だいぶオリジナル要素入れました。
ご容赦ください。
「神城、悪いが先行ってるぞ」
「ああ」
「俺も先行ってるわ」
「うぃ」
授業が終わり、部活の時間がやってきた。
同じクラスのチームメートらと一緒にグラウンドへ向かう途中、トレイに行きたくなったので、俺だけ来た道を引き返そうとしていたところ。
「神城君! 先に行ってますよ!」
「えっ?」
突然、背後から野郎の声とは思えない声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには案の定、高科さんが立っていた。
堂々としたその様相は、ここに女子生徒がいてもなんら当たり前かのように錯覚させる。
だが現実問題、ここは男子校舎。女子生徒は立ち入り禁止だ。
チームメートと別れて直ぐだというのに、いったいどうやって彼らの目をかいくぐって来たのだろうか。
彼女に対する謎は、深まるばかりである。
「いやあ~。堂々としていれば、意外とバレないもんだねえ」
あははと笑う高科さん。そんなわけあるかと、心の中でツッコミを入れる。
でなければ、男子生徒全員と先生を含めて、目が節穴だらけの集まりになってしまう。
「……何やってるんですか?」
俺は当然の疑問を口にした。
今いるこの場所は、旧校舎への近道でもなければ、旧校舎に続いているわけでもないのだが。
頭の中で疑問符を浮かべる俺に、高科さんが言った。
「そりゃ、男子校舎の中の情報は、女子の方々も興味津々ですから」
「はあ」
「私はそんな彼女たちに真実を提供するため、正々堂々とこっそり忍び込んでいるわけですよ」
「……まじっすか」
要は男子校舎の中を偵察ないし、隠し撮りしに来たということである。
よくやるなと呆れを通り越して感心していると、高科さんは「それで~」と続けた。
「神城君はあたしの味方ですか?それとも敵ですか?」
「えっ?」
何を訊かれているのかよく分からなかった。
いきなり味方か敵かと言われても、何に対してのことだかさっぱりだ。
返答に困っていると、高科さんの俺を見る目が一瞬鋭くなった。
「ふむ。その顔は敵、ということでいいですかね」
「あ、いや……」
「じゃあ、仕方ないですね」
そう言う彼女の目からは、先ほどの鋭さは消えており、代わりにニッコリと笑みを浮かべていた。
そして、とんでもないことを言いだした。
「ここは神城君にも、共犯になってもらいます」
「えっ?」
俺が何かを言う前に、ガシッと腕を捕まれる。
「さあ、参りましょう!」
「いや、自分トイレ……てか部活あるんですけど」
「トイレも部活もいつでもできますよ。それよりこんな面白いことは、ぜひ他人と共有しないと!」
「いや、ちょっと──」
これ以上は何も言えなかった。俺の腕を掴んだまま、高科さんが走り出したからである。
俺はこれでも、身長は180cmを超えている。対して高科さんは、いいとこ160cmとかそこらだろう。
それだけの体格差があるのに、身体ごと引っ張られる。なんて馬鹿力だ。
ボールをぶつけられた時もそうだが、高科さんて実は俺より力持ちなのでは?
なんてことを考えながら、高科さんのなすがままに廊下を駆けていると、廊下の奥から先生がやってくるのが見えた。
やばいと思った頃には、先生がこちらに気付いたようで、廊下を走っていることに注意の声をかけてきた。
「おい、お前ら廊下は……女子生徒? そこの二人止まれ!」
先生は高科さん見るや否や、走ってこちらに向かって来た。このままでは、俺も高科さんも先生に捕まってしまう。
同じことを考えていたのか、高科さんは進路を変えて右に曲がった。
しかし、先生も変わらず追いかけてきている。
「止まれと言われて止まる神城ではないですよ!」
前を走る高科さんが、後ろを振り返ることなく言い放つ。
なんで俺の名前出すんだ……。
先生に聞かれていないことを心の中で祈っていると、ちょうど廊下の端っこに積まれていた、小さなドラム缶が目に入った。ドラム缶にはワックスと書かれている。
高科さんはそのドラム缶の前で立ち止まると、
(まじ?)
