ファイアーエムブレム 紺碧のコントレイルⅢ   作:右利きのサウスポー

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なにごとも確認は大事だよ!
だけど、ロイの意外な一面も見られたしヨシとしようかな……。


もうダメだぁ、おしまいだぁ!!

 土曜日の朝。もうとっくに空は明るく、小鳥たちが気持ちよく歌いはじめている。

 いつもなら日が昇るまえから稽古に読書やら、何かしらやっていないと死ぬのかと思うくらい動きまわるシャニーが、今日はブランケットにくるまって死んでいた。

 

「あうあ~……頭痛いよお……」

 

 そろそろ、セカイの終わりが近づいている。頭がズキズキジンジンして、今にもパッカリいきそう。

 ベッドの中でモシャモシャすると、シーツの柔らかいすべすべの感触が全身をくすぐって痛みが和らぐ気がする。

 

 明日は非番だし……あのとき、そう思ったのが甘かった。昨晩ルシャナを食事に誘ったら酒場へと引っ張られ、バカ騒ぎに付き合わされてしまったのだ。

 彼女に肩を借りて部屋まで戻ってきたあと、記憶がないまま起きたら朝だった。

 

「シャニー! 起きないと朝ごはん無くなるよ!」

 

 バンとドアが勢いよく開く音といっしょに、ルシャナの脅すような声が突っ込んでくる。ガンガン揺さぶられ、矢のように頭を突き抜けていった。

 

「うわっ、なにこれ。いつも汚いけど、脱ぎ散らかしてそのまんま寝たの??」

 

 見てはいけないものを見たみたいに、ルシャナは言いたい放題してくれる。いつもは余計だ。これでも、それなりどこに何があるか分かるようにしているつもり。

 

「ゔっ?! ……う~~~~…………」

「カオスな部屋だなぁ。ったく、あのくらいでノビるとか情けないぞ」

 

 なにも言い返せずうめいていたら、ルシャナは鼻息荒くため息をついて出ていった。ドアを閉める音でさえ今は凶器だ。頭にずきーんと響き、胃が突きあげられる。

 

「ルシャナめえ……誰のせいでこうなってるのさ……」

 

 相談があったから声をかけたのだが、あのタイミングはマズかったと後悔しても遅い。泣きごとを漏らすだけで頭がぐわんぐわんする。

 

(くっそぉ〜……あの酒豪魔人めえ!)

 

 イリアで初めて50度超の蒸留酒を飲んだ翌日も世界が回ったが、それとはまた別世界が広がっている。

 自分の優に倍以上を飲んでいたはずだ。ビールを水のようにガブガブやっていたというのに、ルシャナはけろっとしていた。

 十八部隊の魔人は彼女で間違いない、そうでなければ世の中オカシイ。そう呪っていると、バタバタ走ってくる音が聞こえて、空気が揺れるだけで頭がうずく。

 

「フヒヒ〜ッ。シャニー、コロッケはウチがもらうっスからね!」

 

 ルンルンとしたミリアの声が駆け抜けていく。ありあり、競争相手が減ってラッキーとでも言いたげな嬉々とした声だ。

 気力で上体を起こしてドアに手を伸ばすが、そこまでが精いっぱいだった。

 

「あああ……あたしのコロッケちゃんがあ……」

 

 これが絶望というものなのだろうか。

 朝のコロッケは貴重な楽しみだ。数量限定で食堂にならぶ、きつね色の宝石箱。フェレに来てから欠かさず勝ち取ってきたというのに。

 

「あ、いたたた……」

 

 ガックリとベッドに倒れ込んだら、それだけで頭がガラスで出来ているかのようにバラバラになった。

 わずかに回復したはずの体力がすっかり切れてしまい、ベッドの中で泳いで全身に伝わるシーツの感触で気を紛らわす。

 

 そのときだった。新たに頭をコンコン釘打ちする音が聞こえてきた。

 

「んもう……ウルサイなぁ……。こんなの拷問だよぉ」

 

