ヤマ娘 ~Crazy Derby~   作:灰の熊猫

99 / 104
ファウル・ビリヤード編

「――おい、そこのお前。ちょっと私に付き合えよ」

「はい? ……えーと。どなたです?」

「シリウスシンボリだ。……はっ。アイツの話通りか、世間知らずってのは」

「……”シンボリ”?」

 

  ◆  ◆  ◆

 

 夕暮れ時。寮に帰る直前にドロップスティアーは、何故か初対面のウマ娘に声をかけられ、その有無を言わさぬ圧力に従わされる様にホイホイとその背に付いて行っていた。

 何の事情も聞かされず知らない人やウマ娘に付いて行ってはいけない。それは当たり前の事ではあるのだが、”シンボリ”というビッグネーム一つでドロップスティアーはそのウマ娘を信用した。

 最早再三という単語ですら言えない事柄だが、ドロップスティアーはトゥインクル・シリーズや中央トレセン学園の事情について疎い。正確には知識が極めて偏っており、興味も限りなく狭い。

 なので、学園内ではシンボリルドルフに匹敵する有名人たるそのウマ娘についても、完全に無知であった。

 

「ここだ。入れ」

「……えーと。どこです、ここ?」

「単なる遊び場の一つだよ。怯えんな、別に取って食おうって訳じゃねえ」

「いや、怯えるとかじゃなくて。ここまでの道全然覚えてないんで、寮に帰る時も送ってもらっていいです?」

「……私を使おうってか。良い度胸してんな、お前」

 

 その無言の背中に付いて行った場所は、怪しげな空気が醸し出されていた。薄暗い路地の奥、自己主張の強いネオンライト、その目を引く光の矢印が示す”WELCOME”の看板が付けられた扉の建物。

 ドロップスティアーにとって、今居る場所はこれまでの人生において全く経験が無い空気はあったが、シリウスシンボリの言う様な恐怖は欠片も抱いていない。ただ、寮に帰る道が分からないのは困るというだけである。

 本当に”だけ”なので、軽く威圧的に言われた『良い度胸』の意味すら分かっていない始末だった。

 

「――わー! すっごい! オシャレな空気ですね、ここ! ビリヤードなんて初めて見ましたよ自分!」

「声がデカい。ビリヤード場は静かに、がマナーだ。二度言わせんじゃねぇぞ」

「ダーツ! ダーツですよねアレ! あはー! すごい大人っぽいですー!」

「……言わせんじゃねぇぞ、って言ったよなぁ? 声も含めてデカい犬かお前は」

「あっ、はい。すみません、ついはしゃいじゃいました」

 

 シリウスシンボリが扉を開けた先には、薄暗めの遊技場だった。多数のビリヤード台が並び、壁際には輝くダーツボードが並べられている。

 地元のド田舎には無い、ビリヤード・ダーツ場。いかにも熟成した空気が満ちた場所に対し、ドロップスティアーはウキウキオーバーリアクションで喜色を見せた。

 瞬間。敵意にも近い視線が、その場の全方位からドロップスティアーへと突き刺さる。

 

「シリウス先輩。なんですか、そのうるせーの?」

「今いいトコなんで、ちょっと黙らせて下さいよ」

「悪いな、初めてのお子様だ。私の連れって事で、最初は目を瞑ってやってくれ」

「……んっ……」

「いや目を瞑れってのはお前に言ってんじゃねえよ、ドロップスティアー」

 

 ビリヤードやダーツを楽しんでいたウマ娘達が、自分達の集中を邪魔するバカ声に不快感を抱いた。それをシリウスシンボリは宥めて、何故かドロップスティアーが真っ先に言葉に従った。

 このビリヤード場は、シリウスシンボリの後輩が主に集まる学外の溜まり場だった。ドロップスティアーの知らぬ事ではあったが、中央トレセン学園には幾つかの派閥が存在し、その最大級の集団がシリウスシンボリを中心として集まるアウトロー寄りの生徒達である。

 勝者よりも敗者の方が多い中央において、レースの世界の裏にある影。調子・実力・結果、そのどれかが伸び切れず、生徒会やトレーナー達の手が届かない所で燻り続けるウマ娘達。

 そんなウマ娘達は、揃ってシリウスシンボリの元に自然と集う。綺麗事は言わず、己の判断と意志を尊重し、しかし時には親身になってくれる。”皇帝”とはまた異なるカリスマ性、その”一等星”の輝きに導かれて。

 

