◇◇◇◇◇
雨が降っていた。地表面を根こそぎ洗い流そうとする程の激烈な風雨がロストリスの大地を昏く染めていく。
そんな中を、轟音を搔き鳴らしながら百数台の鉄馬の隊列が走っていく。嵐でも流しきれない峻烈な怒りと激情を湛えて、エリアルファングに跨ったヒュペリオン達が敵地——コロニアマキナに目がけて激走していった。
「…吶喊!」
グリップに取り付けられたスイッチを押し込むと、マシンの先端部に据え付けられた攻城兵装『ソードパイル』が展開した。暴風と高熱を纏ったパイルの先端がコロニアマキナの木壁に激突し、そのまま紙かなにかの様に呆気なく破壊すると、そのまま狭いスラムの中に雪崩れ込んだ。
突然の急襲。だが、敵の砦は大きく動じた様子もない。事前に忍び込んだジャンの存在もあって、敵はこの襲撃をある程度は見越してのだろう。既に十数人の革コートを着た男達が、バイクから降り立ったハイル達の前に立ちはだかっていた。
「錬身」
〈…To Be Sick……!〉
男達の姿が黒犬の怪物兵へと変わる。更に、異常な事はそれだけではなかった。塀が蹴破られ、村内に武力を持った人間達が雪崩れ込んできたというのに、村人たちには一切慌てふためいた様子がない。それどころか、各々が手に農具を握り、呆けた様な表情でゆっくりと歩み寄ってきた。ガラス玉の様に何の感情も宿していない瞳、ダラリと弛緩したまま唾の跡が残っている口元。そして何より……村全体に漂う、肉が腐敗した様な異臭。
「…間違いないわね。ここはもう……」
「ああ……すっかり、怪物どもの根城だ」
デブリーター達はともかく、このスラムの住民達も殆どがワイトという怪物になりかかっている。先程、ハイル達の前に現れたジャンの様に……。ギリと奥歯を軋ませ、静かなる闘志を燃やして……ヒュペリオンの団員達が一斉に各々の武器を抜刀した。
「…ヒュペリオン……叩き潰せ。全員、一人残らずだ」
地が震えるほどの大音響で応が唱和され……150名の団員達が一斉にコロニアの住人達へと挑みかかっていった。目にも声にも、そして握る武器にも、抑えようのない激しい闘気が滲んでいる。その異様な状態にミラベルが「ちょっと⁉」と抗議の声を上げた。
「ここの人達を助けてって依頼した筈よ⁉これじゃ———」
「完全には無理だとも言った。悪いが手を抜いてやる程の義理もねぇんでな。止めたかったら、さっさとサトゥルヌスを潰すぞ。元凶さえ押さえりゃ、止める手もあるかもしれないしな」
そう言ってジャンが遺してくれたメモ書きに従って、スラム中央の教会にハイルが駆け出していく。ミラベルは不満そうに顔を歪めるが、確かにここで議論している時間はない。その背中を軽く睨みつけつつ、剣を担ぎ直して彼女も走った。
不気味な事に教会入り口からサトゥルヌスが潜む部屋まで一切の見張りがいなかった。逃げ出した訳ではないだろう。ハイルとミラベルにしか感じ取れない、魔剣ならではの禍々しい気配を今でもひしひしと感じられる。つまるところ、誰が来ようとも絶対に負けないという自信の表れか……。
「あそこよ!」
「分かってら!」
教会の奥に隠されていた鉄製の扉を恐るべき力で蹴破り、ハイルとミラベルが部屋へと雪崩れ込んだ。薄い暗がりの中、サトゥルヌスの気配に意識を集中させると……悍ましい気配が彼らを取り囲む様に包み込んだ。
「……っ⁈なんだ、このイヤな感覚———」
「…まるでっ……苦しみの渦の中に放り込まれた様な……!」
「失礼な事を言わんで貰おうか……。ここは彼らが神々への道へと踏み出す為の……希望の間なのだよ……」
掠れた風鳴りの様な声で、サトゥルヌスが音もなく歩いてきた。右手のマキナカリバーの刀身がゆっくりと輝きだし、部屋全体を明々と照らし出す。そこには……信じられない光景が広がっていた。
壁一面にズラリと居並んでいるのは、薄く輝く溶液が詰まった大型の水槽。
その1つ1つに目を凝らすと……中には生のままに剥かれた子どもが虚ろな表情のまま浮かんでいた。
「…なんだ……?なんだよこりゃ……?」
裏社会で生きていれば、目を背けたくなる様な悲惨な光景は多く見てきたが……目の前の光景の悍ましさはそんなものではすまない。溶液の中の子ども達にはいくつものコードが繋がれ、時折その口の端からコポコポと気泡が零れだしてくる……。
まさか……まだ、生きているというのか?目を凝らすと、ガラス玉の様な瞳は微かに瞬きをしている様だし、中にはガラスの表面をコツコツと叩いている者もいる。まるで、ここから出してと訴えている様で……。
嘔気がこみ上げ、冷たい汗がハイルの全身を流れる。怖気に竦みそうなる脚に精一杯の力を込め、それよりも激しい怒りで塗り潰して……正面のサトゥルヌスを睨み付けた。
「テメェ……!何だよコレは⁉コイツらに何をしやがった⁈ここは一体何なんだっ⁈」
「説明しただろう?神々への道を踏み出しているのだよ……」
サトゥルヌスの口調には憐みの様な、当惑している様な色が浮かんでいる。
「私はかつて、ある組織の中で多くのデブリーター——怪物兵士の開発を続けてきた……。だが、ある時遂に思ってしまったのだよ……。世界の救済に……
「…効率だと……?」
「そうだ。怪物どもが蔓延る今のこの世界に、ストラド達はあまりに多い。彼らはこの世において何の役割も持っておらず、いてもいなくても変わらん存在だ……。それはあまりに無駄であり……酷く哀れだ……。だからこそ私は……彼らを
無駄?哀れ?改良?
