ダゴン発見から10日が経とうとしていた。
「異形の生命体が真横にいる」という異常事態下にあってすら、その単調な生活は耐えがたいものになってきていた。本来のミッションを果たせない焦り、いつまでこの状態が続くのか解らない不安。医師である達也自身、気が滅入るような状態に陥ることが多くなってきていた。
当直中、30分の仮眠を2回取るが、同じような夢を見る頻度が増えていた。
なぜか自分はドーム外の海底にいる。ダゴンはいない。赤外線カメラで見るような、モノクロ基調の映像が眼下に広がる。遠くにドームのような影が見られる。全ては不鮮明で、全体が脈打っているような印象だ。
達也は多頻度でカメラモニターチェックを行っている。そのせいでこんな夢を見るようになってしまったのだろう、と考えた。夢を見たあとは常にそこはかとない恐怖感に苛まれている。
達也はモニターチェックを必要最小限にするようにしたが、それでも夢は毎晩のようにやってきて、消耗度を増していった。
ダゴンの捕食シーンを観るチャンスは、突然やってきた。
5,000メートルの深海は、想定以上に生命の宝庫だった。これまでは水深1,000メートル程度までしか生息していないと考えられていた深海ザメや、各種軟体動物、節足動物、果てはごくまれに鯨類の亜種までがやってくる。
基地唯一の生物学者、アリッサはまさに狂喜乱舞していた。目にするもの全てが新種だ。新種の極めつけがダゴンだったというわけだが。
2030頃だった。夕食後、4名が任務に就いていた。アリッサが赤外線モニターを眺めながら、突如叫んだ。
「観て!」
ダゴンのおよそ30メートル上方に、深海ザメの亜種と観られる一匹が降りてきている。体長およそ7メートル。全く警戒する様子はない。それどころか、吸い寄せられるようにダゴンに近づいていった。バチスカーフが下降する時のようだ。
サメがダゴンの上部2メートルくらいに近づいたとき、突然画面が一瞬途切れた。水面上に水滴を落としたときに出来る“王冠”のようなものが見えた気がした。その次の瞬間、サメはダゴンに取り込まれていた。ちょうどサメの形にダゴンの表面が盛り上がり、そのあとゆっくりと表面が平らになっていった。砕いている感じでもない、ダゴンの内部に吸い込まれていくような感じだ。
たっぷり15分は経っているように思えたが、実際にはほんの2分程度の出来事だった。モニター前の4名は文字通り一言もなく立ちすくんでいた。
真っ先にハレックが反応した。「おい、瞬停したんじゃないか?各維持装置を至急確認するぞ」
全員で機器類のチェックを行ったが、全く異常はなかった。そもそも瞬停の事実が認められなかった。
録画されたビデオを超低速で再生すると、約0.7秒暗転している。その直後0.3秒ほどの間に、ダゴンから触手のようなものが数十本飛び出し、サメを体内に取り込んでいた。ダゴンの表面は一瞬大きく割れ、サメをちょうど取り込める大きさに膨らんだあと、まさに目にもとまらない速度で口を閉じていた。
「…食虫植物の捕食みたいね」アリッサは意外に冷静だった。技術者は専門分野のことになると総じてこういう態度になる。
後ろでガループが、問わず語りにつぶやいた。
「岩を喰ってたわけじゃないんだな、あいつ」
この光景の衝撃はかなりのものだった。小規模でもいいからサプライポッドを投入するという案は、翌日朝の討議で完全に立ち消えになった。ダゴンを刺激する行動は必要最小限でなければならない。あれだけの俊敏性を持つ生物が相手だ。
エネルギー消費量が莫大なので非常時のみの使用が認められている、基地唯一の武器・コヒーレントパルスレーザーをスタンバイする必要があるかもしれなかった。
だが、本当に隊員が驚愕したのは翌々日だった。当直に入ったイェン・クーが、モニターを見たときにそれは判明した。
ダゴンはこれまでの倍の距離に当たる、基地から600メートルのところまで移動していた。録画で移動する瞬間を確認したところ、約300メートルを5秒で移動していた。体を殆ど水平に近いレベルにまで平たくし、エイのように素早く遊泳している(赤外線カメラ越しでは、どのみち詳細に描写できるほど鮮明には解らない)。
基地の危険度は下がったように思えたが、不安はむしろ増大していた。まるで、食事をするところを見られたくないがために、ダゴンが遠ざかったように見えたのだ。当初、ダゴンがパッシブアラームの境界線ぎりぎりに陣取っていたことを、皆否応なしに思い出した。
ダゴンの行動には、明らかな「意思」が感じられた。