「そんで……えーと、シリウスシンボリさんでしたっけ? なんで自分、こんな所に連れてこられたんです?」

「前々からお前には興味があってな。お前、アイツを負かして中央に来たんだろ? それも、滅茶苦茶笑える方法でよ」

「アイツ?」

「皆の憧れ、お前をここまで導いて下さった”皇帝”サマだよ。ルドルフ直々のスカウトって事で話聞いた時は、腹抱えて笑わせて貰ったぜ」

 

 が、夜空を照らす星の輝きも、世界(レース)の外からやって来た異星人(バカ)は知らぬ。恐縮だとか遠慮だとか、シリウスシンボリ相手に抱く当然の感情も湧かず、ドロップスティアーは何故自分が初対面のウマ娘にいきなりこんな所へ連れてこられた事だけが気になっていた。

 しかし気になっていたという興味だけならば、シリウスシンボリの方が圧倒的に上だった。シンボリルドルフが自ら地方からスカウトしてきたウマ娘というだけで驚愕に値するが、その経緯があまりにもトンチキであった為に。

 シリウスシンボリはシンボリルドルフへ、何故ドロップスティアーというウマ娘を拾ってきたのかと訪ねた事があった。そして”皇帝”らしからぬ苦笑いで語られた理由は、当時のシリウスにとってトップクラスの笑い話だった。

 

「レースも知らないド素人がアイツに勝った、そう聞いた時は耳を疑った。が、詳細を聞いてみりゃポコポコと笑い所が満載。痛快だったぜ、あの皇帝サマが反論もせず私に笑われ続けたあの時はよ」

「ルドルフさん相手にアレの話で笑い飛ばせるって、やっぱスゴい方なんですね……名前的に家族の方とかだったりします?」

「単なる昔からの腐れ縁だ。シンボリって名前の家は広いんだよ、色々とな」

 

 ドロップスティアーの山道勝負、その一部始終。シンボリルドルフにある種完全な敗北を押し付けた内容は、シリウスシンボリにとって最高のエンタメであった。

 ”皇帝”がどんな走りで足を掬われたのかと思えば、足の速さはほぼ関係無し。そこにあったのは理不尽なコース・ルール・裏道・裏技。頭が良いのか悪いのかまるで分からない、そんな手口の果てにシンボリルドルフは全力を出させられ、そして負けた。

 そんな事あるか普通。そんな事考えるか普通。そんな事で全力出すか普通。爆笑と共に語り部のシンボリルドルフへそう突っ込んでも、返ってくるのは苦笑いのみ。その時のシリウスシンボリは、笑いによって腹筋が連鎖破壊寸前にまで陥った。

 そんな過去もあり、シリウスシンボリは以前よりドロップスティアーへ興味を抱いていた。

 

「で、だ。散々アイツを私に笑わせてくれた奴ってのもあって、私は元々お前と話したかった。流石にいきなり連れてこられた中央(こっち)に慣れず、おたおたしてる途中に声かけようとまでは思わなかったがな」

「ほえー。光栄、です? ……あれ、でも話するだけなら学園でも良くないですか?」

「いいや、此処が良い。お前、勝負事が大好きなんだろ?」

 

 それを聞かされたドロップスティアーは、そっかーと極まった淡白な感想を抱いた。目の前のウマ娘が自分より偉大な存在である事は、ヤマ勘でなんとなく分かる。

 しかし興味を持った、それはビリヤード場に連れてくる理由に繋がらない。話をするだけなら寮なりなんなり、トレセン学園のどこでも場所はある。わざわざ学園から完全に離れた知らない所まで連れ込む必要は無い。

 しかしシリウスシンボリとしては、此処でしか話せない――測れない事があると思っていた。

 

「私とも勝負しろよ」

「……はいっ?」

「あぁ、勝負っつっても恨みだとかそういう類のは全く無い。単なるお遊びがしたいだけだ」

「お、お遊び……?」

 

 シリウスシンボリがこの場所へ連れて来たのは、勝負をする為だ。”皇帝”にバカみたいな方法で負けを認めさせたバカが、自分と相対するとどんな事をやるのか。それが知りたかったから、このビリヤード場へと呼んだ。

 当然だが、別にシリウスシンボリにはドロップスティアーへ敵意は欠片も無い。むしろこれ以上無い笑い話のネタになってくれた感謝の念すらあり、勝負をするモチベーションその物は大して無い。

 単に興味があるから、”勝負”という名ばかりのお遊びをしたい。シリウスシンボリがドロップスティアーを呼んだ理由は、それだけの事だった。

 

「ビリヤード、初めて見たっつったな? ルールは分かるか?」

「玉を棒で突いて、なんか全部入れれば勝ちって事だけは……」

「オーケー、全然知らねぇって事だな。今回はそれで私と勝負してもらう」

「えぇ……?」

 

