のんびりとした雰囲気に任せるように、青空へぽっかり浮かんだ雲がゆったり流れていく。人々の行き来する姿も、オスティアの都会人たちに比べたらどこか優しささえ覚えた。
シャニーたちは東進して、ロイが治める地──フェレへと降り立っていた。
街道につながる西側の入口から町へと入った彼らは、オスティアとまるで違う雰囲気にしばし呆然としていた。
「ここがフェレなんスかぁ……」
ひとり言のようにつぶやくミリアには困惑が浮かんでいる。なにか期待と違ったような顔だ。
無理もないかもしれない。ぐるっと見渡しても、人の往来はまばらだし、まわりにそびえる建物の密度はオスティアと比べるまでもない。空と草原がどこからでも覗いている。
「なんか、田舎」
ハッキリとレンは言い切った。
雪がないだけで、どこか故郷のカルラエ城下町に似ている。穏やかな景色と静かな時が、心を癒してくれるホームタウンと言えるだろう。
そんな雰囲気の中で、シャニーはぼうっとあたりを眺めていた。
懐かしい景色に切ない思い出を見つけ、今度は独りふらふら歩きだす。視界に映るのは、12月に自分がいた場所。
(こんな形で……また来ることになるなんてな)
あれから4ヶ月が経ったというのか。あのときの楽しかった思い出が、昨日のように頭の中を駆け抜ける。気づけば、待ち合わせ場所だったガス灯の下まで歩いていた。
忘れもしない。この場所に立って、ロイは世界の真ん前に映っていた。今日もあのときみたいに、ここに立っていてくれたなら……。思わず手を伸ばして見上げる空のむこうには、ロイがいるフェレの城が見える。
「シャニー、なにやってんの?」
ふいに呼ぶ声。一瞬ロイなのかと心が跳ねたのに。
視界にいきなり顔が入り込んできて胸から溢れそうになったものの、直後に映った現実に、そのまま破裂するかと思った。
感傷の鏡を突き破るように、身を屈めてのぞき込んできたのはルシャナだったのだ。
「うげっ?!」
「……なにさ、その反応?」
「あ、う、ううん?! よしっ、じゃあっ、いざフェレ城へゴーゴー!」
拳を突きあげたシャニーは、天馬のもとへと小走りに先頭を切る。
天馬から街を見下ろせば、ますます田舎らしいのどかな様子が視界いっぱいに入ってきた。不思議そうに見渡す仲間の先頭を飛んで、懐かしさにシャニーの顔が少しだけ緩む。
それにしても、やっぱり町は狭い。城はすぐ大きくなってきて、弾む気持ちと胃が捻りあげられるような緊張がぶつかり合い、胸に突き刺さる。
シャニーの目つきは、みるみる部隊長のそれへと変わっていった。
◆◆
城壁沿いまで辿り着き、目の前にそびえたつ城をシャニーは皆と見上げてみる。
あのときと、なにも変わっていないはずにもかかわらず、妙な緊張に口が渇いて仕方ない。初めての者たちも見上げたまま固まっている。
「よしっ……行くぞ! 当たって砕けろだ!」
そんな張り詰めた空気を払うべく、一つごくりと息を呑んだシャニーは爽やかな声で号令をかけた。
「イエス、リーダー!」
仲間の声に押されて一歩目を踏み出すが、不安でいっぱいだった。なんのアポも取っていないのに、本当に大丈夫だろうか。チャンスは一度キリ。ロイが留守にしていたらアウトだ。
(考えても仕方ないよ。できることをやろう!)
それでも、前を向いて歩くしかない。ユキの言葉を思い出してずんずん進む。
ついに見えてきた外門には衛兵が立っている。ここからでは、ロイがいるかどうかは分からない。緑の広がる世界で、純白に身を包む格好はとても目立つ。衛兵が気づいて敬礼してきた。
「こんにちは! 我々はイリア天馬騎士団 第十八部隊です! ロイ様にお取次ぎをお願いします!」
門前払いだけは勘弁してくれと祈りながら、精いっぱいの明るい声で名乗ってみた。
とくに怪しむそぶりもせず、衛兵は踵を返して城へと入っていく。天馬騎士団──やはりこのネームバリューは大きい。とりあえず第一関門は突破して、ふうっとお腹から息が漏れる。
敢えて、アポは取らなかった。取ることで、ロイとの間に誰かを挟めば門前払いにされかねない。本国から陰湿な通知が来ているとすれば尚更に。
場内へと通され中庭で待っていると、しばらくして屋敷の門が開いた。
思わず目が震える。憧れの、赤髪の男性が出てくる……と思ったのも束の間、どうやら違うらしい。
「……なんじゃ? お前たちは」
出てきたのは、頭のてっぺんがつるつるな髭の男性。スチールブルーの長髪を横に流す顔は老成していて、この家に長く仕えていることをそれだけで醸し出す。立派な口ひげに手をやりながら向けてくる怪訝そうな目は、じろじろと細やかに動き、警戒心に満ちた雰囲気で近寄りづらい。
厳しそうな官吏の登場に誰もの背筋が伸び、とりわけ先頭にいるシャニーは全身の毛が逆立ちそうだった。
(やばっ、説教じーさん!)
