ウマ娘 ブラックドーン   作:一億年間ソロプレイ

16 / 17
二話更新のうちの一話目です。
すっげぇ難産でどっちも長くなったゾ……。


流星痕 上

 

『走れ! 振り返るなセンニンギリッ!』

 

『走れェェェ!!』

 

 涙交じりの決死の声だった。

 背後からラチを巻き込みながら派手に転倒する音がした。

 鞭が必要以上に入れられた。それほどまでに必死だった、伊那もわたしも。

 あの音じゃクアドランスも、仲の良い騎手の佐古屋だって無事じゃすまない。

 それでもヤケクソになって走った。わたしには彼らを助け起こす手なんて無かった。

 競走馬が転倒して、また再起して走り出す可能性は低かった。

 だってアイツの右前足が、びっこびっこと変な走り方をしていた。

 疲れてへばった馬たちの間を抜けていって、初めて前に誰もいない景色を見た。

 

 初めての勝ちだった。初めて骨折した馬が馬運車で運ばれていくのを見た。

 あれはもう「無理だな」なんて冷静に呟いている馬がいた。

 伊那を引き摺ってまでクアドランスの側にいった。

 聞きたくもない遺言を聞かされた。

 隣の厩舎が空になった。

 寒い日だった。

 さむい。

 

 

 

 

 中央で行われる中央(トゥインクル)・レース(そういえば大井の方にそんな名前のレースがあった気がするんだが……)と、地方(ローカル)・レースの違いは分かりやすい。

 走るウマ娘の実力の高低と、芝かダートか、そして土日にやるか平日にやるかだ。

 無論、平日でも休みの日はあるが、総合レース量として言えば地方(ローカル)のレースが明らかに多い。故に、走る機会も中央よりも多い。時には着順よりも出走したレースの数で競い合われることもある。

 

「稼いだなぁ……」

 

 手元の通帳とこれまでの出走成績を記されたプリントを見比べる。

 ここまで連戦したりしなかったりして計九戦。全て入着(二~五位)で収まっている。多めにレースへ出走させてもらったおかげで前世時点でのジュニア時の勝負数を超えており、かつ全日本ジュニア優駿にも余裕で入れる金額を稼げた。

 入着とはいえ五着までなら賞金は入るシステムだ。その為、デビュー前にウマ娘は銀行の口座を開設する。作成時のサポートは学園がやるので安心だが、賞金が入ってからの金遣いまでは自分で律しろというムーブだ。一応金遣いが荒くて学費も払えず退学していった先輩ウマ娘の例を出された説明もあるが、まぁ順当。

 

 偉大なる先例を反面教師にし、家に連絡してから七割の額を孝行として家の方に送金したが、見事に「自分で使いなさい」と返されて全額手元にある状態となった。

 学生が持つには結構な額だが、未だ何に使おうという購買意欲が無い。精々蹄鉄をもう少し良い鉄で重たい物に替えたぐらいだ。後は靴とかの備品の補充程度。本当何に使うべきか。

 

 迷った末、カレンダーを見る。

 

 十二月二十二日。――全日本ジュニア優駿の前日である。

 

 ジャパンカップ前の二十四日に行われた青雲賞にて見事クアドランスは勝ち逃げを披露。『浦和に現れた期待の星』とまで呼ばれて祭り上げられている。

 それまでの七戦七勝という評価もあり、地方競バ新聞では『見事ジュニア世代の星に輝けるか』と注目度も高くなっている。上々の結果だ。まぁ地方以外の中央やら一般の世間は有マ記念で持ち切りだけど、それでいい。関係者内で盛り上がっていればいいのだ。

 

「よし、流石にいるみたいだな」

 

 扉を開いて高遠が現れた。最近化けの皮が剥がれたことに気が付いたのか、一々気障な素振りを見せなくなった。でも時折忘れた頃にやってくるんだよね……。

 

「さっき星んとこへクアドランスの様子見に行ったが、ありゃ大絶好調だ。明日はとんだ走り見せられるぞ」

「それなら都合がいいねぇ。伸びた鼻が長い程圧し折り甲斐があるってもんさ」

 

