SIDE:「残り火」のノッコ
ピーカを包む翠の輝きがカーツへ伝播していく様子を、ノッコは無言で見つめていた。
オーククイーンのナノマシンの効能について、ノッコは懐疑的だ。
何と言っても前例が無い。
だが、それは「効果が無い」ではなく「試した者がいない」という意味での前例の無さだ。 試してみたら上手く行ったなんて事もあり得る。
故に、懐疑的ではあっても希望を抱かずには居られなかった。
ピーカに膝の上に乗られ唇を奪われているカーツの腕が、ぴくりと動く。
ノッコの瞳に緊張が走った。
遂にバグセルカーの侵食が完了し、肉の傀儡にされてしまったのか。
持ち上げられた太い腕が姫の背に回される。
その動きは滑らかで、バグセルカー特有の軋むような不自然さはない。
カーツの腕が情熱的とも言えるような力強さで姫の細腰を抱きしめる様に、ノッコはシートにどさりと背を預けて安堵の溜息を吐いた。
「やるじゃない、姫様」
バグセルカーの侵食からの生還はノッコも初めて聞くケースであり、歴史的な快挙とすら言える。
「……見ていた奴は居ないかな」
子を宿してもよいと見込んだ男の生還を確認したノッコは、喜びを噛み締めるより先に戦闘種族らしく他の問題に意識を向ける。
バグセルカーの侵食を退けたピーカの能力は、余りにも貴重だ。
オークの至宝であるオーククイーンだが、他種族からすると物凄い美女ではあるものの、単にそれだけの存在でしかない。
そこに美醜とは全く別の希少性が生じてしまった。
バグセルカーの出現よりすでに数世紀が過ぎ、宇宙にはその対応方法が確立されている。
すなわち、発見次第の駆除、無理な時には周辺に連携。
詰まるところ、それ以上の被害拡大を防ぐ対応でしかなく、すでに餌食となった犠牲者については諦めるしかなかった。
そこに現れた侵食からの救出成功事例だ。
バグセルカーに縁者を奪われた者からすれば、絶望に射した一筋の光明と言っても過言ではない。
また、別の魂胆を抱く者の存在も考えられる。
これまで制御不能であったバグセルカーに対して一定の制御を行えたという事実から、バグセルカーの使い道を模索する者も現れるかも知れない。
どちらにせよ、ピーカの示した能力は値千金、情報が知れれば彼女の身を狙う者は山ほど現れるだろう。
ピーカはノッコにとって主の主、そして彼女の度胸と勝負勘の強さを戦闘種族として高く評価している。
また、彼女の母であるマルヤー女王には、無茶な決闘を仕掛けたフィレンに再び浮き上がる目もある温情を与えてくれたと恩義を感じてもいた。
義務に義理に友誼と、ノッコがピーカを気に掛ける理由はいくつもあった。
そんな彼女の身の安全の為なら、目撃者の抹殺くらいにはあっさりと舵を切れる辺りまさに
「……大丈夫かな?」
最も厄介な
他の
必要ならばやるまでだが、ノッコとて進んで抹殺を行いたいわけではない。
バグセルカーの暴虐に紛れて目撃者を闇討ちせずに済んだノッコは平たい胸を撫で下ろす。
だが、彼女の知らない目撃者も存在した。
カーツの内部で灼き滅ぼされた、バグセルカー自身である。
所詮ナノマシンに過ぎないバグセルカーは、単体では複雑な判断を行えるほどの処理能力を持っていない。
それでも、危険の存在くらいは理解できる。
カーツの中から灼き尽くされる刹那、バグセルカーは断末魔の如き警告を放った。
ここに自分たちの侵食を退ける存在がいると。
新たなタキオンウェーブを検知したセンサーが警告を発する。
「まだ来るの!?」
うんざりしながら現れた新手を確認したノッコは思わず息を呑む。
その数、15隻。
これまで5隻単位で投入されてはノッコ達や
そして更に鳴り続けるタキオンウェーブの警告音。
これまでのペースから逸脱して、バグセルカーは圧倒的な大軍を送り込もうとしている。
「なんで急に!」
タキオンウェーブによる情報連携を受けた集積拠点のバグセルカーが、この場に存在する天敵を絶対に消し去らねばならないと判断した事など、ノッコが知る由もない。
機械的なルーチンなど投げ捨てたような性急さに困惑するばかりだ。
「ノッコ! フィレン! 離脱するぞ!」
通信機から精悍な声音の指示が飛ぶ。
主の声に振り返れば、『
半透明のシートの向こうから、カーツが見上げている。
「もう大丈夫なの?」
「ああ、自分でも驚いてるけど、思いのほか調子がいい」
「あたしのお陰でしょ?」
向かい合う姿勢でカーツの膝に乗ったままの姫が上機嫌で口を挟んだ。
そのまま、何故か全裸の姫は剥き出しの無駄にでかい乳をカーツの胸板に押しつけつつ、猫のように喉を鳴らす。
随分テンションが上がっている姫に、ノッコは溜息を吐いた。
「姫、そういうのは戻ってからにして。
今はバタついてるし」
「えー」
「それに、そういうのの順番は、私が先」
「なんでさ! カーツはあたしの戦士だよ!」
「私、カーツのトロフィーだもの。
手を出されるなら私の方が先なのが、オークの道理でしょう?」
「ノッコ、そういう話は後にしてくれ、姫様も」
咳払いをしながらカーツは強引に話を打ち切った。
頬を膨らませる姫の肩越しに、戦士は『
「ノッコ、トーン08へ戻れ。
他の連中を回収次第、ジャンプで離脱だ」
「了解!」
「俺たちはトーン09で離脱する。
フィレン、続け!」
「はっ!」
旋回する『
フィレンが彼の父の乗った機体を操っている事に、わずかな感慨を覚えつつノッコも『
トーン08との回線を開く。
「ボンレーさん、聞いてた?」
「はい、兄貴が無事でホッとしました……」
通信機から流れるイケオジボイスには、しみじみとした安堵の念が宿っていた。
自分の主が舎弟から慕われている事を再確認しつつ、ノッコは言葉を続ける。
「戻り次第、ジャンプで逃げるよ。 バグセルカーのお代わりはまだまだ来そうだし。
ベーコくんたちは戻ってる?」
「ええ、すでに着艦済みです」
頷いたノッコはスロットルを吹かしてトーン08まで一気に飛翔した。
そのままの速度でアプローチし、寸前に精密な逆噴射でぴたりとドッキングポートに合わせる妙技を披露して迅速な着艦を行う。
「いいよ、ボンレーさん!」
「カウント省略、ジャンプ起動!」
トーン08は次々に転移してくるバグセルカーシップとすれ違うかのようにジャンプを実行、壊滅状態の
カーツ分隊はトーン09を入手した二隻体制となってから、常に分断の可能性を想定している。
非常時にジャンプで逃亡する際、合流する座標をあらかじめ二隻で共有しているのだ。
しかし、ランデブーポイントである辺境星系の小惑星帯に数日待機しても、トーン09が現れる事はなかった。
今回でサードシーズン、
活動報告にも書きましたがフォースシーズンをお待ちください。