◇◇◇◇◇
女はミラベルと名乗り、ハイル達を近場の街へと案内した。街と言ってもここはロストリア地帯なので、国家の地図には載っていない未承認のスラムに近いのだが、名前は一応『ロナヴァンス』というらしい。だが、昔の都市を再利用しているだけあり、それなりに秩序だっている様だった。
ロストリア、スラム……であっても全てが荒くれ者の溜まり場と言う訳ではない。中には争いを避けてそれなりの秩序ある暮らしを求める者もいる。好き好んで堕ちる者などいないのだから余計に。
「はい、ここよ」
と、ミラベルが示したのはなんと4階建ての石造りの建物だった。流石に長年の風雨に晒されてだいぶ朽ちてはいるが、かつてはそれなりに立派な建物だったのではないかと思われる……が、壁がなかなかドギツいローズピンクの塗料を塗られていた形跡があるのが気になった。
「…ここは、娼館じゃねぇのか?」
「かつてはね。今はただの古びた廃屋よ。でも、元が元だけに部屋数には事欠かないわ。悪くないでしょ?」
なんでも昔に殺人騒ぎがあったとかで、地元の人間は誰も近づかないんだとか。ハイルを始め、ヒュペリオンにはあまりその手の話でビビる者はいない為、確かに問題はない。ミラベルに促されて扉を潜ると、なんと地下室まであるらしい。元の目的を考えればおかしくはないが……誰も近寄らない娼館に暮らしているあたり、このミラベルという女がまるで何者かから逃げ隠れている様にも見える。
そして、それがきっとこの女の依頼というヤツに関係している。根拠はないが、ハイルにはそう思えた。
地下室はかなり殺風景な部屋だったが、真ん中にデンと鎮座するテーブルにここ一帯の地図やメモ書きが置かれていた。コイツはいよいよ……キナ臭くなってきやがったな、と思う。ヒュペリオンが持つ拠点にあった“指揮所”と呼ばれる、情報収集や作戦立案を行っていた部屋がこんな雰囲気だった。
「どこかと戦争でもおっ始めるつもりかい?」
「…ホントに話が早いわね。まぁ、無駄がないのは嫌いじゃないわ。ここを見て」
ミラベルが地図の一点を指し示す。ここロナヴァンスにほど近い場所に、小さな村を現わした印が書き込まれていた。
「村……『ヴァツラム』ってのが名前か?」
「そうよ。…いえ、正確にはそうだったかしら。今は全く別の名前を名乗ってる。『コロニアマキナ』ってね……」
「……っ!
ヒュペリオンの全員が俄かに顔を強張らせる。マキナという名前にはそれだけの力がある。
『マキナカリバー』。
かつて魔剣づくりの一族のとして知られたランドナー家が作り上げた始まりの三振りの1つ。ハイルが使用する『デウスカリバー』とローザの中に宿る『エクスカリバー』の兄弟刀であり、最大・最強の力を秘めた魔剣の王。
「…どういう事だ?詳しく聞かせろ」
長年探し続けたその名を冠する村がこの近くにある。逸る気持ちを抑えて、ハイルが冷たく鋭い刃の様な声で問うと、ミラベルはそれに臆した風もなく、頷いて口を開いた。
「『ヴァツラム』は私の暮らしていた村よ。苦しくとも、皆で精一杯助け合って生きてきた……。状況が変わったのは昨年の今頃よ。アイツら……あの悪魔の集団が乗り込んできて、全てを変えてしまった……」
◇◇◇
アタシ——ミラベル・アングリスが自分達の事をはみ出し者だと知ったのは、随分後になってから。でも、土地がデブリス毒で汚染されていようとも、高い石造りの壁がなくとも、アタシにとっては生まれたヴァツラムが世界の全て。そこがロストリスと呼ばれる、国家からは見放された土地だなんて心底どうでもよかったよ。
ヴァツラムはここロナヴァンスと同じで、争いを避けたい人々が集まる穏やかなスラムだった。そりゃロストリスだから、危険は常に隣り合わせだった。盗賊やデブリスに襲われる事もあったし、デブリス病で死んでいく人間だって毎年の様にいた。アタシも家族を早くに亡くしていたから勿論辛かったけど……だからってあの土地を離れたいなんて思った事は一度もない。
子どもにとっては、与えられた環境こそが全てなんだ。こんな世界で生まれれば他にもっとマシな世界があるかもなんて夢みたいな事は考えていられない。明日には死ぬかも知れなくとも、今日の命を繋いで……そうやって皆で生き続けてきた。そんなアタシの故郷に奴らは突然やって来た。悪趣味な革コートに奇妙なマスクを着込んだ、救世主を気どるあの侵略者どもが……!
