お願いロイ様! お仕事ください!!
通された部屋で、シャニーはリキアに流れついた経緯をロイに話していく。自ら過去を抉ると、心が崩れて胃がキリリと捻りあげられるよう。やっとのことで現在まで這い上がり、ふうっと大きく息を吐きだして目を伏した。
「……そうか、そんなことがあったのか」
ひと通りロイに説明し終わると、彼はそう言って椅子に身をあずけた。ぐっと口を堅くしながら腕を組んで、なにか難しいことを考えているみたいだ。ロイのこんな顔は、あまり見たことがない。
予想通りになってしまった。彼を煩わせたくないし、がっかりさせたくなかったはずなのに。何も変えられなかった虚無感がずっしり心にのしかかってくる。
「うん……。でもね、あたしたち決めたんだ。リキアでいっぱい勉強して帰ろうって」
ロイに話を聞いてもらえただけでも、なんだか少しだけ心が軽くなった気がする。
一度は伏した目が再びロイと繋がって、元気が出てきた……はずだったのに、長続きしなかった。糸が切れたように、いつの間にか俯いていた。
「とは言ってもさ、このままじゃ、みんなが作った小麦を食べるだけになっちゃうから、仕事を探してて……」
絞り出した声は細くて、自分ではないみたい。今はこれ以上の力が出なかった。それでも、ロイはしっかり聞いてくれたようで、静かにうなずいて腕を解いた。
「他の貴族には皆断られて、ここに来た感じかな?」
「え?! ロイ様、なんでそれを……?」
ばっと顔をもたげて、ロイの目をじっと見つめる。驚きで気持ちがうまく整理できない。後ろからも驚嘆が聞こえ、ちらっと見たら一様の表情を浮かべていた。
ロイは立ちあがると机へむかい、引き出しから一枚の紙を取りだして戻ってきた。
「こんな書面がきてね。きっと皆にも届いてる」
天馬騎士団の紋章が入った公式文書。そこにはユキが見せてくれた資料と同様の内容が、もっともらしい理由と共に記されているではないか。
(どうして……ッ。どうして?! なんでここまで!!)
みるみる心の中に煮え立った怒りが燃えあがり、体中が震えてウズウズする。ここが稽古場なら、どれだけ剣を振りまわしていたか分からない。
でも、今はそんなことより大事な話がある。ここに来た理由は、それにほかならない。
「お願い、ロイ様。なんでもいいの! あたしたちに仕事をもらえない? なんだってするから!」
資料をテーブルの端に滑らせてシャニーは立ちあがり、一度ロイの目をじっと見つめると頭を下げた。
(いきなり来て、騎士団の内輪揉めに巻き込んで。あたし……なに勝手言ってんだろう)
シャニーは自身の無力を罵るばかりだった。
騎士団からの通知に従って他の貴族が反応したなら、ロイに酷いお願いをしているのは間違いない。
──死臭の中でうごめくハイエナめ!
あのとき浴びせられたラウス領主の言葉が胸を突く。
もし契約できたとしても、下手をすればロイが諸侯から悪い目で見られてしまうかも知れないではないか。諸侯の団結よりハイエナを優先した、と。
それが分かっていて、好きに来てよいと言ってくれた彼の優しさを利用し、なおすがろうとしている自己嫌悪が腹のあちこちを突き破ってくる。
(お母さん……あたし達を守って……)
ロイにすがる気持ちで頭を下げたままじっと祈り、顔をぎゅっと潰す。
長く、長く感じる時間の中でそっと両肩に感じる温もり。ロイが手を添えていた。
「やめなよ。シャニーにそんなことをされると、僕は悲しい」
そっと肩を支えられて抱き起された。目の前にロイの優しい顔が映り、ふっと笑いかけてくる。視界いっぱいに映る顔は凛々しくて、一度は立ち上がったもののシャニーは崩れてその場に座り込んでしまった。
(ズルいよ、こんなの。あたしだって……今すぐにでも飛び込んで…………泣きたいよ)
今は領主と傭兵の関係。後ろには仲間だっている。
