今回でSaga3が終了です。
◇◇◇◇◇
頭の中が真っ白になった経験というのは何度かあるが、今のこの感情は何と言うのだろうか。何せ女の子が自分の名を叫びながら、首元に抱き着いてきた経験など、レイトの枯れた人生の中では初めての事だ。耳どころか恐らく頭の中身まで赤色に染まっているであろう己を顧みつつも、身を包む甘やかな香りの心地良さに意識が弛緩していく気がした。
「…っ⁉なっ…⁉どっ…⁉き…だっ…!!??」
何⁉どういうこと⁉てゆーか君ダレ!!??と叫べたら良かったのだが、頭の一部が呆けた様な状態になっていて、出てきたのはそんな言葉にならない雑音ばかり。助けを求める様に少女の頭越しに周囲を見渡すと、ポカンとした顔を浮かべるアイリス・ルナレスの姿が捉えられた。
途端、名状し難い感情——罪悪感に近い気がするか——が頭に溢れかえり、だらけかけていた意識が瞬間的に覚醒した。意志力を総動員して、「ちょっ…、ちょっと待って!」と首元に縋り付いていた少女を引き離した。
「…マヤさん、だっけ?多分、人違いだって…。俺は君の事知らないんだけど…」
「…っ!…嘘…レイトでしょ…?だって…その顔も、肩の刺青だって…人違いなんかじゃないよっ…!幼馴染の顔、間違えたりしないってっ…」
「…いや、確かにレイトだけどさ……って、幼馴染⁉俺と…君が…?」
マヤが静かに頷くが、その目が悲しそうに潤む。こちらが彼女の事を知らない、というのが相当にショックだったらしい。またしても罪悪感が鎌首をもたげ始めた矢先、アイリスがマヤへと駆け寄って来た。
「マヤさん…。驚くと思うけど…今のレイトは…記憶を失くしてるの…」
「…っ⁉…記憶を…それじゃ…ホントに覚えてないの…?私のこと…」
記憶喪失。それは実のところ、この世界に転生したレイトが、デブリスや世界に関する何の予備知識も有していない事を誤魔化す為に——成り行きとはいえ——つけ足した“設定”だ。だから目の前の少女の事は「覚えてない」ではなく、正確には「知らない」が正しいのだが———その事を正しく伝えるわけにもいかない。降り積もり続ける罪悪感を払拭するべく、「と、とにかくさっ…!」と声を上げた。
「そこら辺の話は後でゆっくりしよう。先ずは目の前の依頼を片付けないとさ…ね?」
「…わかった。じゃあ、後でね…」
下手な誤魔化し方だったかもしれないが、マヤは不承不承という感じで頷いてくれた。罪の意識が消えてくれる訳ではないのだが、少なくとも依頼に向き合っていれば、余計な感傷に躓かないで済む。膨れ上がる感情に蓋をしながら、レイト達はラウボーの家路へと足を進めた。
◇◇◇◇◇
掘っ立て小屋、と言えば聞こえは悪いのだが、森中に建つラウボーの家は総じてそう称されるようなものだった。ささくれが目立つ壁の表面など、ところどころに手造りという感が滲むが、軒先などは綺麗に掃除が行き届いており、粗末という印象は受けなかい。人狼の住み家、というだけでどこか魔窟の様なイメージを膨らませていたレイトとアイリスは少なからず面食らう事になった。
そんな2人の当惑など知らずに、「ただいま。帰ったぞ」と無造作に玄関を開けるラウボーの姿は、やはり人狼ではなく、普通の人間の様に見えてならなかった。
「お帰りなさい。成果はあったの?」
「いや。今日もやられたよ…。カランの所の牛らしい…。捜したけど犯人は見つけられなかった」
「カランのところの…?心配ね…。後で顔を出してあげたら?」
「薪を届ける時に行ってみる。…それより、お客さんが増えたんだ。倉庫にあった椅子出してきてくれ」
そこまで話した所で、ラウボーがこちらを手招きした。既に何日か滞在していたらしいマヤとゼオラは何の躊躇もなく戸口を潜っていった。