◇◇◇
「その恰好って……デブリーター達ね?」
「デブリーター?…いや、そうは名乗らなかったわ。ただ奴らは『人がスペリオルへの道に至る為に、この地に新たな秩序を齎しにやって来た』って……本気で言っている様だった」
◇◇◇
夜闇に紛れて奴らは音もなくやって来たっけね……。新しくしたばかりの防壁をバターみたいに切り裂いて……当然、賊の襲撃だと思ったけど、なんだか雰囲気が違った。雪崩みたいに攻め込んでくる荒くれ者たちとは違って、奴らは伝道者みたいにゆっくりと歩み寄って来て……それがなんだか凄く不気味だったのを覚えているよ。
スラムの男達は当然武器を持って抵抗したけど、奴らは驚いた事に怪物に変異する力を持っていて、ヴァツラムは夜が明けきる前に制圧されてしまった。
普通なら村の資源を根こそぎ奪われて、人間は奴隷にされるか、それとも殺されたり手籠めにされるか……そう思っていたのに、奴らはそうはしなかった。それどころか、薄汚れた身なりの私たちを見下ろして——何と言うか本当に——憐れんでいるかの様だったと感じられた。
住民達を捕らえた後、奴らの中から1人の男が進み出た。後にこの男こそがこの集団の頭目である、『ヨハン・サトゥルヌス』だと知る事になるんだけどさ……当時は本当に好々爺然とした、ただの年寄りにしか見えなかったっけ。サトゥルヌスは私たちを睥睨しながら、その顔に一杯の涙を浮かべて……なんて言い放ったと思う?
『おぉ……可哀想に……。主らは未だに何者でもなく、そして何者にもなれずに死んでいく……。なんと残酷な……なんと哀れな……。…だが、安心するがいい。私が来た以上、貴様らを決して無碍な存在にはさせん……』
ハッキリとバカにされたと思ったよ。奴らが何を言ってるかなんてサッパリだったけど、この地で懸命に生きてきた私たちを“何者でもない”と言い捨てて、導いてやる……なんて誰が受け入れるもんですか。いつか絶対にコイツに一矢報いてやるって、決意をしたのはその時だった。
奴らは先ず手始めにスラムの子ども達を軒並み親から引き離して、どこかへと連れていったわ。子ども達が恐怖で泣き叫ぶ光景は今でも頭にこびりついて離れない。子どもの泣き声を不快に感じるのは、群れの中で最も弱い子どもを守る為の生物的な本能なんだと思うけど、それを意に介さず連れていくあの連中を見た時、確信を持ったよ。アイツらは人間じゃないって……!
