あんな辻褄の合わねえことをどうやって。天馬騎士だとは苦しくねえか?
なにより、なぜ知っている。
イリア東部のエデッサ。短い夏を惜しむように、城下町に人々が往来している。ドアを開けたまま客を待つ店から聞こえてくる声に呼ばれ、彼らは楽しげに吸い込まれていく。
そんな歓楽街を見下ろすように一段高い場所にある貴族街は、今日も普段どおり静かな時が流れていた。重要な話をするには、こうした落ち着いた場所が不可欠と言えよう。
「いやはや、最近のイドゥヴァさんの動きには驚かされますよ。昨年とはまるで別人だ」
貴族街の一角にある高級レストランからは、今日もフェリーズの穏やかな声が聞こえてくる。彼はイドゥヴァに酒を注ぎながら上機嫌。
「ええ、おかげさまで。去年の後れを取り戻しませんとね」
「あなたのおかげで、計画は順調そのものですよ」
三月までは渋い顔をしていることが多かったイドゥヴァも、最近は顔に艶がある。これだけ見ても、団内が上手くいっていることを示していた。
邪魔者が二人もいなくなって、自身がトップに立てばもう障害は何もないというわけだ。深紅のワインを傾ける口元が上向いている。
「ところで……。『妖精』はリキアでお元気ですか?」
しかし、フェリーズの興味はすぐに逸れた。シャニーの名前が出るや、イドゥヴァの顔からそれまでの表情が消える。
「だと思いますよ。まぁ、帰ってくることはもうありませんし、気にする必要もないのですけど」
清々する。そうイドゥヴァの顔は言っていて、あまり関心がなさそうだ。
「どうしてですか? あれだけの人材はそういないでしょうに」
フェリーズは困惑を顔に浮かべて続けた。
「国のことを想えば、どう考えても損失の方が大きい選択ではありませんか?」
「そうでしょうか?」
「彼女が話題にあがれば、誰もが同じことを言うでしょう。この俗界には
実際、天馬騎士団から新職制が各騎士団に展開された当時、かなりの反響と動揺があった。いずれは国王とも噂されるゼロットが認めて勲章を与えた者を、国外へ出したのだから必然と言えよう。出向と表向きは説明されても、誰もが追放だと理解する。なにせ、ゼロットがあらたな傭兵契約で出国した一週間後だったのだ。職制が発表されたのは。
「それが困るのですよ」
そんな雑音を跳ねのけるように、イドゥヴァは食い気味にそう言って続けた。「彼女は事ある毎に計画を邪魔してくれましたから。今順調なのも、彼女がいないおかげです」
天馬騎士団の収支内容は、昨年から格段に向上していた。というのも、昨年は十八部隊の国力向上活動による支出が大きかった。負担が無くなったぶん、資金配分にも余裕ができるわけだ。
「ハン……。あくまで順調に見えているだけ……それくらい、あんた気づいているんじゃねえのか?」
ほくそ笑む彼女の顔を、気だるそうに足をテーブルへ上げながらソルバーンがじっと見ている。
イドゥヴァの眉間にしわが寄る。どういうことだ──そう目で問うが、ソルバーンは鼻で笑うと視線を切った。
「聞くところによると、リキアでもご活躍だそうで」
ソルバーンはフェリーズが相好を崩す姿へじろっと視線を移す。彼は嬉しそうにシャニーたちのことを語っている。
この男はいつもそうだった。よく知っている。それこそ、彼女が所属する騎士団の団長以上に。グラスを傾けるイドゥヴァは、話に乗せられるままご機嫌だ。
「ようやく金を生み出すようになってくれましたよ。エンジェルヘイローの建設費くらいは賄ってもらうつもりです」
「なるほど、それは重畳」
「ロイ様とのパイプ役くらいで考えていましたが、嬉しい誤算。そして、──新たな悩みの種ですよ。あまり名が知れ渡れば、国外に置いておく理由も乏しくなってきますからね」
今日のイドゥヴァはいつになく饒舌だ。
