仮面ライダーミスリックサーガ   作:式神ニマ

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Saga22 栄光の光と影 ~ステファニー:オリジン~②

◇◇◇◇◇

 ——何故こうなってしまったのだろうか?

 背高い針葉樹に陽光を遮られた薄暗い森の中を、1人の男がフラフラと彷徨っていた。土気色に染まった顔色に、落ち窪みながらも妙に血走った双眸。弛緩した様に戦慄く口元からは時折「何故こうなってしまったんだ……」という呟きが漏れ出ている。傍から見ても、さながら幽鬼——否、死と生の境目で生きるゾンビの様であった。

 男——ザルム・ゴールドブラムがふらつく足取りで向かったのは、森の中でもとりわけ巨大な巨木の前だった。周囲が開けた広場の様になっており、陽当たりもいい事から子どもの頃は格好の遊び場だった……。

 

 その木の根元にぽつねんと置かれた人形を認めると、ザルムは突然その場に伏し、しゃがれた声で、「…神よ、お赦し下さい……。どうか、お赦しを……」と呟き始めた。

 

「…我らがこんなに落ちぶれ果てたのも……全てはあの“魔女”の呪いによるものなのです……。あの色香に誑かされ……私たちは何という過ちを……」

 呪い……そう、正しく呪いだ。最近は常に体調が優れない。食欲はなく、体が常に重怠い。頭痛に吐き気、目の霞みや不整脈もハッキリと感じられる。

 

 おまけに……これが一番恐ろしいのだが、時折意識が侵食される気配を感じるのだ。生まれてから築き上げてきた“自分”などというものが何かに上書きされて、別の事……あの“魔女”の事ばかりを考えてしまう。意識が徐々に汚濁に塗り潰され、気付いたら全く別の場所に立っていたなどという事が何度もある。そういう時は大抵体の疲労が相当に強くもなる。そのまま地面に倒れ込んで動けなくなる時さえある程だ。

 

 そんな状態が続いて1年半近く……医者にも相談できず、顔もすっかり荒れ果ててしまい、今や同じ貴族同士の社交場にも顔を出せないくらいだ。しかもザルムに限らず、一家全員がその様な状態にある。

 

 ——否、1人だけは違う。

 ——あの女だけは、どれだけの時間を重ねても全く変化がない。

 ——それどころか、魔性の美しさを増していっている感さえある。

 ——まるでこちらの生気を吸い取られているかの様な……。

 

「…神よ……母よ、妹よ……。お赦し下さいっ……どうかっ——!」

 

「へぇ。謝る位の殊勝さは残ってたのね」

 

 懺悔を遮って冷たい声が背後から注がれる。まさか……!とザルムが背後を振り返ると、そこには金髪をツインテールに結い上げた少女がこちらを睥睨していた。少女を見止めるなり、感情が抜け落ちたかの様に固まっていたザルムの顔に、笑顔とも恐怖とも困惑ともつかない感情が走った。

 

「…す、ステフ……!い、生きていたの、かい……?」

「ええ、この通り。お久しぶり、ザルムお兄様」

 ステファニーが地面に這いつくばるザルム……己の実の兄に向けて冷ややかに告げた。それは血の繋がった家族との再会を喜ぶものにはとても思えなかったが……ザルムはそれに気付かず、「い……いやぁそうか!良かった良かった!」と躁気味な笑みを浮かべた。

 

「こノ1年間……お前が遠征から戻らず、死んダモのだとばかり聞かされていたカら……。だが、生きテ帰ったのならソれが一番だよ!さぁ家に帰ろう。父上と兄上ト義母上とお前、これでまタ元通り———」

 

「…元通り?そんな事、本気で信じてるの?」

 

 だが、ステファニーはそんな兄の言葉を冷然と遮り、外套から腕を取り出す。手甲と一体形状になった鉤爪———『ベルティドイェーガー』の刃がギラリと輝き……ザルムの左腕を肘辺りから叩き斬った。

 

「ひっ、ギィアァァァァァァァァァァッッッッッ⁈…す、ステフ……!何故っ……!どうしてなんだっっ……⁉」

「寝惚けた事を言わないで。元通りになんてならない……。あの女の口車に乗ってアタシを追い出したのは、アンタ達でしょうが……!」

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 ドスッ!という鈍い音が教会内部に木霊する。ホルガーの鋲打ちブーツに蹴り上げられたリュッテが「ひぃぃっっ⁉」という情けない声を上げながら、太り肉の体でゴロゴロとのたうち回る。そんな無様な姿を眺めながら、ホルガーがまたしても「気に入らん……」と冷たく呟いた。