感情を昂らせる事もなく、ただ訥々と語る。同じデブリーターの研究者であるイカボッド・クリーデンスとはかなり対照的だ。
「改良……ですって……?…そんな事を……どうやって……?」
「勿論、簡単な事ではないよ……。だが、デブリスに負けぬ強い肉体を作るには……最も合理的なのは、脅威となるモノをその身の内に取り込む事だという結論の至ったのだ……」
身の内に取り込む。その言葉の真意に気付いた時、ハイルは総毛立つ感覚が全身を駆け抜けた。
「…まさか……ここの住民達がああなったのは……デブリスの肉を、
人間の死体に憑りつく事で怪物へと変化するワイトデブリス。だが、もし従来通りあれの体が人間の死体であるなら、肉体の腐敗が進んでいる筈だし……何よりも、末期のジャンの様に言葉を発する事もない筈だ。
あまりにも悍ましい想像だった為、口に出す事を避けていたのだが……。
まるで、生きながらワイトへと変えられたかの様な……。
慄くでも誇るでもなく淡々と、だがしっかりとサトゥルヌスが頷いた。
「そうだ……。デブリスの肉を喰らえば、当然その毒素に蝕まれて肉体は怪物へと変わっていく……。だが、それを食い止めるのがこのマキナカリバーだ……。『絶対破壊』の力を以てデブリス細胞のみをピンポイントで破壊できれば、肉体の怪物化を止める事ができる……。やがてはデブリス細胞に侵されぬ強い細胞だけが生き残り……人間を更なる高次元へと導く事に……」
「…そんなバカな……。…確かに可能性としてはあり得るかもしれないけど……そんな事に全ての人間が耐えられる筈ない‼」
「確かに……。残念な事に、全ての人間が神の次元へと到達できる訳ではない……。中には間に合わずにそのままデブリスへと墜ちてしまう者もおる……。だが、それも決して無駄にはならん。その者たちの肉は全て……残された者たちの為に捧げられるのだからな……」
「捧げられる……?…まさか……なんて事を……」
「……っ⁉…ふざけんな……ふざけんじゃねぇぞテメェッ‼」
デブリスを喰らい、マキナカリバーの修復も間に合わなかった人間達は生前の姿を失い、怪物と化して死ぬ。だが、その肉体は解体され残された者……即ちヴァツラムの住人達の胃の腑へと落とされていく。彼らを神の次元へと導く為に……。こみ上げる吐き気をとうとう我慢できなくなり、ハイルはベルトの剣柄へと手を掛けた。
「テメェは……!ここのヤツらにっ……共食いを強いていたって言うのか⁈元は大切な仲間……誰かの友人や家族だったヤツらだぞっ‼」
「何が悪いのだ?意味なく生き、意味なく死んでいくストラド達を更なる次元へと導く為の試みだ。その道に至れなかった者も決して無駄なく活用する……。効率のいい循環システムではないか……」
「黙れっ‼どれだけ命を弄べば気が済むんだよっ‼」
〈ソーディア、ライトブレード‼〉
いつもの掛け声を発する事もなく、ハイルが魔剣を振り払う。秘められた魔剣の力が全身を包み仮面ライダーソーディアが顕現する。たとえ仮面で覆われていようとも、隠し切れない程の闘気と怒りがその全身から噴き上がっていた。
「殺す……!テメェは絶対にっ……この剣でぶち殺してやる……‼」
「やれやれ……やはり、理解は出来ぬか……。少しでも地上の民を天なる者の傍へと送らねばならぬと言うのに……」
嘆きながら男が鞘から赤銅色の剣を抜刀する。瞬間、刀身から吹き上がった禍々しいエネルギーがその体を包み込み、悪魔の様な姿——マキナカリバー剣人体へと変えた。
「相手になろう……。同じ魔性の剣を宿す者……私が貴様をその血塗られた運命からも解放してやろう……」
「ウゼェな……テメェみてぇなのを、大きなお世話って言うんだよ‼」
ソーディアとミラベルが恐るべき速度でサトゥルヌスの懐へと踏み込み、剣戟を叩きつけた。ソーディアのパワーと滅竜の力を秘めたグラムが合わされば、石造りの城門すらも吹き飛ばすだけの威力を発揮する……が、恐るべき事に目の前の敵はそれすらも片手一本で受け止めてみせた。気怠そうなため息と共にマキナカリバーが振り抜かれると、巻き上がった衝撃波によって2人の体が軽々と吹き飛ばされた。
「ぐあっ……‼」
「…やっぱりっ……これが絶対破壊の力……!」
「怯んでんじゃねぇ‼あんなヘナチョコ剣技に負けて堪るかってんだ‼」
魔剣使いは見た目だけでは測れない事が多い。恐るべき魔性の力を秘めた剣は老人や子どもにすら強大な力を与えるからだ。だが言ってしまえば、その技はどうしても能力頼みになってしまうという事だ。
細身の老人の見た目に違わず、サトゥルヌスは剣技は完全に素人の様だった。付け入るとするならばその一点。余計な恐怖や感情は剣技の冴えを鈍らせるだけだ。即座に体勢を立て直すとそのままの勢いで壁を蹴り、自身が最も得意とする技——居合斬りニトロを叩き込んだ。
