あいつらが起きてくるまでが勝負……ッ
わが崇高なる計画を邪魔させるわけには行かないのだー!
清々しい朝日が窓から差し込む騎士団の食堂は、今日も元気な声が集まっている。
まだまだ空席が目立ちながらも、あちこちからカチャカチャとした食器の音や笑い声が聞こえてくる。
そんな明るい窓辺を避けるように、壁際の隅っこでひとりシャニーは格闘していた。
ずいっと本に顔を埋めるように覗きこんだと思ったら、今度はぎゅっと絞った口でテーブルを見おろす。
本から半分だけ顔を出して落とした視線。しばらくじっとテーブルの上を見て、また本へと吸い込まれていった。
ぼちぼち騎士達が通りかかるテンポが早くなってきた。そろそろ仕事の時間が近いのか。
通りかかる騎士たちに、いつも通り元気な笑顔で挨拶しては呼ばれるように本へ吸い込まれ、シャニーは眉間にしわを寄せている。
「シャニー? あんた、なにやってんの? 手品の練習?」
ルシャナの声が聞こえてきたが、シャニーは振り向くこともなく本にかじりついたまま。ルシャナたちは互いに顔を見合わせる。
「うわ、シャニーが勉強してるッス! 明日槍が振るッス!」
テーブルには、フォークやらナイフにスプーンが何本も転がる。
シャニーの視線は本と彼らを行ったり来たりして、ミリアが茶化してもまるで反応しない。
そのうち本を置いたシャニーは、まるでパズルでもするように机上へ両手を伸ばす。パントマイムでもしているようだ。
「ハッ。食い意地がたたって、なんか変なものでも食べたんでしょ」
「シャニー、薬、いる?」
異様な光景に映ったらしく、仲間たちは様子をうかがっている。ルシャナは呆れたように笑っているが、レンは真剣に心配して、食堂の人に声をかけて救急箱を引っ提げてきた。
「わー、見たことない薬がいっぱいッスよ! これだけあれば、シャニーにもどれか効くんじゃないッスか」
箱を開けたとたん、ミリアの好奇心に火がつく。
全部引っ張り出す勢いで両手に取って、ミリアはあれもこれもとシャニーへ見せだした。
それでも、彼女はどうにも振り向かず、怪しい手の動きが止まらない。
「なんとかにつける薬は無いって言うけどね」
シャニーが薬を飲んでいるところなど見たことがない。そう言ってルシャナが笑い、ぴくっとシャニーの眉が吊り上がる。
直後だった。それまできれいに動いていた彼女の両手同士がぶつかった。
「やっぱ病気? 顔、真っ赤」
レンは真顔。
今度は手先同士がぶつかるだけでは済まず、まるで糸が絡まるように両手が衝突した。ガチャンとナイフが飛んでいく。
それを三人でのぞき込んだ瞬間、ぷるぷるとシャニーが震えだした。
「もうっ! 人が真剣にやってんのに!」
あっち行けと言わんばかりに手で払おうとするが、ようやく振り向いた彼女を仲間が離すわけがない。
距離を開けるどころか隣に座り込んで、シャニーが手に取ろうとしていた本を、チョイっとルシャナが取り上げた。顔を真っ赤にしながら取り返そうとするシャニーを、ミリアとレンで抑え込む。
「なになに? ……テーブルマナー講座??」
「あれ、この前は難しそうな本だったのに」
人が変わったように、シャニーが本を読んでいる──最近、もっぱらのいじりネタではあったが、ルシャナが読み上げたタイトルにミリアは首を傾げている。
ランスから借りたリキアの地理やら戦術書を、シャニーが読んでいるのを彼らは目撃していた。ところがどっこい、今日は打って変わってこんな本。
横目に物言いたげな眼差しが三人から飛んできた。
シャニーはゴクっと息を呑み、口をへの字に曲げると視線を逸らしながらボソッと零す。
「ほら……リキアだと、お仕事で貴族と食事することも増えるから」
表紙には紋章が入っている。どうやら、部隊長クラスに配布される騎士団の教育書らしい。
「仕事ねえ……?」
仕事が聞いて呆れる。じろっと見てくるルシャナの横顔にははっきりとそう書いてあって、シャニーの顔がますます渋くなった。また妙な方向に行きそうだ。
「あんたの場合は、花嫁修業も仕事か」
ようやくルシャナが正面を向いたと思ったらニヤニヤが浮かんでいて、核心を突くような一言を放ちながら鼻で笑ってきた。
「えーと……うん、ごめん」
もうそれしか言い返す言葉がなく、シャニーは白旗を上げた。
言い訳をすればするほど、ドツボにはまっていくのは今までの経験から間違いない。おまけに、今日もルシャナは止める側にいない。この手の話になると、むしろ彼女が一番にガンガン来るので困ってしまう。
(なんでバレたんだろ?)
眉を下げて目でまわりに聞いてみても、苦笑いしか返ってこない。これ以上おもちゃにされるのも堪らなくなって、観念して白状することにした。
「ロイ様とお店に入って、かなーり困ったからさ。知っとかなきゃなって」
あんなに美しい夜景においしい料理、そして前を向けば憧れの人の微笑み。
最高のロケーションのはずだったのに、無作法が台無しにしてしまった。今度は、楽しみながらあの空間を味わいたいではないか。
────国内部隊なんだし要らないじゃーん?
