その背中を見送るように、ある男がフェレ城の影に潜んでいた。
去りゆく背中
ジリジリと朝から暑い。この時期ですら涼しいイリアと違い、はっきりとした四季のあるリキアの夏。噂には聞いていたけれど、本番を迎える前にすでに熱が体をまとわりついてくる。
「大盗賊団、ラウスを襲撃……」
いつものように新聞へ目を落とすミリアが何やら呟いた。最終ページの占いを見るのが日課の彼女が、ちゃんと新聞を開いているとは珍しい。顔を突っ込んで唸るあたり、よほど考えさせられる記事でも見つけたのだろうか。
「どうしたの?」
シャニーはミリアの横に座ってちょっとだけ新聞を覗き込んだ。でも、やっぱり食欲には勝てない。すぐに持って帰って来た盆の中へ視線を移す。ぎっしり盛った戦利品をどれから食べようか……朝のささやかな楽しみだ。
「あんた、朝っぱらからよくそんな甘いの食べれるね」
対面で座ったルシャナが盆を覗き込み、うえっと口元を歪めている。
「朝は甘いパンとコーヒーって決めてるんだ」
「パンはオマケにしか見えないけどね……」
「チッチッチ、バランスは大事だからね~」
「あんたにバランス感覚があったのは驚いたけど、壊れてると思えばそんなもんか」
「変なふうに納得しないでよ!」
おかずを山盛りにしすぎたか、皿の端でシナモンロールは侵食され今にも潰れそう。可哀想なそれをさっそく手に取り、一口するだけでもはや世界は楽園だ。彼女は今、楽園に跳ねていた。
足のバタバタが止まらないくらい、せっかくの至福の時に浸っているというのに、正面からルシャナの呆れ顔が飛んでくる。
「ちゃんと食べないと体もたないよ!」
「そんだけ食べたらそれこそ体持たないって」
リキアの食事はどれを食べても美味しいのに、ベーグル一個でお腹いっぱいなんてルシャナはかわいそうだ。
パンをかじりながら彼女から視線を外してみる。ミリアがさっきと同じ格好で固まっていた。そんなに面白いことが書いてあるのだろうか。
「んでさ、ミリアなに見てるの?」
「コレっすよ、この記事見て欲しいっス」
彼女が指さす先を目で追ってみる。事件欄を見ていたようで、リキア各地で起きた事件がいろいろ載っている。
ミリアの指はラウスでの事件をさしていた。ラウスと言えばフェレから近場。最近、ようやくリキアの地名と場所が頭の中でくっついてきた。
「あっ、これか! あたし達がいるのに大胆不敵なやつ! 許せないよね」
それは巷を騒がせている盗賊団の記事だった。どうやらまた大規模な襲撃を行ったらしく、村丸々一個が被害を受けて食料に宝物に、根こそぎ奪われたと書いてある。
幸いフェレへの被害はないとは言え、賊が好き放題するのを放っておけまい。まして、境界さえなければ十分飛んでいける場所での事件は、他人事とは思えずなんとも歯がゆい。
「警備を強化しないといけないかね」
「そうだね。フェレがいつ襲われるか分からないし」
ルシャナに二つ返事でうなずく。すると、横からレンが入って来た。
「被害はどんどん西寄りに移動してる。フェレへの逆戻りの可能性は小さそうだけど」
彼女は取り出した小さなノートを開いて見せてきた。中には地図が描かれていて、赤のバッテンと日付がいくつも記されている。盗賊団の襲撃箇所を記したそれは、西へ伸びてどんどんオスティアに近づいているように見えた。
「ホントだ。でもさ、フェレじゃなかったら良いってワケでもないしね」
賊の襲撃に怯えるのはみんな同じだ。境界なんてたった一つの線を挟んで、救う者とそうでない者を分けるなんて本当はおかしい。
境界線……いやな思い出がじわりと胃を押し上げた。イリアでの聖天騎士団との仕事の記憶がどうしても滲んでくる。どれだけ正義を唱えても、ルールは絶対なのだ。
