奈桜空ルート進行中。
「信吾君、この
「……」
目が点、とはまさにこのことだろう。たぶん、今の俺の顔がそうなってると思う。
まさか、高科さんの英語の学力が、ここまで低いとは。さすがに想定外だった。
「いや、
「あー!それならあたしでも知ってますよ!」
つい先日習ったかのような物言いに、俺は乾いた笑みを浮かべた。
いったい、どこから教えればいいんだ……。
英語の小テストが、明日に迫った今日の放課後。
俺と高科さんは、教室でテスト勉強に勤しんでいた──勤しんでいるのは、主に俺だけど。
「あの、このカンケイダイメイシってなんでしたっけ?」
「えっ?」
「これですよこれ。ナオっちにはチンプンカンプンなんですけど」
「あ、ああ……それは──」
特にひねり要素もない、基本的な英文。中学の時に英語の授業を聞いていれば、簡単に解けるレベルだ。
それが分からないということは、高科さんは中学の時に、ちゃんと英語の授業を聞いていなかったということになる。
まったく、何をやっていたのやら……。
高科さんのことだから、中学の時もこんな感じだったんだろうけど。
というか、よくこの高校合格できたな。
「いや、それ違うっす」
「あれ?じゃあ、こっちですか?」
「いやいや、それは先行詞が人なんで。whoにしないと」
「せんこーし?フー?誰かの名前ですか?」
「……一から説明しないとダメそうっすね」
俺はため息を吐いて、自分のノートを開いた。
そして、一番後ろのページに、簡単なマトリクス表を書いていく。
「うわあ、きれいな字ですねえ~」
高科さんが、ノートを覗き込んでくる。
「これを見ただけでも、信吾君は頭がいいんだなって分かりますよ」
「別に高科さんだって、字はきれいじゃないすか」
目の前にある高科さんのノート。
見ると、ちゃんと板書を写せていることが分かる。まとめ方も丁寧だ。
「そうですか?それは嬉しいですよ」
ニコッと微笑む高科さん。
まあ、客観的に見てもきれいだと思う。新聞部を名乗るだけあって、そこはさすがだ。
ただ、高科さんで証明しているが、字のきれいさと頭の良さは比例しない。
俺もよく、周りから字がきれいだとは言われるけど、そこまで頭がいいわけでもないしね。精々、中の中か中の上程度だと思う。
「よし、書けた」
「なんですか?それ」
「マトリクス……まあ、簡単な表っす」
そんな教科書に載っているような表は作れないので、本当に基礎的なことをまとめた簡素な表だ。
もっとも、これが高科さんに通じるかというと、たぶん無理なんだけど。
「ちなみに、これどこまで分かります?」
念のため確認してみると、
「フッ……そんなの、あたしに分かるとでも?」
鼻で笑いながら、堂々と分からない宣言されてしまった。
そんな高科さん前にして、自然とため息が零れる。
芳槻さん。あなたの姉と思わしき方は、コミュ力と行動力に全振りしすぎて、学力が終わってるみたいです……。
しかし、教えると言ってしまった以上、放置するわけにもいかない。
せっかく表も作ったので、これだけは説明するとして、あとはテストに出そうな単語を暗記してもらって、点数を稼いでもらうしかないかな。
単語で稼げれば、たぶん二桁には届くはずだ。よし、この作戦でいこう。
「じゃあ、とりあえずやりますか……」
「なんか疲れてないですか?休憩します?」
「いや、大丈夫っす」
別に疲れてはいない。
ただ、呆れと困惑を通り越して、変に吹っ切れただけだからね……。
「もう……む……りです」
かすれた声を発して、机に突っ伏す高科さん。
かなりお疲れの様子だが、本格的に勉強を始めて、まだ一時間ぐらいしか経っていない。
とはいえ、このまま続けてもどうにもならなそうなので、いったん休憩を挟むことにした。
「休憩しますか」
高科さんが、机に突っ伏したまま頷いた。
まったく、今までどんだけ勉強してこなかったんだよ……。
俺はため息を吐くと、カバンから財布を取り出して、椅子から腰をあげた。
高科さんの顔だけが、こっちを向く。
「あれ、どこか行くんですか?」
「トイレっす」
本当は、購買に行くつもりなんだけど。
「ごゆっくり~」
やれやれ、やる気があるんだかないんだか……。
教室を後にして、購買へ向かう。
この時間は部活に励む生徒が多いので、休み時間などに比べると人が少ない。そのため、品選びも会計もスムーズに済ますことができた。
ここはレジが一つしかない上に、おばさん一人で回してるから、混むとえらい時間がかかるんだよな……。
おばさんから品物の入った袋を受け取り、足早に教室に戻る。
そして、教室のあるフロアに着いた、その時──。
「あれ? 神城君」
不意に横から声をかけられた。
その声に、俺の身体がビクッと反応する。声のした方向に目をやると、そこには芳槻さんが立っていた。
なんというタイミング……。
そのまま、こっちに歩み寄ってくる芳槻さんに、俺は軽く頭を下げる。
「うっす」
「まだ校舎にいらしたんですね」
「まあ……ちょっとテスト勉強してて」
「テスト勉強ですか?」
首を傾げる芳槻さんに、明日のテストについて話す。
「明日英語の小テストがあるんで、その勉強っす」
「な、なるほど……」
ふと、芳槻さんが目を伏せる。会話も止まってしまった。
(あれ、どうしたんだ……?)
