映画本編および特典の40億巻のネタバレを含みます。ご注意ください。
『逆光』を歌い終わって、私は大きく息を吐き出した。
少しだけ呼吸を整えてから配信を止める。いつも配信をしている部屋に静寂が戻った。
今回は前より毛色を変えて、悪党への怒りをまっすぐにぶつけた歌だ。私の気持ち、海賊に踏みにじられてきたみんなの気持ちをこれでもかと詰め込んだ。
「みんな、喜んでくれるといいな」
映像電伝虫をつつきながらふふ、と小さな笑いがもれる。
活動のはじまりは自分で作った歌『新時代』。
聞いている人に希望を届けられるように、と願いを込めた歌だ。
いつも空想していた平和な世界の情景が少しでも聴いている人にわけてあげられたらいいな。そんなささやかな想いは発信された人の心に徐々に届いていたらしい。
たまたま海岸で拾った不思議な電伝虫を通じて『新時代』は世界のあちこちに散らばって、そこで聞いている誰かから反応が返ってくる。
しばらく外の世界に触れてこなかったから、知らない誰かの反応がとても新鮮だった。
活動を続けていくと世界中のファンから手紙が届くようになった。歌を聴いて嫌なことを忘れられたと、元気をもらったと、様々な言葉で綴られた感謝は久しく忘れていたぬくもりを思い出させてくれた。
でも、楽しいばかりじゃなかった。
ファンとの交流が長くなると、手紙に身近なことやその人の身に起こったことが綴られるようになった。
そこから私が知らない世界の真実を知ることになる。
故郷を焼かれた人がいる。生活の糧を奪われた人がいる。海軍に助けてもらえなかった人がいる。
海賊が何をしようと、すべては『大海賊時代』の名のもとに忘れ去られていく。そんなの許せなかった。
だから、私は私のやり方で世界を変えてやろうと思ったんだ。『逆光』はそんな決意を込めて作った。
次の配信はどうしようかとぼんやり空想に旅立ちかけているとノックの音が響いた。
返事をするとゴードンが何通かの手紙を手に入ってきた。
「ウタ、また手紙が届いていた」
「やった!ありがとうゴードン」
渡された手紙を抱きしめる。この瞬間が一番ワクワクする。宝箱を開けるときのような高揚感に踵が軽くなる。
鼻歌を歌いながらくるくる回っているとゴードンが優しく微笑んでこっちを見ていた。
「……良かったなウタ」
「んふふ~。創作意欲が湧く最高の贈り物だもん!手紙を読んでるとどんどん歌いたい音が浮かぶんだ」
「たしかに以前より歌唱も表現ものびのびしているように思う。良いことだ」
「でもちょっと大げさな感想もあってさ。ある人は『ウタは救世主だ!』なんて言って!私はただ自分の歌いたいことを歌ってるだけなのに」
「音楽は人の心を救い、ときに生きる希望すら与える。その人にとってウタの楽曲は紛れもなく救いだったのだろう」
「だから大げさだって、もう」
にやけそうになる顔をおさえる。誰かに認められて褒められるのが嬉しくないわけない。
「もっともっと、私の歌を届けられたらいいな」
私はファンのみんなに元気をもらった。そのお礼にみんなの期待に応えたい。
音楽の輪が広がって私の歌を世界中に響かせることができたなら、救われる人も増えてきっと平和な世界になるはず。
いつか夢見た『新時代』が来る。
心からそう信じていた。
*
その映像を見たのは本当に偶然。
次の配信のアイデアを求めながら廃墟の街を散歩していると、ずいぶん古ぼけた映像電伝虫を拾った。ちょっといじってみるとまだ起動できそうだ。
もしかしたらエレジアに来たばかりの懐かしい映像が残っているかも、なんて淡い期待もあったかもしれない。
埃をかぶってところどころ傷がついたそれを持ち帰って、好奇心に任せるままに起動してみる。
好奇心は猫を殺すとも知らずに。
悲鳴、轟音、血だまり。
地獄と形容するのも生ぬるい阿鼻叫喚の映像記録に思考が凍り付いた。
「あの、子は……ウタ、は危険だ!……の歌は世、界を滅…す!」
ノイズの間で途切れ途切れの音声が伝える真実に脳の奥に深く沈めていた記憶がよみがえる。
ああ、思い出してしまった。
パーティーの夜、手に取った古い楽譜。美しい音符の羅列に魅了されるように口ずさんだ歌の題名を。
『トットムジカ』。
この惨状を生んだのは私の歌。エレジアを滅ぼした魔王を召喚したのは私。
私は、人殺し?