「虎の穴…ならぬ狼の穴ね…。果たして待つのは金糸か、牙か…。行くわよ、レイト」
「…そういう後ろ向きな発想はやめようよ…」
ラウボーに聞こえない様にボソボソと言い合いながら、2人も敷居を跨いだ。
「あら…いらっしゃい」
戸口に立っていた女性がレイトとアイリスに軽く会釈した。歳の頃はラウボーと同じく、30代前半くらい。年相応にくたびれた印象は受けるが、それでも鬱蒼とした森の住人としては十分過ぎるくらいに華やかだ。女性の澄んだ目がアイリスの肩口——正確にはそこに浮かぶ紋章を捉えた。
「…パラディン様…なのね?粗末な小屋で申し訳ありませんね。ラウボーの妻でブランカ、と申します。厄介事に巻き込んでしまった様で、ごめんなさいね」
「粗末な小屋で悪かったな。取り敢えず全員分の飯を頼むよ」
「大丈夫よ。これから作るとこだったから…それじゃ、ゆっくりして行って下さいね」
そう言って、ブランカは奥のスペースへと引っ込んで行った。妻を見送りながら、「まぁ、座ってくれ。粗末でも茶くらいは出す」とラウボーがにたりと笑った。
手作りと思しき椅子に腰かけ、レイトは周囲を見渡した。やはり手作りであろうテーブルには彩り豊かなクロスが敷かれ、その他にも粗製な作りの棚や暖炉に混じって、同じく手製のカーペットやクッションが花を添える。ブランカが先程入っていったのが厨房スペースなのだろう。ならば、その左隣の扉の先は、さしずめ夫婦の寝室か。改めてこの家が夫婦の暮らす場所なのだという実感が沸いてきた。
「あの…ラウボーさんの事、奥さんは…その…」
「人狼の事か?勿論知ってるよ。“病”の事を打ち明けて、危険だからもう会わないと言ったんだが、聞かなくてな…。全く、昔から頑固な女なんだよ…」
そう言って笑うラウボーの顔は、影が混じっている様で、やはりどこか照れ臭そうだ。そんな様子はやはりありふれた“家庭”に暮らす男のものだ、とレイトには思えた。
◇◇◇◇◇
「さて…どこから話したものかな…」
互いに簡単な自己紹介を済ませ、ブランカの料理が卓に上り始めた頃、ラウボーが重々しく口を開いた。
「私が人狼になったのは、今から6年前の事だ。原因はよく分かっていない。ある日、突然…という奴だったよ…。なんかおかしな事はあるかな?」
「…いいえ。人狼化はよく同種のワーウルフに嚙まれる事によって発症する、と言われますが、特に前触れなく発症したという報告もあります。そういう意味でおかしな事はないかと」
「そうか、ありがとう…。だが、先程も言った通り——自分でも信じられない話なんだが、私は自分の意思を失わなかった…。人狼に変身できる様になっただけで…それ以外は全く普通の人間のままだったんだ」
「…でも…そんな前例は聞いた事が…」
アイリスはまた、思案する様に顔を沈ませた。だが即座に「前例がないってだけで、完全にないとは言い切れないじゃん」とマヤが口を挟んだ。
「これまでもラウボーさんみたいな人はいたんじゃないかな?なのに、人狼は意思を失うって説を丸呑みして、そういう人たちも片端から殺しちゃってたりしたら?そりゃ前例なんて出るわけないよ」
「発症が6年も前というのも引っ掛かります。裏を取る為にベアカンファーで色々聞いて回ったのですが…これまで家畜や人が襲われた、という話は聞きませんでした。人狼は食肉・暴力衝動が特に強いと聞きますが…6年もの間、人狼がそれらを抑えながら生きていけるものでしょうか?」
「…出来ない、わね。昔人狼を捕らえて、肉を与えずに生かしたらどうなるのか、という研究が確かされて…3日程で食肉衝動を抑えきれなくなって、自分の手足を嚙み千切りだした、という結果が出た筈…」
