時間どおりにロイは迎えに来た。
部屋から顔だけ出して見送る仲間たちを手で払って追い返すと、シャニーはロイと並んで廊下を歩いていく。
これだけでも貴重な時間に思えてくるから不思議だ。今でもフェレに立っているのが信じられない。
「ロイ、雇ってくれて本当にありがとね。ここがダメだったら正直……野宿のとこだった」
一か八かの大勝負だった。
ロイが留守でも、マリナスに追い返されても、どれか一つ歯車が狂っていたら終わりだったのは疑いようもない。
衛兵に摘まみ上げられ、わっと視界を包んだ絶望。それを颯爽と駆けつけて救ってくれたあの眼差しを思い出したら、自然に彼を見上げていた。
「いや、頼ってきてくれて嬉しいよ。本当は去年から打診したかったんだけど、シャニーはリストにいなかったしね」
それを聞いたとたん、シャニーの目は点になった。
(あ……。あれホンキだったんだ……)
手紙に書いたことがあった。傭兵として雇ってくれさえすれば、ロイのもとへ行けると。結果的にそれが実現したわけだが、あのときは冗談のつもりだったとは言えるはずもない。
ずっと彼がそれを本気で考えてくれていたと思うと嬉しく、それ以上にキリキリと恥ずかしくなってきた。
────あたしってば天才じゃん!
手紙を書き終え、そんなふうに口走ったのを思い出す。もっと早くから一緒になれたかもしれないと思うと、真面目にやらなかった自分をポカポカ殴りたい。
なにより申し訳なかった。彼は自分よりずっと、真剣に考えてくれていたのに。
「君のような人が側にいてくれると、僕も助かるよ。天馬隊は軍にいなかったし」
包むようなロイの優しい口調に撫でられるよう。
シャニーはテレの笑みを浮かべたが、遅れて湧いた違和感にきょとんとした。
ロイのところにだって、イドゥヴァは再三営業に来ていたはずだ。それなのに、ずっと空席にしていたことになる。
(もしかしてあたしのために……?)
そこまで考えてやめた。そんなはず、あるわけない。
気づいたらもう知らない区画まで来てしまっており、あたりをきょろきょろ見渡す。離れとはまるで違う立派な造りは、きっとロイたちの居住区に入ったのだろう。無意識に背筋が伸びる。
「今覚えなくていいよ。明日あらためて案内するし、帰りも部屋まで連れてくから」
ロイは不安だったのを気づいてくれたのだろうか。すぐに声をかけてくた。
「良かったー。ありがと。迷子になりそうだったんだもん」
ほっと胸を撫で下ろす。探検は大好きだが、初めての城を夜うろつく勇気は流石にない。ただでさえ、ロイ以外に顔見知りは……一人いた。とは言え、あの説教好きにフラフラしているのを見られたら、それこそただでは済まないだろう。
しばらく彼の後ろについて歩き、案内された先でシャニーは思わず手を結ぶ。
「わぁ……。ここがロイのお部屋かぁ」
どちらを見ても、広くて、綺麗で、とにかくスゴイ。それしか頭から出てこない。
高い天井は開放感があり、シャンデリアが白を基調とした部屋を夜でも明るく照らしている。テラスに繋がる大きな窓から、きっと陽が燦々と入るのだろう。ぜひとも昼にも来てみたいものだ。
室内に置かれた調度品は実用的なものばかり。書棚と机に革張りのソファくらいで、ベッドも天蓋があるわけでもない。
世界の英雄だし、戦利品や勲章、献上品で煌びやかだと思っていたので意外ではある。それでも、そのシンプルさが部屋の高潔さを引き立てているとも言えた。
城と言ったら武骨なカルラエ城しか知らない彼女は、手を結び、目にきらきら星を浮かべて感嘆を漏らす。
その姿を、ロイは面白そうに見ている。
「好きにくつろぐと良いよ。今ぐらい身軽になったらどうだい?」