そう思った瞬間、高科さんは声高らかにドラム缶を蹴とばした。
「ワックスアタック!」
バシャー。ドラム缶に入ったワックスが、廊下にこぼれ広がっていく。
(まじでやりやがった……)
「これでよし! さあ、行きますよ!」
再び走り出した高科さんに引っ張られ、廊下を駆け抜けていく。
後ろでは先生がちょうど、ワックスがぶちまけられた廊下辺りに差し掛かるのが見えた。
「なに? 神城だと! 本当に神城……ぐわっ!」
結果は目に見えていたが、先生はワックスに足を取られて見るも無残に転んでしまった。
「大丈夫すかこれ……」
「あははは!」
俺の心配の呟きは、高科さんには届いていないご様子。
あの調子だと先生はもう追いかけてこないだろうし、そろそろ解放してくれても良いのではなかろうか。
「あははは!つぎ行ってみよ~!」
(どこ行く気だよ……)
この後も俺は高科さんにあちこち連れ回され、解放された頃には、部活が始まる時間ぎりぎりになっていた。
「ではまた会いましょう、神城君。今日は楽しかったですよ」
「……うっす」
「部活頑張ってくださいね~!」
そう言って、高科さんはまたどこかに消えて行った。
高科さんがいなくなったことで、ここまでの疲労感がどっと押し寄せてくる。
「はぁ……部活だるいな」
そろそろ練習が始まる頃だ。サボるのも後々面倒だし、行くしかない。
俺は休息を求める身体と心に鞭を打ち、トイレを済ませてからグラウンドへと走る。
「何やってるんだろうな、俺」
先ほどまでの時間を振り返り、俺はぼそっと言葉を漏らした。
でもその呟きが、決して負の感情から漏れ出た言葉ではないことは、俺自身が一番理解していた。
◆◆彼女との日常① その2◆◆
後日。放課後、俺は先生に呼ばれて職員室を訪れていた。
要件は先日のワックス事件。高科さんが派手に暴れたのと、俺の名前を高らかに叫んだせいで、先生に目を付けられたのだった。
「じゃあ本当に何も知らないんだな」
「はい。全然知らないです」
無論、これは嘘である。
だがここで正直に話してしまえば、俺も彼女もどんなペナルティをくらうか分からないので、致し方なしだ。
「分かった。もう行っていいぞ」
「はい、失礼します」
俺は先生に頭を下げ、職員室を後にした。
「はぁ……あぶね」
周りに誰もいないことを確認し、大きく息を吐いた。
なんとか秘密は守られた。彼女には、少しは感謝してほしいぐらいである。
「部活行くか……ん?」
部活に行こうと歩き始めた矢先、中庭の方でこそこそと動き回る怪し気な人影が目に入った。
「またいるよ……」
その人影の正体は、懲りずに男子校舎に忍び込む女子生徒──高科さんである。
俺はちらっと職員室の時計で時刻を確認。部活が始まるまでまだ余裕があった。
(俺も懲りないな)
進路を変えて中庭に向かう。
高科さんは手に持ったカメラで、周囲を撮りまくっていた。
「ふぅ~。こんなもんですかね~」
一通り撮り終えたのか、満足気な様子の高科さん。
俺は中庭に入ると、彼女に声をかけた。
「何撮ってたんすか」
「きゃっ!」
声をかけられたことに相当驚いたのか、高科さんはびくっと肩を震わせた。
そしてこちらを向くと、
「スミマセン! スミマセン! 本当にスミマセン!」
俺に気が付いていないのか、ペコペコと頭を下げ始めた。
「女子寮から幽霊を追っかけて来たら、ついこんな所まで来てしまいました」
「はあ」
なんて苦しい言い訳なんだと思った。もはや言い訳として成立するのか、怪しいレベルにも思える。
「なんだ、神城君じゃないですか。驚かさないでくださいよ」
高科さんは俺に気が付くと、ホッと一息吐いてから、俺の疑問に答えてくれた。
「今回の女子寮新聞の記事を【これが男の巣窟!男子校舎だ!】っていうのにしようと思ったので、そのための写真を撮っていたのですよ」
「なんすかそれ……」
酷すぎるタイトルに俺は呆れてしまった。そんな記事、読む人いるのか……?
「あれ~? 言ってませんでしたか? あたし新聞部ですよ」
特に訊いてもいないことを、ペラペラと喋る高科さん。
その中で、俺は少し気になったことを訊いた。
「新聞部なんてあるんすか?」
「当然ありますよ。あたしが部長です」
初耳だった。この学校には文化部は存在せず、基本的には、どこかの運動部に所属しなければならないという決まりがある。
だから新聞部の存在なんて、知る由もなかった。
もしかして、俺が知らないだけで、他にも文化部があったりするのだろうか?