その目が、シャニーのことになるとギッと切れあがった。グラスをコンと音を立てて置くと、誰を見ているのか鋭く遠くを睨みだした。
「早いうちに売買契約に切り替えたいのですが、それができるのは来年の四月……遅すぎる」
「いやあ、惜しい。せっかく気づかれたのに、残念だ。あれを超える剣はイリアにおりましょうか」
フェリーズはイリアから流出した剣を嘆く。それを聞いたとたん、サングラスの奥でソルバーンの目がギラっとフェリーズを捉えた。
「気づく……? 何のことでしょうか?」
イドゥヴァひとりが、彼の口にした言葉を理解できずに首を傾げている。たまによく分からないことを言う人……その程度の認識か。
「名刀は優れた使い手の下で躍動してるぜ。活き活きしてやらあ」
フェリーズの代わりにソルバーンが口を開いた。その言い方が気に障ったか、イドゥヴァは露骨に目元をピクリとさせて低い声で聞き返している。
「ソルバーン、一体どういう意味ですか?」
「あそこが本来の居場所なのかもな。そのくれえ、爽やかだったぜ。まさに初夏の青い花ってな」
それを聞いてイドゥヴァの顔が曇る。直後、今度は口元をギリッとさせて怒りが滲みだした。
「絶対イリアに帰ってくるって意気込んでたぜ。どうするよ、イドゥヴァさんよ」
帰ってくるときが楽しみだな──まるでソルバーンの口元はそう言っているかのよう。
とっさにイドゥヴァは視線を逸らす。それでも、一度咳払いをして口元に笑みを浮かべた彼女は、戻した視線でソルバーンを睨むように見つめた。
「ご心配には及びません。彼女が帰ってくることはありませんよ」
冷然な声で断言した。彼女の余裕は当然のものと言えるだろう。
シャニーが天馬騎士団所属の騎士である以上、常に首には鎖が括りつけてあるようなもの。
片道切符に帰る手段などない。関所を抑えてしまえば、彼女は入国できない。通関なく国境を突破すれば領空侵犯になる──天馬騎士なら誰でも頭に刻みこんでいることだ。
これでどうだと言いたげな彼女の安堵を、ソルバーンはふっと笑っている。
「イドゥヴァさん、そこまで不要なら私どもの騎士団に譲っていただけませんか?」
今がチャンスと言わんばかりに、フェリーズが切り出した。
彼は去年、シャニーが聖天騎士団との契約違反を犯したときにも、救済策として同じ提案をしていた。あのときは、うまく前
新団長に体制が変わって、その彼女はどういうわけか魔剣を放り捨てようとしている。チャンスに映ったのだろう。
しかし、その算段は外れた。
「申し訳ありませんが、きっとロイ様がそのまま買い取ると思いますよ」
退団届を出してくるのを待っている状態。イドゥヴァにすれば、シャニーたちは天馬騎士であって、もはや天馬騎士でないも同然と言ったところなのだろう。
フェリーズはよほど驚いたようで身を乗り出している。
「ロイ様が、ですか?」
「ええ。どうも、逢引するような仲のようですので。放っておいてもロイ様は申し込んでくるでしょうし、動きがなければ、
「あなたも……恐ろしい人だ」
「ふふ……。もう、一度レールの上を走りはじめた彼女の行く先は、変わることなどないでしょう」
いったい、いつから彼女はこの作戦を画策していたというのか。その場の二人も初耳らしく顔を見合わせている。
「ま……それがお互いのためってかねえ」
気だるそうな声でそう口にしたソルバーンは、長いあくびで場にへばりつく辛気臭い空気を押しだし、サングラスの下から横目でイドゥヴァを見てニヤリとした。
「それだけの敵意で追放しといて今さら国へ戻せば、どんな反抗を仕掛けてくるか想像もつかねえ。まして、配下でなくなりゃあ、その剣が向く先を抑え込めねえし。……どこへ向くか、考えるまでもねえわなぁ?」