それから数日間、スラムの大人たちはサトゥルヌスの命令で更なる畑の拡大に駆り出される事となった。1日の半分以上を労働に駆り立てられ、碌に食事すらも与えられない。抗議しても奴らは武器をちらつかせて、『この土地をスペリオルが生まれる最初の土地とする為だ』ってその繰り返し、てんで話にならなかった。奴らは暴力的であったけど、妙に理性的でもあって……殺さないまでも、抵抗する気がなくなる痛めつけ方というのを熟知していた。しかも、決まって攻撃するのはたった1人。そうやって、私たちの中に罪悪感を植え付けて、抵抗を封じようっていう……敵ながらうまい手を使ったものだよね……。
でも、アタシは諦めていなかった。このスラムで長く育った私は他の誰よりも、特にあんな余所者どもには負けないくらい、このスラムの道をよく知っていた。夜になって誰もが寝静まった夜にタコ部屋を抜け出して、スラムの細い裏道を抜けながら奴らが暮らしている建物——礼拝堂だった場所を目指したわ。
まさか奇襲されるとは思ってなかったんだろうね。入り口はともかく建物の周囲を全然見張りがいなかった。粗末な造りの窓枠を破壊して侵入した先、そこは幸運にも武器庫だった。
そして、サトゥルヌスの殺す為に武器を物色していた時にコレに出会ったんだ。闇夜の中で1つだけ異様な輝きを放っていたこの大剣……魔剣グラムに。
◇◇◇
「グラムだったんですね。コロニアマキナなんて名乗ってたですのに……」
ラナの疑問にハイルがいや、と首を振った。
「魔剣グラムは俺の家に所蔵されていたモノの1つだった。大方、あのバカが持ち出した後にデブリーターのサトゥルヌスって奴に渡したんだろうさ」
「前々から気になっていたのですが……ヒューバート・ランドナーはどうして自分で最強のマキナカリバーを使わなかったのでしょうか?何故、魔剣を強化していくなどというまどろっこしい手段を……?」
マーカスが首を傾げる。彼は最近になって加入したばかりなので、そこら辺の経緯を詳しくは知らないのだった。
「魔剣って言っても、それを完全に扱えるかどうかは個人差があるんだ。素質と言い換えてもいい。素質のない者が使うと、あっと言う間に体を魔剣に乗っ取られて……って訳さ」
「本人から確かめた訳じゃないから何とも言えないけど……恐らくマキナカリバーみたいな上位の魔剣は使えなかったんでしょうね。だから、それらは手放してしまった……と」
ヒューバート・ランドナーが使っていた3つはかなり低級の魔剣だったが、だからこそ3つを同時に使用するという荒業も可能だったと言えるかもしれない。魔剣を破壊しながらその3つを強化していけば、確かにマキナカリバーほどの力まで辿り着けるかもしれない。小癪だが、それなりに考えたものだと思う。ただ、本人からすれば甚だ不本意だったと思うが。
「おっと、話が逸れちまったな。で、お前は運よく魔剣グラムに適合し、サトゥルヌス達に戦いを挑んだ……」
「ええ。手にした途端、体の底から力が沸き出てくるみたいだったわ。自惚れでもなんでもなく、これならいけるってあの時は確信してたんだけどね……」
◇◇◇
剣から溢れ出る力が体中を駆け巡り、心地良い全能感を私は感じていた。まるで酒に溺れている様でも、麻薬を浴びている様でもあった。この力はどこか危険だとその時は本能的に悟ったけど……やめるなんて発想はなかった。子ども達を救い出して、皆で暮らしてきたヴァツラムを取り戻すんだって決めて、アタシは武器庫を飛び出した。
竜殺しのグラムは非常に好戦的な性質を秘めている……。剣が好戦的なんておかしいけど、その時のアタシは本能的にそれを悟っていた。まるでより大きなものと戦わせろとでも言う様に、私を1つの異様な雰囲気を発する者の元へと導いた。