「あの~…御三方?議論がヒートアップするのは結構ですけど…一応食事中ですので…」
どんどん物騒な方向にシフトしていく話に耐え切れず、レイトがおずおずと口を挟むと、3人もハッとした様に慌てて口を噤んだ。
「…寧ろ気にするべきは、事件が起き始めてからの様子じゃないかな…。ブランカさん、ベアカンファ―で獣害騒ぎが起きているのはここ2週間程だそうなんですけど…その間、ラウボーさんに何か変わった事はありませんでしたか?例えば…急に姿を消したとか、シャツに血が付いている事があった…とか」
「いいえ、特には…。私の証言の信憑性も疑わしいかもしれないですけど…でも、本当に変わった事は何もありませんでした。最初の事件が起きた時も、私達は一緒にいたんです」
レイトの問いにブランカが答えた。家族や友人の証言はアリバイとして適用できない、とは言うが彼女が嘘を吐いている様にも思えなかった。大体、もしラウボーが無意識に家畜を襲い始めたのだとしたら、真っ先に彼女が殺られてしまうのではないだろうか。
「ラウボーさん。あなたの視点から見て、今回の事件をどう思いますか?」
人狼としての、という含みを言外に滲ませて尋ねる。だが、ラウボーは特に気を悪くした様子もなく、少し考え込む様な様子を見せた。
「…事件が起きたのは2週間くらい前…確かエイブラハムの鶏が食い荒らされていたんだよな…。鶏が数羽行方不明になっている事に気付いた彼が森を捜索したら、無惨に食い荒らされた鶏を見つけた…。その後も被害が続くが、“犯人”の姿は誰も見ていない。共通点は…“犯人”が森へ家畜を捨てていく、ということ…」
ラウボーが一旦口を休める様に、豆のスープを口に含む。その時、レイトは気付いた。ラウボーが先程から肉類には一切手を付けていない事を。
「被害にあった家畜の死体は、俺も何度も見たよ…。こういう事を言うと変に聞こえるかもしれないが…確かに人狼の仕業だと思ったよ…。噛み痕は確かに狼のものだったし、人狼特有の足跡も見つけた。それに…事件が起きてから、森の狼たちが妙に殺気立ってるのが気になる…」
「あのさ…それじゃ、人狼がもう1体いる可能性はない?」
マヤが疑問を挟む。それはレイトも考えていた事だ。もし、ラウボーがやっていないというのであれば、別のワーウルフが潜んでいる可能性はないだろうか。卓につく全員がアイリスの方を見遣った。この中で一番デブリスに詳しいのは彼女だ。
「…どうかしら…。人狼って、物凄く縄張り意識が強いデブリスだから…自分のテリトリーに入ってきたものは、例え同族でも真っ先に排除しようとする筈なのよ…」
「正に一匹狼、というわけですか…。ますます狼らしくありませんね…」
アイリスの言葉に一同はまた頭を悩ませる事になった。ただ、人狼を退治すれば終わると思っていた事件だったが、事件を探れば探る程、深みに嵌っていく様な感覚があった。
「…まぁ、とにかく!」
パチン!と手を叩き、弛緩しかけた空気を正したのはラウボーだった。
「ここで考えてばかりいても仕方ない。今夜はもう休んで、夜が明けたら、また現場を回ってみよう。アイリスくんはゼオラくん達と奥の部屋を使うとして…レイトくんはそこのスペースにハンモックでも———」
転瞬。
森の奥深くから、またしても警笛の様な声が響き渡ってきた。昼間、狼たちが襲撃を駆けてきた直前に響き渡った、あの異様な咆哮音だった。
「…っ!この声はっ…⁉」
「あぁ…人狼だ…。間違いない…」
言うが早いが、アイリスは即座に床を蹴り、外へと飛び出していた。未だ響く咆哮音に耳を凝らし、位置を特定しようとする。木々の反響音に遮られ、正確には掴めないが、少なくともベアカンファ―の方向に近いのではないか、と思えた。
