◇◇◇◇◇
『天の色は、心の色』。そんな言葉がこの世界にはある。
どれだけの晴天であっても、心の持ちようによってはそれがくすんだ色合いに見える事もある。だからふっと空を眺める時、自分の心模様に気付ける事がある……。そう言って彼女はあの空の陽星の様に笑っていた。
どれだけ大切な人が消えてしまったとしても、日々は何の問題もなく進んでいく。天の色も腹が立つくらいの快晴。そこまで考えながら、確かに今の自分は腹が立っているのだ、とレイトは気付く。それが、自分への無力に根ざす物なのか、この暴状を引き起こした敵への感情なのかはまだ判然としないけれど……。
「おーい坊主!そろそろ休憩時間だぞ。ちったぁ休めや」
「…大丈夫です。あとここだけ終わらせたら———」
「ほぉう、感心感心———ってな訳あるかい。そういうセリフはそのフラフラな足腰を何とかしてから言いな」
休みな、と女将さんにどつかれ、強制的に井戸を修繕する手を止めさせられる。言われてみれば確かに腹が減っていたし、慣れない肉体労働に酷使させられた手足がガクガク言っている。ソニアも南中に近い高度まで上昇していた。そろそろ昼なのだ。
女将さんからパンとスープを受け取り、地面に腰かける。パンは日持ち重視で固いし、スープはやけに塩辛かったが、どちらも肉体労働で酷使された体にはひどく美味に感じられた。暫くは無心で食べる事に専念する。
「ところでよ、坊主はお嬢さんの従者なんだろう?パラディンになってからのお嬢さんはどんな感じだい?」
旦那さんが訪ねてくる。この夫婦はリンネに昔から暮らす領民達だ。自然、子どもの頃からアイリスの事を知っており、その口調も気安くなるのだろう。レイトは少し考えて、口を開いた。
「う~ん……この前聞いた、子どもの頃のアイリィとあまり変わらないと思います。責任感が強くて、面倒見が良くて……デブリスと戦って、少しでもこの世界を良くするんだって、きっと誰よりも信じてます」
「…そうかい、それは良かった。神聖騎士様の道は、アイリス嬢っちゃまには天職だったかも知れないねぇ……」
「…でも、時々心配になります。一度こうと決めると、なんでも背負い込んでしまいそうなところもありますから……」
「なに言ってんだい。それはアンタも同じじゃないか」
女将さんがレイトの額にデコピンを一発おみまいする。
「嬢っちゃまは昔から、この街の誰であっても必ず力になって下すった。もし外の世界に出てもあの調子だったら、いずれ責任感で潰されちまうんじゃないかと思ってたけど……良かったよ、いいお仲間さんに出会えたみたいで、さ」
「だな。だからお嬢さんの事、しっかり支えてくれよ?あの娘が不幸になって終わりなんて、俺たちは納得しないからな」
力強く宣言する夫婦に、レイトの頬が緩む。この4日ほどで多くの領民達に出会ってきたが、みな口を揃えて最後はそういう風に言う。それだけで、アイリスが人々からどう思われているのかよく分かるというものだった。
「…みんな、アイリィの事が好きなんですね」
「そりゃあそうさ。嬢っちゃまが困る様な事があったら、あたしらはいつでも立ち上がるつもりでいるよ」
「おーい、レイト!」
マヤの声がした。振り返ると、彼女と一緒に聖職者の法衣の様な服を纏った大柄な男と、噂の当事者であったアイリスの姿があった。レイトが弾かれた様に駆け出した。
「アイリィ……!良かった、ようやく会えた……。…その、オーエン様の事、本当に心からお気の毒に……」
「…うん、ありがとう……。今までずっと放っておきっ放しでごめんなさい」
アイリスの顔には薄い笑みが浮かんでいたが、やはりその瞳は少し潤んでいる様だった。もし彼女にそんな顔をさせてしまっているのだとしたら———。自分への不甲斐なさが口内中に広がっていく様だった。
