リコリコ最終話を観てパッションのままに書いた短編です。
 最高の父性を持つミカに、救いあれ。

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彼は時々、赤い海を見て泣く。

 

 あの静かな回廊に響いた銃声が、今でも耳に残っている。

 今日のように真っ赤な夕陽が海に溶ける時、それは一層強く、重く頭の中に反響した。

 

 千束とたきながハワイでリコリコをやりたいと言い出したのが、およそ二ヶ月ほど前。

 善は急げとばかりに急ピッチで準備を進め、ようやく現地で臨時的な営業を開始したのが一週間前だ。

 

 なぜハワイなのか。

 聞けば宮古島で千束を回収した時、「諦めてたことから始めてみたらどうですか」と言ったたきなの一言からそうなったらしい。

 最初ミズキは面倒臭がった。クルミは呆れ果てた目をしていた。しかし元々海外に行こうとしていたじゃないかと宥めすかされ、結局今、全員でハワイにいる。

 

 ハワイは常夏の島。世界有数の観光地であり、リゾート地だ。

 元より外向的なアメリカ人の気質に加えてその事実が、より人々を寛容に、穏やかにしているように思える。

 当然、リコリコのメンバーはここでもすぐに馴染んだ。地元の人間からも、滞在中の観光客からも、彼女たちは歓迎されているように見える。

 

 だから辛気臭い中年男は、そこに似つかわしくない。

 その思いが一定量を超えた時、私は折畳式の椅子を持ってビーチに下りる。店が暇になってくると、途端に思い出してしまうからだ。

 背もたれに背をあずけると、歯ぎしりするように椅子が鳴る。深い溜息は、白い砂浜に吸い込まれていった。

 

 人を(あや)めたのは、初めてのことではなかった。

 元、とは言え私もDAの訓練教官だったのだ。様々な大義名分の元に人の息の根を止めることは、数え切れないほどあった。生きてきた界隈のことを考えれば、そう珍しいことでもない。

 

 それでもシンジを──愛する人を殺めたのは、初めてだった。

 海が今日のように赤く染まる時、その記憶はより鮮やかになる。見慣れたはずの赤も、自分の腕の中で失われていく体温も、胸が締め付けられるほど鮮明に思い出された。

 後悔は、していない。砂浜から店の方を振り返ると、大きな身振り手振りで接客する千束の姿が見える。悔いることなど、できるはずもない。

 

 だが未だに、心の中で折り合いはついていなかった。

 悲しみを忘れる時はない。夜、まともに眠れたことなど、おそらく一度もなかった。

 彼の命を奪ったのは、私情でしかない。誰かが用意してくれた理由もなければ、正義だなどと口が裂けても言えなかった。

 

「先生?」

 

 その声にはっとして、私は振り返る。いつの間にか千束は私の後ろに立って、陽気な海風に髪を遊ばせていた。

 まったく、こんな近くに来るまで気付かないなんて、どうかしている。日本を離れたからといって、気を抜きすぎていたかも知れない。

 

「泣いてるの?」

 

 千束の一言に、思わず私は目元を確かめた。

 涙は、流れていない。一連の出来事の中で、一生分を使い果たしたのだから、当然だ。

 

「いや⋯⋯。どうしてだ?」

「だって、そう見えたから」

 

 千束はそう言うと、私の座る椅子の横にしゃがみこんだ。赤い残照が幼く、美しい顔に陰影を与える。

 元々千束は、感覚の鋭さとは裏腹に言語化に関してはあまり得意ではない。だからどうして彼女がそう感じたかは知る由もなく、そう見えたという結果があるだけだ。

 

「私の心臓、やっぱり先生だったんだ」

 

 優しい、確信に満ちた声が、耳朶を撃ち抜くようだった。しかし私の表情は変わらない。変わっていないはずだった。

 違う、と言えばいいだけだ。

 なのに、それができない。

 千束の心臓はあのアタッシュケースに入っていたものだった言えば、千束の中でシンジは死なない。あるいは特注で作らせたものが間に合ったのだとか、DAの研究期間で作られたものだとかでもよかった。