なんともいえない気まずい空気に、苦笑いを浮かべていると、
「あ、あの!」
突然、芳槻さんが口を開いた。
その勢いに、身体がビシッと引き締まる。どうも芳槻さん相手だと、まだ緊張が取れないな……。
すると、芳槻さんは目を伏せたまま、予想だにしていなかったことを言ってきた。
「その……もしお一人でされているようでしたら、私もご一緒してもよろしいでしょうか?」
「へ?」
情けなくも、思わず訊き返してしまう自分。
そしてすぐに、葛藤に苛まれることになった。
今の俺には、高科さんという先約がいる。こちらを無下にはできない。
だから、芳槻さんのお誘いはすごく嬉しいけど、今は断らなければならない。
分かってはいるのだが──。
(断りづれえ……)
俺という人間の悪いところだ。優柔不断、この一言に尽きる。
返答に困っている俺に、芳槻さんがしゅんとした顔をして、尋ねてくる。
「あの、ご迷惑だったでしょうか……?」
「い、いや、全然迷惑じゃないっすよ!」
声を張って、慌てて返答する。言うまでもなく、迷惑なはずがない。
俺はしどろもどろになりながらも、続けて言った。
「ただ、今他の人とやってて……」
「あっ……そうだったんですね……」
明らかに、芳槻さんの声のトーンが下がっている。
心の中が、申し訳なさでいっぱいになる。せっかく、こんな自分を誘ってくれたのに──。
「申し訳ないっす」
「あ、謝らないでください!急にお誘いした私が悪いので!」
おろおろしながら、芳槻さんが言う──身振り手振りを添えて。
優しい……。
これで友達がいないって、詐欺じゃないか?
俺はコホンと一つ、咳ばらいをしてから言った。
「また別の日でもいいすか。自分だいたい暇してるんで」
「えっ?」
芳槻さんの目が大きく見開く。まさかの台詞が飛んできて、びっくりしてるって感じだ。
「で、でも、神城君は高科さんと付き合ってるんですよね?ご迷惑なんじゃ……」
「あー……たぶん大丈夫す。普通に友人と勉強するって言えば」
うん、問題ない。別にやましい気持ちがあるわけでもないし。
そもそも、芳槻さんと友達になるように頼んできたのは、高科さんだしね。
そう頭の中で再確認していると、顔を伏せたまま、芳槻さんが口を開いた──心なしか、頬がピンク色に染まっている気がする。
「それでは、その時はその……よろしくお願いします」
「うっす」
よかった。言っといてなんだけど、断られたら地味にショックだった。
芳槻さんの台詞に、ホッと胸をなでおろしていると、
「あーっ!こんなところにいましたよ!」
横から、高科さんの声が飛んできた。見るとムスッとした顔で、こっちに歩いてくる。
しまった、長話しすぎたか……。
俺は芳槻さんに、戻る旨を伝えようとする──が、芳槻さんは目を伏せたまま、
「では私はこれで。失礼します」
そう言って、この場からスタスタと立ち去ってしまった。
(あらら……)
俺はなんとも言えない、複雑な気持ちになる。
目を伏せたままなのは同じでも、高科さんの声を聞く前と後で、芳槻さんの雰囲気がガラッと変わった。
あの急激な感情の変化は、ハッキリ言ってえげつない。
いったい、この姉妹(仮)にどれだけのことがあったのか……。
「どうしたんですか?」
もはや誰もいなくなった空間を見て、高科さんが首を傾げた。
さっきまで芳槻さんが立っていた場所は、高科さんからは死角になっていた。なので、俺が何をしていたのかは、高科さんには分からないだろう。
「……なんでもないっす」
少し考えてから答えた。芳槻さんと話していたことは、なんとなく言う必要はないかなって。
高科さんは「ふーん」とだけ言って、それ以上は何も聞いてこなかった。二人並んで、教室に向かって歩き出す。
その途中──。
「ん?何持ってるんですか?」
高科さんが、手に持った袋を見て訊いてきた。
俺は前を向いたまま言う。
「お菓子っす」
「えーっ!酷いですよ!置いていくなんて!」
憤慨したように声をあげる高科さん。
いや、あなたさっきまで疲れ果ててたじゃん……。
「うう……ナオっちは拗ねましたよ。こうなったら、そう簡単には機嫌は戻らないですよ」
(なんでだよ……)
