夢でもいい。夢なら、醒めないで。
もし、夢でないのなら、ロイのメッセージのままになったら……いいのにな。
「ハッ、言ったな! なら勝負だ! このアレンにそのようなオモチャは通用せん!」
半分冗談だったのに。
痩せると教えたらミリアが目の色を変え、今日は朝からアレンに向かっていった。おまけに挑発までするものだから、アレンの目に闘志が燃えてしまっているではないか。
あれを相手にしていたら、一日終わらないに違いない。
それにしても、ミリアの武器はクロスボウなのに、どうやって手合わせするのだろうか。
(ま、いっか! 逃げちゃお~っと)
昼までかかるアレンの朝稽古を回避したシャニーは、中庭で日差しを浴びて大きく伸びはじめた。思わず零れる声は高く透きとおる。
そのとき、細めた目が会いたい顔を見つけて、ぱっと口元が軽くなった。
「あっ、ロイ様! おーい!」
今日は稽古を回避できるし、朝からロイに会えるとは、なんとラッキーな日なのだろう。
手を振って駆けていくと、ロイも笑みを浮かべているのが見えてくる。
「やあシャニー、おはよう」
横にピタッとついて歩き出そうとしたら、彼は鎧をコンと指で突いた。
「普通に呼んでくれよ」
予想どおりの反応というところ。
特別なのだと、ロイから言ってもらえる気がして心が跳ねる。とはいうものの、諸手を挙げて分かったと返事できなくて辛かった。
(そう言ってくれるのは嬉しいんだけどさ……)
いつも同じお願いをされ、同じ気持ちを抱いてきた。
今でこそ、あんな視線で刺されることは無くなったが、初日にアレンやランスが見せた眼光こそが、普通の反応に他ならない。
どうしたら、ロイを喜ばせてあげられるのだろうか。
「だって……やっぱさ、あたしだけ特別ってわけにはいかないよ。みんなも見てるんだしさ」
もっと上手く言えたらいいのに。どうしても、心の中にある素直な言葉しか口にはできなかった。
ロイは雇い主で、自分たちは傭兵だ。おまけに今は仕事中であり、呼び捨てにするような状況ではない。
傭兵から呼び捨てにされる姿を知らない人に見られたら、彼が軽く見られてしまう。そんなのは嫌だった。
(どうしよ。怒っちゃったかな……)
ロイがじっと見下ろしてくるまま、なにも言わなくなってしまった。
悲しい……ロイは望んでいるし、自分だって言われるまま飛んでいきたい。
けど、想っているからこそ、言えないこともあるし、言うべきことがある。
このままではいけない。ロイに手を合わせた。
「遊びに行くときとかさ、誰もいないときだけじゃダメ?」
ロイは大事だ。大事だからこそ、頷けない。
おまけに、あまり妙なまねを外部の者に見られて、イリア傭兵の評判を落としたら自分だけで済まないのだ。
傭兵は信用が命。傭兵業を失ったら、イリアは食べて行けなくなる。
(ロイなら分かってくれる……。お願い)
懇願を目に込めて見つめたら、ロイは考える間もなく頷いた。
「分かった。シャニーが良いならそうしよう」
とりあえず、ホッとした。ロイは分かってくれたようで、口調もいつも通り優しかった。
「へへっ、ありがと。ホントはあたしだって、いつも普通にしたいんだよ」
今でも変な気持ちのまま。
ロイは貴族だし、英雄だし。雲の上の存在だから、様をつけるのは当然と言えるだろう。なのに、それをつけて呼ぶと、胸に魚の骨でも刺さったように、なにか心の中でギクシャクする。
(はぁ……いつでも自然に呼べたらいいのになぁ)
朝陽を見上げながらぼうっとロイの隣を歩いていたら、ふいに声が呼んだ。
「昨日、村を守ってくれたそうだね。ありがとう。天馬騎士は守備範囲が広いね」
どうやらロイは、昨日あげた報告書をもう読んでくれたらしい。
賊を討伐したのはフェレでも隣境に近い、騎馬隊では毎日行くのが難しい山沿いの場所だった。