「うわあああ!」
持っていた電伝虫を放り投げて顔を手でおおう。
信じたくない。認めたくない。私のせいでエレジアが滅んだなんて。
それはつまり、シャンクスは私の罪を代わりに背負ったということ。
それを知らず、私はその恩人を恨み続けてきた。でも、それなら。
「なんで、私を置いていったの……?」
ずっと一人ぼっちで、真実を知らないまま大事な人たちを恨み続けて、こんなに虚しいことはない。
どうしてなにも言ってくれなかったの。なんでそばで叱ってくれなかったの。私は、抱えた罪との向き合いかたすら分からないのに。
今の今まで自分は被害者だと、大切な人たちに裏切られたと思い込んで、海賊なんて嫌いだと叩きつけてきた。海賊なんて悪党はやっつけるべきだって。
それなのに、全てひっくり返った。
たくさん良くしてくれた人たちを傷つけたのは私。
素敵な音楽を教えてくれた人たちを殺したのは私。
育ててくれたゴードンの故郷を踏み潰したのは私。
「ぁ、あぁ……」
目から涙があふれた。
身体から力が抜けていく。嗚咽を漏らしながら泣きじゃくることしかできない。
耳を塞いでも、こびりついた悲鳴が反響し続ける。背負った十字架が重すぎて潰れてしまいそう。
心が、砕ける。
「たすけて、シャンクス」
会いたい。私の、一番大切な人。
*
怒りとともにド派手にブチ上げた『逆光』は瞬く間に民衆の心をつかんだ。つかんでしまった、と言った方が正しいかもしれない。
「ウタは僕たちが言えないことを言ってくれてる」
「ウタの言う通りだ!海賊なんて糞喰らえ!」
「歌で海賊なんてやっつけちゃってよ!ウタ!」
「もっちろん!私がいつかみんなを平和な新時代に連れていってあげるからね!」
無理やり力を入れた顔で下手くそに笑いながら映像の向こうに手を振る。
やめて、やめて。
私には海賊を憎む権利なんてないのに。
でも、今まで吐き出してきた言葉は取り返しなんてつかない。みんなの目に映っているのは『海賊嫌いのウタ』。私の歌い上げる怒りに、人々は賛同して拳を高らかに突き上げる。
音を放つたび、言葉を紡ぐたび、海賊が大好きだった記憶がフラッシュバックして首を締められてるみたい。
心が軋む。吐き出す言葉と思考を苛む罪悪感がまったく逆方向で頭がおかしくなりそう。
だけど、私はこの居場所を手放すことなんてできない。ずっとエレジアで孤独だった私に垂らされた蜘蛛の糸。たくさんの刺激と喜びを与えてくれたファンたち。
もし真実を知ったら、彼らが私の前から去ってしまうことなんて目に見えてる。
いやだ。もう一人ぼっちの日々になんて戻りたくない。誰かとの繋がっていたい。期待を裏切りたくない。
歌わなきゃ、みんなのために、海賊なんて大嫌いだって。
そう言い聞かせて、悲鳴を上げる心を無視し続ければすぐに破綻が来る。
「逃げたい、なあ……」
寝転がった薄暗い部屋にポトリと言葉が落ちた。
ここ最近は配信も頻度も減って、体も頭も思うように働いてくれない。
歌うのは好き。でも誰かに発信しようとすると、とたんに喉の奥に綿が詰まったような苦しさを感じるようになってしまった。
ああ、考えたくないことから、認めたくない現実から、逃げてしまいたい。
そんなことできないって分かってるから、目をつぶって小さな声で『世界のつづき』を口ずさむ。
昔から目を閉じて歌えば空想の世界に旅立つことができた。なんでも私の思いのまま。私の周りには楽しいことがいっぱいで、痛いことも苦しいこともなくて、大好きな人がそばにいる。
賑やかな船員のみんな。優しい風が吹き抜けてくフーシャ村。いつも意地の張り合いをしていた幼なじみ。
そして、麦わら帽子からのぞく懐かしい赤い髪。振り返って優しく笑いながら左手を差し伸べてくれる。