町に危険が迫っている。そう思うと居ても経ってもいられず、即座に森へと駆け出そうとしたアイリスを「待て!」とラウボーの声が制した。
「夜の森は危険だ。私が先導する」
ラウボーがランプをアイリスに投げ渡すと、体に力を込めた。すると次の瞬間、ラウボーの体が変化を始めた。昼間に見た光景の逆再生だ。体が銀色の剛毛で覆われていき、筋組織も膨張していく。そして顔つきが変化し、ラウボーの姿は完全なる人狼の姿へと変身していいた。明らかに人を超越した怪物の姿であっても、しかしその目は理性と優しさを湛えたラウボーのものだった。
「ラウボーさん…あなたの言う事が正しかった…。疑って申し訳ありません」
人狼が別にいる以上、ラウボーへの疑いは晴れた格好となるのだ。アイリスは深々と頭を下げた。だが、ラウボーは気にする様子もなく、「まだ早いぞ、アイリスくん」と言って、それを制した。
「“犯人”の正体が分からない以上、まだ疑いは晴れた訳じゃない…。レイトくんとマヤくんもついてきてくれ。ゼオラくん、悪いが君にはブランカの護衛を任せたい」
「分かりました。…お嬢、お気をつけて」
「えぇ…お願いね、ゼオラ」
そして、4人は夜の森へと駆け出していった。いくらランプの明かりがあるとは言え、夜の森は想像以上に暗く、そして険しい。時折、飛び出している根っこや岩に足を取られない様に慎重に、それでも出来得る限りの速足で進んでいく。先をひた走るアイリスとラウボーを見ながら、ひょっとして自分が足を引っ張っているのでは…?とレイトは不安になったが、後方では更にマヤがひいこら言いながらついてきていた。どうやら、そこまで体力はないらしい。
「マヤさん、大丈夫?」
「だっ、大丈夫っ…。ありがとう…」
「うん。なるべく無理はしないで。戦う時に体力を残しとかないと」
「そ、そうだね…。…あのっ!あとさ…」
マヤが突然レイトを呼び止めた。少し切実そうな色を瞳に湛え、真っ直ぐにレイトを見つめている。
「…呼ぶときは、マヤでいいから…。なんか、そう呼ばれるのは違和感ある…」
「…うん、わかった」
答えながら、そう言えば彼女とちゃんと話が出来ていなかったな、という事に気付いた。マヤ・フォルコという少女の目に一体自分がどう映っているのか、そして彼女が探している“レイト”とは一体何であるのか…。気になる事は数知れないが、先ずは宣言通り依頼を片付けてからだ。マヤを引き離さない様に、且つ前方に置いて行かれない様に、適度なスピードでレイトは夜の森を駆けて行った。
◇◇◇◇◇
血の匂いが濃くなっている、とラウボーの呟きが聞こえた。確かに、レイトにも感じられる位に森の空気に鉄臭い匂いが混じりつつあった。やがて、一行は森の窪地に何かがいるのを発見した。
“それ”は複数体だった。しめて10体程のサルの様な何かが、地面に横たわる物を貪り食っている様だった。やがて、ランプの明かりに気付いたのか、“それ”はゆっくりとこちらを向いた。顔立ちは猫の様に丸みを帯びたものだが、口元に血をヌラリと輝かせるその姿に、可愛げ等あろう筈もない。目を炯々と光らせ、「キシャアッ!」と威嚇の声を漏らしたかと思うと、“それ”——否、“それら”は一斉に襲い掛かってきた。
〈WATER ENCHANT〉
だが、アイリスは怯む事なく、既に抜き放っていたパーラケインを片手にその一群に飛び掛かっていった。白銀の刃が夜闇に瞬き、光の曳光と血の花が咲く。ラウボーも叫びを上げながら、怪物達に拳を放っていった。
だが、なにぶん数が多い。後ろのマヤを守る為にも自分も加勢に行った方がいいだろう。レイトはディライトドライバーを装着し、2つのライドラッグを装填しようとした——だが、何故かそれが出来なかった。
「…っ⁉なんでっ…?」