「それでレイト、紹介するね?こちらはライアン・ジョーンズ司祭。前に話したでしょ?私の聖任を担当して下さった司祭様」
「この人が……?…初めまして、レイト・ドメニカ……です」
背後の男性が強面に笑みを浮かべる。顔に似合わぬ、優し気なアルカイックスマイル。それだけで途端に聖人めいた雰囲気が強くなった気がする。
「初めまして。ライアン・ジョーンズと申します。アイリス殿よりお噂は聞かせて頂いておりますよ……勇者ディライト殿、とお呼びすればいいのですかな?」
ジョーンズが訪ねる。一瞬驚きかけるが、そう言えば前にこの人には事情を話すつもりだと言っていたの思い出す。どこに敵が潜んでいるのか分からない状況ではあるが、彼はそれだけアイリスが信頼を置いている相手という事なのだろう。
「…ただのレイトで大丈夫です。話せば長いのですが、単にディライトの力の一端を受け継いだだけにすぎないので」
「充分でございますよ。この時を我らがどれだけ待ち続けたか……お会いできた事を光栄に思いますよ、レイト殿」
神聖教会の司祭が恭しく膝をつき、少年の手を握る。目の前の光景にポカンとする夫妻に断りを入れて、レイト達は一度その場を離れる事にした。
「アイリス殿から一通りの事情は聴いております。魔王ディアバル復活の可能性のみならず、怪物の力を操る者どもですか……。何とも厄介な……」
リンネの外壁の外。ジョーンズ司祭が気難しく眉根を寄せる。
「報告が遅れて申し訳ありません。…ただ、敵がどこまで勢力を伸ばしているのか未知数だったものですから……」
「教会がその様な事態に噛んでいるとは考えたくありませんが……我らも決して一枚岩ではありません。賢明なご判断でした。何にせよ、デブリーターとやらの勢力や動きを考えると、なにか大きな背後がいる筈……と考えるべきでしょう」
教会の施設がプラントに使われていた事も含めて、そう考えなければデブリーター達の動きはあまりにも早い。それにあれだけの装備の作成や研究にも、相当な資金がかかる筈だ。それにしても彼らの組織の規模が今を持ってしても不透明である為、それを推測する事も難しいのだが。
「…あの、もしかしてなんですけど……バトレー・ドミングスが背後にいるという可能性はないですか?」
「ドミングス……パストールの領主ですな?あまり評判の良くない男です」
アイリスとヒュペリオンがドミングス卿の悪事を暴き、結果として彼は国家から造反の疑いをかけられる事となった。その直後に引き起こされたリンネ襲撃事件。いくらなんでもタイミングが良すぎはしないだろうか?彼が魔剣を所持していたという事は、デブリーターの一員であったヒューバート・ランドナーと関りを持っていた可能性もあるのだ。
「可能性っていうか、アイツ絶対にクロでしょ!あの人をゴミかなんかみたいに見る目!態度!今思い返してもムカムカするぅっ‼」
「…マヤ、憶測でもの言わないの」
「うむ、しかし……実はパストールに派遣した教会の調査団が今を持ってしても帰還しておらんのです。それはヒュペリオンの方も同様です」
「な……⁈それ本当ですか⁈」
残念ながら、とジョーンズ司祭が重々しく頷いた。いくら急造品であったとは言え、ヒュペリオン側に渡していたジャイロシェルフィーと急に連絡が取れなくなったのはおかしいと思っていた。もしや、ハイル達の身になにか……。レイト達は頭に浮かんだ最悪の予想を振り払った。
「状況は限りなくクロ、か。ジョーンズ司祭、もう一度調査団を派遣する事は出来ないんですか?」
「残念ながら直ぐには……。行方知らずになっている者たちの様子も気がかりですので、誰か動いてくれる方々を探しておるところなのですが、ね……」
そう言って、ジョーンズ司祭が不敵に笑った。それだけでレイト達にもその真意は理解できる。アイリスが慌てた様に「ちょ、ちょっと待って‼」と声を上げた。
