芳槻さん初登場回。
キーンコーンカーンコーン。
その日、最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
チャイムが鳴り終わるのと同時に、教室内がざわざわし始める。
俺もそれに合わせるように、伸びをしていると、先生が待ったをかけるかのように言った。
「来週、小テストを行います。成績に響くので、よく復習しておくように」
「えええーーーっ!!」
先生の放った台詞に、男女関係なくブーイングの嵐が巻き起こる。
男女共学になってから、はや数日。もう当初のピリピリした空気はなく、ごく普通の共学校と変わらない日常が訪れていた。
このブーイングの嵐が、その証明である。
「ふぁ~あ。あれ、終わった?」
前の席のパワポケ君が、大きなあくびとともに起床した。後ろから見てたが、たぶん授業の半分以上は寝てた気がする。
その様子を見て、隣の席の荷田君が、呆れたように言った。
「よだれ、垂れてるでやんすよ」
「おっと、いけないいけない」
荷田君に指摘されて、慌ててよだれを拭くパワポケ君。
この光景も、一年生の時から見慣れてしまった。
「こんな天気のいい日は、屋上にでも行って昼寝したくなるなあ」
「なに呑気なこと言ってるでやんす。来週、小テストらしいでやんすよ」
「あー……まあなんとかなるよ。うん」
「それで毎回、悲惨な点数取ってるの忘れたでやんすか?」
「大丈夫だよ。英語なんてふぃーりんぐ?でどうとでもなるさ」
「……さすが、
「いや、あれは!」
荷田君の鋭いツッコミが、パワポケ君に突き刺さる。
俺は二人のやり取りを聞いていて、危うく吹き出しそうになった。
パワポケ君と同じクラスだった人なら、知らない人はいないであろう、伝説の
今も思い出しただけで、口元が緩んでしまう。
そう、あれはバレンタインの日のことだった。
英語の授業で、ちょうどバレンタインを題材にした英文を、パワポケ君が読んでいた時。
St. Valentineのつづりを、セットヴァルエンチンと読み間違えたのである。
瞬間、パワポケ君を中心に笑いの渦が巻き起こった。
当の本人は不思議そうに首を傾げていたのが、笑いポイントをさらに増幅させていた。
加えて、事実を知った後の慌てっぷりも加点ポイントだ。
最初は「笑いごとか」と絶句していた俺も、今ではすっかり周りに毒されてしまった。
あんな恥ずかしい目に遭ったというのに、平気で居眠りするからメンタル強いなと思う。俺だったら、まともに顔をあげて歩けないだろう。
(そういえば……)
ふと疑問に思った。
高科さんて、頭良いのだろうか。新聞部を名乗るぐらいなので、少なくとも国語の成績は良さそうだが。
なんてことを考えながら、机の上を片付ける。そこにちょうど、高科さんがやって来た。
「へえ~、実に面白そうな話ですね。あたしも混ぜてくださいよ」
面白いネタを発見したかのように、目を光らせる高科さん。
そんな高科さんとは対照的に、パワポケ君は見るからに嫌そうな顔をした。
「げっ、高科……!」
「パワポケ君の恥ずかしい話を語ろう会ですか?」
「ぜ、全然違うぞ。三人で今度の小テストの復習をしていたところだ」
「ほう、それはそれは。勉強熱心でなによりですよ」
苦し紛れにそれっぽい言葉を返すパワポケ君だが、高科さんはまるで信用していない様子。
その証拠に、ちらちらと荷田君と俺の方に視線を飛ばしている。
荷田君は知らぬ存ぜぬといった感じで、完全に明後日の方向を見ている。シャッターを閉じて、店じまいといった感じだ。
まあ、それが無難だと思う。高科さんに目をつけられたら最後、色々な意味でヒヤヒヤさせられることになるから。
現に、パワポケ君がその状態だし。
「それで、勉強の方は順調ですか?」
「ぼちぼちだな、うん」
あからさまに目を泳がせながら、返答するパワポケ君。
