国家への反逆者として捕らえられたレイト達を助ける為に、彼らを神聖騎士の権限を持って救い出す事に成功するアイリス。だが、その過程でゼオラとアイリスの間に溝が生じてしまった。
アイリスの故郷『リンネ』にて、彼女と家族の関係、そしてゼオラとの出会いが明かされる。彼女たちが抱えていた思いを改めて確かめるが、突如として急襲したデブリーターの襲撃によって、アイリスの父・オーエンが倒れてしまう……。
そして、レイトもまた『ワールドラーグ』の正体が、自分の恩人であったジェイク・アリウスだと知ってしまうのだった……。
◇◇◇◇◇
階下から耳を弄する轟音が響き渡り、砦中が大きく揺さぶられた。それに遅れて漂ってくるのは、液体爆薬特有のやや甘ったるい匂い。そして———人肉が焼ける気配。それに気付くと居ても立ってもいられなくなり、ゼオラ・ユピターは身を潜めていた資材の影から身を覗かせた。
デブリーター襲撃の報が入り、ハイルからここで侵入者が来ないかどうか見張る様に命令されていたのだが、マッドスキッパーでの戦闘のどさくさに紛れて連絡用のジャイロシェルフィーを落としてしまっていた。以降、状況を知る術もなく、ただ命じられた持ち場を死守するべく、ずっとここに身を潜めていた訳だが———。
こんな状況下でまた命令か、とゼオラは自分自身が恨めしくなる。考えてみればハイルは彼女の主人ではないし、であるならばその命令に諾々と従う義務もない……のだが、幼い頃より叩き込まれた絶対遵守の精神に縛られて、未だに自分で自分の事すら決められずにいる。
…否、きっとそれも違う。畢竟、考えたくないだけなのだ。心のままに生きるという事は、思考を絶やさず、自らの心と行動に責任を持って生きるという事だ。きっと自分にはそんな簡単な事すらできない。誰かの命に従い、それだけを考えて生きていく方がどれだけ楽だろうか———?
『いい加減、分からないふりをするのはよせ。お前はそんな結末を納得しちゃいない』
そうだった、筈なのだ。だがそれだけでは、説明のつかない感情がここ最近……否、きっと彼女と出会った瞬間から沸き起こり始めている。苦しく、不自由で、自分で自分を御しきれないのがとにかくもどかしい。それでも、どこか甘やかで心地良くも感じる。この感情を手放したくないと自分が感じているのも、また事実なのだった。
……分からない。今の自分が何処に向かっていけばいいのか。
「おやおや、ネズミがこんな所を彷徨っていたか……」
思慮に沈んでいた頭に突如割り込んできたのは、脳髄を引っ掻く様な冷たい声色。条件反射で沸き起こった怖気を振り払い、「誰だ⁉」と振り向くと、暗闇に溶け込む様に1人の人間が立っていた。
全身が黒ずくめの体に、赤いパイプラインが走る、生物とも非生物ともつかない人間の姿。傷だらけで満身創痍という体ではあったが、怪物の意匠を纏ったその悪趣味なフォルムには見覚えがある。ベアカンファーやナースプリングで出会った、あのワールドラーグという“敵”の戦士だ。
「…貴様、デブリーターか⁉」
「如何にも。デブリーター首魁、ヴェノムアラークである。それでどうする?ネズミらしく、しっぽを巻いて逃げるか……それとも、勇猛に噛みついてみせるかね?」
「言うまでもない‼」
言うなり、腰から2振りの片手剣『玉翔』と『戸締李』を抜刀する。このヴェノムアラークという敵がワールドラーグと同種の存在であるならば、例えダメージを負っている状態であっても、自分が勝てる道理は薄いかもしれない。だが、それを理由に逃げるだけなど絶対に御免だ。
やはり考える事は苦手だ。戦いの場こそがゼオラ・ユピターにとっての舞台。逃げて生きるよりは、戦いの中で死ぬ事こそが至上。そう決めて、18年間の人生を生きてきたのではなかったか———。