人々を踏み躙っておいて、奴はどんなに豪奢な生活を送ってんのかと思ったら……奴がいたのは板張りの床以外は何もない部屋だったわ。妙な姿勢で座り込んでいたサトゥルヌスは私の侵入に気付くと目を開け……またしても、顔を歪めて涙ぐんで言ったわ。
『大いなるスペリオルよ……我が無力をお許し下さい。あなた方へと至る道……そこに全てを連れてはいけませぬ……!これから血を被る我と、この者の罪にどうか寛大なお心を……!』
『……っ⁉訳の……分からない事を言うんじゃないよっ!地獄に堕ちるのはアンタ1人だけっ‼』
アタシはそのままグラムを振り上げて、サトゥルヌスの胴体へと振り下ろした。迷いなんてなかった。この男さえ殺せばこの地獄は終わる筈だって心の底から思っていたから……。でも、刃は男が突然取り出した剣によって阻まれた。
奇妙な剣だった……。錆びついた様な赤銅色の拵えに対して、刀身が薄い緑色に発光していた。それが心臓みたいにドクドクと脈打つ度に、なにか恐ろしいモノが溢れ出てきそうに見えて……。私の怖気を感じ取ったのか、剣は秘めた力を急速に解き放ち、次の瞬間にはサトゥルヌスは人ならざる姿へと変わっていった。
赤黒い筋繊維の様な地肌にドクロの様な頭部全体を覆う複眼、翼状の背中の棘。まるで、挿画の中に描かれる悪魔の様な醜悪な怪物。ソイツが剣を振り回すと、それだけで無数の斬撃波が射出され、私の動きを封じて全身を引き裂いた。勝負はそれだけでついたも同然だった。
情けないって思うかもしれないけどさ……一度恐怖を感じてしまったら、恐らくあの魔剣は無限に力を増し続ける。そう直感した私は脇目もふらずに壁をぶち抜いて……先の見えぬ夜の世界へ逃走していったわ……。
◇◇◇
「それが昨年の話。そこから世界を渡り歩きながら魔剣を壊して、力を高めてきた。全てはこの瞬間の為にね……。…私からの依頼というのがなんなのか、もう分かるでしょう、ハイル・ランドナー?」
「…そのサトゥルヌスの一派をぶっ潰して、スラムの住人達を助けるのに協力しろって……事でいいんだよな?」
ミラベルが強く首肯する。ハイルがヤレヤレ……と言わんばかりにため息を吐いた。
「依頼を受けるかは任せるって話だったけどね……あなたが今朝しとめたバルムンクは私がずっと狙っていた獲物だったのよ。それを狩り取られた影響で計画は少し軌道修正が必要になってるの。…だから、出来る事なら……」
ミラベルの目線が陰る。ハイル達がバルムンクを先んじて討伐してしまった為、サトゥルヌスを倒すだけの力を得られなかったという事だろう。勿論、そんな事は俺たちには関係ないと突っぱねてしまうのは簡単だが……。ハイルが大仰にため息を吐くと……。
「…その依頼なんだがな———」
「モチロンッ!引き受けさせて頂くっス‼」
ハイルの言葉を遮って、ジャンがミラベルの手を取る。ヒュペリオン一同がズテッとその場でズッこけ、ミラベルもポカンと表情を固まらせていた。
「そいつら……絶対に許せないっス!オイラは頭に来ました。安心して下さい、必ずオイラ達がミラベルさんの故郷を取り戻してみせるっス‼」
「おいジャン……話を勝手に決めるんじゃ———」
「何でっスか⁉ミラベルさんもそのスラムの人々も……下手すりゃオイラ達の仲間になってたかもしれない人達っス!だったら放っておけないっスよ‼」
ジャンが血相を変えて捲し立てる。早い話、ミラベルという女に惚れたジャンが彼女の前でいいカッコをしたがっているのだろうと思っていたが——まぁ、それもあるのだろうが——意外と理由はしっかりしとしている様だった。これを男気と認めるか、アホ抜かせと一蹴するべきか……ハイルは暫し考える。
