幼馴染をストーカーから庇った玲人だったが、代わりにその命を散らしてしまう。その運命や如何に…?
今回から異世界に突入です。異世界に関する知識を細々と説明していきます。敵も登場します。
◇◇◇◇◇
意識が沈みゆく中、日比野玲人の感覚は何を捉えていたのか。
それは鉄臭い血の香りであったり、パトカーや救急車のサイレンの音だったり、夕焼けの色を帯びて輝く櫻井明日未の涙であった筈だ。
ならば、今周囲に溢れているモノは何だろうか。
湿り、かびた様な土の臭いか、肉が腐乱した様な強烈な臭気か、獣が唸る様な耳障りな音か。そんな異様な気配を感知したのか、沈んでいた玲人の意識は急速に覚醒した。
「なんだ…っ…。何がどうなって…」
呟きつつ、倒れ伏した体をそろそろと起き上がらせる。周囲を見渡すと、そこにはただ異様な光景が広がっていた。
硬いコンクリートブロックではない、僅かに湿り気を帯びた土。そして周囲に広がるのは見慣れた街の夜景ではなく、四方を節くれだった巨木に囲まれた深い森だった。
「何だよ…何処だよ、ここは…?」
疑問が口をついて飛び出す。だが、声は森の奥に吸いこまれる様に消えていくだけで、答える者など、無論いない。
玲人が暮らすのは、都心部とは違っても、歴とした都会だと思う。こんな樹齢何十年と言わんばかりの巨木が広がる森など、普段の生活圏内には存在しない筈だ。
何だというのだ。ドッと押し寄せてき心もとなさに、玲人は足元がふらつく様な感覚を覚えた。それでも、倒れ込みたい意識に鞭打ち、自分の記憶を手繰り寄せる。
自分は日比野玲人。日本に住む高校生で、家族は両親と自分の3人。特撮を愛好する根っからのオタクで、でも他の誰よりも大事に思える2人の幼馴染が———。
努と明日未。
2人の顔が浮かんだ所で、急速に思い出した。そうだ。自分は確か、2人が誕生日を祝ってくれるというので、街に繰り出していた筈だ。待ち合わせ場所の公園で、2人を見つけたと思ったら、そこには確か明日未をつけ狙っていたストーカー男がいて、その凶刃が明日未を貫こうとしていたのを———。
頭蓋を突き抜ける様な衝撃が体中を駆け巡る。確か自分はあの男に刺された筈なのだ。刺された以降の記憶は曖昧模糊としているが、肉を貫かれる痛み、血が抜けていく脱力感。確かに覚えている。
玲人は体を急いで弄る。だが、どこにも刺された様な気配など微塵もなかった。
「というか…、何だ…?この格好は…」
今玲人が着ているのは、明らかに普段着ている合成繊維の衣服ではなかった。
羽織っているのは木綿の様なザラザラした感触の藍色の上着。ジッパーやボタンなど付いておらず、前側を斜めにかき合わせ、帯の様なもので止めている道着の様な衣服だ。ズボンもやはり同じく藍色に染められた粗い造りのもので、とても既製品とは思えなかった。
刺された傷は治り、おかしな衣服を着せられて、深い森の中に打ち捨てられている自分。あまりの情報量に頭が追い付かない。頭を抱え、今度こそ膝から崩れ落ちそうになったその刹那。
グルルッ…という唸る様な声と荒い鼻息が耳に飛び込んでくる。異様な気配を感じ、玲人は後ろに目を転じた。
そこに立っていたのは、正しく異様なモノだった。
玲人の胸程までしかない身長のヒト型。しかし首から上に据わっているのは、人の頭ではない。高い鼻腔に、それと一体になった様な口にはゾロリと牙が並んでいる。顔側面ではなく、頭頂部に一対の耳を生やした顔の造作は、どう見ても犬のそれだった。
だが、二足歩行で立ち上がり、しかも頭頂部から足先まで毛一本生えていないそれが、明らかに犬である筈がない。人でもなければ、獣でもない。正しく「バケモノ」と呼んで相応しい異様な何かだ。