力を込め、無理にでもライドラッグを装填しようとするが、手は無様に震え、やはり果たせなかった。なんで…と胸中に呟きつつも、レイトには原因が分かっていた。
ツンベルクでの一件は勿論あるだろうが、先刻自分は、知らなかったとは言え、ラウボーの命を奪いかけた。マヤが止めてくれたから良かったものの、またしても命をその手で潰しかけた感触が、今自分に変身を躊躇わせているのだと思う。ディライトの力は、明らかに自分には過ぎた力だ。またこれを振り回して、誰かを傷付ける結果になってしまったら———。
「シャアァァァッッッ‼」
「…っな!しまっ…‼」
敵が物思いに沈む獲物を見逃してくれる筈もない。怪物の爪にレイトの体が引き裂かれかけた刹那、横合いから飛び込んできた拳が猫の様な怪物を思いきり吹き飛ばしていた。
「レイトくん、躊躇うな!恐れてばかりでは力を乗りこなせないぞ!」
「…はい。わかってます」
ラウボーの檄に答えつつも、恐れがそう簡単に消え去ってくれれば苦労はない。だが、少なくとも今は後方のマヤを守らなければいけない事は間違いなかった。幸いな事に、変身しなくても戦う方法はないではない。
レイトはトランスラッシャーを引っ張り出し、水のライドラッグを装填して手近な怪物へと切り掛かっていった。ドライバーに内蔵されたメモリージングシステムがレイトに戦いの道筋を示してくれる。ナックルガードで敵の攻撃を弾きつつ、ソードモードの刃で怪物の体を切り裂く。体を深々と切り裂かれた怪物が絶命したのを確認すると、レイトは次のターゲットに狙いを定めた。
いっそこの迷いにも道筋を示してくれればいいのに。そんな事を思いながら、レイトは無心で剣を振るい続けた。
◇◇◇◇◇
「…で?結局こいつらが“犯人”なの?」
「いいえ…こいつらは『キャシャラ』…死喰らい猫ね…。残念ながら、今回の事件とは関係ないと思うわ…」
怪物——キャシャラの死体を検分しながら、アイリスが嘆息した。キャシャラは生物の死体を漁って食う性質を持つデブリスで、生きた家畜などに襲い掛かる事はまずない。実際、足跡などの特徴は全く一致しない。周囲に残されているのは、キャシャラの小さな足跡だけでなく、先程の事件でも目撃した、縦に長い巨大な足跡もあった。恐らくこの死喰らい猫たちは、“犯人”が運んできた獲物の遺体にただ食らいついただけだったのだろう。
レイト達はキャシャラ達が食いついていた物に、恐る恐る近付いていった。
「ひどい…ユニコーンだよ…」
マヤが息を飲み、言った。確かに地面には神話等でよく語られるまんまの姿の一角獣が横たわっていた。息を飲むほどに真っ白な毛並みや、全身のしなやかながらも引き締まった筋肉から、生前はさぞ美しかったのであろうと思えるが、巨大な爪痕や死喰らい猫の牙の痕跡が生々しく刻まれ、思わず目を逸らしたくなる様な惨状だった。
アイリスがユニコーンの体に触れた。白い毛並みに包まれた体はまだ温かい。恐らく、襲われてそう時間は経っていないだろう。アイリスの手が触れる度に、ユニコーンが何かを訴える様にか細く啼き声を発している気がする。
「…まだ、生きてるの?」
「…辛うじて、ね…。もう長くないわ…」
アイリスとマヤが悲しそうに目を伏せた。その様子を見ながら、ラウボーも「なんという事だ…」と呻いた。
「一角獣はドランバルドの多くの地域で、神獣として崇められている生き物だぞ…。デブリスだってそう簡単に手を出さないほど強いのに…。どうやら…今回の相手は予想以上に危険な奴の様だな…」
レイトにはいまいち実感がわき辛いが、ユニコーンを襲う、という行為はこの世界に生きる者たちにとって大きな意味がある様だった。一同は一刻も早く、この危険な相手を捕らえなければ、と気を引き締めた。
