ヤマ娘 ~Crazy Derby~   作:灰の熊猫

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『菊花賞/技』

 菊花賞の全体の状況は、混沌を極めていた。

 セイウンスカイとドロップスティアーは坂に入っても互いに落ちてこず、逃げで意地を張り続けている様にしか見えない。微細なペースダウンを挟んで息を入れているなど、他のウマ娘達には知る由も無かった。

 坂に入った所で、先頭の二人と三番手までの前後の距離は五バ身近くは開いている。”淀の坂はゆっくり上り、ゆっくり下る”。その前半の由来、坂で無理をしない事で最終直線に備えるというセオリーを、誰もが守っていた。

 ただ前で逃げる二人がおかしいだけ。そう思いながらも、二度目の坂に入ってもまるで抑えず走り続けている二人に対し、他のウマ娘達は疑心暗鬼に陥ってしまう。

 

(……私達が、遅過ぎるの……?)

 

 セオリー通り控えているウマ娘は、異常に離されているセイウンスカイ達と自分達の距離を比べて、自らの走るペースに不安を覚え始めていた。

 京都の3000メートルは、レースとしてはあまりに長い。周囲に合わせて走っていても、その周囲が正しいという保証は無い。疑心を抱えた精神は削れていき、削れた心の隙間からは不安の靄が湧き上がる。

 坂でペースを上げるべきでは無い、それはタブーだ。ゴールまではまだ1200メートルもある、ここからペースを上げても外を回らされて、無意味に疲弊してしまうだけ。

 縦長の展開を守り、最終コーナーで出て、末脚勝負。京都外回りの二ハロンという最終直線は決して短い物ではない、そこまで脚を保たせる事は最重要事項だ。

 しかし、逃げ切られるのが怖い。本当にあの大逃げが保つのでは無いのか、向こうが失速してもこっちは届かないのではないか。そう思わざるを得ない程に、今のセイウンスカイ達は遥か前を走っている。

 

(……絶対に違う! 向こうが速すぎるんだ!)

 

 そんな迷いを振り払おうと、ウマ娘達は考え直した。

 誰がなんと言おうと、この京都のセオリーは”絶対”だ。2400メートルならともかく、3000メートルという二度の坂越えを伴うこのレースで、競り合いながら最後まで逃げるなど出来る訳が無い。

 実際に菊花賞での逃げ切りはトゥインクル・シリーズの歴史で、皆無に等しいレベルで存在しない。”逃げ”自体も、無敗二冠の逃げウマ娘であるミホノブルボンが負けた事から、このレースでは無理であると前例が証明している。

 どこまで行っても、逃げはスタミナを使い過ぎるのだ。少しの焦りと逸りによって折り合いを欠けば、どんな距離のレースでも自滅する作戦。それを3000メートルも続けるなど、正気では無い。

 保たない。保つ訳が無い。だから今は抑え、凌ぎ、最後に備える。絶対に自分達が正しい、そう考えて後続のウマ娘達は先頭の二人から意識を切った。

 

「「――……」」

 

 ――たった二人を除いては。

 

  ◆  ◆  ◆

 

(ついてこれるモンなら、ついてきなよ……!)

 

 先頭、セイウンスカイ。ドロップスティアー一人を除き、後ろと圧倒的に差を付けている彼女は下り坂に差し掛かって、少しずつ加速し始めていた。

 後ろの足音も追従してくる。どこまでもドロップスティアーは、自分の逃げを信じて付き合うつもりらしい。実際自分も脚はまだ残している、それなら彼女も同じ感覚を抱いているのは想像に難くない。

 散々引っ掻き回されている状況ではあったが、まだ実際の力関係その物は互角であるとセイウンスカイは思っていた。

 

(3000メートルでぶっつけ本番の逃げ……いくらバカみたいなスタミナ持ってても、キツいモンはキツいでしょうがっ!)