「あたしが作ったんですよ。なので部員もあたし一人です」
ふふんと胸を張る高科さん。
その瞬間、俺はすべてを察した。新聞部なんてものは公式には存在せず、高科さんの自称にすぎないということに。
「神城君も入りませんか?新聞部は常に部員を募集中ですよ」
「はあ」
そんな部ないだろ、というツッコミは口にしない。口にしたら話が長くなりそうだからである。
「というわけで、何か面白いことがあったら共有してくださいね!」
「あ、はい」
「新聞部としての活躍を期待してますよ!」
「えっ……?」
何か予期せぬ不穏な言葉が聞こえた気がしたが、訊き返そうとした頃には、高科さんは中庭から姿を消していた。
「足はっや」
自称新聞部の高科さん。また一つ、噂の彼女の秘密が明らかになった。
彼女が男子校舎に忍び込むのは、新聞のネタ集めのためだったのだ。
「部活行くか……」
誰もいなくなった中庭を後にし、グラウンドへと向かう。
その道中、頭の中では「本当にそれだけなのか」という疑問が浮かび始めた。新聞記事のためだけに、あんなリスクを冒してまで男子校舎に忍び込むだろうか?
(彼氏に会いに、とか?)
あり得そうな話だと思った。今時、学生なら男女と恋愛関係になっているなど、至極ありふれた話だ。
といっても、男子校舎に侵入してまで会いに来るなんて、あまり考えられないが。
(いや、どうでもいいか)
俺は頭を振って、それ以上考えることをやめた。
高科さんが誰と付き合おうが俺には関係ないし、そんなことを考えてしまう自分が、何より気持ち悪かった。
◆◆彼女との日常① その3◆◆
その後も、ほぼ毎日のように高科さんを見かけるようになった。
相変わらず、男子校舎を撮りまわっているようだ。どうして俺以外の人間が彼女の存在に気付かないのか、不思議でしかない。
「おや、神城君じゃないですか」
いつものようにグラウンドへ向かう途中、高科さんから声をかけられた。
こっちは当然気付いていたのだが、忙しなく校舎を撮りまわっていたので、スルーしようと思っていたのだ。
「冷たいですね。気付いているなら声の一つぐらいかけてくださいよ」
「いや、忙しそうだったんで」
「同じ新聞部じゃないですか。何も気使う必要ないですよ」
「はあ……」
「それで、どうですか? 面白いネタは見つかりましたか?」
あたかも当然のように、新聞部の活動について尋ねられる。
無論、そんなネタなどあるはずもない。
「いや、特にないっす」
「は~、そんなことだろうと思いましたよ」
やれやれと言わんばかりの顔で、ため息を吐かれてしまった。そんな顔をされたところで、こっちは新聞部のつもりはないので、なにか活動するなんて気は一切ない。
すると高科さんは、またとんでもないことを言い始めた。
「じゃあ、神城君に一つミッションを与えます」
「え?」
いきなりミッションなんて単語が飛んできたので、思わず聞き返してしまった。
なんのことかと理解できない俺に、高科さんは続けて言う。
「このカメラで校舎内を撮ってきてください。場所はお任せしますので」
「はあ……別にいいですけど。撮るだけなら」
「お~、さすが神城君。神城君なら引き受けてくれると信じてましたよ」
随分と大袈裟なことを言う高科さん。
どこでもいいのなら、適当に教室内でも撮ればいいだけなので、引き受けても問題ないだろう。
「報酬はそうですね……ペラでいいですか?」
「いや、いらないっすよ。大丈夫す」
ペラ。一種のクーポン券のようなものである。
購買や外出の際に必要になるので、この学校では必要不可欠な存在だ。
「うーん……では神城君の質問に、なんでも答えてあげますよ」
この様子からして、どうあっても高科さんは、何かしらの報酬を俺に与えたいらしい。
ギブ&テイクというやつだ。でも今の俺は、特にテイクを求めていないんだよな。
「さあさあ、遠慮せずどんとこいですよ」
「……」
強引に質問権をテイクさせられてしまった。だが質問したいことが思い浮かばない。
本当はあるんだろうが、いざこう言われると何も出てこなくなってしまった。
「あれれ~、ないんですか?」
「……ないっすね」
少し考えてから、俺は思考を放棄した。
高科さんの顔が、ムッとした表情に変わる。
「神城君はデリカシーが足りないですねえ。こういう時は、なんでもいいから訊いておくべきですよ」
