トレセン学園保健室だより   作:サンアディユ

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グラスワンダー編
浜野さんとグラスワンダー


 

 「保健室の常連」と聞いて、人は何をイメージするだろうか。通常の学校でいう保健室の常連と言えば持病持ち、あるいは不登校気味の生徒であろうか。

 しかし、夢見るアスリート集うトレセン学園では事情が異なってくる。普通の人間と比べ、より多く怪我や病気に悩まされるのがウマ娘である。そうしたウマ娘たちが集まるトレセン学園の保健室には、大きな悩みを抱える「保健室の常連」が集まってくる。

 

 彼女、グラスワンダーもまた「保健室の常連」の一人だ。

 

 

「んー、右足は?」

「痛みはございません」

「筋肉痛は?」

「今はそれほどでも。対策も、ぬかりないと思います」

「まだマシな状態、なら喜ぶべきなんだけどねぇ。養護教諭としては」

 

 

 スペシャルウィークやセイウンスカイをはじめとする「黄金世代」。グラスワンダーもその世代の一人であり、朝日杯や宝塚記念などを勝利した、文句なしの名ウマ娘だ。

 だが彼女は、世代の中でも一際「難しいウマ娘」である。クラシック期から数多の怪我や体調不良に見舞われ、幾度もそれを乗り越え、重賞レースを勝利してきた。その姿に世間では「不死鳥」と呼ばれる。あらゆる意味で「強い」ウマ娘である。

 だが、彼女は今、今までで最大の絶不調期を経験していた。

 

 

「明確な原因は不明。だけど、今までで一番、走れなくなってる、かぁ」

 

 

 グラスワンダーが何かしらのアクシデントを被る度に、浜野は養護教諭として色々とケアをしてきた。骨折した時は装具を選定し、筋肉痛がひどい時期は針治療も講じたこともあった。夏合宿の際は暑さに弱いグラスワンダーに、半ば付き添いでサポートをしたことも。

 この学園内では、専属トレーナーの次に彼女を熱心にサポートしてきたであろう浜野だった。が、そんな彼女でも、グラスワンダーの最近の不調に関しては頭を悩ませていた。

 

 

「トレーナーさんはなんて言ってたの?」

「トレーナーさんにも、今回のことは心当たりもないらしく。ですが……昨年の有馬記念。その直後から、私の走りに、明確な『揺らぎ』が生じるようになったのは、感じていました」

 

 

 前回の有馬記念で勝利したグラスワンダーであったが、その直後のトレーニング時から異常は生じ始めたらしい。春に向けた模擬レースでも全敗を喫し、先日の日経賞では、圧倒的な支持を得ながらも6着という結果。レースだけの不調、ではなく、普段の練習からも走り方がおかしくなっているらしい。

 だが一番の問題は戦績の悪化ではなかった。過去にも、怪我や不調がきっかけでレースに負ける、あるいは出走前に中止することさえよくあった話だ。しかし今回の件では、その原因らしい原因が見つからなかったのである。

 かかりつけの病院でも検査上では問題なし。疲労が残ってしまっているためか、と言われたが、グラス本人はその診察にも納得しきれずにいる様子だ。

 

 

「それで――グラスちゃん。今日の本題は?」

 

 

 浜野は一通りの話を聞き終えて、真剣な眼差しでグラスに問うた。然るべき検査を受け終えている以上、今更に養護教諭の診察を受ける理由も少ないだろう。浜野は最初から理解していた。グラスワンダーには浜野に特別な相談があることを。

 さすがに、数年来の付き合いである。グラスもその問いに「話が早い」と淀みなく答えた。

 

 

「単刀直入にお聞きします。――10月までに、調子を戻すことは可能でしょうか」

 

 

 

   ◇   ◆   ◇   ◆

 

 

 

 浜野はカレンダーをめくり、数秒、思考する。10月のカレンダーを見て、小さく溜息を吐いた。

 

 

「ロンシャン、かぁ……」

 

 

