達也は目を覚ました。
LEDライトの鈍い光が真っ先に目に入る。生物時計感覚を出来るだけ失わないよう、地上の標準時間に合わせて、ライトの光度は自動的に調整される。今は午前7時だ。抜けるような青空が懐かしい。
居住区のプライベートスペースは、日本人の感覚で言うと六畳間くらいの広さだ。防護服を装着し、部屋を出る。
モニターコンソールドームは居住区の真横にある。半透明の区画廊下の外側に、ドーム最内壁が見える。窓はない。
6つあるドームの基本的な構造は直径30メートルの半球体で、一つの容積は約7,070立方メートルとなる。これら全てを地上と同じ成分の、酸素を含んだ大気で満たすのは極めて非効率なので、居住部分は地面から3メートルの強化クリスタル壁によって区切られ、上部には窒素が満たされている。
なぜクリスタル壁を透明にしたのか、達也は知らなかったが、余り良い趣味だとは思えなかった。空調は常に20度に保たれている。
取るものも取りあえず、日課の点検に入る。原子炉パネルモニターのチェック、次いで各ドームの外水圧チェックを行う。長期間の訓練と、持ち前の機敏さの賜で、達也は考え事をしながらもモニタリング作業を半ば自動的に進めていった。
隊員12名の健康状態は全て良好。30分経てばハレックが起きてくる。ハレックは一度口を開けば、10分は休みなく話し続けるタイプの男だ。まあ、聞き流す分には大した実害はないし、この不愉快な状況下ではむしろ頼りになる人物といえる。
12名という隊員数は、基地を回す最低限の人数である。自ら、全くもって社交的ではない人物と任じている達也にとっては、人数はもっと少なくてもいいが、贅沢は言っていられない。
こんなところに自ら志願してやってきた人間たちは、どこか偏屈な部分を抱えているものだ。達也自身、自分が度外れた変わり者と考えることはあまりなかった。相当に無口である、ことを除いて。
いずれにせよ、水深5,000メートル・500気圧下という過酷な環境において、人間が正気を保てる限界などおのずと知れている。
達也はぼさぼさの頭を軽くかきむしった。何しろ身なりに無頓着だ。ここにいれば防護服を着ていられるので、服装に気を遣う必要がない。日本人にしては長躯の180センチ・60キロ前後のかなりやせぎすな達也だが、小さめの黒目と丸みをおびた鼻がやや災いし、その風貌はどちらかというと茫洋とした印象を与える。
2ヶ月前、セカンドドームの外壁亀裂が発生後3時間経ってから発見される、という事態に直面し、基地は建設以来最大の緊張感に包まれた。当時、地上本部プロジェクトルームに詰めていた達也は、その時の管制におけるやりとりを間接的にしか聞いていない。
亀裂は4ミリと小さく、メンテナンスポッドによる修復作業は滞りなく終わった。セカンドドームはまだ隔離されていないが、完全に立入禁止措置になっている。このトラブルにより、13名の隊員のうち2名が急遽地上に戻され、ドーム監視システムの全面見直しに従事せざるを得なくなった。達也は事態収拾支援を命じられ、6週間前に急遽基地に異動した。
複雑な三次元モニターを介した確認作業は、20分で終了した。モニターコンソールは作業効率を高めるため、直径20メートルと他に比べれば小ぶりな構造となっている。息が詰まる感じで、達也は最初からこの場所が好きになれなかった。
一旦居住区に戻り、簡単に朝食を取ったあと、達也は早々にモニターコンソールに戻った。外部赤外線カメラモニターを起動し、過去12時間の録画画像を高速再生させながら、外部の状況を確認する。
生態系への影響を最小限にとどめるために、可視光使用によるモニタリングは基本的に禁止となっており、赤外線が使われる。
但し、深海には赤外線に影響を受ける生物もかなりいるため、カメラには使用時間制限が設けられている。通常は1日2回・合計1時間程度だ。24時間体制で赤外線カメラを稼働させることは、特別な理由がない限りあり得ない。
まさに今、基地はその「特別な理由」に直面していた。
ワイドスコープの赤外線カメラが、基地正面のパノラマ映像を映し出す。西北西43度の方角に、“奴”が見えた。昨日と殆ど位置は変わっていない。
推定全長40メートル、高さはざっと5メートルというところか。一見小山のように見えるそれの表面は、赤外線によるスキャンでも明らかに解るレベルで、なめらかに黒光りしており、常に少しだけ脈打っていた。外部との情報を交換する器官は確認できない。
それは一週間前、基地から250メートルの地点に突然現れた。異様な外見と鈍重な動きに隊員たちは驚愕し、ハレックが直感的に呼び名をつけた。時を経ずして他の隊員もその名を使うようになり、一昨日からは本部メンバーも同じ呼び名を使っていた。
ダゴン。達也もかつて愛読していたクトゥルー神話“旧支配者”のひとつ、「深きものども」の名前だ。深きもの、確かにそうとしか見えない風貌が、赤外線カメラの向こうに広がっていた。