そんなモノが手に手に武器を握り、3体程。玲人に向けてジリジリと距離を詰めてきていた。
「う…っ、うわぁぁぁぁっっっ‼」
恐怖からか、生理的嫌悪からか。玲人の口から迸る様に悲鳴が伸びる。だが、犬人間達は怯む事なく、唸り声を一層高くし、玲人に向って躍りかかってきた。
悲鳴を迸らせたまま、玲人は右側へと転がり、それを回避する。犬人間の手に握られる石製の斧と思しき武器が何もない地面に叩き付けられる。犬人間は逃げた玲人を再度見据えると、斧を引き抜き、またしても跳躍してきた。
玲人は確信する。彼らが自分を殺す気でいるのだ、と。
3体の犬人間達が次々襲い来るのを、玲人は地面をのたうち回りながら回避する。泥が跳ね、口や耳にも容赦なく飛び込んでくるが、構ってなどいられない。冗談じゃない、こんな訳のわからない状況で殺されてなど堪るものか。怪物達の攻撃を逃れながら、玲人は地面に転がっている太い棒きれを拾い上げた。触った感触、腐ってはいない。十分に武器として使えるのではないか。玲人は迷うことなく、棒を振りぬき、それが躍りかかってきた怪物の側頭部を強打する。
ギャウッ!と犬人間が声にならない声を上げ、地面に叩き付けられる。だが、それで済むほど簡単な訳がない。それを見た他の犬人間達が猛る様に吠えたてながら、玲人への距離を詰めてくる。
「くそっ…!来るな…っ!こっちに来るなぁぁぁっっ‼」
玲人は握った棒を遮二無二動かして牽制するが、それでも犬人間達が引き下がる様子はない。恐れと疲労から、玲人はやがて腰が抜けた様に立てなくなった。
それを見逃す怪物達ではない。先頭の1体が武器を携え、勢いよく跳躍してくる。
お願い。だれか助けて…!その叫びは声になったのか、ならなかったのか。迫りくる死の気配に玲人は誰にともなく絶叫する。
転瞬。
「いいぜ…。その依頼、引き受けたァ!」
嗤う様な調子の声が玲人の頭上から響く。その刹那、目の前にまで迫っていた犬人間が胴から切り落とされた。傷口から赤い鮮血が迸り、周囲に鉄臭い血の香りが充満する。その血を真正面から浴びながら、怪物達の前に1人の人間が降り立った。
「よく耐えたな、小僧。棒っ切れでデブリスに立ち向かうとは見上げた根性だ。後は…俺に任せな!」
自信満々、威風堂々とその人物が叫んだ。手には非常に幅広の刃を持つ片刃の刀———一般的に柳葉刀と呼ばれる刀が握られている。
何だか知らないが、助かったらしい。疲労感と、安堵感が一気に押し寄せ、犬人間達が切り裂かれていくのを目にしながら、玲人の意識は再び暗転していった。
◇◇◇◇◇
目が醒めれば、元の世界に返っているのではないか。どこかの病室で自分が奇跡的に助かった事を知らされて、明日未に泣かれたり、努に怒られたりした後、また日を改めて誕生日会が行われたりするんじゃ———、という甘い夢は早々に打ち砕かれた。
やけに背中が冷えると思い、目が覚めるとそこはやはり依然として変わらない深い森。しかも既に夜の帳が降りており、すぐ横で煌々と燃える焚火がなければ、辺りはそのまま奈落へと誘いそうな程の暗さだった。
落ちる前と何一つ変わらない、知らない場所だった。
「クソ…ホントに…何なんだよ⁉」
「目覚めて早々、随分な言い草だなァ」
誰にともなく叫んだ言葉に思いがけず答える声が聞こえ、思わず玲人は飛び上がらんばかりに体を起こし、声のした方に向き直った。
「ハハッ!驚きすぎだろ。だが、元気がいいのは結構なことだ」
焚火を挟んで向こう側に1人の男が座っていた。
見知らぬ場所で出会った初めての他人。本来ならもう少し安心感がありそうなものだが、男の姿を見た瞬間、混乱する思考に更に拍車がかかった。