 ドアを誰かがノックしている。軽いはずのその音が、今は横に太鼓でもあるかのように響いてくる。

 これ以上やられたら、頭が破裂してもう死んでしまいに違いない。やむ無く寝ぼけ眼のまま身を起こし、ぼさぼさの頭に手ぐしを入れながらベッドを立つ。

 

「あああぁー……。分かったから! もうノックやめて……」

 

 こんな朝くらい静かにして欲しいものだ……そう心でつぶやいてみて、いつも言われていることだと気づいてむうっとする。

 頭は痛いし、ねむいし、ぼやける世界に降り立った。なんだかあちこちに服が脱ぎ散らかしてあって邪魔だ。するすると避けながらドアへと向かう。

 

「もう。ミリアー、コロッケ残しといてくれたー?」

 

 どうせミリアがコロッケを見せびらかしに来たに違いない。ボヤキ半分に目をこすりながら開けたドアの先にいたのは明らかに違った。

 

「────ひえっ?!」

「え゙っ……?!」

 

 ドアのむこうにいた人物を見上げて、全身が凍りつく。

 なんで、こんなところにロイがいるのだろうか。いや、それだけならまだいい。

 

 このスースーする感覚は間違いない。昨日酒場から帰ってきて、そのままベッドに倒れ込んだはず。そのとき着ていた服は今跳び越えてきた……ガリガリと軋む視線を、硬直するロイから外してむりやり自身へ下す────

 

「~~~~~~────────ッ!!!!」

 

 たまらず力任せにドアを閉めた。

 まさか、こんな姿をロイに見られるなんて。こんなの夢だ、きっと夢に決まっている。

 もう一度自分を見下ろし、そして部屋へ視線をうつす。やっぱり……服はだらしなく寝そべっている。

 

(あ、あれ。そういえばロイは?)

 

 ようやく目が覚めてきて、ロイがいないことに気づく。思いだしてしまった。悲鳴をあげた勢いでロイを突き飛ばしてドアを閉めたのだった。加減なしだった気がする……これはこれでヤバい。

 おそるおそる、ドアを静かに開けて隙間からのぞいてみる。

 

「……ッ!」

 

 尻餅をついたらしい。座りこんでいるロイと視線が合ってしまった。頭にジュっと沸騰したものが突きあげてきて、反射的にまたドアを閉めた。

 

(うわぁぁぁぁぁぁぁヤバイ、ヤバイヤバイ!! どーしよう?!)

 

 部屋を見わたす……いまさらルシャナの小言が再生されるが、もはやどうしようもない。

 

(とにかく、服を着よう!)

 

 それから、収納から仕切り板を引っこ抜き、バタバタ部屋を駆けまわって散乱するものを雪かきするように全部押し込めた。

 大きく深呼吸しながら覚悟を決めてドアの前に立つ。今もロイがいるか分からないが、ドアをちょっと開け、手首だけ外に出してゆらゆらさせてみた。

 

 

◆◆

「………………」

 

 気まず過ぎて、どう切りだしていいか分からない。

 いちおう、テーブルにお茶を用意はしたが、とてもそんなものに手をつけられる気分ではなかった。

 針のむしろに座らされているようで、お互い下をむいて唇を噛んだまま動けない。

 なんとか謝らなければ……勇気を絞ってタイミングを計っていたら、先にロイが均衡を破ってくれた。

 

「えーと、シャニー、その……すまない」

 

 彼だって、まさかこんなことになるなんて夢にも思っていなかっただろう。ロイの声とは思えないくらいの弱々しい声が耳をなぞってきて、ますます小さくなるばかり。

 ちゃんとノックしてくれた彼に、落ち度なんかあるはずもない。今思えば、ノックする人間など部隊には誰もいないことに、なぜあのとき気づけなかったのか。

 

「あたしの方こそごめんなさい。まさかロイとは思わなくて……」

 

 とても彼の目を直視して謝れなかった。

 

「ええと、いつもあんな感じでいるのかい?」

「あ、いやっ、まさかそんな。あはは……」

 