 シリウスシンボリはビリヤード台近くに立て掛けられたキューを二本取り、ビリヤードの球を並べるラックシートを手に取る。

 ドロップスティアーにとって、ビリヤードは『なんかオトナっぽい競技』という認識でしか知らない勝負(ゲーム)である。なので当然ボールやキューに触れた事すら無ければ、基本中の基本であるナインボールのルールもまるで理解出来ていない。

 しかし、それでも良いとシリウスシンボリは思っていた。別にこれは本気の勝負では無い、単なるお遊びだ。そしてお遊びでありながら”勝負”とした場合、この変人がどの様に自分に挑むのか。それを見極めたいだけなのだから。

 

「別に球を全部入れる必要は無えよ。一番ボールから低い順に番号の球を当てなきゃならねえのは確かだが、途中で最後の九番ボールをポケットに入れてもいい。……こんな風にな」

 

 完全なるド素人であるドロップスティアーに対し、シリウスシンボリはナインボールの限りなく簡略化された手本を見せる事にした。一番ボールをテーブル上の大体の初期位置に置き、九番ボールはポケットの近くに置く。

 そして一番ボールから見て逆側の場所(スポット)に白い手球を置き、キューを持つ。テーブル上に掌を置き、人差し指と親指で輪を作り、握ったキューを通す。

 握ったキューの真上に顔・肩・肘を真上にする様に前傾する。これら一連の流れ、基本中の基本の構えを、シリウスシンボリは素人にも分かる様にゆっくりと作ってみせた。

 

「……そら。コレで勝ち、だ」

「わー……! かっけーです……! めっちゃオトナです……!」

 

 整えられた構えから、整ったショットが放たれる。打ち出された白球は真っ直ぐに一番ボールに当たったかと思えば、まるで吸い寄せられる様にポケット近くの九番ボールへ斜めに弾かれ、それにぶつけられた九番ボールはポケットの中へと流し込まれた。

 二球しか存在しない状況下(テーブル)など、シリウスシンボリにとっては目を瞑ってもミスはしない。そしてそんな状況など、ビリヤードの試合ではそう起こりえない。なのでこれは、本当にただの手本である。

 手球を撞き、一番小さい番号の的球に当てていき、最終(ナイン)ボールをポケットに落とす。極めて単純明快な、今回の勝負のルール説明だった。

 

「と言っても、的球は九個もある。ルールも知らなかったド素人のお前がそもそも私に勝てる可能性は億に一つも無え。だから、ハンデはやる」

「ハンデ、ですか?」

「ああ。お前お得意の反則、ファールを許す。三回までなら、当てる順番も気にせず打っていい。好きなんだろ、そういうの?」

「あの、自分が反則大好きって誤解してません? 一応自分、ルールの中で勝負してきたつもりなんですけど?」

 

 しかし、キューを握った事も無い初心者がシリウスシンボリとビリヤード勝負した所で、それこそ結果は見るまでも無い。なので当然、ハンデは与える事にした。

 三回のファール。一番から九番まで順番に当てなければならないルールの上で、別にどの球に当てても良い。事実上、ミスショットを三回まで合法とする圧倒的なハンデ。

 このルールであれば、目標たる九番ボールを最初に狙っても良い。それに気付きさえすれば、この勝負の難易度は劇的に下がる。だからシリウスシンボリは思いっ切り手加減して手番を渡してでも、ドロップスティアーがこの反則(ルール)にどう挑むかを眺めようとしていた。

 ちなみにドロップスティアーはルールの範囲内で様々な手口と抜け道を考えるのが好きなだけで、別に反則が好きな訳では無い。なので反則好きと思われる事は、ウルトラ不本意な事であった。

 

「良く知りませんけど、ビリヤードの反則って他にもあるでしょう? ルールブックとかあります?」

「ここにある。だけど幾つかは少しややこしいし、実戦ではそう起こらないルールの方が多いぞ」

「……んー……あ。この”スクラッチ”っての、自分がやったらどうします? 白い球落としちゃったら、どこに置き直せば良いんですか?」

「成程……そうだな。良いぜ、お前がスクラッチしても、お前の手番のままフリーボールで良い」

 

 だが、ビリヤードにおけるファールは当てるべき的球の順番だけではない。いきなりそこに目を付けてきたかと、シリウスシンボリは少し感心した。

 ビリヤードではファールをした場合、相手へ手番だけでなく手球の位置まで譲る事になる。しかし今回、シリウスシンボリは三回のファールを許すと宣言している。

 これはどんなミスショットをしても三回まではそのまま手番を続行しても良いという事になるが、その過程でスクラッチ――手球がポケットへ落ちてしまった場合、続行どころでは無くなる。何せ手番が続こうとも、打つべき手球がテーブルに存在しなくなるのだから。