アピールした天馬騎士の強みを、さっそく気に入ってもらえたようだ。まっすぐに褒められて心はスキップしたくなるくらい軽い。
「あのくらいお安い御用だよ。イリアじゃ毎日だったしね」
「毎日??」
軽く返したつもりだったのに、ロイは驚いた顔をして聞き返してきた。
「うん。イリアは貧しいし、復興が行き届いてないから……賊も多くてさ」
数はイリアに比べて大規模だったが、戦力としてはやはり賊。
それにしては過敏な反応に見えたが、聞けば事件そのもの少ないらしい。リキアは平和に映った。
「そうか……。やはり、毎日危険な生活を送っていたんだね。無事でなによりだよ」
今日のロイはなんだか大げさだ。騎士なら普通だと思うのに、彼は毎日出撃するだけで驚いている。
「あれ、もしかして、心配してくれてた?」
「まあ、そうかな」
この程度で心配してくれるのに、魔人ソルバーンや聖天騎士団の
「えへへ……ありがと。でも大丈夫! あたしだって、いちおー上級天馬騎士だし」
安心させようと笑って元気を伝えたら、ロイにも笑みが戻った。
「頼りにしてるよ。でも、無理はダメだからね」
「えへへへ、そう言ってもらえると、がんばれちゃうよー!」
憧れの人に頼ってもらえるなら、どんな大変な任務でもこなせそうな気がしてくる。
もっともっと、仕事が欲しかった。
正直、見回りだけでは持てあましている。交渉してみようと思っていたら、持っていた小袋をロイがさっと差しだした。
「これ、少しだけど差し入れ。皆で食べてくれ」
町で買ってきたのだろうか。袋にはクッキーの絵が見える。
スイーツに目がない自負はあるが、不覚にもリキアはまだ未開拓。昨日の昼食が頭に浮かんだ。きっと、これもおいしいに違いない。
「ありがとう! おやつにいただくね」
あれこれ良くしてくれる彼の優しさに感謝しながら、手を振って別れた。
結構堅めのクッキーらしく、中から乾いた音がする。
皆に分ける前に、一枚つまみ食いしてしまおうと袋に手を突っ込む。なにか、明らかにクッキーではない感触が手先を突いた。
「あれ……なにか入ってる」
一旦指を袋から出し、両手で広げて中を覗き込んでみた。
きつね色のクッキーがたくさん見えるが、その頂には折り畳まれた紙が入っていた。取り出して中を開く。
────今日の18時。正門で待ってるよ
(デートのお誘いだ!)
心にぱあっと花が咲く。喜びが体中に広がって、手先足先、全てに満ちていく。
「きゃっほーい!」
思わず飛び跳ねて歓喜を上げてしまった。
(……!! 周りに誰もいないよね?)
すぐにハッとして辺りを見渡す。
……こんな手を使うとは、ロイもこの前の一件で懲りたということか。
今日は幸いにも、やっかいな石ころ連中もいない。このときばかりはアレンに感謝した。
◆◆◆
残照がうっすらと藍色の空に残る時間。
モジモジと落ち着かない様子で、シャニーは城のドレスルームにいた。ロイの手紙に、城内の地図と共にドレスを選んでくるよう書かれていたからだ。
傭兵なんかがいきなり行って大丈夫なのだろうか。驚くのではないかとゾクゾクしながら向かったが、スタイリストは何種類か候補を選んでくれていた。きっと、ロイが言っておいてくれたに違いない。
(こんなドレスを着てどこ行くんだろ……)
人生で初めて着るドレスは歩きにくい。
昼のうちに抜け道を探しておいて正解だった。仲間に見つからないよう、するすると正門を目指す。
「お待たせ! 今日はうまく抜け出せたよ」
狭い歩幅でてってと走って、ロイのもとへと辿り着く。
「うん、似合ってる。かわいいよ」
「ホント?! えへへ~、ありがと! 初めてだよ、こんなドレス着るの!」
褒められて隠せず飛びあがった。