 まさかの質問にとっさに言葉が出てこなくて笑ってごまかした。ロイは明らかに反応に困っているようで、どうにも弁解できそうにない。どんどん背中が丸まっていく。

 それでも、どうしても気になる。おそるおそる、上目遣いにロイの反応を試してみる。

 

「ねえねえ……、やっぱ…………見ちゃった?」

 

 どっちで答えられてもショックだが聞かずにおれない。

 ストレートに聞きすぎたかもしれない。ロイ視線を逸らしてしまった。

 

「う、うん。かなり……」

(うわぁ……マジかあ)

 

 がっくりとうな垂れた。あれだけ目の前で晒して、見えないと信じる方に無理があるのは分かっていたが、やっぱり、勘違いなんかではなかった。あのとき、ロイは固まった目でまじまじ見ていた気がしていた。

 全身がカアっと燃えてくるのが嫌でも分かって余計に恥ずかしい。もう、聞かずにはおれなくなって、最後の希望を胸に顔を上げる。

 

「なに色だった?」

「えっ?!」

 

 もしかしたら、ぼんやりと見ていただけで何も記憶に残っていないかもしれない。

 でも、核心を突く質問にロイが珍しく狼狽して見せただけで、もう十分答えは出ていた。

 

「……えっと、その……」

「はぁ……もういいよ(もうダメだ、おしまいだぁ……)」

 

 せっかく上げた頭は、ため息といっしょに空気が抜けた風船のようにしぼんでいき、テーブルに崩れてゴンッと音を立てた。

 恥ずかしくて頭をあげられない。露出狂とか思われていないだろうか。

 

(ううう……これからはドアを開ける前は服着てるか確認しなきゃ)

 

 女ばかりの生活でマヒしていたが、当たり前のことだ。それに、普段ならさすがにあんな状態で対応したりはしない。

 まさかよりにもよって、意識が無くなるまで飲んだ次の日に来るとは。いまさらながらに、服を着ろと毎回叱ってくれたルシャナの顔が思い浮かぶ。

 目の前で絶望へ沈んでいると、ふいにロイが頭をつけた。

 

「本当にごめんッ。でも……その……。き、綺麗だった」

(あぁっ……ズルい!)

 

 そんなこと言われたら、それ以上なにも言えないじゃないか。

 それにしても……いい言葉の響きだ。おまけに、他でもないロイなら許すしかあるまい。ただ……一度で終わらせてしまうのは、なんだか惜しい。

 

「ねえねえ、聞こえなかったなー? もういっかい」

「えっ?!」

「なんて言ったの~? ごめんのあとに~?」

「……きれいだったよ」

 

 しばらく頭をテーブルに押し付けたまま余韻を楽しむ。

 酒のガンガンと、ロイの言葉にバクバクで頭が破裂しそうだ。いくらその気は無かったとは言え、彼にそんな風に言ってもらえるのも……悪くない。

 もう全てに観念してばっと顔を上げた。

 

「ロイ、お空まで持ってくんだからね、それ!」

 

 ビシッと彼を指さすとカップのお茶を一気に飲みほす。言えるはずも無い……そう言いたげにロイが苦笑いしているがお構いなし。

 一杯では足りずに立ちあがって、瓶から水をなみなみ注ぐと喉が鳴るほどがぶ飲みする。大きくふうっと深呼吸しながら天井をあおぐと、ようやく頭が冷えてきた。

 

「でさ、どーしたの? わざわざこんなところにさ」

 

 ここはフェレ城でも本館とは離れた別館だ。何かのついでに来るような場所ではない。だから油断していたのだが、こんなところまでロイが足を運んでくれるとは思ってもいなかった。

 デートのお誘いか……そう期待していたら、彼はさらっと返してきた。さっきの歯切れの悪さとは別人だ。

 

「え、どうしてるかなって声を聞きに来てみただけだよ。特別用事があったわけじゃない。この前、夜に報告しに来てくれてから顔を見れていなかったから」

 

 わざわざ会いに来てくれたのかと思うと嬉しい。

 でも、ほっこりしかけた心は一転、ロイの視線にドキンと焦って跳ねた。彼は部屋をあちこち見渡しているではないか。

 