「はあ」
そんなこと言われても、こっちは男子校舎で女子と会話しているということ自体、ひやひやものなのだ。いつ先生や他の男子生徒に見つかるかなど、気の休まる暇がない。
そんな俺の気持ちなどつゆ知らず、高科さんの口は止まらない。
「ではとっておきの秘密を教えますよ」
「あ、はい」
またデリカシーが足りないなんて言われてもたまらないので、相槌を打つことに徹する。
「旧校舎の裏に扉があるじゃないですか」
「あー、ありますね」
俺はやたら新しい鍵付きの扉を思い出す。確かに、あの扉のことは気になっていた。
なんで高科さんが、あの扉の鍵を持っているのか。
「あれはですね。あの森を探検していた時にですね、偶然あの場所に着きま──」
それ以上、高科さんの話を聞くことはできなかった。
横から第三者の声が響いたからである。
「コラ! お前らこんな所で何をしているんだ!」
またあの先生だ。以前、高科さんのワックスアタックをくらった先生。
「あっ! ヤバイですよ!」
「やばいっすね」
逃げなければ。また職員室に呼ばれでもしたら面倒だ。
高科さんを見ると、すでに逃げる準備万端という顔をしている。
「というわけで、あたしは逃げます!」
「俺も逃げますわ」
幸いなことに、まだ距離がある。顔までは見られていないだろう。場所も校舎の中なので、逃走経路は充分にある。
「またねっ! 神城君!」
「うっす」
互いに背を向け、別々の道を行く。
秘密は聞きそびれたが、また会った時に聞ければいいか。
この時にはもう、縁がどうのとか考えておらず、どうせまた会えるだろう程度の認識に変わっていた。
◆◆彼女との日常① その4◆◆
ある日の部活中のこと。
部室に飲み物を忘れてしまった俺は、休憩時間に取りに向かっていた。
「疲れたな……」
誰もいない道中、内と外からくる疲労感から言葉を漏らした。
三年生が引退してから練習が厳しさを増したことと、勉強の方も置いていかれ気味で、部活との両立の厳しさを痛感させられていた。
中学時代は塾に通っていたのと、野球の方は幽霊部員と化していたこともあり問題なかった。
最近つくづく思う。この高校に進学しなければ、俺は今よりましな高校生活を送れたのではないかって。
(そろそろ潮時か)
そんなマイナス思考に苛まれつつ、部室が見える位置まで着いたところ。
緑色の髪をした人影が部室の前に立ち、今にも中へ入ろうとしていた。
(え、まじかよ)
緑色の髪をした人間など部員にいない。明らかに部外者だった。
でも俺はその人のことを知っている。まったく、毎度毎度どうしてばれずにここまで来れるのか。
「さて、男たちの汗と涙と熱い何かが飛び散る部室に潜入しますよ」
好き放題言ってくれる。少なくとも、一介の女子生徒が発していいワードではない。
「ここは女子からしたら禁断の空間。全部写真に撮らせていただ──」
「何してるんすか……」
できる限り呆れた声色で、彼女──高科さんに声をかけた。
高科さんは驚いたようで、「うわっ!」と小さな悲鳴をあげた。
「す、すみません! 道に迷いまして」
相変わらず言い訳にしては、苦しすぎることを言う高科さん。
高科さんは「ちなみに」と付け加えた。
「熱い何かというのは、ほとばしるパトスだと思われ……あれ?」
こっちが特に訊いてもいない解説を述べている途中で、声の主が俺だということに、ようやく気が付いたらしい。
「神城君じゃないですか。驚かさないでくださいよ」
「いや、高科さんがここにいることの方がびっくりですよ」
以前ならここまでのツッコミを、思ってはいても口には出さなかった。
だが何度も彼女と言葉を交わしていくうちに、ある程度彼女に対し免疫がついたのだろう。
それか彼女が部室に侵入しようとしているのを見て、一気に免疫レベルが上がったのかもしれない。
まあそれでも、ため口は無理なのだが。
「見つかったらやばいんじゃないすか」
「目の前に優秀な相棒がいるので、なんとかなりますよ」
「いつから相棒になったんすか……」
新聞部の部員が、いつの間にか相棒に進化していた。こんなに何も感じない進化は、他にはないだろうな。
俺は高科さんに訊く。
「今度はなんのネタですか」
「いやあ~。いま女子寮では、男子クラブの部室の話題で持ちきりでして。だからですね、彼女たちに真実を伝えるために、ナオっちが立ち上がったというわけですよ」