 席を外したと思ったら偵察しに行っていたらしい。その結果に自然と……笑いが浮かばない。事前に鏡の前で笑顔の練習をしてきたというのに。

 

「その割にはあまり喜ばしくなさそうだが」

「さぁね」

 

 チッ。最近高遠が私の表情を上手く読み取りやがる。傍から見りゃ分からない筈なんだけど、……二年近くもいれば分かるのか、高遠が存外に優秀なのか。

 ……いや、優秀ではある。それだけは認める。トレーナーの手腕としてはかなり上に入るとは思う。他のトレーナーに担当なんかされたこと無いけど、それははっきり言える。

 なんでコイツ、地方のトレーナーやってるんだろう。

 

「まずはコースの確認だ」

 

 ぺらり、と机の前に出されたホワイトボードにコースを上から見たマップのプリントが張られた。

 

「場所は川崎レース場、コースは左回りの1600m。コース一周の距離が1200mなのは浦和と変わらない。コーナーも狭いしで先行作戦の有利はほぼ浦和と同じ、お前にとっては不利な条件が整っている」

「体格のデカさと追込戦法に一体何の恨みがあるんだか」

「立地の関係もあるからあまり言えんが、わざわざ本気を出すとまで言ったお前ならどうにかしてくるんだろう」

「当たり前さね」

「自信満々で結構。話を戻すぞ。仕掛け所は第三コーナーから。とてつもなく狭いんで、意地でもなんでもいいからこの時点で前が塞がれるということにはならんように」

「承知してるさ」

 

「ひとまずコース情報についてはこれくらいにして、出バ表を見ていくぞ」

 

枠番ウマ番名前
1
1
クアドランス
2
2
ハーゼルヌス
3
3
ヨシマサボーイ
4
4
チョッコラート
5
5
ラディフェイン
6
6
ケイブ
7
7
ルックキャット
7
8
メランコリーレター
8
9
パーシモンオレンジ
8
10
センニンギリ

 

 

「見事なまでに得意な位置だねぇ」

 

 逃げのクアドランスに有利な最内枠、追込の私に有利な大外枠。ここまで極端な配置だと何かを感じる。

 

「これが隣の二番、三番辺りだったならクアドランスに対してプレッシャーを仕掛ける機会もあったんだがなぁ……」

 

 研究ということで、クアドランスの走りを高遠が撮影したビデオで何度も見返したが、――前世の鞍上みたくアイツは後ろを振り返らない。最初っから自分の勝ちを確信しているのだ。これは真横にでも行かなければ致命的なまでにプレッシャーを掛けられないということ。

 

「……一か八かでいいから作戦を変更してみないか?」

「嫌だね。アイツを私の得意とする走りで叩きのめすのが一番良いんだ」

「やっぱダメか。分かった、追込のままだな」

 

 答えは分かりきっていたのか、さほど粘らずに返された。高遠はコースマップ、出バ表それぞれのウマ娘が得意とする位置に、それぞれの色のマグネットを配置した。先行に位置するマグネットが多い。

 

「驚くことに前方作戦が七名、後方作戦はたったの三名という具合だ」

「逃げが三名、先行が四名、差し二名、追込一名……。また一人かい」

「あの確実に有利な条件の分かっているコースだと、余程末脚の自信が無きゃ後方作戦は選ばないもんだ。しかも逃げが三名と来れば……、かなりのハイペースになるぞ」

 

 逃げウマ娘が多数いることによって起こるのは先頭の位置取り争い。それに付随する後方のペースアップだ。

 先行はなんとしても逃げを捉えられる位置取りが欲しいから、先頭が早くなればそれに合わせてペースアップするものだ。逃げが落ちると確信すればペースキープもするだろうが。

 

「普段先行のウマ娘も逃げを打つってことは、ある種の宣戦布告かね」

「それもあるだろうな。今やクアドランスは地方競バ全体が注目してるジュニアウマ娘。クラシックシーズンなんかはより盛り上がるだろうな」

「……」

 