(ヤバイ……どこ見てるんだろ。うわーやめてやめて……)

 

 きれいに片づけておけば良かったとか、いまごろ後悔しても遅い。ちょっとは片付けなさいよ──ルシャナの説教が頭をゴンゴン叩いてくる。

 

 自分では別に散らかしているつもりはないし、どこに何があるか分かっているからイイと思っているが、やっぱりロイ相手だとそうも言っていられない。

 なんだか、騎士団の詰所チェックを思いだす。あれは舌を出して笑っていれば済んだが、今日はワケが違う。

 

「あはは……どう? あたしの部屋、イメージと違った?」

 

 洗濯していないモノとか転がっていないだろうか……。さっき脱ぎ散らかしていた軍服はとりあえず洗濯かごに放り込んだしセーフのはず。

 横目で部屋をちらちらして、思わず額に手をやりながら内心あちゃーと叫ぶ。脱ぎっ放しのジャージがベッドに引っかけてあるのが見えた。

 

「うん、イメージ通りかな」

「エ゙……!?」

 

 あっさり返されて何も言えなくなった。

 

(あたしって、そんなガサツに思われてたってコト……?!)

 

 目が泳ぐ。ロイが真っすぐに汚いなんて言うわけがない。今日の自分では、さっぱり否定材料が無くて首が折れる。せめて来るなら来ると言って欲しかった。

 

「この部屋に生活感が戻ってきて、嬉しいよ」

「は、はは……。ご、ごめんねー。ちょっと部屋汚いね。片付けるから待ってて」

 

 さりげに、普段とは違うとアピールしておいたつもりだが、ロイは気づいてくれただろうか。

 せっせと片付けする様子を彼は愉しげに見ているが、シャニーは心で泣いていた。

 

(うへえ……なんか見られちゃいけないもののフルコースって感じじゃん……)

 

 ロイは幻滅していないだろうか。下着姿に汚部屋……イメージが壊れてしまっていないか、心配で心配でたまらない。

 でも、そんなのは杞憂だと思えるほど、席に戻った後は他愛もない雑談が後から後から繋がって、お互いの明るい笑い声が部屋を包んでしばらく止まらなかった。

 

 

 

◆◆

 それからどのくらいそうしていたのだろう。こんなにたくさん二人でお喋りしたのは久しぶりだ。

 ようやく雑談も一段落ついたころ、静寂を待っていたかのようにぐうっと妙な音が響いた。思わずお腹を押さえて目が点になる。

 

「あ、あははは……。朝ごはん食べてなくてさ」

 

 ロイに笑われている。頭が沸騰しても逃げ場なんかあるはずなく、頭に手をやって笑うしかない。朝は食べる気にさえならなかったが、お喋りをしている間に気分はすっかり晴れていた。

 

「シャニーがご飯食べないなんて珍しいね」

 

 なんだか、ロイは病人でも見るように心配そうな顔をしだした。

 デート先でガツガツやったからか、大食い女のイメージがついてしまったのかもしれない。たしかに、ご飯を抜くことはまずないが、こう言うときくらいはちゃんと心配されたい。

 

「昨日、仲間たちと酒場に行ったの。ビールめっちゃ飲まされて……」

 

──リキアに来たらビールでしょ! ほら、仕事でも大事だぞ!

 そう言って、ルシャナは空ける度に注いできた。一軒目でもうグロッキーだったのに、お構いなしに二軒目へと引きずられて記憶は途切れ途切れ。

 

「へえ、どんな話をしてたの?」

「それはねー。ふふっ、ナイショ」

 

 ロイには言えない話だ。さっきまでの部屋みたいにカオスな内容だなんて。

 ルシャナと二人になったあと喋ったことはもっと言えない。目を三角にしてロイへ人さし指を向ける。

 

「一番はさ、朝っぱらから事件が起きて空腹が吹っ飛んだからだけどね!」

「それは……その、ごめん」

 