砕けた心をロイに預けられたら、どれだけ癒されるだろう。それが今は叶わない。なのに、ロイはいつもと変わらない様子で接してくる。あんなに逢いたかった人がこんなに近いのに。触れたくても、触れられないのに。
シャニーの背をさすり、伝う涙をハンカチで拭きながら、ロイはマリナスを呼びつけた。
「マリナス、フェレに飛行部隊はいないよね?」
呼び出されて早々問われたマリナスは、すぐ眉間にしわを寄せた。
「い、いけませんぞ、ロイ様! そう簡単に契約しては」
似たようなやりとりをいつもしているのだろうか。そう言ってロイを止めるまで早かった。
シャニーにはマリナスが魔王に映った。またしても、引き裂かれてしまうのだろうか。今度はお喋りどころか、リキアの居場所さえも。
それでも、ロイも慣れているのか、とくに表情を変えることなく返している。
「でも、飛行隊なら警備だけじゃなくて、色々やってもらえると思うんだ。この金額なら破格だと思うけど?」
ロイはシャニーが持ち込んだ契約書をテーブルから取って、マリナスにまわしている。
モノクルを取りだしたマリナスは穴が開くほどに上から下まで読むと、今度は計算器を取りだしてパチパチ弾きはじめた。
「むむむ……し、しかしですな……」
きっと彼も、契約内容自体には大きな問題はないと判断したに違いない。それでも、なんとかブレーキをかけようとしているのが、漏れだす言葉からうかがえる。
(もう少し、なにか……あとひと押できるものがあれば……)
唇をきゅっと噛んだシャニーが形勢逆転の一手を絞り、マリナスも再び計算器に指を落とそうとしたときだった。
「偵察、奇襲に郵便宅配! 剣槍弓に魔法と揃えてますッス! 地上戦も得意な部隊長のオマケ付きッス! 安いと思いますッス!」
後ろから大音量が響いてきた。まるで録音してあったかのように、噛むこともなくツルツル飛びだしたミリアの営業文句を、誰もがあ然と聞いていた。
(ちょっとっ、オマケってどーゆーことよ!)
攻めの一手を繰り出してくれたのはいいけれど、おまけと言われては複雑だ。ミリアの足へ拳をぶつけておく。なにより、相手はマリナスだ。どんな反応が返ってくるか……もう賭けに近い。
怒りだすかと思ったが、マリナスは計算器を懐にしまって唸りだしている。
「シャニー、座って話そうよ」
マリナスが二の句を継ぐより先に、ロイはそう声をかけた。ソファにシャニーが腰掛けると、彼も席に着いてすぐ身を乗りだした。
「逆に、こちらから提案しても良いかな?」
「お仕事もらえるの?!」
ロイと額がくっつきそうなくらい身を乗りだす。
しばらくシャニーをじっと見つめたあと、ロイはそれまでの笑顔を解いた。
「君たちが必要だ。良ければ、部隊ごと買い取りたい」
ロイははっきりとした声で口にしたが、聞き間違えたようにしか思えなかった。周りを見渡してみても、誰もが彼の提案へ目を点にしている。
(え……どういう……こと?)
目の前にロイがいて、彼の言葉を一番間近で受けたシャニーも、あまりにも予想外の提案に表情が抜け落ちていた。
言われていることを頭は理解している。けれど、心が追いついてこない。しばらく沈黙する春陽の間。
「ロ、ロイ様! なにをおっしゃって──」
その沈黙をまっ先に引き裂いたのはマリナスだった。当然のように反対から入る彼をロイは遮った。
「動乱での武勲、そして最近のイリアでの働き。こんな優秀な部隊なら、常にそばへ置いておきたい」
心の中に押し込めてきた重い気持ちが、まるでしゃぼん玉が破れるようにパチンと弾けて晴れ渡る。ロイは傍にいて欲しいと言って、自分たちの仕事を褒めてくれた。救われた気持ちは、今にも風に乗って空に舞いあがりそう。
「ただ、騎士団の意向があるし、なにより……シャニー、君たちの気持ちを聞きたい」
意識を引き戻すようにロイはそう続けてきた。まっすぐ見つめながら、あらためて聞かれると瞳が揺れた。
(ロイ様と、ずっと一緒にいられるってこと……?)