 

 セイウンスカイの背負った不利は、大きく二つ。最初から第三・第四コーナー終わりまで外を回らされたロスと、二度目の坂の上りに仕掛けられた疑似重バ場という罠である。

 作戦を読まれてハメられたこれらの消耗は辛い。最効率の最内でなんとか保たせるつもりだった3000メートルという距離で、これらのダメージは今大きく影響し始めている。

 だが、ドロップスティアーもまた不利なのだ。ピッチ走法という長距離向けでは無い走りで、長距離向けでは無い逃げという作戦を、土壇場一発目でやっている。その分を自分という風除けでカバーしてこそいるが、これらの不利を完全に覆すには至らない筈だ。そんな簡単に真似出来る走りならば、逃げという作戦はもっと流行っている。

 どれだけ弱点を直そうと、彼女は自力では逃げられない。だから自分の後ろに付いた。その根底にある彼女の不利は、散々振り回された今の自分にも近い物だろうと考えていた。

 

(くのっ……脚が、勝手に回るっ……!)

 

 第三コーナー中間より始まる下り坂。淀の坂の四メートルという高さの殆どを、第四コーナーまでに一気に下る急勾配。レース後半のここで、脚は勝手に早まってしまう。

 淀の坂の下り始めからゴールまで、およそ800メートル。この坂に従ってペースを早めれば、脚は勝手に使わされる。最後の末脚が残らなくなる。それを京都大賞典で確かめて、その上で過去最速の末脚を出し切った。

 この坂で勝手に上がる速度を、ある程度抑える。そして下りが緩くなった最終コーナーから最終直線へかけて、自分の脚を最後まで出し切れる様に加速する。

 初の3000メートル、妨害を受けた脚は重い。だが自分の作戦その物は狂っていない、上手く二度目の下りも凌げている。問題は、最終コーナーの終わり際だ。

 

(アレは防げない……なら、自分が出来る目一杯で曲がるだけ!)

 

 第四コーナーに入る。ここからセイウンスカイは、意識的に脚を早め始めた。

 自分はスペシャルウィークやキングヘイローの様に、ゴール直前で一気に伸びる脚は使えない。ここで加速させた脚を、最後まで維持する。その上で、後ろに付いてくるドロップスティアーが仕掛けてくる揺さぶりに耐える。

 鋭角コーナリング。確実に使ってくる、彼女だけに許された切り札。あの常識外の切れ味に動揺せず、抜かれるのは仕方ないと割り切って、自分はコーナーを曲がる。

 いつでも来い。最後の最後、最終直線。そっちが一周目でやった様に、コーナーはくれてやる。代わりに最終直線は――勝利は、こちらが頂く。そうセイウンスカイは覚悟を決めて、第四コーナーを駆け抜けていく。

 緩いコーナー、緩い下り、早まる加速。一気にコーナーの終わりへと迫っていき――背後の足音が、外側へと流れ始めた。

 

(来るッ!)

 

 セイウンスカイは備えた。異次元の切れ味、外から被せて相手を怯ませる、最恐のコーナリング。

 バ群に押し込まれないだけマシだが、それでも急激な角度で迫る鋭角コーナリングは恐怖を伴う。それが分かっているから、セイウンスカイは気を強く持ち、その瞬間を覚悟する。

 逃げである自分が喰らう事は無いと思っていた技。京都の第四コーナー終わり際、本来曲がるのが厳しい角度が付いたその地点で、慣性を無視して曲がってくるそれ。

 最終コーナー終わり際、セイウンスカイは外から来るドロップスティアーへ目をやり――

 

「――は?」

 

  ◇  ◇  ◇

 

「セイちゃんさんの走りをパクるってのは分かったんですけど……じゃあどこで抜くんです? 坂とか?」

「だあほ。坂で前に出ても、あのセイウンスカイ相手にコーナーで二バ身差付けられっかよ。外回らされたら、逃げドシロートのお前は最後に脚無くなってジ・エンドだろが」

 

 プランS。セイウンスカイの背後に付き、消耗を抑えながら逃げを真似る作戦。

 名入の説明は理に適っている。ドロップスティアーは普通に走れる様にはなったが、走法が消耗の激しいピッチ走法である事に変わりは無い。逃げという慣れないハイペースで初めて走る以上、膨大なスタミナも殆どが相殺されてしまうだろう。

 セイウンスカイに付いていく事は出来る、しかし抜くポイントは道中に無い。セイウンスカイに頭を抑えられたまま最終直線に入れば、後ろに付いて温存していたスタミナも虚しくスピードで捻じ伏せられてしまう。

 