あまり戦いを長引かせるのは得策ではない。ここは一撃必倒。剣の柄に装填したのは、様々な生物毒を濃縮して作られた猛毒のライドラッグ。巨大なデブリスの皮膚組織すら壊死させる威力を持つ毒刃を構えて、ゼオラは駆け出す。
ヴェノムアラークの左腕のレイピアを躱し、背後へと一気に滑り込む。そのまま両剣を突き立てようとするが、不意に蜘蛛男の姿がかき消えた。
「…なっ⁈どこに———」
「ここだ」
声が狭い廊下内に乱反射して響く。次の瞬間、ゼオラの頭上から舞い降りたヴェノムアラークによって、少女があっと言う間に石畳に引き倒される。
「がはっ……!」
「たかだか人間の、それも女の細腕でデブリーターに勝てると信じたか?この思い上がりめ」
蜘蛛はその特徴的な目の配列によって自らの360度近くを視認する事が出来ると言う。更に優れた跳躍能力や壁に張り付く力なども身に着けたヴェノムアラークにとって、人間が何を企てようとも対応してみせるだけの自信はある。ヴェノムアラークの拳がゼオラのみぞおちの辺りを勢いよく殴りつけた。
「ぐはぁっ……‼」
「だが、使命に従順なネズミは嫌いではない。その勇猛さを今度は我らの為に使ってみないかね?」
「…バカを言え……。誰が貴様らになど……」
倒れ伏しながらも、ゼオラは果敢に蜘蛛男を睨みつける。どれだけ惑ったとしても、今の自分が仕えるべきはパニディエラ家であり、なにより……あの娘に誓ったのだ。何があろうとも、自分はアイリスという一個人に仕える者となる事を。
だがそれでも尚、ヴェノムアラークは酷薄そうな笑いを納めなかった。
「…そうか……。例え……私であったとしてもかね?」
ヴェノムアラークが左腕のブレスに触れ、そこから黒い薬瓶を引き抜いた。湧き上がった黒い蒸気がその体を包み込み、その姿を変えていく。
立っていたのは人間の男だった。黒い革製の衣服はシドに帝国軍の上級将校のものと見て相違ない。そして、黒い長髪の下の顔は———。ゼオラは今度こそ息が出来なくなった。
「…貴方は……!アトラーク……皇太子殿下……⁈」
「如何にも、だ。
軍服がお飾りの様に思える、いかにも文官といった風の細面が、しかしゾッとするほどの冷たさを帯びて笑う。
蜘蛛男の仮面の下の素顔。それは、この帝国の皇帝ガルシア・ザイン・シドニアの長子にして、王位継承権者1位の皇太子、アトラーク・フォン・シドニアだった。つまり、それが意味する事とは……!
「バカな……。では……デブリーターの背後にいる者とは……シドニア帝国そのもの……?」
デブリーターの組織力やその情報網の広さ、そしてそのプラントが置かれていた場所から、組織の背後には神聖教会なり貴族の影がある筈だと睨んでいた。だが、その実態の予想外の大きさに背筋が凍りつきそうになった。
ゼオラの驚愕を見つめながら、アトラークが堪え切れなくなった様に、忍び笑いを漏らし始めた。
「驚いているねぇ。だが、正確ではない。デブリーターを作ったのは、この私だよ。そして……それが意味する事を、君は理解しているね?」
「…………っ‼」
「まさか気付いていなかったのかい?長年の潜入活動で勘が鈍ったかな?何故、デブリーターが君たちの動向にいち早く気付いていたのか。何故、ヒュペリオンの拠点の場所が割れたのか……。その答えは……」
言葉がどこか素通りしていく様な感触を憶える。同業者にすらその場所を明かしていなかったヒュペリオンの拠点がウォークレイド達に襲撃を受けたのも、あのタイミングでマッドスキッパーに天空騎士団が検挙をかけたのも、何もかも都合が良すぎると思っていた。てっきりヒュペリオン側に敵方のスパイでも紛れ込んでいるのではないか?と予想していたが……あれは、まさか———!