間違いなく玲人と同じ人間。だが、その容貌は明らかに日本人のそれとは違う。鼻梁が高く、目元が窪んだ奥行きのある顔立ちは勿論、モンゴル民族の玲人よりもやや色が濃い褐色の肌。伸ばしっ放しにされた様なボサボサの髪は鮮やかな赤色で、ビーズの様な編み込み飾りが揺らめく炎を受けて輝く。21世紀の日本で暮らしていれば、外国人と遭遇する事など、さして珍しくもない。だからこそ、その男の異様さはそこにあるのではない。
鷹の目、という形容がほぼそのまま当て嵌まりそうな、猛禽類の如く鋭い双眸。気を失う寸前、僅かな時間だが目撃した、怪物達を相手取った鬼神の如き戦いぶり。それが一体どれ程の修羅道を積み重ね、磨き上げたものか、その瞳の怜悧さが雄弁に物語っている様だ。
足元に無造作に置かれた柳刃刀や体中の筋骨の逞しさからも、月並みな表現だが、明らかに目の前の男は堅気ではない、と感じる。
「そう怖い顔すんなって。恩着せがましく言うつもりもねぇが、一応はお前の命の恩人だぞ?」
だが、男は僅かに目を細め、冗談めかして言った。確かに目の前の男は、助けを求める玲人の声に応えてあの犬人間と戦ってくれたのだった。この場所の事や目の前の男の素性など、知りたい事は山ほどあるが、人として今言うべき事は1つだろうと思う。
「えーと…助けて頂いて、ありがとうございました」
「良いってことよ。コボルト3体位大したことねぇ」
男はヘラリと笑って答える。凄絶そうな印象は簡単に拭えないが、それでもそうして目を細めて笑う姿は、普通の青年の様にも思える。玲人は少し警戒を緩める事にした。
それよりも『コボルト』という単語が気になる。文脈から察するに———。
「コボルトってのは、さっきの犬人間のことですか?」
「あぁ…?知らないのか?結構メジャーなデブリスだと思うんだが…」
男が怪訝そうな顔をする。今度は『デブリス』と、さっきから知らない言葉のオンパレードである。目の前のこの男とは会話が成立しても、どこか前提としている常識が食い違っている様な感覚がある。何だかまるで———。
「お前よぉ…あんな森の真ん中に何の装備もせずに1人でいたり、挙句デブリスに関する基本的な知識もねぇって…。お前、何者だ?」
男が目を眇めて問うてくる。玲人が答えに窮すると、
グルルルルルッ———と。
唐突に、そして実にタイミング良く玲人の腹の虫がなった。痛い程の空腹感がせり上がっている事に今更ながら気付く。呆れた様に「飯食ってからにするか」という男の提案に、玲人は一も二もなく頷いた。
男が焚火上で焙っていた肉を、鉄串に突き刺して玲人に渡してきた。少し野性的に過ぎる気もするが、空きっ腹の前では制止する理由にはならない。パリパリに焼けた皮を食い破り、中の肉に齧り付く。少し野趣味が強いが、あふれ出る様に飛び出す肉汁は、それが何であっても人を虜にする程の中毒性がある。玲人はがっつく様に肉に食らいついていく。
「慌てて食うと、喉に詰まらすぞ」
男がそう言って、液体の入った瓶を手渡してくる。どこか不揃いな形の粗製の瓶は、日本では先ず見かける事がない。玲人はしげしげと瓶を眺め、ふと気になった事を聞く。
「…お酒とかじゃないですよね?」
「お前みたいなガキにゃ勿体なくてやれねぇな。ただの水だ」
それを聞いて安心した。瓶の栓を抜き、直接口をつけて呷る。冷蔵庫で冷やされた冷たい水ではなかったが、カルキ臭さの無い、柔らかい舌触りがした。
◇◇◇◇◇
「さてと———」
肉と水を胃の腑に落とし、ようやく空腹感も薄れたところで男が口を開いた。
