とあるモブ男子の奈桜ルート攻略   作:Sh1Gr3

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※少しでも吐き気を催したらそっ閉じ推奨です。

 コミュ障野郎vs芳槻さん開幕のお知らせ。


屋上での出会い

 

 

 

 次の日の放課後。

 昨日、高科さんの言った通り、謎の作戦が開始された。

 

 二人で早々に教室を後にし、人通りの少ない廊下の端っこに移動する。その場所は、屋上を誰が行き来したかが、見える位置にあった。

 ただ、向こうからは死角になっているため、俺と高科さんのやり取りが見られる心配はない。

 

 俺は用意周到だなと、呆気を通り越して感心した。さすが、毎日懲りずに男子校舎を徘徊していただけのことはある。たぶん、男子よりもこの校舎の地理に詳しいだろう。

 

 そんな高科さんは、壁からちらちらと、廊下の奥を覗いている。道行く人々は、「何してんだこいつら」という視線を、容赦なく突き刺してくる。

 

 (何してんだ俺……)

 

 ふと我に返り、「なんでこんなことしてるんだ」という気分になった。

 とりあえず、周りの目が痛いので、高科さんから離れる。これで、少しはましになるだろう。

 

 「あっ、来ましたよ!」

 

 廊下の向こうを見ていた高科さんが、俺を手招きする。

 随分とお早いお着きですね……。

 

 俺はしぶしぶ、高科さんのもとに歩み寄る。

 

 「さあ、いざ出陣ですよっ!」

 

 ニコニコ顔で喋る高科さん。ハァ、気が重いな……。

 

 「大丈夫ですよ!ナオっちもアシストしますから!」

 「……アシスト?」

 「はい!任せてくださいですよ!」

 

 高科さんが、胸を張って言った。

 不安はなくならないが、こうなっては頼らざるを得ない。藁にも縋る思いというのは、まさにこのことを言うんだろうな……。

 

 俺は重い足取りで歩き出す。その隣を、ルンルン気分の高科さんが続く。

 なんでそんなにテンション高いのか、よく分からない。というか、俺じゃなくて自分が友達になってあげればいいのに。同じ女子なんだから、俺より近づきやすいだろう。

 

 (いや、やっぱ普通ならしてるよな)

 

 階段を上る少しの時間、頭の中を整理する。

 コミュ力お化けの高科さんが、コミュ力絶望の俺に、あえて頼むということは、何か裏があるに違いない。

 

 整理した結果、そう結論付けた。

 

 ちらと隣を歩く高科さんに目をやる。相変わらず、ニコニコ笑っていて楽しそうだ。

 まったく、こっちの気も知らないで……。

 

 屋上の扉が見える位置まで、足を進める。扉は既に開いており、誰かがいることは明白だった。

 

 「ファイトですよ!」

 

 後ろから、高科さんが応援の言葉を投げかけてくる。

 俺はため息を吐きながら、憂鬱な気分で階段を上った。そして、屋上へと足を踏み入れる。

 

 すると、すぐにベンチに座る女子生徒が目に入った。

 その子は、俯いたままじっと動かない。俺の存在にも、気付いていないみたいだ。

 

 (どうしよう、これ……)

 

 俺はその子を前にして、戸惑った。

 非常に話しかけづらい。というか、話しかけるなというオーラが、その子の周りを覆っているように見える。それぐらい、雰囲気が暗くて重い。

 パワポケ君の言っていたことが、大袈裟でもなんでもないことを、痛感させられた。

 

 これ、無理では……?

 

 とりあえず、突っ立っていても仕方ないので、もう一方のベンチまで歩く。ひとまず、俺の存在を認識させないことには、何も始まらない。

 

 (ほんと何やってんだよ俺……)

 

 自分に対して虚しいツッコミをいれつつ、ちらと横目で彼女の反応を確認する。しかし残念ながら、なんの反応も得られなかった。

 

 (え、どうすんの?)