「……ち、違います………!私は……、私は
「分かっているよ、ゼオラ。君の罪ではない。君はただ、
アトラークがゆっくりと近づき、ゼオラの長い黒髪を指で梳く。酷く不快気な仕草だったが、ゼオラは心が断線した様に動けなかった。
「ゼオラ・ユピター。ただ今をもって、君の任務を——アイリス・パニディエラ監視の任を解く。ヘブンラウンズに戻り、今後は私の為に働いてもらう。いいね?」
降り注ぐ言葉に自分が果たして頷いたのか、それとも拒否したのか。今のゼオラにはそれすら確信が持てなかった。
◇◇◇◇◇
「…もしもし、ハイル。聞こえる?おーい……」
返事はない。聞こえるのは、砂がざらつく様なノイズ音のみ。
「もしも~し、ハイル?マーカスさんでも、ゲイナン先生でもいいよ。誰か……」
「無理よ、レイト君。壊れちゃってるもの」
それでも諦めきれずに、ジャイロシェルフィーに声を吹き込み続けるレイトに、サクラがため息交じりに答えた。だが、レイトにもそんな事は分かっている。ただそれでも、どうしても気になってしまうだけだ……。レイとは仕方なしにジャイロシェルフィーの蓋を閉じた。
この場所、アイリスの故郷『リンネ』がデブリーター達に襲撃を受けてから、既に2日が経とうとしていた。敵側が標的をあくまでも仮面ライダーとヒュペリオンの抹殺に絞って行動していた為、幸いにもリンネの被害は少なくて済んだ。住民達も軽度な怪我人が出ただけだったと聞いている。だがその後、ヒュペリオンの拠点『ネイバーラント』との連絡が一切途絶してしまっているのが現状だった。
マヤがはぁとため息を吐いた。
「やっぱ急造品だったからなぁ……。次からはもっと強度とかに気を配らないと」
「…ここが落ち着いたら、誰か確認に出させるわ。今は、待つしか出来ないもの……」
そう言っているが、誰よりも仲間達の安否が気になっているのは、サクラ達の筈なのだ。本当は一刻も早く仲間達の無事を確かめに行きたいだろうに、彼らは今もリンネの復旧や街の警備を手伝い続けている。無法者である自分達を受け入れてくれた街の住民達への責任感の様なものがあるのかもしれない。
———そして。唯1人、逝ってしまった彼への謝意も。
「…来たっスね」
魂を静める短いベルの音が、弔いの鐘の音が鳴り響く。道の端に居並んでいた住人達がそっと膝をつく。レイト達もそれに倣った。
道を行くのはたくさんの献花で彩られた黒い棺。それを捧げ持って歩く黒衣の葬列だった。住民たちは祈りを捧げながらそれを見送っていく。
棺と共に領内を練り歩いて、祈念を込めて死者を送り出す。シドニア全体で行われている領主一族の葬儀の習わしだ。
先日の戦いの唯一の犠牲者、それはアイリスの父であるオーエン・パニディエラだった。
権威的だった前領主と異なり、心優しいオーエンは昔から住民達に好かれ、『善良公』と彼を呼ぶ者もいた。レイトも接したのは僅かな時間だけなのだが、それだけでも非常に愛情厚く、懐の深い人物である事が伝わってきた。葬列が進み、棺が目の前を通り過ぎていくと、住民達の間から啜り泣きや感謝の言葉が漏れ始める。ここにいる誰もが、領主との別れを心の底から悲しんでいると分かった。
「…あ、アイリィ……」
マヤの呟きにレイトも少し顔を上げる。葬列の前方、黒い葬儀用のドレスに身を包んだアイリスが歩いていた。マヤやレイト達には目を向けず、ただ一心に歩を進める様は貴族家の令嬢らしい凛とした姿だったが、それがどこか今にも折れそうな程に張り詰めている風にも見えた。
列が通り過ぎ、パニディエラ家の屋敷へと戻っていく。その様子を眺めながら、住民たちの間からもようやく声が上がり始めた。
