夕日の沈みかける海辺。アストンマーチャンとそのトレーナーが二人で寄り添いながらその場所を去っていく。彼女たちは、自分たちの居るべき場所へと帰っていくだろう。
それを見届ける、星飾りのウマ娘。その脚は半分ほど、海の中に沈んでいる。浅瀬で寂しくも、安堵した顔でマーチャンたちを見送り。そして星飾りのウマ娘は「やれることが終わった」と。
そして、夕日が沈むのと比例するように、ウマ娘も海に吸い込まれていき――
「あー、もういたいた。まさかほんとに海に居るなんて」
「――え……?」
ウマ娘は素っ頓狂な声をあげた。いつの間にかそこに、浜野がいたのだから。そして浜野が、やはり自分に気づいていることさえもおかしなことだと、なおさら困惑した。
「え、先生……? な、なんで、ここ、に」
「『海に行く』って行ってたのはあなたじゃないの。ほら、落とし物。渡したくて」
浜野はポケットから星のペンダントを取り出す。星飾りのウマ娘の落とし物と思わしきそれを、律儀に届けに来たのだと。
「あ、それ、いつの間に……それ、だけ?」
「それだけだったんだけど。でもそれだけじゃなくなったわよ。ダメよ、今の時期も海はまだ冷たいんだから。海水浴なんて風邪ひいちゃうわ」
「え、いや、その、私は、海に……」
「ダメダメ。保健室の先生として見過ごせません。ほら、早く学園に帰りましょ」
浜野はまるでおかしなことが何もない、日常的な反応で、星飾りのウマ娘の手を握り、海を後にしようとする。あまりに急な展開にウマ娘はさらに困惑し、浜辺へと引き上げようとする浜野についつい抵抗してしまう。
「だ、だめです。私、もう、呼ばれてしまっているの、で……っ。わたしが、マーチャン様の、代わりにっ、海へ……っ」
「なら、なおさらじゃない。さっきマーチャンも学園に帰っていったし。あなたのこと待ってる人いるでしょ?」
「だから、その。私――え?」
「うわっ、やばっ――ひゃああ!」
海に脚を着けながら小競り合いをしていると――風もなく、先ほどまで穏やかだった海に、なぜか急な大波が押し寄せ、二人はそれに押し流されてしまった。
あまりに唐突、まるで自然が故意にそうさせたように、二人は浜辺に打ち上げられ、ずぶぬれの状態で起きる。
「ぇぇぇ……な、なんでぇ……?」
「あはは……ごめん。私、なんていうかその、海に嫌われてるのよね」
浜野はずぶぬれのまま立ち上がり、ウマ娘に歩み寄った。
「昔からこうなのよ……。海で泳いでたら波に攫われて浜辺に打ちあがるわ。クラゲに脚を刺されて溺れかけたと思ったら潮の流れで漂流して無人島に打ち上げられるわ。挙句に漁師船の網に引っかかって捕獲されるわ。泳ぎが苦手な上に、なんかこう、海から追い出されるのよね……物理的に。まさか巻き込んじゃうとは」
「な、なんですか、その、希少スキルはぁ……」
ギャグみたいなツッコミをしてしまうウマ娘。浜野はそのウマ娘に手を伸ばす。その表情はギャグやジョークではなく、真面目で、優しい顔だった。
「ほら、立って。帰りましょ」
だが、やはりウマ娘はその言葉に答えない。浜野の差し出された手を握らない。ためらうウマ娘は、まだ海の方を見つめる。夕日がもうすぐ沈みそうだ。
「――ダメ、です。私、呼ばれて、ます」
「無視しましょうよ、そんなの。海に行っても、風邪ひいちゃうだけよ」
「さよなら、しないと、いけない、です。それが、私の――」
「『さよなら、なんて、言わせない』」
ウマ娘は、浜野のその言葉に、殴られたような顔で見上げた。
「リベンジ、しなきゃ。あのレースにも。……アストンマーチャンにも」
「ぁ……」
ウマ娘は思い出す。あの日、最後のレース。とんでもないミスをしてしまい、負けた。後悔したあの日の夜。そこから起きた翌日の朝――そのウマ娘は、世界から突然、忘れ去られた。
彷徨い続けたウマ娘は、波の音に誘われ続けた。だが、ウマ娘にはやり残したことがあった。それは、同じく、海へと誘われているアストンマーチャンを引き留めること。