「はあ……そうっすか」
なんてことに興味を持つんだと幻滅した。いくら年頃の学生とはいえ、生々しすぎる。
そんなものを撮りにくる高科さんは、もう殿堂入りと言ってもいいだろう。
「程々にしといた方がいいっすよ」
俺は本来ここに来た目的を果たすために、部室の中のバッグから飲み物を取り出した。
「あれ、止めないんですか?」
意外そうに訊いてくる高科さん。
彼女の問いかけに、フッと鼻で笑って訊き返す。
「止めたら止まるんすか?」
「いえ、止まらないですよ」
秒で予想通りの返答が返ってきた。なんのための質問だったのか、よく分からない。
「ちなみに、硬式野球部の方は既に撮影済みです」
フフンと何故かどや顔。
俺は「そうなんすね」と適当に相槌を打つと、心の中で硬式野球部の方々に「ご愁傷様」と合掌した。
ここまでのやり取りを思い返しても、高科さんは我々男子生徒にとってかなり害悪な存在である。
本当は男子生徒代表として、無理やりにでも止めるべきなんだろうが、別に俺自身は撮られても困るものは置いていないので、良しとした。
加えて、今はまだ部活中。面倒ごとに巻き込まれて戻れなくなるのは避けたかった。
飲み物を手に取り、部室を後にする。
「あれ、もう行っちゃうんですか?」
「まだ部活中なんで」
「え~。この前の話の続き、聞かせてあげようかと思ったのに。残念ですよ」
「……扉の話っすか?」
俺の疑問に、高科さんが頷く。
「はい。その扉についている鍵なんですけどね、あれナオっちが作ったんですよ」
「え、まじっすか」
これには少し驚いた。扉も修繕されていたし、鍵まで新品のものがつけられていた。
要するに、手先がかなり器用で最低限のDIY──日曜大工の技術がないとできない芸当だ。
「そうですよ。たぶん、あの扉も旧校舎と一緒に忘れられていたんだと思いますよ」
確かに、あの付近に人の気配はなかった。あのぼろぼろ具合からして、長いこと放置されていることに間違いはない。
高科さんは、さらに続けて言った。
「それでですね。扉が壊れて出入りが自由になっていたので、新しい鍵をつけてみたわけですよ」
またもどや顔の高科さん。
まあこれには脱帽しても良いかもしれない。俺には到底できない芸当だ。
「工作が上手なんだなナオ。と褒めなくてもいいですよ」
「はあ」
今の発言で脱帽しようとしていた気持ちも、どこかに飛んでいってしまった。
俺は付け加えるようにして、高科さんに訊いた。
「じゃあ、高科さんしか使えないんすかあれ」
「そうですよ。ナオっち以外には使わせません」
なるほど。あの外に自由に出入りできる扉は、高科さん専用というわけか。
「どうしてもっていうなら、神城君にも使わせてあげてもいいですよ」
「……あざす」
「お礼なんていいですよ。相棒としては当然の権利です」
相棒というワードには、疑問を覚えつつもスルーした。
しかし外に出なくとも、大抵のことは校内で済ませられるので、使う機会はなさそうだ。
それに、ばれたら野球部を退部させられそうだし、他のペナルティもえぐいことになりそう。
まあそれでも、高科さんは使っているので、本当に行動力のお化けだと思う。
俺はふと感じた疑問を訊いてみた。
「そんなに外に何しに行ってるんすか?」
「それはですね。こんな閉鎖された空間じゃ、乙女の若い身体は──」
またしても、それ以上は聞くことができなかった。
もはや聞き慣れた声が、別の方向から飛んできたからである。
「おい!お前!またこんな所に忍び込んでいるのか!」
ワックス先生だ。ある意味で、高科さんの天敵である。
「またまたヤバイっす!」
先生に背を向け、逃げの体制に入る高科さん。
いざ逃げる前にこちらを向いて、
「話の続きはまた今度でいいですか?」
なんてことを訊いてきた。
その言葉に、俺は黙って頷く。
「では逃げます!」
そう言うと、高科さんはすごい速さで森の方へと消えて行った。
高科さんが消えたことで、結果的にこの部室は高科さんの手から守られたのだった。
◆◆彼女との日常① その5◆◆
ある日の放課後。俺は屋上の掃除をしていた。
掃除以外ではほとんど足を踏み入れないこの場所は、校舎を一望できるぐらい見渡しのいい場所だ。
部活中の生徒、寮へ戻る生徒、何やら駄弁っている生徒など、ここからなら大体見える。
