夢を叶えるどころか、見ることも、考えることすら必要とされない〝道具〟
早く醒めて行かなければいけない。
あのひとを……たったひとり、信じてくれた大事なひとを守るために……──悪夢の、向こう側へと。
黎にすっぽり包まれる空を月光が明るく照らす、美しい満月の夜。その下を、一騎の天馬が西方へ向けて闇を切り裂いていく。すでに通常手段かのように、今日もロイを後ろに乗せてシャニーはオスティアを目指していた。
「いつも悪いね」
後ろからロイが労いをかけてくれた。
今日はオスティアで晩餐舞踏会がある。馬車なら3時間はかかるが、天馬なら30分だ。前のスケジュールが立て込んだのを口実にロイが馬車を取りやめ、浮いた時間で彼と軽くお茶をしてきた。その足でこうして空を駆っている。
「ううん! 任せてよ。あたしにしかできない仕事だし、はりきっちゃうよ!」
ロイの腕の中で飛びきりの笑顔を返す。
彼は優しく、そしてしっかり抱きしめてくれる。背中もお腹もすっぽり彼の温もりに包まれて、頭がとろけそう。誰にも邪魔されない二人だけで刻む時。本当はもう少しゆっくり飛びたいけれど時間がない。
「えへへ。あたしね、この時間大好きなんだ! デートみたいなもんだし」
振り返ってみれば、六月は二人で遊びに行った記憶が無い。それでも、寂しいとは言えなかった。
本当はちょっとの時間でもどこかに行きたいのだが、リキア同盟の動きは活発らしい。ロイは連日のように会合へとさらわれ、フェレに帰ってこない日も多かった。
「最近すまない。忙しくてなかなか時間が取れなくて」
それに気づいたようでロイが詫びたが、シャニーは笑顔のまま首を振った。
「へーきへーき! いつもお疲れ様。みんなを動かしてカッコいいなって思って見てるよ」
年は一つしか違わないのに、大勢の貴族たちに力強く語り、国を動かしていく姿は本当に憧れる。彼のためなら何でもするし、我慢だってできる。
もう、覚悟はしっかりと決めたつもりだ。後は明日、彼にそれを伝えるだけ。本当は、もう今すぐにでも本当の気持ちを伝えてしまいたいけれど、こんな隙間の時間で済ませるような話ではない。
今は目の前の幸せをぎゅっと確かめるようにロイへ背中を預ける。
「シャニーにそう言ってもらえると、頑張ろうって思えるよ」
「ホント?!」
言ってもらいたい言葉の一つをかけてもらえて、たまらずテンションが上がりヘンな声が出た。
「どんなに遅くなっても、いつもシャニーは起きてて、真っ先にエントランスまで迎えに来てくれるじゃないか」
「えへへ。だって、早く会いたいんだもん」
「君の笑顔に労われると、どんな疲れも取れるよ。ありがとう」
ジンと震える心を抱き寄せるように、彼の腕が優しく、でもしっかりと包んでくれる。離したくない……そう言ってもらえているみたいで、そっと目を瞑って温もりに浮かぶ。
(支えになれているなら、あたしも幸せだよ)
憧れの人の支えになる。その夢が叶い、こうして彼も優しく包んでくれる。これ以上の幸せなんて無いと思えるほど、心が温もりに満たされて広がっていく。
早く夢から醒めて、その向こう側へ──もっと彼の近くに行きたい。その気持ちを今はぐっと抑え、オスティアの方角を見つめて進路を調整する。
「舞踏会かあ、いいなあ。あたしも踊れたらなあ」
イリアで晩餐舞踏会と言えば国賓の接待くらいだ。エデッサ城でたまに催されていたが、警備要員にとってはまるで縁のない話で、踊ったことなど一度だってない。あるとしたら、子供の頃にお遊戯で習ったイリア民謡くらい。
「少しやれば慣れるよ。今度行こうよ」
ロイはさっそく誘ってくれたが、まわりは教養のある貴族ばかりだと思うと顔が熱くなった。はにかんで見せて甘えておく。
「ちょっぴり恥ずかしいかなぁ。ロイ、教えてよ」
「もちろんだとも」
「えへへ、お誘い楽しみにしてるね」
ロイが相手なら、失敗してもきっと大丈夫。今から練習が待ち遠しい。別に豪華な衣装や舞台がなくたって、彼と踊れるだけで胸が高鳴る。
傭兵のはずがこんなにロイの傍にいて、いつでも話しかけられる心の距離。本当に夢を見続けているのではないかと思えてしまう。おまけに、舞踏会なんて雲の上の世界にまで連れて行ってくれようとしているのだ。思わずその光景を思い浮かべてみる。