指先が触れる前に目が覚めてしまった。
虚しさとやるせなさで髪をグシャグシャに掻きむしる。喉の奥でひきつった嗚咽を圧し殺して暴れてると手に何かがぶつかった。
部屋のなかにぼんやりとした光が浮かび上がる。
起き上がった私の目に飛び込んできたのは涙に頬を濡らした女の子だ。
「……ウタちゃん、逃げたいよ」
壁に投影された電伝虫の映像があった。ぶつかった拍子に起動したそれはいくつものメッセージを再生する。
「ウタのお陰で生きていけてるんだ。俺にはもう家族も家もないから……」
「ずっとずっとなんで私たちばかりって思ってたの。土地も財産も奪われて、生きてて良いことなんてなかった」
「なんでワシが生き残っとるんじゃろうなあ……。孫にはまだ未来があったはずのに」
届けられた悲痛な声たちがインスピレーションとなって私の内側を震わせる。
痛み、苦しみ、悲しみ。
私だけじゃない。みんな、救いを求めている。
「……私が救わなきゃ」
ぽつりと無意識に呟く。
食べ物も着るものもあって、争いのない永久に続く音楽の理想郷。平和な『新時代』をいつも夢見ていた。
その夢想を、私の
殺したより多く救わなければ。期待に応えなければ。私にはそうしなければならない責任がある。
私は、『救世主ウタ』なんだから。
*
つらい現実世界から心だけを切り離し、優しい世界でずっと生き続ける。
それが私が描いた救済、『新時代計画』だ。
ウタウタの実の能力を使って救いを求める人たち全員を私のウタワールドへ導く。
能力を使うとすごく疲れちゃっていつの間にか寝落ちしちゃうから、最期まで永遠の平和を維持するためには私が眠らないまま命の終わりを迎えることが必須になる。
そのためのヒントは昔に見かけたことがあった。
まだ赤髪海賊団の船に乗っていた頃、船医のホンゴウさんの本棚にあった植物図鑑にそれは載っていた。
細かいことは忘れてしまったけど、『ネズキノコ』の効能は食べたら最後、眠らないまま死ねるはず。
手配はエレジアに立ち寄る商船に頼むとして、もっと大切なことを決めなきゃ。
みんながずーっと楽しめるように頭をひねってアイデアを書き出す。
楽曲、セットリスト、舞台演出、衣装、トーク内容、振る舞う料理にたくさんの楽しいものいっぱい。
飽きないように、幸せを感じてもらえるように、求められるものはすべて用意してあげたい。
ページが埋まった画用紙が10枚を超えたあたりでふと、気がつく。
海賊とか、海軍とか、もしかしたら世界政府とかよく分からないけどすごい人たちも見に来てくれるかもしれない。
もし、現実世界で邪魔が入ったらどうしよう。そんな不安が鎌首をもたげた。
ウタワールド内では世界を作っている私が最強だけど、現実世界で干渉された場合、強制的に眠らされる可能性もある。それだけは絶対にあってはならない。
ウタウタの能力を使えば眠った観客たちを動かして抵抗することもできる。
でも、相手が手段を選ばなかったら?『新時代』を迎える前に観客の肉体が死んでしまったら何の意味もなくなってしまう。
大きな力には、それを上回る大きな力で対抗するしかない。
その大きな力を、私は一つだけ知ってる。
「使えるの……?」
一度はこの声で破滅を招いた身に余りすぎる力。
あれを使うことは私の罪と嫌でも向き合うことを示している。そして、なにより惨劇を生き残って今まで育ててくれたゴードンへの手ひどい裏切りではないだろうか。
そこであることに気がつく。
赤髪海賊団が私を利用してエレジアを襲ったと教えたのはゴードンだ。どうしてそんな噓を吐いたの。
考え込んでいるとこつこつ、と控えめなノックの音が聞こえてきた。
