②と③で分けました。とりあえず1年生はこれで終わりです。
年が明け、またいつもの学園生活が始まったある日の午後。
俺はまた生活指導の先生から、例の件で呼び出しをくらっていた。
「来月、少なくとも来月中には決めておくように」
「……分かりました」
とりあえず、いつものように返事をして生活指導室を後にした。
少し歩いてから、俺は大きくため息を零す。いい加減、諦めて放っといてくれればいいものを。別に成績は悪くないし、ボランティア活動も真面目に取り組んでいるのだから、良いのではないか。
(なんでこんな高校入ったんだ、俺)
そんなことを考えていると、
「またため息ですか。そんなにため息ばかり吐いていると、幸せが逃げちゃいますよ」
横から声をかけられた。
声の方に目をやると、堂々とした様相で高科さんが立っていた。
「生活指導室に呼ばれるなんて、いったい何をやらかしたんですか?ナオっちにも教えてほしいですよ」
ワクワクの眼差しを向けてくる高科さん。
俺は周りを見渡して、人影が見えないことを確認してから言った。
「部活のことっすよ」
「あ~、またそれですか」
今度はガッカリと言わんばかりの目を向けられる。
高科さんの俺に対する認識は、いまいち理解できない。彼女の中の俺は、そんなに問題児なのだろうか。
「もう適当に選んで、席だけ置いとけばいいじゃないですか」
「いや、でも練習とかめんどいじゃないすか」
「そんなのどうとでもなりますよ」
良からぬことをハッキリと言い切る高科さん。
真に生活指導室に呼ばれるべきなのは、彼女の方では?
俺は「そういえば」と話を変える。
「高科さんは練習とかないんすか」
「いま新聞部の活動中ですよ」
「はあ」
真面目に答える気がないようなので、俺はそれ以上訊くのをやめた。
高科さんが続けて言う。
「まあ、一応は陸上部にも入ってますよ。あまり練習には出てないですけどねえ~」
「……いいんすかそれで」
呑気な物言いに呆れて言葉を返す俺。
彼女と知り合って早半年、初めて彼女の正式な所属を聞けた。もっとも、今更聞いてもどうということはないのだが。
ふと高科さんの声色が、真面目なものに変わる。
「いいんですよそれで。だって、結局は自分が楽しいと思えることをするかどうかじゃないですか」
「はあ」
「だから神城君のやりたいようにすればいいのですよ!」
「……」
率直に彼女らしいなと思った。とはいえ、それができれば苦労はない。
でもハッキリとそう言い放つ彼女を見ていると、こんなことで悩んでいるのがバカバカしく思えてきた。
「高科さんらしいっすね」
「もっと褒めてくれてもいいですよ」
フフンと胸を張る高科さん。
俺はそれを華麗にスルーして、心の内に思っていたことを口にした。
「めんどいっすねこの高校」
「なにがですか?」
「規則がっす。厳しすぎないすか」
「まあそれは一理ありますねえ~。でもスリルが味わえて楽しいですよ」
「はあ……そうすか」
説得力の塊のようなことを言う高科さんに、俺は思わず苦笑いを浮かべる。
すると、高科さんは真剣な面持ちで訊いてきた。
「後悔してますか?この学校に入って」
珍しく確信を突いてくる高科さん。
俺は俯いて答える。
「まあ……そうっすね」
「……そうですか。それは残念ですよ」
そういう彼女の声は、心なしか少し寂しそうに聞こえた。
俺はそれに気が付かない振りをして訊く。
「高科さんはなんで入ったんすか?」
「え、あたしですか?えっとですね……」
俺の疑問にどう答えようか、迷っている様子。
やがて意を決したようで、高科さんはどこか遠くを見ながら言った。
「知り合いがいるのですよ。だからあたしも、一緒の高校に行きたいなと思いまして」
「へー、そうなんすね」
ごくごく普通の、ありふれた理由だった。
俺も同じような理由で入ったので、こういう人は結構多いのだと思う。
ただ、そう言う高科さんの様相から、それが全ての理由ではないのだろうなと察した。
でも俺はそれを訊いたりはしない。なんとなく、深い事情がありそうな気がしたからだ。この手の察し力は、昔から自信があった。
会話が止まる。少ししてから、高科さんが口を開く。
「実は妹なのですよ。その知り合いって」
「妹っすか?」
妹という単語に思わず訊き返す俺。
当然だ。俺も高科さんもまだ一年生なので、これ以上の下の学年は存在しない。故に、妹という単語を口にしたことが不思議だった。