コンコンと鎧を指で叩かれて、シャニーは現実へとはっと戻ってきた。振りむいたら、もうロイは歩いて行ってしまった後。彼は侍女にお茶の用意を指示していた。
(こんなことしてて大丈夫かな。あたし、傭兵なのに)
くつろげと言われても、言葉どおりに受け取るわけにはいかない。
ロイは良くても、マリナスの態度を見れば分かる。あれが普通だ。主のプライベートルームに今日契約したばかりの傭兵がいるのを見られたら、なにを言われてもおかしくない。
「ロイ、でもさ、あたしたち傭兵だから。ロイを守るためにいるわけだし」
マズいことを言ったかもしれない。一瞬、ほんの一瞬だったが、ロイの表情が曇った気がする。気のせいだろうか……。
ロイはまっすぐ歩いてくる。やはり気に障ったか……とか考えているうちに彼は背後にまわり、なにをしているかと顔だけ振りむいたら、パチンと金具を外す音がした。
「今は任務外時間だろ? だからこの時間に呼んだんだよ。聞きたいことがあったしね」
彼は鎧を外していたのだ。目を白黒させてシャニーは自分から武装を解き始めた。
「だいぶ使い込んでるね、その時計」
ロイから声をかけられて時計を見下ろした。戦場で受けた傷でガラス面にも筋が入るそれをロイは指さしている。
「うん。見習いのときからの付き合いだしね。聞きたいことってなに?」
「まあまあ。座ってゆっくり教えてくれ」
ロイはソファに案内してくれ、彼も隣に座った。
鎧がなくなると妙に落ち着かない。傭兵が契約主の部屋で仕事もせずお茶会とか、良くないに決まっている。
幸い、ロイはすぐ話しかけてくれた。
「シャニーだし、単刀直入に聞くよ。イリアで何があったんだ?」
(ズバっと来たな……)
早く質問して欲しいと思っていたのに、思わず言葉に詰まってしまった。
瞠目して両唇を噛む彼女に、ロイは顔を近づける。
「さっきの言葉は冗談じゃない。シャニーのような優秀な人を解任して、あんな書面まで出して追い詰めようとする理由が分からない」
じっと見つめられて、目頭が熱くなってくる。
イリアから放り出されて、味方になってくれる人などいないと思っていた。じっと正面から見つめてくるロイの目が、本気で心配してくれているのをはっきり感じる。
(ロイにだけでも……分かってもらいたい)
この人なら、きっと分かってくれるに違いない。なぜかそう確信できる安心感。
慣れないリキアでの、先の見えない苦労。思い出した不安を溶かす温もりを間近に感じたら、ふいに胸から想いが溢れだしてきた。急に声が震え、視界が海に沈んでいく。
もう、堪えられない。どれだけ啜っても、ぽろぽろ零れ落ちて止められない。
「全部教えてくれ。君の支えになりたい」
涙を前髪に隠しても、そっとロイが背に手を添えた。温かくて、余計に溢れ出してくる。ロイの前では泣かないと誓ってこのフェレの地に降り立ったはずなのに。こんな情けない顔を見せたくない。たまらず手で覆う。
そのままロイに抱き寄せられた。12月のときと同じように。大好きな匂いに包まれ、何も考えられない。どれだけ頭が拒絶しても、もう心が飛びついていた。ロイの胸の中で、涙に途切れ途切れになりながら今までを必死に絞りだす。
「信じて……。あたし、間違ったことしたのかな……」
全てを吐き出して、力なくもたげられた顔は真っ赤に濡れそぼっていた。今も頬を伝う紅涙を指先で拭いながら、ロイはシャニーの乱れた髪を静かに手で梳く。
「全部信じるさ。今まで疑ったことないだろ?」
信じる……その短いフレーズに、シャニーは吸い込まれるようにロイを見つめてハッとする。いつもの彼の目と違う。