よりにもよってと神に嘆く。
この男性は、ベルン動乱ではロイの軍で輸送隊を率いていた、フェレ侯爵家の中でもエラい人。槍や剣を漁っていたら、毎度のように扱いが荒いと小言をもらったもの。ロイとお喋りしていたところを、引き剥がされたことだって数え切れない。
とにかく、顔を合わせたらすぐ説教する人で、言わばロイを守る魔王だ。
それでも、相手も2年弱経って忘れているのか、こちらの顔を見ても特に反応はない。ひょっとして、ラスボスと言えども寄る年波に勝てずボケてしまったのだろうか。
「アポは取ってきたのか?」
懐からスケジュール帳を取りだした彼は、ひとつ指先を擦りぺらぺらと手慣れた様子でめくっていく。しばらくしてその手が止まるや、また額にしわが寄った。
(うわー……やっぱり)
こうなるだろうとは思っていた。こうなったら、奥の手を使うしかない。
「え、ロイ様はアポなしで来てイイって」
すっとぼけて口にしてみる。
12月に来たとき、ロイが言ってくれたのだ。今度からは、そうしていいと。
あのときは真に受けなかったし、仮に甘えるとしても、遊びのときをロイが想定したのは優に想像できる。
「バカモノ! そんなこと、あるはずなかろう!!」
誰に聞いても通用するわけがないと思うだろう。まして、目の前の手強い官吏がそれを聞いて、どうぞどうぞ……など言ってくれるはずもないか。見習い時代と同じフレーズを浴びせられた。
「ぶ、無礼極まりない奴め! 出合え出合え! こやつらを捕えるのじゃあっ!!」
マリナスの顔は唐辛子のように真っ赤になってしまった。まわりの衛兵に怒鳴りつけ、摘まみ出そうとする。
(ああ……もうダメ。ロイ様……助けて)
こうなってしまったら、もう抵抗もできない。後ろ手に拘束され、なされるまま力任せに外へ押し出されていく。分かっていたとは言え、いざその場面が訪れてしまうと心が砕けていくのが分かる。もう……行き場がない。
「待て、マリナス!」
城から飛び出してきた青年が、肩を怒らせる官吏の背中へ待ったをかけた。
ドキンと心臓が跳ねあがる。この声は間違いない……衛兵に抱え込まれて引きずられていたシャニーは、首がもげそうになるくらい、ありったけの力で城のほうを振りむいた──みるみるうちに見開かれ、潤んでくる瞳。だらんと開いた口からは、悲鳴のような感激が零れて止まらない。
「その人を帰してはダメだ。僕のお客さんだ」
全力で駆けてきた青年はマリナスにそう指示すると、衛兵に声をかけてシャニーたちを開放する。
「は、はあ……」
「すまない。マリナス。いつでも好きなときに来て欲しいと、彼女とは約束していたんだ。覚えてないかな? 去年の12月なんだけど」
「ふむ……? 異国の旅人とは聞いておりましたが、まさか傭兵とは思いませんでしたわい」
マリナスは困惑をありあり浮かべ、さっきまでの烈火のごとき勢いがしおしおしている。
彼に一声かけた赤髪の青年は、シャニーの両手を取り活き活きした目で声をかけた。
「よく来たね、シャニー。会いたかったよ」
取った手を大事そうに握り、赤髪の青年は嬉しそうにシャニーを見下ろす。
この人こそが、フェレ家の若き当主。ベルン動乱を鎮めた英雄と讃えられるロイだ。
見上げる先にある青い瞳に見つめられて、シャニーの顔は自然に緩む。
(またカッコよくなったなぁ……)
手に伝わってくる優しい感触に身を任せ、しばらくロイを見上げていた。また少し、彼は背が高くなったように感じる。
「あたしもだよー!」
目の前にロイがいて、嬉しそうに笑みを浮かべ歓迎してくれている。フェレに来て再会できたのだとようやく実感が湧き、つい、はしゃいでしまった。
ロイの目元はますます優しくなって包んでくれるようで、周りの疑念に満ちた視線から守られている気さえする。
(もっともっと、声を聞きたい!)
何から話そうか……巡らせたとたん、はっと現実に引き戻された。
「……でも、今日は遊びに来たんじゃないんだ」
目を伏すと、ロイは手を取ったまま歩きだした。
「慣れないリキアは疲れただろう、部屋で話をしよう」
うなずくと、ロイはみんなにも目配せして城の中に入れてくれた。後ろをちらっと見てみると、仲間たちもマリナスの視線に引っ張られながらついてくる。
「ひゃー、手紙で分かってたとはいえ、ラブラブっすね」
もう緊張感がなくなったのか、ミリアの茶化す声が聞こえてくる。隣にロイがいるのに、なんてデリカシーのないヤツなのか。ギロっと後ろ目で牽制を浴びてみたが、ルシャナがミリアを突っついている。
「ありゃあ、手出したら殺されるね」
「ん、人の恋路を邪魔しちゃダメ」
彼女だけでなく、レンまで話に乗っている。ミリアは自身を指さして困惑した顔をしているし、まるで自覚がなさそう。恥ずかしくて堪らず、ロイの顔を見れなくなってしまった。とにかく、今は連中と距離を空けたい。道は分らずとも歩調を早めた。