顔を背ける高科さんを見て、俺は大きなため息を零した。
まあ、このまま無視してもいいんだけど──。
俺は袋から飲み物を取り出す。うん、まだ充分冷たい。
そして、手に持ったそれを、そのまま高科さんの首元に押し付けた。
「ひあっ……?!」
小さな悲鳴とともに、ビクッと体を震わせる高科さん。相当びっくりしたようで、何事かと目を見開いて、こっちを見てくる。
そんな高科さんに、俺はフッと僅かな笑みを浮かべながら、飲み物を差し出した。
「え、あっ……ありがとうございます」
「……うっす」
なんか思ってた反応と違った。もっと何か言ってくるかと思ったのに。
なんともいえない空気のまま、教室に入って自分の席に腰を下ろす。
ふと、高科さんのノートに目がとまる。
そこには、さっきまで書かれていなかったことが追記されていた。
たぶん、俺がいない間に書いたのだろう。一応、間違ったことは書かれていない。
(へー、やればできるんだな)
少しだけ感心した。これなら、まあなんとかなるだろう。
「さて、続きですよ!」
高科さんが、手に持ったペンをひと回しして言った。
俺も、購買で買ったコーラを、一口飲んでペンを持つ。
そして、冗談混じりに訊いた。
「機嫌は直ったんすか?」
「仕方ないので直しましたよ。もしあたしの分がなかったら、本当に拗ねてましたけど」
「はあ……」
思わず、苦笑いを浮かべる俺。
高科さんが、静かに続ける。
「でも、そんなことはなかったですね。休憩もあたしのためだし……」
まあ、あのまま続けてもどうしようもなかったからね。
すると、高科さんはニッコリ微笑んで言った。
「信吾君のそういう何気ない優しさが、あたしは大好きですよ」
「……やりますか」
「照れてますか?」
ニコニコした顔で追撃してくる高科さん。
それを、俺は華麗にスルーする──できてるか分からないけど。
「とりあえず、この単語覚えてもらって」
教科書をめくりながら、ここからここまでと指し示す。
「えっ、これ全部ですか?」
「まあ……できれば全部がいいですけど。点数稼ぎやすいんで」
といっても、全部がテストに出るとは限らないんだけどね。あくまでも、出題範囲というだけだから。
高科さんが、ガクッとうなだれる。
「うう、二桁って険しい道のりですね……」
「そんなにすか?」
「ナオっちの成績を、なめてもらっちゃあ困りますよ。信吾君の想像してるよりも、絶対に悪い自信があります」
謎に胸を張って言う高科さん。
なんでそんな堂々と言えるんだよ……。
乾いた笑みを浮かべて、ため息を吐いていると、
「でも、頑張りますよ」
教科書に視線を移して、高科さんが言った。
「信吾君に教えてもらってるこの時間を、無駄にしたくないもん」
「……」
「絶対に二桁は取ってみせますよ!」
そう言って、さっき覚えるようにと示した、単語たちに目を通し始めた。
やる気出すとこそこかよ──とは思いつつも、せっかくやる気になってくれているので、思うだけにとどめておく。
(まあ、頑張ってもろて)
俺は教科書に目を走らせる高科さんを見て、少しばかり笑みを浮かべると、自分のノートに目を移した。
そして、迎えたテスト返しの日──。
「今回のテストは、非常に出来が悪かったです。皆さん、よく復習しておくように」
痛烈な先生の言葉。
周りの生徒たちが、口々に「やべー」「終わった」などの台詞を発している。
まさに、阿鼻叫喚の嵐だ。
(高科さん、二桁取れたかな……)
ちらっと高科さんに視線をやる。
高科さんは、答案用紙をジッと見つめていた。何点かどうかは、ここからでは確認できない。
まあ、0点はないだろう。あれでも、結構頑張ってたし。
なんてことを考えていると、
「なんとか平均点は取れたでやんす……」
前の席の荷田君が、ホッとしたように言った。
「パワポケ君はどうだったでやんすか?」
「あ、ああ……燃え尽きたよ……」
ガクッとうなだれるパワポケ君。
後ろからでも、悲壮感が漂っているのがよく分かる。
「あらら。やっちまったでやんすねえ」
「こんなの、日本人に解かせるなよ。日本人は日本語だけできればいいだろ」
「めちゃくちゃ言ってるでやんす……」
荷田君のため息。
二人の会話を聞いていて、思わず笑ってしまった。
