ご容赦ください。
◇◇◇◇◇
ヒュン!という風切り音が閃いたその刹那、今度は重たい金属音が肉を打つ異音が響き渡る。思わず身を竦めたくなる様な嫌な響きだ。例えそれを浴びるのが自分ではないとしても……否、自分ではないからこそかもしれない。
そして、その後には大概、
『この大バカ者めが!王座を継ぐ者がそんな体たらくで何とするか!』
そんな怒声もセットで降り注がれる。言葉は毎度少しずつ違えど、『王座を継ぐ者』『王たる者』……そんな言葉が大体いつもついて回る。それこそが“父”が“兄”に求めているものに他ならないからだ。
王は強くあらねばならない。それはその背後にいる多くの民達の為……。多くの王がそうしてきた様に、“父”もまたその様にして育ち、その様に在る。だからこそ、その立場を継ぐ者である“兄”にもそうするのは当然……ではあるのだが、それでも血の繋がった“兄”がその様な目にあっているのを見るのは嫌なものだった。
同じ血を継いでいる筈の自分には何もされない事も。
そういう時、怖さのあまり隠れる事しか出来ない自分の弱さも……。
ゴトン!と衝撃に体が揺らされた事で、思い出の中を揺蕩っていたビリウス・ドレッド・シドニアの意識が現世へと帰還した。生まれついた時から常に思い通りに動かない、不自由極まりない肉体という檻の中に。
「…………っ」
「あら、起きましたか?気分はどうですか、ビリウス殿下?」
「……………っ、アイリス……パニディエラ……っ!貴様っ……」
白銀の鎧を纏い、精緻な彫刻の様に美しい少女……だが、今のビリウスには誰よりも憎むべき相手である。布団を撥ね退けて彼女にビリウスが彼女に手を伸ばす。アイリスの傍らに立っていたレイトが反応しかける……が、それは果たされなかった。全身に力が入らず、ビリウスは床から起き上がる事さえ出来なかった。
「ぐぅっ……!」
「無理しない方がいいですよ。デブリーターの変身で、身体に相当無理が掛かっている筈ですから」
「まぁ、ハルマさんの話じゃ体に深刻な毒素の蓄積はないそうだから。少し栄養摂って休めば良くなるって———」
「よ、余計なお世話だ!敵の施しは受けんっ!」
レイトが差し出したチーズ片をビリウスが強硬に払い除ける……が、それでも構わずレイトがその口に捻じ込む様にチーズ片を押し込んだ。
「モガッ⁈モガモガガッッ⁉」
「そっちにその気がなくてもこっちにはあるんだ。いいから黙って食え。…アンタに伝えなきゃいけない事もあるんだから」
「ケホッ……伝えなきゃいけない事……だと……?」
「ええ、皇帝陛下と王妃様の事についてです」
「……………っ⁉」
アトラークが王として即位してからの公式発表では、前王と王妃は既にディライトによって殺められた事になっている。先ほどの戦闘での言動から彼は事の真相を知らない可能性が高い。それならば……否、だからこそ真実を知らせなければならないと思う。それがとても信じられない様な話であったとしても、だ。
レイト達はビリウスに伝えた。事の始まりはアトラークがデブリーターという組織を生み出し、民を実験台とした恐ろしい計画を始めた事。その計画が王にバレ、糾弾されたアトラークが王を殺めた事。そして、彼もまた真の首魁によって殺害され、今この国を率いている彼は全くのニセモノだという事も……。
「う、嘘だ!そんな事がある訳が———!」
「…まぁ、信じられる訳ないよね……。でも、本当の事だよ。アトラーク・フォン・シドニアは人を怪物化させる霊薬の実験に国民達を巻き込んで、この世界を更なる戦火に巻き込もうとしてた。その果てが今のこの状況ってわけだよ」
レイトが窓を開けると、雑多な空気がビリウスの鼻に飛び込んできた。草が燃え大地が焼ける匂い、更に肉や皮脂が焼ける独特な空気やバチバチと弾ける様な音の雨が。
今ビリウス達がいるのはリンクス達が移動用に拵えた大型の幌馬車である。リンクス達の一部は日の出と同時にクロシアへ向けて進軍を開始していた。その際に砦の中の警備に人手を割けないのと、行軍に村の医師たちが殆ど同行してしまった為、暫く医療的な経過観察が必要だったビリウスとあの少女——ユリィを同行させる事になったのだ。これに関してはハルマ達がだいぶ粘ってくれたお陰でもあるが。
十数台の幌馬車が軒の様に並ぶこの場所はすっかり焼け焦げた村痕だった。あちこちに散らばる家屋の痕跡からはまだズブズブと破壊の残り火が燻ぶっており、蹂躙されてまだそれ程の時が経っていない事を感じさせる。
これでも片付いた方であり、ヤナリ達が到着したばかりの時はそれは酷い有様だった。村の中央で轟々と燃え上がる炎の中には……わざわざ説明する間でもなく、ビリウスが再びマットレスへと突っ伏して体中をガタガタと震えさせた。
「…ごめん、無理をさせた……」
