でも、まだライダーが登場しない(!)…。
その代わり(?)、今話からヒロインが登場です。
◇◇◇◇◇
覚悟はしていたが、『異世界』というのは想像以上に生き辛い世界だ。
先ず何よりも足元。コンクリートで舗装された道しか歩いた経験のないレイトには、地面が剝き出しの道を歩くのはかなり苦難だった。歩き方を間違えれば、直ぐに足の裏が痛みを訴えてくる。お陰で歩みは慎重になり、歩いても歩いても、街までの距離を縮められた感触がない。
「一体…、いつになったら…、街に…、着くんだよ…?」
息も絶え絶えになりながら、何度目になるか分からない独り言を呟いた。朝からずっと街道を歩き続け、今や太陽———ではなかった、陽星ソニアはレイトのほぼ頭上にまで昇っている。ジェイクは昼頃には着くと話していた。この世界での昼が正確にどれ位の時間を指すのか正直分からないが、体感時間としてはそろそろ昼が近いのではないかと思う。
だが街らしき姿は一向に姿を現さない。レイトはげんなりする思いで、ジェイクから貰った水を飲み下し、また引き摺るようにして歩き出した。
何とも形容し難い感覚なのだが、体のあちこちに違和感がある。疲れとは別に、どこか体と心がチグハグな感覚がするのだ。それもその筈、今のレイトは16年間付き合い続けた自分の体ではなく、全く別の体になっている状態なのだ。
自分でも信じられないのだが、『異世界転生』という奴である。
レイトの体感時間としてはほんの10時間位前まで、20XX年の日本で暮らしていたのだ。それが幼馴染を傷付けようとしたストーカーに刺され、気付いたらこの世界で目覚め、全く別の体になっていたのだ。正直常識から外れすぎてて、もう笑うより他にない。
元の日比野玲人も大概
どうせ転生するなら、もっと屈強な体に生まれ変わらせてくれてもいいのに、と思う。この手のジャンルについて詳しい訳ではないが、普通こういう時って神様からの特典として強力な武器やらチート級の身体能力が付いてくるものではなかろうか?と頭の片隅に益体もない不満が浮かび始めるが、だからといって地の果てにまで伸びる果てしない道が減じてくれる訳でもなかった。
「どうせなら、仮面ライダーの力でもくれればいいのに…」
などと考えて、それいいではないか、と思う。もし変身さえ出来るなら、デブリスとかいう怪物に苦戦する事もないし、上手くいけば
「よう、兄ちゃん。何ブツブツ独り言言ってんだ?」
突如頭上から響いてきた声にレイトは、慌てて益体もない物思いを中断した。
声のした方向に目を転じると、そこには馬に引かれた大きな
「旅人かい?どこに行くんだ?」
男が気さくに話しかけてくる。今のレイトが着てるのと似ている粗い布製の衣服。間違いなく、この世界の住人だろう。ジェイク以外では初めて遭遇した現地(というのもおかしな話だが)の人間だった。
「えーと…近くの街…確か…『タ―フィッシュ』までです」
ジェイクに教わった一番近場の街の名前をあげた。
「奇遇だな。俺たちも今商売が終わってタ―フィッシュまで戻るところだ。良かったら、後方の荷台に乗りな」
「そんな…悪いですよ」
「良いって事よ。どうせ帰り道で荷台は開いてるんだ。それに、死んだ様な顔でボンヤリ歩いてる奴を放っておく事もできないだろ」
自分はそんな顔をしていたのか。内容までは聞かれていないだろうが——聞かれても通じないと思うが——独り言を聞かれた気恥ずかしさもあってレイトは少し決まりが悪くなる。
「妻と息子も乗ってるんだが、スペースには余裕がある筈だ。さぁ、ガキは遠慮なんかしないで乗った乗った!」
男が一息でまくし立て、後方の荷台を指し示す。目をやると後方の幌から女性が顔を出し、優し気に手を振っていた。「遠慮するな」と言われている様だった。
見ず知らずの男を乗せて危なくないのかなぁ、とレイトは思うが、それは現代人ならでは感覚かもしれない。文明が発達した分、見ず知らずの他人には無関心になりがちな現代ではあまり考えられない事かもしれないが、この世界ではこうしたお節介さは当然の事なのかもしれない。
ジェイクが言っていた事を思い出す。「根無し草にも生きていく場所くらい見つかるものだ」と言っていた彼は、ある意味こうした人の懐の深さを信じたのではないだろうか。
「…わかりました。それじゃあ乗せて貰います」
レイトは素直に頷き、後方の荷台に乗り込ませて貰う事にした。
荷台には先程手を振っていた女性と、大体4歳位の男の子がいた。レイトが「よろしくお願いします」と挨拶すると、女性の陰に隠れて少年は「こんにちは」と小さく挨拶を返してくる。この歳特有の人見知りが抜けていないのだろうが、はにかむ様な顔から好奇心が覗いている。先ず他人には警戒心を持ってしまう自分とはえらい違いである。