まあ、パワポケ君の言うことも一理ある──気がしなくもない。
「神城君はどうだったでやんす?」
「ん?」
「うわ、49点!ほぼ満点でやんす!さすがでやんすねえ~」
荷田君が、俺の机の上の答案用紙を見て言った。
パワポケ君も、虚ろな目でこっちを見てくる。
ちなみに、このテストは50点満点だ。荷田君の言うほぼ満点というのは、そういう意味。
「すごいなあ。俺なんてこのざまだよ、ハハハ」
乾いた笑いとともに、パワポケ君が自身の答案用紙を見せてくる。
その点数は──。
「0点はまじのやらかしでやんす。ノー勉でも0点はないでやんすよ」
「やば」
バツだらけの答案用紙を見た、荷田君と俺の反応。
荷田君は呆れた表情を浮かべており、対して俺は半笑い。
パワポケ君は、一年生の頃からこんな感じだったしね。今更って感じだ。
まあ、それでも0点はどうかと思うけど。
「いいんだよ別に、俺は日本人なんだから。英語なんか使わないし」
荷田君と俺の反応に、パワポケ君がフンと鼻を鳴らす。
と、そこに──。
「パワポケ君、0点だったんですか?これはおもしろいネタ発見ですよ!」
俺と荷田君以外の声が響いた。
パワポケ君にとって、最悪の人物の来襲である。
「げっ、高科!い、いつからそこに?!」
「たった今ですよ。それより、0点というのは本当ですか?」
「だ、だったらどうだっていうんだよ」
「パワポケ君の将来が心配ですよ。そんな成績で、将来どうするんですか?」
「俺はプロ野球選手になるから、頭なんて関係ないんだよ」
高科さんの鋭い指摘に、苦し紛れに言い放つパワポケ君。
なるほど、プロ野球選手か。それなら確かに、成績なんて関係ないな。
「そういう高科はどうだったんだよ」
今度はパワポケ君のターン。
訊かれた高科さんは、ちらっと俺の方を見た。
「あたしはパワポケ君と違って、勉強しましたからね。0点ではないですよ」
「ぐっ……」
「成果出たんすか?」
悔しそうな顔のパワポケ君を横目に、俺が訊くと、高科さんはニコッと笑みを浮かべながらVサイン。
そして、答案用紙をこっちに見せてきた。
「もちろん!ちゃんと二桁取りましたよ!」
胸を張って答える高科さん。
荷田君とパワポケ君が、高科さんの答案用紙を見て言う。
「おお、意外と頑張ってるでやんす。この難易度で3割なら、まあまあ及第点でやんす」
「15点て、半分も取れてないじゃないか。そんなんで威張るなよな」
「いや、0点のあんたよりは100倍マシでやんすよ」
「そうですよ!0点のパワポケ君!」
「……高科に言われると、虚しい気持ちになるのはなんでだろう」
荷田君と高科さんのツッコミに、どこか遠い目で呟くパワポケ君。
そんなパワポケ君を横目に、高科さんの答案用紙にざっと目を通す。
正解できているところは、単語と選択問題、あとは和訳のところでお情けで点を稼いでいる。
おおかた、俺の教えたところを、しっかり押さえた結果が出ている感じだ。
高科さんが、俺を見て嬉しそうに言う。
「いやあ、これも信吾君が教えてくれたおかげですよ」
「……俺は教えただけなんで。そんな大したことしてないっすよ」
「何言ってるんですか。信吾君が教えてくれなかったら、どこかの誰かさんみたいに、あたしも0点不可避でしたよ」
台詞とともに、高科さんの視線がパワポケ君へと移る。
「くっそ~……今に見てろよ、次のテストは負けないからな!」
「勝者は常に相手になりますよっ!」
高科さんとパワポケ君の間で、バチバチと火花が散る。
その様子を、傍観する俺と荷田君。
「神城君も大変でやんすねえ。あれの相手は、気の休まる暇がなさそうでやんす」
「まあ……今に始まったことじゃないから」
頭の中に蘇る、一年生の頃の記憶。
男子校舎に侵入したり、寮にまで入ってきたり──よくバレずに済んだものだ。
今の俺の顔、たぶん遠い目をしてるんだろうな……。
そんなことを考えていると、高科さんがニッコリと笑みを浮かべて、こっちを見てきた。
「というわけで、この次も頼りにしてますよ!あたしの頼れる彼氏さん!」
「……うっす」
俺は観念したように、ため息混じりに了承した。
まあ、この次もっていうのは保証しないけどね……。