「それに、シャニーは間違ってなんかいないよ。あまりに理不尽で……憤りを感じる」
間違っていない──その言葉にどれだけ刻まれた心が癒されたか。
ロイが自分たちのために怒ってくれている。申し訳なく思いながらも嬉しかった。彼の言葉を伝えたら、仲間もきっと救われるに違いない。またしてもロイの温かさに救われた。
……そこまで考えて、シャニーはロイの胸の中にいるのを思い出す。それでも、12月みたいに距離を取ろうとは思えなくて、そのまま顔を押し付けた。
(ありがとう、ロイ。あなたにさえ信じてもらえたなら、もう十分だよ……)
鎖が解けたように、じんと心が軽くなっていく。
しばらく胸の中でシャニーは啾々と咽び泣いていた。
小さくなっていく声を受け止めるように、ロイは彼女が顔を上げるまでずっと頭や背を撫で続けていた。
ようやく、涙が止まった。静かに上げた顔には、別の感情が燃えている。
「あたしへの処罰は甘んじて受けるにしても、……仲間にまでこんな仕打ちは許せない!」
燃えていたのは怒り。切先を突き立て、火花を散らすように爆ぜた怒り。それがごおっと青い目に広がって、あっという間に刀にも似た鋭さで切れ上がる。
唇を噛んで震える目に映ったのは、思い出したくないあの顔。ぎりぎりと拳が音を上げていく。
その手がふっと力を失う。包むように重ねられたロイの手。
「どんな思惑があるのか、騎士団の事情は分からない」
そっと添えられた手はいつしか、しっかりとシャニーの手を握っていた。
「振り向いてくれない人を憎むより、『好き』と言ってくれる人たちに目を向けようよ。君にしかできないあの笑顔を、皆は求めている」
「好きって言ってくれる人……」
「君のまわりには、たくさんいるじゃないか。君の仲間も、村の人たちも。僕だって」
真っ直ぐに澄んだ眼差しから掛けられた言葉に、砕けた心が解けていく。静かに目を瞑ったシャニーは、何度も彼が掛けてくれた言葉を心の中で繰り返した。
(ロイに背中を押してもらえたら、ホント勇気出るよ。あたしたちは──間違っていない!)
世界を救い、今も復興の最先端で輝き続ける英雄。彼に言ってもらえたら、何にも代えがたい自信が湧いてくる。
他の誰に認められずとも、世界中が敵になっても。ロイにさえ分かってもらえたなら、前を向いて飛んで行ける。折れそうになっていた誓いを言葉にして自身へ刻む。
「ありがと。あたし、約束して出てきたんだ。イリアの希望になるって。だから、そのつもり!」
「うん。その笑顔こそシャニーだよ。そういうことなら、僕も協力するよ」
そう言ってロイはうなずいてくれた。雇ってくれただけでも十分すぎるほどありがたい。それに、こんなにも手を差し伸べてくれる。
随分と心配をかけてしまった。吸い寄せられそうで、彼をどうしたら喜ばせられるだろう。それしか浮かんでこない。
「えへへっ、ごめんね。心配してくれたんだよね」
今できる精いっぱいの恩返しはこれくらいしかない。涙を拭き、真っ直ぐ彼の顔を見上げて笑って見せる。
「心配するさ。友達じゃないか」
ロイはシャニーの両手を取り、正面を向かせると真剣な顔で言った。
「心が折れるのは分かる。けど、そういうときの一番の敵は、自分自身だと思う」
思わずゴクリとなった。思い当たる節はいくらもある。独りでは解けなかった悩みを、いつもまわりに助けられて乗り越えてきた。
「君に立ち上がる気力があるなら、僕はいくらでも支えるから」
ふるっと視界が震えた。
ロイが、憧れの人が支えると言ってくれたのだ。それだけで、何度でも立ち上がれる気がしてくる。