 

 早くも詰みの気配。既に俺の頭の中からは、話しかけるという選択肢は消え去っていた。

 だって、いきなり話しかけて第一印象を悪く見られたら、全てが終わるし。友達どころの騒ぎじゃなくなってしまう。

 

 俺は心の中で、自分のコミュ力の低さを呪いながら、彼女が気付いてくれるのを待つ。それがいつまでかかるかは、神のみぞ知るといったところだ。ここからは、根気との勝負。

 

 ただ、彼女が俺に気付いてくれたところで、大きな懸念が二つある。

 一つ目は、俺がちゃんと話せるかどうか。二つ目は、彼女がまともに口をきいてくれるかどうかだ。

 

 うーん、どちらも怪しい。どうしても、明るい未来が見えない。

 これはもう、高科さんのアシストにかけるしか……。

 

 情けなさから漏れ出たため息と同時に、ガックリとうなだれる。

 そして、後ろを振り返ろうとした、その瞬間──。

 

 ガツン!

 突然、後頭部に鈍い衝撃。すぐにズキズキと痛みが走る。

 

 「あいった?!」

 

 反射的に声が漏れる。その声は、屋上に響き渡った。

 俺はベンチに手をついて、もう片方の手で後頭部をさする。何事かと後ろを振り返ると、足元を何かが転がっていった。

 

 (ボール……?)

 

 よく見ると、それは軟式の野球ボールだった。こいつが、俺の頭に直撃したらしい。

 現実的に考えて、グラウンドからこいつが飛んできて、偶然ここにいた俺に奇跡的にぶつかった。なんてことは考えられない。

 

 もしかして、これがアシストというやつか?もしそうだとしたら、後でじっくりと話を訊く必要がありそうだ。

 俺は頭をさすりながら、扉の方を睨みつけていると、

 

 「あ、あの……」

 

 不意に、今まで聞いたことのない声がした。驚いて、身体がビクッと震える。

 ボールをぶつけられたことへの怒りで、忘れていた。ここにはもう一人、この子がいたということを。

 

 「大丈夫ですか……?」

 

 心配そうに声をかけてくる。

 その声に、俺はベンチから手を離して、

 

 「だ、大丈夫っす」

 

 若干、強がって答えた。

 本当はまだジンジンしてるけど、初対面の人──ましてや女子に、あまり情けない姿は見せたくない。

 

 まあ、それはそれとして。

 後で高科さんには、場合によっては然るべき報いを受けてもらうとしよう。

 

 そう心の中に固く刻んでいると、目の前の彼女は、「そうですか」とだけ言って目を伏せた。

 場に沈黙が訪れる。何か言わなければとは思うものの、あいにくと何も言葉が出てこない。

 

 「……それでは」

 

 ペコリと頭を下げて、この場を立ち去ろうとする彼女。そのまま、背を向けて歩き出す。

 残念ながら、俺に彼女を止めるすべはない。でも、なんとか会話することはできたし、初日の戦果としては充分だろう。そう思うことにした。

 

 俺も去り行く彼女に背を向けて、さっき転がっていったボールを拾い上げる。

 まったく、こんなものどこに隠し持っていたのやら……。

 

 俺は手に持ったボールを、空中へと放る。久々にボールを握って、無性に投げたくなってしまった。

 どうせもう少ししたら、高科さんも来るだろうし、壁当てでもして待ってるか。

 

 そう思い、壁に向かって投げようとした、その時。

 

 「あの……」

 

 さっき屋上から去って行ったはずの彼女に、また声をかけられた。

 リリースの瞬間、身体がピタッと硬直する。何事かと彼女の方に目をやると、彼女の手には俺の学生証が握られていた。

 

 「これ、そこに落ちてました」

 「あ、ああ……あざす」

 

 急な出来事に狼狽えながらも、学生証を受け取った。いつの間に落としたんだろう……。

 疑問に思っていると、唐突に彼女が口を開いた。

 

 「野球、されてるんですか?」

 「えっ?」

 

 いきなり話しかけられて、頭が真っ白になる。ハッと我に返り、その問いに答えた。

 

 「いや、今はやってないっすね」

 「……そうですか」

 

 会話が終わる。どうしても、話が続かない。

 野球のキャッチボールは簡単なのに、どうして言葉のキャッチーボールはこうも難しいのか。

 

 俺は足りない頭をフル回転させる。

 せっかく向こうから話しかけてくれたのだ、今度はこっちからボールを投げないと。

 

 そして、考えた結果。ありきたりなことを訊いてみることにした。

 