応えるとゴードンが心配そうな顔を覗かせる。
「ウタ、大丈夫か?最近すこし元気がないように見えるが」
「……あ、うん。ちょっとね」
散らかった画用紙を慌ててまとめながら歯切れ悪く返す。
11年もの間、育ててくれたゴードン。ずっと私に真実を隠していた人。今なら、その口から真実を聞くことができないだろうか。
「ねえ、ゴードン。11年前の、エレジアが滅んだとき何があったの?」
「……」
声が震えるのを必死に押さえつける。
怖い。真実を聞くことはとても恐ろしい。でも聞かなきゃ。
ゴードンはあの映像に写っていた惨劇を乗り越えたたった一人の生き残り。その過程で私の知らないシャンクスとのやり取りがあったに違いない。
そうじゃなきゃ、私を置いていくはずがない。
「お願い。教えて」
誰かに言ってもらえれば、まだ認められるかもしれないから。
許されなくても、取り返しがつかなくても、少しだけ息ができるようになると思うから。
祈るように目をつぶって返答を待つ。
沈黙はほんの数秒だったかもしれない。私にとっては永遠にすら感じられる長い静寂。
ゆっくりと、ゴードンはいつもより低い声を絞り出した。
「……あの日、君に言った通りだ。赤髪海賊団は……、君の歌声を利用して、我が国の財宝を奪い、火を放った。それ以上にはなにも……。なにも、ない」
つかえながら語られる言葉が黒いシミになってぼとり、ぼとりと心に落ちる。
そう、教えてくれないんだね。私の身に何が起きたか。シャンクスの真意も、彼が私をどう思ってたかも。
なら、もういい。
その日の夜、禁足地とされていた地下に忍び込んで古い楽譜を持ち出した。
『トットムジカ』の譜面を手に、足をもつれさせながら部屋へと戻る。どっと額を冷や汗が伝う。持っているだけで鳥肌が立つおぞましい感覚。あの映像が頭にちらついて、吐き気がこみ上げてくる。
恐怖を振り払うように、楽譜を強く握りしめる。
これを使うのはあくまで最終手段だ。
あの時みたいな惨劇にはさせない。理想の礎として、私はこの歌を制御しなくては。
全ては、『新時代』のために。
*
あっという間にライブの日はやって来た。
集客は上々。世界同時配信の準備もばっちり。
壁に投影されたファンたちのメッセージに揺らがない決意を固める。バスケットには収まった大量のネズキノコ。これだけあればライブは終わることはない。
もうすぐみんなが望んだ『新時代』が始まる。
手の甲にあしらわれた『新時代』のマーク。出来損ないのひょうたんみたいな下手くそな絵に縫い付けられた自分の名前を指先でなぞる。
「ほんと、どこが帽子よ」
少しだけ昔を思い出して笑みがこぼれる。あたたかい記憶。愛しい思い出たち。
これは私の、私たちの誓いのマークだ。
この気持ちを永遠にするため、『大海賊時代』に苦しむ人たちを救うため、『新時代計画』はもう動き出した。
もしかしたら、あの人も見に来てくれるかもしれない。
忘れたくても忘れられない赤い髪。もし最期に会えたら、一発殴って、ちゃんと「ごめんなさい。ありがとう」って伝えよう。あなたに私の歌声が届いたなら、それ以上に望むことは何もない。
ネズキノコを口にねじ込んで、立ち上がる。後戻りの道なんて最初からない。なら、私の『救済』を信じて前に進むのみ。
『
『
空気を震わせる歓声が私を呼んでる。音圧に負けないようゆっくり踏みしめながら、ほの暗い通路を抜けてステージの真ん中へ。
何千、何万というファンたちが私を待っている。
故郷が焼かれない世界。
家族や友達を奪われない世界。
誰も泣かなくていい世界。
私が、生きていていい世界。
「新時代を」
どうか、救いを。
願いと思いを込めて、私は大きく息を吸い込んだ。