「…私はっ……私は、こんな事は知らんっ……!私はこんな事を、命じてなどいない……!ただシドニアが生まれ変わる為に、国内の流民達の保護を進めなければならないと、クリーデンス達がっ……」
「…知らなかったのは本当みたいね……。止められなかったのは、あなたの責任じゃない。でも、これが今この国の中で……あなたの国で起きている事よ。それだけは覚えておいて」
ただでさえ青白い顔を更に真っ青にして、病的に細い肩をカタカタと揺らす王弟にその言葉が届いたのかは解らない。ビリウスを再度布団へと寝かせてから、レイトとアイリスは医務用の幌馬車を後にした。
「…少し言い過ぎだったかしら?」
「…仕方ないんじゃない?今の皇子様には必要な事だよ、きっと」
アトラークとはかなり歳が離れているビリウスは今まで政治などの場に姿を現す事は少なかったし、何よりも彼はあの通りの病弱で関わる人間もごく限られた一部の者だけだったという話だ。国内で起きている事を知らなかったとしてもおかしな事ではない。
何よりも彼と一緒にいたクリーデンスとドミングスは彼を見捨ててあっさりと逃げてしまった。その事からも彼がただ錦の御旗に使われただけなのだろうと思えた。そんな彼に突き付けた真実はあまりに残酷だったかもしれないが……知らないままでいいとは思えなかった。彼は曲がりなりにもシドニア王家最後の生き残り……この国唯一の正統なる血筋の持ち主なのだから。
一縷の希望でしかなくとも、もし今の状況を変えられるとしたら……。
瞬間、ドン!という破裂音が夜空に数発木霊した。敵襲かと思わず身構えかけたが、砲撃にしては音は遥かに軽い。見ると炎を一身に見つめながら、空に向かって銃砲を構えるヤナリ達の姿が見えた。火の照り返しを受けて表情はよく見えないが、どこか厳粛な雰囲気が漂っている様に思えた。
「…弔いの砲、、みたいね……」
「敵側にこっちの位置を知らせる様なものだろうに……」
「来るなら来いって事か……それとも、やらずにはいられなかったのかも」
『彼女なりの責任感と……そして後悔なんだろうね。力を持ちながら、それをずっと隠してきた我々への……』
ハルマ氏は少し心苦しそうに説明してくれた。外の世界への強硬論を押し進めようとする師母の心の内に巣食っているものの正体を。
『リンクスは知っての通り外部との交流をなるべく断って生きてきた訳だが……ヤナリはそんな事をあまり気にしない娘だったからね……。彼女は師母となる少し前から、周辺にあるロストリス区との交流を密かに進めていた様だったんだ』
過去にどれだけ陰惨な迫害の歴史があったとしても、その時代を直接経験した世代も少なくなりつつある。特に自身の錬真術師としての力やその成果をリンクスの中だけに留めておく事に不満を感じていたヤナリに躊躇はなかった。
『…反対する声は多かったね。人間達と関わる事はリンクス達にとっていい事ではない、と……。だけど、彼女が気にしていたのはそんな事ではなかったんだろう……。大人になると、そういう事を忘れてしまうけれども……』
外の世界では必要な物が後を絶たない。農作業どころかまともな狩猟採集すらもままならない環境。物資は恒常的に不足しており、デブリスの襲撃や病に関してはもはや諦めるよりない。そんな状況下に置かれて生きる人々に手を差し伸べたいという“理想”の下、そうした集落とリンクス達の交流が持たれる事になった。
最初こそ戸惑いはあったのだろうが、彼女たちの齎す技術が生活の役に立つとわかれば、リンクス達は多くの人々に頼りにされる様になっていった。元より同世代が少ないリンクスの若者達にとって、多くの人々と触れ合う機会は貴重な物だったのだろう……が、それも長く続かなかった。折しもデブリーターが民衆や特権階級を巻き込みながら進めていった狂気の芽……シドニア優生思想が国内に蔓延り出し、その矛先が壁の外の人間達に向けられ始めていたのだった。
『国内に点在するロストリス区の浄化……という名の虐殺行為が始まった。当然その中にはヤナリ達が関わっていた場所も存在していたのだが……助けに行く事は出来なかった。…許されなかった、という方が正しいかな……』
もし、シドニアを敵に回す事があれば今度はリンクスが浄化の対象になりかねない。ヤナリの“理想”の為にリンクス全体を危険に晒す事は出来なかった。それはいくら彼女が師母であろうともどうする事もできない。次々と焼き払われていく土地や人々を、彼女たちはただ見ている事しか出来なかった……それこそが、今の彼女をかきたてる物の全てだ。
戦う力を持ちながらも、争いを避ける為に自らの世界に閉じ籠る事を選んだリンクスの選択に、力を振りかざし、弱き者を踏み躙る強国の論理に、彼女はファンタズマという力を以て否を突き付けるつもりでいるのではないか。例えその先にどれだけの犠牲が待っていようとも……。