ガァン!という轟音が響き渡るが、マキナカリバーは一切揺らぐ様子はない。だがそんなものは想定の内だ。相手が破壊の具現者そのものであるならば、ソーディアの剣技の最大の強みはそのスピードと手数の多さにある。両手で剣柄をしっかりと握りしめると、目の前の刃に向けて剣の乱打を叩き込んでいく。
「ぬぐっ……」
「まだまだぁっ‼」
——魔剣開放、我流・トルク!
ある一点をのみを目がけて集中的に攻撃を繰り出す技。一撃一撃の威力自体は控えめだが、素人同然の剣の構えを崩すには充分だ。何よりも、響き渡る撃音と舞い踊る火花がいい具合に相手の感覚を眩ませてくれる。本命はこっちだ。
ソーディアが素早く剣をベルトへと戻し、そのまま差し口を交換する。各部のイーブルスカバードが分裂し、その配置を変えると、剛剣の使い手・ツヴァイハンドへとその姿を変えた。
——魔剣開放、キャノンボール‼
デウスカリバーⅡと左腕のデウスブリーチャーの突撃がマキナカリバーの刀身へと叩き込まれる。乱打技の連撃を受け止め続けて、微かにひびが入っていた刀身が今度こそ根元から叩き折られた。そのまま刺突は剣人の胸部装甲を貫き、辺り一面に血と金属片が花弁の様に散りばめられる……。
「…スペリオルの意志より生まれし、マキナの刃よ……。この哀れなる子羊に赦しを……」
「…………っっっ⁈」
呪詛の様な囁きの一瞬後、空中に舞い上がった欠片や血飛沫が杭状に変質し、ソーディアへと襲い掛かってきた。左腕のシールドを展開してガードの姿勢を取るが、この至近距離で音に近い速度で殺到する鉄杭の威力を消しきれるものではなかった。全身を穿たれたソーディアが壁際まで叩きつけられた。
「ハイル⁈」
「グッ……!コイツッ……‼」
「残念だな……マキナカリバーは、ここだよ……」
怪物が胸部装甲に爪をたてゆっくりと開く。肉体の奥底に妖しく輝く刀身が封印されているのが見て取れた。
「マキナカリバーの力が……人間に宿った……?」
「驚く程の事でもないだろう?君だってそうではないか、ハイル・ランドナー」
サトゥルヌスが手を手刀の形に変えて、横薙ぎに空を切る。それだけで払われた空気が刃となって2人に叩きつけられた。
「ぐぁぁぁぁっっっっ‼」
「私と君は同じものだ、ハイル・ランドナー……。天より降りし絶対者をその身に宿す……これより先の世界の王ともなれる存在だ……。それが何故……つまらぬこの世界のしがらみに拘る?」
「何が同じだっ……。俺の家族をあんなにしやがったヤツを……俺は絶対に許さねぇ……‼」
「それがつまらないしがらみなのだ……。人は多くの社会体制に仕えればそれだけ混乱し、争いの元となる……。ならば家族という旧弊的なシステムを取り払い、上位者にだけその身を捧げればよい……。この子らはその選ばれし上位者へと至れる様に私自ら———」
「黙れって言ってんだろうがぁぁっっ‼」
ソーディアとミラベルが同時に飛び掛かるが、サトゥルヌスは慌てふためく様子もなく指をパチリと鳴らすと、背部の翼が分離し、剣となって2人の剣を捌いていった。骨の様な粗製の造りだが、元は最強の魔剣の一部であるからか両者の攻撃をどれだけ受けようとも全く壊れる気配すらない。挑発的に飛び回る剣は2人に致命傷を与える事はなく、弄ぶ様に細かい傷を入れ込んでいく……。
ミラベルがはたと攻撃を止めた。サトゥルヌスが何を狙っているかを悟ったからだ。
「ハイル落ち着いて!こいつは私たちの恐れを誘発するつもり———!」
もう遅かった。怒りや焦り、それらは全てマキナカリバーの力を高める感情——恐怖を根源とするものだ。抑えようがない程に膨れ上がっていたハイルの怒りに触れてサトゥルヌスの体内に宿る魔剣が力を増していく。
サトゥルヌスの右腕そのものが1本の巨大な刃へと変形した。その刀身に暗夜の様な昏いエネルギーが纏わりつくと、それを一気に振り下ろした。闇の刃は教会の天井を破る程までに増大し、ソーディア達を巻き込んで建物そのものをほぼ真っ二つに切り裂いた。
「残念だよ……。…だが怒りに囚われる貴様は、魔王の器になり得る者……。ここで滅ぶがよい……」
外ではまだヒュペリオン達がデブリーターやスラムの住民達と戦いを繰り広げている。それを自らの手で止めるつもりなのだろう。瓦礫と土煙の中、悠然と佇むサトゥルヌスが呟き、その場から飛び去った。
「クソがっ……!無茶苦茶しやがってっ……‼」
瓦礫を押し退けて、ハイルがゆっくりと立ち上がった。闘志は未だに果てていない……が、体がどうしてもいう事を聞かない。デウスカリバーの絶対守護の力はマキナカリバーの斬撃から持ち主を守ったが、それでも完全とはいかない様だった。全身に傷を負い、今や立ち上がる事さえ困難な有様だった。命があったのが不思議なくらいである。