 ぶうっと頬を膨らせて怒って見せると、ロイは一瞬目を点にしたが、すぐに切り返してきた。

 

「でも、シャニーだってちゃんと服着てよ」

「む……。はあい」

 

 ド正論すぎた。シャニー自身もそう思っていた。

 もう見られてしまったモノは仕方ないと、開き直ってしまえば楽なものだ。今度はピンといたずら心に火がつく。

 

「あ、そんなこと言って~、ホントは着て欲しくないんでしょー?」

 

 どんな答えを期待してるの? ──そう言いたげな顔のまま固まったロイは視線を逸らした。

 狙ったとおりの照れ顔に満足して立ち上がり、うんと体を反らす。

 

「そだ。ロイ、なにか食べてく? それなら一緒に作るけど」

 

 もう少し待てば食堂で何かにありつけるかもしれないが、まだ一時間近くある。背中とくっつきそうでこれ以上は待っていられない。

 作ると言ったらロイが興味津々の目を向けてきた。

 

「じゃあ、お願いしようかな」

「そうこなくっちゃ」

 

 ニッと歯を見せ、トンと胸を叩くとロイの手にタッチして部屋の隅に向かう。まだ買い置きの食材がそれなりあったはずだ。部屋の納戸を開けてがさごそ漁ってみる。

 

「手伝おうか?」

「いーよ! ロイは待っててくれれば」

 

 待っているのが暇なのか、ロイはマントを外して腕まくりを始めている。

 たしかにこの部屋で独りにするのはかわいそうだし、せっかく二人でいられるならそうしていたい。

 

「じゃあさ、厨房まで来て。お喋りしよーよ」

 

 二人で厨房に向かい、シャニーは慣れた様子でするする躍るように鍋や包丁を取り出して料理を始めだす。

 その後ろ姿をロイはじっと見ていた。

 

「なんか、手慣れてるね。料理人みたい」

「自炊でけっこう借りてるからねー」

 

 鼻歌に混じる小気味よい包丁の音は楽器のようだ。テキパキと厨房を動きまわり、エプロンスカートがゆれる。

 

「これだけ見ていると騎士って思えないよ」

「えへへ。料理人に困ったら呼んでよ。ディーク傭兵団の胃袋を支えた腕前を披露するよー!」

 

 お喋りしている内にあっという間に調理は終わって、鍋を持って部屋へと戻る。

 

「……おいしいよ。城の料理よりずっと」

 

 一口したロイはそれだけ言うと、もぐもぐと次々口に運びはじめた。あっという間にお替りを要求され、空になった皿を受け取ったシャニーは満面の笑みを浮かべながらたっぷりよそう。

 

「へへっ、ありがと! 話盛りすぎだよ。ただのリゾットじゃん」

「そんなことないって。この前のクッキーもそうだったけど、だいぶ作り慣れているよね」

「そりゃあ、家にいるときは自分で作らないとだしね。見習いのときも、ディークさんたちに結構レシピ伝授してもらったんだ」

「へえ、ディークが」

「意外だよね! ディークさんの“オトコメシ”おいしかったなぁ」

 

 食べている間のお喋りが止まらない。ロイはその間にも、早くもまた皿が空っぽになっている。

 

「うん、これいくらでも食べれそうだよ。まだ、ある?」

「どうぞどうぞ!」

 

 お世辞だとしても嬉しい。これだけモリモリ食べてくれたら作った甲斐があるというもの。鍋にぐるりとお玉を回し、山盛り乗せて差し出す。

 一度は一緒に食べ始めたシャニーはすぐスプーンを置き、彼が食べる様子を頬づえしながら眺めて笑って見せた。

 

「雇ってもらえてなかったら、食堂でお手伝いでもするしかないかって話てたんだよね」

 

 今でこそ笑い話だが、騎士として仕事が無ければ、後はこれくらいしか取り柄なんか無い。それを彼に披露することになるとは不思議な気持ちだ。

 

「シャニーはいないと困る人だよ。ずっといて欲しいって思ってる」

「えへへ……、そう言ってもらえたら嬉しいな」

 

