他民族の浄化に乗り出したシドニアの暴挙から、リンクスを救う命を帯びて彼らの砦『マヌール』へとやって来たレイト達。
過去の平和路線を捨て、新兵器『ファンタズマ』の力で徹底抗戦の構えを取るリンクスの長ヤナリの言葉に惑いながらも、村を吸収したデブリーター『ホロウリーパー』を撃破するディライト。
だが、中から出てきたのは、まだ幼い少女であった事に驚きを禁じ得ない一同で……。
◇◇◇◇◇
わたしが1つの時。
両親と同族たちが暮らしていた村が壊滅したのだそうだ。波濤の様に襲い掛かるデブリス達に抗えず、多くの戦士たちが散り、人々は散り散りになってしまった。
わたしが3つの時。
デブリスから受けた傷が元になったのか、移り住んだ土地が悪かったのか……父が病に倒れてそのまま逝ってしまった。他の同族達ももういない。わたしと母の2人だけの生活が始まった。
わたしが5つの時。
食べる事さえままならない、そんな生活がいつまでも保つ筈がない。母もそのまま息絶えてしまった。死の際まで、一族の歴史を、誇りを語り継ぎ、その火を絶やしてはならないと教えてくれた母は強い人だったのだと今なら解る。が、そんな事は当時のわたしには関係なかった。ただ、もう抱きしめてくれる人はいないのだという事実にただ当惑するのみ。
ずっと隠れ住んでいた山を下りて、わたしは助けてくれる人を探した。碌に外に出た事がなくても、この世界には自分と同じような境遇の人達がいっぱいいる事を教えられていた。
でもダメだった。だって、出会う人々はわたしを見るなり、石を投げつけて近づいてさえくれなかった。怪物と罵られ、怖がられなきゃいけない理由が解らなかった。怪我するのはイヤ、1人にはなりたくない、怖い時に誰かに抱きしめて欲しいのはわたしだって同じなのに……。
そんな生活に疲れてしまった時。その人に出会ったのはそんな時だった。
『一緒に来るかい?私は君の様な存在に、ずっと会いたかったんだ』
その人はすっかりわたしのコンプレックスになっていた頭の“それ”を見止めても、怯む事なく手を差し出してくれた。是非もなかった……というのもあるけど、それが何より嬉しくて、私はその人の手を取った。
その手はびっくりするくらい冷たかった。
◇◇◇◇◇
「『ラージャ』?」
「そう。私達リンクスに近い、特殊な身体的特徴を持っているヒト科の一派だよ。頭に角が生えているのが解るだろう?それこそが彼らの特徴なんだ。ドランバルド地域ではもう絶えていると言われていたけど……まだ生き残りがいたとはね」
リンクス達が暮らす集落マヌールに突如襲撃を仕掛けてきた、デブリーターのホロウリーパー。仮面ライダーディライトが交戦し、撃破に成功したが、なんと巨大な鎧姿が変じたのは、本当に年端も行かない少女だったのだから驚きである。
しかも少女の側頭部にはバイソンの様な湾曲した角が生えていた。体も酷く痩せており、衰弱が激しかった為、こうして村の中へと運び込んだ訳だが……その身体的特徴を見止めるなり、彼女が『ラージャ』と呼ばれるヒト族の一派であると、ハルマ氏が解説してくれた。
「…それにしても、こんな小さい娘があのホロウリーパーだったなんて……」
「…イヤ、そうとも言い切れないかもしれないよ?」
「?」
「ラージャ族の年齢は角の大きさで推し量る事が出来るそうだ。彼女の見た目通りの年齢にしては……少し角が大きい気もするんだよね。もしかするとだが———」
「…あぁ、もう!この娘には静養が必要なんだから、少しは静かにしなこの素人人類学者が!」
「おっと、ごめんよミオさん。それじゃ、話の続きはあっちでゆっくり……」
