トレセン学園保健室だより   作:サンアディユ

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あなたは青い薔薇(ライスシャワー編完)

≪淀に、青い薔薇が咲きました! 淀の坂を超えて、ライスシャワー一着です!!≫

 

 

 その日、京都レース場――宝塚記念で、ライスシャワーは華々しい勝利を飾った。そして観客席には、白いワンピースを着た私服の浜野も居たのだった。

 

 

「浜野さんもいらっしゃったのですね」

「そういうたづなさんも。珍しいですね」

 

 

 レース場現地に、浜野やたづながいることはとても珍しいことであった。特定のウマ娘に肩入れをするのは好ましくない、という学園関係者としてのスタンスで、二人はあまりレース場に自分から行くことが少ない。

 だが、たづなは今回、宝塚記念の京都開催の件で関係しており、スタッフ側の立場で現地に赴いていたのだった。

 

 

「ライスシャワーさんの件、ほんとうにありがとうございました。トレーナーさんも、大層感謝されていましたし」

「あー、うん。すっごい頭下げられちゃった。義理堅いところ、なんとなくライスちゃんのトレーナーさんっぽいっていうか」

「うふふ。同感です。浜野先生は、ライスシャワーさんの応援に?」

「まぁ、そんなところ。あの子たちの応援というか、様子、見ておきたかったし」

 

 

 浜野に関しては、応援する――よりかは、怪我をしないでくれという祈りに近いものであったが。ライスの願いにより、練習後のアフターケアや、マッサージを入念にはしたものの。一番の不安要素は「下り坂」であった。

 高低差があり、急激である京都レース場の坂。第三コーナーあたりのそここそが、ライスシャワーのある意味山場である、と浜野は経験則で考えていた。特に怖いのは下り坂である。山登りでも、「登るのはそうでもない、下山こそが危険なのだ」とよく語られる。力む登坂も危険ではあるが、何よりその後の長い下り坂こそ、負担も大きく、何より油断する場所なのだ。登坂半ばからの下り坂でスピードを上げる、ライスシャワーの作戦であればなおさら。

 そしてその下り坂を無事走り過ごしたライスシャワーの姿を見たとき、安堵でやっと浜野は肩の力を抜けたのだった。一足先に勝利の確信を覚え、遅れて観客席はライスシャワーへの歓声に包まれたのである。

 

 

「『下り坂には特に気をつけろ』って言っておいて正解だったわ。はぁー……よかったぁ」

「養護教諭としてのお仕事、お疲れさまでした」

「んー……そうね。ある意味、お疲れさまってところね」

 

 

 何か含みのある言葉に、たづなは首をかしげる。浜野の目線は、祝福を浴びるライスシャワーら――ではなく、最後尾のウマ娘を見ていた。

 

 

 

   ◇   ◆   ◇   ◆

 

 

 

 宝塚記念の翌日。放課後、ライスシャワーは保健室へと向かっていた。手には紙袋、中身は菓子折りと、小さなフラワーアレンジメントである。レース後、トレーナーと二人で浜野には大層に礼を伝えた。が、ライス個人でさらに感謝を伝えたい、と思ったのだ。青い薔薇のフラワーアレンジメントを大事そうに抱えて、保健室の前に到着する。

 

 そして扉に手をかけようとした時、保健室から話し声が聞こえてきた。

 

 

「(あっ。お仕事中、かな。また後でにしたほうがいいかな……?)」

 

 

 とはいえ、生ものであるフラワーアレンジメントだ。今日中に渡しておきたいのもあり、保健室の前で待つことにした。

 しかし、聴力範囲に優れたウマ娘だ。わざとではないが、つい保健室の中の声が聞こえてきてしまい、そこに耳が向けられる。

 聞こえてきたのは、浜野の声と、ウマ娘の声だった。

 

 

「――それじゃあ、ほんとに、昨日の宝塚記念で最後になっちゃうんだ」

「うん。トレーナーとも、話し合って決めたから」

 

 

 それが聞こえたライスに、その話から耳をそらすことはできなかった。

 

 

「それじゃあ、やっぱり……」

「うん。屈腱炎、昨日のでぶり返した。言ってたでしょ、浜野先生も」

「レースで無理をすれば、屈腱炎再発はほぼ確実。それに、前と同じように走ることも――」

「先生に言ってた通りだったよ。走って、走って。身体が悲鳴をあげて。結果、ビリだし。終わった後に思った。『あーあ、言ってた通りじゃん』って。全部その通り過ぎて、もう悔しいって気持ちも湧かなかった」

「タイシンちゃん……」

「前なら、悔しくて仕方なかったはずなのにさ。……気持ちも、前と変わっちゃったんだなって」

 

 

 名前を聞いて、ライスの脳裏に、その日のことが浮かび上がった。宝塚記念、十七人出走の十七着。確か、そのウマ娘はナリタタイシンだったこと。そして、名前も出てきたそのウマ娘――ナリタタイシンが、保健室にいるのだと理解した。

 

 

「――ありがと、先生。無理、叶えてくれて」

「……私は、礼を言われる覚えもないわよ」

「ううん。あたし、走りきれたから。ビリでも、さ。ちゃんとゴールできたし。トレーナー以外の周りの奴ら、全員『もう限界だ、やめておけ』って散々言ってたけど。先生はさ……トレーナーと一緒に、頑張ってくれたから。最後のレース、走り切れるように」

 

 

 ライスは再び、記憶が呼び覚まされる。浜野が、あの日、語っていた言葉が脳裏に響く。

 

 

『私の仕事は、『みんなのやりたいことをやり続けてもらいたい』って。そう思ってるから、養護教諭になったのよ。まぁ……それだけじゃない、ってのが難しいところだけどね』