高科さんが頷く。
「双子の妹です。あたしの生きがいですよ」
そう言ってニッコリと笑う高科さん。
その笑顔は、すっかりいつもの彼女のものだった。
「いつか神城君にも紹介してあげますよ」
「はあ……あざす」
いきなり紹介するという高科さんに困惑しつつ、とりあえずお礼を言っておく。
「でも、妹はかなりの人見知りですからねえ~。神城君とはまともに話せないかもですよ」
高科さんは今度は、ニヤニヤしながら言った。
意外だなと思った。眼前の自称新聞部は、人見知りとは無縁の存在に見える。そんな彼女の双子の妹なら、多少は似た性格だと思ったのだが。
「……仲いいんすね」
特に考えずその言葉を口にした。それを聞いた高科さんの目が、一瞬だけ丸くなる。
「あ、当たり前ですよ。家族なんですから」
すぐにいつもの調子に戻ると、高科さんは胸を張ってそう言った。
俺はなんとなく、地雷を踏んでしまったような気がしたが、それ以上は何も言わず「そうすか」とだけ返事した。
「さてと、ナオっちはぼちぼち退散しますよ」
高科さんのその台詞を聞いて、腕の時計に目をやる。話し始めてから、既にそれなりの時間が経過していた。
(もうこんな時間か……)
いつもより多く話していたというのに、いつもより短い時間のように感じた。
俺も寮に戻らなければ。貴重なゴロゴロタイムが減ってしまう。
「それでは神城君、また会いましょう」
「うっす」
この場を後にする彼女を見送り、寮に向かって歩き出す。
寮への道中、頭の中は謎のモヤモヤで溢れ返っていた。
(またかよ)
俺はそれ以上の思考を全停止する。
こんなもの、何も考えなければ、意識しなければいいだけの話だ。
そうすれば、このモヤモヤが現れることはないのだから──。
◆◆彼女との日常③ その2◆◆
二月も半ばに差し掛かった頃。
世間一般的には、ちょうど今日はバレンタインと呼ばれる日であった。
「は~。虚しいでやんすねえ~」
放課後、屋上の掃除をしていたところ。
同じ掃除当番の荷田君のぼやき声が耳に入った。
「ああ~。女子からのチョコレート、欲しいでやんすよお~」
「荷田君、早く終わらせないと練習遅れるよ」
そう言うのは、一緒に掃除をしているパワポケ君だ。
「だいたい、女子なんてどこにもいないじゃないか」
「そうでやんす!今こそ秘密の花園、女子寮へと赴く時でやんす!」
「聞いてないし。そんなのバレたら大変だよ」
「パワポケ君も一緒に行くでやんす!青春を謳歌するでやんす!」
「嫌だよ。ほら、そっち掃いて」
「女子寮にでやんすか?」
「何言ってるんだよ……」
見事なボケとツッコミの言い回しで、俺はまたやってるよと思った。
二人とも同じ野球部ということもあり、日頃からこのような絡みをよく目にしていた。
荷田君はこんな感じで、よく青春がどうのとか口にしている。それをパワポケ君が、呆れ半分で聞いてやるところまでがお決まりの展開だ。
俺は二人から少し距離を取って、周囲を見下ろす。
ここにいると、自然とこの動作をするようになっていた。習慣とは恐ろしいものである。
「おー、いい眺めだな」
いつの間にか、真横まで来ていたパワポケ君が、感嘆の言葉を漏らした。
「天気もいいし、ここにいるとどんなに沈んでいても、あっという間に気分爽快だな」
「まあ、そうだね」
「こんな青空の下で暗い顔をしている奴なんて、バカだな。バカに違いない」
(俺じゃん)
パワポケ君がそう言うので、俺は自虐気味にフッと鼻で笑った。
まさしく先日の俺である。
あの日も今日と同じように、いい天気だった。それでも、ここにいて気分爽快にはならなかったので、パワポケ君の中で俺はバカに分類されるだろう。
「二人とも、こっちは終わったでやんすよ」
後ろから、荷田君が掃除完了の声をあげた。
パワポケ君がそれに答える。
「お疲れ。今行くよ」
この場を後にしようとするパワポケ君を見て、俺は辺りを見下ろすのをやめた。
(今日はいなかったな)
珍しいこともあるものだと思った。もっとも、これが当たり前なのだが。
俺は掃除用具を手に取り、用具入れへと歩き出す。
その刹那、不意にパワポケ君が声を漏らした。
「ん?」
それを聞いて、俺は後ろを振り返る。
パワポケ君は何かに気が付いたかのように、旧校舎に続く森の方を見ていた。
(まさか……!)
