備忘録の中身
六月。梅雨というのは、なんとも気が滅入る。
雨の多いこの季節は、湿気が高くて髪の毛はぺたんこになるし、傘は必需品なので片手は常に塞がっているなど、文句の言葉は挙げれば挙げるだけきりがない。
昔──まだ部活動などをやっていた頃は、練習が嫌で雨乞いなんてものもよくしたものだが、今となっては遠い過去の話。
いや、そんなに遠くもないか。まだ大学生だしな、俺。
それにしても、こんな天気の日に朝から講義だなんて最悪すぎる。しかも必修科目なので、休みに休めないときた。まったく、この運の悪さはもうどうしようもないんだろうな。
遠い空より降り注ぐ、多量の雨粒に嫌気を覚えながら、待ち合わせ場所へと足を進める。
時間には少しばかり余裕はあるが、彼女のことだ。もう待っているに違いない。そうは思いつつも、この雨のせいで足が早まることはないのだが。
待ち合わせ場所へ到着すると、案の定、彼女の方が先に到着していた。
彼女は俺に気付くや否や、こちらに駆け寄ってきた。
「も~っ! 遅いですよ!」
「いや、まだ時間あるやん」
「関係ないですよ! 彼氏さんは彼女さんより先に、待ち合わせ場所に着いているべきですっ!」
「なんでだよ……」
それだと待ち合わせ時間の意味がないじゃん、という言葉はなんとか飲み込んだ。
まったく、この強引な性格は高校の頃からちっとも変わっていない。
「珍しいですね。言い返してこないなんて」
目の前の彼女──高科 奈桜(タカシナ ナオ)は、不思議に思ったのか首を傾げた。
「これは雹でも降りそうですね!」
好き放題言ってくれるが、こちらは朝から外に出ないといけないことに加え、この空模様。
テンションは地面を掘削して、マントルを通り超えて、ブラジルをも通過できるんじゃないかってレベルで低いのだ。いつものノリで付き合っていられるか。
もっとも、これを口にはしない。口にしたら最後、色々と面倒なことになるからである。
「行こう、もう」
「無視ですか?!さすがのナオっちも傷つきますよ!」
聞こえないふりをして、駅の改札口を通る。奈桜も観念したのか、続いて改札を通過した。
「やれやれ。こんな可愛い彼女さんが横にいるのに、テンション低すぎますよ」
「ああ」
「むぅ……本当に拗ねますよ? ナオっちの心は硝子で出来てるんですからね!」
「……身体は?」
「剣で出来ている」
「へー、やるやん」
ふむ……どうやら前に勧めた某アニメは、しっかり予習済みのようだ。
(こんな可愛い彼女さん……か)
横では奈桜が「どうですか?ちゃんと予習してきましたよ!」と、変わらずどや顔のまま。
そんな奈桜を見て、俺は「ふっ」と小さな笑みを浮かべた。
「あ、やっと笑いましたね。それ、いただきです!」
カシャリ──はっとして音の方向を見たが、時すでに遅し。
奈桜のスマホで、俺の間抜けな顔面が撮られた後だった。
「おい」
「別にいいじゃないですか~。減るものじゃないですし」
「減る」
「なにが?」
「やる気」
「それなら問題ないですね。ナオっちの愛情パワーで即回復ですよ!」
ニヤリと笑みを浮かべながら、奈桜は撮った写真を当然のように保存した。
こうなっては、もうどうにもならない。油断した俺の落ち度である。
俺はため息を吐きながら、いつものホームへと続くエスカレーターを登る。
ふと、後ろで奈桜が言った。
「そういえば、初めて会った日もこんな天気の日でしたねえ」
「……そうだっけ」
「えぇ、覚えてないんですか?ナオっちまたまた傷つきましたよ」
後ろは振り返らないが、ちくちくと背中に視線を感じる。
まあ、ああは言ったが別に忘れたわけではない。いや、忘れられるわけもない。
奈桜とのあれやこれやは、初めて会ったあの日から、今に至るまで俺の頭の中に備忘録として刻まれている。
でもそれを口にはしない。口にしたら最後、かなり面倒なことになるからである。
(確かに、こんな天気だったな)
そう、あれは俺がまだ、親切高校の1年生だった頃の話──。