女性の方もまた物怖じせずに、レイトに尋ねてくる。
「タ―フィッシュでは見ない顔ね。旅をしているの?」
「あ、はい。ちょっと訳あって教会に行きたいんです。若しくはギルドに登録しようかと」
「あら、そうなの。でもタ―フィッシュには神聖教会もギルドもないわよ」
女性の言葉にレイトは思わず、「えっっ‼」と目を剝いた。
「えぇ。タ―フィッシュは開拓されたばかりの街だから、まだそこまで進出してないのよねぇ」
と続く女性の言葉に、レイトは内心「ジェイクの嘘つきめ…」と悪態を飛ばした。どうしよう。計画が最初から丸潰れである。
「あの…因みに教会かギルドがある街は近場では…」
「そうだなぁ…西部はあまり開拓が進んでないからなぁ。どっちも最悪『セルフック』の街まで行かないと無いんじゃないかぁ」
御者台の男が言う。『セルフック』という街がどこにあるのかは分からないが、「最悪」という言葉のニュアンスから恐らく決して近くはあるまい。後で地図を確認してみよう…。
「ねぇ…もしかしてお兄ちゃんって、パラディン?」
レイトが暗澹とした思いでいると、母親の陰に隠れていた少年が口を開いた。その目はレイトの左肩をジッと覗き込んだ後、直ぐにレイトの顔に向き直る。
「ねぇ、パラディンなんでしょ⁉肩に印があるもの!」
少年が目を輝かせて、レイトの方に身を乗り出してくる。興奮しきり、といった男の子を母親が「これノエル、やめなさい」と宥める。
「ごめんなさいね。この子、勇者ディライト様の伝記が大好きなものですから…」
「はぁ…なるほど…」
レイトは曖昧に笑って相槌を打つが、『パラディン』や『勇者ディライト』という言葉が何の事かは分からない。ジェイクの説明にはなかった。察するに、何かの物語の登場人物というところだろうか?尋ねてみたくはあったが、もしこの世界で常識に近い事だとしたら、怪訝に思われるかもしらんしな———。
「おーい、そろそろ着くぞ!」
前方の御者台から男の声が聞こえた。レイトはそのまま前方へ移動し、馬車の向かっている先を見据えた。
前方に見えたのは、木と金属板で組まれたと思える壁の列だった。高さはざっと6メートル——この単位を使うのかは分からないが——程あり、それが一部の隙間を作る事もなく、何かをぐるりと取り囲む様に聳え立っていた。恐らく、あの中に街があるのだろう。
この世界に来て以来、目に入るものは森や山ばかりだった。初めて目にした人工物の威容にレイトは思わず、「すごい…!」と感嘆した。男はどこか自慢げに「そうだろ?」と答える。
「人口はまだ少ないが、立派な西部開拓の要衝地だ。あの柵と街の周りを二重に囲った堀はデブリスだってそう簡単に抜けないさ。改めて、ようこそタ―フィッシュへ!」
馬車が近づくと、柵に覆われた街へ続く門の1つが重々しい音を立てて開け放たれる。未知の世界がまた開かれる予感に、レイトは我知らず息を飲んでいた。
◇◇◇◇◇
街に入る時、衛兵に呼び止められ、街に入る前に病原体検査を受ける様に言われた際には肝が冷えた。よく考えたら、デブリス病という奇病が流行している場所なのだから、病原体を街に持ち込まないよう、こうした検査が行われる事は予想するべきだった。もし、ここでデブリス病に感染しているとされたら、どうなるのだろうか?病棟の様な場所に押し込まれるのか…いや、それならまだ良い方で最悪街から追い出されたりしたら———。
だが、レイトの危惧を他所に検査はあっさり終了した。採取された少量の血液に検査薬を入れ、その数秒後には「陰性だ」と告げられ、外に出された。こんなに簡単でいいのか?と首を傾げたくもなるが、誰1人気にした様子はない。簡素な割に検査の精度には信頼があるという事なのだろう。
馬車に乗った親子とは検査の終了後に別れた。ノエルと呼ばれていた男の子はまだレイトが、『パラディン』でない事に納得がいかないのか、去り際に元気な声で「またね、パラディンのおにいちゃん!」と手を振ってきた。父親は笑い、母親は恐縮しきり、といった感じだったが、曖昧に笑う事しかできないレイトも少し肩身が狭かった。
もう少しこの世界に関する情報が欲しい。その為には一刻も早く、事情を打ち明けられる人が欲しいところだった。
「それにしても…割と賑やかなんだな…」
周囲を見渡し、誰にでもなくレイトは独りごちた。
この世界に来て初めて目撃した街は、外の世界の殺伐さと比較して、存外賑やかと言ってよかった。剝き出しの地面に木造が中心の家屋が居並ぶ様は、昔テレビで見た西部劇の街並みを思い出させる。露店から立ち込める肉が焼ける様な香ばしい香りや、笑いさんざめく人々の声を聞いている内に、レイトの腹の虫が疼きだした。そういえば朝から何も食べていない。