 ずっとそれが出来たなら……ロイから求められて笑顔を隠せない。

 今さらながらに、あの夜がもったいなく思えてしかたない。あんなに勇気を振り絞ったというのに。あのままだったら、きっと突き抜けられていた。

 

「そうだね……そうなったら良いんだけどさ」

 

 踏み出せない自分が悔しいが、やっぱり怖い。一度あんな形で無理やり後ろに押し戻されたら、ますます怖くなった。どうしても声が小さくなる。

 ふと手に触れた温かい感触。ロイが手を取っていた。

 

「シャニー、君が何を恐れているのか、僕には分からない」

 

 引き寄せるように手を握られ、じっと見つめて彼は離さない。吸い込まれそうな目に視線を逸らせなくなった。

 

「けど、立場とか、身分とか、そういうものより大事なことがあると信じてる。君が頷いてくれたら、僕はいつまでも待つ」

「ロイ……」

 

 取った手が優しく、でもしっかりと握ってくれる。こんなにも言ってくれるロイを前に、どうして踏み出せないのか……。あの幸せが堪らなく欲しい。あの温もりが忘れられなくて毎日思いだすのに。

 今も口を突いて出るのは、勇気の無い言葉。

 

「へへっ、ありがとね、あたしみたいな──」

「それは言わない約束だったろ?」

 

 言い終わらないうちに口へ手を当てられた。

 ロイの顔はさっきとは違って少し怒っているようにも見える。自分が踏み出せない分、彼は壁を一気に突き崩して踏み込んで来ようとしている。

 

(こんなにも言ってくれてるのに……あたしは……)

 

 どうしたらいいのか、ますます分からなくなってしまった。

 傭兵の自分がこの先へ踏み出す……どうなってしまうか怖いのだ。ロイも、みんなも、そして自分も。なにが起こるのか簡単に想像がつく分、なおさらに。

 でも、頭がどれだけ鎖を引っ張っても、もう心だけ飛んで行って千切れてしまいそうだった。

 

「あたしにも分からないんだ。もう少し……時間欲しい」

 

 さっき咄嗟に出た言葉。それが全てなのだと気づいていた。

 怖い理由をロイに言ってしまいたい。でも、もしそれを言っても、きっと彼は良くは思わない。嫌われてしまったら──矛盾していることは分かっている。それをどうすれば良いのか……踏み出せなかった。

 

「でも、一年間は一緒だもん」

 

 自分に言い聞かせるように一度は口にしてみる。とは言え、そんなにロイを待たせるわけにはいかない。

 

「そだ、今度は来るとき決めておいてもらえば、イリア料理をご馳走するよ!」

 

 得意料理か変わった料理か……今からいろいろ浮かんでくる。

 せめて一緒にいられる時間くらいは、彼を喜ばせてあげたい。その時を、自分の気持ちを伝える時間にしようと決めた。

 

「それは楽しみだ。たしか来週前半はいないんだよね?」

 

 イリア料理は珍しく聞こえたのだろうか、ロイは興味津々。さっそくスケジュール帳へ目を落としている。もちろんびっしり埋まっていて真っ黒だった。その中に、目立つ赤字で書かれていたのはシャニーの予定だった。

 

「うん。お姉ちゃんの結婚式に行ってくるから! あぁ、お姉ちゃんのドレス姿楽しみだなぁ」

 

 リグレ侯爵家の結婚式だ。一体どんな煌びやかなのか、考えただけで今からうっとりして思わず手を結ぶ。

 ずっと苦労してきた姉が、どんな笑顔を見せてくれるのか楽しみでしかたない。

 

「じゃあ今月末の休みにお願いしようかな」

「ふふっ、腕によりをかけて頑張っちゃうよー!」

 

 ずいぶん先だ。その分じっくり考える時間がある。自分だってこの幸せにずっと浮かんでいたいし、ロイを喜ばせてあげたい。でも……。

 独りでは抱える矛盾に答えを出せない気がして、シャニーは勇気を絞ってみることにした。


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