「オーエン様……。なんだってあんないい方がなぁ……」
「ひでぇ……本当にひでぇ話だよ……」
「アイリスお嬢様、大丈夫かね?酷く憔悴してらっしゃる様に見えたけど……」
「仕方ないさ。パラディンと言っても、まだほんの18歳だ……。お可哀想になぁ……」
「それよりお世継ぎはどうなるのかね?このままじゃ……」
悲嘆にくれる住民たちの声を聞きながら、レイトはグッと拳を握りしめた。
敵の作戦を読み切れなかった自分の所為……。だがそう言ってしまうのは、結局逃げだと思う。オーエンは敵の自爆からアイリスを庇って亡くなったと聞いている。本当であるならば、今一番悔しい思いをしてるのは一緒に戦っていたサクラ達、そしてアイリスの筈なのだから。
レイトは屋敷にいるであろうアイリスに思いを馳せる。皆が言う様に、領主家の人間として気丈に振る舞いながらも、その姿は明らかに憔悴していた。本当ならば今すぐに傍に行って支えてあげたいのに……葬儀の最中は、領民はそこに立ち入る事が許されていない。
サクラが言う通り、今は待つしか出来ないのだ。だが、それだからと言って心の焦慮が消え去ってくれる訳でもない。レイトは再び拳を握りしめた。
◇◇◇◇◇
デブリーターの拠点は1つではない。各地の古戦場に残された廃城等をカモフラージュにしながら、シドニア中に分散して配置されている。だからこそ、
壁に幾重ものパイプが走る薄暗い部屋。デブリーターの開発や性能実験が行われる場所である事から、特別実験室という名前が付いてはいるが、外に音を漏らさない構造とこの悪趣味な内装の所為で、『モルモット部屋』などと影では囁かれていた。
言い得て妙だと思う。ここは正しく怪物を生み出す部屋だ。この場所で、今の自分———『ワールドラーグ』という怪物が生まれたのだから。
室内を見渡し、目的の人物を探す。案の定、奴はキャットウォーク上に置かれた定位置の椅子で素顔のままふんぞり返っていた。
「ヴェノムアラーク‼てめぇっ……‼」
ジェイクの怒声にヴェノムアラーク———アトラーク・フォン・シドニアがゆっくりと頭を巡らした。
「おや、ジェイクか。怪我の方はもういいのかな?」
「そんな事はどうでもいい‼」
挑発的な笑みを浮かべるアトラークに歩み寄ると、その胸倉を掴み上げる。周囲の研究員達がザワつくのが分かる。相手はデブリーターの首魁であり、しかもこの国の皇太子なのだ。だが、そんなものに忖度してやる程、ジェイクの激情は甘くない。
「ジェヴォールトの自爆装置を起動させたのはお前だろ!一体どういうつもりで———‼」
「怒るなよ。確実な勝利を得る為だ。必要な犠牲という奴さ」
「…何が、必要な犠牲だっ!てめぇの部下の命だろうが‼」
2日前の戦いの中、突如ジェヴォールトデブリーターの体内に仕込まれた証拠隠滅用の特殊爆薬が起爆した。確かに目的を考えると過剰ともいえる破壊力を有しているが、決して戦闘に用いる様なものではない。
「アイツらはまだ息があったんだぞ。それをてめぇは———‼」
「落ち着けと言ってるだろう?大体、君だってデブリーターの実験の為にあちこちにモルモットを生み出してきたじゃないか。私に怒る資格があるのかい?」
ジェイクはグッと言葉に詰まる。確かに目の前の男の言う通りだ。デブリドラッグのバイヤーとして自分は確かに各地に実験動物たちを作り出してきた。それによって引き起こされた悲劇もあれば、運命を狂わされた者たちもいるだろう。その事実を差し置いて、この男の非道を非難する資格が自分にはあるのだろうか———?