「忘れたの?私たち、皇帝陛下の許可が下りるまでここを出ちゃいけないって———」
「まぁ、確かにそうだったけど……でもそれって、アイリスとヒュペリオンに言い渡されたこと、だよね?」
つまり———それ以外は特に言及された訳ではない。そう言外に含ませて、レイトとマヤがニコリと微笑んだ。
◇◇◇◇◇
思えば、レイトがこの世界で仮面ライダーを名乗って戦うと決めた時。
ハイルが多少の無茶を押してでも仲間を鼓舞する時。
アイリスがヒュペリオンを騎士団だなどと言い張り、彼らを救ってみせた時。
のっぴきならない状況を打開する為には、変に弱気にならずに、敢えてハッタリをかましてみるのも手の1つだという事は強く実感した。待機を命じられたのはアイリスとヒュペリオンだけなのだから、レイト達は自由に動ける……というのは下手すれば詭弁もいいところだが、あのジョーンズ司祭もそれを見越していた節があるのだから、なかなかに末恐ろしい。
「へへっ、なかなか話が分かる方っスね。流石アイリスお嬢さんのお師匠さんっス」
レイトの隣でジャンが可笑しそうに笑う。レイトも含めてここに集った全員が神聖教会の法衣を纏っていた。消息を絶った調査団を探しにパストールへと向かうレイト達にジョーンズがこれを十数人分、手渡してくれたのだ。あの司祭様はあくまでも着替えだと言い張っていたが、要は変装に用いろという事に他ならないだろう。黒い神聖教会のローブは夜闇に紛れるのにはおあつらえ向きだ。
流石にリンネにいた全ての団員を連れてくる事は出来なかったが、レイトとマヤも含めて13名の少年少女達がパストールに潜入する手筈を整えている。レイトは隣で双眼鏡を覗き込んでいるマヤへ話しかける。
「マヤ、中の様子はどう?」
「こうも人がゴチャゴチャいたら、流石に分からないよ。…でも、やけにガラの悪そうなマッチョ野郎が多いなぁ……。なんだか物騒」
「パストールはドミングスお抱えの私兵団の派遣で成り立ってる特区ですから。下手に公権力と繋がってる分、そこら辺のならず者どもより質が悪いって話です」
ラナの解説にマヤが「うへぇ……」とため息を漏らした。ツンベルクやビルハミルでも、ギルドや領主の権威を笠に着て横柄に振る舞う輩は見てきたが、ここの連中はそれのみならず、違法な労働や人身売買に関与までしているのだ。そんな場所にこれから潜入する……。マヤとしては少しトラウマに触れそうな気配があるのかもしれない。
「やっぱり、マヤはここで待ってた方がいいかな?」
「冗談でしょ!なんとしてもあの領主の首根っこひっ掴まえて、オーエンさんの墓前に突き出してやるんだから!…もう、アイリィのあんな顔、見たくないし……」
流石にアイリスが一緒に出る訳にもいかず、彼女は今でもリンネで家族の喪失と向き合っている筈だ。その事を思うと、今こうして彼女を支える事もせず、こんなところで戦うしかできない我が身が途端に居たたまれない気がしてくるのだが、もしもドミングスがリンネ襲撃に関与しているのなら、彼をこのまま放置する事は新たな悲劇の種を生む事になり兼ねない。
ままよ、と口内中に呟き、集まった一同に向き合う。接した時間はほんの僅かでしかないが、ここにいる誰もがオーエンの人柄に触れ、今は彼の弔い合戦と決めてここに集っている。ならば今の自分がここで迷う訳にはいかない、とレイトは覚悟を決めた。
「よし。それじゃあ皆、あとは手筈通りに。絶対に正体を悟られない様に、ヤバくなったら直ぐに撤退も視野に入れて。……じゃあ、行くよ?3、2、1……てっ‼」