街を散策しながら、先ずは食事にしようか、それとも宿屋を探そうか考える。食事は摂りたいが、歩き通しでクタクタに疲れた体を休めたくもある。RPGなどこの手の世界観の物語だと宿屋と飯屋は一緒になっている事が多いイメージがあるが果たして———と考えながら歩いていると、「ちょっと…そこを退いてくれませんか?」という声が聞こえてきた。思わず周囲を見渡すと、
「そう邪険にするなって。ちょっと食事でも、って言ってるだけだろ?」
「そうそう。あんたみたいな美人は悪い奴に絡まれやすいからさ、俺達がボディガードしてやるから」
「大丈夫だって!怖い事なんて何もしねぇからさ、四の五の言わずについて来なって」
往来の端で大柄な男が3人ばかり、下卑た笑みを浮かべながら、1人を取り囲んでいた。囲まれているのは、フーデッドケープを被っていて顔は見えないが、男たちと比して遥かな華奢な体のラインから恐らく女だとわかる。声の感じからして、少女と言ってもいい位かもしれない。
「えぇ…こんなテンプレ展開あるの…?」
レイトの口をついいて出たのは、そんな言葉だった。
どうしよう、門まで戻って衛兵たちを呼んでこようか。でも、勘違いかもしれないしな…。オロオロとそんな事を考えていると、ふと男の1人が手に持っている物に目が留まった。
それはナイフだった。小振りながらも硬質な光を放つ銀色の刃の切っ先が、少女に向けられていた。ナイフを持った男は口元を愉悦の色を浮かべながら、少女の細い腰にナイフを宛がい、反応を確かめる様に這わせていく。それを見た途端、レイトの脳裏に1つの光景がフラッシュバックした。
幼馴染の少女に突き付けられた刃。恐怖に身を竦ませる姿を見下しながら、なお嗤笑に歪む顔。人の尊厳を捻じ曲げ、
瞬間、自分でも驚く程の激昂に突き動かされ、レイトは飛び出していた。
「やめろ、お前らっ…!その娘から離れ———!」
「「「ああんっっっ⁉⁉⁉」」」
だが、瞬間的な怒りは冷めるのも思いの外早いらしい。強面の男たちに睨めつけられた途端、「ごめんなさいすみません申し訳ありませんでしたー!!!!」と180度ターンして直ぐに逃走したくなったが、それをしたら男じゃなくなる…と何とか踏み止まった。
「……聞こえなかったのか?その娘から離れて、どっかに失せろって言ったんだ…!」
口調はへりくだらず、恐れを悟らせない様に。レイトは努めて冷静に言葉を紡ぐ。
「なんだ、このガキ。邪魔してんじゃねぇぞ。俺たちは今からこのレディーをエスコートしなきゃいけないってのによぉ」
「もしかして仲間に入れて欲しいのか?残念だったな!てめぇみたいなガキにやる分け前なんか少しもねぇんだよ!」
ギャハハハハ!と男たちは嘲る様に哄笑し、引き下がる様子もなかった。やはり言葉でどうにかなる様な相手でもない。だからと言って、ここまで来てレイトにも引き下がれる筈がない。「分け前」と少女の事をまるで品物か何かの様に語った男たちへの怒りも手伝い、レイトは「うるせぇ‼」と叫んでいた。
「丸腰の女の子取り囲んで、武器まで突きつけといて何がエスコートだ!それ以外知らないって言うなら、今すぐ外出て、デブリスでもナンパして来いってんだ…!」
男たちから笑いが止む。代わりにスッ…と顔が怒気に塗りこめられていく。
「ガキが…!痛い目見ないと分からないみたいだなぁ…!」
3人の男たちがそれぞれ腰からナイフを抜き放ち、ジリジリと距離を詰めてくる。レイトは慌てて腰から、ジェイクに渡された武器——アーククロスと言ったか——を抜き、銃の様に構えた。
「やめろ…!それ以上近付いたら撃つ!」
「ギャハハ!聞いたか?撃つ!だってよぉ‼」
「笑わせるぜ!それじゃ撃てねぇじゃねぇか!」
「武器の使い方がなってねぇぞ、ガキ!それじゃあ今から武器の振るい方ってのを、その体に刻み込んでやらぁ!」
だが男たちは止まる事なく、一段と哄笑を強く上げる。その手に武器を握り、レイトに躍りかかろうとした刹那、
〈BLADE…LOADING…〉
突如響いた無機質な音声。その直後、風を切る様な音と白銀の閃光が駆け抜け、男たちの持っていたナイフが柄の先から切り裂かれていた。えっ…と驚愕の表情を浮かべる男たちとレイトの間に立っていたのは、先程まで囲まれていたあの少女だった。その手にはいつの間にか、細い刃渡りの長剣が握られていた。
「自分の事だから穏便に済ませる気だったけど…この人に手を出そうって言うなら、容赦しないわよ」
少女が口を開く。そして、そのまま男たちに向き直り、その剣先を突き付けた。
「切り刻まれたくなかったら消えなさい。今すぐ!」
凛然と、静かな決意を込めて少女が言い放つ。
完全に不意を突かれた男たちは、ス——ッと青ざめ、「ごめんなさいすみません申し訳ありませんでしたー!!!!」と叫びながら180度ターンして雑踏の中に走り去っていった。