かわいいなんて言葉をかけられたのはいつぶりだろうか。それも、ロイに言ってもらえたのは初めてだ。
ルンルン気分の夢心地に浸っていたら、ロイがとんでもないことを口にした。
「じゃあオスティアに行こう。天馬なら30分くらいだよね」
「えええ?! こんな真っ暗で天馬に乗ろうなんてスゴいね……」
フェレでこんな格好をしていたら皆の目についてしまうから、きっと彼は気を遣ってくれたに違いない。
でも、仕事だって夜戦でもない限り、夜に天馬を飛ばすなどあまりない。視界が命の天馬騎士にとって、見渡せない闇夜は天敵なのだ。おまけに今は、二人ともカッチリした服装なのに。
(ロイって意外にやんちゃなのかも……)
彼のふだん見られない一面を知って、焦りながらもふっと笑う。どこまでも気さくで付き合いやすい人だ。
「そうか……。シャニーなら、二つ返事かと思ったけど」
とても意外そうに返ってきた。
いったい、いつもどんな風に思われているのか気になる。
飛んで行きたいのはやまやまだけど、ロイには万が一でさえ起きては困るではないか。
「上級天馬騎士の腕を持っても難しいかい?」
でも、彼は挑発みたいなことを言ってくるから、考えるより先に口が動いていた。
「言ったなー! 騎士団一の馬術に驚かないでよね!」
シャニーは目をぷんぷんさせて、見ていろと言わんばかりにばっとドレススカートが宙に舞う。
ロイは嬉しそうに彼女の後ろに乗ると、もう真っ暗になって月光が照らす空へ飛びあがった。
(……何度乗せても背中がゾクゾクするー)
12月以来の感覚だ。真後ろにロイの気配を感じて、体がぞわぞわしてくる。
背中も、髪の毛も、そして腕も。今日は軍服ではないし鎧も無いから、ジンジンするほどだ。
しばらく沈黙の空が二人を包む。ロイもなにも喋ってこないけれど、どんな顔をしているのか見えないのが歯がゆい。
せっかく誰にも邪魔されない、二人っきりでお喋りできる時間なのに。ガマンできずに振り返った。
「こんな時間に遊びに行くの初めてだね。お城の人たちは大丈夫なの?」
当主がいないとなれば、今ごろ城中で大慌てしているはず。とくに、狼狽するマリナスの顔が浮かぶ。
日中は忙しいしいからこの時間になるのは仕方ないが、帰ったらどんなことになっているか心配だ。
「ああ。ランスに守備は任せてある」
「あ……じゃあ、ランスさんにはバレてるんだ」
馬車を使わないからお忍びだと思ったけれど、ロイの口調は心配いらないと伝えてきた。
それは安心……なんて、思えるはずもない。それどころか、声がこわばった。
(ヤバくない?? 明日なにか言われそー……)
よりにもよってランスとは。あの人が怒ったら怖そうだった。
傭兵が、守るべき主をこんな危険な空の旅に、武装もなく連れ出して。いくらロイがそうしたいと言ったって、やっぱり止めるべきだったか。
とはいえ、ランスが知っていてロイがここにいるなら、彼はオッケーを出したわけだし。
それに、今のこの気持ちを考えたら、叱られるくらいへっちゃらにも思えてきた。
「バレるというか、城の皆には伝えているよ。そうしないと、みんな心配するからね」
さらっとロイはそう返してきた。しばらく風を切る音だけが響く。
彼は当たり前を言っている……どんどん頭に血が集まってきて、あっと言う間に破裂した。
「えええっ?!」
すっとんきょうな声が上がる。
ランスどころではなかった。アレンも、仲間も、あのマリナスも……?
なんで驚くのか、ロイには分からないらしく首を傾げている。
「シャニーはいつも脱走してるの?」
「うん。あ゙、いやぁ……そう言う意味じゃ……アハハ……」
一旦ロイから視線を外して、正面を向いたら動けなくなった。
今にもあちこちから血が噴き出してきそうに、心臓がバクバクする。
(みんな知ってるの?! 二人で出てきてること……!)