「ハイルさん、マキナカリバーですよ?それさえ壊せりゃオイラ達の目標にとっても大きな一歩になる筈っス。だからここは———」
「…誰もやらねぇなんて言ってねぇよ。ミラベル、スラムにいるのはデブリーターと併せて何人くらいだ?」
「えっと……数に変動がなければ、おおよそ80人くらいだと思うわ」
なるほどと頷き、集まったヒュペリオンのメンバー達をグルリと見渡すハイル。直ぐに作戦行動可能な戦闘班のメンバーはおおよそ150名。実に相手の2倍近くになる訳だ。
「…押して押せない相手じゃ、なさそうだな……」
「……っ!ハイルさん、それじゃぁ……」
「ま、そこまで聞いといて無視するのも寝覚めが悪いしな。どうせいつかは通らなきゃいけない道だ。引き受けてやるよ」
「…ありがとう。恩に着るわ」
ミラベルが頭を下げ、他の少年達も拳を打ち鳴らして歓声を上げる。やはり、同じ“壁の外の民”を見捨てるのは心苦しかったのだろう。
ハイルがヒュペリオンを立ち上げた時、誰もが仲間の為に命を張れるチームであればいいと思った。どんな苦境に立たされようとも、他の誰かに手を差し伸べる強さがあれば、世の不条理になど人は負けはしない……そんな青臭い理想が、確実なモノとして結実しつつある。そんな実感がハイルの胸に降り積もっていった。
——いいファミリーになってきたじゃねぇか……。
「浮つくなって。ミラベル、やるとは言ったが、その為には2つほど条件を吞んでもらうが構わねぇか?」
「ええ、出来る範囲の事なら」
「そうかい。それじゃ1つだが……戦争になる以上、スラムの住民達も完全に無傷とはいかねぇと思う。勿論、なるべく戦いには巻き込まねぇし、殺す事はしないと約束するが……完全にはムリだ。それはいいか?」
そのコロニアマキナに殴り込みをかけるのなら、恐らく住民を戦いに巻き込む事にはなる。目標はサトゥルヌスとその配下に絞りたいところではあるが、敵の戦力如何によってはそれも難しいだろう。ハイルとしても、家族の安全を差し置く訳にはいかない。ミラベルもそれが分かっているのだろう、あっさりと「それは仕方ないでしょう。構わないわ」と頷いた。
「助かるぜ。それともう1つなんだが———」
「それ以上は言わなくてもいいわ。見当はついてる」
ミラベルがボディースーツの胸元を開いて、首から下げた十字架型の小刀を取り出した。
「このグラムを差し出せばいいんでしょう?それも構わないわ。どうせ目的を達せられれば、私には不要なものだもの」
「そりゃどうも。だが、それじゃちょっと足りねぇな」
足りない?と、ミラベルが怪訝そうに眉を顰める。ハイルが笑みを打ち消し、表情を引き締めるとスクッと立ち上がった。
「もう1つの条件は……アンタが俺たちのファミリーになる事だ」
「……は?……ハァァァァッッッ!!??」
◇◇◇◇◇
戦いの始まりは武器を握る事からではない。如何に相手に先んじて情報を得、それを基にして作戦を立案できるかにかかっている、というのがハイルを始めヒュペリオンのケンカスタイルだ。考えなしに殴りに行くのではなく、大事なのは如何に相手を征する手を多く持てるか。そこに着目したからこそ新参の、おまけに子どもばかりで構成された集団が裏社会で生き残って来られたのだ。
今回もそのセオリーに則り、攻め込むコロニアマキナの情報をリサーチする事から始まったのだが……これに思いの外、苦戦させられる事となったのだった。
「ダメね。壁は高くて周囲にはそれより高所がない。中の様子は探れなかったわ」