攻撃を何とか受け止めようとした直前、何かに視界を塞がれた気がしたのだが……それに気付いた瞬間、全身が総毛立つ思いに襲われた。この場で彼を庇える者など1人しかいない。
その直感通り、ハイルの足元に……無惨にも半身を引き裂かれたミラベルが横たわっていた。
「ミラベル……!お前っ……どうして……‼」
「…勘違い、しないで……。あなたの方が……私に課せられた使命を……果たせそうだったから……それだけの、話よ……」
ミラベルが僅かに身を捩る。初めて己の体の半分が消え去った事に気付いたのだろう。情けなさそうに笑い、「…でも……流石に、ここまで……みたいね……」と呟いた。
「ハイル……最期の依頼よ……。グラムを、破壊して……。それなら……あのマキナカリバーの力にも……対抗できる……」
「…だが……!そんな事をすればっ……お前は……!」
「…やっぱり、気付いてたのね……。家族に……なれなんて、可笑しな事を言うから……変だって思ってたんだけど……」
ミラベルの傷口、そこからは血どころか臓器や筋繊維いった肉体組織が一切覗いていなかった。あるのは金属で出来た様な骨組みのみ……それが彼女の正体を何よりも雄弁に物語っていた。
「…本物のミラベルは……もう死んでたんだよな……。だがその遺志は……魔剣グラムに引き継がれて……」
「…そうよ……。ミラベルの……ここの人々を助けたいという願い、ここに帰りたいという思い……それが私の……新しい使命になった……。安いロマンチシズム、みたいだけど……」
少女が弱々しく笑った。その様子は生きている人間にしか見えないが……ミラベルと名乗る目の前の少女が人間ではない、と気付いたのはかなり最初からだった。触れた時に体が異様に冷たいと思ったのがきっかけの1つだが……本当に勘としか言いようがなかった。魔剣と深く関わり合ったハイルだけが持ち得る直感としか。
だが、魔剣グラムを破壊してその身に取り込む事は……即ち、この目の前の『少女』の命を摘み取る事にも等しいのではないか。ハイルが彼女をヒュペリオンへと引き入れようとしたのはそんな理由だったのだろう。
魔剣狩りのハイル・ランドナー。かつてそう呼ばれていた冷酷な剣士は、人々に害を齎す危険な魔剣を次々と屠り続けて来た。しかし、デウスカリバーがそうであった様に、魔剣は己に課せられた使命をひたすらに果たそうとしていただけだと知った。そしてそう思えたからこそ、ハイルは決して魔の道に堕ちる事なく、仮面ライダーソーディアとしてここまで戦い続ける事が出来た……。
「俺は……俺には、そんな事……!」
「あなただから、頼みたいの……。弱い人達を決して見捨てず……家族と呼んでくれるあなただから……。…さぁ、早くしないと……手遅れになる……」
ミラベルの手がデウスカリバーの刃先を握り、自分の左胸へと導く。薄く微笑むその顔に亀裂が広がり、目からも徐々に光が抜けていく様だった。気を緩めれば萎えていきそうな脚に精一杯の力を込めて立ち上がった。
「…すまねぇ、ミラベル……。俺がもっと強けりゃ……恐れに、負けないくらいの心があれば……」
思えば、ジャンを怪物化させてけしかけて来たのは、ハイルの怒りを……恐怖を誘発させる為だったのだろう。そしてこのコロニアでの暴状を知り、ますます膨れ上がった彼の怒りに呼応する様に、マキナカリバーは力を昂らせていった。まんまと敵の術中に嵌まってしまった己の浅はかさが、弱さが今の結果を招いた。ハイルの後悔を聞きながら……ミラベルが、「それでもいい」と言わんばかりに微笑むのが見えた……。
「…うぅおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっっ……‼」
悲痛な叫びと共に振り上げられたデウスカリバーが、そこだけがやけに燦然と輝いて見える彼女の胸を貫く。乾いた金属音だけがそれを掻き消す様に響き渡った。
◇◇◇
人間とはなんて非合理な存在なのだろうと、この姿になって初めて分かった。
喜び、怒り、悲しみ、愛情に妬心……そんな感情に振り回されて、いつだって判断を誤ってしまう。目の前で、泣きながら剣を振り上げるあなたも、そういう非合理な存在の1つでしかなかった。
家族を大切に思う優しさは、時に脆さにもなる。もし、それが怒り……つまり恐怖に変換されればマキナカリバーに勝つ目は完全に失せてしまう事になる。そんな不安は的中し、家族を失ったあなたはやっぱり容易に相手の思惑に乗ってしまった。
確かにサトゥルヌスが言う通り、人が感情を棄てて真の意味で合理的な存在となれれば、この生命達は1つ上の次元へと到達できるのかもしれない。恐怖を抱かなければ、この先に待ち受ける
…でも、彼らと決して長い時間ではなかったけど一緒に過ごして、そんな非合理が時に予想もし得ない力を生むんだって知った。それ以上に、自我を取り戻してみせたあの少年の最後を説明する手段なんてあるだろうか?