 

「もう一度確認しよう。1年前、ステファニー・ゴールドブラムにパラディンの資格が宿った……が、彼女はその道を選ぶ事を望まなかったんだな?通常、紋が浮かぼうが望まぬ者をパラディンにする事はできない。力が譲渡可能になるまで教会で保護する決まりだ」

「………………」

「…ところが、そんなルールを彼女に教えなかったばかりか、聖任を強制した不届き者がいやがった、と……」

「…………………………」

「おい、俺が尋ねてるんだ。何か答えたらどうなんだブタ野郎?」

「ひぃぃぃぃっっっ⁉そ、その通りで御座います私めがあの娘に『パラディンの座からは降りる事ができない』と……!」

 ライドラッグの力を受けて赤熱化した細剣の切っ先を突き付けられて、リュッテが慌てて白状した。

 

 あって欲しくはなかった事実……だが、あり得たかもしれない話だった。

 パラディン聖任とその力の譲渡に関するルール……神聖教会の関係者なら誰もが知る事実だが、一般にはあまり知られていない……というか基本的に秘匿事項である。パラディンの力が譲渡可能であると知られれば、例えば『力を奪取して自らがその地位に就こうとする』不届き者が現れかねないからだ。

 だからこそ、「パラディンの座からは降りる事ができない」というこの男の偽りが、どれだけ少女を追い詰めた事か、想像に難くなかった。こみ上げる怒りをなんとか飲み下して、ホルガーが努めて冷静に話を続けた。

 

「ヴィクター・リュッテ。ただのしがない教会徒でしかなかったお前は、パラディン聖任の手柄を受けて教会主まで昇りつめて、教会内での注目度も高まった。…まぁ、一時的なものでしかなかった様だがな。これも狙い通りって訳か?」

「…ははぁっ……。聖任は我ら聖徒最大の栄誉でもありますから……。つ、つい出来心で……」

 

 ブタ野郎が……と、またしても冷たく吐き捨てる。この風潮は見直した方がいいな、と思う。教会や騎士関係者も人である以上、名誉欲からは逃れられない。パラディン聖任に立ち会った者までまとめて称賛すると、こういう風に不正に手を染める輩がまた現れるやもしれない。後でクリスに提言しておこう……。

 

 彼女はパラディン……と言うより、神聖教会の制度の被害者と言えるだろう。だが、それだけでパラディンの抹殺に手を貸すとはどうしても思えない。彼女を駆り立てる怒りや絶望……その要因が他にも必ず存在する筈だ。

 

「もう1つ答えろ。巧妙に隠されていたが、彼女が旅立つ少し前にお前個人宛てに多額の寄付があったのを見つけた。出したのはなんとゴールドブラム家だったそうだな?」

「なっ……⁈そ、そんな事まで———!」

「俺を舐めるな!何が出来心だ。彼女の旅立ち……いや、追放に関与していたのはお前だけじゃないな?当時あの家で何があった?ゴールドブラム家の呪いとはどういう事だ?答えろ‼」

「ひぃぃっっ‼分かりました分かりましたお話致します!ゴールドブラム家は当時ご当主のエルデン様が再婚されたばかりで……噂では、でございますよ?その再婚相手だったカーミラ様とステファニー様は相性がよろしくなく……。それで彼女が神聖騎士の資格を授けられたのを切っ掛けに、一家揃って彼女の旅立ちを後押ししたのだとか……」

「…なんだと?父親や他の家族もか?」

 

 神聖騎士になりたくないにも拘わらずその道を教会に強制され、挙句の果てに家族もそれを止めてくれなかった。これでは実質パラディンとして()()()()()()()()様なものではないかと思うが……しかし解せない。再婚相手の頼みで、家族が実の娘を見捨てるものだろうか?