無論、男子校舎へ忍び込む怪し気な人影もだ。
(ここからなら全部見えるな)
自称新聞部の高科さん。女子寮で発行している新聞のネタ集めのために、男子校舎に忍び込む猛者。
今日もその新聞のネタ集めのために来たのだろう。堂々と男子校舎の中を歩き回っている。
「おーい、こっち終わったぞ」
「こっちもだ」
同じく屋上の掃除をしていた奴らから、口々に掃除完了の声が上がる。
俺は彼らの方を見てから言った。
「先行ってていいよ」
「おう、分かった」
「じゃあな神城」
屋上から俺以外の人影がなくなった。
ふと屋上から辺りを見下ろす。先ほどまで見えた怪し気な人影は、既に確認できなくなっていた。
俺は屋上に設置されているベンチに腰を下ろす。そろそろ部活の準備をする時間だが、今の俺には関係のない話だ。
ベンチにもたれかかり、空を見上げる。
雲一つない秋空を視認し、いい天気だなと口にしようとしたその時。
誰もいなくなったはずの屋上から、人の声がした。
「誰かをお探しですか?」
よく知ったその声に、もはや驚きの感情は生まれない。
俺は秋空から声のした方に視線を移す。そこには先ほどまで下にいたはずの、怪し気な人影──高科さんが立っていた。
「よくばれなかったすね」
「ナオっちの隠密術をなめちゃあいけませんよ」
どや顔混じりで言う高科さん。
「むかし偶然出会ったプロの情報屋のお姉さんに、直々に教えてもらったのです」
どや顔を崩さずに、高科さんは続けて喋る。
情報屋というのは、新聞記者やジャーナリストのようなものだろうか?
「フフフ。なかなか筋がいいわね、ナオ。とか言って、ほめられちゃいましたよ」
「へー、そうなんすね」
誰だよ、この人にそんなとんでもないことを教えた奴は。なんてツッコミを心の中で呟く。
とりあえず、高科さんが毎日毎日、男子校舎に忍び込んでも誰にもばれない理由は、なんとなく理解できた。
普通なら隠密術なんてと、鼻で笑ってやるところだが、彼女を見ては認識を改めざるを得ない。
しかしこれ以上、この話を深堀すると話が長くなりそうなので、話題を変えることにした。
「今日もネタ探しっすか」
俺の言葉に、高科さんは笑みを浮かべる。
「下から神城君が見えたので、上がって来ました」
「はあ……そうすか」
つまり、俺が見えたからその場の思いつきでここに来たというわけだ。
恐るべし、プロの情報屋直伝の隠密術。
「まあ、屋上にも興味があったのですよ。女子校舎と違う眺めが見えると思って」
「そりゃ違うんじゃないすか。建ってる場所も違うし」
「そうですね。まだまだナオっちが知らないことが、この大きな学園にはいっぱいあるみたいですよ」
そう喋る高科さんは、心底楽しそうだ。
好奇心、行動力の権化。俺とは正反対だなと、彼女と接しているとつくづく思わされる。
ひとしきり話したところで、高科さんは俺の座るベンチに歩み寄った。
「横、失礼してもいいですか?」
「あ、はい。どうぞ」
初めから真ん中に座っていたわけではないが、端っこまで座る位置を移動する。
高科さんはベンチに腰を下ろすと、「そういえば」と口を開いた。
「辞めたんですね。野球部」
「……」
一瞬、言葉が出てこなかった。これは別に、図星をつかれたからじゃない。
なんで高科さんがそれを知っているのかという、疑問のせいだ。
「ふっふっふ。ナオっちの情報収集力をなめちゃあいけませんよ」
ついさっき聞いたような台詞を発する高科さん。
俺は「ああ」と納得した。目の前にいるのは、少々普通とは異なった人間──高科さんだ。知っていたところで、どうということはない。
高科さんは当然の疑問を口にした。
「どうして辞めちゃったんですか?」
真っすぐにこちらを見つめて訊いてくる。対して俺の視線は、下を向いていた。
別に大した理由ではない。先生とそりが合わなかったのと、成績の方が思わしくなかったから。単にそれだけの理由だ。
それだけの理由なのに、直ぐに答えられなかった。
言ったら高科さんはどう思うか、なんてくだらないことを少しだけ考えてしまったからだ。
実にくだらない話だと思う。そんなことを考える自分が、気持ち悪くて仕方なかった。
「……別に。先生とそりが合わなかっただけっす」
俺は下を向いたまま、高科さんの問いに答えた。