 前世において故障して死亡したクアドランス号の前走は青雲賞。競争中止、複雑骨折からの安楽死。

 ――でも、今はその青雲賞を()()()大絶好調ときた。……だから、大丈夫だ。

 私は持てる全力を出してクアドランスと戦えばいい。

 

「まぁこんなところだ」と、高遠が切り上げて――鋭い視線を寄越した。

 

「お前の本気、楽しみにさせてもらうぜ」

 

 ギラついた笑いだった。余裕綽々とか、愛想笑いとか、そういういつもの笑いじゃない。

 高遠の隠し持っている野望が前面に出ているようなものだ。

 

「なんで私の本気なんかに注目するかね」

「そらお前、トレーナーからすれば担当しているウマ娘が走って勝って笑顔になれば嬉しいことは無いんだぞ?」

「だったら、そのウマ娘が走ることで笑顔じゃなくなったら? 何が嬉しくなるんだい?」

「……ま、そうだったら引退を進めるさ。あくまで本人の気持ちを優先するぜ、()()

「ふうん、その割には()()()()()()()()()()()()()()っていう魂胆は見えるけどねぇ」

「ッ!?」

 

 高遠の笑みの壁が崩れた。それに、やっと私がニンマリと笑えた。

 

「そういう目を今も寄越して……、気付かないと思ったのかい」

「気のせいじゃないか? フッ、俺の魅力に惑わされたみたいだな」

 

 気障ったらしく帽子を下げて表情を隠す。それを冷えた目で見れば、高遠に流れる冷や汗が溢れてきている。くくく、動揺してる。もう一手打てそうだ。

 

「私はウマ娘を不幸にしたい一心で走っているけど、そろそろ君の目標だって話したっていいんじゃないかい」

「……それ、は。…………いいや、お前だって、本心で話しちゃあいないだろうさ」

「いいや、本当さ。わざと、勝てるレースでも勝たずに掲示板入りを続けて、私自身の評価を操作してまでやろうとしてるんだから」

「それでクアドランスを叩きのめそうってか? ()()()()。走れる限りは走ってリベンジ果たしてくる気概もあるぞ。その程度で心は折れん、絶対にな」

 

 帽子の下から高遠の視線が貫く。クッソ、お前痛いところ突きやがって。

 薄々分かってるんだよ、この計画の最大の弱点。

 ――クアドランスのメンタルの強さだ。

 

 現在のクラシック級ではサンオーイが三冠を取っている。羽田盃、東京ダービー、東京王冠賞といった風に。そのどれものレースで二着、シルバーコレクターのウマ娘がいる。名前をセレブレイシヨンという。

 羽田盃で四バ身、東京ダービーで七バ身も離されてのゴールを受けて、彼女は最後の東京王冠賞でサンオーイに差し迫る成長を見せた。かなり圧倒的に勝たれようともサンオーイへの挑戦を諦めず、強靭な精神性を発揮してそこまで上り詰めた。

 

 クアドランスも今は連勝中で、一度敗北を知れば今度こそは、と化物的成長を見せつけてリベンジしてくる可能性があるのだ。今は彼女を負かした者がいないから分からないだけで、差を見せつければ見せつける程燃え上がるタイプかもしれない。

 最近星トレーナーの成長も著しく、彼女を献身的にサポートしているから……ありえるのだ。敗北後のアフターケアが入って立ち直る可能性が。

 

 ……分かっていて、計画を練ったかもしれない。それとも単に節穴なだけで考えていなかっただけかもしれない。

 もう分からない、()は一体何がしたいんだ。自問自答できるぐらいに、今の自分の行動が矛盾だらけであることだけは分かって、証明すら出来るのに。

 

「チッ、興が醒めた。ここまでにしておいてあげるよ」

「助かる。……時が来たら、話してやる」

「そうかいそうかい。それまでに私の興味が失せないことを祈っておいとくれ」

 

 

 ――仕方ないからクラシックまでは走ってやる。

 

 ――でも、その後は……。

 

 

 

 