奥方に怒られても全くマイペースを崩さないハルマに促されて、レイト達は部屋の外に出……ようとしたが、その直前「ちょっと待ちな」とミオがマヤの襟首を鷲掴みにして捕らえた。
「マヤ、アタシが卵酒を作ってる間に、この娘に栄養剤を注射しといとくれ。そこの物置にまだ薬の材料が残ってる筈だから」
「ええ~……なんであたしだけぇ……」
ぶーたれるマヤだったが、ミオは容赦なくその頬を摘まんで彼女を睨み付ける。
「今まで散々遊び歩いてたのはなんの為だい?錬真術師の腕の見せ所だろう、サッサとやんな」
「痛い痛い痛いってお母さん!分かったよもう!やればいいんでしょやれば!」
「あの、良ければ私も手伝いますよ、ミオさん」
「いいんだよアイリスさん。お客様を働かせるなんてとんでもない。今お茶も淹れて来るから、外で待ってておくれ」
そう言って腕まくりをしながら台所に入っていく姿は、まさしく肝っ玉母さんという感じだ。アイリスの母とはまた全然違ったタイプだが、そういう人の姿はどこか懐かしく思えたりするのだから不思議だ。…まぁ、少なくとも気は合うだろうが。
マヌールの端の方で医業を営むこの夫婦こそ、マヤ・フォルコの両親である。父ハルマは医者であると同時に人間やリンクス達ヒト族の歴史や生態を独自に研究しているそうで、角が生えた少女を運び込むには絶好の場所だったという訳だ。親子3人で暮らしてきたフォルコ家の中では流石に7人の来客を迎えるには手狭だったので、今はレイトやジルバ達が庭にテーブルなどを広げているところである。
厨房に籠っていたハルマが両手に籠を抱えて戻って来る。中にはゆでた卵やジャガイモ、蒸し鶏なんかがドッサリと積まれていた。
「すまないね、こんなモノしかなくて。私たちはあんまりお客様を迎える習慣がないものだから」
「いえ、お構いなく。こちらこそ、突然大勢で押しかけてしまって申し訳ないです」
「娘の旅に付き合って貰ってるんだ、無碍には出来ないよ。特に君には幼い頃のあの娘を助けて貰った恩義もあるしね」
ハルマがまた改めてレイトに頭を下げる。かつてマヤがこの村を飛び出し、行き倒れていた彼女を発見して保護したのがレイトだった。もっとも、その時の事をレイト自身は覚えていない訳だが……。
それでも、レイトの記憶の片隅に僅かに揺蕩っている記憶の残滓の様なものが確かにあるのだ。
彼女と共に過ごした僅かだがとても鮮やかな時間、そして何か彼女と大切な事を約束したという事……。
「いえ、俺こそ彼女に助けられてばっかりです。さっきキオ君が言いかけてましたが、彼女も師母の候補の1人だったんですか?」
「昔から私の仕事を眺めてた所為かな、親の贔屓目を含めても錬真術師としての才能は村の誰よりも優れていたよ。もっとも彼女はそれを蹴って村を飛び出してしまった訳だが……却ってよかったと思ってるよ」
マヤが村を飛び出したのは錬真術師としての探求、加えてレイトに再会する為だったので、謂わば自分にも責任の一端がある様な気がしたが、ハルマはあまり気にしていない様だった。
「村に残っていたら、あの娘はハナタカチョウになってたかもしれないな。広い世界を知って、色んな人と交わらないと、知らないままで終わってしまう事がこの世にはいっぱいある。ヤナリと言い争っているのを見てハラハラはしたけど……あの娘も人として強くなったんだなと実感したよ」
人はつい自分が属する側だけの理屈で物を考えてしまうものだが、マヤはリンクスだけでなく、シドニアやアネスタで生きる人間達の事をきちんと念頭に置いて話していた。それはリンクスの村を出て、多くの人と関わり合ったからこそできた事だとハルマに思えるのだ。