高科さんがそれを聞いて、どんな顔をしたかは俺には分からない。でも辞めた事実は変わらないので、もうどうでもいいやと開き直ることにした。
「ふーん、それはそれは」
高科さんの声色からは、何を思ったのかまでは感じ取れない。
でも次に発した言葉は、いつも通りの彼女のものだった。
「ではこれで、新聞部の活動に注力できますね!」
ポンと手を叩き、楽しそうに喋る高科さん。それを聞いて、またかと心の中で思った。
いつの間にか部員にさせられた新聞部。高科さんが部長のそれは、非公式なので部員は俺以外いない。
前に高科さんからの依頼を完遂させてから、今でもちょくちょく依頼を受けたりしていた。
ちなみに、他の人のプライバシーを侵害するような写真は撮っていない。これは俺の人間性に関わってくる話なので、あらかじめ断っておく。
「神城君が撮ってくれた写真、中々に使えるやつばかりなので助かりますよ」
「はあ……そうっすか」
「相棒が優秀でナオっちも鼻が高いですよ」
そう言って高科さんは満足気に笑った。
これに関しては褒められても複雑な気分になるが、今は素直に褒められておこう。
「そういえば、あたしが外に行ってるのはですね」
「えっ?」
唐突に今までの話題とかすりもしない話をする彼女に、俺は首を傾げた。
なんの話だっけと記憶を辿っていると、
「あれ、忘れちゃったんですか?神城君から訊いてきたのに」
ジト目でこちらを見てくる高科さん。そして俺はやっとこさ思い出した。
確かに、俺から質問した話だ。
「い、いや、覚えてるっすよ」
見事に忘れていたことに対する焦りを、隠すようにして答える。
すると高科さんは、ニッコリとほほ笑んでから言った。
「図星だったんで、焦っているんですね。カワイイですよ」
「はあ……」
女子から可愛いと言われても、男子の大半は反応に困るのではなかろうか。
高科さんが話を戻す。
「といっても、ただ買い物しに行っているだけなんですけどね~」
「買い物っすか」
高科さんにしては、随分と普通だなと思ってしまった。
「購買部でも色々あるんだけど、やっぱり外の方が物は多いから」
「そりゃあ、そうっすね」
肯定はしたが、俺は普段から購買部で全てを補っている。そのため、外に買い物に出たことは一度もない。
こういうところは、少なからず高科さんも女子なんだなと感じさせる。普段はあまり抱かない感情なので、なんだか新鮮だ。
「あと新商品とかを買ってきて、寮で売ってるんですよ」
「へー、そうなんすね」
この学校では、外出するにはペラが要求される。外出ともなるとそれなりに必要となるので、そんな頻繁に外出する生徒はそう多くない。
それは女子側も変わらないようで、高科さんは普段あまり外出しない人たちに向けて、外で買ってきた品々を売りさばいているみたいだ。
いわゆる小遣い稼ぎというやつである。
まあもっとも、これは日頃から自由に外出できる高科さんだからこそできるってだけで、他の生徒には到底できない芸当である。
「結構売れるんすか?」
「売れますよ。購買部では売ってないけど、必要な物ってありますからね」
「ああ、まあ確かに」
「やっぱり外はいいですよ。寮生活を華やかにするためには欠かせないです」
「はあ」
寮生活を華やかに。そんなこと一度も考えたことなかった。
高科さんは少し黙考してから、話し始めた。
「周りが楽しいと、自分も楽しくなってくるでしょ?」
「まあ、そうっすね」
「だから、あたしが楽しい空間を作り出してるだけですよ」
微笑んで言い切る高科さん。
俺は高科さんらしいなと感心した。さすが、行動力と好奇心のお化けである。
キーンコーンカーンコーン。
部活開始を告げるチャイムが鳴り響く。俺はベンチから腰を上げた。
「あれ、もう行っちゃうんですか?」
未だベンチに座ったまま、高科さんが尋ねてくる。
俺は目を合わさずに言った。
「あまり長居するとまた来そうなんで」
この来そうというのは、例によっていつもの先生のことである。
こうやって高科さんと話していると、毎度どこからかやって来るのだ。もうおおよその出現時間も、把握しつつあった。
「確かに。そろそろ現れそうですね~」
と高科さん。
俺は掃除の時に使用していた用具を手に取り、用具入れへと歩いて行く。
「ま、ナオっちの隠密術は無敵なので、心配無用ですよっと!」
なんて台詞が後ろから聞こえてくるが、スルーした。