 「野球好きなんすか?」

 

 そう訊いた時の彼女の顔──きれいに整った顔に、驚き、意外といった表情が浮かんでいる。

 でもすぐに俯くと、彼女は小さな声で言った。

 

 「いえ、最近知り合った方が、野球をされているので……」

 

 彼女から、言葉のボールが返ってくる。

 俺はそれを聞いて、パワポケ君を連想した。この前、屋上で会話していたのは、パワポケ君とこの子だったんだ。

 

 それは、次の彼女の言葉でも、正しいと証明された。

 

 「パワポケ君というのですが……同じクラスですよね?」

 「あ、はい。そうですけど……」

 

 急に剛速球が帰ってきて、俺は危うくつかみ損ねそうになった。

 俺がパワポケ君と同じクラスだって、どこで知ったんだろう……?

 

 でも、その答えはすぐに知ることになった。

 

 「よく一緒にいるのを見かけるので」

 

 なるほど、そういうことか。

 確かに、二年生になってからは一年生の時よりも、パワポケ君と一緒にいることが増えた。たまたま、座る席が近いというのもあるだろうけど。

 

 まあ、共学になってから日も経つし、別に知られてても不思議な話ではないな。

 納得していると、ふと彼女が顔をあげた。少しの間の後、彼女の口が開く。

 

 「私、芳槻(よしづき)さらと申します」

 

 目の前の彼女──芳槻さんの目が、まっすぐ俺の目を捉える。

 突然の自己紹介にたじろきながらも、俺もすかさず自分の名前を口にした。

 

 「神城(かみしろ) 信吾(しんご)です」

 「……神城君ですね」

 

 互いの自己紹介を終えて、芳槻さんはまた目を伏せた。

 まさか、いきなり名前が飛んでくるとは。さすがに予想外だったな……。

 

 でも、なんとかこれで知り合い程度の仲にはなれただろう。

 ほっと安堵していると、芳槻さんは目を伏せたまま、ペコリと頭を下げた。

 

 「それでは、また」

 「あ、うっす」

 

 返事をすると、芳槻さんは足早に屋上から去って行った。

 屋上がシーンと静まり返る。

 

 俺はため息を吐きながら、ベンチに腰を下ろした。

 そのまま空を見上げる。涼しい風が、なんとも心地いい。

 

 (全然似てなかったな……)

 

 芳槻さんとの会話を思い返していて、思った。

 好奇心とコミュ力の塊である高科さんとは、あれは正反対のタイプだ。日頃から高科さんで慣れてしまっている俺には、あの沈黙はかなりしんどかった。

 

 高科さんの不自然な態度から、てっきり芳槻さんが高科さんの妹だと考えていたけど、どうなんだろう。

 少なくとも、性格は似ても似つかない。控えめで大人しいなんて言葉は、高科さんとは無縁だし。おまけに名字も違うから、よほどのことがない限りは、俺の勘は外れそうだ。

 

 俺は空を見上げたまま、目をつぶる。

 そして一息吐くと、今日のことを頭の中の備忘録に記録した。

 

 

 「まっ!こんなものですかね」

 

 扉の陰から二人を眺めていたあたしは、嬉しさと満足感から、そう言った。

 あたしの大好きな彼氏さんと、なによりも()()()()──。

 

 その二人が、不器用ながらも言葉を交わしている。その光景を見て、自然と笑みがこぼれた。

 これであの子も、彼に対して心を開いてくれればいいんだけど……。

 

 ある日を境に、人を信用することができなくなってしまった妹──さら。

 すべては、姉であるあたしの責任だ。

 

 本当は、あたし自身があの子の凍り付いた心を、なんとかしてあげないといけないのに。

 それなのに、あたしは彼ら──パワポケ君と信吾君に、さらを救って欲しいと考えている。

 

 まったく、なんとも情けない話ですよ。情けなさ過ぎて笑ってしまうぐらいに。

 あたしは自嘲しながら、目をつぶった。

 

 こんなあたしを、彼らはどう思うだろうか。

 パワポケ君はともかく、信吾君は勘が鋭いから、あたしとさらの関係も薄々気付いていることだろう。

 