「…色んな人と言えば……先ほどあのラージャの娘の年齢について言いかけておられましたよね?」
「あぁ、そうだったね。あの娘の角は、あの年齢にしては少し大きい気がしたんだ。実は彼らは私たちと同じかそれ以上に錬真力が高い人類なんだが……どうも資料によると、彼らは自らの体を自在に成長させる事が出来るんだそうだ」
「成長させる……⁉それは、自由に子どもから大人になったり……とか?」
「少し違うかな。そう見せかける事は出来るかもしれないが、実際には体を肥大化させたりできる……という方が正しいらしい」
「…そうか、さっきの戦いで見せたのがそうなんでしょうね……」
ディライトとの戦闘の最中、ホロウリーパーが両腕を巨大化させてきたが、あれは恐らくそのラージャとしての能力だったのだろう。突拍子もなく聞こえるが、錬真術とは元々様々な物質の変化を操る力である。体を急速に成長させるというその特質も決しておかしいものではない……というか、仮面ライダーに変身する事に比べたら、なんでも変な事ではない様な気がする、と今更ながら思うレイトであった。
「あんな風に子どもの様な姿にもなれるものなんですか?」
「これは推測なんだが、一種の回復状態の様なものなんじゃないかと思ってるよ。子どもの体は必要なエネルギー量が少なくて済むから。ラージャ族に関してはなにぶん資料が乏しくてね」
「…リンクスやラージャの他にも、この世にはもっと多くのヒト族がいたんだと言われますよね。…まぁ、それも僕たちがほぼ絶滅させてしまった訳ですが……」
やや言い捨てる様にジルバが呟くが、ハルマ氏は「まぁ、そう悲観的にならずに」と相変わらず飄々と返す。
「起きてしまった過去よりも、これから先の事をどう考えるか……その方がよっぽど建設的だと思うけどね。歴史にしろ、錬真術にしろ、それこそが学ぶという事の本質だと私は———」
突如、「キャァッ⁉」という悲鳴がハルマの演説を遮って響いた。マヤの声だった。即座意に立ち上がったレイトが家の中に駆け込む。
「マヤ、大丈夫⁉」
「…うん、大丈夫だよ。それより、これ見て」
マヤが今も昏々と眠るラージャの少女の腕を指し示す。その関節部周辺がなんと無数の注射痕を穿たれて、ほぼ紫色に変色していた。少女の抜ける様な白い肌とはどこまでも対照的で、思わず目を逸らしたくなるほど痛々しかった。
「ヒドい……です……。こんなのって……」
「…どうやら、デブリーターはあまり彼女を人道的に扱ってはくれなかった様だね……」
「どうする?ヤナリ達は目覚め次第、こっちに寄こせって言ってたけど」
戦略攻撃兵器『ファンタズマ』の開発を筆頭に、外に向けての軍備力の強化を掲げるヤナリ達からすれば、この少女はデブリーター側の捕虜であり貴重な情報源である。どんな手を使ってでも彼女から敵の内情を聞き出したいのだろうが……。「どうもこうもあるもんか」とミオが吐き捨てた。
「こんな状態の娘を手渡すのは反対だよ。ヤナリ達がこの村を守る為に色々考えてるのは解るけどね……今のあの娘たちはどうも急ぎ過ぎな様に思えちまう」
「そうだね。医師として彼女の尋問はしばらく許可できないと、そう進言しとくよ」
「ありがとう、お父さん、お母さん。…やっぱりリンクスの皆がヤナリ達に賛成してるって訳じゃないんだね……」
「それはそうさ。誰も好き好んで戦いたい訳じゃない。できればこの隠れ里に籠って平和に生涯を送れたらと思うけども……今の彼女には言ってもダメだろうね」
「…ヤナリさんは、守るというよりもどこか積極的に力を誇示したがっている様に見えます。彼女がそういう風に考えるのには、なにか理由があるんでしょうか?」