嫌な予感。俺は慌ててその視線の先に目をやる。
すると、ちょうど怪し気な人影が、森の中へ消えていくところだった。
まじかよと頭を抱えそうになっていると、パワポケ君に尋ねられる。
「なあ、今何か見えなかったか?」
「え?ああ、うん……」
唐突にそう訊かれ、俺は嘘吐く余裕もなかった。
パワポケ君は「うーん」と首を傾げている。
「あの森に変な生き物がいるとか?」
「いや、流石にいないんじゃないそれは」
「でも確かに見たんだよな」
未だ首を捻り続けているパワポケ君を見て、そりゃいるでしょうねと、心の中で呟いた。
同時に、彼女に対して文句の言葉をぶつける。まったく、何が隠密術だ。俺はともかく、他の人にも普通に見つかってるじゃないか。
そんなことを思っていると、唐突にパワポケ君が言った。
「なあ、ちょっと行ってみないか?」
「えっ?」
その言葉に、思わず訊き返してしまう俺。
パワポケ君は興味あり気に続ける。
「あの生き物がなんなのか気になるし。ちょっとだけさ」
そう提案するパワポケ君に、俺は少し迷った末に頷いた。
「別にいいけど……」
「よしっ!決まりだな」
パワポケ君が後ろで待つ荷田君の方を向く。
「荷田君、悪いんだけど先に行ってて」
「は?なんでやんすか急に」
「ちょっとおなかが痛くて。トイレが長くなりそうなんだ」
「はあ。別にいいでやんすが」
荷田君の視線がこちらに移る。
俺も続けて言った。
「ちょっと涼んでから行くわ」
「涼むって、まだ冬真っただ中でやんすけど」
何言ってんだと言わんばかりに、当然のツッコミを入れられる。
俺はそれに肩を竦めていると、荷田君は「風邪には気を付けるでやんすよ」とだけ言い残し、屋上から出て行った。
「……いい奴だね」
「俺もそう思うよ」
パワポケ君が同意する。
二人で荷田君を見送ってから、校舎を出た。
そして、例の人影が消えた森の前へと向かう。
「どうする?熊とか出たら」
「……出ないと思うよ。たぶん」
パワポケ君の問いかけに、俺は明後日の方を見ながら答えた。
熊とかよりも、幽霊とかお化けの方がまだしっくりくる気がする。
しばらくの間、俺とパワポケ君は森の中を徘徊して回った。
その間、なるべく彼を旧校舎へと近付かせないようにしていたが、俺も大概方向音痴である。
いつもの道からは反れていたはずなのに、気が付くと結局、旧校舎の目の前へと来ていた。
「お~、森の奥にこんな場所があったのか」
辺りを見回し、パワポケ君が驚いたように言う。
俺はパワポケ君が動き出す前に、校舎裏の方に目をやった。
(いないか……)
俺は「ふぅ」と安堵の息を吐いた。ここで見つかっては、またややこしいことになってしまう。それだけは避けたかった。
パワポケ君が旧校舎を見て言う。
「昔の校舎っぽいけど、もう使われてないのかな?」
「ぽいね。もう崩れかけてるし」
「だいぶ古そうだもんな」
窓から旧校舎の中を覗いて満足したのか、やがてパワポケ君は旧校舎から目を離した。
「崩れたら危ないし、帰るか」
「うん、そうしよ」
二人して旧校舎に背を向ける。
その時、ちょうど部活開始を告げるチャイムが鳴った。
「やばっ!ごめん神城君、俺先行くわ」
とパワポケ君。
俺が何かを言う前に、彼はそのまま来た道を戻って行った。
俺はホッと胸をなでおろした。
かなりヒヤヒヤしたが、扉のことも高科さんのこともバレずに済んだ。
まったく、なんで俺がこんなに緊張しなくてはならないのか。それもこれも、みんなあの自称新聞部のせいである。
そんな不平不満の感情を、心の内に募らせていると、不意に後方から鍵の開閉音が聞こえてきた。
ガチャリ。そのまま扉が開かれる。
サッと後ろを振り返ると、そこには案の定、この不平不満の元凶が立っていた。
「ふう~。買ったのはいいんだけど……どうしようコレ」
目の前の人影──高科さんは、手に持った何かを見て、ブツブツと呟いている。
こちらまで届くか届かないかの声量なので、何を言っているかまでは聞き取れない。
「意外と意気地がないですねえ~。自分でも驚きですよ」
何やら肩を落として、ため息を吐いたように見えた。でもその理由までは分からない。
ただ、俺の存在には気が付いていないようだった。
(何してんだ……?)