その様子を見逃すことなく、高科さんが追撃を仕掛ける。
「では、あの噂は嘘だったんですかねえ~。伝説の──」
「ああああーー!俺はもう部活に行くぞ!」
そう言って、パワポケ君は逃げるように教室から出て行った。
さすがのパワポケ君でも、人並みの羞恥心は持ち合わせていたらしい。
高科さんが残念そうに呟く。
「せっかく、面白そうなネタが手に入るチャンスだったのに……」
これだから、彼女と関わるのは怖いのだ。
まあ、今回に関してはパワポケ君の自業自得も否めないけど。
「じゃあ、おいらも部活に行くでやんす」
荷田君が席から立ち上がる。去り際、荷田君はこっちを見て言った。
「青春も結構でやんすが、自治会には注意するでやんすよ」
「ご忠告感謝しますよ!」
呑気な声で返事する高科さん。俺も黙ったまま、深く頷いた。
俺と高科さんに見送られて、荷田君も教室から出て行った。
その背に向かって、
「まあ、もう目をつけられてるので、その忠告に効果はないんですけどねえ~」
あははと笑いながら、高科さんが言った。
俺は心の中で「ですよねー」と納得する。よく笑ってられるなとは思うが。
ふと、高科さんの目がこっちに移った。
「さて、今日は何をしましょうか!」
笑みを崩すことなく、高科さんが訊いてくる。
俺はたまには反撃してやろうと、目を細めて逆に訊き返した。
「テスト大丈夫なんすか?」
「ぎくっ……」
高科さんの顔から、笑みが消える。反撃成功のお知らせが、頭の中で鳴り響いた。
高科さんが、乾いた笑みを浮かべて言う。
「いやあ~、正直さっぱりでして。このままだと、0点街道まっしぐらですよ」
「笑い事じゃなくないすか……」
高科さんの呑気さに、自分からも乾いた笑いが零れ出る。
すると、高科さんは唐突に目を光らせた。
「大丈夫ですよ!あたしには、優秀な彼氏さんがついてますからね!」
胸を張って言い放つ高科さん。
俺は隠すことなく、ため息を吐いた。この様子だと、英語に限らず他の教科もダメそうだな……。
「英語、得意ですよね?」
高科さんが、続けて訊いてくる。
俺は目をそらして、ボソッと小さな声でそれに答えた。
「……人並みには」
「じゃあ大丈夫です!信吾君に教えてもらえれば、ナオっちのやる気も全開ですよ!」
そう言って、それっぽい仕草を見せる高科さん。はたから見れば、頑張るぞと意気込んでいるように見える。
「でも、勉強するのはテスト前日の一日だけにしましょう。信吾君との貴重な時間を、勉強に取られたくないので」
と高科さん。
また、すぐこういうこと言う。まだ教室に人もいるのに。高科さんて、羞恥心というものをお持ちでない?
とはいえ、一緒に勉強するのが嫌なわけではない。上手く教えられるかは分からないが。
俺は、さっきと同じぐらいの小声で、
「まあ……いいっすよ」
目をそらしながら、そう答えた。途端に、高科さんの表情がパアッと明るくなる。
「やった!これで二桁は固いですよ!」
嬉しそうに喋る高科さん。ちょっと待て、二桁って言ったか今。
俺は自分の耳を疑うようにして、高科さんに目をやる。
しかし、鼻歌混じりに席を立つ彼女を見て、聞き間違いじゃないことを確信した。
(まじかよ……)
早くも、上手く教えられる自信が消失していく。というか、小テストで二桁って、定期テストになったらどうなるんだよ。
俺はそれ以上、考えることをやめて席を立った。考えたところで、どうしようもないしね。
「では今日も、元気におもしろいネタを探しに行きましょう!」
「うっす」
二人で教室を後にする。
「とりあえず、中庭に行きましょうか」
「いいっすよ」
進路を中庭にとる。
最近の傾向として、放課後はまず中庭に足を運ぶことが多い。そこからどこか散策したり、そのまま駄弁ったりと、方針を決定する。
こんなこと、少し前までは考えられなかったけど、今では当たり前の日常と化している。まあ、男子校舎に忍び込む誰かさんのおかげで、散策したり駄弁ったりはやれていたのだが。