 真っ先にそこに気付いたご褒美として、シリウスシンボリは特例的に手番の続行とフリーボールの権利まで譲る事にした。この反則を使えば、ドロップスティアーは打つべき順番どころか、九番ボールに近い位置まで得る事が出来る。

 

「のーくっしょんふぁーる……? は、良いとして……え、『手球がクッションにタッチしてる時に押さえ込んだと判断された時』? まるで意味分かんないんですけど?」

「そこまで読み込むのかお前。……テーブルの縁に球がある時、縁方向に打ったらダメってルールだよ。球が縁にめり込んだらどっちも痛むだろ、普通誰もやらねえが」

「ほえー……色んな反則あるんですねー……」

 

 しかしその新たな圧倒的ハンデを得た後も、ドロップスティアーは説明書に書いてあるビリヤードのルールをしっかりと読み続けていた。

 ビリヤードのファールの幾つかは、普通にプレイしようと心がけていれば全く起こり得ない物も多い。なので経験者も知らない様な公式ルールも存在する。

 それも含め、ドロップスティアーは目を通していく。ドロップスティアーはルールの範囲内であればなんでもする。そして今回は、”三回のファールが許される”まで含めてルールだ。ならば、全てのファールを確認すべきだろう。

 正直小難しくて良く分からない所もあったが、初心者なりにドロップスティアーは頑張って今回の反則(ルール)を呑み込んでいった。

 

「えぇー……あぁー……んぅー……。……よし、大体ルール分かりました! やってみます!」

「ああ。別に力入れなくていいぞ、どうせ遊びなんだ。こっちもそこまで期待しちゃいねえよ」

「そんなのシリウスシンボリさんに失礼じゃないですか。やるなら本気で勝ちに行きますって」

「……へぇ。小生意気に言ってくれるじゃねえか」

 

 ルールブックと長時間にらめっこした果てに放たれたドロップスティアーからの返答に、シリウスシンボリは好戦的な笑みを浮かべる。

 ビリヤードを見た事も無い、ルールも知らない、キューに触った事も無い。ハンデを渡したとはいえ、そんな事など些細なレベルのド素人。正直真っ直ぐボールを撞く事が出来れば超上出来という中で、ドロップスティアーは勝ちを狙うと宣言した。

 正直、シリウスシンボリとしてはこの勝負の勝ち負けはどうでもいい。重要なのはこのウマ娘の”勝負”に対する姿勢と度胸。そこから見える本質を見極めたいだけだ。

 期待はしていない。ファール三回、その猶予が無くなれば冗長となり飽きる前に、シリウスシンボリは勝負を終わらせるつもりだった。

 

「ばんきんぐ? でしたっけ、それからスタートなんですよね、早速やりましょうよ」

「ブレイク権も最初から譲るつもりだったが……そこまで公平にする気か?」

「いや、ぶっちゃけ打ち方を確認したいだけです。えーと……ほら、ここ。『勝った方が()()()を得る』ってあるじゃないですか、シリウスさんが勝っても、最初の手番下さい」

「本当に良く読んでんな……別に良いがよ」

 

 シリウスシンボリはキューをドロップスティアーに渡しながら、目の前のウマ娘が本当にルールを咀嚼している事に驚かされた。

 ビリヤードの手番は最初に二人が並んでボールを撞き、テーブル上を一往復させてレールの近くに上手く寄せた方が最初の手番を得る。だがそれは、あくまで一般的な話だ。

 競技規定・第一条の第一項。『バンキングの勝者がサーブの選択権を得る』、即ち最初に勝ったからと言って手番が確定する訳では無い。特にメリットは無いが、バンキングに勝った上で相手に手番を渡すのはルール的に合法な行為なのだ。

 ドロップスティアーは勝負に対しては真摯である。真摯な上で、その横道や裏道を探す。シリウスシンボリはこのやり取り一つで、そのスタンスを垣間見た。

 

「よーし、やっちゃいますよー! ……あ、出来れば自分が打ったの見てから打って下さい。モタモタしてたら、その時点でバンキングは負けなんでしょ?」

「……第四項だな。そこまで厳密にやる必要あるか?」

 

 バンキングのルールの第四項、『相手のバンキングしたボールが往復し、中央に達するまでにバンキングを行わない場合、そのバンキングは自動的に負けになる』。それはただ、最初の時点でぼけっと突っ立ってはいけないというだけのルールだ。