消えていった男たちに目をくれる事もなく、少女は剣を腰にはめたベルトに翳す。すると、剣が眩く輝き、光の粒子となってベルトに吸い込まれていった。そして呆けたままのレイトに向き直ると、顔を覆っていたフードを外した。
大きめのフードに隠されていたのは、彫刻の様に端正な顔。それが現れた瞬間、周囲の空気が引き締まり、一斉に傅く様な錯覚を感じた。
肩口辺りまで伸ばされた髪はやや青みがかった銀色で、陽星の光を帯びるとキラキラと不思議な色合いで輝く。それに比して、瞳はアメシストの様に何も交じり合わない紫色で、凛とした少女の佇まいを強調している様でもあった。
ケープの下の身体は少女らしく触れたら折れそうな程に細いが、よく見ると猫科の肉食獣の様にしなやかで、それでいて一切の無駄なく引き締まっている。胸元や腕には白銀色の装甲鎧が取り付けられているが、それさえも少女の優美さを強調しているようでもあった。
美しき、妖精の騎士。
そんな陳腐な言葉で言い表せる気もしないが、それがレイトが少女に描いた感想の1つだ。
少女はジッとレイトを見つめた後、徐に手をレイトの右手に添えて、言った。
「貸して。それはこう使うの」
右手に握られている、結局撃てず仕舞で終わってしまったアーククロス。それをレイトの手と一緒に包み込む様に持ち上げると、少女が腰のベルトから薬瓶の様なものを取り出し、アーククロスの後部に差し込んだ。
〈ARROW…LOADING…〉
直後、アーククロスから無機質な音声が発し、上部の台座から先端にかけて銀色の矢が形成されていった。驚くレイトとは対照的に、少女は優艶に笑みを浮かべた。
「武器の使い方くらい、きちんと把握しておきなさい。でないと、折角の勇気もただの蛮勇で終わるわよ?」
穏やかに、しかし毅然と言う少女の言葉に頷きながらもレイトは、急速に穴があったら入りたい衝動に駆られた。
男たちに囲まれて抵抗できなかったのではなく、単にまだ抵抗しなかった——というだけの事なのか。それを早とちりして飛び出し、何の役にも立たなかった挙句、少女に武器の使い方までレクチャーされる事になるとは———。己の道化ぶりが居たたまれず、レイトは消え入りそうな声で「そうですね…ごめんなさい…」と言って、フラフラと少女の傍から離れようとする。せめて全力疾走で逃げ出さなかった事を褒めて欲しいくらいである。
だが、少女は「待って」とレイトの肩を掴んで呼び止める。
「偉そうなこと言ってごめんなさい。助けてくれてありがとう。せめてお礼をさせて」
少女が言った。その笑みには何の含みもなく、嫌味や侮りで言っている様には思えない。レイトの胸にくすぐったい様な、でもどこか困惑する様な気持ちが広がっていく。
「…いや…俺、何もしてないし…」
「そんなことない。見て見ぬふりをする事だって出来た筈なのに、あなたはそれをしなかった。声を上げて、立ち向かってくれた。それだけの事って思う?でも、他の誰も出来なかった事をあなたはしてくれた。あなたが何をしてくれたか、じゃない。あなたがしようとしてくれた事にお礼を言わせて欲しい」
何を取り繕うでもなく、ただレイトを真っ直ぐに見つめ、少女は言った。レイトの顔が急速に熱さを増していく。二の句を告げないでいるレイトの反応を肯定と受け取ったのか、少女は「ほら、行きましょ」レイトを促して先を歩き始める。
「どうしても気になるって言うなら、クォカでも奢って。それなら問題ないでしょ?」
どうやら引き下がる気はないらしい。仕方なしに追い縋るレイトを満足そうに眺めると、
「私はアイリス・ルナレス。あなたは?」
聖鐘の様な少女の声が問うてくる。この出会いから何かが始まる様な、そんな予感が微かに、だか確実にレイトの胸に広がっていった。
◇◇◇◇◇
「着いたわ。ここよ、ここ」
アイリス・ルナレスに案内されたのは、この村に数軒ある宿屋の1つだった。2階建ての簡素な作りで、やはりと言うか1階が食堂、2階が宿泊スペースになっている。レイトが泊まる場所を探していると告げると、ここに案内された。
因みに彼女が宿泊している場所であるらしい。
「思ったよりも小さいんだね」
「そう?どこもこんなものよ。元々旅をする人なんて限られるわけだし…。さ、入りましょ?」
それはジェイクから聞いていた話だ。
デブリスやそれらが広める病が広がるこの世界において、自由な旅が出来るわけではないし、そもそも自分の街から出ようとする者も稀なのだそうだ。
すると、この目の前の少女もまた、その“稀”な例の1人になるわけだ、と気付く。先程男3人の武器だけを破壊して見せた技術からも、彼女が只者でないことは間違いないが、一体何者なのだろうか?