すまないって謝っていたけど……謝らなければいけないのは、『私』の方。
こんな事にあなたを巻き込んでしまって、あなた達の心に決して消えないであろう暗い穴を穿ってしまった。でも、そんな穴を補い合って強くなって行けるのが人間なんだって私は信じてる。
『私』はここで消えてしまう。家族になれなかったのは残念だけど……あなたの心の穴を覗けば、きっとそこには『私』もいるんだろう。それがあなたを強くしてくれるって信じて……『私』は身の内に宿った心を手放した……。
◇◇◇◇◇
サクラが振るった剣が目の前に迫っていた男の顎を殴り飛ばした。非殺傷用に刃先に金属カバーを取り付けた今のブロッサだが、力一杯殴れば骨くらい折れる。ボキッ‼という破砕音と共に男が吹き飛ぶ……が、砕けた顎をダラリとぶら下げ、涎を垂らしながら男は尚も農具を振り回して向かってくる。まるで痛みを感じていない様だった。動きは酷く緩慢だが、例えどれだけの傷を負おうとも恐れた風もなく向かってくる姿は不気味以外の何物でもなかった。
「くっ……!これじゃあ……キリがないじゃない……‼」
ヒュペリオンの戦闘班が総出で掛かったお陰もあり、尖兵のジェヴォールト達はなんとか倒す事に成功した。が、後に残された住民達が厄介だった。ほぼ体がワイトになりかかっているのか、どれだけ痛めつけようともお構いなしに向かってくる。相手がほぼ人間の姿のままの事もあり、剣を振る腕にも僅かな鈍りが走るのも事実だった。
「クソッ……‼サクラ、もういいだろっ!コイツら殺しちまっても!」
「…もう少しだけ、堪えて!ハイル君がサトゥルヌスを倒せれば、彼らを元に戻せる手も———」
「でもよぉっ……!コイツら……ジャンを殺しやがった奴らなんだぞ!これ以上、我慢なんかできないんだよっ……!」
ジョシュの訴えも分かる。家族のいいムードメーカーだったジャンの訃報。ここにいる誰もがそれを悲しみ、同時に家族をそんな風にした敵に猛り狂っている。それはサクラも同じだ。出来るならこの村に火を放って、敵を全滅させてやりたいという気持ちはある。
怒りは何よりも強い感情だ。だからこそ、ヒュペリオン程の集団がそれに呑まれてしまえば抑えが効かなくなるだろうという事は容易に想像がつく。それでは、かつて剣に食われて理性なき怪物へと墜ちそうになったハイルと変わらなくなってしまう。
ここで村人達を全滅させれば、ジャンを失い、彼が慕っていたミラベルの願いも果たせなくなるという二重の喪失だ。ここは何としても彼らを無力化するだけに留めなければ———。
転瞬、空から轟音を立てて衝撃波が降り注ぎ、サクラ達を吹き飛ばした。何とか受け身をとり、上空を見やると、そこには翼を悠然と広げてこちらを睥睨する怪物の姿があった。その悪魔の様な容貌には見覚えがある。かつてハイルが変身した剣人体とよく似ていた。まさか、アレが———。
「なんと惨い……なんと哀れな……。神よ、心が地べたから離れられぬ彼らに慈悲を与えたまえ……」
「マズい……!皆、退避———!」
サクラが命じ切る前に、サトゥルヌスの両腕と翼が振り下ろされた。マキナカリバーの権能を得た破壊的な強風がサトゥルヌスを中心に扇状に発射され、少年達を吹き飛ばし、周囲の家屋をその土台ごと根こそぎ薙ぎ倒していく。勿論スラムの住民達も例外ではないが、彼らはそのダメージを感じる事はない。暴風が一過した後も音もなく立ち上がり、あまりのダメージに起き上がれないヒュペリオン達に迫り、次々とのしかかって来た。
「やっ……!離れなさい、このっ……‼」
ワイトの口腔が開かれ、ボロボロに朽ちかけた乱杭歯が覗く。殺傷能力はないだろうが、ワイトは噛みつく事によって己の身に宿る悪霊魂を相手に移す事が……即ち、相手をワイトにする事が可能だと言われている。必死に抵抗するサクラだが、言葉でも暴力でも彼らを止める事は出来ない。ワイトの手が彼女のシャツを強引に引き裂き、露わになった首筋にその牙が突き立てられそうになった、その刹那。
〈テリフィング・ミドル・ストラッシュ‼〉
聞きなれた音声に追従して、またしても吹き荒れた衝撃波が今度はワイト達だけを的確に吹き飛ばしていった。それが何だか、ヒュペリオン達に勝利を齎す神風の様にサクラには思えた、が……。
「ハイル君……?」
デウスカリバーⅡを握り、地上から空の悪魔を見上げる仮面ライダーソーディアの姿があった。指をクイと折り曲げて挑発する姿はいつもの彼だったが、そこには余裕などない。ただ触れる者を残らず斬り捨てる刃物の様な闘気が纏わりついている様だった。