そんな誰かさんは、すぐ隣を鼻歌混じりで歩いている。
「ん?なんですか?」
「……いや、なんでも」
危ない。危うく目が合いそうになった。
横目で首を傾げる高科さんを視認しつつ、正面に目を戻す。
すると、屋上へと続く階段から、パワポケ君が下りて来たのが目に入った。
パワポケ君は、俺と高科さんに気が付くと、そのまままっすぐこっちに歩み寄って来た。
「二人とも、ほんと仲いいな」
俺と高科さんを見て、パワポケ君が声をかけてくる。
「二人は付き合ってるのか?」
ニヤニヤ顔で訊いてくるパワポケ君。
まったく、すぐそういう話に持っていこうとする。
そんなこと言ったら、誰かさんが調子に乗って──。
「付き合ってますよ!ねっ、
満面の笑みでこっちを見てくる高科さん。
俺はそれに反応せず、ため息とともに額に手をやった。
ほら、こうなったでしょ。言わんこっちゃない。
「そ、そうなんだ……」
「これから二人で、おもしろいネタを探しに行くところだったのですよ」
「へえー」
なんとなく、パワポケ君から憐みの目を向けられているように感じた。
別にネタを探すのはいいんだけど、他の人に堂々と付き合ってる宣言だけは、やめてほしいんだよな。あと人前で名前呼びも、勘弁してほしい……。
これ以上、高科さんに喋らせると何を言うか分からないので、話題を変えることにした。
「部活は?」
部活に行くと言って、教室を出て行ったパワポケ君。
それが屋上から下りてきたので、なんとなく気になったのだ。
パワポケ君は苦笑いを浮かべながら、俺の質問に答えてくれた。
「いやあ、部活まで屋上で昼寝しようと思ったんだけどさ」
「ほんとに行ったのか……」
「パワポケ君らしいですねえ~」
パワポケ君の台詞に、俺と高科さんがそれぞれ言葉を返す。
パワポケ君は「でも」と続けた。
「まあ、先客がいて寝れなかったんだけどね」
残念そうに肩をおとすパワポケ君。
今度は、その先客が気になってしまった。パワポケ君の昼寝を、自重させるレベルの先客。よほどの人だろうなと勝手に想像した。
俺が訊くより先に、パワポケ君が首をひねりつつ言った。
「やけに暗い顔をしてたな。こんないい天気なのに」
パワポケ君の顔が、窓の外を向く。
なんだか、その人に妙な親近感を覚えた。以前、パワポケ君に同じことを言われたからかな。
ふと、高科さんが真剣な面持ちで口を開く。
「その人って、女子ですか?」
「ああ、女子だったよ。顔はよく見てないから分からないけど」
「……そうですか」
パワポケ君の返答に、高科さんはどこか遠い目をして呟いた。
俺はそんな高科さん見て、目を細める。この雰囲気、彼女が時折見せる哀愁モードだ。ということは、おそらくその子は、高科さんと関係のある人物。
そう、例えば前に教えてもらった妹とか。
でもそれはそれで、疑問が残る。それは二年生の初めに、廊下に張り出されたクラス表だ。ざっとしか目を通していないが、確か「高科」の名字は一人だけだった気がする。
(違うか……)
俺はそれ以上、考えることをやめた。誰にだって、人に詮索されたくない過去の一つや二つ、抱えているだろう。こんな高科さんでも、それは例外ではない。
「さてと、部活行くか」
こっちを見て、パワポケ君が言う。
「二人とも、程々にな」
つい先ほど判明した、無意味な忠告を残して、パワポケ君は部活に向かって行った。
周りに人通りはなく、急な静けさが訪れる。
やがて、高科さんが口を開いた。
「あたしたちも行きましょうか!」
そういう高科さんの顔には、いつもの明るさが戻っていた。
俺は頷いて、本来の目的地であった中庭へ、再び足を進める。
(今度、屋上覗いてみるか)
歩きながら、俺は頭の中でそんなことを考えていた。
◆◆彼女との日常⑤ その2◆◆
翌日の放課後。
