どうやら、シャニーはうまくやったらしい。
だが……契約内容が問題だ。
さすが英雄と言いたいところだが、そちらに傾いてしまえばあいつは帰って来られなくなる。
あの団長のことだ。何を言い出すか分からない。朝から一仕事せねばなるまい。
アルマは契約書を持って団長室へと向かう。
一方、イリア本国の天馬騎士団には、朝日と共に早馬が到着していた。
リキアからの手紙は、そこを管轄する副団長アルマへと届けられた。表に記された紋章は、一気に彼女の眼差しを厳しくさせる。予想はしていたものの、想定よりずいぶん早い。
「これは……?!」
封を切って中に入っていた契約書へ目を落とした彼女は、瞠目して思わず声をあげた。
ロイが契約を結ぶことは想定していたが、まさかこんな条件を出してくるとは。これは重大事──彼女は即、団長室へむかう。
「団長、失礼します」
ノックの返事も待たず入る。団長席から何事かと怪訝な視線を送ってくるイドゥヴァのもとへ、カツカツと高くブーツで床を叩きながら突き進む。
「このような書簡が届きました」
書簡一つになにを慌てているのか……そんな風にでもイドゥヴァは思っていたのだろうか。渡した書簡の表面を見るや、目の色を変えた。
「フェレの紋章?! ロイ様ですか!」
ガサガサと荒く中の契約書を引っ張り出すと、振り子のように左右へカチカチと視線を落としていく。
その様子を、アルマは渋い顔で見下ろしていた。ロイが示してきた契約に、この女がなにを言いだすか不安だった。良くない流れにならないことを祈るばかり。
「直接十八部隊と契約しないよう、お願いしておいたのに……」
直筆で書かれた契約内容をじっと見下ろして、イドゥヴァはため息にも似た独り言をこぼしている。アルマは眉をひそめた。
(ロイ様相手に、そんなものは無理だろう)
他の諸侯ならともなく、相手は英雄ロイだ。いくら今までの実績があろうとも、理不尽な内容にうなずくはずがない。まして標的がシャニーであれば、なおさらと言えるだろう。
「完全支配権移転型契約とは……やってくれますね」
もう契約は締結されている。すなわち、シャニーの生殺与奪の権を握っているのはロイということになる。
イドゥヴァの顔に、苦虫を噛み潰したような悔しさが滲んでいる。
「しかも、責任負担条項を見てください」
アルマは附則を記した部分を指さして注目を促す。彼女にとっては、ここが一番の懸念点だった。契約期間中は、全責任をロイが負う形になる。その負い方が問題なのだ。
────当部隊が起こした問題については、部隊の買取にて対応し、貴騎士団へ損害の無きよう対処する
それを見たイドゥヴァの顔には案の定、不敵な笑みが浮かびだす。
「これは重畳……。ロイ様がこんな好条件の契約を締結してくださるとは。いざとなれば
こちらは実質責任ゼロ。うますぎる話というわけだ。
その気になれば、ボロが出るように仕向けるくらい、この女なら平然とするだろう。シャニーが我慢できない性格なのは、昨年の11月ではっきりしている。
いくらもやりようはあるのだから、彼女がほくそ笑むのは当然といえる。
「それにしても、ロイ様もよほどお気に入りと見えますね」
「ええ。去年の12月も逢引していたと聞きます」
「あれだけ足繁くフェレに通ったのに、崩せなかったのも頷けますよ」
────天馬隊はシャニーに任せることにしている。リストになぜいないんだ?
幾度となく営業に赴いても、ロイはそう言って交渉の席にもつかなかったらしい。その都度、当時の団長ティトの方針のせいだと、イドゥヴァはヤケ酒しながらくだを巻いていた。
「しかし……流石に英雄ロイですね。なかなかに手強い」
一方で、彼女は歯ぎしりが始まっていた。
イドゥヴァは机上の宝玉を手に取って転がし始める。これをするのは、かなりイラついているときだ。
「ええ。完全支配権移転ではこの一年、我々から直接指示はできません」
アルマの心は、それを鼻で笑っていた。
たかが一騎士団の団長が、英雄相手にケンカを売って勝てるはずがないではないか。
大方イドゥヴァにとっては、シャニーをイリアの外に摘まみだした時点で、計画は半分成功だったのだろう。その後は腐るなり、野垂れ死ぬなり好きにせよというところか。
(ロイ様は、シャニーを守ったというわけか)
その大事な部分がとん挫したことになる。お得意の身分剥奪も、ロイが支配権を得ている間は天馬騎士団には権限がない。
まるでチェスだ。単騎ならどうにでもできるはずの暴れ馬なのに、うまく駒が利いていて手が出せない。彼女がいら立つのも無理はないだろう。
「我々にとっては好都合です」
にもかかわらず、イドゥヴァは手元で転がす玉を見下ろしながら、擦れるような笑い声をあげだした。
「この一年は、シャニーがイリアの地を踏むことはないと確定したのですからね。皮肉なものですよ。彼女は救いを求めて、自ら鳥かごに入ったようなもの」
「そうですね。イリア攻撃など許可しないでしょう」
「小金を食い潰してあれこれ邪魔する人間がいなければ、計画は一気に進みます。ふふ……これはいい」
ロイがイリアに攻めこむ理由はないし、彼女に単騎で出撃を許すとも思えない。お互いに最善となったのかもしれない。……そう言って終われればよかったのだが、簡単な状況ではなかった。
(あとは……これをどうするかだ)
一番の山場。アルマはごくりと息を呑む。契約開始における最初の選択肢だ。────売買契約か、傭兵契約か。
厄介ごとになる前に、さっさと売払ってしまおう──イドゥヴァなら、そう言い出しかねない。フェリーズが同じ提案をしたときも、彼女は売買を持ちかけようとしていた。
「支配権移転型で進めてよいですか? 恐れながら、売却は反対ですが」
シャニーの監視は以前から任されている。とはいえ、契約の最終決定者は団長に変わりない。彼女が首を縦に振らない限り、反対しても無駄だ。
(それでも、何が何でも通さなければ……)
シャニーと約束した。機を見て必ずイリアに戻すと。今後のイリアに、絶対必要な人間。今は守ってやらなければならない。
覚悟を決めて目に力を込めていると、イドゥヴァは愚問と言いたげに、神経を逆なでるような笑い声を漏らし始めた。
「移転型一択でしょう。ようやく金の卵を産むようになったのですからね。せっかく手に入る金なら、一ゴールドでも多く獲得すべきでしょう」
さすが騎士歴十六年の大ベテランだ。そういうところは、本当に抜け目がない。ハイエナ呼ばわりされるイリア騎士の闇を、ぎゅっと集めたような人だ。
「あの子が企画したエンジェルヘイローの建設費くらい、自分で賄ってもらいましょう」
イドゥヴァはそう言って不敵に口角を吊りあげた。よく言うものだ。あの鉄路は
彼女はさらさらとサインを入れ、契約書をアルマに返しながら方針を指示した。
「状況が変われば、一年後に売買に切り替えることだって出来るのですし。わざわざ最初から、奉仕するような選択を採る必要はありませんよ。ふふ、絞れるだけ絞ってやりましょうかね」
契約書を受けとり、アルマは部屋を出た。背後から聞こえてきたのは、野望に塗れた快哉だった。