オリウマ娘はダイスと選択肢に導かれるようです 作:F.C.F.
「はっ、はっ、はっ、はぁ──!」
少女が駆ける。
芝を蹴立て、汗を散らして風を切る。
全身全霊、肉体に宿るあらゆる力を振り絞ってのラストスパート。
想定した最終直線の距離は、約400メートル。
坂は無い。
平坦な道を、それまでに積み上げた加速の上に加速を重ねて往く。
それは彼女にとっての、引き出し得る上限だった。
加速に瑕疵は無い。
最高速度はかつてないほど。
進路にも走法にも緩みなどひとつも有りはしない。
だというのに。
(あぁ──来る。聞こえる……っ)
音がする。
耳に届く。
魂を揺らし、そこに居ると主張する。
あらゆる壁を。
幾重にも絡め取り閉じ込めたはずの檻を蹴破り足音が迫り来る。
(違う、そんなものは、ない!)
当然、幻聴だ。
今この場には彼女ひとりしか存在しない。
併走する者の無い単独でのトレーニングなのだから。
全ては彼女自身の心が作り出した幻覚でしかない。
だが、だからこそ。
その幻は想像通りに彼女を半バ身上回った。
「はっ、はぁ、っ、ぜ……くそ。くそっ!」
トレーニングを終え、コースを外れて座り込んで。
少女──ムシャムシャは吐き捨てるように悪態をついた。
到底忘れられる衝撃ではなかった。
あんなものが居て良いのかとムシャムシャ自身何度考えたか分からない。
叩けども踏みつけども、決して折れない鋼のウマ娘。
ムシャムシャはレースの中で当初、サナリモリブデンを天敵と想定した。
だが実態はその程度では済まない。
あらゆる手段が通じた。
あらゆる手管が有効だった。
しかしその上で当然のように全てを踏み越えていく者など、ムシャムシャは想像すらしていなかった。
「くそがぁ……ッ!!」
それだけならまだ良かっただろう。
ムシャムシャが激昂していたのは何より、上回られた瞬間に抱いた自分自身の感情だった。
よりにもよって。
"あぁ、これが本物なのだ"
などと。
物語の主人公を見詰めるように。
「違う、違う違う違う違う!」
こみ上げかけた憧憬を、サナリモリブデンのようにありたかったなどという願望を、煮える怒りを以て塗り潰す。
彼女には許し難い事がひとつあった。
シニア級全体に付きまとう汚泥、不作の世代という風評である。
優れているのはスレーインとクラースナヤ、わずか2人だけ。
他は例外なく凡庸の域を出ない。
シニア級1年目の2人に蹂躙されつくしたのがその証拠である、と。
「違う!!!」
絶対に認められない結論を蹴り飛ばし、ムシャムシャは立ち上がった。
実際、暴論だった。
ムシャムシャは、そして居並ぶ同期の面々は何ら恥じる必要のない実力の持ち主たちだ。
口さがなく、そして物を知らない者達が不作などと宣うのは余りにも天井が高すぎたためだ。
菊花賞、天皇賞春、宝塚記念を制したスレーイン。
皐月賞、日本ダービー、大阪杯、天皇賞秋を制したクラースナヤ。
この2人は正真正銘の怪物である。
過去の名だたる伝説たちとも堂々と肩を並べられるだろう。
凌駕する事はあれど、劣るなど決してありえないと断言できる。
そして、しかし。
だからこそだ。
余りにも隔絶したその能力故に、比較の対象となる者は互い以外に存在しなかった。
スレーインに勝り得るのはクラースナヤのみ。
クラースナヤに抗い得るのはスレーインのみ。
他にライバルなど誰一人居ない道を彼女達は駆け抜けてきた。
それを目にして、不見識の輩が言った。
本当にこの2人は強いのか?
他の全てが余りにも弱すぎただけではないか?
2人の前に立ちはだかる事さえ満足にできない同期、そして先達の面々は──不出来揃いの不作の世代ではないのか?