 けれどここで嘘を言うのは、シンジの死をなかったことにすることだ。それは自らの業をなかったことにするようで⋯⋯どうしても、言えなかった。

 

「⋯⋯なぜそう思う?」

「だって先生、ヨシさんの話を全然しなくなった。それに」

 

 不意に千束の手が、私の右手に伸びた。

 彼を殺めた、その手を──。

 

「──っ!」

 

 振り払うように引っ込めようとした手は、しかし千束の両手で掴まれて動かない。まるで最初からそうすることが分かっていたかのように、私の手を握ったまま体重の全てをかけてきたのだ。

 千束はぷるぷると手を震わせながら、私を見上げる。そして悲しそうに、笑う。

 

「それに先生、私の頭、全然撫でてくれなくなった」

 

 瞬間、息ができなくなる。

 私は千束の賢さを、過小評価していたようだ。おそらくその優しさも、繊細さも。

 

「思い詰めてるのも、知ってた。先生ポーカーフェイスだから、それに気付けるのは付き合いの長い私だけだね」

 

 にしし、と笑った彼女は、もういつも通りに見えた。

 いつもそうだ。彼女は人を励ます時、あるいは慰める時、大輪の向日葵のような笑顔を見せる。

 それに今まで、何人が救われてきたことだろう。だがその笑顔は、私に向けられていいものではなかった。

 

「すまない⋯⋯。また千束に、重荷を背負わせてしまった」

 

 今の私に必要なのは、救済ではなく贖罪だ。

 何がそれに繋がるのか、未だに分からない。だから今も息をしているのだ。シンジの魂を救う何かを、探すために。

 けれど千束は──。

 

「違うよ」

 

 私の考えなどまるで見当違いだと言わんばかりに、はっきりと言った。

 

「ぜんっぜん! 違う! 私が受け取ったのは重荷なんかじゃない。希望をもらったんだ」

 

 千束の大きな瞳は、赤い太陽を映してメラメラと燃えるようだった。

 すっかり力の抜けた私の手を、強く握ったまま続ける。

 

「また二人に、命をもらっちゃった。すっっっごく大切な、命」

 

 ──ああ、そうだった。

 忘れていたわけではないが、千束はこういう子なのだ。

 

「だから私は生きるよ。今まで以上に、思いっきり生きる!」

 

 それは力強い、どこまでも真っ直ぐな宣言だった。

 思わず、胸に熱いものが込み上げる。

 千束の命が──彼女自身が、私の生きる希望なのだ。

 千束は誰をも元気づけ、笑顔にさせる。別け隔てなく愛する、大切にする。だから人を殺さない。その掟を破った者にすら──救いの手を差し伸べる。

 

「だから先生、しっかり見てて」

 

 千束は立ち上がると、一歩前へと踏み出した。

 太陽はついに海へと落ちて、藍と橙が織り成すマジックアワーが終わろうとしている。

 

「私の、私たちの生き方を。ちゃんと全部見ててよ」

 

 それは赦しの言葉だった。

 生き抜く希望を、与える言葉だった。

 私にはもったいないぐらいの──眩しい光だった。

 

「さあ、行くよ! 次はワイハの売上でアメリカ本土進出だぁ~!!」

 

 拳を突き出した千束がぴょんと跳ねると、振り返って飛び切りの笑顔を見せた。

 

 ──なあシンジ、見ているか。

 私はまだ見つけられそうもないが、千束はもうお前の魂を救う方法を見つけたようだ。

 

「ね、先生。そろそろ戻らないと。お客さんが待ってるよ」

 

 また私よりも先に歩み出した足が、数歩進んですぐに止まった。

 

 さあ、と千束は手を差し伸べる。

 

「ああ。待たせるわけにはいかないからな」

 

 そう言って私は、歩き始める。

 今を生きる者を、彷徨える魂を、救うために。

 

 私は歩き続けるのだ。

 

 


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