 

「…魔性の女……なのでございますよ、あのカーミラという女は……。あの美しい顔と声を前にすると、皆意識がボンヤリとして……。…そのっ……功名心があったのも事実とは言え、自分でもあの娘に何故あの様な事をしてしまったのか、本当に……」

 

 リュッテは尚も言い訳を続けようとする……が、『魔性の女』というキーワードがホルガーには引っ掛かった。美しい容姿で惑わす女にインプデブリスの大量発生、それに最近他家との関係を断ち切っているゴールドブラム家の様子……。これだけの要素が揃うと、1つの可能性が見えてくる。

 

「…最近、ここら一帯で不自然な事が続いていないか?…例えば、人が何十人も失踪するとか、にも拘らず騎士団が一向に動こうとしない……とかだ」

「…実は……そうなのです……。ゴールドブラム家の領地一帯の領民や騎士達が妙に無気力になってしまったと……」

「なるほど……それで、ゴールドブラム家の呪いか……」

 

 厄介な事になった。ホルガーは己の読みの甘さに精一杯舌打ちし、震えるリュッテを差し置いて外へと飛び出した。手近なヒュペリオンの少年に教会主を保護する様に伝えると、駐車されていたエリアルファングを、目指すは森の奥から尖塔が覗く、ゴールドブラム家の家屋敷に向けて疾駆させる。

 

 少年達だけを行かせたのは間違いだったかもしれない。勘に間違いがなければ、あそこで待ち構える者は……。

 気に入らん、と口中に呟いた神聖騎士が文字通り一陣の風となって駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 ——お前は、お母さんに生き写しだね……。

 

 ステファニー・ゴールドブラムが自ら鏡の前に立つようになった時から、父エルデン・ゴールドブラムはそんな事を言う様になった。

 

 ステファニーは母親の顔を知らない。彼女が生まれた際に命を落としてしまったからだ。鏡の中の長い金髪と大きな目を持った少女……自分の容姿を眺める度に、ふと懐かしそうに瞳を潤ませる父や兄の顔を見ていると、どんな顔をしていいのか解らなくなった。

 

 ステファニーは無私の愛というものが解らない。そんなものを注いでくれる母親は、()()()()()()()()()()から。自分を見ながら、それでもどこかで他人を追い求めている様な父達を見ているとなにか酷く居心地が悪く感じたし、そんなに疑り深い自分もまた嫌になった。

 だが、そんなものはどこにでもある些細な歪さでしかない。しこりを感じつつも、家族との関係が決定的に悪かった訳では決してない。アイネ地区の名家であるゴールドブラム家の長女としての役割と振る舞いを身に着け、自らが進みたい道もボンヤリと見え始めた13歳の頃。

 

 ——みんなに紹介したい方がいるんだ。

 

 クソ真面目が礼服で着飾って歩いている様なエルデンがそんな事を唐突に言い、自分達に紹介した女性……それこそが、あの女———カーミラだった。

 

 2人の兄は相当に面食らった様だった。母の死以来ずっと浮いた話の1つもなかった父が唐突にそんな事を切り出したのだから、「どうして事前に何の相談もなかったのか」と憤懣をぶつけたが……部屋へと通されたカーミラの姿を見るなり、事前の勢いなど失してすっかり呆けてしまった。それくらいにその女性は美しかった。

 

 絹糸の様に滑らかな赤い髪。石鹸にも似た真っ白な肌。長いまつ毛に縁どられた瞳もスッと整った鼻筋も全てが黄金比に当て嵌めた様な美の見本市だ。薄いドレスからも完璧なボディーラインが感じられて、先程まで不本意そうだった兄たちもカーミラにすっかりと魅せられた様だった。

 

 そんな兄たちに呆れながらも、ステファニーとしても別にいいのではないかと思っていた。彼らの浮かれようは気になるが、別段他人が家に入り込んだくらいで気にするほどには子どもではないつもりだ……。そうは思ったのだが、ふとカーミラと目が合った瞬間……強い怖気が彼女の背筋を襲った。

 自分たち家族を見つめるアンニュイな瞳……だが、そこに宿っていたのは、何か言葉に形容し難いもっと卑しい光だった……様にステファニーには思えた。

 

 そしてそれは間違いではなかった。カーミラと出会ったあの瞬間から、ステファニーを取り巻く世界が尽く崩壊を始めていったのだった……。

 

「なにか変だと思ったのよ……。お父様もアンタらも使用人も、気が付くとあの女の事ばっかり追う様になって……でも、争いだけは増えて行ったわよね?いつの間にか、アタシ以外の女はみんないなくなってるし……」

 