そんなレイトの疑問を他所にアイリスは門をくぐって宿屋の中に入っていった。
門を開けると同時に、子気味の良いカウベルの音がエントランス中に響き渡った。
「いらっしゃいま———あ!パラディン様!おかえりなさいませ!」
「パラディン様!また引き続き、このような小汚い宿をご利用いただき、ありがとうございます!」
「パラディン様、ご無事で何よりでした!どうでしたか、旅の成果は」
エントランスにいた従業員たちが声を揃えて、歓待の声を上げる。蜂の巣をつついた様な騒ぎにレイトは少し目を瞠るが、一番反応が顕著なのは当のアイリスの方だった。恐縮しきり、という顔で従業員たちの声に応えている。
「パ、パラディン様というのは止めて下さい…。すみませんが、もう1泊追加でお願いします」
「はい、勿論です!しかし、パラディン様でしたら、やはり宿泊費は無料で…」
「大丈夫ですから!ちゃんとお支払いします‼」
最後は叫ぶように言って、銅貨を4枚カウンターに出していた。
「あと、すみません。彼にも部屋をお願いします」
アイリスがレイトの方を見遣って言う。心なしか頬が赤い。
「あ、はい。従者の方ですね?同じく1泊で大丈夫ですか?」
従業員がレイトに聞いてくる。
正直この先どうするかは全く決まっていない。だが、少なくともこの街に長居してもしょうがない事はわかる。取り敢えずアイリスに倣って「1泊でお願いします」と答えておく。
「はい、ありがとうございます。宿泊1泊で4ファーブルになります。料金は前払いになりますね」
4ファーブル、というのはお金の単位の事だろう。先程アイリスが出していた銅貨のことだろうか?レイトはジェイクから貰った革袋から金貨を1枚引っ張り出す。
「すみません。これで足ります?」
瞬間、
「ジャ、ジャンル金貨ぁぁっっ!!!??」
と、受付嬢が素っ頓狂な声を上げた。次の瞬間、またしてもエントランス内が蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
「こ、これっ、本物のジャンル金貨なの⁉偽物とかじゃないよね⁉」
「いや、確かに…重さとか触った感触は本物っぽいと思うんだが…?」
「触ったこともない癖によく言うわよ…。ねぇ、エディ!あなた昔、都市部に住んでた事あったわよね?」
「いやぁ…それでも金貨をお目にかかる様な生活は送ってなかったからなぁ…」
「というかそもそも、1ジャンルって何ファーブルなんだよ?」
「そんなお金ポンと出すなんて、流石パラディン様の従者…‼」
どうやらいきなり金貨を提示するのは不味かったらしい。一向に収まらない騒ぎに、レイトは助けを求める様にアイリスに目を向けるが、彼女も驚いたように目を丸くしていた。
アイリスが何か聞きたそうに、口を開きかけた刹那、
「やかましいぞ、お前ら‼」
突如店の奥から野太い声が聞こえてきた。
カウンターの奥の扉から、男が1人歩いてきた。途端、他の従業員達が
「お客様がいる前で、みっともなく騒ぎやがって…。…で、金貨だと?」
男は従業員から金貨をひったくり、手の上で転がした。
「む…本物だな。因みに1ジャンルはざっと50アンリルくらいだ。となると、ファーブルに直すと1500ってとこだな」
「1500…‼」
レイトと従業員たちがザワザワと色めき立つ。え~と…1泊が4ファーブルなのだから、1500だとつまり、375泊分…!