 もし真実を知ったら、幻滅されるかな。それとも、いつもみたいに、ため息を吐きながらも話を聞いてくれるかな……。

 

 そんならしくない不安が、しばらくの間、頭から離れなかった。

 

 

 

 

 

 ◆◆屋上での出会い その2◆◆

 

 

 芳槻さんとのファーストコンタクトから三日後。

 早くも、二度目の司令が下された。

 

 「今日も張り切ってお願いしますよ!」

 「……うっす」

 

 ノリノリで喋る高科さんとは裏腹に、俺のテンションは下降し始める。

 これは別に、芳槻さんと会うのが嫌なわけじゃなくて、ちゃんと話せるかどうかの不安が要因だ。

 

 この前はなんとか乗り切ったけど、今回はどうだろうな……。

 そんな俺の心の内など知る由もなく、高科さんが言った。

 

 「今日もいざという時には、ナオっちが華麗にアシストしますので。心配無用ですよ!」

 

 どや顔で胸を張る高科さん。

 それに対して、俺は冷ややかな視線を向けた。

 

 「またボールぶつけるとかは無しっすよ。まじで」

 「わ、分かってますよ!というか、今日は持ってきてないです!」

 「へえ……ならいいですけど」

 

 そう言って、高科さんから視線を外す。

 ほっと息を吐く高科さんが、ちらと横目に映った。

 

 ちなみに、さっきはああ言ったが、この前ボールをぶつけられた件は、既に水に流してある。

 彼女曰く、わざとじゃないとのことなので、その言葉を信用してやることにした。情けないけど、あのアシストに助けられたのも事実だしね。

 

 廊下を進んで、階段を上り、俺と高科さんは扉の見える位置に立つ。

 扉は既に開いており、その先に誰かがいることを示していた。

 

 俺は一呼吸おいて、また階段を上り出す。それを後ろで、ニコニコと微笑んで見送る高科さん。

 それは、いつもの彼女が見せるものとは違って、心なしか優しさを感じた。上手くは言えないけど、大切な何かを見守るような、そんな感じ。

 

 そういえば、芳槻さんと友達になるよう頼まれた時も、こんな顔をしていたっけ。

 やっぱり、二人は姉妹なのだろうか。それも、かなり訳ありの──。

 

 俺はそれ以上、考えることをやめた。でないと、変に意識して顔に出そうだから。

 開いている扉を通って、屋上へ足を踏み入れる。

 

 芳槻さんは、こちらに背を向けてグラウンドの方を見ていた。なので当然、俺がここにいることに気が付いていない。

 

 (どうしようかな……)

 

 声をかけるのはハードルが高い。かといって、無言のまま近付いて驚かせるのも嫌だし。

 うーん、どうしたものか……。

 

 その場に立ち止まっていると、不意に背中を押された。

 えっ?と思い振り返ると、高科さんが口元に人差し指を当てて、「しーっ」の仕草をしている。

 

 そして、高科さんはニッコリと笑みを浮かべると、そのまま扉を閉めた。

 バタン──扉のしまる音が屋上に鳴り響く。

 

 (まじかよ……)

 

 やりやがった。今ので絶対に気付かれただろう。

 俺はおそるおそる、後ろを振り返る。すると案の定、芳槻さんもこちらを見ていた。

 

 こうなっては仕方がない。ある意味、ナイスアシストだしな。

 そう気持ちを切り替えて、芳槻さんに歩み寄った。

 

 「うっす」

 「こんにちは。神城君」

 

 二人で軽い挨拶を交わす。

 今日の芳槻さんは、目は伏せておらず、ちゃんと顔をあげて挨拶をしてくれた。そのことに、少しばかり安心感を覚える。少なくとも、この前よりはずっとマシだ。

 

 俺は扉の方に目をやって、話を切り出す。

 

 「なんか急に扉しまっちゃったんすけど……申し訳ないっす」

 「あ、いえ……私は大丈夫です」

 

 芳槻さんから言葉のボールが返ってくる。

 今度は顔を伏せていたが、俺もだいたい目は合わせないので、逆に会話しやすいなと思った。

 

 俺はふと、芳槻さんが見ていたグラウンドの方に目を移す。

 グラウンドでは、野球部がバッティング練習をしていた。その中には、パワポケ君の姿も視認できる。

 