「改めて自己紹介といこうか。先ず俺の名はジェイク・アリウス。職業は……まぁ、傭兵ってところだな」
自己紹介で傭兵と名乗る男に出会う確率など人生で何回あるだろうか。そのぶっ飛んだプロフィールに玲人は余計に警戒心が湧き上がって来る。
「おいおい、飯を食わせてやったんだぜ。ここにきてダンマリってのは勘弁しろよな」
ジェイクが呆れた様に口を開く。
そうは言っても…と、玲人は暫し思案に暮れた。
俺は日比野玲人。日本の高校生で、気が付いたらここにいた。そう言えれば楽なのだろう。だが、先程コボルトを知らなかった玲人にジェイクは明らかに不審気な表情をしていた。その事からも真正直に答えるのはあまり得策ではない気がする。だが、どうしたら———。
「左肩の入れ墨に“レイト”って書かれてたが…それがお前の名前なのか?」
ジェイクの問いに玲人は首を傾げる。生まれてこのかた、入れ墨など彫った覚えは皆無である。玲人は一応確かめる様に自分の左肩に目を転じる。
だが、そこには確かに黒い入れ墨が浮き上がっていた。
は?と玲人の頭は今度こそ強く混乱する。左肩に彫られていたのは、3つの山が連なったさまを描いたような紋様、そしてその下に見た事もない文字の様なものが彫られていた。
いや——。間違いなく見た事がない筈なのだ。だが、何故か
「な、なんだよ…これ…?」
震える声でそんな言葉が口をついて出る。ジェイクが怪訝そうにしているのに気付かず、玲人は体を弄った。
他に変わったところはないだろうか。あの男に刺され、ここで目覚める迄の間に、何か体に変化が———。
あった。その事実に気付き、ズン——と体中を衝撃が駆け抜けた。目覚めた時からどこか頭の片隅に感じていた違和感が、ようやく形になった。
3か月ほど前、バイクでの転倒事故以来、玲人の左足は神経が一部途切れ、可動範囲が制限を受けていた。その為、移動時は杖が手放せないし、先程の様に
「鏡…!鏡を持ってませんか…⁉」
慌てた様にジェイクに尋ねる。ジェイクは「あぁ…?持ってるが…」と持っていた雑嚢から手鏡を手渡してくる。
「……何で持ってるんですか…?」
「お前が貸せって言ったんだろうがぁ⁉」
ジェイクが吠える。いや、イメージと違ったもので…とへどもど言い訳しながら、玲人は恐る恐る鏡を覗き込んだ。
かくしてそこに映っていたのは、『日比野玲人』の顔ではなかった。
生まれてから染髪などした事がない玲人の髪は、一般的な日本人同様に黒色だった。だが、鏡に映る男は明るい色合いの金髪で、襟足の辺りで余った部分が無造作にひっ詰められていた。
線が細い小作りな顔立ちはあまり変わらないが、色素の薄い銀色の瞳や抜ける様な白い肌色はやはり16年間付き合ってきた自分のそれではなかった。
「…これが…俺…?」
何度も自身の顔に触れ、その感触を確かめる。だが、鏡に映るのは同じ様に恐々と顔に触れる男の姿のみ。
刺されて死んだと思ったら、目覚めたのは怪物が跋扈する見た事もない場所で、しかも自分の顔は全くの別人に置き換わっている。こんな異常事態をどう理解したらいいのだろうか。玲人の中に先刻浮かび上がって消えた言葉が再度浮上する。
これはつまり…『
マンガや小説などのサブカルチャーにおいてはある種定番となっている出来事である。現実世界で死を迎えた主人公が、神様的な何かに「お前はこれから生まれ変わって、〇〇という世界を救うのじゃ!」とか使命を与えられ、現実とは全く違うファンタジックな世界で生まれ変わって、世界を脅かす魔王と戦う———という出だしで始まる、フィクションの1ジャンルである。そんなバカな、と自分でも思う。だが、他にこの異常事態を説明できる様な事があるというのだろうか?