「抜くポイントは一つだ。鋭角コーナリング使って、最終コーナーブチ抜け」

「まー、やっぱそうなりますよねー。これ上手く行けば、前にはセイちゃんさん一人しか居ないんでしょ?」

「ああ。抜いた後はそのまま温存してた脚を二ハロン出し続けて、差し返しに来るセイウンスカイから逃げ切れ」

 

 なのでいつも通り、コーナーで勝つ。京都の最終直線には坂が無い、よってここで同じ策・ペースで走るドロップスティアーがセイウンスカイ相手に速度で勝つのは絶対に無理だ。

 逃げで先頭争いをする以上、神戸新聞杯のキングヘイローの様に、最終コーナー時点でこちらの仕掛けを邪魔する者はいない。前にセイウンスカイ一人だけしかいないならば、この技で抜き去る事自体は容易い。

 だが、問題の相手は”最強”とされるウマ娘の一人なのだ。

 

「しっかし、イケますかねぇ。逃げはセイちゃんさんの専売特許ですし、いつもよりは角度緩く済むでしょうけど……コーナーでいつも通り抜いて、逃げ切れるモンなのかなぁ……」

「何言ってんだお前? ()()()()()()()()()()()

「へい?」

 

 最後のコーナーで抜いて、ロングスパートで勝つ。いつも通りの勝ち方。

 だが、名入はそれを否定した。自分が考えたプランSは、菊花賞で”三強”を倒す為に考えた最強の作戦だ。そしてこの一年半、自分達が積み上げてきた総決算の走りでもある。

 そんな作戦が、いつも通りな訳が無い。

 

「最終コーナー()抜け、なんざ言ってねぇよ」

「え? え、どういう事です?」

「最終コーナー()抜け、って俺は言ってんだ」

「…………いや。何が違うんかわかんないんですけど」

 

 鋭角コーナリング。名入がドロップスティアーに最初に教えた、彼女の脚だけが為せる技。

 だが、この技を使わせる内に。名入はたった一つ、ある()()()を思い浮かべていた。

 

「第四十九回、菊花賞の勝者は?」

「え?」

「そして、()()()()()()()()菊花賞は? 誰のレースだった?」

「えーと、四十九回って――えっ?」

 

 それは、地獄マラソンを始めた時点から想定していた可能性だった。

 それは、菊花賞で勝とうと決めた時点から考えていた可能性だった。

 それは、中央でも唯一。彼女が()()()()()()()()()()可能性だった。

 

「俺がお前に先頭を取らせた意味。セイウンスカイに偽装逸走を()()()意味。そして、お前が勝つと断言した意味。それら全部が、この最終コーナーにある」

 

 名入はホワイトボードに貼り付けた緑のマグネット――セイウンスカイを、第四コーナーの終わりのイン側に置く。

 

「お前が抜くのは、セイウンスカイじゃない」

 

 そして、青のマグネット――ドロップスティアーを手に持ち。

 

()()()()()だ」

 

 それを、()()()()()()に置いた。

 

  ◇  ◇  ◇

 

(消え、た――)

 

 ドン、という足音が聞こえた。()()()()()()()

 セイウンスカイの視界、斜め後ろ。ドロップスティアーが居ない。

 そして、とんでもない速度で()()()()()をナニカが抜けていく。

 ナニカ。何か。何だ。

 ――決まっている。

 

「――あっ、はーーーっ!!」

 

 視界を逆に向ける。インを走る自分の、()()()()

 ドロップスティアーが笑いながら、()()()()()を駆け抜けていた。

 

(ウッソ、でしょぉっ!!?)

 

 セイウンスカイは目を見開いた。そして、見る。

 自分がインを走る第四コーナー、その先。そこに、()()()()()事に。

 その技はたった一度、中央に前例があった。先頭集団の中央からラチの無い空間を突いて前へと抜け出た、ある菊花賞ウマ娘の決まり手。

 ――()()()()()()()()()()()()()である。

 

  ◇  ◇  ◇

 

「スーパークリーク、さん……」

「お前は覚えてる筈だ。俺は最初に見せて、何度も見せて、理屈も教えた筈だ。京都の第四コーナーは、外回り・内回りコースの合流地点にラチが無い。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 スーパークリークの菊花賞。それは彼女の技巧と判断力が為した、内外にラチが無い地点と他のウマ娘の隙間を突く、僅かに開いた道筋を突き抜けての勝利だった。