仕方がないので、こちらから声をかけることにした。
パワポケ君の件も、注意する必要がある。
「何してんすか」
「きゃっ!」
声をかけられたことに相当驚いたのか、高科さんは肩をビクッと震わせて、小さな悲鳴を上げた。
「神城君?!ななななな、なんでここに?」
「いや、まあ色々あったんで……」
目を丸くしている高科さんをよそに、俺はここに来た経緯を説明した。
「普通にバレてましたよ」
「おかしいですねえ~。そんなへまをナオっちがするわけないのですが……神城君はともかく」
最後の方は何を言っているか聞こえなかったが、高科さんは不思議そうに首を傾げた。
俺は無駄だと理解しながらも、呆れ半分で言う。
「まあ、気を付けた方がいいっすよ」
「ご忠告感謝しますよ」
緊張感皆無の声色で、返事が返ってくる。
その様子を見て、またため息が漏れ出そうになったが、ふと高科さんの手に持った物が目に留まった。
「なんすかそれ」
「へ?あ、こ、これですか?」
何やら慌てふためいた様子を見せる高科さん。
俺が怪訝そうな目を向けると、またすぐにいつもの調子に戻って言った。
「お菓子ですよ。今日発売のお菓子がありまして、さっそく買いに行ったわけです」
「へえ……確かに甘そうな匂いっすね」
この匂いはおそらく、チョコレートだなと思った。
ぱっと見た感じ、綺麗にラッピングされているし、これを買いに行ったというのは嘘ではなさそうだ。
俺はそれから目を離して言う。
「じゃあ、そんな感じなんで」
「えっ?もう行っちゃうんですか?」
「いや、また誰かに来られたらやばいじゃないすか」
「そ、それはそうですけど……」
そう言って俯く高科さん。
それを見て、俺はなんなんだと頭を掻いていると、唐突に高科さんが「そうだ!」と声をあげた。
「見つかったからには、神城君を口止めしなければなりません」
「はあ」
「というわけで、このお菓子は神城君にも、お裾分けです。これで神城君も共犯者ですよ」
高科さんはそう言うと、手に持った小包を渡してきた。
何がというわけなのか理解できなかったが、渡された以上、受け取らないのもあれなので、俺は素直に受け取ることにした。
「では、ナオっちはこれで!」
小包を渡すと、俺が何かを言う前に、高科さんは森の中へと走り去って行った。
場には俺だけが取り残され、周辺が一気に静まり返る。
「何事……?」
俺は首を傾げつつも、渡された小包に目をやった。
やはり綺麗にラッピングされたそれには、何やら文字付きのシールが貼ってある。英語ではあったが、俺にはその意味が直ぐに分かった。
「St. Valentine(セント バレンタイン)」
要するにバレンタインデーということだ。
このお菓子は、つまりはそういう目的のために販売されているのだろう。
そんなものを、俺は半ば強引ではあったが受け取ってしまった。
見たところ、これ一個しか持っていなさそうだったが、俺なんかに渡してしまって良かったのだろうか?
女子寮で売ったり、友達や妹にあげたりなど、用途はいくらでもありそうなのに。
俺はしばらく考えて、小包から目を離した。
「まあいいか。俺は渡されただけだし。渡してきた向こうが悪いよ」
小包をズボンのポケットにしまい、俺も旧校舎を後にする。
先ほどはああ結論付けたが、その帰り道、俺の頭の中ではもう既に「貰った物は返すべきか」という、次の議題でいっぱいだった。
◆◆彼女との日常③ その3◆◆
一月後。その日はあっという間にやってきた。
就業のチャイムが鳴り渡り、周りの人たちが席を立ち始める。
俺もそれに合わせて、机の上の教科書やら筆記用具を、鞄の中にしまった。
そして、ちらっと壁の時計に目をやる。
実に微妙な時間だった。俺は頭の中で軽く、シミュレーションを始める。
教室を出て屋上に向かい、彼女を探してこいつを渡す。要はたったのそれだけだ。目標の時間内に達成できれば、ゲームクリアと言える。
俺は鞄の中のそれにちらと目をやると、席を立つのと同時にため息を零した。
なぜこんなシミュレーションを行う必要があるのか?