ソルバーンの目と言葉に串刺しにされたイドゥヴァはぐっと黙り込んだ。まるで竜にでも睨まれたように、目を震わせて息が荒い。
「そうですか、残念です。ところで、アルマさんはお元気ですか?」
「彼女には本当に助けられています。今日は傭兵契約で席を外しているのです」
フェリーズがあっさり引き下がってほっとしたのか、イドゥヴァの口からこわばりが消えた。
シャニーのときと違い、アルマを語るイドゥヴァの顔はなんと嬉しそうなことか。
副団長になってからアルマの働きは素晴らしく、ここまで計画が順調なのは彼女の貢献も大きい──饒舌にイドゥヴァは右腕を褒め、先見の明があったとでも言わんばかりに鼻にかけている。
「そうなのですね。いやあ、天馬騎士団は本当に良い人材をお持ちで羨ましい」
「そうですか? 私は聖天騎士団が羨ましいですけどね」
本音か社交辞令か、よく分からないことを言いながら酒を酌み交わす二人を、ソルバーンはサングラスの奥でじっと横目に睨んでいた。
◆◆
情報交換を終え、密会は解散となった。
天馬が飛び去るのを見送り、帰路についたフェリーズをソルバーンが追う。
「おい、フェリーズさんよ」
「おや。ソルバーンさん、どうしましたか?」
振り向いたフェリーズは首を傾げている。彼の視線の先には、レストランで見せていたような気だるそうな顔ではなく突き刺すような眼光があった。
「あんた……数日前にリキアにいたよな?」
ギロっとサングラスの下から白金の司祭を突く。すると、フェリーズはさも驚いたように口をおっとあんぐりさせてみせた。
「おや、どこかでお会いしましたかな?」
「テメェのそのクセェエーギルを気づかねえわけねえだろ」
「これはこれは。そんなに気になりますか?」
「どうにもあんたのエーギルは〝ニオう〟んだよ。〝俺ら〟みたいな存在でもねえのにな」
いつも通りの柔和な笑みを浮かべたまま、フェリーズはソルバーンの眼光を全身に浴びても微動だにしない。それどころか、それがどうした──くらい余裕がある。
「……この短時間でどうやって戻ってきたんだ? 異能でも使わなきゃ、不可能だろ?」
天馬騎士でもなければ、リキアからイリアに戻るだけでも二週間は要する。
ソルバーンがシャニーと接触したのは二日前。あの時点で、彼はフェリーズのエーギルをリキアで嗅ぎとっていた。
「魔人殿と同じですよ」
「俺とだと? なんだ、じゃあテメェは一体」
ニコッとしながら、息を吐くようにフェリーズは返した。そこまで言えば分かるだろう……彼の穏やかに笑う口元がそう言っている。
新たな疑問をソルバーンが投げつけると、フェリーズは深い声で哄笑して見せた。
「はは、真に受けないでください。郵便配達の天馬騎士にお願いして乗せてもらったのですよ」
ただの偶然、そう言ってフェリーズは笑っている。ソルバーンの目元が一層に厳しくなった。
「ならもう一個答えてもらおうか。『妖精』がセチに昇華しかけているのをなぜ知っている」
「ほう?」
「聞き方を変えるか。……ただの坊主が、どうやって
精霊の話を知っているのは、世界でもごく一握りの人間……いや、同類だけ。伝承としては世界に広く伝わっていても、そのエーギルの動きは一介の人間では追えないはずの領域にある存在と言える。ましてセチは、千年前から姿を消し、ようやく最近目覚めたばかり。せいぜい寿命百年の人間族に、そのエーギルがセチだと分かるはずも無かった。
「私はエミリーヌ様にお仕えする司祭ですから。女神の啓示を受けたのですよ。ほっほっ、これ以上は、団内秘……ということで失礼しますよ」
最後まで柔和な笑みを崩さないまま、彼は帰りの馬車に乗り込んだ。
その馬車が地平線の向こうに消えるまで、ソルバーンは標的を捉えるようにじっと睨み続けていた。
「あのエーギル……俺とおなじ異界のモンだ。しかし……喰ったことねえ色だな」