もちろん、こんなものは多数派の意見ではない。
レースとウマ娘を愛する多くの者達はその実態を完璧にとは言わずとも理解している。
だが残念な事に……世の中は賢い者だけで構成されているわけではない。
ある者は自身の裡に燻る劣等感のはけ口に。
ある者はセンセーショナルな記事で得られる利益を求めて。
ある者はただ無知によって。
好き勝手にさえずり、ムシャムシャ達を良いように貶めた。
(気に入らない。許してなんかやるものか)
だからムシャムシャは立ち上がる。
想定外の敗北程度で折れてなどいられない。
証明を。
汚名を拭い去るまで脚を止める暇はない。
一度負けたならもう一度。
それでもダメならば更に次。
誰の目にも言い訳の余地を与えない絶対の勝利をもって証明しなければならない、と。
(それに……これは、チャンスだ)
怒りに歪んでいた口元が笑みを描く。
彼女にはもう見えていた。
炎の渦が、ターフ全てを巻き込む未来がだ。
(波が来る。大波だ。全部全部メチャクチャにかき回す嵐がやってくる)
ムシャムシャは予兆を見た。
彼女のわずか半バ身先で放たれた、時代の産声を確かに聴いた。
(腑抜けは消える。全員アイツに燃やされる)
確信さえ通り越している。
大戦乱が来る。
あらゆる弱者を不死身の精兵に作り替えて。
届かないと一度は諦めた頂に誰もが手を伸ばす時代がやってくる。
生涯に一度あるかないかの大転機だ。
届く。
届き得る。
ムシャムシャが求めた勝利に。
鋼色の挑戦者が作り上げた大乱に乗り、食らい尽くす事が出来たなら。
「……婆さん! もう一回いいかい?」
「あともう5分ってところね。息、ちゃんと整えてからにしなさい」
「OK、流石話が分かってる」
灯された火はもう消えない。
ムシャムシャは自身のトレーナー、白髪頭の老女の指導の下、その魂を焼き焦がしていく。
対して。
当の時代の転換を告げたウマ娘はと言うと。
「やだー! サナリお姉ちゃんと同じトレーニングするー!」
「ん……」
駄々をこねる幼女を前に困り果てていた。
駿大祭にて知り合った幼いウマ娘、クロスミネラルである。
彼女は約束通り京都までレース観戦にやってきてくれた。
そしてセレンスパークとサナリモリブデンの勝利を、ウイニングライブの輝きを目にして完全に心を決めたようだ。
将来、絶対にお姉ちゃん達と同じように走る。
キラキラと眩い憧れを全身から放って告げられた言葉はサナリモリブデンの心をこの上なく暖めてくれたものだ。
そこまでは良かった。
問題はその先。
"サナリお姉ちゃんは私くらいの時にどんなトレーニングしてたの?"
という質問だ。
これにサナリモリブデンは答えられなかった。
6年間アスファルトの公道を狂ったように走る、など。
過去に行った暴挙がどれほど危険かつ競走生命を縮める事になるかはもう分かっている。
とてもではないが誰かに真似などさせられない。
郷谷に叱責を受けて知り、指導の下でトレーニングを積んで彼女自身納得したのだ。
あの過去あってこその今の自分ではあれど、明確に間違いであったと。
実際、今年の夏頃に郷谷にサナリモリブデンは確認している。
返ってきた答えはこうだ。
"そうですね、間違いなくサナリさんの脚の寿命は縮まっていると思いますよ。クロムさんは200戦以上を全力で走ったそうですが、サナリさんにはもう同じ事は出来ません。様々な条件をクロムさんと揃えたと仮定して、走れて100戦というところです。……感覚がおかしくなりますね。何を言っているんでしょう私"
なお、郷谷は心底呆れた顔であった事を付記しておく。
もちろん、サナリ親子の図抜けた頑丈さに対してである。
それはともかく。
サナリモリブデンはクロスミネラルに返した。
"私は小さい頃にずっと間違った鍛え方をしてた。真似はさせられない"
"えー! どうして!?"
"危ないから。ケガをするかも知れないし、とても辛くて苦しい"
"我慢するもん! サナリお姉ちゃんと一緒がいい!"
そして冒頭に戻るというわけだ。
頬を膨らませて目に涙を浮かべる幼女を前に、サナリモリブデンは心の中で考えをまとめてから口を開く。
「ごめんね。でも教えてあげられない。私のやり方だととても大変な上に……強くなれないから」
「嘘! サナリお姉ちゃんすっごく強かったもん!」
「それは、トレーナーに会って間違ってるって教えてもらって、ちゃんと鍛え直してもらえたから。それまでの私は誰より弱かった」
過ちを認める言葉は痛みを伴ってはいない。
とうに乗り越えた部分だ。
だからためらわずに、クロスミネラルの目をまっすぐに見てサナリモリブデンは言葉を続けられる。
「大丈夫。私のトレーナーはとてもすごい人」
そしてその視線を信頼する自身のトレーナーに向ける。
郷谷静流。