不思議な感覚だ。たしかに、動乱から仲良くしてきた。それでも、ロイは世界の英雄で、雲の上の存在だろうに。
(あたしみたいな傭兵に、こんな優しい言葉をかけてくれるなんてな……)
ロイには甘えっぱなしだった。本当なら、守らないといけない立場。でも、独りでは傷を癒せない人間だと自分でも分かっている。
今は精いっぱい甘えて、その分恩返ししようと決めた。
「ありがとう! あたしも、いつでもロイのコト、支えるって約束するよ!」
この人のためなら、なんだって出来る。それこそ、空だって飛べる気がした。この剣も、この笑顔も、全てを捧げるつもりだ。
そう言うのを待っていたかのようだった。ロイは両肩を持つと顔をのぞき込んでくる。
「言ったな? じゃあ、指切りしよう」
「お安い御用だよ!」
すっと差し出された指に手を伸ばす。躊躇う理由なんて何もなかった。
また一つ、ロイと約束した。一つ目は、生きること。二つ目は、支えること。
別に約束するまでもないかもしれない。けれど、指切り自体がきっと大事に違いない。二人が今、隣にいると互いの温もりが教えてくれる。
(ようやく傍で支えられるんだ。あたしの憧れの人……)
12月から願っていたこと。誓いを果たすまでは叶わないと思っていた。それが今、目の前にある。夢でも見ているようだ。
持てるありったけを捧げよう……そう誓って指切りをそっと解こうとしたときだ。ロイがしっかり指に力を込めたまま放してくれない。
「シャニー、もう一個約束だ」
こっちの約束は有無を言わせないつもりらしい。指を結んだまま、うなずく間もなくロイは続けた。
「〝自分みたいな傭兵〟って言わないでくれ。僕にとって君は傭兵でも、主従関係でもない。世界でたった一人の、大事な親友シャニーなんだ。君も僕のことはロイだと思って欲しい。契約者とか、貴族だとか、そんな目で見ないで欲しいんだ」
ドキンと胸が跳ねた。まるで心を見透かすような言葉が、無意識に身構えてしまう心へ手を伸ばしてくる。
それが出来るのならば、それが許されるのならば……。
「──約束だ、指切った!」
答えを返す間もなく、ロイは指を離してしまった。思わず彼の手を追うが、席を立った彼はらしくもなくポケットに手を突っ込んで部屋を出て行こうとしている。慌てて鎧を手に取り後を追う。
◆◆◆
自室へと戻ってきた。
ロイと手を振って別れたシャニーは、彼の胸の温もりを思い出し、切なくなってベッドに身を移す。
夜景を眺めながら、今も指先に残る感触を確かめるように摩りながら呟いた。
「ロイの好きって……やっぱ、そういう意味なのかな?」
彼の言葉を思い出し、シャニーはそっと自身の胸に手を置く。耳に刻まれたように思い出される声。
────僕にとって君は世界でたった一人の大事な親友シャニーなんだ
そう言ってくれるのは嬉しい。あの人にそんな風に思ってもらえるなんて、窓から飛び出しても飛んでいけそうなくらい心が軽い。
それが許されるなら……胸に置いた手はいつしかロケットを握りしめていた。一つ目の約束として、彼が繋いでくれた友情の証を。
(そう言ってくれるなら……、身を預けられるなら……)
阻むものをロイは取り払ってくれようとしている。このまま、その手を取りたい。
そう願った瞬間、何か違和感が刺してシャニーは両手を見下ろした。
「あたし……どうして?」
震えが止まらない。こんなに胸を絞り上げられて震えているのに、それがなぜか分からないのだ。
テラス窓からぼうっと夜景を見つめ、それが何かを探して答えの出ない昏い空を彷徨う。
ふいに、ロケットを握っていた手がするりと垂れる。
決断できないまま、いつしか疲れ果てた身を壁に預けて眠ってしまうのだった。