「どうした?自分の顔がわからないのか?」
鏡を持ったまま懊悩する玲人にジェイクが声を掛けてくる。ズイと立ち上がり、そのまま玲人へと歩み寄ってきた。
「デブリスの基本知識もなきゃ、自分の名前を顔もわからない———。まさか、お前…」
先刻より一層色濃くなった探る様な視線を注ぎながら、ジェイクは問う。
「まさかお前…
「…へ…?」
ジェイクの表情は至極真剣だ。どうやらマジで言っているらしい。
「そ、そうなんです…。その、何も覚えてなくて…」
「やっぱりか…!なんかおかしいと思ったんだ。いや、悪かったな。知らなかったとはいえ、ズケズケ質問しちまって」
そして玲人も話を合わせる事にした。ここで下手に異世界から来たかもしれません、等と言ってしまえば余計に不信感を招いてしまうかもしれない。騙している様で忍びなかったが、今はここが何処なのか少しでも情報が欲しかった。ジェイクは簡単に納得してくれた。酷薄そうな顔立ちとは裏腹に案外人が良い男なのかもしれない。
「その…疑わないんですか?記憶喪失なんて突拍子もない話を…」
「まぁ、デブリス病の中には記憶障害が起きたって、症状の報告もあるからな。珍しい事でもねぇんだよ…」
デブリス病。
またしても未知の言葉が飛び出してくる。だが、言葉の響きからして危険そうな雰囲気は十二分に伝わってくる。
先程の怪物と言い、病といい、この世界を知識なしで歩き回るのは相当に危険だという事が感じられる。
知る必要があるだろう。この世界で生きていく為の基礎的な知識を。
玲人はジェイクに切り出した。
「あの…良かったら教えてくれませんか?その、デブリスの事とか、ここが何処なのか…とか」
ジェイクは少し思案する様に首を傾げ、そして瓶の酒を一気に呷ると言った。
「いいぜ。長い話になるが…まぁ、夜は長いからな」
◇◇◇◇◇
「今は確か統一歴132年頃になるんだったかな…。少し前に連合結成130年の記念式典をやってたからそれは間違いねぇ。俺は実際見たわけじゃねぇが、凄かったみたいだぜ?アネスタの金ぴか騎士団のパレードに対抗しようとして、シドニア王家の奴ら、領民もかき集めて1万3千人の大行進を披露したって話だ。最もあの地味な黒鎧と領民共が嫌そ~な顔してた所為で、陰気臭い葬列にしか見えなかったって噂だがな」
ジェイクはクックッと忍び笑いをしていたが、当然玲人には何のことやら想像もつかない。しつこいと思われようが、分からなければ片っ端から質問していくしかない。
「アネスタとシドニアってのは、国の名前ですか?」
「あぁ。アネスタってのは南の方の酔狂な奴らが集まってる国だ。で、俺たちが今いるのがシドニア。…地図を見た方が分かりやすいな」
ジェイクが雑嚢から丸まった羊皮紙を引っ張り出す。確かにそれは地図だったが、玲人が知る物と比べてかなり大雑把だ。国を表すのであろう図形上に文字と国境線の様な線が引かれているだけの物だったが、それでもないよりは確かに分かりやすい。
「南にあるのが『アネスタ皇国』。東に広がってるここは『トンプソール武族連合』。んで、この西の小っさいのが『シドニア帝国』だ。合わせて『ドランバルド連合共同体』って連合国家になってる」
ジェイクが地図上のシドニアの更に西端に指を走らせ、
「俺たちが今いるのはここら辺の森だ。森ってのもかなり適当だが、ここら辺は最近までデブリスがウヨウヨいて人間が住めなかったからな。最近ようやく開墾の鍬が入ったばかりで、まだ名前が付いてないんだ」
と教えてくれる。
国の位置関係は大体分かった。ならばさっきから気になっている単語が1つある。文脈から大体の察しはついているのだが———。