冷徹な判断力と、類稀なカリスマ性。ヤナリという女性には確かにリーダーとしての素質がある様に思えるが……“お転婆で跳ねっ返り”と称された過去の彼女と今の姿はイマイチ結びつかない気がする。レイトの問いにハルマが重々しく頷いた。
「彼女なりの責任感と……そして後悔なんだろうね。力を持ちながら、それをずっと隠してきた我々への……」
◇◇◇◇◇
一方その頃、魔の森近郊に位置する中規模クラスの砦『クロシア』。元は養蚕や僅かな農業が主産業のなんとも目立たない集落に過ぎなかったのだが、今や魔の森を攻略する為の拠点としてシドニア軍に占領されている状態だった。
その砦の一角に急増された錬真研究施設にて、来る日も来る日も1つの実験が繰り返されていた。
「ご苦労。そこに横になりたまえ」
「…ハッ……」
白衣の男に命じられたシドニア軍の男の顔にはハッキリと不承不承と刻まれていた。ここの連中ときたら、彼ら兵士の事を碌に名前で呼ぼうともしないばかりか、まるで物でも見る様な冷たい目線を向けて来る薄気味悪い者ばかりである。そんなのでも一応は軍の上官という立場であるらしく、逆らう事も出来ない訳だが……。
鎧を脱ぎ、粗末な寝台へと横たわる……直後、数人の白衣が彼の取り付き、素早く拘束具を取り付けていく。
「お、おい……!これはどういう———!」
「いいから。楽にしなさい」
戸惑う兵士の心境を斟酌する事なく、機械的に己のやる事だけをやっていく集団は限りなく不気味だったが……更に輪をかけて不気味な男が兵士の傍らに歩み寄ってきた。猫背気味で土気色の肌は如何にも不健康そうで、ニタニタとだらしなく歪み笑う口元には緊張感の欠片もない。益々もって軍の関係者とは思えない。
だが、兵士は知っている。この男が今のシドニア軍の中枢に近い存在であるという事を。
「く、クリーデンス博士……これはどういう事でありますか。デブリーターへの適合手術でしたら、自分は既に完了を———」
「あれとは違う。リヴィジョン・シドニア……もっと高次に至る為に必要な事だよ」
クリーデンスがメリケンサックの様な銃器——グノースシリンジャーを取り出して、兵士の腕へと押し当てる。銃口から装填されたライドラッグの薬液が流れ込んでいき……。
「グオァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッッ??!!」
兵士が獣の様な咆哮を上げながら寝台の上でのたうち回りだす。金属製の拘束具が今にも千切れ出しそうに鳴り、兵士の全身から血が噴水の如く飛び散っては次の瞬間には蒸気となって消え失せてしまう。まるでこの世の地獄の様な光景は、しかし十数秒ほどで収束し、後には全身の皮膚が灰の様に変色した兵士だけが残されていた。クリーデンスは兵士に歩み寄ると、手早く呼吸や瞳孔を確かめていく。
「どうかね?私の言葉が解るかね?」
「……………っ」
「うむ、よろしい。おい、あっちで休ませてやりなさい。さて、次は……」
「なんじゃあれは?腑抜けて覇気も抜けて、まるでゾンビではないか。あんなモノがこれからのシドニアを支える兵士になるとでもいうのか、クリーデンス?」
実験室のドアを開けて男が2人ばかり入って来た。前の太り肉はこの部隊の指揮官——という名目——のバトレー・ドミングス。クリーデンスはチッと舌打ちをせんばかりに振り返るが……彼の背後に立つ細身の青年の姿を見止めるなり、「おう、これはこれは……」と慇懃に頭を下げた。
「こんな所までお越しいただけるとはなんたる光栄。お体の調子はいかがですかな、ビリウス陛下?」
「…うむ、今はすこぶる良い。お主のお陰だ、クリーデンス。…それよりも……」
