トレセン学園保健室だより   作:サンアディユ

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均しき喜びをあなたに(グラスワンダー編完)

 四月末の保健室。天皇賞(春)のレース結果を伝える新聞には、大きく「テイエムオペラ―」の名前が飾られていた。ライスシャワーはその新聞をグラスに見せつける。先日語ったライスの言葉、その意味をグラスは理解する。

 

 

「オペラオーさん……噂には聞いていましたが」

「京都記念に、阪神大賞典。そして天皇賞。宝塚記念の出走も公言してる。間違いなく、一番のライバルになると思うの。グラスさんは……有馬記念で走ったことあったよね?」

「ええ。あの時も、私とスぺちゃんに続いて3着。その頃から、間違いなく実力のあるウマ娘だと認識していましたが。先日の天皇賞、映像を見る限り――有馬記念の時よりも、明らかに強くなっています」

 

 

 宝塚記念だけでなく、概ねの主要G1レースの出走を発表。さらには記者会見で堂々と年中無敗のグランドスラムを宣言していたほどだ。それに手が届きかねないことを、強さによって証明しつつある。

 間違いなく、今一番勢いがあるウマ娘。そして、グラスワンダーの目下の好敵手、あるいは標的と言えよう。

 

 

「オペラオーさんに勝つには――普通の練習だけだと、ちょっと厳しいかも。オペラオーさんは、そもそもの基礎能力が高くて、それに勝負強さもある。こう、『絶対競り勝つ』っていう、気持ちが誰よりも強いというか」

「圧倒的な勝ち方、ではなく。最後まで勝ち切る、理想的な先行の勝ち方、ですね」

 

 

 尊大な語り口調からは想像できないような、あるいはその尊大さを裏付けるように、テイエムオペラオーは誰よりもレースに実直である。基礎スペックの暴力と、そのまっすぐな勝負根性。そこに勢いが乗じれば、誰にも彼女を止められないだろう。

 だが、それにライスシャワーが「それでも」と待ったをかけた。

 

 

「グラスさんなら、勝てると思うの。去年の宝塚記念で見たような、徹底マーク戦術。それに――今のグラスさんには、ライスもいる」

「ライスさん……」

「スタミナで最後に競り勝つ先行策――これもね、グラスさんとは別の方向で、ライスに似てると思うの。だから、ライスをオペラオーさんだと思って、事前練習から徹底マーク戦術の予習をする。そうすれば、もしかしたら……!」

 

 

 先輩の宝塚記念ウマ娘として、人を導けるほどの自信を身に着けたライスシャワー。グラスワンダーはそんなライスシャワーの瞳に、今でも爛々と燃え続ける青い炎を見つけた。その青い炎で、己の闘志に火をつけることができれば。己の身体もまた、熱によって動き始めるのだろうか。まるで、炎を纏う不死鳥のように。

 グラスの脳裏には、青い炎から走り立つ己を夢想した。

 

 

「ライスはね。先生と、トレーナーのおかげで、あの宝塚記念を乗り越えられたの。グラスさんも、きっと乗り越えられるよ」

「――どうぞ、よろしくお願いします。負けませんから、私」

 

 

 グラスは、自分の心が、勝利の道へと歩み始めているのを感じていた

 

 

 

   ◇   ◆   ◇   ◆

 

 

 

≪最終コーナーに入る! 先団のテイエムオペラオーが速度を上げていく! だがその真後ろ――真後ろにグラスワンダー!! グラスワンダーが迫ってくる!! すごい脚だ!!≫

 

「まさか――グラスワンダーは終わったんじゃないのか!?」

 

 

 宝塚記念当日。観客の一人がそう叫んだ。

 

 一番人気テイエムオペラオーの支持が集まり、二番人気に押されたグラスワンダー。有識者の間では、グラスワンダーの事前戦績や、不調の噂も広まっており、グラスワンダーというウマ娘の性質を知っている人間の一部では「最盛期が終わった」「また不調期が訪れた」とも評されていた。

 とはいえ、それでもなお二番人気という結果。テイエムオペラオーも当然、超えるべき壁――黄金世代の一端として敵視しており、間違いない強敵であると事前から考えていた。

 油断はしていなかった。が、最盛期を過ぎたであろう、という推測は立てていた。それも事実だった。走り出しから中盤にかけて、その走りには全盛期ほどのキレはなかった。

 

 ――だが、終盤に差し掛かり、現場の雰囲気は呑み込まれた。

 

 