「さっきから言ってる『デブリス』ってのは…あの犬人間の事…なんですよね?」
「半分正解、だな。あの犬人間——『コボルト』どもはその内の一種だ。他にも色々種類がいるな。人狼に吸血鬼、巨人とか人魚とか、だな。姿も生態もてんでバラバラでどこが仲間なんだかさっぱり分からないが…1つだけ確かなのは、奴らが人間を脅かす存在だって事だ」
ジェイクの表情から笑みが消え、目に真剣な色味が増す。玲人は思わず息を飲んだ。
「奴らがどこから来たのかは正直分かってない。噂じゃ異世界からやってきたとか、人間が
ゾッとする話だった。先程の犬人間———『コボルト』達は一切の容赦なく自分に襲い掛かってきた。一歩間違えば、自分も今頃奴らの胃に収められていた、という事なのだろう。
「その…戦ってる人たちはいないんですか?」
「そりゃ人間だって、ただやられっ放しじゃねぇ。ドランバルド連合は元々3国が纏まってデブリスに対抗しようって組織されたんだ。当然国も民間ギルドもデブリス討伐に乗り出してるし、そうして開放できた土地だってある。…だが、正直イタチごっこなんだよな。追い出しても追い出しても奴らは増えるし、更に新しい種類まで出始めて正直対応が追い付かない。おまけにデブリス共が厄介な残し物をしていく所為で、討伐にばっかり
「デブリス病…ですか?」
「そうだ」
ジェイクが重々しく頷く。
「“病”ってのも正確じゃないのかもしらんが…デブリス共の厄介な点はそこにもある。詳しい原因は分かってないが、デブリスの体内には毒の様なものが含まれているらしい。奴らに襲われたり、居ついてた土地で生活しようもんなら様々な悪影響が出る。奴らがいた土地では作物が育たなくなるし、そこで暮らしてると人間や家畜の体にも悪影響が出る。作物を介した二次汚染もあるって話だな…。しかも症状も様々で、風邪症状の様なものだけで済んだ奴もいれば、記憶や意識に障害が残った者もいる。噂じゃデブリスに襲われた事が元で人間が怪物に変わっちまったなんて話も…」
「…っっ‼…ここは大丈夫なんですかね…⁉」
さっきここにも間違いなくデブリスがいたのだ。自分があんな怪物に変わってしまったとしたら———と思うと、戦慄が爪先まで走り抜ける。だが、ジェイクは手をパタパタ振って「大丈夫だ」とあっさり答えた。
「汚染された土地とそうでないかを見分ける技術くらいある。汚染が一定値を超える土地には住んではならんって決まりがあるし、食い物の汚染度も厳しくチェックされてる。それでも完全になくなったとは言い切れないが…まぁ、昔に比べて感染リスクは大分減ってきてるさ」
最も全員がその恩恵にぶら下がれるって訳じゃねぇんだけどな…、とジェイクが独りごちるのを確かに聞いた。そう呟いた時、傭兵の瞳の奥底に、仄暗い怒りの色が瞬いている様に見え、玲人は静かに息を飲んだ。
◇◇◇◇◇
夜空に浮かぶ血の様に朱い衛星が、夜の景色を不気味に彩っていた。
『衛星ルネア』、というらしい。衛星の表面に含まれる特殊な鉱物が陽光に反応して、時期によってその色合いを変えるのだ、とジェイクが教えてくれた。明々と瞬くその異様な星はどんな言葉よりも、そこが玲人の知る世界ではないのだと雄弁に物語っていた。
だがそこが異世界であっても、同じく夜が更ければ、陽が昇り、朝がやって来る。ルネアが山の端に沈み、今度は陽星ソニアが地の向こうより顔を出すと、夜露に濡れた土地が煌めき始める。この景色はどの世界でも変わる事はないのだな、と玲人は密かに感動した。
夜が明けきると玲人とジェイクは移動し、やがて長々と続く街道へとたどり着いた。玲人の知るコンクリート整備されたそれとは明らかに異なる、土の地面が覗く道。だが、明らかに人の手が加わって作られたものであろうその道は、僅かだが安堵感を与えてくれる。