 川崎レース場は川崎競馬場と同じく、神奈川県川崎市にある。思えば、移動を伴うレースの出走はこれが初めてだ。これまで浦和レース場で行われるオープン戦しか出走してこなかったので新鮮だ。前世を含めれば何度か訪れてはいるけど。

 

 選手控室に着いたら制服から体操着に着替える。

 袖や襟の縁、ズボンの色が枠番色である桃色の体操着を着る。見た目が寒いのでタイツは着用したままだ。

 十番と書かれたゼッケンをつければいつでも出走できるナリになった。

 

 ……後年だとGⅠになる筈だが、現時点では日本独自でつけたグレードすらないので、ダートレースは基本体操着での出走となる。GⅠだと勝負服という、騎手でいう体操服とはかけ離れた衣服の着用を許されるようだけど。あれ、明らかに走りにくいロングスカートの服や和服やらでも一着を取っていたりするので不思議だ。空気抵抗とは一体……。

 

 こんこんとノックの音がする。「どうぞ」とだけ言えば、現れたのは段ボールを抱えたクアドランスだった。

 

「センちゃん! すごいたくさん差し入れもらっちゃった! 一緒に食べよう!」

「それってさぁ……、君宛てのなんだから私に寄越しちゃダメなんじゃない?」

「あっ……、お、お友達とも食べてくださいって言われたから!」

「ふーん……」

 

 慌てて段ボールを開けると、そこには差し入れがみっちりと詰まっていた。試合前に食べてもいいような物から、試合が終わった後に食べた方がいいものまで、選り取り見取り。

 ダーリンググラス先輩の時も「差し入れじゃい!」とキングハイセイコーたちが集まって送っていたことを思い出す。

 

「人気者だねぇ」

「それだけ応援してくれてるってことだから、嬉しいなぁ……」

「応援が力になるって? 相変わらず人の良いこった」

「でも本当だよ? 皆がわたしの走りを見て頑張れーって言ってくれたり、応援してるよって言われてるとレース中にこう、ぶわーって力が溢れてくるんだ」

「はいはい」

 

 人の期待を受けて輝く笑みがあまりにも眩しくって目を逸らした。

 ……でも本当なのが疑わしいところ。

 一時、併走をしていた時にあった。コースの長さを定めて走っていた時、最終コーナー辺りでクアドランスの纏う空気が一変していた。結局それが何か分からないが、負ける気はしない。

 

「で、差し入れ食べるんなら早い方がいいんじゃないのかい」

「そうだった!」

 

 差し入れは手作りの菓子から十秒チャージ、果物にプロテインバーや飲料、種類が豊富だ。

 

「手作りのは後にしといたら」

「うん、そうするよ」

 

 尾を大きく揺らしながら手作りらしいラッピングや包装されたものを取り除いていく。大抵がクッキーといった手作り菓子ものなので、食べるなら果物やプロテインバーの方が良い。

 あれこれと分けていったところで選ばれたのは、果物類はバナナとミカン、菓子類はチョコレートだった。果物に関してはクアドランスのクラスにいる青果屋の娘が送ってくれた商品ということもあって、これにしようと早くに決まった。

 バナナは一房あるので私にも一本貰えた。ミカンも一粒貰った。

 いざ実食……なのだが、一口齧ってからクアドランスが固まった。

 

「…………これまで多くのバナナを食べてきたけど、なんか土の味がするのは初めて!」

「それ食べて大丈夫なの……?」

 

 バナナを食べて味がない、コクがない、じゃなくて土の味がするってどうなんだ?

 ――というか本当だ。なんだこのバナナ、土の味がする。文字通り土の味。しかもあまり栄養のない土の……。しかも水っぽい、はっきり言うと不味い。

 

「残念だけど一本だけで止めておく! それからトレーナーにも食べてもらって感想聞いてみるよ」

「正しい判断だねぇ」

 

 ……ま、青果屋の娘が悪い訳じゃないと思うけど、やっぱ甘さは家のリンゴの勝ちだな!