 原則最初の手番決めは二人揃って打つのがマナーであり、片方がボールを打ったのを見てもボールに触れすらしないという事は起こり得ない。しかしドロップスティアーはまず打ち方を確認する身であり、ボールを撞くまでが物凄く遅くなる。なのでシリウスシンボリが普通に打った場合、このルールに抵触する可能性があった。

 当然最初からハンデを与えるつもりのシリウスシンボリに、そんなルールの穴を突く様なつもりは欠片も無いのだが。

 

「えーと……こうして構えてー……んぐぐ……」

「……肩の力抜けよ。とりあえず最初は当てれば良い」

「こういうキュークツな姿勢、苦手なんですよぉ……」

 

 そしてバンキングの為に二人はボールをテーブルに置き、初心者丸出しの見様見真似、ガタガタぷるぷるのフォームでドロップスティアーはキューを構える。ちらちらとシリウスシンボリの構えを見てやってこそいたが、どこからどう見ても力みまくりのその姿勢は、まともなショットが欠片も期待出来ない代物だった。

 ビリヤードは完全に初めてのプレイヤーが見様見真似で出来る程、簡単で手軽なゲームではない。手球を真っ直ぐ飛ばす、それが出来て初めて”勝負”の場に上がれる。だが、今のドロップスティアーにそんな事などまず不可能だろうとシリウスシンボリは確信していた。

 それでも尚、この目の前のウマ娘は生意気にも勝つ事を目指す、と言い切っている。九割以上期待していないが、一パーセントぐらいはその言葉を信じたいという気持ちはあった。

 

「――ふんすっ!」

「……ハズレだな。有り得ないぐらい、見事に」

 

 そして一パーセントの期待を抱いての第一球。それはシリウスシンボリが撞く前から勝負が付いた。

 ドロップスティアーがキューを力任せに突いた結果、その先端はボールの頭上の虚空へと行った。いやそうはならんやろ、そんなレベルで力強い空振りをかました。

 論外である。最も撞きやすい場所と状況において、手球にキューが掠りもしない。一パーセントの期待は、たった今ゼロと化した。

 あれぇ? と小首を傾げるドロップスティアーを冷めた目で見ながら、シリウスシンボリは普通にボールを撞く。丁寧に撞かれた手球は奥のクッションへと飛び、スタート地点よりさらに手前・クッションからミリ単位の場所まで戻ってきた。

 

「……これで選択権はこっちになったが……その調子だと、ブレイクショットも出来るか怪しいな、お前」

「しょーがないでしょー! こんなの初めてですもーん!」

「分かった分かった、良く分かった。ブレイクショットだけはこっちがやってやる。お前は球が散らばった状態からスタートで良い」

 

 こうしてバンキングどころか、殆ど勝負の行方まで決着が付いた様な状態で、シリウスシンボリは最初の一球だけ代行する事にした。正直、この調子ではブレイクショットが成立するまでに何十分かかるか分かったモノではない。

 シリウスシンボリは名家の出であり、ビリヤードを含む数々の遊戯も常識レベルな教養として覚えてきた。そしてビリヤード初心者の後輩生徒にもやり方を教えてきた身ではあるが、狙って掠りもしないというレベルの無才を見たのは初めてだった。

 期待はもうしてないが、勝負が始まりもしないのは困る。なのでシリウスシンボリは、とりあえず勝負の土台だけはお膳立てしてやる事にした。

 

「じゃ、始めるぞ。……このぐらいか」

 

 九個のボールをシートの上に菱形に並べて、シリウスシンボリは第一打を構えた。しかし低確率とはいえ、全力で打ち込んでいきなり九番ボールが落ちるのも宜しくない。

 なので、九割。ほんの少しだけキューのストロークを狭く取り、いきなりゲームセットという事態が起こらない様に加減する。

 ――そして。

 

「……フッ!」

「おわーっ! うぉー、すっごー……」

 

 シリウスシンボリが強く打ち出した手球が、的球達を小気味良い音と共に一気に弾き飛ばした。

 四方八方、縦横無尽。規則的に揃えられていた的球達は”ブレイク”の名の通りに一発で打ち崩され、弾かれた球達はあちこちに飛散し、そして一部の球はぶつかり合った果てに台上からポケットの奥へと沈んでいった。

 テーブルの上に残ったのは五球。そして九番のボールはあちこちに的球が弾かれた余波を受け、幸運な事にポケットから数十センチ程度の所に転がっていた。

 手球が対角線的に距離がある所に転がり、間には避けられないだろう二つの的球が残っている事を除けば。

 