ははっ、とクリーデンスが再び頭を下げる。シミ1つない白い肌に、かなり小さめの軍服でも余りが出る程の細身。まるで身に合わない権威をムリヤリ貼り付けられている様な有様だが、この青年こそ現王アトラーク・シドニアの弟『ビリウス・ドレッド・シドニア』なのである。王の血統に位置する者らしく目を泳がせず不遜な表情を保っているが、日頃から青瓢箪と陰口を囁かれる細面をますます青くして、今しがたの光景を思い返している様だった。
「さ、先ほどの彼はどうなったのだ?ここでの実験はシドニア軍の更なる強化に必要だと言うから———」
「いやいや陛下、ご心配なく。実験は成功しております。ちょっとした薬の副作用という奴ですよ、直ぐに回復いたします。彼らにはより強力なデブリーターを扱って貰わなければなりませんからな」
言いながら、そんな訳ないだろうがとクリーデンスは内心で舌を出す。実験は成功しているというのは嘘ではないが、あの兵士が回復する事など二度とないだろう。より強力なデブリーターを制御する為に、人間の精神や肉体はあまりにも無駄が多すぎるのだ。
ならば対処法はいたってシンプル。余計なものを感じ取る神経ごと破壊してしまえばいいというだけだ……。
「陛下、現場の兵士には彼らなりの誇りというモノがございます。世界を我らシドニアの尊き血と理念で塗り替える……その理想に殉じる覚悟が彼らのはあるのです。上に立つ者があまり余計な心痛など持ちますまいな」
「しかし……いや、そうなのであろうな……。クリーデンス、その力があれば確実に討てるのだろうな。あのディライト擬きを……父上の仇を……!」
「勇敢でございますなぁ。勿論お望みとあらば、このクリーデンスいくらでも陛下のお力になります故」
そろそろ余計なおべっかを使うのも嫌気がさしてきたが、こうして王族や貴族どもを神輿に担ぎ上げておく事も重要な事なので仕方がない。彼が本気で価値があると信じているのは己の研究のみであり、それ以外の事は全てがその為の踏み台に過ぎないと思っている。早くこんな俗人どもとの会話など切り上げて、神聖なる研究に戻りたいものである。
ふと、コイツらに
その時、「失礼致します」とクリーデンスの部下の1人が部屋へと飛び込んできた。クリーデンスはいちいち他人の名前など憶えないが、確か森の向こうで発生した謎の発光現象を調査に行かせた研究員の1人であった筈だ。
「先ほどの轟音を追跡したところ、森の中に巨大な集落を発見致しました。例の獣人どもの住処だと思われます」
「よし、よくやったぞ!クリーデンス、このまま全部隊を差し向けて一斉攻撃を———!」
「まぁまぁ、落ち着きなされドミングス卿。それで、轟音の正体は何であったのだ?」
「ハッ、敵側の攻撃だと思われますが、詳細は不明です。ただ、派遣していた部隊は全滅……おまけにホロウリーパー様も捕らえられた模様です……」
「ぜ、全滅だと……⁉みな、死んでしまったのか……⁈」
人というモノは実に多種多様なものである。僅かな情報だけで勝ちを確信して気色ばむドミングスの様な男もいれば、その横でビリウスは顔色を青くして兵士達を案じている。だがクリーデンスは、側近であるホロウリーパーが捕らえられたという報告にも、まるで興味がなさそうにフムと鼻を鳴らすのみ。
「敵もやりおるものだの……。他に報告はあるかね?」
「ハッ。それが集落内部には、獣人どもの他にアネスタ人と思われる者達もいる事を確認しております。近くの部隊の報告を統合するに、アネスタのパラディン共とディライト擬きだと思われます」
「ほう……それはそれは……」