 内心誇らしく思っていると足音が二人分。ノックが鳴る。「どうぞ」と私が言う前にクアドランスが元気よく「どうぞ!」と言った。おい。

 

「おーおー、やっぱりこっちにいたか」

「お邪魔していたみたいで……、すみません。センニンさんも」

「別に構やしないよ。程よくリラックスできたからねぇ」

「うんうん、この後いーっぱい戦うからね! あ、それから聞いてよトレーナー……」

 

 それから実際に噂のバナナを食べて「マジやん」となるトレーナーたちに、続いて食べたミカンも「酸っぱさの中に土がある!」と場を賑やかしながら、「クアドランスの作戦は逃げです! センニンさんたちがどう対策してくるか楽しみですね!」なんて意気揚々と宣戦布告をする星トレーナーと……、一時トレーニングでも分かれていたクアドランスたちと話をしながら――とうとう全日本ジュニア優駿のレースが始まる時刻となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いよいよ年末となりました。今年のジュニア優駿は一体誰になるのか。彼女たちの様子を見ていきましょう』

 

 パドック入り前の地下バ道には、ウマ娘たちが闘志を漲らせて待っていた。

 このレースに出られるのはジュニアの中でも力がある者ばかり。私が今まで出てきたレースとは違う。

 

 尾花栗毛の持ち主、クアドランスがパドックへ踏み出すとここからでも大きな歓声が聞こえてきた。

 

『一枠一番クアドランス、一番人気です』

『今年一番の期待の星です。仕上がりもすさまじいですね! これは期待できる走りが見られそうです』

 

 続いてウマ娘たちが入っていく。大体どのウマ娘もオープン戦かその他の重賞で一着を取っている。だが、それでもクアドランスの仕上がりには劣る。

 敵はただ一人、クアドランスのみ。

 

 ただまぁ、新バ戦でしか一着を取っていない私に向けられる評価というと――。

 

『八枠十番センニンギリ、十番人気です』

『初めての川崎レース場や入着止まりの成績もあってこの評価です。好走を期待しましょう』

 

 控えめな拍手と、他ウマ娘たちからの「なんでコイツが出てきたんだ」という眼差し。

 私はおよそ褒められない評価ばかりが集まっている。概ね予定通りだ。

 

 ここで思い知るんだ。お前たちが祭り上げた星が落ちていく様を。

 

 パドック紹介も終わり、返しウマの時間となる。

 本日は曇り空だ。このまま日が過ぎれば雨が降る。とはいえ、湿気をやや含んでいるもののバ場は良好な状態に近い。端から端を歩いてみたものの、どの位置取りでもバ場の状態は変わらないと思われる。

 コース取りもしっかり頭に叩き込んでいる。一応1600mの距離をゆっくりと歩きながら呼吸を整えた。

 他のウマ娘の返しウマを待っていると近寄る気配があった。

 

「よー、新バ戦ぶりだニャ」

「君は……、誰だっけ」

「ルックキャット、ニャ。あん時はよくもやってくれたよニャァ……」

 

 パキポキと拳を鳴らしながら睨み上げてくる。

 本人からの名乗りと、ウマ娘という馬モチーフの種族の癖に猫みたいな話し方で思い出せた。新バ戦で落とした一人だ。

 

「無事に勝てたみたいで何より」

「お前がいなけりゃ四回も新バ戦しなくて良かったんだけどニャァ~?」

「へぇ、自分の能力不足を私に押し付けるのかい。躾のなってない野良猫は嫌いだね」

「――ッ、ふん! その野良猫に寝首掻かれないよう気をつけるニャ」

 

 ニヤニヤとしながらルックキャットが去っていった。

 前走から一着続きでノリに乗ってるらしいけど……、確かチームに入ったんだっけか? それから成績が良くなってるみたいだった。

 

「なんだアイツ……」

 

 あちらが敵視しているとはいえ、私の目標はクアドランスただ一人なんだけど……。

 ま、気にしなくていいか。

 

『各ウマ娘、返しウマが終わりゲートインへ移ります』

 

 ――とうとう、来たのだから。

 

 