 最終コーナーを抜けての合流地点、バ群の先に一時だけ空いた約五メートルという限りなく幅狭く細い道筋。しかし、どれだけか細く危険な道だろうが、一切の恐怖を抱かず笑って突っ込めるウマ娘がここには居る。

 

「序盤の偽装逸走は、セイウンスカイの脳裏に()()()()()()()()を焼き付ける。そんでレース後半、体力と共に鈍る頭は無意識に、()()()()()()イメージを思い出す筈だ」

 

 そして、プランSの()()()()()()()がここで発揮される。

 ドロップスティアーは大逃げのペースで一周目の第四コーナーを逸走する。そしてセイウンスカイはその瞬間を見極め、後ろから抜き去る。だが、それが二周目の最終局面で()()と化す。

 いつも大外捲りとして使ってきたコーナリング、逸走を防ぐ為に使ってきた技術。コーナーで加速しながら曲がって追い抜く為には、強引に外から仕掛けるしかない。そう考えてアウトを意識すれば、()()()()()()()()

 かといって、セイウンスカイ程のウマ娘が露骨に外へと膨らむ訳が無い。抜こうと思った瞬間、五メートルものスペースは空かないだろう。()()()()()()

 

「スーパークリークの最内突きは、遠心力が働くコーナーにおいて一瞬の隙間を縫ったからこそ高く評価された。だが、()()()()()()()()()()()お前の鋭角コーナリングは、五メートルどころか一人分の肩幅もありゃブチ抜けるだろ」

 

 直線的に曲がるという、ロスが存在しない机上の空論。その鋭角コーナリングは、五メートルという猶予すら必要としない。

 スパートの加速全開で、体の向きを真っ直ぐにしてコーナーを走れるなら、思考の間隙(かんげき)に生まれるその道へと突っ込める。たった一瞬、セイウンスカイが『外から来る』と考えた時のみ生まれる、京都にのみ存在する、ドロップスティアーのみが抜けられる。そんな最短の近道(ショートカット)を。

 

「この最終コーナーにおいて、お前の鋭角コーナリングは()()()()()()()()()()だ。セイウンスカイが完璧に読み切ったとしても、インを締めれば角度が厳しいコーナー終わりで失速する。そうなりゃ、フツーに外から抜いちまえばいい」

 

 そう言って名入は緑と青のマグネットの位置を逆転させる。その場合も、同じ事だった。

 億が一、スーパークリークの最内突きをセイウンスカイが予測出来た所で、元々外から最短距離のコーナリングを可能とするこの技は防げない。リードを取って逃げたいセイウンスカイが無理に内を守れば、遠心力に逆らう事で速度は死ぬ。

 名入は菊花賞の勝機を考えた時、真っ先にこの決まり手を思い付いた。それこそ張本人(オリジナル)以上の切れ味でこの技は出来るだろう、と。この瞬間にこそ、この異形のコーナリングは真の力を発揮するだろう、と。

 勝機(ここ)に至る為に全てを尽くした。勝機(それ)に届く為に何もかも賭けてきた。名入はそうしてきて、ドロップスティアーにそうさせてきた。

 ――だから。

 

「お前の技は、()()()()()()()()()

 

  ◇  ◇  ◇

 

(うっ、ぐぅ……!)

 

 セイウンスカイは、歯を食いしばる。食いしばりながら、()()()()()()

 鋭角コーナリングには、近寄るだけで相手を威圧する効力がある。故に想定外の最内を突かれた事で、セイウンスカイは強制的に外側へと膨らまされてしまう。

 ドロップスティアーは膨大な菊花賞の事前知識だけではなく、このレースより更に以前から、これに近しい幾つかの経験を持っていた。

 東スポ杯。コーナー間で視野が広いキングヘイローに対し、()()()()()()()()()()()()、死角となるインへと切り込んだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()では、先頭のウマ娘が一人分空けて走っていたインを、全力の鋭角コーナリングで追い抜いた。

 相手の視線が動く瞬間を見極め、死角に入りながらフル加速で最終コーナーのイン側へと切り込む。それにより、この”()()()()()()()()”と言える技は菊花賞で結実した。

 

「……こ、の、おッ……!」

 