ディライトの名を聞き、眉根1つ動かさなかったクリーデンスの表情が初めて動いた。喜悦とも憎悪ともつかない、ただ間違いなく狂気の色を帯びて。
「決まりだな、クリーデンスよ!陛下も!いよいよあの憎き勇者擬きを叩きのめすチャンスが回ってきたというものだわい!」
「…しかしドミングス卿……敵側はこちらの部隊を撃滅できるだけの力を有しておるのだぞ?おまけにディライトまで加わっているとなると……ここで大部隊を動かしても、闇雲の損害を広げるだけだ。もう少し敵側の情報を———」
「………っ。陛下……シドニア王の血族ともあろうお方が、そんな弱気でどうなさいます!未開の蛮族の力など、たかが知れておりますわ!」
粗忽者のドミングスと言えども、流石に露骨に舌打ちをする様な真似はしなかった。彼とて内心では病弱な王弟になぞ欠片も敬意を払ってはいないだろう。高圧的な言動で言い包めて、自分の意のままに軍隊を動かしたいに違いない。だが、クリーデンスは「まぁまぁ」とドミングスを宥める側に回る事にする。
「イイヤ、陛下の仰る通りですぞドミングス卿。数で押すばかりがデブリーターの能ではありません。ここは隠密に卿と陛下……そして私めだけで参りましょう」
そう言って白衣のポケットからデブリドラッグとデブリシリンジャーを2つずつ取り出し、ドミングスとビリウスにそれぞれ手渡した。
「おぉ……これが……」
「どちらともお2人用に調整した専用モデルでございます。…さぁ、奴らに一泡吹かせてやりましょうぞ……」
彼らにはそれぞれあのディライトと何らかの因縁がある。今こそそれを晴らすチャンスとでも思っているのだろうが……そんなのは飽くまでも口実である。ディライトの始末だけは誰にも譲る気はない。暗愚な王にも、他のデブリーターにもだ。
部屋を出たクリーデンスは、自らの部下を呼び寄せて小声で囁いた。
「私も出るぞ。『ノークスカウント』を用意するんだ」
「ハッ……⁈し、しかしあれはまだ実戦調整の段階ですし……ディライトと互角に戦り合えるデブリーターでしたら、他にも———」
「互角……程度では意味がないのだよ。あのディライトを完膚なきまでに叩きのめして、奴に寄る者全てを奪い去ってやるには、もっと強力な力がいるのだ……」
「肉体が保ちませんよ?ホロウ様の協力なしでは、あれの毒素に抵抗できるだけの強化処置など施せないでしょう?」
強力なデブリーターは当然主原料に強力なデブリスの素材を必要とするが、それらは毒素も非常に高いのだ。肉体や精神への汚染を防ぐ為にも、ジェヴォールトやワールドラーグの様なサージェリータイプデブリーターは薬剤による肉体の強化処置が必要になる。使用者の体質にもよりけりだが、高ランクのデブリドラッグを扱おうとすれば、更なる追加の強化を施す必要もあり、それには何よりもホロウリーパー……あの少女の協力が不可欠ではあるのだが……。
部下の問いに、しかしクリーデンスはニヤリと笑って「
「やられてしまったからには、アレもそろそろ限界だったのだろうよ。解っていた事だ。その為に替わりを作り出す研究をずっと続けて来たのではないか……」
クリーデンスが地下室の扉を開け放つ。暗闇と湿度に閉ざされた劣悪な環境の中に、多くの人間達が囚われていた。全員が薄汚れた衣類を纏った貧しい身なりの者達……強種主義の名の下にシドニア軍によって刈り取られたストラド達である。
シドニアは世界で最も優越した民族であり、その為に国内に蔓延る亜人やストラド共は一掃されなければならない。そんな妄言を唱えて軍を扇動したのには全て意味がある。それは彼らにしか成しえない価値があるからだ……。
怯える彼らの目線を受け止めながら、クリーデンスの顔がなお狂笑に歪んだ。