彼女は愛用のタブレットをクロスミネラルの両親に見せながら話をしているところだ。
クロスミネラル達の住む街近くで利用できるトレーニング施設や、子供向けレース教室の情報を提示している。
愛娘の夢を全力で応援すると決めたらしい両親も真剣に聞き入っていた。
「ウマ娘よりウマ娘の事を知ってる。どうすれば強くなれて、どうすればケガをしないでずっと走っていられるのか。私達が走るにはそういう人の助けが絶対に必要になる」
強力な実感のこもった言葉だった。
実際、郷谷に出会えていなければ今のサナリモリブデンは居ない。
何かの間違いでデビューが叶ったとして、無駄にがむしゃらなだけだった過去の自分のまま走り続け、いつかどこかで躓いただろう。
2月の京都、きさらぎ賞の時のように。
そしてその時、あなたは休んでいるべきだと優しく、しかし強く引き留める郷谷が居なかったなら。
その考えはサナリモリブデンをして背筋が寒くなるような冷たい想像だった。
「んー……」
親愛と尊敬がありったけ籠もった横顔にクロスミネラルは何も言えなくなる。
駄々の勢いは消え、耳がペタンと頭についた。
小さく、可愛らしく、微笑ましい姿である。
サナリモリブデンも目尻を下げてその頭を軽く撫でた。
「ミーちゃんもそういう人に出会って欲しい。だから、私が小さい時に何をしてたかは内緒。ミーちゃんに走り方を教えてくれる人の邪魔になっちゃうから」
「うー!」
「どうどう」
クロスミネラルは納得がいかないように体を揺らしてサナリモリブデンの手に頭をぐりぐり押し付けた。
幼子らしい全力の暴れぶりである。
が、サナリモリブデンにはわかっていた。
これは最後の最後の甘えだ。
良く分からないけれど、分からないなりに言う事を聞こうと決めたのだろう。
それでも残るもやもやした気持ちを何とか発散しようという、そういう動きだ。
「……んー、分かった。サナリお姉ちゃんの言う通りにする」
「ん。ありがとう。良い子」
サナリモリブデンが感じた通りクロスミネラルはすぐに矛を収めた。
まだしょんぼりとしたままだが、長くは引きずらないだろう。
諭す言葉を幼さに任せて否定せず耳を傾けようとする、8歳と言う年齢を考えれば特筆すべき聡明さだった。
ならせめて、その聞き分けの良さにご褒美はあってしかるべきだ。
「ミーちゃん。教えてはあげられないけど、少しだけ一緒に走ろうか?」
「……ほんと?」
「うん。追いかけっこ」
「する!」
提案に、小さな顔には笑顔が咲いた。
元気よくパタパタ足音を立てて足踏みまで始まった。
今すぐに駆けだしたくてたまらない、といった様子。
大人たちに一声かけて、クロスミネラルの夢の一歩目は遊びの形で始まるのだった。
「お疲れ様でした、サナリさん。中々楽しんでいたようですね」
「うん。楽しかった。思ったより捕まえるのが大変。将来がすごく楽しみ」
「流石にあの年ではまだ素質も不明瞭ですが、モチベーションでは誰にも負けないでしょう。ふふ、私も楽しみでなりませんよ」
そんなひと時を終えてサナリモリブデンは郷谷と共に車に乗り込んだ。
クロスミネラル達と別れ、これから移動である。
向かう先は……。
「さて、それでは次は会見です。心の準備は大丈夫ですね?」
「ん、今の私は無敵」
「それはまた、頼もしい限りです」
レース系メディアを集めての会見だ。
今や世代のトップ、G1ウマ娘たるサナリモリブデンの次走発表にはそれだけの場が必要となる。
並のウマ娘ならばガチガチに緊張してもおかしくはない。
が、そんなものはサナリモリブデンとはどうやら無縁だ。
自身に向けられる憧れを自覚し、背負った夢に報いると決め、しかもクロスミネラルから熱を受け取ったばかりの今はなおさらである。
これならば何も心配はいらないなと、郷谷はクスクス笑った。
「ですが念のため、予定を再度確認しておいてくださいね」
「うん、了解」
郷谷の指示にサナリモリブデンは素直に従う。
タブレットを取り出し、予定表を表示させた。
【クラシック級 12月】
タンザナイトステークス(OP) 冬/阪神/芝/1200m(短距離)/右内
ラピスラズリステークス(OP) 冬/中山/芝/1200m(短距離)/右外
リゲルステークス(OP) 冬/阪神/芝/1600m(マイル)/右外
ディセンバーステークス(OP) 冬/中山/芝/1800m(マイル)/右内
チャレンジカップ(G3) 冬/阪神/芝/2000m(中距離)/右内
中日新聞杯(G3) 冬/中京/芝/2000m(中距離)/左
阪神カップ(G2) 冬/阪神/芝/1400m(短距離)/右内/ブリーズグライダー
ステイヤーズステークス(G2) 冬/中山/芝/3600m(長距離)/右内
有マ記念(G1) 冬/中山/芝/2500m(長距離)/右内/ペンギンアルバム、クラースナヤ
【シニア級 1月】