まったく、見つかったら事だというのに呑気なものだ。
俺は手に持った掃除用具を用具入れにしまい、屋上の扉を開けた。
目の前には下の階へと続く階段のみ。ここに先生が来たら逃げ道はない。
(まあ流石にそんなタイミングよく──)
と、その時。
スタスタスタ。下の方から、誰かがこちらに上がってくる足音が聞こえてきた。
(え、まじかよ)
恐る恐る下を覗くと、足音の主は案の定いつもの先生だった。
こういう時、人は大きく二種類に分けられると思う。
眼前の状況を冷静に分析して、直ぐに解決策を考えられる人間と、
「どうしたの?」
このように、緊張感を持たず状況を理解できないまま終わる人間。
今は俺が前者で、高科さんが後者だ。やれやれ、言わんこっちゃない。
俺は小声で高科さんに囁いた。
「やばい、もう来てますよそこまで」
「へ?」
緊張感皆無の声色で訊き返される。
この状況なのだ、誰が来たとか言わなくても伝わって欲しいものだが。
「先生っすよ。やばいすよこれ」
「えっ!ヤバイですよ!」
ようやく状況を飲み込めた様で、高科さんはあたふたし始めた。
でも、ここでそんな大声出したら──。
「おい、誰かいるのか」
やっぱり聞かれてしまった。足音が急速に近づいてくる。
万事休すかと頭を抱えそうになっていると、急に身体が後方に引き寄せられた。
「何ぼけっとしてるんですか!こっちですよ!」
見ると高科さんが、俺の腕を掴んで屋上に戻ろうとしていた。
「……どこ行くんすか?」
「いいから!」
「あ、はい」
高科さんのなすがままに、屋上の片隅へと連れられる。
そして二人分も満たない狭い空間に、無理やり押し込まれた。その強引さに文句の一つを言う間もなく、高科さんが入ってくる。
「いや、ちょ……」
「しっ!見つかっちゃいますよ……!」
そう言われ、俺は口を閉じた。高科さんもそれ以上は何も言わず、黙って息を潜めている。
これ傍から見たらどう映るだろうか。男子と女子が、互いの心音が聞こえてきそうなぐらい、密着しているこの状況を。
俺は目をつぶって天を仰いだ。お願いします、どうかばれませんように。
ガチャリ──屋上の扉が開く音が聞こえる。
脈拍が急速に速まるのを感じた。緊張で手に汗が滲んでいく。
勝負は扉の開閉音がもう一度聞こえるまで。そうすればゲームクリアだ。
(早く行ってくれ……)
こめかみから汗が流れる。こんなに時間が長く感じるのは、初めてかもしれない。
高科さんも同じ気持ちだろうか。それとも、こんな狭い空間で野郎と密着していることへの嫌悪感が、溢れていたりするのだろうか。
でも残念なことに、今の俺に彼女を気遣う余裕はない。
やがて、どれぐらい時間が経ったか分からなくなった頃。
バタン──二度目の扉の開閉音が聞こえた。
(行ったか……?)
俺は耳を澄まして、屋上の気配を探る。話し声はなく、足音も聞こえない。
とりあえず窮地は超えたようだ。俺は小さく息を吐くと、胸をなでおろした。
先ほどまで心臓が爆発するんじゃないかというレベルで、流れていた脈拍も落ち着いてきている。
俺は横にいる高科さんに声をかけた。
「もう行ったみたいすよ」
「……」
返事がない。もう一度声をかける。
「高科さん、もう大丈夫じゃないすか?」
「……」
変わらず応答なし。まさかこの状況で寝たのか。
高科さんならあり得ない話ではないが、こちらもそろそろ体勢がきつくなってきた。
先ほどまではなんとか耐えてたが、緊張の糸が途切れて一気に疲れがきている。もうもちそうにない。
俺は動かない高科さんを置いて、最小限の動きで脱出した。
そして慎重に屋上を見渡す。もうそこには誰の人影も見当たらなかった。
「はぁ……あぶねえ」
誰もいないことを確認し、また大きく息を吐いた。
固まった肩回りを解し、背伸びする。それから、高科さんの方へ向き直った。
「……」
相変わらず黙ったまま、その場に立ち尽くしている。
そんなに嫌だったのだろうか。でもあれは不可抗力だし、俺に責はないのでは?
「……戻る」
「へ?」
「戻ります……それでは」
そう言って、高科さんはそのまま屋上から去って行った。
屋上には俺一人だけが取り残される。
「……まあいいか」
高科さんがどう思おうが、あれは俺のせいではないのだ。気にするだけ無駄でしかない。
俺は心の中でそう自分に言い聞かせ、屋上を後にした。