だが。
「…そんな事は分かってんだよ……。アンタに言われるまでもねぇ……」
この世は理不尽に満ちている。日々、無法者やデブリスの手にかかって、人の命がゴミみたいに消えていく。そんな現実をジェイクは誰よりも知っている。そんな世の不条理を正すのがデブリーター計画であり、それが欺瞞でしかないと知りつつも、乗ると決めたのはジェイク自身だ。その事実から逃げるつもりなど、毛頭ない。
「…だがな!忘れんな。俺には俺の“ルール”ってモンがある。今度、俺の前であんな真似をしてみろ……!てめぇが誰であろうと———」
「…う………うぅあぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっっっ!!!!!!!!」
突如、部屋中に叫声が反響して響き渡る。若い、女の声。キャットウォークから下の実験場を覗き込むと、寝台の様な装置に服を剝かれた少女が拘束されていた。その体のあちこちにパイプラインが突き刺さり、薬液を注入されている。
「アイツは……?」
少女の顔には見覚えがあった。ナースプリングやベアカンファーでも見た事がある。ディライトの仲間の1人である、双剣使いの少女に相違なかった。
「何をしてやがるんだ……」
「デブリーターへの強化措置だ。見れば分かるだろう?」
「…っ!てめぇはまた性懲りもなく———‼」
「
またしても掴みかかろうとしたジェイクを、アトラークが制する。
「前に話しただろう?奴らの中に潜ませていたネズミ……それが彼女さ。だが、その罪悪感に耐え切れなかった様でね……。晴れて我々の一員だ。仲良くしてくれたまえよ?」
グッ…!とジェイクは奥歯に力を込める。この男が言っている事が真実かは分からないが、少なくとも嘘だと否定する根拠はない。そうであるならば、確かに自分が止める道理もないのは確かなのだが———。
「…ぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ‼…ぃやぁ……!痛ぁぁっっ……!ぐあぁぁぁっっっっっっっ!!!」
「痛いかね?苦しいかね?だが心配はいらないよ。その全てが君を人を超えた存在へと変えてくれるだろう。もう少し耐えなさい」
少女の近くで薬剤投与を管理しているのは、あのクリーデンスだ。強化タイプのデブリーターへと変身する為には、デブリドラッグという劇薬を肉体に適応させる必要がある。ジェイク自身は初めからドラゴンデブリドラッグへの耐性を強く持っていた為、大仰なものは必要なかったのだが、あの少女の場合はそうもいかないらしい。
…だが年端も行かぬ少女があんな風にもだえ苦しむ姿なぞ、見ていて不愉快以外の何物でもない。やってられるか、と口中に吐き捨て、ジェイクはその場を後にした。
アトラークの言葉が真実であるという保証はどこにもない。だが、それを確かめる方法もなく、ジェイクの“ルール”に照らし合わせても、止める理由など何処にもない。
その筈なのに———。どうしても収まらない苛立ちが、結局そんなモノすらも全て欺瞞なのだと断じて消えてくれない。クソが、と毒づき思わず石壁を殴りつけていた。
「俺に……どうしろって言うんだ……。…俺は………」
苛立ち、焦慮、煩悶……吐き出した感情が、行き場を求める様に闇の奥底へと反響していった。
◇◇◇◇◇
父の死から早くも3日の時が流れた。家人達や弔問客、そして領民達もみな厳粛に死者への哀悼の意を表し、その旅立ちを見送っていく。だが、それが終わってしまえば、後に残るのはひたすら生々しく、薄ら寒い貴族のやり取りだけが残される。
善良公と呼ばれた父は、人々の平安に尽力し、特区の経営者としても優秀でフェアな人物でもあった。その人柄を好いて、こうして近隣の特区からも多くの貴族家が葬儀に参列し、その死を悼んでくれている。だが、こうした場において、その感情の全てを信用してはいけない。昔から言われている事ではあるが、この時になってアイリスはそれを実感する事になった。