 グラスワンダーが語ったこの後の展望。それは、10月の海外遠征――凱旋門賞挑戦のビジョンであった。日経賞と天皇賞(春)に出走した後、フランスへ出発。長期遠征による調整を重ねた後に、凱旋門賞へ挑戦する。これが去年末時点でのプランだと言った。そう、有馬記念勝利後に思案したであろう、グラスワンダー陣営の「理想的な」計画。

 しかし現在では事情が異なる。海外どころか国内のレースでも勝利が難しい。加えて、グラスワンダーの身体は、様々な意味を含み「難しい」のだ。

 

 

「洋芝は、日本の芝より荒々しい。日本の2400m、フランスの2400m、この二つには決定的な壁がある。――凱旋門賞に出走したウマ娘が、直後の怪我により引退したケースなんていくらでもある」

 

 

 勝てるかどうか、の問題ではない。グラスワンダーの凱旋門賞挑戦は、競技ウマ娘としての寿命に致命打を与える可能性が高かった。今の崩れた状態ではなおさら。このままの状態で出走すれば、ほぼ間違いなく、現役を続けられる事態ではなくなるだろう。

 当然、質問したグラスワンダーもそれを承知の上で浜野に聞いただろう。浜野も包み隠さず、先述の説明を述べた。だが、グラスワンダーはそれに動じず「承知しました」とだけ返し、保健室を去っていったのだ。

 グラスの問い、それは確認でしかなかった。

 

 

「あくまで私の意見を聞いただけ。……やめるつもりがないのよね、きっと。あの子、凱旋門が最後になったとしても、そのつもりで」

 

 

 どの競技ウマ娘にも、全盛期と衰退期の問題が付きまとう。グラスは感じているのだろう。おそらく自分は衰退期に向かいつつあること。それを踏まえるに、今年がおそらく、凱旋門賞挑戦の最後の機会であることを。競技ウマ娘の活動時期は3年から5年が目安という通説もある。彼女に、あと一年は待てない、という確信を持っている。その証明に、今年に入ってからの戦績が現実を見せつけているのだから。

 友人思いである彼女、そして苛烈な闘争心を秘める彼女は、凱旋門賞への理由をこう述べるのだろう。

 「友の仇討ちである」と。

 

 

「――先生? せんせー?」

「はえ? あっ、ライスちゃん? いつの間に?」

 

 

 思考に意識がのめり込んでいた内に、保健室に訪ねてきたライスシャワーに気づけなかったようである。ライスの腕には、小さなフラワーアレンジメントが抱えられていた。何かの縁か、ライスはナリタタイシンから教えてもらったアレンジメントを趣味で始め、定期的に保健室に飾るのが日課になっていた。今では、先生と生徒、というよりは、友人に近い関係として、ライスが浜野に懐いてる

 

 

「ご、ごめんなさい! ノックしたけど、全然反応なかったから、これだけ、置いておこうかなって思って」

「あー……もうこんな時間だった。ぼーっとしちゃってたわ」

 

 

 物思いに深けっていた浜野は、もう夕食も近い時間になったことをやっと気づいた。いつもと少し違う様子な浜野に、ライスは当然気にかかっているようだ。

 浜野は時計、そしてライスの顔を往復で見やり、何か決めたようである。

 

 

「ねぇねぇライスちゃん。夜ごはん、どうするか決まってた?」

「ふぇ? ごはんは、いつも通り食堂で食べる予定だったけど」

「よかったら、ごはん一緒に食べない? もちろんおごり!」

「えぇ!? そ、それは嬉しいけど、外出届、出してないし……」

「だいじょーぶ、私の付き添いなら、それなりに融通効くのよ? 病院とかの付き添い、っていう場合もちょくちょくあるからね。これ、保健室の先生だけの裏技」

「おぉ……! うらわざ……!」

 

 

 ダメ押しに、と浜野が「豚骨ラーメントッピング全盛」と囁いた頃には、ライスもすっかりその気になったらしく。二人は暗くなりかけた外へと出かけて行った。

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