「聞き込みもしてみましたけど……ダメでした。コロニアは門戸を開けた事がなく、常に閉鎖されている様です。中にはあそこに人が住んでいる事を知らない人もいたくらいで……」
「探られたくないのは分かるとして……人の出入りがないってのが解せねぇな……」
サクラとロビンの報告を聞きながら、ハイルは地図を訝し気に睨み付けた。
「どんなスラムだって、内部の生産だけで人口を賄える筈がないんだ。水は井戸が通っているらしいが……奴らは何を食ってるんだ?」
「ここらの干からびた土地柄じゃ、そんなに作物は育たないだろうしねぇ……」
エミリが口さがなく言うが、それにはミラベルも同意だ。ロストリスであるここらへん一帯は作物の栽培にはあまり向かない。だからこそここらでの生活は原始的な狩猟・採集か、または危険を冒してデブリスを狩り、それを闇の商人に売りつけるのが基本だ。どちらにせよ、1つの場所に引き籠って暮らしていく事はこの世界では難しいのだ。
「…大体、デブリーターが占拠したんなら、なんで奴らは何もしない?デブリドラッグを売り捌いている形跡もないしな。何の目的があってこんなトコに1年も居座ってやがるんだか……」
「ホンットに解せないわよねぇ……。マヤちゃんがいたら、これくらいサクッと探り出してくれるんだけどなぁ……」
「…なぁ、どうせ碌に食ってないスラムの痩せっぽち相手にそんなに考える必要あるか?数で押しちまえば、こっちの楽勝だろ。エリアルファングで相手に準備させる間もなく突っ込んじまえば……」
「それは最もだがな……相手にマキナカリバーがある以上、そう簡単にやらせてくれるとも思えねぇ……。何とかして、敵の尻尾の先くらいは掴みたいところだよな……」
偵察要因を数人送り込む手もあるにはあるが……敵が80人足らずの小さなコミュニティとなると、この手は却って危険だ。互いの顔を把握できる程の場所では、バレた時のリスクがその分大きくなるからだ。
「そう言えばっスけど……マキナカリバーの力って何なんスか?今まであまり聞いた事がないんスけど……」
ジャンがおずおずと尋ねてくる。敵がマキナカリバーの力を使って何かを企んでいるのなら、そこから推測する事も可能なのではないかと考えたのだが……ハイルは何故かこの事はあまり話したがらない。だが、今この場では仕方ないと思ったのか、ハイルがため息を1つ吐いた。
「マキナカリバーの力はな……『絶対破壊』と言われている」
「絶対……破壊……?」
そうだ、とハイルが重々しく頷いた。その不穏な雰囲気に、その場の空気が静まり返り、固唾を飲む雰囲気だけが小さく響いた。
「『守護』のデウスカリバー、『統制』のエクスカリバー……そして『破壊』のマキナカリバーという風に、当時の資料には残されていた。詳しい事は何も分からないが……その剣の前では鎧や盾、壁などあらゆる防御は無意味だとされている」
「『其が宿すは絶対破壊の意志。その力は通常に非ず』……。詳しい記述が残っていないのも当然よね……。その剣の前に立つという事は……即ち死を意味するのだから」
「さっきミラベルがマキナカリバーを恐れると、その力が増す気がすると直感していたが……それも真実だ。『その剣を畏怖する者は、全てがその刃の糧となる』……そういう記述も存在していた。例によって、何の事だかサッパリ分からねぇんだが……」
聞いていたヒュペリオンの一同が恐る恐るという風に頷き……同時にひどく納得した。今までハイルがその剣の事に触れようとしなかったのは……その剣に余計な恐怖を抱かせない為だったのだろう。触れた者、近づく者、畏れる者を全て屠る破壊の刃。そんなものとどうやって相対すればいいのか……?