「あの魔剣を取り込んだか……。そうやって次々と魔なるモノを取り込み……お主は何になろうとしているのだ……?」
「ふざけんなよ……。俺は俺だ……。踏みつける奴らは残らずぶっ潰して地に叩き落す……。それがハイル・ランドナー、それがヒュペリオン……そして……!」
ソーディアの右腕が俄かに光を放つ。それはやがて広がり、徐々に形を成していく。
「それが……仮面ライダーソーディアだ……‼」
〈グラムバスター‼〉
光が実体を為し、ソーディアの半身はあろうかという大型の刀剣が出現した。切っ先が鋭く尖った片刃の直刀だが、その刃幅はかなり広く、峰の部分が鋸状になっている。だが、その形状に反してそれなりに軽量らしく、ソーディアは片手でその大剣を振り上げて構えた。
「ミラベル、グラム……お前らの覚悟は無駄にしねぇ……。何がなんでもアイツに……地べたの冷たさを叩き込んでやる……!」
ソーディアが大剣のトリガーを押し込む。瞬間、刀身から迸ったエネルギーがソーディアを包み込む。脚部に力を込めて跳躍すると、なんとサトゥルヌスが滞空する20ハンズ近い高度までを一気に上昇した。
「何だとっ……⁈」
「驚くのはまだ早いぜっ‼」
さしものサトゥルヌスですらこの事態には面食らった様だったが、勿論これだけで終わりではない。ソーディアが体験を一振りすると……否、その一瞬でサトゥルヌスの体が数十箇所に渡って斬り裂かれた。
「ぐあぁっ……⁉き、貴様ぁっ……!」
両腕と翼が閃き、暴風の様な斬撃がソーディアに直撃する……と思われた刹那、その体が一瞬で搔き消えていた。マキナカリバーの放つ衝撃波は風の様に速い。ましてやこの至近距離で躱す事など絶対に不可能な筈なのに……。驚愕の表情を浮かべる間もなく、サトゥルヌスの背後に突如としてソーディアが出現し、再び剣を振り下ろした。やはり、一瞬で幾筋もの斬撃がその体を直撃し、背部の翼をズタズタに引き裂いた。
「うおぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ⁈」
全身を斬り刻まれ、翼を失ったサトゥルヌス剣人体がそのまま地面へと落下した。それとは対照的に軽やかに地面に着地したソーディアが血塗れで転げまわる怪人を見下げながら、「ザマァ見やがれ」と冷笑した。
「どうだ、踏みつけられて泥を喰らう気分は?神様気どりのテメェにはそこがお似合いだ」
「…黙れっ……。なんと罪深い……!貴様の様な業深き者はもはや救済できぬっ……!」
「言ったろ。それを、大きなお世話って言うんだよ」
サトゥルヌス剣人体がフラフラと立ち上がり、牙が覗く口腔を開けて絶叫する。全身に傷は負っているが、一撃一撃は思いの外浅い。あの剣は恐らく爆発的な加速力を得る代わりに、威力自体は相当に低いらしい。全身の筋肉を漲らせ、怪人が両腕の爪を振り上げて跳躍した。マキナカリバーの絶対破壊の権能を秘められた爪撃は大地すら引き裂く程の威力を秘めている。
だが、ソーディアは慌てる事なくソードラッグの差し口を変え、ツヴァイハンドへと変身する。そのまま大剣の柄頭……そこに備えられた霊薬瓶状の『グラムエンドヘッド』を引っ張る。それに呼応した様に刀身に走る『マッスルゲージ』が青から赤へと色を変えていき……。
〈ヘヴィーグラム!〉
唐突に、大剣の質量がグンと跳ね上がった。先程は片手でも支えられる程に軽量だったものが、今ではツヴァイハンドのパワーを持ってしても支えきれない。だが、それと同時にソーディアの重量も上昇していた。地面が軋み、絶対破壊の爪が直撃しようともその体はビクともしない。
「なん……だとっ……?」
「テメェ如きじゃ俺を引き倒せねぇよ」
ソーディアの握る大剣……その名を『疾猟魔剣 グラムバスター』と言う。竜より生まれし2つの魔剣、『バルムンク』と『グラム』の特性を受け継いだこの大剣はそれぞれの能力を引き出す2つのモードが存在している。
1つは飛竜を落とす程のスピードと跳躍力を与える『ライトグラム』。この形態では剣の質量は著しく軽くなり、一瞬だけで無数の斬撃を叩き込む事ができる様になる。
そこから柄頭の『グラムエンドヘッド』を引っ張る事で、もう1つの『ヘヴィーグラム』へと特性が変化する。こちらは逆にとてつもない重さとなる代わりに、使用者にもそれに見合うだけのパワーと耐久性が付与されるのだ。