帰り支度を整えていると、寝起きのパワポケ君が伸びをしながら言った。
「今日もいい天気だなあ。こんな天気のいい日は、屋上にでも行って昼寝したくなるなあ」
「また言ってるでやんす……」
荷田君が、呆れた目をパワポケ君に向ける。
と、そこへ高科さんが近寄って来た。
「先に行っててください。ナオっちは野暮用を片付けてから行きますので」
「あ、はい」
俺が言葉を返すと、高科さんは軽い足取りで教室から出て行った。
荷田君の目が、俺の方を向く。
「神城君は、今日もデートでやんすか?」
疑問を投げかけてくる荷田君。
俺は帰り支度を整えつつ、それに答える。
「デート……デートではないな」
少し考えてから、言葉を付け足した。
「もはやルーティンだし」
「はえー、おいらも言ってみたいでやんす……」
俺の言葉を聞いて、荷田君はガックリと肩をおとした。
心の中で「頑張れ荷田君」と、声援を送る。
ふと、パワポケ君が椅子から立ち上がった。
「荷田君、先行ってていいよ。屋上で昼寝してから行くから」
「寝坊しても知らないでやんすよ」
「大丈夫。チャイムの音で必ず起きる体になってるから」
「それじゃ遅いでやんすよ……」
ため息混じりに喋る荷田君。
パワポケ君はそのまま、足早に教室から出て行った。
俺と荷田君も、それに続くようにして、椅子から立ち上がる。
「あれでキャプテンが務まるのか疑問でやんす」
と、荷田君が呟く。その呟きに、俺は疑問を抱いた。
「パワポケ君が?」
「そうでやんす」
俺の疑問に、頷く荷田君。
「勉強は壊滅的でやんすが、野球に関してはピカイチでやんすからねえ。あれならプロも夢じゃないでやんす」
「まじかよ。すご」
知らなかった。パワポケ君て、そんなすごい人だったのか。
俺も野球をやっていた身として、プロを狙えるレベルがどんなものなのか、なんとなくは分かる。ごまんといる高校球児の中でも、プロになれるのはほんの一握りの狭き道だ。
その道を、まさかパワポケ君が。俺は昔、所属していたチームの監督が言っていた言葉を思い返す。
「野球はバカじゃできない」
この言葉を、俺は訂正する。勉強で使う頭が悪くても、野球で使う頭が良ければ問題ないと。
まあ、それでもセットヴァルエンチンはどうかと思うが。
俺と荷田君で、揃って教室の外に出る。
「じゃあ、おいらは部活に行くでやんす」
「うい」
部活に向かう荷田君を横目に、俺は中庭へ進路を変える。
でも、すぐに足を止めた。
(屋上、覗いてみるか?)
方向転換した瞬間、俺はハッとする。
そういえば、今日はパワポケ君が昼寝をしに行ってるんだった。
それを思い出して、また方向転換しようとした、その時。
廊下の奥に、ちらっと高科さんの姿が見えた。
(あれ、何してんだ)
考える間もなく、高科さんは屋上へと続く階段の奥に消えていった。
俺は首をひねる。野暮用というのは、屋上にあるのか?
次の進路が確定した。中庭という選択肢は消し去り、方向転換した通りに屋上へ向かう。
理由は特にない。ただなんとなく、何しに行ったか気になっただけ。
まっすぐ廊下を歩いて、階段の前で止まる。一息吐いてから、階段を上り始めた。
そして、ちょうど階段を半分上りきったタイミングで、上の方から扉の開く音が聞こえてきた。
タタタタタタ!
誰かが階段を駆け下りてくる音。俺はぶつからないように、端っこに寄る。
やがて、足音の主が目の前に現れた。そのまま駆け下りて行くかと思いきや、足音の主は俺を見るや否や、その足を急停止させた。
「っ……!」
目を丸くして、俺のことをじっと見てくる。
足音の主は、なんと女子だった。顔に見覚えがないので、同じクラスではないと思う。
なるほど。この子が昨日、パワポケ君が言ってた子か。
俺は何も言わず、軽く頭を下げる。すると、彼女も同じように頭を下げてくれた。
そして、彼女は再び階段を駆け下りて行った。
(なんだったんだ?)