 日常の中での些細なすれ違いや諍いが、どういう訳か目を覆いたくなる様な陰険な争いに発展する事もあった。今まで声を荒げる様子など見た事もなかった父が兄や使用人達を酷く罵る様を目撃した瞬間から、何かがおかしいとステファニーの直感が囁きだした。全てはあのカーミラが家に来た瞬間から……そう思いはしたが、決定的な証拠は掴めなかった。 だが、そんなステファニーの行動が気に障ったのか、徐々にカーミラの目線に敵意の様な感情が浮かび上がっていった。身の危険を感じたステファニーだったが、それについても何の証拠もなく、屋敷内の男達は誰も信じてはくれなかった。

 

 妙な熱病に浮かされていくゴールドブラム家。次第にステファニー以外の女性が皆いなくなると、今度は誰もが彼女をまるでいない者の様に扱っていく……。生まれ育った家の些細な歪が、取り返しのつかない亀裂に発展するまでそう何か月もかからなかった。

 

 そして運命の瞬間。唐突にステファニーに神聖騎士の紋が発現したのをいい事に、家の全ての者が彼女をその道に推そうとした。パラディンになぞなりたくないという彼女の声など誰も聞きはしなかった。その瞬間、僅か数か月で、生まれた家は彼女の帰れる場所ではなくなってしまったのだと気が付いた……。

 

「そ、それは誤解ダよステファニー……!義母上はのオコナイは全て君の名誉を考エ……テ……?」

「……っ!このっ……いつまでも、下手な人間のフリしてんじゃないわよ‼」

 

 あれから2年。もしかして想像したのだろうか?ここに戻れば、既にカーミラはおらず、目が覚めた家族が温かく迎え入れてくれるのではないか、と?だが、そんな事はやはり夢想でしかなかった。

 

「そんなになって……!元通りになんかなる訳ないでしょうっ‼」

 目の前のザルム——否、かつて兄だったモノから漂う、硫黄の様な強烈な異臭。更に切断された腕から流れ落ちる……タールの様な、どす黒い血。

 

 転瞬。

 

「ひっ……!ヒィッッッッッッッッッ!!なんだこれはっ……どうシてイッタイこんな事にゲハハハハハハハハハハハハハハッッッッッッ!!」

 

 恐慌に陥ったザルムだったが、今度は唐突に体を震わせて狂った様な哄笑を上げだした。ボタボタと流れ落ちた血がそのまま傷口から全身へと広がり、男はあっと言う間に巨大な蚊の様な怪物へと変容してしまった。

 

「ギリリリリリリリッッ!!」

「くっ……!正体現したわね!」

 怪物——インプデブリス・ソルジャーが出現させた三又槍をステファニーに叩きつけてくる。そのまま身を翻して飛び退ったステファニーがベルティドイェーガーのスイッチを起動させた。

 

 ベルト帯に設置されたライドラッグが背中に伸びるチューブを経由して両手の爪へと充填されると、尚も繰り出される槍撃を左腕の籠手部分で捌きつつ、怪物の胸部を右側の爪で鋭く切り裂いた。

 

「ギリッ……⁈」

 苦し気に呻いたインプが翅を広げて後方へと跳び退る。噴出した黒い血が傷口に纏わりついて塞ごうとするが、ベルティドイェーガーの爪の様に狭い間隔で切り裂かれた傷というのはそう簡単には癒せない。すかさず左の爪先をインプに向けて構える。爪の間に仕込まれた銃口——『エレメントガン』から細かい光弾が無数に発射され、インプの翅にいくつもの風穴を穿った。

 

 近距離・遠距離・防御が全て一体構造となったベルティドイェーガーは、熟練の狩人の様に決して獲物を逃がしはしない。トリガーを押し込みエレメントの刃を最大出力で発振させると、ステファニーがそのままインプに向けて加速する……が、

 

『ス……ステフ……頼むっ……』

 

「…………っっ⁈」

 

 インプ・ソルジャーが発した哀願の様な声。瞬間、振り下ろされそうになった爪が硬直した。その一瞬を見逃さず、拾い上げた槍を思いきり彼女に叩きつけた。すんでの所で防御には成功したが、吹き飛ばされたステファニーの小柄がそのまま地面を転がり回った。

 