ソーディアは刀身を裏返して今度は鋸状の刃を前面に向けると、ガード部分に備えられたもう1つのグリップを握りしめ……そのまま横薙ぎにサトゥルヌスの胴体へと叩きつけた。
「ぐぅおぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっっ……⁉」
「まだ、終わらねぇ……」
〈ライトグラム!〉
グラムエンドヘッドを押し込むと、今度はライトグラムへとモードがチェンジする。それに包まれたツヴァイハンドが一気に吹き飛ばされたサトゥルヌスへと肉薄した。これこそがこのグラムバスターの戦いの真骨頂だ。その特性により、例えスピードに劣るツヴァイハンドでもこれだけの速度を出す事が出来るのだ。
——我流・トルク‼
そして当然、ツヴァイハンドの状態でもスピードを生かした魔剣技を放つ事も可能になる。先程よりもパワーが増した剣嵐がサトゥルヌスの全身に叩き込まれ、両腕と翼を根元から叩き落した。
「ひぎゃぁぁぁぁぁっっっっ⁈…やっ、やめてくれっ……!私はっ……まだ天より与えられた使命を果たしていない……!こんなところで———!」
「残念だったな。何者にもなれずに消えていくのは……お前の方だ‼」
〈テリフィング・マッスルストラッシュ‼〉
——重速連携……ジェット・ブレイク‼
グラムバスターのトリガーを長押しし、軽と重両方のエネルギーを纏った刃がその脳天に叩き落された。まるで光の速度で地面に叩き落とされた雷の様だった。巨竜の強靭な装甲すら穿ち抜く斬撃がサトゥルヌスを頭から真っ二つに切り裂き、その中心部に埋め込まれた魔剣マキナカリバーごと破壊した。
「ひぎあぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっ??!!」
砕かれたマキナカリバーが細かい粒子となって自らを破りし者、即ちソーディアへと吸収されていった。敗北し、自らが得た力を失ったサトゥルヌスはまるで呆けた様な表情で虚空を見上げていた。体が時折思い出した様にビクビクと揺れる事から、まだ生きてはいるのだろう。そんな姿を忌々しそうに見つめていたソーディアがグラムバスターの刃先を叩きつけようと振り上げる。
だが。
「…………………っ⁉」
「なっ……⁈き、貴様らっ……一体なにを———⁉」
両腕を斬り落とされ、芋虫みたいに震えているしかできないサトゥルヌスにゆっくりと無数の人影が……ワイトと化したここヴァツラムの住人達が群がっていった。表情のない双眸がその無様な姿をジッと見つめると……やがて朽ちかけた歯を剥き出しにして、その老いさらばえた体に次々と噛みついていった。
「きぃあぁぁぁぁぁぁっっっっっ……⁉な、何故だ貴様らっ……!私は、貴様らを更なる高みへと———!」
そんな叫びを気にする様なワイト達ではない。肉が抉られ、露わになった骨と臓腑までもが次々と食い破られていく。やがて悲鳴も段々とか細くなって行き……後には僅かな骨片だけを残して、ヨハン・サトゥルヌスという人間の痕跡はこの世界からすっかりと消え去ってしまった。
己の歪んだ求道の為に、人々を踏み躙り続けた悪魔の最期に相応しい光景……ではあるが、思わず目を背けたくなる様な悲惨な光景だった。ヴァツラムの住民達も決して彼への恨みであの様な行動に出た訳ではないだろう。ただワイトとしての本能に従って、弱っていたサトゥルヌスから食い殺したに過ぎない。獲物を仕留めたワイト達はゆっくりと立ち上がり、ヒュペリオン達へとゆっくりとその脚を進めてくる。
その虚ろな顔の列を見ながら、ハイルは悟っていた。この1年間、デブリスの肉を食わされ続けた彼らを元の人間へと戻す方法はもうない。近くにロナヴァンスや他のスラムがある以上、ここに野放しにする事も出来ないだろう。
「……………………」
ソーディアがグラムバスターの刃を彼らに向かって構えた。彼らを救う方法はきっとただ1つ……。
この場で葬り去る事だけだ。
「ハイル君……!ダメ———‼」
ハイルの胸中にどの様な思いが渦巻いているのか……サクラにも正確には分からない。だが戦う前に感じた、冷たい刃の様な闘気。あれはきっと
ワイト達が突然その動きを止め、もがき苦しむ様に呻いて身を捩りだした。
原因は彼らの足元だ。彼らの足元の地面が突如として泥の様に液状化し、彼らをその奥底へと引き摺りこもうとしているではないか。
そして転瞬、地面から水柱が噴き上がり、そこからマントを羽織った白い影が飛び出した。
「アイツは……!」