首をひねりつつ、階段を上って屋上に足を踏み入れる。
その先では、パワポケ君が呆然と佇んでいた。なにしてるんだろうと思いつつ、周りを見渡す。
しかし、他の人影は確認できなかった。
(あれ、いないじゃん)
屋上に行ったはずの高科さんの姿が見えないことに、俺は疑問を抱いた。
確かに、階段を上って行ったはずなのに。
「あれ、神城君?」
パワポケ君がこっちに歩いてきて、声をかけてくる。
「神城君も昼寝しに来たの?」
「なわけないでしょ」
乾いた笑みを浮かべて、即答する。
俺は後ろを見て、さっきの女子について訊いた。
「なんか今、女子とすれ違ったけど」
「あ、ああ」
パワポケ君の表情が曇る。
「何もしてないんだけど、逃げられちゃったんだよな」
「あらら」
「ショックだよ。地味に」
ガックリと肩をおとすパワポケ君。
この様子だと、また昼寝できてなさそうだ。
顔をあげて、パワポケ君が訊いてくる。
「なにか話した?」
「いや、頭下げたぐらい」
「まじかよ。俺なんて目合わせた瞬間、逃げられたぞ」
「それはどんまいすぎる」
俺は半笑いを浮かべて言った。ついでに、心の中で少しだけ同情する。
「よし、部活行くか」
沈んだ気分を吹き飛ばす様に、パワポケ君が言った。
二人で並んで、扉まで歩いていく。
パワポケ君が先に通り、俺も一歩出たところでピタッと足を止めた。
「行かないの?」
不思議そうに訊いてくるパワポケ君。
俺は少し黙考してから、先に行くよう促した。
「先行ってていいよ」
「あ、ああ。分かった」
パワポケ君が屋上を後にする。これで、屋上には誰の姿もなくなった。
扉を閉めて、再び屋上に足を踏み入れる。
(さて……)
一見、誰の姿も見えない屋上。でも、俺の勘が正しければ……。
俺は中庭の見える位置まで、移動する。中庭を確認して、まだ高科さんがいないことを確認。
そして、振り返って屋上を全体的に視認する。やっぱり誰もいない。
目を細めて、例のあの場所まで移動する。ここにいなければ、俺の勘は外れたことになる。
緊張の一瞬。
いきなり出てこられても心臓に悪いので、できるだけ距離を取って、その場所を覗いた。
「……いないか」
ぼそっと呟く。いるとしたら、ここだと思ったのだが。
他に隠れられる場所も思いつかないし、俺の勘は完全に外れたようだ。
俺は諦めて屋上を後にした。階段を駆け下りて、足早に中庭へ向かう。
中庭に着くと、ベンチに腰掛ける高科さんが見えた。
(え、まじかよ)
驚いて足が止まる。さっき見た時はいなかったのに。
解せない気分のまま、高科さんのもとに歩み寄る。
高科さんは俺に気が付くと、笑みを浮かべて言った。
「遅かったですね。待ちくたびれましたよ」
「え、そんなに待ちました?」
「いえ、あたしも今来たところですよ」
高科さんがベンチから腰を上げる。うーん、なんか解せない。
俺は率直に、階段のところで見た高科さんについて、尋ねることにした。
「さっき屋上に行きませんでした?」
「えっ?」
高科さんが目を丸くする。まるで、図星をつかれたかのように。
「い、いや、いないですよ。いませんです、はい」
そう言う高科さんの目は、完全に明後日の方向を向いている。
はい、ダウト。もはや隠す気がないのではと、逆に勘ぐってしまう。
「……そうすか」
嘘を吐いていることは確定したが、それ以上の追求はやめた。
高科さんのことなので、訳ありなのだろう。確証はないけど、たぶんあの子が高科さんの──。
頭の中で思考にふけっていると、高科さんが俺の手を引いた。
「さあ、今日もおもしろいネタ探しの旅に出発ですよっ!」
高科さんに手を引かれ、中庭を後にする。
俺はさっきまでの思考の記録を、頭の片隅にしまった。
◆◆彼女との日常⑤ その3◆◆
その翌日。
授業の合間の休憩時間に、トイレを済ませて教室に戻ろとしていたところ。
廊下の奥に、高科さんの姿が見えた。高科さんは、また屋上の階段の方に消えていった。
俺はちらと時計を確認する。次の授業が始まるまで、まだ少し余裕がある。
そう結論付けて、廊下を歩き出した。当然、目指すは屋上だ。
別に高科さんが何をしようが、干渉する気は毛頭ない。ただ、いつも好き放題されている身としては、たまには、反撃してやらないとな。
謎の反抗心を掲げ、屋上の階段を上る。少し上って、俺は足を止めた。
上の方から、誰かの話し声が聞こえてくる。それに、扉が閉まる音も続いた。
(誰かいるのか)