 それを見て、たぶん芳槻さんは、パワポケ君のことを見ていたんだろうなと、勝手に想像した。

 もしそうだとしたら、悪いことをした。もっとも、一番悪いのは扉を閉めた高科さんだが。

 

 「あのう……」

 

 野球部の練習を眺めていると、芳槻さんから声がかかった。

 その声を聞いて、俺は芳槻さんの方を向く。彼女は俯いていたが、すぐに顔をあげた。

 

 そして、想像の斜め上をいくようなことを訊いてきた。

 

 「()()()()と付き合っているというのは、本当ですか?」

 「えっ……」

 

 あまりに唐突な芳槻さんの台詞に、驚いて言葉を失う俺。

 とんでもない変化量のボールを、サインもなしに投げられた気分だ。そりゃあ取る側は驚いて、取れてもすぐには返球できないだろう。

 

 うーん、質問の意図がよく分からない……。

 仕方がないので、とりあえず事実を答えることにした。バレてるなら、隠すほどのことでもないしね。

 

 「まあ……一応」

 「……そうですか」

 

 随分と軽い芳槻さんの反応。そして、芳槻さんはまた顔を下に向けてしまった。

 なんの確認だったんだ……。

 

 謎に精神力のヒットポイントを削られた上に、会話が止まる。

 やばい──何か話さなければと、俺は特に考えず、パッと思いついたことを訊いた。

 

 「知り合いなんですか?高科さんと」

 

 すると、芳槻さんは俯いたまま、

 

 「いえ……そんなことはないです」

 

 俺の質問をあっさりと否定した。

 そう答える芳槻さんは、初めてここで彼女を見た時みたいに、酷く冷たくて、暗い雰囲気を放っていた。

 

 (地雷だったか……)

 

 俺は額に手を当てて、唇を噛んだ。

 なんとなく、二人の関係性を察していたのに、それを芳槻さんに訊いたのは悪手だった……。

 

 後悔していると、芳槻さんはボソッと呟くように言った。

 

 「……高科さんか」

 「えっ?」

 「名前……付き合っているのに、名前で呼ばれないんですね」

 「……」

 

 芳槻さんの言葉が、俺のガラスのハートに容赦なく突き刺さる。

 返す言葉もございません……。

 

 ガクッとうなだれて、傷ついたハートの回復に努めていると、

 

 「あ、あのっ!」

 

 芳槻さんが、急に声を張りあげた。

 俺は回復を中断して、芳槻さんの方に視線をやる。

 

 彼女の声色から、雰囲気の変化を感じたが、今度は何を言われるんだ……。

 身構えていると、芳槻さんは俯いたまま、小さな声で言った。

 

 「わ、私のことは()()と呼んでいただけますか?」

 

 「えっ……」

 

 脳内の思考回路が一瞬でショートした。芳槻さんから放られたボールも、グラブから零れ落ちる。

 そんな俺に構うことなく、芳槻さんが続ける。

 

 「私、見ての通り人付き合いが苦手で……でも、いつまでもこのままじゃダメかなって」

 

 俺は黙って芳槻さんの話を聞きながら、復旧した思考回路を作動させる。

 そして、さっそく思ったことが一つ。

 

 人付き合いが苦手だという割には、距離を縮めてくるのが早すぎでは……。

 俺の方が、よっぽど苦手じゃないか。高科さん相手にだって、滅多に名前で呼ばないのに。

 

 「なので、ま、まずはそこから慣れていこうかと。パワポケ君にも、実はもうお願いしてあるんですけど……」

 「はあ……そうなんすね」

 

 俺の知らないところで、パワポケ君は青春への第一歩を踏み出していたらしい。

 まあパワポケ君と芳槻さんが、屋上でやり取りしていることは、俺も知ってたけどね。

 

 でも、いいのかな。パワポケ君の青春に、俺なんかが介入してしまって。

 しかも、女子を名前で呼ぶなんて、結構ハードル高いぞ。もしかして、俺にも慣れろってことですか?