姉の説教を笑い飛ばした、あのときの自分の頭をポカポカしてやりたい。
思わず両手を握って小さくワンツーパンチしていると、頭を撃ち抜くような声が飛んできた。
「あー! 昨日の夜、いなかったのって!」
ミリアが目を真ん丸にして指さし、それに頷いてレンもぷくっと頬を膨らせだした。
「ん。夕飯に誘おうと思ったのに、どこにもいなくて探し回ったのに」
「いやぁ、ランスさんに聞いたら食事に出かけたって言ってたッスけど、まさかグルだったとは」
ミリアとレンから追及の目が突き刺さる。
その後ろから、ルシャナがニヤニヤし始めたのに気づいて髪が逆立ちそうにビリビリきた。
(だーっ、だから言いたくなかったのに!)
絶対にこれは嫌な流れだ。その場から逃げようしたけれど、ルシャナに先を越された。
両肩に手を置かれたと思ったら、体重をかけられて身動きが取れない。ガチガチしていると、背後からにゅっと彼女の顔が出てきてニタニタし始める。
「どこ行ってたのさ? あんな時間から。そういや、天馬がいなかったね」
三人がかりの尋問。ルシャナが横から頬同士をピタピタやってくる。言うまで開放されない雰囲気だ。
(なんで言わなきゃダメなの……)
罪人の調書作りでも始めるつもりか、レンの手にはメモまで握られている。
人のデートの話なんか放っておいて欲しいのに、彼らは部隊のイベントのように毎度騒ぐので今回も諦めた。
「……オスティアの貴族街」
「ヒュウ〜!」
ミリアの指笛が始まる。囃し立てる彼女の横では、いったい何をメモしているのか、レンの筆が動いていた。
ここまでで勘弁してくれと祈っても、彼らが許してくれるはずもなかった。どんよりしてもお構いなしに、三人は盛り上がっている。
「夜に天馬で二人きりのデート……いいな」
ロマンティックな絵でもイメージしたのか、レンがうっとりした声をあげる。小さく左右に体を振って手をむすぶ彼女の横では、ミリアの大はしゃぎが止まらない。
「な! ウチもしてみてえ!」
この凸凹タッグが天敵にしか見えなくて、シャニーはジト目を送っていた。
あの二人きりの空の旅も、石ころがついてきた瞬間にぶち壊しは目に見えている。
そうしていると、ふいに視線と反対の頬を指でぷにぷにされた。
「あの時間から行ったってことは最後まで? ほら正直に言いなさいって」
ぎょっと凍りつく。
二人を止めるどころか、またルシャナがガンガン攻めてきた。全部言えと顔が言っていて、あっという間に頭がぐらぐらしてくる。
「無い! その質問、これから禁止なんだからね!」
三人共がつまらなさそうにしても、お構いなしにプイっとそっぽを向く。
あろうがなかろうが、答えるワケが無いだろうに。
イメージしたらすぐに頭が沸騰して、ぶんぶん振る首はそのまま飛んで行きそうだ。
「で、その時計もらったの?」
思ったよりアッサリ退いてくれたと思ったら、もっとわかりやすいネタがあったからだった。
ツッコまれないわけがないと覚悟はしていたが、ルシャナが指さしてきた。
「うん。誕生日プレゼントって。なんか、もらってばっかでさ。イイお返しのネタ何かないかなぁ」
ロイは気にするなと言ってくれたが、やっぱりもらってばかりではどうにも気持ちが許さない。
皆で考えてみるが、貧乏騎士に出来ることなんて知れている。せいぜい、編み物や料理やお菓子やら……手芸くらいしか浮かんでこない。
首が落ちそうになるほど傾げていると、レンがのぞき込んできた。彼女は朝陽に映える腕時計に目を凝らしている。
「『共に時を刻もう』って彫ってある……」
間接的だけど、とてもストレートなプレゼント。その意味にピンと来たようで、レンはまた手をむすんでうっとりし始めた。
「ロイ様ってアツいッスね!」
ミリアものぞき込んですぐ嬉しそうな声をあげ始めた。自分もこんなことされてみたいと言って、レンと一緒にあれこれ妄想を始めて朝から騒がしい。
「あんた、これ確定じゃん。良かったね〜!」
ポンポンと背中に手をやってルシャナが祝福してくれた。
嬉しいに決まっている。他の人は聞けないであろう、憧れの人からの特別な言葉。それを祝ってくれる幼馴染の笑顔。
しかし、幸せに包まれているはずの心には、それがとても重く感じた。
「うん……そうなったらいいね」
時計の意味は分かっているし、天に舞い上がりたいくらいの幸福感をロイはプレゼントしてくれた。
はるか北国から憧れていたときは、ずっと求めていた。傍で支えられる喜びを知った今、もっともっと欲しい。
他でもないロイが、それを求めて手を引いてくれたのだ。さらに先へ踏み込んで、夢の向こうへと。
でも……
「あんた……」
ルシャナが渋い顔をしているのが見えた。思わず目を逸らす。
たしかに、“あたしは”まだ違うかもしれない。けれど、“我々は”そうして生きてきた。
むせ返る死の臭いの中でうごめくハイエナ──ラウス当主の言葉が蘇る。
そんな血みどろの手を、どうしても伸ばせなかった。