瞬間、マヤが手元のスイッチを押し込んだ。押し込まれた薬液がチューブを通してその先の物体へと注がれていく。混じり合った複数種類の薬液は即座に爆発的な化学反応を引き起こし、猛烈な勢いで外へと飛び出した。爆圧を一定方向に吐き出す様に火薬の形成を工夫している為、爆弾は大した音もせずに、だが確実な破壊のエネルギーを外界にばら撒いた。爆弾が仕掛けられた扉はガタリ、と静かに崩れ去り、その奥の空間をレイト達の前に晒した。
パストールも貴族の領地であり、しかも後ろ暗い商売に手を出している土地柄ともなれば、こうした領外へ出る為の脱出口は当然の様に用意されていると思っていた。それらは通常、巧妙に隠されているが、マヤのダイロク器官とツールド・ファミリア達の活躍があれば、その出口を見つける事なぞ造作もない。まさか敵も肝心の抜け穴を侵入に利用されるとは夢にも思うまい……とジャンがほくそ笑んでいた。
「よし、それじゃユニオ。あとはよろしく?」
『仕方ねぇなぁ……。全くこんな役回りをするとは思わなかったぜ……』
ジャイロの奥から珍しく不機嫌そうなユニオの声が聞こえた。だが、万が一の事を考えてもヒュペリオン達の関与が疑われる訳にはいかないのだ。ここは彼らに人目を惹き付けて貰うしかない。
直後、野獣めいた咆哮と木々が引き倒される轟音が森の奥から響き始める。それに呼応する様にパストールの内部も騒めきだすのがここからでも分かった。それを合図にレイトとマヤ、他数名で抜け穴へと侵入する。
地下の通路からでも、特区の内部が騒然とした空気に包まれているのが分かった。今、正門付近ではユニオとリヤカードリフターが暴れているのだ。夜闇に紛れて城壁へと襲い来る正体不明の巨影。デブリスという怪物達の恐怖に晒されているこの世界の人間達の目を引き付けるには充分な筈だ。
「なんかユニオ先輩には悪いっスね……」
「平気平気。意外と楽しんでるから。それより、領内に入れば何があるか分からないから。マヤ、索敵をよろしく」
「OK。…大丈夫、潜入はバレてないみたい。え~と……そしてこの梯子を登ると———」
常にダイロクをぴょこぴょこと動かして警戒を続けているマヤだが、そもそも脱出用に作られている通路が複雑な構造になっている道理はない。通路の突き当りに設えられた梯子をゆっくりと登ると、小さな小部屋へと繋がった。
こうした脱出路を使用するのは、大抵その場所でトップの地位にある人間。即ち、この先がバトレー・ドミングスの居室の筈だ。マヤがそっと扉の向こうに意識を凝らす。
「…いた。数は……1人。窓際に立ってるのかな?護衛とかはなし。一気にひっ捕らえよう!」
レイトも頷き、隠し戸をゆっくりと開ける。薄暗い室内の中でマヤが確認した通り、ドミングスが窓の外の様子を窺っている様だった。外に気を取られているならば好都合だ。このまま一気に拘束して、行方不明になっている調査団達の行方やデブリーターとの関与を問い質さなければ———。
だが。
「ククククク……来ると思っていたヨ、仮面ライダー君……」
唐突にドミングスが声を上げ、ゆっくりとこちらに頭を巡らせようとしているのが分かった。レイトは目線だけで他の少年達の接近を制した。
ドミングスの目がレイトへと据えられ、その顔全体が狂笑に歪む。この薄暗い室内でも分かる程に、異様な輝きを宿している様だった。
「直接やってくるとは……見上げた度胸ダ。やはりリンネ襲撃を恨んでいルのかネ?」
「…!それじゃ、やはりあれなアンタが仕掛けたのか……?」
「その通リ!我こソはデブリーターの首魁、ヴェノムアラークであル‼その力、今ここでとくと味わわせてやるワ‼」
叫ぶなり、ドミングスが袖口をめくり上げる。そこには注射器の様な銀色のブレスが取り付けられていた。
〈Arachne‼〉
「…錬身」
〈Arachne…Deb-Reading…‼Wow…Wow,wow,woooooow…‼…To Be Sick…〉