「…まぁ、考えても仕方ない。セオリー通りに行くしかないでしょう」
一同の不穏な空気を取り払う様に、サクラが手を叩いた。
「コロニアは平地のど真ん中にある。という事はこちらの動きは探知されやすいけど、攻める分には苦労しないわ。ロビン、山の端に黒雲がかかってたけど……あれがこっちに来る可能性はある?」
「え~と……今の風向きと気圧配置からして……。そうですね、恐らく2日後の夜には嵐が来そうです」
「嵐ねぇ……。まぁ、祭りにはうってつけだな。風雨に紛れて、エリアルファングで奇襲をかける。マキナを抜かせる間もなく、秒で終わらせるぞ」
ハイルの顔が凄絶に笑い、一同を見渡す。やれるな、と問いているその目に否を唱える者はいない。応の唱和が古びた娼館の地下室全体に木霊した。
◇◇◇◇◇
「いいチームね。こういう裏社会の集団は内部に後ろ暗さを抱えているものだけど……ここにはそれがない。みんな生き生きとしているわ」
娼館の最上階、その屋上で1人エールを口に運んでいたハイルの前にミラベルが現れて言った。ハイルが変わらない不敵な笑みを浮かべて、「だろ?」と返す。
「今の世の中じゃ、バラバラになったって強いヤツに搾り取られるだけで終わりだろ?だが、束ねて纏まって、互いの為に命を張れればもっと強くなれる。より強くなれりゃ、弱い奴だって欠ける事なく守ってやる事も出来るしな」
「随分ロマンチストなのね。もっと狂犬みたいな男かと思っていたけど……そんなに丸くなれたのは、彼らのお陰?」
「…そればっかりじゃぁねぇが……まぁ、それもあるわな」
元を正せば、ローザを元の人間に戻す為の戦力として結成されたヒュペリオン。結成されて日が浅いにも関わらず、裏社会では一目置かれる程の最強集団となった訳だが、いつの間にかそれだけではなくなっていた。
ストラドと呼ばれる社会の逸れ者達が寄り集まって、彼らの帰る場所となれたら……そんなハイルの理想を体現したファミリー達は、強くも温かい組織へと成長していったと、自惚れでもなんでもなく思う。確かにそんな彼らの存在が、触れる者全てを傷付けるだけだった、刃の様な自分の心の鞘となってくれたのは間違いない……。
「バルムンクを仕留めた時の連携は、私も見ていたわ。確かに見事だと思った。…だけど、それだけではマキナカリバーには勝てないわよ」
「…どういう意味だ?」
ミラベルが表情を険しくしながら、「そのままの意味よ」と返す。
「あなた達の仲間意識の強さは確かに最大の武器よ。でも、それは同時に最大の弱点ともなり得てしまう……。マキナカリバーに魅入られし者は、必ずそこをついてくる……」
「アイツらがいたら、負けるって言いてぇのか?…心配ならいらねぇよ。自分の身は自分で守れる奴らだ。信用が出来ねぇって言うなら———」
「そうかしら?本当に強いのは、実のところあなただけに見える……。あなたもそれが分かっているんじゃないの?」
バルムンクとの戦いに於いて、確かに道筋を作ったのは全員だろうが、止めを決めたのはソーディアだ。相手が強大な魔剣ともなれば、彼我の兵力差はより鮮明に、より残酷に突き付けられる。ハイルはそれを分かっていながら、気付かぬふりをしているだけではないか……と、ミラベルは問うている様だった。
ハイルが反駁しようと口を開くが……言葉が浮かばなかった。
「作戦を切り替えるべきよ。グラムを取り込んで、あなた1人で乗り込めば、まだ勝てる目も———」
「…もう、そんな事させられねぇんだよ……」
ハイルが苦しそうに呻いた。
「魔の道に堕ちるしかなかった俺を、この世に繋ぎ止めてくれたのはアイツらだ。だから、もう誰1人置いていく事は出来ねぇ……。…悪いが、それが今の俺の答えだ」
「…そうね、余計なコトを言ったわ。後悔がない様に、やり切りましょう」
そう言ってミラベルはまたしても音もなく屋上から歩き去っていった。
そんな2人のやり取りを、扉の影に隠れて聞いていたジャンの存在にはついぞ気が付かなかった。