 迂闊だった。インプも悪魔系統の一種。当然、宿主の記憶や人格を利用してくる事など当然の様にあり得るというのに……!勝ち誇った様に「ゲハハハハッ!!」と笑った悪魔が槍を構えて跳躍してきた……が、次の瞬間、轟音と共に飛来した火球によって、その体が炎に包まれた。

 

「ネメシス……」

 ステファニーを守る様に黒装の戦士——仮面ライダーネメシスがインプ・ソルジャーと相対する。ネメシスサイザースの銃口からたて続けに数発の火線が迸り、インプの体に次々と着弾していく。だが、体表を大きく焼き払われようとも、悪魔は流石の生命力でまだしぶとく抵抗する。怒りとも威嚇ともつかない声で喚きたてるインプを冷たく睥睨しながら、ネメシスがベルトのレバーを押し込んだ。

 

〈Nemesis Execution……!〉

 ダークルーンドラッグのエネルギーが両脚にチャージされると同時に、ネメシスが力強く踏み出した。そのまま横面を蹴り飛ばされ、横転したインプの頭上目がけて強烈な踵落としを叩き込んだ。

 

「グぎゃあぁぁぁぁぁぁァァァァァァッッッ‼」

 

 爆砕したインプがそのまま黒い靄となって消滅していく。そこには一切の痕跡も残らない。それがかつてザルム・ゴールドブラムであった事を示すものなど何処にも……。力なく項垂れるステファニーに変身を解除したネメシスが近づき、そっと手を差し出した。

 

「無理はするなと言ったろう。立てるかい?」

「…ん。ゴメン……ありがとう」

 

 声を震わせる彼女の心中に去来しているのは悲しさ……イヤ、こういう場合は悔しさというのか?彼女と行動を共にしてから決して長くない時が経ったているが、未だにこうした生々しく複雑なヒトの感情は理解できない。こういう時特有の苛立ちとも戸惑いともつかない感覚に迷いつつ、ネメシスは「一応言っておくけど……気にする事じゃないよ」と伝える。

 

「インプは下級の悪魔。確かに人が変異する怪物だが、その言動や行動は生前のモノの反復でしかない。どう振る舞おうと彼らは———」

「『もう既に生きてはいない』……でしょう?解っているわよ、それくらい……解って……」

「…それなら構わないよ。行こう」

 

 きっとその言葉にも嘘はないんだろうな、と思う。だが、どれだけ頭で理解しようとも人間には心がある。理性と感情を切り離せないから、いつまでも間違い続け、高い知性を持て余し続ける。それが肉体と欲求に縛られた人間という存在。全ては『ラショナル』のデータベースに記載の通り……。

 

 彼女をこのまま連れて行くべきかはまだ疑問が残る。怪物に変異した肉親を前に、やはりまともに戦えるとは思えない……が、どうであれ彼女には見届ける権利があるとも思ってしまう。そう思ってしまう自分も、やはり感情というモノに振り回されているという事になるのだろうか?

 

 ——バカバカしい。少し地上の空気を吸い過ぎた。

 ——僕は間違えない。あの、ディライトの様な過ちだけは。

 

 湧き出た決意を誰に言う事もなく、ただ飲み込んで、這い上がりそうになった感情を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 薄気味の悪い部屋だった。

 

 ネズミ一匹入る隙もなさそうな強固な石壁と鉄扉。

 

 いくつも並ぶ鋳鉄製のベッドにはマットレスも敷き詰めず、おまけにベッドボードなど各所に拘束用と思しき固定具が覗く。

 

 無駄に焚かれた暖炉の所為で、室内はむせ返る程に暑い。そして、その照り返しを受けて壁際にチラチラと見え隠れするもの……錆の浮いた鋸や錐、ハンマー。

 

 部屋のあちこちに沁みついた血糊。人の頭を模した醜悪な棺桶や金属の歯車……それらがこの部屋で行われたであろう数々の行いを物語っている。

 

 教会に出現したインプデブリス・ワーカー達はアイリス達を攫った後に、なんと森の奥の古城まで運び、この部屋へと連行してきた。武器は取り上げられていないが、手足をガッチリと壁に据え付けられた枷で拘束されている為、逃げ出す事も出来ないでいた。

 