こんな時間から二人で外出する意味など、一つしかない。
それを城中の人間が知っていると言うのだ。ロイは気軽に言ってくれるが、なにが起こるか分かっているのだろうか。
(あたしみたいな傭兵が相手って、みんな…………どう思ってんだろ……)
クレインとティトみたいな話が、羨ましくて仕方ない。ただでさえ、まだ一週間しか働いていないのに。
急に怖くなってきて、このままでは心臓が持ちそうにない。話を変えることにした。
「夜のオスティアかあ。ちょっと一人じゃ怖いし、ロイと一緒はうれしいな」
昼でさえ、あんなに活気溢れる大都市なのだ。その夜の顔は、きっともっと楽しいに違いない。そうは思いつつも、あそこまで大きな街の夜は、とても一人で行く気にはなれない。四人組でさえも、ちょっと不安なのに。
「案内するからついて来るといいよ」
そう言ってくれるロイが、本当に頼もしく思えた。大都会の夜を、早く二人で楽しみたい。
風切り音を更に高くして、銀翼で闇夜を切り裂いていった。
◆◆◆
目の前に広がるのは、赤や緑のガラスに彩られた色とりどりの灯。乳白色のガス灯が中央街を照らし、左右を埋めつくす店からは、たくさんの色や音が聞こえてくる。
「うわぁ……キレイだなぁ」
思わず手をむすんで、ぼうっと見上げてしまう。
街の奥には、明かりに照らしだされたオスティア城が、闇の中でも白く浮かびがって街を見守っていた。
(こんな世界があるんだなぁ……)
イリアの夜には、オオカミの遠吠えか風の吹く音しか知らない。
灯にきらめく街。楽しげな声、店から流れてくる楽器の調べ……。この時間でもたくさんの人が行きかい、大都会に生きているのだと実感できる。
「さあ、行こう。はぐれないようにね」
どのくらいぼんやりしていたのだろう。ロイに声をかけられ、あわてて彼のもとへ小走り。
この僅かな間にも、二人の間にはたくさんの人が流れをつくって、もう姿を飲みこみ始めている。
「あっ……」
ふいに手を取って引っ張られた。突然の温かくて優しい感触に、なにも聞こえなくなる。
(ズルいなぁ。こんなの逃げられないじゃん)
この街を歩けるだけで幸せなのに、憧れの人とドレスに身を包んで歩けるなんて。おまけに、しっかりと手を握られて。
(でも、今なら手繋いでてもへーきだよね)
しっかりと握りかえす。ここなら、誰にも見つからない。
自分が傭兵だと忘れさせてくれる場所。いつも押さえ込んできたものをさらけ出し、ロイの隣にならんで少しだけ身をあずけてゆっくり歩く。
◆◆
「こ、こんな所でごはん食べるの?!」
しばらくして、シャニーは仰天して目を泳がせていた。
貴族街に来たのは気づいていたけれど、目の前に店がそびえると腰が抜けそう。
ピアノの生演奏が聞こえてきて、田舎者でさえ「超」がつくほど高級だと直感が叫んで全身がブルッときた。
この前は大衆食堂で驚かされ、今度はこんな高級店ときた。
たじろぐ姿を楽しむような声が誘ってくる。
「気に入らなかったかい?」
「まさか! こんなの初めてだよ!」
一生縁がないと思っていた場所を前に、好奇心がピョンピョン跳ねている。
こんなドレスまで用意してきた以上、覚悟はしていた。それでも、いざ店に入ると、どう振舞っていいのかまるで分からない。
周りの女性を見てみる……立ち姿からして、もう違う気がする。
(うー……落ち着かなーい……どしよ)
どうにも、場違いに思えて仕方ない。
向こうを見れば、一面ガラス張りの広いホールに円卓がたくさん並んでいて、誰もが清楚に食事している。
周りは貴族だらけだ。
部隊長として作法の教育は受けていても、国内部隊にいたし実践なんかゼロ。おどおどしていたら、そっと背中に手をまわされた。
(はわぁ~。なんだか……夢みたい)
まるで、どこかの令嬢にでもなった気分。今は彼の腕に身を任せておく。
「わぁ~。綺麗な夜景! ……素敵」
個室に案内されてホッとしていると、ウェイターがカーテンを開けてくれた。
ぼんやりとした光の玉が無数につながり、万華鏡のように煌めく。
夢のように広がる夜景に、思わず窓辺に寄り感激で手をむすぶ。まさに天国から街を見下ろすよう。
「ふふ、お気に召したようで何よりだよ。さ、座って、座って」
言われるまま席に着き、食前のカクテルを傾ける。
「ふふっ……おいしい」
「ああ。日頃の疲れが溶けていくようだよ」
もちろん天馬で帰るからノンアルコール。それでも、赤と青を合わせた、まるで二人を表すかのようなカクテルは酸味があり、それでいて夢へと誘うようにじんわり甘い。
喉を潤し、普段どおりの自然な会話を楽しんだのも束の間だった。
出てきた見た目も美しいプレートを前に、感動以上の気持ちが圧しかかって両手が固まった。
(うう……やっぱり分かんないよう……)
国内部隊だから接待なんかしないし──忙しさにかまけて、作法の勉強をまるで放り出してきたことを、こんな大事な場面で後悔するハメになるとは。