『絶対、無事に走りきること。ちゃんと、帰ってくること』

 

 

 「続けること」だけが望みではない。最善の形で「終わらせること」も、浜野の仕事の一端なのである、と。ライスの祝福の裏には、走るだけで精一杯だった誰かが、終わりを選んでいたことを。その現実が、ライスの背中に突きつけられたような感覚。小さく冷たい刃が、まるで背中をつつくような感覚が、ライスの血を冷たくしていく気さえした。

 

 

「だから、ありがと。それだけだから。それじゃ」

 

 

 そして、保健室の扉が開こうとするのも、ライスには気が付けなかった。不意に開けられる保健室の扉、ライスは青ざめた顔で、そのウマ娘――ナリタタイシンと鉢合わせになったのだった。

 

 

「ぁ……」

「ん。あれ、アンタ――あ、ごめん。先生に用事? 邪魔したね……ん? あー……」

 

 

 ライスの様子がおかしいことに気づいたタイシンは、すぐに「話が漏れていた」ことを察した。それに謝ることや言い訳すら言い出せないライスは、気まずそうな顔で俯いてしまう。タイシンはそれに小さく溜息ひとつ吐いて、向き直った。

 

 

「つまんない話、聞かせて悪かったよ。その、さ――」

 

 

 ライスはタイシンの言葉に耳をそむけたくなった。自分の最後の引退レース、それを無慈悲な結果で終わらせた相手。今年の宝塚記念の事情や経緯もあり、散々に囃し立てられ、引退の話題すらかき消した相手。ライスに対し、タイシンはどのような恨み言を思っているのか、その不安にライスはおびえていた。

 だが、タイシンの言葉は思わぬものだった。

 

 

「ありがと。昨日のレース、勝ってくれて」

「――ぇ……?」

 

 

 タイシンは戸惑うライスに、恥ずかし気な表情で語り始める。

 

 

「その、アンタ、さ。菊花賞の時とか、天皇賞の時とか。アンタ、色々あって、散々周りから言われてさ。でも、アンタ、ずっと走ったしさ。……それで、昨日、勝ったじゃん」

 

 

 タイシンは、晴れ晴れと笑った。

 

 

「しょーじき、アンタが勝ってくれて、気持ちよかった。スカッとした、清々した。勝ったはずなのに、散々文句言ってくれた奴らに負けないでさ、気持ちよく勝ってくれて。内心『ざまーみろ!』って思った。最後のレースでさ、気持ちよく負けさせてくれたんだ、アンタが」

 

 

 タイシンはライスの肩を優しく叩いた。それに呼応して、ライスの表情も、驚きと暖かい何かに解されていく。

 

 

「青い薔薇、か。似合うね、アンタに」

 

 

 ライスの抱える青い薔薇のフラワーアレンジメントに小さく微笑んで、タイシンはそれを背にその場を去っていく。タイシンの背を見て、ライスは「何かを伝えないと」という義務感を感じた。放つように、口を開いた。

 

 

「た、タイシンさんっ! ライス……ライスは、咲き続けるから……! タイシンさんを、後悔させないために――!」

 

 

 タイシンは振り向くことなく、その言葉に手を振り答えていた。

 

 

 

   ◇   ◆   ◇   ◆

 

 

 

「タイシンちゃんはね、故障とか、体調不良が続いてて。限界が近づいていた。どの競技ウマ娘にも、終わりは来るものだから」

 

 

 保健室にライスを迎え入れた浜野は、お菓子をつまみながら語ってくれた。ナリタタイシンの今に至る経緯、そして引退レースを走りきるためにしてきたこと。勝つどころか、走りきることさえ怪しく、競争中止さえありえたことも。

 ライスはその話に影を差しながらも、悲観をしないように聞こうと耳を傾けていた。それを悲観することこそ、タイシンへの非礼だと思ったからだ。

 

 

「宝塚記念が、京都で開催されたことも――奇跡みたいなもの、だったと思います。タイシンさんにも、何か、奇跡が起これば。もっと、走れたのかな……?」

 

 

 ライスの漏らした言葉に、浜野は肯定とも否定とも取れない顔だった。

 

 

「うーん、それはちょっと違う、かも」

「……奇跡が起きても、タイシンさんは、ダメ、だったんですか?」

「それも厳密には違うかな。私はね――みんなが元気に走り切れることは、すべて奇跡の連続によって成り立つものだと思うんだよね。言ってみれば、この世のすべては、奇跡によって構成されてるって考えてるんだ」

 

 

 突拍子もない浜野の言葉なはずが、ライスはなぜかそれにはっきりとした反論が浮かばなかった。

 

 

「それは――ライスが、宝塚記念で勝てたことも、ってこと?」

「私はそう思うよ。ライスちゃんが努力を続けられたこと。努力が実ったことも。ライスちゃんが無事に走りきれたことも。人がそう認知できないだけで、ありえない確率による、ありえない奇跡だと思うんだよね。だから、タイシンちゃんがゴールできたことも、奇跡で起こったことなんじゃないかなって思うの」

「不幸じゃなくて、走りきれたことが、奇跡……」

「みんながしっかりゴールできること。それはね、当たり前っていう奇跡なんだと思う」

 

 

 浜野は、夕方の窓を遠い目で眺める。いつかあった日を思い出すような顔に、ライスは踏み入れられない複雑な感情を汲み取った。

 

 

「ライスちゃんは、その奇跡をどうか、信じ続けてね。だから、タイシンちゃんは言ってくれたんだと思う。『青い薔薇がよく似合う』って」

 

 

 夕日は、青い薔薇とライスシャワーを照らしていた。

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