「……さて。ドロップスティアー、お前はコレでも私に勝てるってのか? 言うまでも無く分かってるだろうが、私に手番が回った瞬間終わりだぞ」

「んー……ムズイですけど、頑張れば?」

「面白え。やってみせな」

 

 そう言ってシリウスシンボリは、ドロップスティアーへキューを渡す。

 この勝負にドロップスティアーの勝ち筋は全く無い。キューで盛大に空振りするレベルの素人が、狙った方向に正確に撞く事が出来る訳が無い。しかも九番ボールの前には、二つの障害が転がっている。

 そして狙った方向へ撞けないなら、先程言及した特例のファール――意図的なスクラッチもそう出来ない。的球を狙うよりはポケットを狙う方が遥かにマシだが、どちらにせよ狙いが定まらないのは致命的である。

 それでも尚、ドロップスティアーはこの勝負を『ムズイ』程度に捉えている。勝つ気で居る。ならば、精々見せてもらおう。

 あの皇帝をバカみたいな手口で負かした、バカの目論見を。

 

「ファールは三回まで、でしたよね?」

「ああ。三回だけなら好きにしろ」

「スクラッチとかしても、手番は続行して良いんですよね?」

「二言はねえよ。さっさとやれ」

「……よし。いざ、挑ませてもらいますよ……!」

 

 入念な確認を取り、ドロップスティアーはキューを握り締める。

 この勝負は、極めて分が悪い。どれだけ反則が許されようが、ビリヤードで球を撞く事がどれだけ難しいかは先程恥と共に思い知った。

 だが、幸いな事に。この状況であれば、()()()()()()()勝ち筋がある。それを通せるかどうか、ギリギリの一発勝負。

 という事でドロップスティアーは、今回のルールをシリウスシンボリに再確認し、いつも通り()()()()事にした。

 

「――行きます!」

 

 そう言ってドロップスティアーは、()()()()()()()()()()()

 

「……?」

 

 気迫を入れたと同時に、いきなりキューを手放した。それにシリウスシンボリが困惑する。

 しかし次にドロップスティアーが取った行動は、もっと訳が分からない事だった。

 

「よいしょ」

「は?」

 

 ドロップスティアーは、()()()()()()にした。

 

「そーっと、そーっと……」

「は??」

 

 そして掴んだ白球を持ち上げ、歩いてゆっくり丁寧に()()()()()()を通過させていく。

 

「……行けぇっ!」

「は???」

 

 そして全てを文字通り乗り越えた白球を手に掴んだまま、()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()。そうとしか言えない手口を受けた九番ボールは弾き飛ばされ。

 

「入れ……入れぇっ!」

「…………」

 

 無駄に真剣なドロップスティアーの祈りの言葉を受け、九番ボールはポケットへと落ちた。

 

「――勝った」

「いや、『――勝った』じゃねえよ。何がだよ。やり切った風な雰囲気を出すな」

 

 心底安堵の声を漏らすドロップスティアーに対し、ようやくシリウスシンボリはツッコミを入れた。顔を引きつらせながら。

 今このウマ娘がやった一連の行動は、ビリヤードのビの字も存在しなかった。真剣にビリヤードという球技その物に謝って欲しい、そう思うレベルの蛮行。

 しかしそんなシリウスシンボリの批判の視線を受けても、ドロップスティアーは何一つ悪びれずにやり切った感を出していた。普通にムカついた。

 

「一応確認しとくが……お前、真剣にこれで勝ったと思ってんのか? 正気で言ってんのか?」

「え? 九番ボール、落ちましたよ? じゃあ自分の勝ちじゃないですか」

「……オーケー、一応言い分ぐらいは聞いてやるよ。お前の一連のバカな行動の、どの辺がビリヤードかってな」

 

 シリウスシンボリは一周回って冷静になっていた。その位目の前で行われたドロップスティアーのやり口があまりにもあんまりな有様だった為に。

 ビリヤードなのに、キューは完全に無使用。手球を手に持って、九番ボールにぶつける。最早ファールとかそんな以前の、子供でもやらない様なゲームの完全無視。そんな事をやらかしておいて尚、このバカは自分の勝利を主張している。

 あれだけルールを読み込んでおきながら、何の考えも無しにこんな事をやったとは思えない。なのでシリウスシンボリは、このバカ娘の思考回路が壊れてないか取り調べを行う事にした。

 

「この勝負、自分は三回までファールして良かったんですよね?」

「ああ。お前のやった事はファール以前の問題だがな」

「立派な”ファール”ですよ。ルールには、『球を手に持ったらダメ』ってあるじゃないですか」

「……第二条か」

 