黒い薬瓶が装填され、不気味な唸りと共にドミングスの体が黒煙へと包まれていく。煙が晴れるとそこには蜘蛛の様な意匠を纏った黒色の人造怪人が佇んでいた。
「さァ仮面ライダーヨ!ここが貴様の墓場となル!クハハハハハハハッッ‼」
背後のマント状の“脚”が持ち上がり、先端部から何かを放った。レイトはすんでのところで躱すが、着弾した床がシュウシュウと煙を上げて溶けていくのが見えた。
敵の力の根源は恐らくアラクネ。であるならば、あれは恐らく猛毒だろう。厄介な……と歯噛みしながら、腰に自身のドライバーを巻き付ける。
「変身‼」
〈ミスリックナイツ‼〉
眩い光と共にレイトの体が仮面ライダーディライトへと変わる。「おのれおのれおのれェッ‼」とヴェノムアラークが尚も毒の弾雨を浴びせかけるが、狙いが正確ならば躱すのもそう難しい事ではない。風の霊薬を装填したトランスラッシャーで攻撃を捌きつつ、その懐へと一気に肉薄した。
渾身の刺突がヴェノムアラークの胸板に突き刺さり、その体を後方へと吹き飛ばした。だが、流石は蜘蛛というべきか。素早い身のこなしで姿勢を取り直すと、そのまま左手の刺突剣を光らせ、ディライトへと突撃を仕掛けてくる。
低姿勢の状態で繰り出された一撃がディライトの胴板目がけて一気に奔る……が、引き起こされたトランスラッシャーの刃によって阻まれた。ディライトの足がそのままヴェノムアラークの顎を蹴り上げた。蜘蛛怪人が後方へと吹き飛び、調度品の飾り棚に叩き付けられ崩れ落ちる。レイトは確かな手ごたえを感じていた。如何に強固なデブリーターであっても、人体急所の1つに綺麗にクリーンヒットしたのだ。暫くは動けまい、と思いたいが……。
だが、舞い上がった埃を破り、ヴェノムアラークが再び姿を現した。両手を地面につき、さながら本物の蜘蛛の様な姿勢でディライトへと再び迫りくる。背後でマヤが「うわ、気持ちワル‼」と呻いたのが聞こえたが、レイトはその姿には怖気よりもむしろ違和感の様な感触を覚えていた。
———何なのだこいつは?
———こんな人の理性をかなぐり捨てた様な文字通りの“怪物”が、本当にデブリーターの首魁だと言うのだろうか?
ヴェノムアラークが地を蹴り上げ、勢いよく跳躍した。退路を塞がんとするかの様に脚を大きく広げ、そのままディライトへと覆い被さる。床に引き倒されたディライトに目がけて左腕のレイピアを向け、一気に振り下ろそうとする。だが、その前に素早くトランスラッシャーをガンモードへと変形させ、その胸板へと銃口を押しつけた。
〈ヴァリアントシュート!〉
「吹き飛べっ‼」
「ぐおおォォォォォォォォォッッッッッ‼」
叫ぶと同時にトリガーを引き絞る。瞬間、ライドラッグに詰められた残りのエレメントが全て弾丸となり、ヴェノムアラークのゼロ距離で解き放たれた。さながら竜巻の如き猛烈なエネルギーの奔流が黒色の怪人の体を勢いよく打ち上げ、瀟洒な調度品の数々を無惨に突き破りながら、ヴェノムアラークはあっと言う間に沈黙する事となった。勝利……である事に間違いはないが、やはり依然としてレイトの中の違和感は拭えなかった。
「…なんか、やけに呆気なかったね?」
「こんなのが本当に敵の首魁ですか?これじゃあんまりに簡単すぎやしませんかね……?」
それはレイトも同感だった。通常のデブリーターはおろか、量産型のジェヴォールトや同じ型のワールドラーグと比してもあまりにあっさりと片付きすぎだ。それに何よりも、ドミングスのどこか異様な様子が引っかかっていた。目が異様に血走り、言葉を操りながらもどこか芝居がかった様な雰囲気が———。
「まさか……これも敵の罠……?」
「…そうかもね。取り敢えずジャンとラナは一旦この男を連れて、外へ退避。手筈通り、俺とマヤで領内の捜索を———」
「……っ⁈レイト、あれ見て‼」