 天井スレスレのゲートから辺りを見下ろした後、目を閉じる。息遣いすら感じない程、――前日までにあった濁流みたいな感情がすうっと凪いでいく。反発し合っていたものが統一されている。

 

 

 今はただ「走れる」。

 

 

 ゲートインを知らせるランプの音。それぞれがスターティングの態勢を取る。

 握る拳、滾る力を今はまだ抑えて。

 

 

 

 ガシャコンッ

 

 

 

 ゲートが開かれた。

 踏みだす一歩は不思議なぐらいに軽かった。

 

『見事に綺麗なスタートを切りました』

『先頭を行くは一番クアドランス! その後ろから二番ハーゼルヌス、外から六番ケイブが躍り出てきます』

 

 前に前にと配置につく者達を後目にバ群の最後尾に着いた。前には差しを選んだパーシモンオレンジがいる。

 

『あっと、これは凄まじい展開です!』

『四番チョッコラート、五番ラディフェイン、七番ルックキャットらが位置取りを押し上げて――逃げの先頭群団を作り上げました!』

 

 現時点で逃げの戦法を取った輩がクアドランスを含めて――六人。これはクアドランス自身体験したことがない展開だ。

 スタンド前の直線を走っているせいか、歓声がダイレクトに聞こえてくる。

 道中の展開がどう転ぶか分からないが、少しは楽しめそうだ。

 

 ――それに今はクアドランスの尾だけじゃない、アイツの走る姿全体を見れている。流星が尾を引いて走るような、あんな鮮烈な走りが目の前で起こっている。

 青雲賞での続きが出来ているみたいだった。

 

 ――あぁ、私、笑ってる。笑えている!

 

 胸の高鳴りが止まらない。脚が(はや)ってすぐに前に行ってしまいそうだ!

 

『現在のウマ娘たちの位置取りを確認していきます』

 

『スタンド前の直線を抜けて第一コーナーに入りました、快調に飛ばしています一番クアドランス。その背後にいます、四番チョッコラート。その外に七番ルックキャット。後ろからぐんぐん追いかけ、七番ルックキャットの外につきました五番ラディフェイン。内を通っています六番ケイブ。競り合いに負けたか六番ケイブの後ろにいます、二番ハーゼルヌス。この先頭集団から二バ身離れて内を走っているのは三番ヨシマサボーイ。外に八番メランコリーレター。ここから五バ身離れて九番パーシモンオレンジ、十番センニンギリと続いています』

 

『先頭争いは一番クアドランスの勝ちとなりました! 見ていて気持ちのいい走りですね!』

 

 コーナーが狭いのでほぼ二列となって進んでいる状態の中、先頭を把握するためにパーシモンオレンジにつく態勢を止め、少し横にズレる。風の抵抗を受ける形になった。

 逃げ集団の重なる脚の中からクアドランスの履いている靴を見つける。やはり六人もいるせいか、足がごちゃごちゃとしている。

 

『向こう側正面へと入って先頭集団に動きがあります。位置を上げて二番ハーゼルヌスが六番に並びます』

 

 あの、青い靴は誰だ。……位置から考えればチョッコラートか?

 動きが怪しい。腕の振りがめちゃくちゃで顔を上に上げて口で大きく息をしている。……スタミナ切れか。

 

『四番チョッコラート、慣れない逃げで掛かっているようです』

 

 後ろが落ちていくチョッコラートに道を開けていく、――中で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 がくん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クアドランスの体が大きく落ちた。

 

 

 

 

 

 ――なんで?

 

 

 

 

 

『一番クアドランス、態勢が大きく崩れました!』

 

クアドランスに故障が発生しているようです!

 

 それも一瞬で、すぐに態勢を直そうとして走るが、見えてしまった。

 

 足首を捻りながら、そのまま走ろうとしている。

 

 

 ――一瞬、姿がブレる。栗毛の四足脚が見えた。

 やめてくれ。

 

『一番クアドランス、落ちていきます!

