SIDE:ピーカ・タニス・トーン=テキン
「姫、この先に行かれるのはおやめになった方が」
オークテックに割り振られた内政区画の端で、腰巾着のように付いてきていたフィレンが急に声を上げた。
「何よう、この船の中でどこに行こうとあたしの勝手でしょう」
頬を膨らませるピーカに、フィレンは困ったように眉を寄せた。
「いえ、この先はその……トロフィーストリートです。
姫様のような御方が足を運ばれる場所ではありません」
「トロフィーストリート……」
オーク戦士達が戦場で得たトロフィー、すなわち「孕ませるに足る強さ」を持った女達が住まわされているエリアだ。
捕獲した主であるオーク戦士以外は用はない場所と母に聞かされており、これまで踏み込む所か意識に上る事すらなかった。
実の所、マルヤーの話術による誘導である。
まだ子供の愛娘が興味を持つ場所ではないと、単純な概要をそっけなく伝えるに留めていた。
「んー……」
ピーカは考え事をする時の母の癖を真似るように、唇に人差し指を当てて思考を巡らせる。
トロフィーとなった女性達に対してオーク戦士の子を産む役割の者、すなわちオーク外の出身ながら自分や母の同類と、ピーカは理解していた。
彼女は自分の身の上、成熟の暁には強き戦士と情を交わし次代の戦士を産まねばならないという氏族からの期待に、全く忌避感を持っていない。
我が子が強く産まれるなら喜ばしいとすら思っている。
自分を孕ませる強き戦士がお気に入りのカーツであればいう事はないが、カーツ以外の雄が自分の身を奪うほどの強さを示したのならば、それはそれで仕方ない。
実にオーク的な思想であり、そこに疑問を覚えるほど姫は他種族を知らなかった。
他の多くの種族の女性にとって、捕らえられ望まぬ相手の子を孕まされる事がどれほど尊厳を傷つけるものなのか、全く理解していない。
宇宙蛮族のトロフィーとされてしまった女性が憎悪を抱くなど、想像も及んでいないのだ
文化性の差に根差す常識の差であった。
「邪魔しちゃあ悪いかな……」
勝ち取ったトロフィーの元に通うオーク戦士も居るだろう、きっと情も交わすはずだ。
未だ生娘の姫であるが、番うべき戦士と情を交わしている最中に他人が入ってきたら、絶対にいい気はしないだろうという想像はできた。
お邪魔虫になってはいけない。
トロフィーの女性達に対して、ピーカは「次代のオーク戦士を産む者」としてむしろ共感を抱いている。
完全にお門違いな想いであったが、この場合はよい方向に作用した。
踵を返したのだ。
トロフィーストリートに背を向ける。
しかし、余計な口を開く者が居た。
姫に進言を聞き届けられたと調子に乗ったフィレンが、満足げに舌を躍らせたのだ。
「それで良うございます。
トロフィーなど、姫様の御目に入れてしまう訳には参りません。
ささ、お早く」
「む……」
ことさらにトロフィーを見下すようなフィレンの言動が勘に触る。
他の者の言葉ならともかく、フィレンの言う事は聞きたくない。
格好つけてばかりの癖にカーツに一発で殴り飛ばされたフィレンの評価は、ピーカの中で相当に低い。
嫌な奴の言葉に逆らうという、子供そのものの衝動がピーカを回れ右させた。
「ひ、姫!? お待ちを!
ですから、この先は姫様が行かれるような場所では!」
「知らない! いちいちうるさいのよ!」
ずかずかとトロフィーストリートへと入り込んでいく。
フィレンの言葉は一面で正しい。
トロフィーストリートの辺りは、他所で言うならスラム街を思わせるほどに治安が悪い地域なのだ。
ここに住まう女性達は、オーク戦士が子を作ろうと見込むほどの強さを持った女傑揃いだ。
武力に乏しい者ですら、巨大な敵にも屈しない負けん気の強さを持っており、オークへの敵意を隠さない者も数多い。
うっかり迷い込んだオークテックの若造が袋叩きにされる事など珍しくもない。
過去には不満の高まりの余り反乱を起こし、オーク戦士たちによる「わからせ」と称される治安維持活動が実行されるといった事件すら発生しているのだ。
そうした話をまったく聞かされていないピーカは、慌てるフィレンを他所にずんずんと進んでいく。
その足取りには、身の危険を案じるような危機感など欠片もない。
氏族内の最下層民として扱われるオークテックからもアイドルの如くもてはやされてきたピーカは、そもそも危機感なんてものを覚えた事すらないのだ。
文字通りのお姫様育ちであった。
「なりませぬ! 姫様!」
「ああもう! ほんっとあんた、うるさいんだからっ!」
しつこいフィレンにピーカは癇癪を爆発させると、脱兎の勢いで走り始めた。
「お、お待ちくださいっ! 姫様っ!」
仰天したフィレンも慌てて走り始めるが、初動の遅れは致命的であった。
生産特化型とはいえオーククイーンもまたオーク、一部の過積載で一見バランスが悪い体形のピーカだが見た目よりもずっと瞬発力がある。
そもそも宇宙での舞を得意とする彼女は運動神経に優れているのだ。
フィレンの手を振り切ってダッシュすると、目についた路地に飛び込む。
「行き止まり……じゃない!」
錆の浮いた金属のコンテナが積み上げられ道が塞がれているかに見えたが、積み方が乱雑で隙間がある。
頭に血が上ったピーカは先がどうなっているかも確認せず、無謀な猫の子のように隙間に飛び込んだ。
体格に比して豊かすぎる部分が圧迫されて息が苦しくなるも、何とか路地の向こう側へくぐり抜ける。
「姫さまっ!」
一歩遅れて路地に飛び込んだフィレンはたたらを踏んだ。
オーク戦士の平均よりやや細身ではあるものの、2メートル近い身長を持つ彼にはコンテナの隙間は狭すぎる。
「お戻りくださいっ! 姫様っ!」
コンテナの向こうから響く動転したフィレンの声に、べえっと舌を出して応じるとピーカは踵を返した。
「見てきてやろうじゃない、トロフィーストリート。
……まあ、真っ最中の所があったら、お邪魔しない方向で」
うるさい腰巾着を撒いた姫は少し意気込みながらも、やはり危機感のない歩調で進んでいく。