日頃から付き合いのある家に混じって、聞いた事もない様な家の人間が、仮面の笑顔や作り物の涙を浮かべて近寄ってくる。オーエン様の友人です。オーエン殿をご尊敬申し上げております。そんな白々しい言葉を吐きながら、彼らが一様に見つめているのは、この領地の今後の経営やパニディエラ家の財産についてだ。現領主が死に、パニディエラ家に残されているのは領地の相続権がないアイリスとイーヴァだけだ。これを機にこの土地の持つ権益を我が手に……。そんな魂胆を胸に秘める者たちも、しかし騒ぎを起こさず、穏当にあしらわなければいけない。アイリスにはこの“作業”が苦痛でならなかった。
思惑を見せかけの笑顔で隠し、そうやって心の隙間に割って入って、アイリスの生まれた場所を食い荒らそうとする人間たちを相手にするのは、デブリスと対峙するのとはまた違う精神力を必要とした。神聖騎士の使命に託けて、そうした処世術を碌に学んでこなかったアイリスは、この場ではさぞ食いでのある獲物と映るのだろう。言い寄ってくる人間達は大体が母や家人達がいなしてくれたが、今この場で何の役にも立てない我が身が堪らなく口惜しかった。
それに何より先程から。
「アイリス・パニディエラ様。▽△領の×××と申します。この度はご当主様の訃報を聞き付け(中略)何かお困り事があれば、必ずお力添え致しますぞ」
そんな定型文の様な口上を捲し立てて、言い寄ってくる男達が後を絶たない。せめて常識的な価値観を持っていれば、涙を浮かべて沈鬱そうな表情を作る努力くらいはするが、中には露骨に下心を秘めて手など握ってくる者もいる。最初こそ心が不愉快を示していたが、こうも立て続けに来られると、心も麻痺してくる様だった。
今のパニディエラ家には喫緊の問題が1つある。それは父の死によって、領地を統括する者がいなくなってしまった事だ。女性が領主となる事は出来ない為、現状対応策は2つほど考えられる。1つは養子を迎え入れる事。そしてもう1つは———アイリスが他家の男子と婚姻関係を結ぶ事だ。それが分かっているからこそ、こうしてそれに群がろうとする輩が後を絶たないのだ。
事実、今だって。
「アイリス・パニディエラ殿ですな。いやはや、こうして誉れ高い神聖騎士殿にお会いできるとは、なんと運がいい」
「……………」
「いやぁ、お噂通りお美しいですな。その上、武術と学問にも秀でておいでとか。天は二物を与えず、とは申しますが貴方様の場合は———」
「…………………」
「しかし、ご当主様が亡き今、今後の領地経営はどうなさるおつもりで?早いところ、次代のご当主を決定されなければ、それこそ餓狼の様な輩がこの土地の権益を食い潰そうと押しかけて参りますぞ?」
「…………………………」
もはや取り繕う気力もなく、ただ精一杯の不快を沈黙に込めるが、目の前の男には伝わらないらしい。今自分達が置かれている状況を斟酌もせず、ただ自分語りに終始する姿はひどく常識外れだと思うが、自分たちの箱庭に閉じこもり、与えられた権益を齧るだけの貴族家にはこういう人間が珍しくはない。
これが外の世界であるならば、錬真術で剣を錬成してみせるだけで立ちどころに引き下がるのだが、下手に事を荒立てれば家同士の対立を生んでしまう。そうなれば大した後ろ盾を持たないパニディエラ家は瞬く間に食い荒らされ、家族や領民達は路頭に迷ってしまう———。
———私が間違っていたんだろうか?
———もし、
———もし、神聖騎士として旅になど出なければ。
———ここが狙われる事もなく、父が死ぬ事もなかったのでは……。
「アイリス殿?聞いておられるのかね?私はあなた方一族の将来を慮り———」
「そうだと言うのであれば、一度引き下がる事を覚えられては?」
地の底から響く様ないかつい声が、男の弁舌を遮る。声の主はシンプルな司祭の法衣を纏った190テニ―近い身長のこれまたいかつい壮年の男性だった。アイリスはあっと息をのむ。
男が不快気に眉根を寄せる。
「なんだ、教会の坊主如きが。今、私と彼女は大事な話し合いの最中だ。引っ込んでおれ」
「それは失礼致しました。ですが、用向きがあるのは手前も同じ。ホレ、この通り」
そう言って司祭がひだの部分から1枚の封書を取り出した。封蝋に押された紋章を見た途端に、男の顔色がサッと変わる。
「…お、王家の御紋……?」
「左様。本日はシドニア王家の使いとして参りました。一刻も早く親書をお届けする様に仰せつかっているのですが……ところでそちらのご用はもうお済みでしたかな?」
