トレセン学園保健室だより   作:サンアディユ

8 / 10


※まだアストンマーチャンの実装から間もないですが、大いにネタバレが含まれます。ぜひ、アストンマーチャンの育成シナリオを読了の上、読まれることをお勧めします。強く、強く、お勧めします。





【ネタバレ注意】アストンマーチャン+編
浜野さんとアストンマーチャン


 

「浜野先生、これでよろしいでしょうか」

「うんうん。いいね。なんかそれっぽい」

「おー……お内裏様とお雛様が、ランデブーしてます」

 

 

 三月のある日。トレセン学園の保健室は、少し華やかになっていた。三段の、小さめながら立派な雛飾り。その周りには桜の枝や、春の花の押し花飾り。オーディオからはヴィヴァルディの『春』が厳かに流れ、ピンクや緑を基調とした各々の服装をした三人。

 雛飾りを飾るのはグラスワンダー。部屋飾りを監督するのは浜野。そしてそれをウトウトした顔で眺めているのは――アストンマーチャン。

 アストンマーチャン。スプリンターズステークスを勝利した、生粋のスプリンターウマ娘。一時期はウオッカやダイワスカーレットといった、現在の牝馬路線を大いに賑わせる二人としのぎを削ったこともある。彼女も、少し特殊な事情を持った、保健室の客人だ。

 

 

「ほらー、マーちゃん。起きて起きて。立ったまま寝ちゃだめよ。保健室だから横になって寝て――ちゃダメダメ! 養護教諭の悪い癖が!」

「あぅ……ただでさえねむねむマーチャンなのに、音楽のせいでいつでも眠れちゃいます」

「堪えてください。これも、浜野先生曰く『春を克服する』試みなんですから。少々お待ちいただければ、七草がゆとお団子を用意しますので」

「ありがとねグラスちゃん。グラスちゃんに頼んで正解だったわ」

「ふふ。季節としての春を楽しむのは、日本の特権ですから」

 

 

 そこそこ楽し気なグラスが手慣れた様子で、料理を用意しつつ。花見とひな祭りが一挙に押し寄せたような少しおかしな空間で、三人は七草がゆや団子、桜餅を囲んで舌鼓を打つ。団子や桜餅はグラスが贔屓にする和菓子屋で買ったもの。七草がゆは天然のものをわざわざ採取して調理した手の込みよう。味は言うまでもなかった。

 

 

「おいしい……それに、やさしい香り。なるほど。これもまた、春の匂いということですか。やはり、匂いが大事、と」

 

 

 やっと目の覚めてきたマーチャンも、関心しつつ七草がゆを一口。いつも携帯している手帳に何かをメモしながら、春の食卓を楽しんでいる様子。

 よさげな反応にグラスも一息ついて、周りの華やか過ぎる空間を眺めた。

 

 

「しかし、これは……すごいですね。浜野先生曰く、確か――『スーパーウルトラ春デラックスフェスティバル』でしたでしょうか」

「そう! どうしても春と仲良くなれないアストンマーチャンのために、限界まで春と仲良くなる計画!」

 

 

 浜野の半ばヤケクソ感さえある自信ありげな言葉に、グラスはほんのちょっぴりだけ苦笑。マーチャンは小さく拍手をしている。このヘンテコな試みというのも、アストンマーチャンのために考えたものだった。

 

 

 

   ◇   ◆   ◇   ◆

 

 

 

 アストンマーチャンには、特段、持病や怪我といったものがない。ただ面倒な体質を持っていた。それは「春の時期になると原因不明の不調に陥る」ということ。

 これを本人は「春と仲良くない」と表現している。花粉症でも、他のアレルギーでも、風邪でもなければ、精神病でもない。

 だがなぜか、動機や息切れ、不眠症、その逆で過眠症。異様な気分の低迷。風邪に似たくしゃみやせき。それらの症状が波のように押し寄せてくる。アストンマーチャンが幼少の頃から悩んできた体質だった。

 それをマーチャンのトレーナーが浜野に相談し、浜野が企てたのが上述の『スーパーウルトラ春デラックスフェスティバル』である。

 去年、マーチャンとそのトレーナーが開催した「春と仲良くなる会」。それをさらに本格的なものにしようとスケールアップしたのがそれである。要は、過剰なほどに春を楽しみ、春への苦手意識を克服すれば――というヤケクソにも近い考えであるが。