 セイウンスカイは顔を歪め、悪態をつきたくなった。しかし、そんな余裕も最早無い。

 消えた様にしか見えなかった。自分が先頭の最内を走っていた筈なのに、いつの間にか其処(イン)に居た。一瞬全ての思考が抜け落ち、作戦も予想も何も及ばない場所へ切り込まれた。

 作戦通りに走る最中のセイウンスカイの視野は広い。だから外から来る、その瞬間を見ようとした。そう思った刹那の間だけ、イン側には限りなく狭い空間が生まれて。そして、かつてキングヘイローが東スポ杯でやられた事を、今度はセイウンスカイが受けた。

 ライスシャワー式マーク、姿を見せる技術。意識を誘導するマークを覚えた上で放たれた刹那の鋭角コーナリングは、『消えた』としか思えない程にセイウンスカイの思考を切り裂いた。

 

《せ、先頭ドロップスティアー! 内を突いて先頭っ! セイウンスカイ抜かれました、内に入ってきたドロップスティアーッ!》

「く、そぉッ!!」

 

 セイウンスカイは鋭角コーナリング特有の揺さぶりにより、外へとヨレた。しかし研ぎ澄ました思考が瞬時に体勢を立て直し、直線へ向けて軌道修正する。

 しかしこのコンマ秒の間、インの中のインを突き抜けたドロップスティアーは加速しきった状態で二バ身近く前へと出ている。そして自分が走る筈だった内側は、完全に奪われてしまった。

 この一瞬に生まれてしまった隙は、ただ抜かれるよりも致命的なロスだった。

 

(外しか、無いっ!)

 

 セイウンスカイは焦燥の中でも、正しい判断をした。それはつまり、ドロップスティアーから見て()()()()()()()()()()という事だ。

 直線で真横に並び競り合えば、かつて自分を打ち負かした震山脚(わざ)の驚異がある。最後に差し切るのが最大の対策だったが、今の技を受けてロスした脚では、最後の競り合いで速度勝ち出来ない可能性がある。

 だからマージンを取る。一歩だけ横に出る。()()()()()()

 

「――ッ、だああぁぁぁーッ!!」

 

 策士だのトリックスターだの、そういった肩書きや自負を全てかなぐり捨てる様に。セイウンスカイは脚を全力で回しながら、大きく吼えた。

 400メートルの直線。ここまで来れば、策も何もあったものではない。まさしく”勝負所”、彼女はとんでもない切り札を針の穴の様な一点に通してきた。

 この一点のみを狙い穿つ、どこまでも彼女らしい技。見事としか言いようが無い。だが、ここからは平地の最終直線。作戦も技も小細工も、互いに使い果たしている。

 ここに至るまでが、作戦の勝負だった。ここに至る為の、作戦だった。

 ――だから。

 

(鈍らされても――私の作戦は、崩れちゃいないッ!)

 

 セイウンスカイの大逃げに見せかけた幻惑の作戦。それを見抜けたのは、ドロップスティアーただ一人。他は全員、まだ後ろに控えている。

 逃げにとって最も恐ろしいのは、競りかけられてペースを崩される事。それを思えば、これまで作戦を読み切られるという計算違いこそあれど、自分の作戦その物が破綻した訳では無かった。

 ただ、歯車が鈍っただけ。脚は回る。体力は残っている。そして何より、心が燃えている。

 アイツに負けるなと。勝つのは自分だと。ただそれだけで良かった。

 追いついて、追い抜いて、それで勝つ。それだけで、良い。

 

「私がっ――勝つんだッ!!」

 

 抜かれたセイウンスカイが、たなびく藍の髪に向かって猛追を始めた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

(――あぁ、そう。そういうカラクリだったのね)

 

 先団の中央。キングヘイローは坂を下り終える前に、セイウンスカイらの思惑を理解した。

 大逃げだったのは途中までだった。平地の多いこのコースで、息を入れていた。先行するウマ娘らは大逃げのペースに付き合うまいと距離を取り、それに合わせて後ろのウマ娘達もまとめてペースを抑えてしまった。

 これを見抜いて、ドロップスティアーはセイウンスカイに張り付いていたのだ。それらの事実をキングヘイローは、この終盤で見抜いた。

 

(よくもまぁ、そういう事考えたわね。あなた達は本当に、揃うと厄介だわ)

 