だが、マヤだけはユニコーンの傍に跪いたまま、その毛並みをしきりに撫でていた。ユニコーンが上げるか細い声に耳を傾け、何か会話をしている様に見えた。…否、実際に話しているのだ。ユニコーンの声に合わせ、「……そう…。…いいの?もう………いよ?…それでもいいなら…わかった…」と囁き続けていた。
一体何を…?とレイトが尋ねようとした刹那、マヤがユニコーンの首筋に何かの薬瓶を突き立てた。薬瓶はたちまち琥珀色の液体で満たされていく。瓶が満杯になると、マヤがそれを首筋から引き抜いた。一角獣はそれきり一切動かなくなってしまった。
「…マヤ?あなた、一体何を…?」
「…説明は後でするよ…。こんな事する奴をひっ捕らえる為にも…今は出し惜しみはなし…」
そう言って、マヤはすっ…と被っていたフードを頭から取り去った。露わになった少女の頭頂部付近の髪の毛がピクピクと揺れた、かと思うと…。
「…っ⁉」
レイトとアイリスは思わず息を飲んだ。マヤの頭頂部の髪がゆっくりと持ち上がり、キツネの様に尖った“耳”が現れたのだ。最初は髪の毛が単にそういう形に見えるだけかと思ったが、毛の隙間から微かに覗くピンク色の耳介や、何か意思を帯びているかの様にピョコピョコと動く様は、やはり獣の耳のそれだ。
「よし…“犯人”の痕跡を捉えた…。皆、ついてきて!」
やがて、マヤが決然と顔を上げ、駆け出して行った。レイト達には何も見えないのだが、マヤには何かが見えているのか、その顔には妙に確信めいた表情が覗いている。
「マヤっ…!ちょっと待って…!」
一心不乱に駆けていく彼女に追いつき、レイトは尋ねた。
「痕跡を捉えたって…どういう事?てゆーかその耳は…」
一体何?と訊く暇はなかった。マヤの足がレイトの向う脛を思いきり蹴り飛ばしたからだ。
「痛ったぁ‼何するんだよ⁉」
「
マヤが短い髪をかき分け、自分の側頭部を露わにする。確かにそこには、レイトと同じ人間に近い耳殻が生えていた。
「え…?じゃあそのキツネ耳は何の為に…?」
「まだ言うかぁ––––––––っ!!!」
性懲りもなく、またウカツな事を言った少年を制裁すべく、マヤの足が再びレイトの向う脛をどついた。
「これは『ダイロク器官』!これを耳と呼ぶのは、私達リンクスに対する最大の侮辱だって、子どもの頃に説明したじゃん!」
「いや、だから!覚えてないってば‼」
口論になりかけた2人だったが、アイリスが「まぁまぁ」と制した。
「マヤ…あなた『リンクス族』だったのね。お陰で、色々合点がいったわ」
アイリスがマヤに柔らかく微笑みかけた。マヤは少し驚いた様に、それでいて照れた様に顔色を白黒させた。
ちんぷんかんぷん、というレイトの表情を察したのか、アイリスがいつも通り説明の口を開いた。
「リンクス族っていうのはね、アネスタとトンプソールの国境沿いに、昔から暮らしてる少数民族なの。頭にこういう耳みたいな器官を持っているのが特徴なんだけど…」
「耳じゃない!ダイロク器官!」
「そう…そうね、ダイロク器官。これを展開すると、私達には感知できない、僅かな音や匂いも追跡できる様になるんですって。その他にも、昔から民族全体で高い錬真力を持っている事も有名で、リンクスの錬真技術は私たちの想像もつかないものを沢山作り出せるって———…って、ごめんなさい…。何か間違ってた…?」
何やら押し黙ってしまったマヤを見て、アイリスが不安そうに尋ねた。だがマヤは少し意外そうに目をパチクリさせ、「…別に…そういう訳じゃ…」と呟いた。
「…ただ、意外だなって思って…。…人間の中で、私たちの事をそんなに知ってる人に会った事なかったから…。…人間っていつもリンクスをデブリスたちの同類みたいに扱うからさ…」