カーバンクルステークス(OP) 冬/中山/芝/1200m(短距離)/右外
淀短距離ステークス(OP) 冬/京都/芝/1200m(短距離)/右内
ニューイヤーステークス(OP) 冬/中山/芝/1600m(マイル)/右外
白富士ステークス(OP) 冬/東京/芝/2000m(中距離)/左
万葉ステークス(OP) 冬/京都/芝/3000m(長距離)/右外
シルクロードステークス(G3) 冬/京都/芝/1200m(短距離)/右内
京都金杯(G3) 冬/京都/芝/1600m(マイル)/右外
中山金杯(G3) 冬/中山/芝/2000m(中距離)/右内
愛知杯(G3) 冬/中京/芝/2000m(中距離)/左
アメリカJCC(G2) 冬/中山/芝/2200m(中距離)/右外/スレーイン
日経新春杯(G2) 冬/京都/芝/2400m(中距離)/右外
【シニア級 2月】
北九州短距離ステークス(OP) 冬/小倉/芝/1200m(短距離)/右
洛陽ステークス(OP) 冬/京都/芝/1600m(マイル)/右外
阪急杯(G3) 冬/阪神/芝/1400m(短距離)/右内/ソーラーレイ
東京新聞杯(G3) 冬/東京/芝/1600m(マイル)/左
小倉大賞典(G3) 冬/小倉/芝/1800m(マイル)/右
ダイヤモンドステークス(G3) 冬/東京/芝/3400m(長距離)/左
中山記念(G2) 冬/中山/芝/1800m(マイル)/右内/アクアガイザー
京都記念(G2) 冬/京都/芝/2200m(中距離)/右外
【シニア級 3月/一部未確定】
東風ステークス(OP) 春/中山/芝/1600m(マイル)/右外
六甲ステークス(OP) 春/阪神/芝/1600m(マイル)/右外
大阪城ステークス(OP) 春/阪神/芝/1800m(マイル)/右外
オーシャンステークス(G3) 春/中山/芝/1200m(短距離)/右外
金鯱賞(G2) 春/中京/芝/2000m(中距離)/左/オイシイパルフェ
日経賞(G2) 春/中山/芝/2500m(長距離)/右内
阪神大賞典(G2) 春/阪神/芝/3000m(長距離)/右内
高松宮記念(G1) 春/中京/芝/1200m(短距離)/左/ソーラーレイ、ブリーズグライダー
大阪杯(G1) 春/阪神/芝/2000m(中距離)/右内/スレーイン、クラースナヤ
それを見ながらサナリモリブデンは思い返す。
事前に予定を決めた際、郷谷が差し挟んだ注釈についてだ。
これまで郷谷の下で積み重ねたトレーニングを振り返ると、サナリモリブデンの能力は冬に顕著に伸びている。
もちろん夏合宿を除いての話だが。
サナリモリブデン自身も冬には気分が高揚し体調が良くなる特性は理解していた。
レースに出るにしてもトレーニングに励むにしても、常よりも良い結果が引き出せるだろう。
他に気になる点としては……ここだ、と郷谷は12月の末を指していた。
有マ記念。
出走に必要となるファン投票はすでにクリアしている。
毎日王冠、そしてマイルチャンピオンシップでの激走を経てサナリモリブデンのファン数は倍以上に膨れ上がった。
今ならば大手を振って年末の大舞台に参戦できる。
が。
ひとつの懸念事項があると郷谷は言った。
ペンギンアルバム。
サナリモリブデンの同室にして一番の親友。
そして、菊花賞では異次元のレコードを記録した……現トゥインクルシリーズで最大の注目を集めるモンスターだ。
有マ記念にはそのペンギンアルバムが出走を表明している。
彼女の存在を示して、郷谷は言ったのだ。
恐ろしい。
出来れば、共に走らせたくはない。
と。
思い返されるのは先の菊花賞。
距離にして優に20バ身以上を引き離されたジュエルルビーの、プライドを粉砕された姿。
……彼女の次走は未だ発表されていない。
今はトレーニングに集中するとされてはいるが、公然の秘密としてその心がもう折れているのは学園の誰もが知っていた。
その二の舞を恐れてか、それとも別の理由でか。
今年の有マ記念には有力ウマ娘の集まりが悪い。
仕方のない事ではあろう。
サナリモリブデンを擁する郷谷ですら躊躇いを見せるのだ。
かの菊花賞から日の浅い今、情報の少ない中でぶつかれば何か取り返しのつかない事態に陥るのではとトレーナー陣が警戒を露わにするのは当然の事だ。
それらの情報を咀嚼し、話し合った上で選ばれたサナリモリブデン達の結論は──。
次走選択
-
12月OPレース
-
チャレンジカップ(G3)
-
中日新聞杯(G3)
-
阪神カップ(G2)
-
ステイヤーズステークス(G2)
-
有マ記念(G1)
-
1月OPレース
-
シルクロードステークス(G3)
-
京都金杯(G3)
-
中山金杯(G3)
-
愛知杯(G3)
-
アメリカJCC(G2)
-
日経新春杯(G2)
-
次走は2月以降