 シリウスシンボリはドロップスティアーの汚れなき真っ直ぐな瞳を見せられながら、最早ルールブックを見るまでもなく諳んじる事が出来る規定について思い出す。

 ファール規定・第二条の第三項。『手球・的球を誤って手に持った場合』、それは確かにファールと見做されて手番は交代となる。

 とはいえ、これは本来手球と的球を勘違いして触れてしまった場合のルールの為、今回は明らかに『誤って』の事では無いのだが。

 

「で、そのルール。確か『キューの先っぽのとこ以外で叩いちゃダメ』ってのもありましたよね? つまり、()()()()()()()()()()なんでしょ?」

「…………」

 

 その言葉に、シリウスシンボリは顔を歪める。同じくファール規定第二条・その第一項。『タップ以外の部分で手球を撞いた場合』。

 これは例えばドロップスティアーがバンキングでミスした様に、キューの狙いが誤った方に逸れ、キューの先端以外――下側などで擦ってあらぬ方向に転がったミスショットをファールとするルールだ。

 しかしこの表記を額面通りに捉えるならば、()()使()()()()()()()()()()()とも言い換えられる。だからドロップスティアーは、()()()()()

 

「最後に、シリウスシンボリさんが言った『当てる球の順番を無視する』。()()()()()です」

「……三つ?」

「はい。ファール三回まで許してくれるんなら、()()()()()()()()()()()良いでしょ?」

「……成程、良く分かった。皇帝サマも呆れ果てる、お前のバカさ加減がな」

「ヒドくないです?」

 

 いけしゃあしゃあと抜かしたドロップスティアーの言葉に、シリウスシンボリは大きく溜息を吐いた。

 ドロップスティアーは三回までファールを許された身である。だから、()()()()()()()()()()()()()()事で、強引に勝ちに行った。取り調べから得られたその供述に対し、シリウスシンボリが脳内の調書に記した事はただ二つ。

 そんな事考えるか普通。ビリヤードをしろ。以上二行で、調書は完結した。

 

「……あんだけルール読み込んでたんなら、スリーファールについても知ってるだろ。そのルールに則ったら、お前の負けだぞ」

 

 なんかもう呆れ果ててどうでも良くなってしまったが、一応シリウスシンボリはこの話をちょっとだけ掘り下げてみる事にした。どうでも良すぎて、少しだけ付き合ってやろうと思った。

 スリーファール。ビリヤードにおいて、三回連続でファールをしてしまったプレイヤーはペナルティとして、その時点で敗北となるルールの事である。

 三回までファールを許すとは言っても、全て連続で許すとまでは言ってない。ハンデを与えた身としては半ばイチャモンに近い物言いではあったが、ルールを読み込んだ上で犯行に及んだだろう加害者はそれについてどう思っているのか、本当に一応聞いてみた。

 

「えーと、『ゲーム中に続けてファールしちゃダメ』でしたっけ? でもさっきは自分、()()()()()()()()()()()しましたよ? 複数のファールが同時に起きた時のルールってあるんですか?」

「…………」

 

 それに対しても、ドロップスティアーは毅然と自分の犯行の正当性を主張した。

 スリーファールはワンゲームの最中、自分の手番が回ってきた際に連続してミスをする事を指す。しかし今回のドロップスティアーは、()()()()()()()()にミスを複数犯した。そんな異常行動を咎めるルールなど、存在する訳が無い。

 三連(スリー)ファールではなく、三重(トリプル)ファール。本来ファールした時点で手番が移る、それがビリヤードの基本ルールだ。しかし今回に限り、()()()()()()()()()()()

 何せ、ドロップスティアーは事前にこっそり確認していたのだ。『スクラッチ()()しても手番は続行していい』、と。それはつまり、スクラッチを含む()()()()()()()()()()()()()するという確認でもあった。

 故に、手球を掴んでも手番は続く。そして手球で直接ボールを撞いても、自分の手番のまま。そして九番ボールが入れば、ファールでも勝利である。そんな超絶屁理屈こそが、この理不尽を招いた。

 そこまで言われて、シリウスシンボリは諦めた。もうルールとかファールとか勝負とか、それ以前の問題をやらかされた。だが、このウマ娘があの”皇帝”をどれだけ呆れさせたのかは、当初考えていた以上に自分の身を以て理解出来たから。

 

「……もう、それで良い。良いが、手球はしっかり拭け。垢で汚れりゃ、他の迷惑になる」

「はーい」

 