またしても騒然となりかける空気を、男がまた「やかましいって言ってんだろ!」と一括する。そしてレイトにつかつかと歩み寄ってくると口を開いた。
「すまねぇな。宿泊の件だが、勿論泊まっていってくれ。ただ、何せ大金なんでな…今すぐ釣銭を用意する事ができん。金は何とか搔き集めるから、少し待ってくれるか?」
レイトはホッと息をつく。どうやら「出てってくれ」と言われる事はなさそうだ。お金が返ってくるというのであれば、レイトに嫌も応もある筈がない。レイトは「だ、大丈夫です」と答えて頷いた。
「ありがとうな。……あと、これは忠告だが、やたらジャンル金貨なんか出すもんじゃねぇ。ここは比較的治安がいい街だと思うが、大金を持ってることをひけらかすと、後ろから襲われるなんて珍しい事じゃないからな…。パラディン様もよく言い聞かせてやんな」
「…わかりました。ありがとうございます、店長」
最後はアイリスに向き直って言った。
そういえば、自分は彼女の従者ではないので、彼女が何か言われる筋合いはないのだが、アイリスは特に気にした様子もなく笑っている。
「おう。それじゃ、食堂はその扉の向こうだ。何もないんだが…まぁ、何でも好きに飲み食いして行ってくれ。その食事代も含めて出るときに清算させて貰う。正直その方が助かるんでな。おいリタ、案内して差し上げろ」
「わかりました。それじゃ、ご案内しますね?」
従業員の1人に案内され、レイトとアイリスは食堂に足を踏み入れた。
「レイトは何が食べたい?」
二人掛けのテーブル席に向かい合って座り、アイリスが皮張りのメニュー表を渡して聞いてきた。どうやら、好きなものを注文できるらしい。てっきり中世ヨーロッパ風の世界なのかと思ったが、そこら辺は意外と近代的なのだな、と思う。
まぁ異世界だし、細かく考えても仕方ないか。そう思う位にはだいぶ考え方がマヒしている。かくしてメニュー表を眺めたレイトだったが、20秒と経たないうちにパタンと閉じていた。
「ごめん、よく分からない。アイリスに任せる」
「?そう…?それなら…」
アイリスは少し怪訝そうな顔をした後、メニューを一読し、従業員を呼び寄せて、いくつか料理を注文した。耳慣れない料理名はレイトにはよく聞き取れなかったが、まぁそこは来てからのお楽しみ、という事にしておこう。
「驚いたでしょ?あの店長さん」
注文を終えたアイリスが口を開いた。
「凄くお節介な人なのよね。私が初めてここに泊まった時、『女が1人で食堂を利用すると目立って危ない。部屋まで運ぶから、そこで食べて方がいい』って心配してくれて、部屋にもう使ってないテーブルまで運び込んでくれたのよ。ああ見えて、お客相手には凄く誠実な人なんだって、従業員さん達も言ってた」
「…そうだね。ちょっと強引だけど…本気でこっちの事、心配してくれたみたいだった」
「ちょっと、怖いけどね?」
「ちょっと、声も大きいけどね?」
そんな事を言いながら、レイトもアイリスも互いにクスクスと笑った。
「まぁ、でも…あなたがいきなり金貨を取り出した事の方がもっと驚いたけど…」
アイリスが表情を真顔に戻す。先刻彼女がなにか聞きたそうな顔をしていたのを思い出し、レイトは少し身構える。これから何が聞かれるのか、大体の想像はついている。
「さっき旅をする人は珍しい、って話をしたわね?宿を探してた位だからあなたもそうなんでしょうけど…その割にアーククロスを使い慣れてないみたいだったし、金貨がどれ位の価値があるかもわかってないみたいだった…。レイトは何者なの?」
アイリスが真正面から疑問をぶつけてくる。まぁ、そろそろ聞かれるだろうと思っていた。傍から見ても不審な要素が盛り沢山な人間だろうと思う。
だが、アイリスの顔に浮かぶのは不審気というよりも、どこか心配する様な色が強い様に思う。出会ってそれ程時間が経っている訳ではないのに、レイトの直感としては目の前の少女は信用が出来る人間だ、と思えていた。もしかして、彼女になら話してもいいのではないだろうか?自分がこことは違う異世界からやってきた人間である、という事を———。
そこまで考え、レイトはその考えを打ち消した。異世界から来た、という現実味のない事を話したとして、目の前の少女が信じてくれる保証はない。何より、今の状況を当のレイトが一番信じられないのだ。ここは暫く、予定通り記憶喪失であるという事にして話した方がいいだろう———。
レイトはアイリスに記憶喪失である事、その為この世界について何も知らない状態であるという事、ある男に助けられてこの街まで来た事等を説明した。
「そうだったのね…。ごめんなさい、不躾な事を聞いたりして…」
「いや、いいよ。正直俺も信じられないからさ…」
アイリスもまた