 完全に思惑にハマっていた、そういう自覚はある。周囲と一緒に、自分もセイウンスカイ達のペースダウンに気付けなかった。作戦の手中にあった。

 しかし、キングヘイローはあくまで冷静だった。冷静に先団の内を守って走りつつ、最後の直線に備える。この長距離の中、頭は鈍りかけている。恐らくはドロップスティアーが付けた物か、上り坂に刻まれていた足跡に取られた脚も鈍っている。

 ――()()()()()にあった足跡に、取られた脚が。

 

(距離は遠い……最内のアレに気が付いてなければ、終わってたわね……)

 

 ドロップスティアーの仕掛けた罠、上り坂の足跡。これは一周目と二周目の坂を走る、二人分のスペースに仕掛けられた。

 しかし、()()()()()()()二周目の足跡は、いくらか浅かった。先団を牽引していた三番手のウマ娘が脚をもつれさせている様子を見て、嫌な予感がしたキングヘイローは、事前にそこから逃れる事が出来ていた。

 そして、この最終コーナーでセイウンスカイの作戦に気付けた。()()()()()()作戦を、王の目は看破した。そして、このまま最終直線まで控えていれば届かないと悟った。

 ――だから。

 

「このキングから……そんな簡単に、逃げ切れると思わない事ねッ!」

 

 最終コーナーが終わる前、坂の下り。そこからキングヘイローは脚を回し始めた。

 二度の坂を越えた脚はすでに重い。このまま直線に入れば、いつもの切れ味は出せない。だからこの下りの傾斜が残る部分を、自分の加速路とする。

 限界に近付き重くなっていた脚が、速さを得て一時軽くなる。自分の脚が、自分の言う事を聞き始める。

 あと二ハロン、たったそれだけの間だけ保てば良い。ただそれだけで良かった。

 駆け抜けて、届かせて、差し切る。それだけで、良い。

 

「勝つのは――私よッ!!」

 

 コーナーの内側からバ群を抜けたキングヘイローが、猛進を始めた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

(――このままなら、負ける)

 

 後方に控えていたスペシャルウィークは、そう感じていた。

 差しとして控えていた彼女は、イン側に刻まれた罠に引っかからない外側を走っていた。そして何故か足取りが乱れた内側の先団を自然と抜いていき、大きく距離を離して逃げ続けている二人の姿を見た。

 セイウンスカイが自滅するとは考えない。ドロップスティアーが落ちるとは考えない。キングヘイローがバテるとは考えない。

 ()()()()()()

 

(……行くんだ)

 

 直観。幼少期より育ての親に鍛えられた感性(センス)が、命じている。このまま控えていれば、最終直線でどれだけ速く走っても届かず、負ける。

 小難しい理由付けは要らなかった。自分がそう思った、それだけで十分な理由となる。そして彼女達は強い、それ以上に大きな理由など何処にも無い。

 スペシャルウィークの脚が、少しずつ前へと行き始める。縦長の隊列の外からコーナーを回り、坂で加速し始める。

 このコーナーの坂はゆっくり下るのがセオリーであると教えられた。()()()()

 

(行くんだ)

 

 心が告げている。このまま走れば、自分は負けるのだと。

 心が言っている。このまま負けたくないと、勝ちたいと。

 心が叫んでいる。()()、と。

 ――だから。

 

「……行くよ……みんなッ!」

 

 スペシャルウィークは目を見開く。坂を外から駆け下り、速度を上げ始める。

 溜め続けた脚の熱を、心の熱を、一気に解き放つ。目的は唯一つ、ここから全員抜き去る事。

 ドロップスティアーに勝つ。セイウンスカイに勝つ。キングヘイローに勝つ。

 シンプルだ。それ以上に考える事などありはしない。ただそれだけで良かった。

 走って、走って、走り抜ける。それだけで、良い。

 

「私が――勝つッ!!」

 

 コーナーの大外を回りながら全速に達したスペシャルウィークが、猛然と化した。

 




真・鋭角コーナリング

この小説の最初期から考えていた展開です。ここに至るまでめっちゃ時間かかりました。

Chama.様より再び、当小説のトレーナー・名入の支援絵を貰いました。再度この場でお礼申し上げます。
ちゃんとロクデナシっぷりが滲み出てて素晴らしいです。最近有能なシーンが目立ってましたが、元々こういう感じのトレーナーです。

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