 勝ち負けが心底どうでも良くなるレベルの手口を、シリウスシンボリは一応認めた。が、今回の犯行の責任として、代わりに雑巾をドロップスティアーに投げつけた。

 それを素直に受け取り、ドロップスティアーは自分が先程掴んだ手球全体を拭き取っていく。さっき好き勝手やり尽くした人物と同一とは思えない、極めて丁寧な手付きで。

 やらかした事は戦犯レベルだが、こういった部分は無駄に丁寧である。どうにもアンバランス極まりない態度の変化を見やりながら、シリウスシンボリは一つの疑問を思いついた。

 

「さっきの反則。お前、なんで手球をあんなゆっくり運んだんだ? 別に持ったらさっさと歩いて、九番ボールの近くまで直行しても良かっただろ。いやビリヤード的には全然良くはねえが」

()()もファールじゃないですか。あと、手で運んでる時に他の的球に接触しても一ファールなんですし、服とか当たらない様に注意を払わないとダメでしょ?」

「……ビリヤードで”ボールを手で運ぶ”なんてバカげた単語を、人生の中で聞く羽目になるとは流石に想像した事も無かったな……」

 

 ドロップスティアーの一連の犯行において、唯一の疑問点。手球をそーっと丁寧に運んだ、不自然な部分。しかしこれは、今回の手口において極めて重要な点であった。

 ファール規定第三条、『ボールが場外に出た場合』。そしてもう一つ、ファール規定第二条の大本、『体や衣服・器具がボールに触れた場合』。この二つを犯した場合も、ファールとなる。

 ドロップスティアーがやっていいファールは、手球を持ち運ぶ事・手を使い手球を的球へ撞く(あてる)事・的球の順番を無視する事の三つのみ。()()()()()()()()なので、ドロップスティアーはあの瞬間手球を場外に出さず、他の球にうっかり服の袖が当たったりしない様に、テーブルの空中で球を持ち運ぶ必要があった。

 与えられた反則(ルール)の範囲内で、自分の中で独立した信念(ルール)を貫く。こんな滅茶苦茶なウマ娘など、優等生の極みたるシンボリルドルフでは手が負えないのも納得であった。

 

(……しかし……なんだこの、妙な感じは……?)

 

 自分が磨いた手球を綺麗に磨き上げ、あはーっと笑顔を浮かべるバカ娘。その顔を見て、シリウスシンボリはどことなく感じる物があった。

 今回の事は所詮お遊びであり、反則的な勝利をされても思う所は無い。『バカ過ぎるコイツ』という感想は抱いているが、それはそれでこのウマ娘に対し自分が求めたモノでもある。

 ただ。ただ何故か、ドロップスティアーを見ていると、妙な()()()があった。

 

「ちぃーっす、ゴルシ屋ちゃんでーっす! シリウスー、活きの良いカジキが入荷したからよー、今回はコレでダーツしよーぜダーツー! 見ろよこの長っ鼻、すっげーいい感じに刺さりそーじゃねー!?」

「やっぱ此処に居たかシリウス、私とも遊ぼうぜ。さぁ、今日の勝負は何を賭ける?」

「あ、姐さん、ナカヤマ先輩! どもどもー!」

「……あぁ。そうか、お前らか……」

「「あん?」」

 

 思案中に静かなビリヤード場へやってきた嵐――というか荒らしのコンビを見て、シリウスシンボリは真顔になって自分が抱いた既視感の正体を理解した。

 ゴールドシップとナカヤマフェスタ、切ろうとしても切れない悪友コンビ。シリウスシンボリはまたこのカテゴリーが増えてしまったのかと悟り、少し気分が落ちてしまった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「――私の勝ちは……何があっても、揺るぎはしねぇよ!」

「目が曇ったな、ナカヤマ……勝利の幻影が、お前の眼を曇らせた……! それこそが、アタシの勝機っ!」

「な、何だと……!? この流れで、その牌が揃ってた筈は無ぇ……ゴルシてめぇ、一体何をやりやがったんだ!?」

「ククッ……! ナカヤマ、お前()()()()んだよ……! さっきからお前の対面(トイメン)のバカ、()()()()()()しまくってたぜ?」

「あはー! これで姐さんの勝ちで、ナカヤマ先輩の負けですよー!」

 

 後日より、シリウスシンボリの遊び相手は普通に一人増えた。

 




いともたやすく行われる本当にたやすい行為

ちなみに今回の理不尽を極めると「九番ボールを掴んでそのままポケットイン」してもこの勝負には勝てます。
ただし第二条・第二項の「的球を故意に直接撞いた場合、その試合を負けとする」に抵触し、「ファールは合法でも直接敗北になる」可能性を考慮し、このバカは手球を使いました。ビリヤードしろ。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。