呟く様でいても、その言葉にはどこか切実な色が帯びていた。
マヤが言う通り、リンクス族は人間達から謂れのない偏見に晒されてきた民族でもある。頭に生える獣の耳の様な『ダイロク器官』の存在が、人間にはさぞかし奇異に映ったのだろう。そんな彼らを指し、獣との混血の果てに生まれた種族であるとか、デブリス毒の汚染によって変異した人間達であるとか、根拠のない蔑みを口にする者は後を絶たなかった。そんな人間達に愛想をつかしたリンクス達は、他の人間達との交流を断ち、国境沿いの彼らのテリトリーでひっそりと暮らしている、と聞く。
自分と同じ人間の所業でありながら、嘆かわしいものだとアイリスは思う。人が未知のものに恐れを抱くのは世の常だが、それもあってリンクス族が有する優れた錬真術の技術は人の世に伝えられず、未だ多くが謎に包まれている。デブリスという脅威に対して、これは明らかに人間側の損失としか言いようがない。もう少しだけ、恐れを捨て、互い互いに向き合う事が出来ていれば今頃は———。
「…マヤ…こんな事、言えた義理じゃないかもしれないけど…あなたの能力、頼りにしてるわ」
「…ん。任せて。さぁ行こう!こっちだよ」
先刻よりも近くなった声色を弾ませて、一同はまた夜の中を駆け抜けた。
マヤはあのユニコーンの体にこびり付いた匂いから、ユニコーンのものとキャシャラのものを選り分けて、それ以外の別の匂いを追っかけているのだ。例え、人間に感知できない程に微弱なものでしかなくとも、ダイロク器官を展開するマヤには関係ない。これが展開している間は全ての感覚が鋭敏に研ぎ澄まされる為、彼女を前に痕跡を隠す行為そのものは全くの無に等しい。
因みに、彼女が妙にラウボーは嘘を吐いていないと確信めいていたのも、それが原因だ。人が発する脈拍や僅かな汗の臭い、呼吸の乱れ等からラウボーの感情をある程度読み取り、彼女なりに嘘は吐いていない、と確信したのだそうだ。自分達には見えない何かをしっかりと見据え、夜道をひた走る彼女の姿はレイト達にとても頼もしく映った。
やがて一行は森を抜け、ベアカンファ―の外壁付近まで辿り着いていた。匂いは壁を乗り越え、村の中へと続いていた。ユニコーンを襲う危険な何かが村の中へと逃げこんだ可能性がある。一同は総毛立つ思いで壁をよじ登り、村内へと侵入した。
まだ夕食時を少し過ぎたばかりの村はまだ賑やかだ。酒場や露店はまだ明かりを灯し、村の人間達があちこちで憩いの時を過ごしている様だった。とても、今しがた怪物が逃げ込んできた様には思えない。
「一体どこに…?」
「…わからない。匂いが紛れて追跡できなくなっちゃった…」
周囲を見渡しながら、マヤが悔しそうに項垂れた。レイトも周囲に目を配るが、マヤに分からないものが自分に分かる道理はない。
だが、この状況で確実に分かる事実が、たった1つだけある。
“犯人”——人狼と思われる——は確実に村の中へと逃走したが、誰もそれを見た様子はない。それが示す答えは1つしかあり得ないのだ。
笑いさんざめく人の波。今日も、そして明日も変わらぬ日々がやってくるであろう事を疑っていない、普遍的な日々を今日も謳歌する人々。だが、その中には確実に———。
「この中に…人狼がいるって言うのか…?」
恐ろし気な想像が微かに、だが確実な重みをもって、レイトの胸中に広がっていった。
次回予告
村に静かに忍び寄る脅威。恐慌する人々を救うために、レイトは再び立ち上がる事が出来るのか?
そして、姿の見えぬ敵の正体とは?その目的とは?
躍動のファンタスティックヒットが今目覚める!
Saga4『本当の自分~逆転のファンタスティックヒット~』
※都合により来週の更新はお休みです。