「(誰が『死に際の椿姫』だと言っていた……! この鋭すぎる闘志で、死にかけであろうはずもない……!!)」

 

 

 テイエムオペラオーは、先団の二番手から位置を上げながら、冷や汗を流していた。自分は自分のやり方を通し、勝利への既定路線を進んでいたはずだった。だが――背後に、それを許さぬ青い死神が睨んでいた。

 最終直線。確実に、じわじわと距離を詰めてくるグラスワンダーの足音。嫌というほどはっきり聞こえてくる。確かに、持ち味のキレは鈍くなっていた。だが、それを殺意――と勘違いするほどの闘志によって、グラスワンダーは末脚を加速させていく。

 オペラオーは強者として理解した。限界が近い身体を、精神によって凌駕している。加えて、この展開になるであろうことを、まるで事前に知りきっていたようだった。グラスワンダーは冷静冷徹に、オペラオーを追い詰めていた。

 

 

「(これではカルメンじゃないか……!! ハハッ――やはり世紀末からの使者! 黄金世代、超えるべき壁!! それに勝利してこそ、歌劇は完成し、歓声に包まれる!!)」

 

 

 普通のウマ娘なら、とっくに萎縮し、先頭を譲ってしまっただろうか。だがテイエムオペラオーは折れなかった。むしろ喜んでいた。世紀末覇王を自称し、それを証明する自分の歌劇(レース)に相応しい強敵の一人が現れたのだから。

 

 

「(勝つのはボクだ――!!)」

 

 

 オペラオーは歯を食いしばり、ゴールだけを見つめる。残り100mに差し掛かる。目前、隣には青い勝負服の影。息遣いのひとつひとつが聞こえる距離に隣り合うテイエムオペラオーとグラスワンダー。

 最後の競り合い、オペラオーはその言葉を聞いた。

 

 

「――御無礼」

 

 

 ――レース後、2着テイエムオペラオーはインタビューで語った。「青い薔薇の花弁に目を奪われてしまったようだ」と。

 

 

 

   ◇   ◆   ◇   ◆

 

 

 

 葉の色が変わり始める初秋。10月のカレンダーをめくりながら、浜野は焼き栗を剥いていた。放課後になる時間、保健室の扉を開くのはライスシャワーだ。

 

 

「せんせー! ……あっ! 栗だ! ずるい!」

「ふふ、そういうと思ってちゃんとライスちゃんの分もあるから」

「やった! ……って、それ、まるでライスが食い意地張ってるみたいじゃ」

「『ずるい』って言ってる時点で……ねぇ?」

 

 

 相変わらず反論のできないライスがたじろぎながらも、結局、素直に焼き栗を囲むことになる。栗を食べながら、二人が見ているのは、テーブル上に広げられた新聞であった。

 

『グラスワンダー敢闘3着 すでに次走へ鋭意を見せる』

 

 大きく見出しにされたそれは、グラスワンダーの凱旋門賞レース結果の一面記事である。

 

 

「『先頭からは3バ身差。エルコンドルパサーに続き惜しい結果となったが、グラスワンダー氏はすでに次の凱旋門賞出走の思案を公言』かぁ。グラスさん、負けちゃったけど、全然諦めてないね」

「保健室の先生としては、帰国してからどれくらい身体がガタガタになってるかが心配で心配で……」

 

 

 宝塚記念で見事結果を示し、トレーナーと共にフランスへと遠征したグラスワンダー。走りは間違いなく復調しつつあったが、身体の弱さという性質自体が根治されているわけではない。グラスワンダーは以後、凱旋門賞への出走のみに目標を絞り、年単位で身体をメンテナンスする、という約束の元で遠征に向かっていた。

 今の状態では、凱旋門賞の勝利は難しいかもしれない。だが、来年、万全に整った状態にした上で再挑戦すれば――そう踏まえた上での約束だ。

 だが、本人は今回の出走で手ごたえを掴んだらしく、インタビューではそれを示唆していた。

 

 

「『追うべき相手が見定まりました』だって。これ、来年はもっと怖くなるぞー」

「はわわっ。ら、ライス大丈夫かな……? さ、刺されない、よね……?」

「そんな刀持って追いかけるわけじゃあるまいし……え? ないよね?」

 

 

 浜野とライスは、なぜか脳内に「薙刀を持ったグラスワンダーが笑顔で追いかけてくる」イメージ映像が映し出された。

 新聞記事の写真の笑顔に、謎の悪寒を感じる。初秋の風邪だろうか、と二人は妙な勘違いをするのであった。

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