突如、マヤが一点を指さして叫ぶ。ドミングスの文机の上に小太刀ほどのサイズの刀剣が2つ置かれていた。三日月形の刃を持ったその造作には見覚えがあった。
「…玉翔と戸締李……。ゼオラの刀だ……」
「だよね?それじゃゼオラはここに……?」
マッドスキッパー以来、行方をくらましていた仲間が今この場にいるかもしれない。それだけで気持ちが逸るというものだが、ここが敵地でありしかも罠の可能性も捨てきれないとなると、そう迂闊な真似は出来ない。ここに来たのはあくまでもドミングスの造反の証拠を掴む為なのだ。それらも終わらせて、出来得る限り迅速にこの場を去らなければいけない訳だが……。
「…手分けして探そう。俺は1人でも大丈夫だから、マヤにはジョシュとエミリが付いてあげて」
「うす」「分かりました」
声をかけられた2人が頷く。両者ともそれぞれヒュペリオンの2番隊・3番隊の隊長を務める武闘派だ。護衛としてはこの上なく頼りになるだろう。マヤは未だ不安そうではあるが、この広い領内を効率的に探そうと思うなら、彼女の超感覚は必須だ。その事を説明すると、渋々ではあるが納得して貰えた。
レイトは再びディライトへと変身した。今度選択したのはランドマンナイツ。マヤのダイロク器官ほど万能ではないが、こちらもある常人を超える程の超感覚を扱う事ができる。何かを捜索するにはある意味うってつけだ。
外でのユニオ達が起こしている騒ぎの影響か、内部に人の姿は殆ど見られなかった。この居館はそこまで大きくはないが、ランドマンセンスで確認する限りどうにも内部に余分な空洞——つまり隠し部屋が多い様な印象を受ける。ここも元は旧国家間戦争時代の要塞だと言うからそれでもおかしくはないのだが……。
「…まぁ、悪事を隠すには持ってこい、だよなぁ……」
前にヒュペリオンが襲撃をかけた際に、この建物が建造された当時の建築図を入手していた。それによると地下にはごく小さな空間しか空いていない筈なのだが、ディライトの超感覚は確かに地下に広大な空洞がある事を捉えていた。その入り口がどこかにある筈なのだが、今のところ発見できていない。ディライトは周囲を見渡した。
「…あった。あそこか」
壁の一部をよく見ると、別の素材を錬真術で繋げた様な跡が残っていた。その向こうに下へと通じる道が確認できる。ディライトはその壁を思いきり殴りつけた。
案の定現れた地下への道を下っていく。明かりは殆どなく、視界はゼロに等しいがランドマンナイツにはあまり関係がない。超感覚を周囲一帯に飛ばしてみるが、生きている者の気配はあまり感じられなかった。
「ここは……地下牢みたいだな」
湿り気を帯びた長い廊下には鉄格子が嵌められた部屋がズラリと並んでいる。中を覗き込むと、だが明らかにただ幽閉するだけでは済まない様な器具の数々が並べられていた。地下牢、と言うよりも正確にはここは捕らえた者を拷問する目的の場所で、そんな後ろ暗い目的で造られた場所だから図面に記されていなかったという事なのではないか、と思う。
「当てが外れたかな……?」
よく考えれば、どれだけ外法の世界の住人であろうとも、こんな泥水が溜まっている様な場所に潜伏しているとは考えられない。戻ろうかと踵を返しかけた直後、暗闇の奥底に何かが息づいている気配を感じた。
奥の扉からだった。敵意は感じない。怪物的な攻撃性とも違う。寧ろ、吹けば今にも四散して消えてしまう火の様な弱々しさにも近しい……。慎重に近づき、扉を引いた。
そこには。
「…っ⁈ゼオラ‼」
薄暗く湿った石牢の中央に、両手を鎖で吊り上げられた姿勢で拘束されていたのは、誰あろうゼオラ・ユピターだった。呼びかけに反応し、少女がノロノロと頭を上げた。
「…その声……レイトか……?」
「ゼオラ……。良かった、無事だったんだ……。待ってて」