 精神的な春への苦手意識が原因ではないか、と考えている節もあるので、浜野とマーチャンは大真面目だ。そして協力を仰いだのが、日本人よりも日本を知るアメリカ育ちの大和撫子、グラスワンダーである。

 おかげで、日本の春が濃縮されたような空間が出来上がった。楽しんでいたのは事実だったが、マーチャンは小さくくしゃみをした。

 

 

「症状は、相変わらずのようですね。困りました。健康にいい七草がゆを食べれば、多少は収まると思ったのですが……」

「グラスさんのせいでは……くしゅんっ。春を、少しは好きになれました。ですが、春が私を好くかは、また別のお話だったみたいです」

 

 

 味は確かなものだったので、単なる美味しい食事会となってしまったが。マーチャンはしゅんとした顔で桜の枝を見つめながら微睡んでいく。部屋の片付けを始めたグラスを見守りながら、浜野はマーチャンとそれとない世間話を交える。

 

 

「春のたびにそうなるのは大変よねぇ。この前の高松宮記念も惜しかったし。確か三着だったでしょ」

「そう、ですね――え?」

「ん?」

 

 

 浜野はそれとなくテレビで見ていた先日の高松宮記念を思い出し、それとなく話しただけだった。が、それに素っ頓狂な声を出したのはマーチャンだった。眠気に溺れかけていたマーチャンの目が一気に覚め、何か不可思議なものを見たような顔に変わる。

 浜野はそれを気にしているのかしていないのか、世間話を続ける。

 

 

「私だって、ちゃんと生徒のレースを確認してるのよ。高松宮記念は毎年チェックしてるし。知ってる? あのレースって昔は2000mでね――」

「いえ、その……?」

 

 

 マーチャンはよくわからない顔をしていた。浜野の発言におかしな違和感を抱いているような。だがそれは確信的でもなく、むしろそう思っている自分の方がおかしいと言いたげな、複雑な顔だった。

 浜野はそれに気づいているのか気づいていないのか、特に気にしていない様子だった。マーチャンは浜野の顔をじーっと見つめて数秒後、手を叩く。

 

 

「先生は、物覚えが良いのですねー」

「ん? んー、そうかな? そうかも? 保健室に来た事ある子なら覚えてるし」

「なるほどー。マーチャンも、物覚えには自信があるのですよ」

「どうでしょうね、本当に忘れてることって、忘れたことにも気づかないものじゃないかしら」

「……確かに、一本取られてしまいました。これは論破されマーチャンです」

 

 

 マイペースながらも己の確固たる人生論を持ち、弁に長けるマーチャンも、珍しく言い負かされたらしく。「あうち」とチャーミングにリアクション。

 マーチャンはそのやり取りで思うことがあったらしく、お茶を一口つけながらぽつりと言葉を漏らす。

 

 

「ですが、そうなってしまってはおしまいです。忘れてることさえ、忘れてしまったなら――それはとても、寂しくて、残酷なことだと思うのです」

「それは、例えば『誰か』のことであれば……忘れられた誰かに? それとも、忘れてしまった自分が?」

 

 

 マーチャンの突拍子もない哲学的な質問。普通のヒトなら面食らうようなそれにも、浜野はしれっとナチュラルに返していく。マーチャンもそれに応じて静かに続ける。

 

 

「他のヒト自身がどう思うかは、マーチャンには分かりません。ですが、多くのヒトは、忘れられることも、忘れることも、悲しみます。少なくとも、私は、忘れられることが、とても、とても、とても、寂しいのです。だから、自分も、忘れられたくないと思います。自分が寂しいなら、きっと、他のヒトも『さびしい』って思うものです」

 

 

 マーチャンは、普段の穏やかな口調の中に、かすかに厳かな雰囲気すら感じさせる語り口調で訴える。

 普段のアストンマーチャンなら、ここまで多く『自分』を語ることはないかもしれない。自分のトレーナー相手でさえも、かつては異質な距離感で接していたほど。だが、マーチャンは今、特に先日の高松宮記念から妙な焦燥感を覚えていた。それが口を動かした理由の一つだったかもしれない。