それは、こんな日に限って、また先生から呼び出しをくらったからである。本当に間の悪い話だ。
だがそれも、今日で終わる予定である。
やる気は皆無だが、とりあえず次の部活はもう決めてあった。あとはそれを先生に報告すればいい。
「おっ、最近先生に呼び出されてばかりの神城君が、お帰りでやんす」
席を立ち、歩き出そうとしたところ、前の席の荷田君から声がかかった。
「部活もう決めたでやんすか?」
「まあ……一応」
荷田君の問いかけに、俺は目をそらして答える。
部活をやめてからというもの、彼から何度か野球部に誘われていたので、なんとなく申し訳なかった。
「まさか野球部か?」
そう言うのは、荷田君の隣の席のパワポケ君だ。
彼にもよく誘われたのだが、残念ながらご期待に沿えることはできない。
黙って首を横に振ると、二人とも見るからに肩を落としていた。
「部員ゲットのチャンスが……残念でやんす」
「まあ仕方ないよ。嫌でやるものじゃないしさ」
パワポケ君が、荷田君の肩にそっと手を置く。
まるでこちらが悪者みたいな空気に、俺は思わず苦笑いを浮かべた。
二人ともこんな俺を誘ってくれるなんて、本当にいい人らなのだが、こればかりはどうしようもない。
俺は二人に手をあげて、別れの挨拶を済ませると、教室を後にした。
(さて、行くか……)
タイムリミットまで残り数十分。駆け足で屋上へと向かう。
そもそも彼女が見つからなかったら時点で、ゲームオーバー不可避だが、どうせ見つかるだろうと心の内で言い聞かせていた。
誰もいない屋上に続く階段を駆け上がり、扉を開ける。
人影がないことを確認してから、俺は辺りを見下ろした。
(いるか……?)
男子校舎周り、グラウンド、森の方と視線を泳がせる。
すると、先ほどまでの不安はよそに、堂々と森の中へ消えていく彼女が見えた。
「あ、いた!」
それを視認するや否や、俺はその場から走り出した。
簡単に見つかりすぎな気もしたが、今度ばかりはナイスと褒め称えてもいい。
ただ、彼女のことなので、急がないと外に出てしまう可能性もあった。
そうなると時間的に、ゲームクリアが絶望的になってしまうので、それだけは避けなければならない。
先生に注意されない程度に、急いで校舎を飛び出した。
そして、目標の位置まで走る。
「運動、不足だな、俺……」
少し動いただけで息が切れるとは、なんとも情けない話だ。
もともと体力のある方ではないのに、それが部活を辞めてから更に磨きがかかっている。
やっとの思いで、彼女が見えた付近に着いた頃には、すっかり息も絶え絶えになっていた。
俺は息を整えながら、周囲を見渡す。
「あれ、いねえ……」
もう旧校舎の方まで行ってしまったのだろうか。
もっと空気を吸いたがる身体に鞭を入れ、足に力を込める。
と、その時。
突然、横から目的の人影──高科さんが姿を現した。
「お待たせしました!では、さっそく参りましょう!」
「……」
「ナオっちと行く!親切高校不思議探検ツアーの旅!イン森!」
「……なんすか急に」
やっと普通に喋れるぐらい、息が整ったところで、俺は「何を言ってるんだこいつ」という視線を送った。
もしかして、高科さんも俺に気付いていたのだろうか。でないと、こんなタイミング良く出てこない気がする。
「おや、随分とお疲れですねえ~。そんなにナオっちに会いたかったんですか?」
そんな俺の内心など、知ったこっちゃないと言わんばかりに、彼女はニヤニヤした顔で言った。
俺はこれまでで、一番深いと思われる程のため息を零すと、黙ったまま鞄から小包を取り出した。
そして、未だ呑気な表情を浮かべる彼女に、それを突き出す。
「これ、どうぞ」
「えっ?なんですか急に」
唐突な出来事に理解が追い付かないのか、高科さんは目を丸くしていた。
俺は続けて言う。
「この前のお返しっすよ」
「この前の?あ、ああ……あれですか」
やっと状況を飲み込めた様子の高科さん。
彼女はじっと、突き出された小包を見つめている。
(早く受け取ってくれよ……)
とりあえず何かしらのリアクションがないと、こちらもどうしていいか困ってしまう。