 

 「だ、だめですか……?」

 

 しゅんとした顔で尋ねてくる芳槻さん。

 そんな顔されたら、断れるわけがないじゃないか。それに、もし断ったら高科さんに何を言われるか分からないし……。

 

 俺は大きく息を吸って、腹をくくる。そして、頭を搔きながら答えた。

 

 「自分なんかでよければ……」

 「あ、ありがとうございます」

 

 俯いたまま、お礼を言う芳槻さん。

 その頬が心なしか、ピンク色に染まったように見えた。

 

 (なんなんだ……)

 

 妙にむず痒い空気に、苦笑いを浮かべていると、

 

 「あ、あの、また屋上に来てくださいますか?」

 

 さっきと同じような、自信なさげな面持ちで、芳槻さんが訊いてきた。

 まさかの台詞に、しどろもどろになりながらも、俺は頷いて言った。

 

 「それはもう、はい、全然」

 「ありがとうございます」

 

 そうお礼を言う芳槻さんは、顔をあげており、その顔にはニッコリと笑みが浮かんでいた。

 それを見て、俺は「おお」と目を丸くした。さっきまでの、暗い雰囲気とのギャップが凄まじい。

 

 これで友達がいないって、嘘だろと思ってしまう。

 俺と同じで、慣れればどんどん喋るタイプだろうから、人付き合いが苦手とはいっても、仲のいい友人の一人や二人は、いそうだけどな……。

 

 うーん、と頭の中で唸っていると、芳槻さんはペコリと頭を下げた。

 

 「そ、それでは失礼しますね」

 「あっ、うっす」

 

 俺も慌てて頭を下げる。

 芳槻さんは笑みを崩すことなく、そのまま屋上から出て行った。

 

 屋上に静けさが訪れる。聞こえてくるのは、風の音と、部活中の生徒たちの声だけだ。

 

 「はぁ……」

 

 俺は誰もいなくなった屋上に、大きなため息を漏らした。

 そして、ベンチに腰を下ろすと、雲一つない空を見上げた。

 

 この短時間で、芳槻さんとの距離はぐんと縮まった──ような気がしている。

 まあ、こっちは終始、オドオドさせられっぱなしだったけどね……。

 

 目をつぶって、芳槻さんとの会話を、改めて思い返す。

 短い時間ではあったが、その中で、俺の予感が確信に変わったものがあった。

 

 それは、芳槻さんと高科さんの間には、深い溝が存在するということ──。

 

 二人の間に何があったのかまでは、俺にも分からない。あとは、結局二人が姉妹かどうかも……。

 

 でも、よほどのことがあったのだろう。でないと、あんなに高科さんを拒絶するに至らないからね。

 

 まったく、何があったのやら。

 正直、あのコミュ力お化けの高科さんが、誰かと不仲になる様なんて、想像できないんだけどな。

 

 いや、でも血のつながった姉妹なら、あるいは──。

 そこまで考えて、俺はフッと鼻で笑った。そして、首を横に振る。

 

 「ないか。全然似てないしな、あの二人」

 

 そう口にした、その時──。

 

 「誰が誰に似てないんですか?」

 

 誰もいないくなったはずの屋上に、自分以外の声がした。

 よく知ったその声を聞いて、目を開けると──。

 

 「っ……?!」

 

 目を開けた瞬間、俺はすぐさま、声にならない悲鳴をあげた。目の前に、高科さんの顔が広がっていたからである。

 

 「あ、起きちゃいましたよ」

 

 と高科さん。なにやら残念そうな物言いだが、こっちはそれどころではない。

 反射的に顔を背けようとして、俺の首と腰は甚大なダメージを負った。ビックリしすぎて、無駄に力が入ったせいだ。

 

 ベンチに倒れ込み、痛めた首と腰を交互にさすっていると、

 

 「いやあ、もうちょっと眺めていたかったんですけどねえ~」

 

 そう言って、高科さんは俺の隣に腰を下ろした。

 俺は微塵も悪びれる様子のない彼女に、冷ややかな視線を向けながらも、体を起こして座り直す。

 

 「随分と仲良さそうにお喋りしてましたね。信吾君が知り合って間もない女子と、あんな風に会話ができるなんて、ナオっちは驚きですよ」

 「……聞いてたんすか」

 「聞いてましたよ。最初から最後まで、ぜ~んぶ!」

 