ロイの所作をちらちら真似て食べてみるものの、あまりにぎこちなかったか、彼はフォローしてくれた。
「誰もいないんだし、好きに食べればいいよ。そのために個室にしたんだ」
そう言ってロイがとった行動に、目が飛び出しかけた。
「わぁ?! そ、そんなことしなくてへーきだよ!」
それまでフォークで美しく食べていたのに、手で摘まんで食べて見せてきたのだ。
びっくりして止めさせようとしたら、やってみろとジェスチャーされてしまった。
言われるまま口に運ぶ……やっぱり、昇天しそうなほど美味しくて顔がとろける。
「ごめんねロイ。なんだか、気を遣わせちゃって」
無作法な女だとバレてしまった。いまさら後悔しても遅い。ロイにまで手を汚させてしまうとは。
「気にしなくていいよ。いきなり連れてきたんだし」
今もロイは、エビから手で身を外して口に放り込んでいる。こっちの方が気楽でいいと言わんばかりの顔をするから、申し訳なくて視線が下をむく。
(ちゃんと勉強しよ……ランスさんに教えてもらおうかな)
これではロイとデートできない……そう思うと気合が入る気がした。
気を取りなおして、今日のところは甘えようと顔をあげたら、ロイは手を拭いて身を乗り出し見つめてきた。
「それに、今日は特別な日なんだしね」
そんな思わせぶりなことを言われたら、ウズウズするに決まっている。
顔にワクワクが躍り、彼女も身を乗り出した。
「なにかあったっけ?」
五月の下旬……特になにも思い当たることはない。ロイの誕生日……いや、違う。
口をキュッとして上を向きながら考えてみるが、なにも浮かんでこない。今度は夜景に視線を向けてみる……。窓にロイの顔が映っていて、窓越しでも感じるまっすぐな視線に胸が火照ってくる。
そのときふと、彼がなにか差し出しているのが見えた。
「はい、誕生日おめでとう」
振り向いた先には、ロイの笑みがあった。
凛々しい笑顔でかけてくれた言葉と共に伸ばされた手。その先にある小さな箱でようやく気付いた。祝われているのは、自分。
心と一緒にふるると目が震え、口元は喜びいっぱいに広がっていく。
「覚えててくれたの?!」
それが一番嬉しかった。誕生日なんて彼に話したのは……それこそベルン動乱時に、雑談の中でぽろっと出したくらい。
二年間、忘れずにいてくれたことが何より幸せを感じさせてくれた。
「当たり前じゃないか。一番大事な日だろ? ちょっと遅れたけど、受け取ってくれ」
「腕時計だ! わぁい、ちょうど探してたんだよね! あぁ……すごいキレイでオシャレ……」
さっそく開けた箱の中から出てきた腕時計に、シャニーは鈴のような声で歓喜を上げる。
こんなものをもらって良いのか……一瞬頭をよぎったが、ロイの視線に負けた。さっそく身につけてロイに見せてみる。なんだか、彼も顔がじんわり綻んでいる。
「似合う?」
「ああすごい似合うよ。ボロボロだったから、欲しいかなと思ってね」
テーブルに置いた、さっきまでつけていた腕時計を見下ろす。
見習い時代から付き合ってきた相棒。ベルトこそ何度も換えているが、あちこち傷だらけでガラス面にも線が入っている。これは……矢に狙われて落馬したときに出来た傷だ。
「一年、一緒の時を刻んで行こうってことでさ」
(一年……か)
本当はずうっとそうしたい。でも、イリアに残してきた者達がいる。
一年という言葉がずしっとくる。この言葉を跳ね除けて、何のためらいも無く飛び込めたら、どれだけ幸せだろう。
だけど、夢から醒めたら────このドレスを解き、軍服に身を包んで傭兵へ戻った瞬間、それは許されなくなる。ロイの気持ちだって、こんなにも特別扱いされなくても薄々気づいているつもりだ。
……だからこそ、軍服のままその先へ踏み出すことが、ロイの気持ちに気づけば気づくほど……怖くなってくる。
「本当は、この前のときに一緒に探そうと思ってたんだけど」
そんな答えの出ない悩みを巡らせていると、ロイの声が意識を引き戻す。
まさか職人街へ行くとは思わなかった。そう言われ、前のデートを思い出して思わず心の中で顔をしかめた。
(あいつらー……)
それ以上に、頭へ浮かんできたイタズラ好きな顔にジリジリする。
しゃべる石ころがいなければ、お誘いのまま向かったに違いない。
次は何があっても追い返してやると目に火が入りかけるが、今は手首で黄金に輝く腕時計を見つめ、そしてロイの手を取った。
「ありがとう! 毎日使わせてもらうよ!」
「ああ、是非そうしてくれると嬉しいよ」
こんなに良くしてもらえたら、毎日バリバリ頑張ってもっと喜ばせてあげたい。
座りなおして、もう一度時計へ目を落とす──うっとりするほど綺麗。なにより、ロイがプレゼントしてくれたのが嬉しくて、心が浮かんで躍っている。
そんな幸せに、ふと騎士としての声が冷や水を浴びせてきた。
(雇ってもらってるあたしが、こんなにしてもらってて良いのかな……)
ロイには口にするなと言われているけれど、どうしても心に刺さったまま抜けない不安。
相手が自分で、本当に良いのだろうか?