扉が閉まっても、誰かが下りてくる気配はない。
俺は下から、扉の方を覗き込んだ。
すると、こっちから扉に手をかける高科さんの姿が目に入った。どうやら、扉を閉めたのは彼女のようだ。
でも、高科さん以外の人影は、見受けられない。確かに、話し声が聞こえたような気がしたんだけど。
高科さんが、扉に背を向ける。こっちを向き、階段の下の方にいる俺と目が合った。
「あっ……」
目を大きく見開く高科さん。俺がここにいることに、驚いている様子。
俺は階段を上って、声をかけようとした。
が、すぐに高科さんが階段を駆け下りてきた。
「退散しましょう」
「えっ?」
唐突に言われて、間抜けな声で訊き返す俺。
その時、屋上の方から、今度はハッキリと誰かの話し声が聞こえてきた。
俺は屋上の方に目を移す。やっぱり聞き間違いではなかった。高科さん以外にも、誰かいるんだ。
自分の耳の良さに感心していると、不意に手を引かれた。
それと同時に、予鈴のチャイムが鳴り響く。
「行きますよ!」
「ちょ──」
俺が何かを言う前に、手を強く引かれる。
そのまま、俺と高科さんは逃げるようにして、その場を後にした。
その日の放課後。
いつものように、俺と高科さんは中庭にいた。
「さて、今日はどうしましょうか!」
笑みを浮かべて、高科さんが訊いてくる。
特に何も思いつかなかったので、その旨を答えた。
「いいすよ、なんでも」
少し素っ気ない返事だなと、言ってから思った。
でも、これで分かった。高科さんは、さっきの屋上での一件を、俺に話す気はないんだと。
久しぶりに、モヤモヤした気分になる。別にこちらから訊けば済む話だが、高科さんなら、自分から話してくれると、勝手に思っていたからかもしれない。
俺は一瞬だけ、目をつぶる。そして、気持ちを切り替えた。
ふと、高科さんの表情も、真面目なものへと変わる。
「やっぱり気になりますか?」
「えっ?」
突然、投げかけられた疑問に、俺は直ぐに答えることができなかった。
少し考えて、その言葉の意味を理解する。てっきり、話す気がないものと思っていたのだが。
俺は躊躇いがちに返答した。
「まあ……それなりには」
「うーん、そうですねえ~」
俺の返答に、考える素振りを見せる高科さん。
そして、いたずらな笑みを浮かべて言った。
「信吾君があたしのことを、ちゃんと
「……まじすか」
「あと、その敬語混じりの口調も禁止で」
どんどん追加注文が増えていく。最初の名前呼びですら、俺にはハードルが高いのに。
俺は歯を食いしばる。目の前には、余裕の笑みを見せる高科さん。
やっぱり訊くのやめようかなと思いつつ、ここまできて引き返すのも、という葛藤に苛まれる。
やがて、俺は大きなため息を零した。
いずれは避けて通れない道。今回は、癪だけどこっちが折れてやるとしよう……。
俺は腹をくくって、小さく息を吸ってから言った。
「な、ナオ……」
「はい、なんでしょうか!」
ニコニコ顔の高科さん。今となってはこの顔も、非常に腹立たしく思えてくる。
というか、名前呼んだんだから、話してくれても良いのでは?
「ほら、普通に教えてって言うだけですよ。頑張ってください!」
「くっ……」
完全に弄ばれている。反抗しようにも、今の俺にそれはかなわない。
俺は観念して、それを口にした。
「教えてくだ……教えて」
癖で敬語混じりになしそうになるも、なんとか言い直す。
これで終わったかと思いきや、高科さんは首を横に振って、
「目が泳いでますよ。ナオっちの目はここです」
追加で要求を飛ばしてきた。
もうこうなっては、ヤケクソだ。潔く散ってやろうじゃないか。
さっきよりも強く歯を食いしばる。そして、ちゃんと高科さんの目を見てから言った。
「教えて」
「誰にですか?」
「……ナオ」
名前を口にした瞬間、俺の中の何かが弾けた。
顔をそらし、肺に溜まっていた空気を、大放出する。顔から火が出そうになるというのは、まさに今の俺のことだろうなと思った。
最後に爆発したので、また追加要求されるかと心配したが、今度はお咎めなしだった。
肩で息をする俺を見て、高科さんが満足気に言う。
「仕方ないですね。照れ屋さんの信吾君にしては、頑張ったと認めてあげますよ」
ようやく、お許しが出た。上から目線の物言いが癪だが、今の俺に反抗する気力は残っていない。
いつか復讐してやると、心の中で固く誓い、高科さんの次の言葉を待つ。
すると、高科さんはいつものノリで口を開いた。