それができたら、どんなに幸せだろう。こんな提案、飲まないわけがない。……それが、自分一人のことで、なにも背負うものがない見習い時代であったならば。
気づけばロイから視線を外し、背後にいる仲間たちへ目で問うていた。やはり、彼らは誰もが渋い顔をしている。その理由は痛いほど分かる。自分の胸を引裂くこの気持ちと、きっと同じ。
「ごめんなさい」
なぜなんだ……心がそう叫んでくる。こんなに良い提案をしてくれたのに、きっとロイをがっかりさせてしまうに違いない。侘びの言葉を口にしながら、彼の目を見られなかった。
「あたしたち、イリアの人々に約束したから。きっと帰ってきて、イリアに春を呼ぶんだって」
ロイに直接仕える身となれば、イリアへできるのはせいぜい仕送りくらいになってしまう。本当はロイと一緒にいたい。それでも、ぎゅっと唇を噛んでその気持ちを抑え込む。背負った者たちを裏切ることはできなかった。
「やっぱりそうか」
まるで答えを読んでいたようだった。もっと落胆すると思ったけれど、それどころかロイの声はむしろ明るくなった気がする。
「なら、一年契約ならどうだい?」
(ありがとう……ロイ様)
また譲歩してくれた。彼の気持ちに、どうやって感謝すればいいのだろう。ぎゅっと握った首元のロケットを見下ろして考える。一年……その間はなにがあっても、イリアに帰れなくなる。このリキア駐在の任務が、その間に終了したとしても。
(ロイ様の厚意はうれしい。多分一年くらいは帰れないし……。でも……)
心は揺れ、視線が振り子のように左右をさまよった。
一年も、毎日彼の傍にいられる。おまけに、遊びではなく、彼を守る騎士として。これ以上ない条件と言える……。
ぎゅっと両唇を噛みこみ、瞬きが早くなる。飛び込みたい心と拒絶する使命感の間で震えて、顔をくしゃくしゃにした彼女はばっと顔をあげた。
「できれば……一か月ごとの更新にしてもらえないかな? ダメ?」
雇ってもらう側の分際で、どこまで譲歩させているのだろう。これ以上は決裂してしまうかもしれない。
「ははっ、シャニーは思っていたとおりの人だったよ。おかげで、
にもかかわらず、そう言ってロイは笑っていて、もやもやと漂う不安が払われるよう。
大契約……それがどんなものかは分からないが、マリナスが目をぱちくりさせている。彼がなにか言うより先に、ロイの凛々しい声が部屋に響いた。
「マリナス、契約書を用意してくれ。条件は僕が自筆で書く」
雇ってもらえる────その気持ちを抑えられず、安堵が体を溶かしていく。ぎゅっとロケットを掴んでいた両腕はダラッと垂れて、糸が切れたように天を仰いだ。
じんと目を瞑り、安堵を浮かべる口元からは言葉にならない気持ちが零れた。
「ロイ様……ありがとう」
今はただ、それしか出てこない。もう何度、彼に救われているだろう。自然に頬を伝う涙を、ロイはそっとハンカチで拭ってくれた。
「礼は要らないよ。君たちを戦力として評価した。そう言うことだろ?」
ロイは万年筆をとり、マリナスから手渡された契約書へさらさらと契約条件を記していく。とても……一つしか年の違わない17の青年とは思えない凛々しい姿を、シャニーは涙をすっと啜りながらじっと見つめていた。
「こ、これ……」
無言ですっと差しだされた契約書の中に目を落とした瞬間、シャニーの瞳は泉にしずくが落ちたように揺れて、感動を漏らす口元を手で覆った。
(書き間違え……じゃないよね?)