それを果たした今、星飾りのウマ娘は後悔もなく、海へと消えていく。そのはずだった。もう、このウマ娘を覚えているのは誰もいなくなったのだから。そのはず、だった。
「トレーナーさんも待ってるわよ。早速明日から、次のレースに向けて対策を考えないとって」
「ぇ……トレーナー、さん、が……?」
「トレーナーさんだけじゃないわよ? あの日のレース関係者の人たちも、相当あなたのこと心配してたし」
「え……? え……?」
そんなはずはない。星飾りのウマ娘は、泣きそうな顔だった。あの日の朝、「あのレース」の次の日から、星飾りのウマ娘は、忘却の中にいたはずだった。それに絶望していた、せめて自分みたいにならないよう、アストンマーチャンを助けることだけが使命だと思っていた。
自分に『続き』があるだなんて、思いもしてなかったはずなのに。
「わたし、また、走れます、か……? わたし、まだ、走っても、いい、の、ですか……?」
「あなたが『さよなら』って言わない限りはね」
浜野は、優しくそれに答えた。
「あなたは、私とは違う。みんな、あなたを忘れたくないのよ。きっと、マーチャンも」
その言葉に、ついに感情と自制心、我慢が決壊した星飾りのウマ娘。波に濡れ、涙かさえも分からない何かを顔から拭いつつ、浜野の手を握り、立ち上がった。
◇ ◆ ◇ ◆
≪秋のG1戦線! そのスタート、電撃6ハロン、スプリンターズステークス!! 前回覇者のアストンマーチャン、連覇が期待されています!!≫
≪今年のレースでは、出走前検査を例年の規定よりも慎重に行っている最中でございます。出走までもう少々お待ちください≫
夏の終わり、秋の始まり。今年もスプリンターズステークスがやってきた。前回勝利したアストンマーチャンも、パドックにてストレッチをしながらスタートを待っている。トレーナーの「いってらっしゃい」を胸に、今回も当然勝つ気満々の意気込み。
つい先日、アストンマーチャンのURA公式マスコット発売決定の報が発表されたこともあり、観客のマーチャン熱は最高潮を迎えていた。間違いなく、短距離レース界のマスコットして人気上昇中である。
その背中を、憧れと、強い闘志を持って見つめるウマ娘が一人居た。
「――マーチャン、様」
「え? おや、あなたは」
ヘッドホンと星飾りを着けたウマ娘は、身体がかすかに震えながらも、強いまなざしでマーチャンと視線を合わせた。このレースの二番人気。間違いなくアストンマーチャンのライバルの一人だ。
マーチャンは、立ちはだかった彼女の姿を見て、小さく笑みを零しながら、まっすぐな目で見つめ返す。
「よかったのです。また、あなたと走れますね」
「……覚えてて、くれた、ですか?」
「マーチャンは、物覚えが良いので。覚えてます。一年前、背中に感じた、あなたの息遣い」
マーチャンは、丁度一年前、同じ舞台での記憶を想起する。逃げ切るアストンマーチャンを追いかける、そのウマ娘の強い眼差し。激しい足音。それは確かに、マーチャンの脳裏に刻まれた、確かな記憶だった。
「マーチャンは、今日も負けません。スーパーウルトラマスコットとして、あなたに勝ちます」
マーチャンは笑顔を崩さなかった。だが、その言葉の節々から、覇気を放っていた。穏やかな口調はいつも通りであるはずなのに、その言葉は強かった。
だが、マーチャンのトレーナーなら気づいたかもしれない。そのマーチャンの様子は、どこか楽し気で、喜んでいたと。
「――わたし、また、あなたと走れて、よかった。今度は……背中、追い越します」
星飾りのウマ娘は、少し不器用な笑い方で、それに応えた。
これは、ウマ娘二人が、夢に描いた、夢のような、夢でない本当のレース。誰も忘れられない、最高のレースになることを、二人は確信していた。
二度目の伝説が、幕を開ける。また会えたこの日を忘れないために。