(ロイと舞踏会かぁ……。あぁ、うっとり~)
彼のいい匂いに包まれながら思い描く舞台は夢心地で、顔がふやけないようにするのが大変だ。凛々しい彼とずっと向き合っていられる時間なんて、湧き上がる気持ちに言葉が見当たらない。
すぐにそれが現実となるように祈り、残り短くなってきたオスティアとの距離を惜しみながら天馬を駆る。
◆◆
中庭に走る松明の列に照らし出された石畳の道に沿って、正装に身を包む若者達が雑談しながらゆっくり屋敷へ向かう。
その石畳を滑走路に見立てるように、ほうき星にも似た白き天馬が漆黒の空から突如舞い降りた。
颯爽とロイが降りたつ光景に、周りが驚いたのは言うまでも無い。ざわざわする周りをよそに、ロイは後から降りてきたシャニーを労うように、彼女の両腕へ手を添えて抱き寄せた。
「ありがとう、シャニー。帰り、気を付けてくれよ」
「行ってらっしゃい! あたし、ここで警備がてら待ってるよ」
片道だけとかイヤだ。帰り道もロイを独り占めできるのに、ひとりで帰るなんて切ない。城に帰ってもロイがいないのではやることはないし、どれだけ遅くなっても最初から待っているつもりだった。
「じゃあ、帰りに城下町で遊んで行こうか」
「やったぁ! 楽しみにしてる!」
ふいのデートのお誘い。周りの視線などお構いなしに、シャニーは声を上げてはしゃいでしまっている。
時計をもらったあの夜以来の、本当に久しぶりのデートだ。嬉しさで見送る手もぶんぶんと振り切れそう。館の中にロイが消えるまで、笑顔のまま見送った。
彼がいなくなると急に切なくなってきた。
周りには誰もいない。人はたくさんいるが、知っている人は誰もいないし、何よりシャニーには自分が浮いて見えた。
白の軍服は闇夜の中でもくっきり浮かび上がって、鮮やかな青髪と相まってとても目立つ。
(それにしても、どっち見ても貴族しかいないなぁ。ははっ……──あたりまえか)
何より、平民は自分しかいないような気さえする。
警備するとは言ったが、元から警備の騎士はいる。さっそく暇になってぶらぶらしても、リキアに天馬騎士は珍しいのか、周りの目が気になって落ち着いていられない。あたりを見渡していたら、いつしか目の前の煌びやかな館に吸い込まれていた。
ホールをぶらついてみる。いくら周りが貴族だらけでも、騎士の格好をしていれば誰も怪しんだりしないから散策し放題というわけだ。好奇心が爛々とうずく。
「いいなあ……こんな世界もあるんだなぁ」
ホールに入った彼女は、目も口も驚きと笑顔にわっと開いて立ち尽くした。
高い天井、煌びやかなシャンデリアに琥珀色の灯が七色に輝く。柑橘系だろうか、仄かなアロマが館を包み、向こうからはクラシカルなヒーリングミュージックの生演奏が聞こえてくる。
知っている日常とは、まるで別世界が広がっていた。
(誰と躍ってるんだろう……ロイ)
踊れない自分が悔しくなってしまった。彼の相手を一体誰が務めているのか無性に気になる。
悶々と考えていたら、ふと向こうから大きな笑い声が聞こえてきた。
「そういや聞いたか? 最近、ロイ様にお熱の相手がいるらしい」
ロイ──その名前につられて声のほうを見る。
背の低い太った丸鼻の男性が、背の高いレイピアのような男性相手に噂話を振っていた。どちらも服装からして貴族に違いない。
(あたしの噂してるのかな)
彼の口にした話は、間違いなく自分を指している。なんだか恥ずかしくて堪らない。目がきょろきょろしてしまい、傍にいた貴族に怪訝な眼差しを送られた。慌てて頭を下げてすごすごと立ち去ってみたものの、続きがどうにも気がかりで戻ってしまった。
人ごみに紛れて男性たちに近づくと、物陰から聞き耳を立てる。
「へえ。ま、ロイ様も人の子ってわけか。聖人だろうが一人くらい好きな女もいるだろうよ」
さして興味もなさそうだった長身の貴族は、すぐに手にしたワインへ視線をおろす。一方の丸鼻は、ここからが本題と切り出した。
「それがその相手がよ、イリアの天馬騎士なんだと」
それを聞いたとたんだ。長身の貴族は腹を抱えてケラケラと笑い出した。
耳につく嫌な笑い方。シャニーは物陰で眉をひそめていた。
「ハッ? 傭兵なんかのケツ追っかけてんのか」