「…ち、ちょっとっ……どういうつもりよっ‼ここから出せぇっ‼」

 隣のマヤが闇の奥に向かって叫ぶ。威勢はいいが、声は震えて顔は今にも泣きだしそうだ。そんな彼女の恐怖を嘲笑うかの様にホホ……と細い声が響き、暗闇の奥で人影が動いた。チャプ……という水音と共に、部屋の奥に置かれたバスタブから女が立ち上がった。暗がりに微かに浮かぶうっとりするほど美しい肢体に張り付くのは、しかしドロリと赤黒い液体……人間の血だ。人の血に身を浸す女……異常な事態にはそれなりに慣れているアイリスも悍ましさに顔を顰めた。

 

 バスローブを身に纏って、女が近づいて来る。彫刻の如き美貌に、しかし驚くほど狂気がかった笑みを貼り付けて、少女たちをゆっくりと眺めまわす。

 

「フフフ……今日の娘たちは極上じゃナい。とってモいい供物になってクれそう……」

「ひぃっ⁈」

「供物だと……?なんなんだ、貴様は……!」

「口のキき方が無礼じゃないかシら?カーミラ・バトリー……一応、エルデン・ゴールドブラム伯婦人に当たルノだけれど———」

 

「惚けた事を言わないでくれるかい?君は人ではないだろう」

 女の言葉をオリヴィエがピシャリと遮った。人ではない、と言われたのが癪に障ったのか、カーミラが眉根をピクリと震わせて彼女を睨み付けた。

 

「人じゃないっテ……どういうコトかしラ?」

「おや、自覚がないのかい?君は正確にはもうカーミラ・バトリーではない。今は『リリス』……悪魔系統のデブリスに憑りつかれた身なんだよ。でなければ、普通の人間がインプを使役できる筈がない」

 

 先ほど教会に出現した羽虫の様なデブリス、『インプデブリス』は使い魔とも呼ばれ、同じ悪魔系統に雑兵として使役されるタイプの怪物だ。インプが人間を殺さずにここまで攫ってくるなどという不可解な真似をした……という事は、その背後に指令を出す中級相当の悪魔が存在していた筈……と、推測した訳だ。

 

 そして、騎士団の目を掻い潜ってあそこまで多くの下級悪魔を生み出せる者……となると、基本的に1種類しか存在しない。“悪魔の母”とも呼ばれる怪物『リリスデブリス』である。

 

「…悪魔……このワタクシが……?」

 惚けているのか、それともまだ人間のとしての人格が残っているのか。信じられないとばかりにカーミラが自分の体をしげしげと眺める……が、驚くべき事に直ぐに「…なるほど。道理で……」とクスクスと笑い出した。これには流石にオリヴィエも絶句した様だった。

 

「随分前からね、頭の中に声が聞こエるの。あれヲしろこレをしろ、そしタらお前の欲しい物はすべて手に入るッてね……。ソれを聞いていたら今コの通り……なるほどね、確かに納得しタわ……」

「…欲しい物?君は悪魔に何を要求したんだい?地位?それとも金?」

「それハついでよ。オンナが欲しがる物なんて決まってイるじゃない。ワタクシが欲シいのは……永遠の美」

 陶酔した様な笑顔で、カーミラが言い切った。バスローブの前身頃をハラリと開くと、完璧に均整の取れたボディーラインや、陶人形の様に滑らかな肌が露わとなった。

 

「命と美は移ロい行くもの……それはアナタ達も例外デはないワ……。だけど、ワタクシは違う。声が導くまマ、若き乙女たちノ血を浴び続ケる事で、ホラこの通り……」

 若き乙女たちの血……それこそが、きっとこの部屋で行われていた事の正体だ。なんとなく予測はついていたが、その所業の目的がそんなものだとは……改めて悍ましさを禁じえなかった。

 

「人々を殺してその血を浴びていたのか……バケモノめ‼」

「ヒドいじゃないの。どんなテを使ってでもワタクシの美は残す価値があルものよ。あの娘たちだって、ワタクシの為に死ねて名誉なコトでしょう?」

 

 同性の目から見ても艶やかな笑み……だが、やはり酷く醜く歪んで見えた。悪魔だから歪んでいるのか、それともカーミラ・バトリーという人間そのものが歪んでいたのか……そんな事は今更どうでもいい。目の前の女は人の世に入り込み、自らの欲望を満たそうとするただの怪物だ。「はぁ……もういい」とオリヴィエが苛立ち気味にため息を吐いた。

 