ゼオラに近づくと、彼女の腕を拘束する鎖を一気に引き千切る。解放された彼女は姿勢を保持する事も難しいのか、床へとゆっくりと倒れ込みそうになった。ディライトが慌ててその体を支える。
「大丈夫、ゼオラ?どこか怪我でも———ッッ⁈」
ゼオラの身体を確認しかけたが、直ぐに大急ぎで目を背ける事になった。今の彼女は何1つ身に纏っていなかったからだ。周囲を見渡すと、壁際に毛布が一枚放置されているのを発見した。だいぶ黴臭いがそれでも何もないよりはマシだ。
彼女の体が見えなくなると、一度変身を解除して額に触れた。呼吸が荒く、熱も少しある様だ。こんな場所にあんな格好で放置されていたのだからそれも当然だ。気まずさを塗り込めて、彼女をこんな目に合わせた者への怒りがレイトの内心に膨れ上がっていくのを感じた。
「…とにかく、一度リンネに戻ろう……。アイリィもイーヴァさんも、ゼオラのこと心配してたよ……」
「…お嬢が……。奥様にも……お会いしたんだな……。…ご様子はどうだ?」
「…うん、大丈夫。俺たちも、ヒュペリオンの皆の事も、ちゃんと受け入れてくれたよ」
ゼオラを支え、扉へ向かって歩き出す。オーエンの事を伝えるべきかは迷ったが、今は彼女をあまり動揺させたくはない。何故彼女がこんなところにいたのか、それを質すのは今でなくても構わない筈だ。出口に向けて歩を進めようとするレイトだったが、ゼオラが小さく「…もう……いいよ……」と呟くのが聞こえた。
「もう……いいんだ……。どうせ、私はもう……あそこに戻る事はできない……」
「な、なに言ってるんだよ……!…アイリィを裏切ったって思ってるんだったら、そんな事ない。俺もアイリィも全然気にして———」
「………違う!そうじゃ……そうじゃないんだ……!」
そう言って、ゼオラはレイトの手を振り払い後ずさる。支えを失った体は直ぐに糸が切れた様にその場に倒れ込んでしまう。
「ゼオラ⁈」
「来るな‼」
駆け寄ろうとしたレイトを、しかしゼオラが鋭く制した。寒さでも堪えているかの様にかき抱いた体が細かく震えて———否、と違うと直感的に理解した。
ゼオラの中から、何かが急速に膨れ上がろうとしている。彼女はまるでそれを必死で抑え込もうとしているかの様に———。
「もう……戻れない……。…でも、せめて……あの娘の前から………消える為には……コレしか……!」
「…ゼオラ……何を言って………っ⁈」
「うっ……うあぁぁぁァァァァッッッ!!!」
叫ぶと同時に、ゼオラの身体から蒸気の様なエネルギーが噴き上がり、表面に幾筋ものミミズ腫れの様なラインが迸っていく。これまで何度も目にしてきたデブリーターへの変異反応だった。
息をのむ間もなくゼオラの全身が怪物のそれへと変化していく。身体は蒸気を吹き出すパイプラインが走りつつも、猫科動物の様なしなやかな筋肉の塊に。腰まで届くゼオラの長髪は赤く染まり、全身に絡みついていく。やがて背部に鋭利な針を宿した尾が鎌首をもたげた様な形状で配置され、人間でいう胸の辺りに叫びを上げている様な人間の“顔”が浮かび上がったところで、その変異が完了した。
「嘘だろ……ゼオラッ———!」
「グルァァァァァァァァッッッッッッッ!!!!」
猛獣の如き嘶きを上げて、ゼオラだった怪物が絶叫した。石壁に覆われた空間がビリビリと鳴動し、凄まじい音圧となってレイトに襲い掛かる。咄嗟に耳を塞いだが、それでも三半規管を揺さぶられる様な衝撃に足元がクラクラした。
「…すまなイナ、レイト……。だが……お嬢を守る為ニ……ここデ消えてクレ……!」
レイトをしかと睨みつけ、“怪物”はしかしゼオラの声でそう言い放った。
だいぶ駆け足気味ですが、ここまでです。
なかなかシリアスモードから脱却してくれません。
…ですが、これ位ならまだ序の口だったりして……?
ご意見・ご感想頂けると励みとなります。
それではまた次回。