世界の不条理の犠牲となった人々は、レイト達も多く見てきた。もし彼らを本当に救おうと思うのなら、場当たり的な解決策ではなく、もっと大きな物……背後にいる彼らを苦しめる物と戦わなければならないのだとは思う。だが、人の社会を変えるのは容易な事ではない。悪しき秩序であっても、その中にいるのは結局は人であり、それを力で制圧しようとすれば憎しみという火種を再生産するだけに過ぎないからだ。
——…だからといって、どうすればいいのかわかる訳でもないのだが……。
ビリウス、ヤナリ、レイト……それぞれがそれぞれの無力を噛み締めながら、決戦前夜の闇を彷徨っていた。
◇◇◇◇◇
国境付近の監視場として、周囲が魔の森に覆われていたクロシア周辺の土地は今や見る影もない無残と化していた。長い年月をかけて成長した森の巨木たちが尽く焼き払われ、焦土となった大地にポツネンと聳える半円型の砦……その周囲をズラリと蟻の這い出る隙間もない程に埋め尽くすデブリーターの群れが見える。全てがその双眸をギラギラと輝かせ、武器を鳴らし、開戦の瞬間を今か今かと待ち構えている様だった。
「数はざっとこちらの10倍はいるか……。よくもまぁ、雑兵を集めるだけ集めたものだ」
「フン、それでもファンタズマがある限りこちらの優位は揺るがんでしょう。第一、上を取ったならもうこっちのモン———」
「…甘いよリゴ。デブリーターの中には空を飛べるのだっているし、あの森をこんなになるまで焼き払う火力を持ったヤツだっているんだよ。10挺程度のファンタズマだけでどうにかなるもんじゃ———」
「やぁかましいわいこの期に及んでグダグダと!戦う前から弱腰で勝てる戦があるかってんだ‼」
あくまでも慎重に意見するマヤを怒鳴りつけてリゴが再度観測用のソーガンフロッグを覗き込む。頭頂部から立ち上がった熊みたいに丸いダイロクがピクピクと震え、戦場の様子……敵陣までの距離や空気の濃さなど、正確に割り出していく。
「…チッ、ヤナリ様、ここから敵陣まではまだ距離がありますぜ。どうします?」
「どうもこうもないさ。攻撃する」
数的不利を持つリンクス側は出来る限り早急に決着を付けたいところである。ならば早々と敵陣を叩いて、敵兵を降伏に追い込むのが常道……というものだが、ヤナリは迷うことなく攻撃を決定した。急ピッチで製造が進められたといっても、ファンタズマはヤナリの物も含めて全部で11挺。決して多いとは言えないが、ヤナリはそれでも勝利に確信を持っているかの様に傲岸な笑みを崩さない。
「1番から5番までは前列、怪物兵の群れを扇状に射撃。6番から10番までは榴弾を装填、仰角やや上げて構え!私が合図するまで撃つなよ」
ファンタズマの薬室に陰エーテルを充填した薬瓶がセットされ、銃身にエネルギーがチャージされていく。一糸乱れぬ隊列を組んでファンタズマを構えたリンクス達が、その銃口をデブリーターの群れへと向け……。
「1番から5番!放てぇっ‼」
命令と同時にファンタズマの莫大なエネルギーが解き放たれた。5発の光球が密集するデブリーター達へと突き刺さり、襲い来る衝撃波と熱波に焼かれ五体を切り裂かれる。射線上のあらゆるものを薙ぎ倒す陰エーテルの砲弾は更に、硬い地面へと深々と突き刺さり、その奥で最終反応——取り込み凝集したエーテルエネルギーを四方八方へと撒き散らす『エーテルストーム』へと姿を変えた。
エーテルストームが引き起こした高熱と爆圧はそのまま硬い岩盤を食い破り、デブリーター達は足元から噴き上がった爆発と岩塊の群れの直撃を喰らう羽目になった。灼熱する地獄の窯に仲間が一斉に呑み込まれていくのを見ながら、反撃する為に飛行能力を有するレオニーグがその場から飛び立つが……そこにヤナリが仕掛けていた第二の矢が突き刺さる事になった。
「6番から10番、放てぇっ‼」
先程よりも高度を上げて放たれたファンタズマは地面に直撃する前に臨界し、灼熱の雨となってレオニーグ達へと降り注いだ。花火さながら舞い散る火の粉に焼かれ、空で、地上で、次々と命が明滅していく。その怨嗟すらも飲み込むかの様に舞い上がった粉塵と爆音はヤナリ達の元まで達する程だった。これには流石に射手達も瞠目した様だった。
「…ま、まさかこれ程とは……」
「いいや、まだこんなものでは済まないさ。銃身の冷却を急がせろ。私たちも前進するぞ」
「ヤナリ様、あれを!」
キオの視線の先……立ち込める粉塵を破って、デブリーターが波濤の如き勢いで突進してくるのが見えた。あれ程の攻撃を喰らっておきながら、思ったよりも回復が早い。
「化け物どもめ!あれで引き下がらんのか……!」
「まぁ、そう簡単にはいかないだろうね。だが……」
ファンタズマは強力だが、一発放つごとに銃身を冷却しなければならない為、連射が効かないという欠点がある。今あの数に踏み荒らされればひとたまりもないだろう……が、それならば次善策を打っておくだけの事である。ヤナリの口の端が不敵さを崩さずにニヤリと跳ね上がった。