「……何も言わず、家出してきたのかい?」
「あったりまえじゃないですか! へーんだ、慌てふためいているザマが見えますよ自分には!」
ドロップスティアーはしてやったりとばかりに鼻を鳴らしている。嘘を言っている風には見えない。本気で家出をして、父親を出し抜いてきたと信じている。
ふふっ。どうやら、子より親の方が何枚も上手らしい。シンボリルドルフが笑みを零すも、ドロップスティアーは何故そこで笑われたのか分からず不思議そうに首を傾げた。
「……仕方ない。家出というのは少々感心しないが、誘ったのは私だ。君の意志を尊重しよう」
「イエーイやったー! オヤジめ、そう何でもかんでも思い通りに行くかってんだー!」
キャリーケースを手放して万歳するドロップスティアーに、シンボリルドルフは益々笑みを深める。
知らないとは恐ろしい事だ。だが、知らずに済む事で得られる幸せも、知らせない事で与えられる幸せもある。そんな形もあると、シンボリルドルフはここで知れた。
つくづく、実りの多い余暇だったと言えよう。目の前で伸び伸びとする彼女を見て、シンボリルドルフは満足げにする。
「――少し早いが言っておこうか。ようこそ、
山しか走らない、故に”ヤマ娘”。
そう呼ばれた彼女は、”ウマ娘”となる最初の一歩を踏み出した。
(ラスボスに)勝ったッ! 第一部、完!!
ウマ娘には前々から興味あったんですが、つい最近の1.5周年記念にようやくアプリ版を始めて、勢いで二次創作も書いてみました。
未だにストーリーの読み込みとキャラの解像度が足りない身ではありますが、少しは読める話になっていれば幸いです。
第二部以降について大雑把な構想はありますが、書くかどうかは未定です。
ちょっとでも反響とかあれば書く気になるかもしれないので、宜しければ感想評価お願いします(哀しき承認欲求モンスター)
書きたい事書いただけの小説ですが、ひとまずここまで読んでくれてありがとうございました。