だからと言って罪悪感を感じない訳では勿論ないのだが———。どこか胸が疼く様な感覚を半ば無視してレイトは話を続ける。
「それで、教会に保護して貰えって言われてこの街まで来たんだけど…どうやらこの街にはないみたいでさ…。それで…確か…『セルフック』っていう街を目指そうと思ってるんだけど…この街からは遠いのかな?」
アイリスが考え込む様な顔をする。出来れば、「もっと近場の街にもある」と言ってくれやしないか、と密かに期待したのだが、その口は「遠い…わね」と無常に告げた。
「距離にして大体1000サウド…。普通の人間だったら、1日歩いても20日近くかかるかな…?」
「20…‼…え~と…バス…じゃなかった、馬車便とか、そういうのは…」
「ないわね。王都周辺ならともかく、未開拓地域が多い西部では」
つくづく異世界とは世知辛く出来ているらしい。この街まで歩いてくるのですら相当大変だったのに、これを延々20日間歩かなければいけないとは…。レイトは絶望的な気分でテーブルに突っ伏した。
「そんなに落ち込まなくても…。何とかなるわよ」
呆れたようなアイリスの声音が頭の上に降り注ぐ。恐らく世にも情けない表情をしているであろう自分の顔を見せたくはないが、話を聞くべく、レイトはノロノロと顔を上げた。
「レイトはお金を持っているでしょう?どの街にも必ず、他の街に商売をしに行く外部商って人たちがいるから、その人達にお金を支払って、彼らが目指す街まで送ってもらうの。それを繰り返していけば、いつかセルフックに着けるんじゃない?」
ああ、成程…と思う。あまりにシンプル過ぎて思いつきもしなかった。だが、懸念事項があるとすれば———。
「お金、足りるかな?」
「金貨がそれ程あるなら足りると思うわ。勿論、中には出来るだけ搾り取ろうとする悪い人達もいると思うから、そこは注意ね。それは店長さんに頼めば、誰か良い人を紹介してくれるんじゃないかしら?あの人、街の顔役みたいなものだし」
店の厨房スペースに目をやると、店長が大振りな肉を捌いているところが見えた。気難しそうに引き締められた顔とは裏腹に、世話焼きでお節介な人だという。他にもこの街までレイトを運んでくれたノエルの両親や自分を助けてくれたジェイク、そして目の前のアイリス。ここまでも見ず知らずの自分に手を貸してくれた人々がこれだけ居た。
恐れているばかりでは、この街から出る事も出来ない。もしもこの世界で生き、そして元の世界に戻る方法を探そうと思うなら、人の手を借りながらでも、進み続けるよりないではないか。それがせめて、これまで助けてくれた人々に報いる事になるのでは、と思う。
「ありがとう…考えてみるよ。何か助けてもらってばかりでごめん…」
「気にしないで。それが私の仕事みたいなものだから」
アイリスは言うが、仕事だと言うのであれば、やはりこのままにもしておけない。レイトはテーブルの隅のメニューを広げ、その文字列を追っていく。目当ての物は酒類のページにあった。手を上げて近くの従業員を呼び寄せる。
「すみません。このクォカってのを1本下さい」
「…!レイト…!確かに奢ってって言ったけど…それ結構高いわよ…?」
「大丈夫だよ。店長からなるべく金落せって言われているし。それに仕事って言うなら、これは報酬みたいなものだよ。遠慮しないで受け取って」
そもそも自分の金ではないので偉そうな事は言えないのだが…今は華麗に無視する事にする。アイリスは恐縮そうに表情を曇らせていたが、
「そう言うなら…遠慮なくご馳走になります」
やがて観念した様に表情を緩めて言った。
クォカと呼ばれた酒がテーブルに届く頃には、他の料理も到着していた。レイトが大鍋に煮えたスープを取り分ける中、アイリスが酒瓶の栓を抜き、グラスに薄い琥珀色の液体を注ぐ。僅かに果実の様な甘い香りが漂う酒の表面には炭酸の様な泡が浮かんでいて、レイトは少し面食らった。
「アネスタ原産のクォールっていう果実で作るスパークリングワインなんだけどね、シドニアではあまり出回ってなくて高いのよ。アネスタではこの半値位で飲めるんだけど…まぁ飲めるだけありがたいってものよね。果実の熟成具合によっても味が変わってくるんだけど、私は比較的辛口のが好き」
グラスに注がれたワインを眺めながら、アイリスが喜々と語る。その顔は僅かだが上気しており、口調も饒舌になっている。そんな様子を眺めながら、よっぽど好きなんだな、とレイトも少し嬉しくなる。
「アイリスってもしかして、アネスタの出身だったりする?」
「ううん。生まれも育ちもシドニアよ。アネスタには子供の時に親戚の結婚式で行ったくらいかな?」
「へぇ…って、まさかその時から飲んでたとは言わないよね?」
「ん!やっぱり美味しい‼」
レイトの懸念をスルーして、アイリスは早くもワインに舌鼓を打っている。…というか今、誤魔化しましたよね?