 浜野はちらりと、少し離れた場所で雛飾りを片付けるグラスを見る。グラスが自宅から持ってきてくれた雛飾りを見つめながら、マーチャンに向き直った。

 

 

「それは、そうね。ほら、雛人形だって、そうじゃない。一年に一度、春の時期が来ると、ヒトはみんな一斉に雛人形(あのこたち)を思い出すでしょ。そして、久しぶりに女の子や家族たちと顔合わせをして、お互い無事に一年過ごせたねって。雛人形も、少しの間でも、思い出してくれるから、押し入れの中でも寂しくないんだと思う」

「雛人形さん……お内裏様とお雛様も」

 

 

 押し入れの中で埃をかぶりながらも、次の春を待ち焦がれる雛人形。マーチャンはその情景を他人事とは思えずに、感情が没入していた。その様は、アストンマーチャンが夢見るビジョンと合わさっていた。

 しかし、「だけど」と付け加える浜野。

 

 

「知ってる? 雛人形って、自分の子供や、他の人に譲ってはいけないんですって」

「そうなのですか?」

「うん。雛人形というのは、女の子の健康や成長を願うもの。役目としては『お守り』に近いの。女の子の災いをその身に受ける形代なんですって。だから、女の子が無事大きく成長できたら役目もおしまい。役目を終えたらしっかり供養して、自分の子供には、その子専用に新しく雛人形を用意する。それが雛人形の一生――ってわけ」

 

 

 人形が収納され、雛人形の木箱がグラスによって閉じられる。来年もグラスの手によってまた並べられるのだろうか、と浜野は見守りながら話を続ける。

 

 

「元々、『雛流し」っていう催しがあってね。葉っぱとか、藁で作った小舟に人形を乗せて、川に流すの。人形に、自分の病気や怪我を代わりに受け止めてもらってね。それが雛祭りに発展したってわけ」

 

 

 マーチャンは浜野の話に、これ以上になく、静かに没頭していた。浜野はその様子を見て、ひとつ咳払い。雑学話に時間を食ってしまった、と反省しつつ話のベクトルを舵取る。

 

 

「マーチャンは、寂しいと思う?」

「その、お人形さんたちのこと、ですか?」

「うん。川に流されたお人形、役目を終えて供養されたお人形。その子たちのことを忘れてしまうこと。これは、寂しいこと?」

「……マーチャンは、忘れたくありません」

 

 

 浜野はその言葉に強く頷く。マーチャンならそういうだろうと。その上で浜野は返した。

 

 

「私がね、仮にお人形の方だったら。私は――正直、私のこと、忘れちゃってほしいのよね」

「え――?」

 

 

 浜野の言葉にマーチャンは面食らっていた。自分では絶対に出さない答えを、他のヒトはそう言わないはずだろうと思っていた答えをカウンターされたのだ。思わず言い返さずにはいられなかった。

 

 

「寂しく、ないのですか? 浜野先生は」

「寂しくない、といえばそうじゃないけど、でもね」

「でも?」

「思い出させると、寂しがらせちゃうかもだから。そんな風に」

 

 

 浜野は笑みを変えなかった。だが、ほんの少しだけ目が寂しさを交えていた。

 

 

「思い出させることで、辛い思いをさせるなら。私は正直、忘れちゃってほしいのよ。忘れるなら、忘れていることさえ忘れてほしい。全部の思い出が、記憶が、美しいものでもないし、悲しい思い出も一緒に思い出させてしまうかも、だから」

 

 

 マーチャンは衝撃を受け、無言になってしまった。それを見た浜野も何か変なことを言ってしまったのだろうか、と「これはあくまで個人の意見だからね!」と若干慌てて雰囲気を変えた。

 

 

「あはは、ごめんなさいね。大人になると、なんかこう、綺麗な思い出だけで生きていけないことも多くて……。あなたは未来ある若者なんだから、私の言っていたことは気にしなくて結構! はい! お話終わり!」

「……いえ。お話、ありがとうございました。お内裏様とお雛様の、素敵なお話、聞けました」

 

 

 マーチャンは、哲学的な賢知を得られたことに感謝しつつ、その日はそれでお開きとなった。

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