 

 なんで一字一句同じ言葉が出ているんだ。

 やめてくれ。

 

 聞こえなかった、息遣いが聞こえる。――ゼヒューッ、と、してはいけない音が。

 ――前から。

 

 

現れる影。第三コーナー手前、大きく横にヨレて転んでいった尾花栗毛の馬。

 

 被る影。崩れ落ちようとする小さな人間の体。

 

 

 

 ――――あ。

 

 

 

 

 

 互いに担当するウマ娘は絶好調(疑問のある奴もいるが、概ね意欲的)だった。

 ベテラントレーナー高遠から叩き込まれたノウハウを生かし、星はクアドランスを最高潮の仕上がりで送り出した。

 高遠のトレーニングによって成長していったセンニンギリも同じ。元々の潜在能力が高いこともあるが、このレースでは「本気を出す」とまで宣言したので高遠が考える以上のパフォーマンスを発揮するだろう。

 

 川崎レース場の野外スタンドの一番前で二人は返しウマの様子を眺めていた。

 そんなクアドランスの仕上がりを見て、高遠が呟いた。

 

「お前はすごく優秀だ。頑張りゃ中央のトレーナーライセンスだって取って、あっちでもやっていけるだろうさ」

「まさか。高遠さんがいなければここまで来ることは出来ませんよ」

 

 第三コーナー辺りで砂を直に触って確かめているセンニンギリと、ゆるくコースを確認するクアドランスが見えた。

 

「だーがーなー。今回、センニンギリが勝つぞ」

「まさか! ウチのクアドランスが勝ちますよ」

 

 

 

 ――そう話していたことが遠いことのように思えた。

 

 

 

「んだよ、あれは……」

「クア、ドランス……?」

 

 バックストレッチ側のコースで一番先頭を走る金色のウマ娘の体はがくんと落ちた。

 背後から聞こえる悲鳴が遠くなる程、呆然とした心持ちでその行く先を見据えた。

 

『クアドランスに故障が発生しているようです!』

 

 息、激しく上がっている。あれはマトモに呼吸すら出来ていない。

 

 脚、右足の踏み出しで体が大きく傾いてはなんとか戻してを繰り返している。

 

 体、フォームもなっちゃいない。なんとか、必死に前へ走ろうとしている。

 

「やめてくれ……」

 

 ぽつり、星が呟いた。

 何が起きているのか分からない。それでも、クアドランスは故障が発生しても走るのを止めない。

 

『一番クアドランス、落ちていきます!』

 

「クアドランス、やめてくれ」

 

 

 

 ――それ以上は命の危機に関わる。

 

 

 

 誰の目でも明らかな、クアドランスの現状だった。

 今まで見せていた走りはどこへやら。失速し、抜かしに抜かされていく。

 

『大きく変わって、七番ルックキャットが先頭になりました。六番ケイブが後ろを取りまして、外に五番ラディフェイン。着実に足を勧めています二番ハーゼルヌス、大きくバ群に埋もれて一番クアドランスはここに。徐々に先頭とのバ身差を詰めていきます三番ヨシマサボーイと八番メランコリーレター。追従して九番パーシモンオレンジ、かなり下がりました四番チョッコラートを追い抜いていきます十番センニンギリ』

 

 無情なまでに側を通り過ぎていく。土煙が彼女の体を隠す。――それさえ苦しいのか、咳き込み始めた。

 その姿を後目に大型のビジョンは先頭を走るルックキャットを映す。

 

「たのむ、だれか――……」

 

 星の眼から涙が落ちていた。今すぐにでも彼女の元へ走っていきたい、安静にさせて、救護隊を――。

 ふらり、と星の体が前に出ようとした瞬間だった。

 

『第三コーナーへ入ってペースが上がっていきます。三番ヨシマサボーイが二番ハーゼルヌスを抜いてウチを突きました』

 

 位置を上げてきたセンニンギリがクアドランスの近くまで来ると速度を落として、――その肩を掴んだ。

 

「――ッ!」

 

 へろへろとしたチョッコラートが抜けると、センニンギリはクアドランスを介抱する姿があった。

 ラチに上体を預けさせ、軽く頬を叩きながら足の膝をやや浮かせた状態にして。

 