ここにいるのを知っているのではないか。まっすぐ侮蔑を投げつけられているような感覚に陥る。彼が口にした言葉は槍のごとく簡単に心を貫いてきて、何の守りも持ち合わせない彼女は瞳を震わせていた。
(傭兵……なんか……)
思っていた通りの光景が今、目の前で現実となっている。彼らにとってはやはり、そういう認識なのか。自分たちの世界の下にいる、使い捨てるだけの存在なのか……。
それでも続きが気になって動けない。突き刺さった槍をねじ込むように続く笑い声。ケラケラする姿を、唇を噛んで遠くからじっと見つめる。
「な。あんなハイエナ連中なんか引っ張らなくたって、いくらも周りにいるだろうに」
「傭兵なら適当に遊べるからじゃねえの。奴らも半分
拳が震えだす。あまりにも好き放題言われて、突き刺さった槍の隙間からマグマがあふれてきた。
ここまで酷く罵られても、なにも言い返せない。傭兵だから──信用第一のイリアにとって、彼らに楯突けば自身の仕事が無くなるだけではなく、国の存亡にすらかかわる。表向きは
(やっぱり……そう見てる人もいるんだな)
今回もそうだ。そう言う人もいる。自身を言い聞かせて怒りを押し込むしかない。ロイをはじめとして、良い人もたくさんいる。
でも、沸々と湧きあがる怒りに震えているのは、イリアへの屈辱だけではない。
「ま、ロイ様も言って田舎貴族だしな。お似合いかもしれないな」
ギリっと奥歯を噛みこむ。
さっきからあの長身の男は、ずっとロイを貶めるようなことを口にしている。
憧れの人を貶されるのは決して辛抱できない。剣で切り刻まれるより、矢で蜂の巣にされるより、何より耐えがたい屈辱感が降り注ぐ。血が出そうになるほど唇を噛んで、ただ、男を睨む。それでしか抵抗できない無力が虚しい。
(ロイを……ロイを悪く言わないでよ!)
目の前で起きている光景は、ずっと抱えてきた
「オスティア淑女をヒイッと言わせる自信がねえのかもな!」
「ハハッ、違いないな!」
その恐怖に止めを刺すように、男たちは突き刺した槍を足で蹴り込んで奥底をぶち破る。
一番恐れていたことだった。絶対にこうなると分かっていた。
彼は傭兵とか関係なく愛してくれている。そう心に言い聞かせてやっと覚悟を決めたのに。ようやく恐怖を否定できるようになってきた薄氷の守りは、あまりに鋭い一撃を前にいとも簡単に突き崩されて、夢とともに粉々に砕け散った。
(やっぱり……──ダメなんだ…………)
色を失った顔に、崩れた瞳がぼんやりと男たちを映す。
夢が醒めるように周りが滲んでくる。
夢の向こう側にあったものが、こんな悪夢なら、もう早く醒めて欲しい。そう零れた涙にはっとする。
(どうせ醒めるなら……これだけは……これだけはッ──ハッキリさせてやる!)
操られるように立ち上がったシャニーは、真っ直ぐ男たちを捉えて歩き出す。その鬼気とした眼差しに先に気づいたのは丸鼻の貴族だった。彼は一瞬、目を見開くとすぐに視線を外す。
大きく息を吸いこんで、シャニーは振るえる腹に鞭打ってありったけを込めた。
「あのっ!」
ワインを傾けていた長身の貴族は、大声を不快に感じたか顔をしかめながら振り向く。見知らぬ顔に一瞬だけ目が驚いたように見下ろしたが、すぐに侮蔑が覆った。
「……何だ? 傭兵風情が気安く話しかけるな」
正面を向くことさえもしない。切れ上る眦で流し目に見下ろして不快感を顕にしながら威圧する。それでも、柳眉を逆立てて貴族を睨むシャニーは一歩も退かなかった。
不穏な空気に周りも何事かと立ち止まり始め、丸鼻の貴族が友の手を取って場所を変えようとしたときだった。
「ロイ様の悪口はやめてください!!」
はるか遠くまで突き抜ける高い声が響く。
至近距離で怒声を浴びた貴族は顔をしかめると舌打ちし、再びシャニーを睨み下ろし始めた。
そのままシャニーは駆け出した。驚いて皆が道を空け、あっという間に館の外へと消えていく。
「お、おい、あのカッコウ……今のって天馬騎士じゃねえのか?」
「フンッ、こんな場所に天馬騎士などいるはずなかろう」
丸鼻の顔が蒼くなり、ばつが悪そうに長身も目線を切る。
人が集まってしまい空気は芳しくない。早めに会場を後にしようと踏み出したときだった。
「ちょっとすまない」
ふいに後ろから声をかけられて、彼らは固まった。