 最後の「ぜ~んぶ」を、特に強調して喋る高科さん。

 ということは、あの名前呼びのくだりも聞かれてたのか……。

 

 心の中で、しまったなと思っていると、

 

 「本当にできるんですか?()()のことを名前で呼ぶなんて」

 

 高科さんが、目を細めて見てくる。

 情けなくも、言葉に詰まる俺。でも、やると言ってしまった以上は、やるしかない。

 

 「まあ……なんとかなるんじゃないすか」

 「へえ~。じゃあ、あたしのことも()()って呼べますよね?」

 「いや……」

 「あたしが無理なら、さらなんてもっと無理ですよ。ほら、練習練習!」

 

 手を叩いて、高科さんが催促してくる。

 練習なんて言っているが、要は自分が名前で呼ばれたいだけである。

 

 俺はため息を吐いて、しぶしぶ高科さんの名前、「ナオ」と呼んだ──ちゃんと明後日の方を向きながら。

 

 それを聞いた高科さんは、

 

 「うわあ、すごい棒読みですね……いっそ清々しいですよ」

 

 そう言って、ジトッとした目を向けてくる。

 

 「それに、ナオっちの目はここですし」

 「……」

 

 何も言わない。そっぽを向いて、聞こえないふりに徹する。

 すぐ隣で、高科さんがため息を吐くのが聞こえた。

 

 「まあ、無理に練習したところで仕方ないですね。こういうのは、本人の気持ちが大切ですし」

 

 うん、その通りだと思う。分かってるじゃないですか。

 心の中で、ウンウンと頷いていると、高科さんは続けて言った。

 

 「なので信吾君は、ありのままの信吾君でさらと接してあげてください。それが、さらにとっても一番だと思います」

 「……うっす」

 

 高科さんの台詞に、そっぽを向きながらも頷く。

 ちらっと高科さんに視線をやると、彼女はニッコリと優しい笑みを浮かべていた。

 

 うーん、やっぱり気になる。二人の関係性が。

 

 でも、人のプライベートに干渉するのは、気が引けるしなあ……。

 どうしたものかと考えていると、高科さんがベンチから立ちあがった。

 

 「さてと、そろそろ戻りましょうか!」

 

 高科さんに言われて、俺も腰をあげた。二人で並んで、扉の方へと歩いていく。

 その途中、俺は二人の関係性とは別で、ずっと気になっていたことを訊いた。

 

 「なんで俺だったんすか?」

 「え?」

 「いや、なんで俺に頼んだのかなっていう」

 

 そう、この話の発端──高科さんが、俺に芳槻さんと友達になるよう頼んだ理由。

 俺はまだ、それを聞かされていなかった。最初から、何か裏があるとは考えていたが、どの推測もいまいちピンとこない。

 

 今思えば、別に俺でなくとも、芳槻さんと同じクラスの人でもいいはずだ。むしろ、そっちの方が普段から接する機会も多いし、適任だと思う。それに、パワポケ君もいるしね。

 

 すると、高科さんは俺の疑問に、平然とした態度で答えた。

 

 「なんでもなにも、友達は多いに越したことはないじゃないですか」

 「まあ、そりゃそうですけど……」

 

 至極当然の答えに、思わず苦笑いを浮かべる。

 確かにそうなんだけど、俺が聞きたかったのは、そういうことじゃないんだよな……。

 

 はぐらかされたような答えに、物足りなさを感じていると、高科さんが口を開いた。

 

 「強いて言うなら、そうですね……」

 

 少し間を置いて、高科さんはニコッと微笑んでから言った。

 

 「信吾君にさらを紹介したかったのと、さらにもあたしの彼氏さんを紹介したかったから……ですかね」

 

 (えっ?)

 

 それってつまり、高科さんと芳槻さんが──。

 

 「まっ、あたしとさらが似てないって言った信吾君には、何も教えてあげないですよっと!」

 

 そう言って、扉まで駆け出す高科さん。そのまま扉を通ると、クルリとこちらを向いた。

 高科さんの顔には、台詞にふさわしい、いたずらな笑みが浮かんでいる。

 

 (言ってるようなものだろ……)

 

 そんな高科さんを見て、俺はため息を吐きながらも、フッと小さく笑った。

 

 

 




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