傭兵なんかと付き合っていると知ったら、周りはどう思うだろう。ただでさえ、イリア傭兵はハイエナ呼ばわりされていて、好く思われていないとも聞く。
生きていくため仕方ない──傭兵としては、そう割り切ってきた。でも……。
「なんか、してもらってばっかりだなぁ。なにかお返ししたいんだけどな」
そんな自分に一体何が出来るだろう。
12月の時はセーターを編んでみたが、お返しにピアスをもらってしまった。今も耳に揺れる青いピアスと比べたら、まるで釣り合いは取れていない。
とは言うものの、思いつかない。返せるもの……気持ちくらいしか。
「いいって。むしろ、僕がお返しをしたんだと思ってくれれば」
ロイの意外な一言で、シャニーは目をしばしばさせるときょとんとし始めた。
「へ? あたし、なにかロイにしてあげたっけ?」
リキアに来てまだ一週間。出来たことと言えば賊討伐くらいだし、それは仕事だ。こんな、ピカピカの時計をもらうような話ではない。
思わず指をあごに添えて考え込んでしまう。
「いつも明るく笑って元気をくれるじゃないか。支えてもらってるお返しだ」
傭兵の自分では飛んでも届かない、あまりにも高いところにいる人。そう思っていた彼からかけられた言葉はとても近くて、すっと心に溶け込むように包み込んでくれた。
一番にしてあげたいと願ってきたことで、憧れの彼に労ってもらえたと思うと、あっという間に視界が滲んできてしまう。
「えへへ……ロイは優しいなぁ……」
あんな仕打ちをする人がいる。けれど、これ程までに優しくしてくれる人もいる。こんなに温かくされたら、帰れなくなってしまいそう。
なぜだろう、2年前はなんとも思わなかったのに。どうして、こんなに優しくされているのに飛び込めないのだろう。
もどかしくて、切なくて、けれど恐ろしくて……涙が止まらない。
「大げさだよ。泣かなくてもいいだろ?」
「だって……分かんないよ、出ちゃうんだもん…………」
嗚咽を漏らしていると、ロイが席を立ったのが見えた。
めそめそして目元を擦っていたら、ふいに手を取られ、びっくりしている内に目元をそっとハンカチで拭われていた。
やっぱり、ロイは優しい。今だけは、思いきり甘えよう……自分で涙を拭うと息を整えて、騎士も弱虫も追い出した。
「聞いてよ! 異動辞令を渡されたの、あたしの誕生日だったんだよ。最悪のプレゼントだったよ!」
あれが絶望なのだと、人を信じられなくなりかけた瞬間だった。
その一か月遅れでもらえた希望が、今も右手首で輝いている。視線を移せば、今も横で屈みこんで見上げてくるロイの顔があった。
「でも……こんな嬉しい思いができたし、最高の誕生日だよ。ありがと」
飛び跳ねたいくらい、プレゼントはもちろん嬉しい。憧れの人がこんな近くで祝ってくれること、それが何よりも尊い。
心が解けて、目を瞑って全てを預けたくなるこの気持ち。今この瞬間を、宝箱にしまっておきたいくらいだった。
イドゥヴァは今でも許せない。けれど、出向辞令があったから、こうしてロイと最高の一日を過ごせることになった。
無駄なことは、なにも無い。そう思うことにして、彼にしてあげられる一番で感謝を捧げる。
「君にそんな辛い思いはさせないさ。困ったら言ってくれ。隠しごとは無しだよ」
頼もしい言葉とともに伝う温もり。握った手をそのままロイに引かれ、窓辺に身を移す。
広がる夜景を前に二人で並び、彼の横顔をじっと見上げていた。
(あたしに出来ることなら、なんだってするよ。ありがとね、ロイ)
繋いだ手を祈るように握り返す。
許される限り支え、共に時を刻みたい。そう心から願い、夢心地の中で繰り返すのだった。