 ――立ち上がる。

 

『九番パーシモンオレンジ、外からぐんぐん上がってきた!』

 

『リードしていた先頭集団に後方集団が追いついたようですね』

 

『ルックキャットがスタンド前直線へ戻ってきました! 後続は――』

 

 

 

『――ああっと十番センニンギリ、すさまじい! すさまじい勢いだ!』

 

 

 

 もうとっくに先頭で競り合う者たちは最終直線にいて、その後ろの集団は最後尾すら第四コーナー途中の位置にいて、センニンギリは未だに第三コーナー手前のバックストレッチにいる。

 最後方とセンニンギリとの間にあるのは距離にして400m弱。もう挽回は難しい。

 だが、そんな差が無いように、――たったの一歩で済むと言わんばかりだった。

 

 目を疑った。

 

 瞬きした瞬間に、センニンギリの姿は最後方のチョッコラートに迫っていた。

 

『何が起こったのか!? 十番センニンギリがシンガリから一気に上がってきました!』

 

 センニンギリは大外からやってきた。内ラチ側で競う集団との間は一人分空いている。

 外ラチスレスレの走行。大外ぶん回し。――信じられないまでの走りだった。

 

 どこかで甲高い音が聞こえるも、その走りは鈍らない。

 それどころか彼女の前を走るウマ娘たちのペースが大きく落ちていった。

 

『先頭はルックキャットでゴール! 続いてヨシマサボーイ、ケイブ、パーシモンオレンジ!』

 

 ルックキャットの後はヨシマサボーイ、ケイブ、パーシモンオレンジがゴール。

 そこからかなりの差が開いている。スパートしたものの、スタミナが切れている様子を見せるウマ娘もいた。

 

 ハイペースになる最終直線がスローな展開を見せる中、黒白の影が高遠たちの前にやって来た。

 

 体の中心から全てを掌握されるまでの鋭い視線が――星と高遠に合わせられた。

 

 視線は嫌でも顔に向かう。

 

 

 

 え ぴ ぺ ん

 

 

 

 そう、確かに唇が紡いだ。

 

()()()()……、――まさかッ!」

 

 星はその場から抜け出し控室へ、高遠はスマホを取り出していた。

 事態は()()()()()()()()と分かった。――そう彼女から伝えられた。

 

『五着はセンニンギリです!』

 

 静かな拍手と共に残りのウマ娘たちがゴールし、レースが終わる。救護隊は迅速に動き出してクアドランスの元へと向かっていた。

 

 ――電光掲示板には七、三、六、九、十と数字が上から並んで、その上には()()と出ていた。

 

『お知らせ致します。川崎競バ第十レースは、向正面で一番クアドランス選手が競争を中止した事について審議を致します』

 




ハーゼルヌス
オリウマ娘。ドイツ語でヘーゼルナッツ。船橋所属で六番人気。かなりスタミナ削られて板外に。

ヨシマサボーイ
第34回全日本2歳優駿(当時の表記では全日本三才優駿)の優勝馬。これといって情報を探せなかったけど出したかった。船橋所属で二番人気。

チョッコラート
オリウマ娘。イタリア語でチョコレート。川崎所属で九番人気。差しだったが、直前の戦法変えで勝利を狙おうとして撃沈。最下位になった。

ラディフェイン
オリウマ娘。フランス語でしなびた大根。大井所属で三番人気。先行だがクアドランス対策で逃げを選択。

ケイブ
オリウマ娘。英語で洞窟のケイブ(cave)。大井所属で八番人気。元より逃げだった。

ルックキャット
オリウマ娘で出番は二度目(折り返しの新バ戦)。浦和所属で四番人気。先行だったが逃げを選んで大変な目に。

メランコリーレター
オリウマ娘。英語で憂鬱な手紙。川崎所属で七番人気。先行だったが思ったより直前逃げ戦法共がいたので様子見で差しにした。六着。

パーシモンオレンジ
オリウマ娘。オレンジの色の種類。大井所属で五番人気。機会をうかがっていたらハプニング発生してて「こわ……」となった。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告