如何に横柄な貴族といえども、流石に王家に面と向かって逆らう度胸はないらしい。未練がましい表情を浮かべつつ、足早にその場を立ち去って行った。
「やれやれ……。どうして貴族というのは、ああも視野が狭くなりがちなのか……。それはそうと……お久しぶりですな、アイリス殿?」
「…ええ、お久しぶりです。ジョーンズ司祭」
強面の司祭が破願すると、アイリスも安堵した様に薄く微笑んだ。何だか久しぶりに肩の力が抜ける様な感覚を味わえた。
このライアン・ジョーンズは見ての通り神聖教会の司祭だ。そして、アイリスにとっては神聖騎士への聖任をしてくれた人物でもあった。
「お父上の事は聞き及んでおります。到着が遅れて申し訳ありませんでした。先ほど申し上げた通り、皇帝陛下からの弔文をお預かりして参りました」
「皇帝陛下から…ですか?」
「ええ。残念ながら皇帝陛下はまだ体調が思わしくなく、こちらには出向けぬとの事で……心から哀悼の意を表すると伝えて欲しいと仰せつかっております」
「…いえ。わざわざありがとうございます……」
ただの一諸侯の為に一国の王がそこまでするのはやはりどこか奇妙に感じてしまう。だが、シドニア王家とパニディエラ家には人知れない繋がりがある……否、正確には「あった」と言うのが正しいのだと思うが、今もこんな形で関りを持つとは思わなかった。
「…オーエン殿が、誰にも好かれていた証拠かも知れませぬな?皇帝陛下もお父上のお人柄を好いておられた。きっと今後も良き支えとなって下さりますよ」
「…ですが、他の家の手前、そうも行かないでしょう。今、パニディエラ家に迫る喫緊の問題を何とかしない事には……」
「お世継ぎの問題ですな?ですが、今はあまり考えなさるな。この後、皇太子殿下も来られる予定です。今後の事について、少しご相談してみましょう」
「…父が死んで、改めてその責任や意義の大きさがよく分かりました。本当は、私の使命なんかよりもずっと……」
特区を経営していく事は1人では出来ない。家を支える家族や家令、そして何よりここで暮らし、働く領民たち。領主の責務とは詰まるところ、彼らが安寧な生活を送れる様に尽力する事に尽きる。そしてあの呑気そうな父が、どれだけその為に努力し続けてきたかが今になってようやく理解できるようになってきた。それはきっと、顔も知らぬ誰かの為に、あてもない旅を続けるパラディンの使命なぞよりも、遥かに眩しいものに思える……。
「…私が……、私が逃げ出したりしなかったら……お父さんがこんな事にっ………!」
「アイリス殿。滅多な事を言いなさるな」
懊悩するアイリスに、ジョーンズ司祭はピシャリと言い放った。
「あなたの旅のお噂は私も耳にしております。あなたはあなたの剣で、その正しき心で、多くの人々に救いを齎してきた。そうではありませんか?その事実から目を逸らして、ご自分のしてきた事を安っぽくする事だけは致しますな」
「…そう、ですね………。申し訳ありません………」
消え入りそうな声でアイリスが頭を下げる。今は確かに自分の弱さを責め立てている場合ではない。家の存続問題、デブリーター達への対処。どれだけの困難が降りかかっても、今はただ立ち向かっていくしかないのだ。
強くならなくちゃ……。「心のままに」。そう言って自分を押し出してくれた父に応える為にも……。
ジョーンズ司祭は静かに頷くと、そっとアイリスの耳元で囁く様に尋ねた。
「…ところで、アイリス殿?小耳に挟んだ程度の情報なのですが……何でも『勇者ディライト』が復活なさったとか……?」
今回はここまでです。なんか中途半端な気もしますが、字数の都合です。
葬儀であったり、貴族たちの内実であったり、こういう世界観を掘り下げるシーンがとにかく書いていて楽しかったりします。そんな熱量の1%でも伝わればいいなぁ…という思いであります。
大きなトピックとしては、ヴェノムアラークの正体判明、そしてゼオラの秘密……というところでしょう。ゼオラは根っからのスパイだった訳ではなく、知らず知らずのうちにスパイになってしまっていた…という所ではあるのですが……。詳細についてはそのうちもっと詳しく説明します。
ご意見・ご感想頂けると励みとなります。
それではまた次回。