信じられず、震える瞳がおそるおそるロイを見上げる。こんな好条件、あるわけがない。自分の感覚がおかしくないことは、横からのぞき込んだマリナスが目を白黒させるのを見たって明らかだ。
「一年契約で一か月ごとに更新……お互いの条件どおりだろ?」
それでもロイは確認するようにうなずいている。
彼の言うとおり、条件は合致している。これだけでも、ロイは十分すぎるほどに譲歩してくれた。
でも、シャニーが声を震わせていたのは、その下に記載されていた契約形態だった。
────完全支配権移転型契約
契約期間におけるすべての権限を、契約者へ移転する契約。
天馬騎士団に所属しながら、あたかも契約者が直接叙任を与えたような形をとるもの。
命令できる範囲に制限がなくなる半面、身分保障から責任負担の一切を契約者が受け持つ、実質の買取と言えるだろう。
(ロイ様、あたしたちを守ろうとしてくれたの……? こんな、ムチャな契約…………ありがとう……ありがとう…………)
何度も、何度もうなずくその顔は、喜びが溢れだして感涙に咽ぶ。
「マリナス、この書簡をイリア天馬騎士団へ明後日までに頼む。それと、彼女たちに部屋を準備してあげてくれ」
「ははっ……。明後日までですな。……あ、明後日ですとな?! は、早馬の準備じゃあっ!!」
ロイは直筆で署名し、封書にしてマリナスへ渡している。
電撃戦のごとく、あっという間に決まってしまった契約。これは大変なことになった──顔がそう言って突っ張るマリナスは、あたふたしながら部屋を飛び出していった。
いよいよ、始まった……その実感がシャニーに少しずつ湧いてくる。
あとは、天馬騎士団がどんな反応を見せるか次第ということになる。期間限定とはいえ実質の買取だから、最初から売買契約を持ちかけられる可能性だってある。
「さあ、今日から君は僕の仲間だ。よろしく頼むよ」
さっと席を立って、ロイは今も涙をすするシャニーへさっと手を差しだした。
傭兵契約か、売買契約かはまだ分からない。だけど契約の瞬間、シャニーたちはロイから叙任を受けた騎士となったのだ。
(本当にこれで……いいの……?)
震えながら、静かに手を伸ばす。救いを求めながら、それでも迷う手。ぐっと伸ばしたロイの腕が、しっかり握って引きあげた。
ようやく……手の届く場所に来た。それを教えてくれる手の温もりを感じて、シャニーの瞳にも枯れた泉へ水が戻るように光が満ちていく。
彼がいいと言ってくれるなら、もう迷うことなんてない。
「はいっ! よろしくお願いします! ロイ様!」
涙を拭って仲間と共に背筋を伸ばして敬礼して見せた。また救われた。今度は……全部を。
(ロイ様の下で働けるなんて、夢のようだよ!)
誰もいないなら、この翼が踊る胸の中を全部叫んで羽ばたかせたい。憧れの人と、これから毎日一緒だなんて。
こんなリキアでのスタートは想像していなかった。昨日までの悔しさや不安が全部吹き飛んでじんわりする。むしろ、みんな断ってくれて良かったとさえ思えてきた。
破顔の太陽を見つめたロイは大きくうなずく。彼は握った手をさらに強く引き寄せた。
「じゃあ、早速ひとつお願いしようかな」
ロイからの最初の指示。なんでも来いと意気込んでいると、彼は歩み寄って背後にまわり、肩に手をまわしてそっと囁きかけた。突然耳をくすぐったロイの声に、ひゃっと目が跳ねる。
「呼び方、元に戻してよ。いつまでよそよそしくするつもりだい?」
「え……」
「12月のとき、約束したはずだろ? せっかく再会できたのに、またそうやって
「で、でも、ロイ様は契約主だし、あたしは傭兵だし」
そう言ったら、ロイの顔が曇った。あのときは遊びで訪れたからだと思っていたが、彼はきっとそうではなかったらしい。
「今回は仕事かもしれない。けど、これから一年一緒なら、最初に言っておかないといけないと思ってね」
(えっ?! いいの!)
目を真ん丸にしていると、ロイはしっかりうなずいて見せてきた。あのとき言われたことを思い出す。
────君には、なんでも話せる相手であって欲しい
もう、今は天馬騎士団の傭兵ではない。自分を縛る鎖は、ロイが解いてくれた。
(なら……ロイが喜ぶなら、あたし、なんでもするよ)
今できる一番簡単な恩返し。肩に置かれた手にそっと自身の手を重ねると、ロイを見上げて名前を呼ぶ。
「ありがと、ロイ」
「ああ、こちらこそ。おかえり、シャニー」
ロイはふっと嬉しそうにすると、シャニーの手を取って部屋から出ていった。