「『ライティアウィドウ』……」
ホホホホホホホホホホッ‼と夜の空にやけに甲高く響く声で笑いながら地面から浮上してきたのは、ラヴァンツェイルでの戦いで遭遇した白マントのデブリーター『ライティアウィドウ』で相違なかった。
地面に音もなく着地したライティアウィドウの骸骨の様な顔が、ハイル達を見据えると……攻撃するでもなく、そのまま村の出口をスッと指し示した。
「行きなさい。ここの始末は私がしといてあげるわ」
「…なんだと……?どういうつもりだ……?」
「裏切り者の始末くらいは引き受けてあげるって言ってるのよ。さぁ、ここが完全に沈む前に早く」
そうは言うが、敵の言う事を完全に真に受けろというのは無理な話だ。生きながらワイトと化した人間、サトゥルヌスによって何らかの処置を施されたと思しきスラムの子ども達。彼らを人体実験も厭わない組織の者に任せてしまっては、どの様な結果を招くかなど分かったものではない。
だが、剣を構えて交戦の姿勢を崩さないソーディアに業を煮やしたのか、ライティアウィドウが「出ていきなさいって言ってるでしょう‼」と初めて声を荒げた。
「あなた達を待っている家族がいるんでしょう。断ち切ってしまってはダメよ。彼らの様になってしまっては……」
「お前……」
デブリーターとしての仮面に隠れて、その表情は分からない。だが、彼女は確かに怒っているのだと感じた。それは組織を裏切ったサトゥルヌスという男にではなく、きっと……。
「…ヒュペリオン、撤退だ。ここでの依頼は……終わった……」
ハイルが呟く様に命令する。ミラベルがここにおらず、そしてスラムの人々を助けるという彼女の依頼を実質的に放棄するという事。その意味が分からないものなどこの場にはいないが……誰も何も言わずにエリアルファングに跨ると、彼に追従してその場から走り去っていった。
ヒュペリオン達がいなくなった頃には、殆どのワイト達が地面に腰ほどまで沈んでいた。手を振って呻く彼らを哀れっぽく見つめると、ライティアウィドウは最後の仕上げに取り掛かるべく、デブリシリンジャーのブランジャーロッドを押し込んだ。
〈LA・LLORONA LIQUEFIED…INFUSING…!〉
「…慰めにもならないけど……せめて家族揃って、安らかに眠りなさい」
ライティアウィドウのローブが捲れ、そこから骨の様に細い脚が露わになる。爪先が地面に触れると、そこから迸った錬真力がコロニアマキナ全土へと広がっていき……次の瞬間、スラム全体が地面の中へとゆっくり沈降していった。
幽霊クラスタのデブリスの中に、『ラ・ヨローナ』という怪物がいる。“泣く女”を意味し、その名の通り女性の様な泣き声を上げて出現すると、そのまま子どもを連れ去ってしまう怪物だ。そのデブリスの特性を受け継いで作られたサージェリータイプ・デブリーターがこのライティアウィドウなのである。
ライティアウィドウが発する錬真力の作用によって、地面自体が巨大な底なし沼の様なフィールドと化し、沈むもの全てを泥濘へと分解していく。村人たちや残された家畜、家屋にサトゥルヌスが拠点としていた教会、そしてそこの囚われたままになっていたスラムの子ども達も……。
夜が明けきる頃には、地面は元通りの砂地へと戻っていた。そこにいた多くの人々と彼らに降りかかった惨劇の痕跡。それすらも残す事なく、ヴァツラムと名付けられたスラムは地上から完全に姿を消したのだった。
◇◇◇
人々が閉じこもったまま出て来ない不気味なスラムが消滅した事で、ロナヴァンスを始め手近な村々では安堵の声を漏らす者が多かったという。村そのものが一夜にして消えた理由は不明だが、それも原因が分からなければ、ただの退屈しのぎの怪談話として人々の間で消費されてやがては消えていくのみ。
そんな多くの人々とは対照的に、ヴァツラムを見下ろす丘の上には2つの墓標が立てられ、それにいつまでも祈り続けている少年たちの姿があった。彼らの心中にどの様な思いが去来しているのか、それを知る者などこの地にはいない。訝しむ人々の視線を受けながらも、彼らは寄り添い合っていた。まるでこれから先に何があろうとも、決して離れまいとしているかの様に……。
次回予告
喪失と離別を乗り越えて、それでも彼らは進むしかない。
レイト達の心を癒す様に広がる、愛と高潔の国の景色。
そこに忍び寄る新たな脅威の正体とは?
そして、ここでの出会いが彼らをどこへと導くのか?
Saga19『アネスタ~集う星々~』