「君の聞くに耐えん戯言はもうたくさんだ。悪いけど、供物になる気なんてさらさらないんだよ」

「なニ……?」

 オリヴィエの全身からブワリと力が噴き上がる。直後、四肢を戒めていた枷がボロボロと崩れ落ちていった。カーミラが動揺した僅かの隙に拘束から解き放たれたオリヴィエが女の顔に猛烈な鉄拳を叩き込んだ。

 

「きぃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっっっ⁉」

 長々と悲鳴を上げて吹き飛んだカーミラは、そのまま焚いていた火の中に頭から突っ込み、再度ケモノみたいな叫びを上げる。それに構わずオリヴィエがアイリス達の枷にも手を当て、あっさりと引き千切ってしまった。

 

「…どうやってるんですか、それ?」

「濡らしたり凍らせたりばっかりが私の能じゃないんだよ。水には金属を腐食させる力があるだろう。水のエレメントエネルギーと金属を錬真術で結びつけてやれば、この通り……ってね」

「なぁるほど……って!そんな技あるんだったら最初からやってくれてもいいじゃん‼」

「ごめんごめん。敵の目的を確かめたかったものでね。…さて、あれでくたばってくれるといいけども……」

 

 オリヴィエがすかさず腰から2振りの剣——オートクレールとグローリーユーズを引き抜き、火達磨になって転げまわるカーミラへと向けた。火の隙間から覗く彼女は全身の皮膚を焼かれ、今や美しさの面影も感じられない……が、なんと驚くべき事に憎しみに燃える目を炯々と滾らせて立ち上がった。

 

「よクもッ……!よくモヨくもワタクシの美しい顔をこんナにィィィッッッ……‼許さねェぞてめぇラァぁぁぁぁぁっっっ‼」

 

 カーミラの全身が変異し、黄褐色の怪人の姿となった。悪魔系統ではお馴染みの皮下組織が剥き出しとなった皮膚に加えて腰が異様な程に細く、両腕の先端から細くて長い管状の針が伸びている。鬼火の灯る眼窩に睨み付けられながらも、オリヴィエは泰然と剣を構えて、ヒュウと口笛など鳴らしてみせる。

 

「化けの皮が剝がれたね。そっちの方が君にはお似合いだ」

「黙れェェェェェェッッッ!殺す殺すブチ殺すッッ‼」

 

 リリスの口元——鋏状の大顎が開き、ガチガチガチッッ‼と不快な振動音を掻き鳴らす。

 これは後で知った事なのだが……リリスが鳴らしたこの音に混じって放射されたのは人間には聞こえない特殊周波であり、瞬く間にアイネ地区のゴールドブラム家領地一帯に広がっていった。

 

 “悪魔の母”とも呼ばれるリリスデブリス最大の能力は、接触した人間に対して悪魔の種とも呼ぶべき特殊な因子を注入する事で自らの使い魔——インプデブリスとして使役できる事だ。カーミラ・バトリーがこの村に現れてからの2年間、彼女はその色香——これも悪魔の力だったのかは不明——を駆使して、あらゆる男との関係を持ってきた。そうする事で彼らに流し込まれた因子が、この特殊周波を受けて一斉に開花したのだった。

 

 農民・商人・職人・兵士……職種や身分を問わず、人間が急に怪物へと変異したのだから、村内は一気に恐慌状態へと包まれる事となった。最初の特殊周波によって発生したインプの個体数は約130体程であったにも拘わらず、その後もその数を少しずつ増やしながら、リリスの元へと一斉に飛び立っていったのだった。

 

 時にして統一歴132年。勇者ディライトの魔王征伐が為された以降の世界において、最大級の『恐怖爆発(フライトパンデミック)』が記録された瞬間であった。

 

 




今週はここまでです。
今回のエピソードの元ネタになってるのは、ご存知エリザベート・バートリー夫人やジル・ド・レ男爵、更にスティーブン・キングの『呪われた町』なんかがイメージです。まぁ、バートリーやキングはヴァンパイアのイメージですが、西洋では吸血鬼と悪魔は同一視されている時もあるので。

ステファニーの過去が明らかになりました。パラディンも人間の集まりですので、決して正しい事ばかりしている訳じゃありません。中には彼女みたいに穴に落ち込んでしまう人間もいます。光の影に墜ちてしまった彼女だからこそ、ネメシスみたいな闇に惹かれるのかも……。それが救いになるかはまだ秘密です。

それではこの辺で。
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