「といっても、パワポケ君の密着取材をしていただけで、大した話ではないんですけどねえ~」
アハハと笑う高科さん。それを聞いて、俺は心の中でパワポケ君に合掌した。
高科さんが「ほら」と話を続ける。
「パワポケ君、最近よく屋上に行くじゃないですか」
確かに。昼寝をするとかなんとかで、行ってる気がする。あんまりできてないみたいだけど。
「そこで、どうも他のクラスの女子生徒と、密会しているらしいのですよ」
「はあ」
イキイキと喋る高科さんとは裏腹に、なんとも気の抜けた反応をする俺。
あんまり人のプライベートに干渉するのは、俺の人としての考え方に反するんだけどな。というか、密会ってなんだよ……。
そんな俺の内心などつゆ知らず、高科さんが続ける。
「野球部次期キャプテン、しかもあのパワポケ君の色恋事情ですよ。気になるじゃないですか」
「へえ」
「そういうわけで、このナオっちが立ち上がったというわけです」
少しも悪びれる様子もなく、高科さんが言い切った。
俺が何か反応を示す前に、高科さんは「ちなみに」と付け加える。
「これはあくまでも、あたしの興味本位の取材なので、記事にする気はないですよ」
そう言う高科さんに、俺は「当たり前だ」と心の中でツッコむ。
すると突然、高科さんが、何か思いついたように声をあげた。
「あっ、そうだ!」
そして、俺のすぐそばに身を寄せてくる。同時に、俺も端っこに寄って距離をキープ。
「信吾君にお願いがあります。その女子生徒について、調査してきてください」
「えぇ……」
あまりにも唐突な高科さんのお願いに、俺は心底嫌そうな顔をした。
別に俺に頼まなくても、高科さんなら余裕で調べられるだろうに。というか、もう知っててわざと俺に頼んでるだろ。
様々な憶測が、頭の中で飛び交う。
高科さんが、さらに俺との距離を詰めてくる。また距離を置こうとして、気付いた。既に、際まで追い詰められていたことに。
逃げ場のなくなった俺に、高科さんが容赦なく詰め寄る。
「嫌とは言わせないですよ。あたしは信吾君のお願いを聞いて、極秘調査のことを教えてあげたんです。ギブ&テイクですよ」
「いや、俺だって名前呼んだじゃないすか」
「それは彼氏さんとして、当然のことですよ。どこの世界に、彼女さんのことを名字とさん付けで呼ぶ彼氏さんがいるんですか」
「それは……」
返す言葉が見当たらない。いや、正確にはあるけど、返すに相応しい言葉が思いつかない。
別に名前の呼び方なんて自由だし、普通にさん付けで呼び合ってるカップルなんて、この世にごまんといるだろう。
でも、それを言う気にはなれなかった。高科さんの台詞に、「確かに」と同意する自分もいたからだ。
やれやれ、今回も俺の負けか。俺は心の中で、ホールドアップ──白旗をあげた。
「……何を調査したらいいんすか」
観念した面持ちで、高科さんに訊く。
「先に言っときますけど、難しいことはできないすよ。尾行とか」
すると、高科さんは首を横に振った。
「分かってますよ。そんなこと、信吾君には望んでません」
左様ですか……。
ほんの少しだけ安心していると、高科さんは優しく微笑んでから言った。
「信吾君には、その子と友達になってあげて欲しいのですよ」
「えっ……」
聞き間違いだろうか。いま、俺にその子と友達になれって言わなかった?
「だいたい屋上にいるので。屋上に行けば会えますよ」
貴重な情報を提供してくれる高科さん。
この様子だと、残念ながら聞き間違いではなさそうだ。
「友達って、ハードル高すぎないすか……?」
高科さんと知り合って、約一年。今では、なんの因果か付き合うまでの仲になった。
であるならば、俺のコミュ力が終わってるなんて、とっくに気付いているだろう。野郎ならまだしも、女子と友達って、どうすればいいんだよ。
そんな俺の不安をよそに、高科さんは呑気な声で言った。
「大丈夫ですよ。あたしと喋っている時みたいにしていれば、問題なしです!」
そう言って、高科さんがベンチから腰を上げる。
俺の不安はなくならない。励ましてもらっておいて申し訳ないが、全然大丈夫ではない。まず、会話を展開できる様が想像できない時点で詰んでいる。
「ではさっそく、明日から作戦開始ですよっ!」
どんよりとした気分の俺に構うことなく、謎の作戦開始を告げる高科さん。もはや、退路は存在しない。
俺はこの日、何度目かのため息を零して、重い腰を上げたのだった。
次話から芳槻さん本格的に出てくる予定