受け取るなら受け取る、嫌ならそれを言ってくれないと、何も対処のしようがない。
どうしようもできずに、その場に佇んでいると、高科さんは静かに口を開いた。
「これ、本当にいいんですか?もらってしまって」
「いや、全然いいですけど……」
ようやく喋った彼女の反応に、首を傾げつつも、改めて小包を渡す。
高科さんは、少し躊躇いがちにも、ゆっくりとそれを手に取った。
「あ、ありがとうございます」
「うっす」
俺はやれやれと、小さく息を吐いた。何はともあれ、これでゲームクリアである。
ちらっと高科さんに目をやると、まだ小包を見て固まっていたが、とりあえず受け取ってもらえたので良しとしよう。
腕の時計に視線を移す。先生に呼ばれた時間まで、意外と余裕があった。
まあこれも、高科さんが直ぐに見つかったおかげだが。
「じゃあ、俺もう行きますわ」
そう言って、俺は高科さんに背を向けようとする。
「あっ!ちょっと待って!」
「はい?」
不意に呼び止められて、俺の足が止まった。
また話が長くなるとあれなので、なるべく静かに去ろうと思ったのだが。
高科さんを見ると、あからさまに目を泳がせていた。
「いや、そのですね。もうちょっと一緒にいたいなあというか……ずっといたいなあというか」
「はあ」
正直、声が小さくて何を言っているのか聞き取れなかったので、適当に返事した。
様子のおかしい彼女に、疑問を覚えていると、高科さんが続けて言った。
「痛いなあ」
「え?」
「胸がチクチクとしております」
「大丈夫すか?」
「……」
高科さんからの返事はない。俯いたまま、黙り込んでしまった。
そんな彼女の姿を見て、様々な想像が頭の中を駆け巡ったが、俺はそれら全てにふたをした。
今は考えふけっている時間はない。先生に呼ばれた刻限が、ぼちぼち迫ってきている。
「あの、そろそろ行きますわ。先生に呼ばれてるんで」
「あっ……うん。そうですね」
そう言う高科さんの声からは、相変わらず覇気が感じられない。
ただ、とりあえず反応が返ってきたので、俺は高科さんに背を向けた。
(時間ないし、仕方ない)
俺は後ろの彼女の様子が気になったが、その気を振り払って、校舎へと引き返して行った。
誰もいなくなった森の中。
あたしはただ一人、その場に立ち尽くしていた。
去り行く彼の背中が見えなくなっても、もっと話していたかったなと、そんな気持ちが胸の奥から湧き上がってきて止まらない。
そう思っているのは、あたしだけなのだろうか。
彼ももしかしたら、なんて淡い期待を抱きつつも、あの様子を見るにないだろうなと肩を落とした。
あたしは肩のついでに視線も落とす。手の中には彼から受け取った小包が一つ、ぎゅっと握られている。
不器用にラッピングされたそれは、明らかに市販の物ではなかった。
「手作りときましたか……」
彼からこれを差し出された時、あたしは心底びっくりしていた。
たぶん、あの時カメラで顔を撮られていたら、一生笑い者にされていたことだろう。
それぐらい、びっくりした。
まさかあんな唐突に渡した物で、お返しが返ってくるなんて。
あたしは小包から顔をあげて、彼が去って行った方に目をやった。
「はぁ……どうも病気みたいですよ、神城君。後天性の不治の病のようです」
聞こえるはずのない彼の背中に、心の内を吐露する。
「恋の病か……病気にかかるのなんて、本当に突然だね」
そう言って、あたしは小さく笑った。
さてさて、このあたしを惚れさせた罪は、高くつきますよっと。
既に頭の中では、どう当たって砕けるかで脳がフル回転している。
可能であれば砕けたくはないが、彼のことだ。興味がないと一掃されそうで、少しだけ怖い。
「これは充分に、作戦を練る必要がありそうですねえ~」
あたしは頭の中で、様々な思考を張り巡らせながら、彼からもらった小包の中のそれを、口へと運んだ。
チョコレートケーキだった。程よい甘みが口の中に広がっていく。
「は~、料理まで上手いとは。どこまでも優秀な相棒で鼻が高いですよ、まったく」
自然と口から出た感想だった。料理が下手なあたしとは大違いだ。男子のくせに。
あたしは彼に対し、理不尽な文句を抱きながら、最後の一口を口の中へと放り込んだ。