「とにかく、街道沿いに真っ直ぐ進め。そうすりゃ昼頃には近場の街に辿り着く。」
ジェイクは続く街道の一方向を指さし、言った。
「出来れば付いてってやりたいとこだが、俺にも用があるんでな。ここでお別れだ。街に着いたら教会に保護してもらうか、ギルドに登録して働き口を探すかしろ。…大丈夫だ。根無し草にも生きていく場所くらい見つかるもんさ。前に進み続ける限り、な」
前に進み続ける限り。なんとも曖昧な表現だが、ジェイクなりに自分を励まそうとしているらしい事はわかる。酷薄そうな顔立ちとは裏腹に精一杯、夜が明けるまで不器用そうにこの世界の事を伝えてくれた目の前の男の顔は、今は何処か普通の青年の様に思える。
「その…デブリスとかに襲われませんかね?」
「街道沿いには大体、嫌忌剤が撒かれてるから平気だと思うが…まぁ、道を外れずに行け。それでも遭遇したらこれを使え」
ジェイクが何かを手渡してくる。それは掌に収まる様な小型の銃器———いや、金属製の弓の様なものが据え付けられている事から、恐らくボウガンか———と小さな薬瓶の様なものだった。
「アーククロスと銀の霊薬だ。使い方はその霊薬をアーククロスに挿して———まぁ、道中試しに使ってみろ。無駄撃ちはするなよ」
ジェイクからそのアーククロスをしまって置く為のガンベルトも渡される。腰に武器があるというだけで、何故か万能感の様な感覚が湧き上がってくるのは男の本能なのか、それともオタクの悪い性癖なのか、と考える。
「それから、街までの路銀だ。足りるとは思うが、こっちも大事に使えよ?」
ジェイクが懐から小さな皮の小袋を取り出した。手渡されると、ズシリと重い感触が伝わってくる。路銀、という事はお金の事なのだろう。中を覗き込むと大振りな金貨が6枚ばかり、煌びやかな光を放っていた。
流石に悪いですよ…!と玲人は慌てかけるが、確かに無一文で生きていける自信はない。せめて、と玲人はジェイクに深々と頭を下げた。
「何から何まで、ありがとうございました。…あの、このお金…いつか必ずお返ししますので…」
「気にすんな。見返りを求めないから、人助けってもんさ…って、なんてな」
冗談めかして、しかし僅かに照れ臭そうにジェイクが言って、玲人に示した道とは逆方向に歩み始めた。
「じゃあな、小僧。精々生き残れよ」
男はもう振り返らない。ソニアの逆光に向って歩く姿を見送りながら、玲人もやがて踵を返して歩き始める。心細さはあるが、いつまでも立ち止まってはいけない、という思いがあった。
何故歩き続けているのか。
ともすれば、また頭の奥底からそんな声が広がり、胸の奥底に不安感が広がっていく。だが、玲人は振り切る様に歩き続けた。
大丈夫。来れたというなら、きっと元の世界に戻る道だってある。それまで何としてもこの世界で生き延びなければいけない。
静かな決意を胸に抱いた刹那、玲人はふと自身の懐に違和感を感じた。懐を弄ってみると、そこから円柱型の瓶が取り出された。
先程、ジェイクから手渡された物とはまた異なるそれは、まるで玲人の旅立ちを
日比野玲人、改めレイトの旅が始まった瞬間だった。
というわけで、これで序章は終了です。
長い…。仮面ライダーと銘打っておきながら、ライダーが登場しない話をこんなに延々と引き摺ってどうするんだ、という思いはあります。でも、こういうファンタジーって説明しなければいけない事が山の様にあるので、先ずそれをクリアしないと話を進めようもないのです。
さて、次回からいよいよ本編です。
ご意見・ご感想など頂けると励みになります。
それではまた次回。