「ほら、レイトもどうぞ?」
アイリスがレイトのグラスにもワインを注ぎ、差し出した。
「いや、俺お酒は…未成年だし…」
「そんなに強くないから平気よ。それに…誰かと飲みたいのよ。ずっと長い間、1人で旅をしてるから…」
そんなに強くないと言いつつも、アイリスの目は若干トロンとしている。そうした姿も実に可憐で、先程男たちを牽制した時の鬼神の如き強さが噓の様だった。
「アイリスはさ…どうして旅をしてるの?外にはデブリスだっているし、おかしな病気も広がってる…。そんな中で女の子1人で旅をしなきゃいけない理由って…?」
ずっと気になっていた疑問が口をついて出る。アイリスは少し気まずそうに髪をいじくりながら、口を開いた。
「私も色々訳ありで…。どう説明したらいいのかな…」
「…もしかして、パラディンって呼ばれてた事と関係ある?」
「……っ!」
アイリスの口調は珍しく歯切れが悪い。パラディンという名を持ち出したのは助け舟のつもりだったのだが、途端アイリスは顔を赤くして、更に気まずそうに居住まいを正す。
「まぁ…関係なくも…ないかな…?…それを説明するには…先ず『勇者ディライト』の事を説明するのが早いんだけど…そもそもレイト…ディライトってなんだかわかる?」
アイリスが聞いてくる。勿論わかる訳がない。レイトはフルフルと首を振って否定する。
「そうよね…。勇者ディライトは…昔この世界に居たって言われてる、伝説の勇者の名前なの」
「伝説の勇者…?え~と…それって実在した人なの?」
「ええ。この世界の人なら皆知ってるわ。子どもの頃から彼の伝記を読んで育った人は多いだろうし。簡単に話すと、デブリスがこの世に現れて暫く経った頃、まだライドラッグもミスリル銀の武器も開発されてなった時代にどこからともなく1人の男がやってきて、圧倒的な力でデブリスを蹴散らしてしまったの。伝記によれば、剣の一振りでデブリスを倒してしまうとか、空を飛ぶことも出来た、とか言うわね。やがて、勇者はこの世界で自分が認めた7人の騎士に、力の一部を分け与えたの。これが天命騎士…つまりパラディンと呼ばれる人たち」
アイリスは喉を潤すように、スパークリングワインを一口含み、また口を開く。
「そして勇者ディライトとパラディン達は、やがてデブリスの王を追い詰め、見事に討伐…。そして世界に平和が訪れました…っていうお話よ」
成程…。割とありがちな英雄譚だ。だが、それにしても気になった事が1つ——。
「え~とさ…ケチつける様で悪いんだけど…でもデブリス達は滅んでないよね…?」
「そうなのよねぇ…。でも取り敢えず、伝記はそこで終わってる。それでも天命教会は勇者の存在を信じてるし、今でもその痕跡を探し続けてる。勇者ディライトはこの世界の錬真術の基礎を築いたとも言われてるし、各国の王に働きかけて、ドランバルド連合結成のきっかけになったと言う話もある」
「う~ん…それは流石に話を盛りすぎてるんじゃ…」
「私もそう思う。まぁいくつかは創作でしょうけど…でも勇者ディライトと7人のパラディン達は今でも人々から尊敬を集めてるのよ…。心の拠り所、と言ってもいいのかもしれない」
「なるほど…。…で…?君がパラディンって呼ばれてるのはなんで?」
「……っ!」
そもそも話の出発点はそこだった筈だ。だが、アイリスはまた頬を赤くして、モジモジし出してしまう。
「その…
「…え?ごめん、よく聞こえないんだけど…」
「と、取り敢えずっ!スープが冷めちゃうからこの話は後にしましょう!ホラ、遠慮しないで食べて食べて!」
…どうやらあまり触れて欲しくない話題らしい。慌ただしくスープを口に運ぶアイリスを眺めながら、レイトも食事に専念する事にした。
話がいつまで経っても進行しないので、少し長めにしてます。
世界観に関する説明をダラダラしつつ、次回辺りにはバトルに入れるかも…。まぁ、文字数を見て決めます。
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それではまた次回。