「やっぱりラウスまで足を伸ばしたらダメなのかなあ」
「私たちはロイ様の私兵だしね」
ルシャナも同じことを言った。フェレ家に仕える騎士である以上、それ以外の領地で活動するのは越権行為になってしまう。どこでも飛んでいける天馬騎士は特に気を付けないと、ロイに迷惑をかけてしまうことになる。
「でもさ、こっち見てよ」
そうとは分かっていても、騎士としての使命感が新聞を指差していた。盗賊団襲撃事件の横には、村が一個壊滅したと記されている。ラウスとの境界付近だが、こちらの村はフェレ側のはずだ。
「これもこの盗賊団の仕業っスかね」
「分からないけど、村を襲うなんて許せないよ。あたし達が守ってあげなきゃダメだと思う」
最初はミリアと同じことを考えた。盗賊団が襲撃した村と、壊滅した村はそんなに離れていない。新聞も隣り合わせに記事にして、そう誘導するかのような配置だ。
やっぱり、自分たちの目で確かめたいし、何より村を壊滅させるような手合いを許してはおけない。
「空からの哨戒なら賊を見つけやすいし、ロイに提案してみよっと」
きっとロイなら、分かってくれる。人々を守るには、これは天馬隊にしか出来ないことだ。ただでさえ、村を襲うような連中が複数いるとなれば、広範囲を短時間で見回る機動力が必要なはずだ。思い立ったら即実行。
ところが、シャニーは踏み出してすぐ立ち止まり、「でも……」そう溢して記事を見下ろしたまま顎へ手をやり口元を曲げた。
「この〝やり方〟……」
どうにも、二つの事件は違う組織の犯行に見えた。何か引っかかる。かたや壊滅させ、かたや宝物を奪うだけで済ますなどあるだろうか。
◆◆
朝食を終え、顎に手を添えながら中庭を歩く。今までの経験上、盗賊団同士が近場で狩場を奪い合うなんてことは考えづらい。それにしても、あの壊滅したという村……あんなところに、村などあっただろうか。
そんなことをずっと考えていたら、ふいに正面から呼ぶ声がした。
「むっ。シャニー、グッドタイミングだ!」
声を聞いただけで髪がネコみたいに逆立った。このまま気づかないふりをしようにも、白い歯を見せながらあれだけ爽やかな笑みを浮かべて正面から来られてはどうしようもない。
「うええっ、朝からバッドタイミング……」
アレンはいつも恋人を探す賞金稼ぎのように、たまたまとは言えない頻度で朝から見つけてくれる。たまらずボヤくものの、聞こえていないのかお構いなしなのか。
「ちょっと槍の稽古につきあって──」
「ちょっとじゃ済まないからヤダー!」
ふだんなら運が悪かったとそのまま連行されるのだが、今日は体が軽かった。バッタのように飛び出すとそのまま中庭へと抜ける。この時間に行けば、きっと会える。
しばらくしてロイが本館から出てくるのを見つけるや、シャニーは手を振りながら駆け出した。
「ローイ、お~い!」
「おはよ。待っててくれたのかい」
「えへへ、まーね。ロイ様だけの護衛ですから~なんてね」
吸い込まれるようにロイの横につけると並んで歩き出す。お互い忙しい中で、朝だけが必ず顔を合わせられる大事な時間なのだ。
「ホントはね、アレンさんから逃げて来たんだ」
「アレンから……?」
「だって! 朝から槍の素振り1000回とか言うんだよ!」
なにを食べたら朝から晩まで槍を振れる体になるのか教えて欲しいくらい。彼の熱血に朝から付き合ったら、昼頃には真っ白な灰にされてしまうに違いない。
「はは、アレンらしい。彼は本当に熱心だからね。頼もしいよ」
ロイにはまるで危機感が伝わっていないらしい。言うとおり、アレンのストイックな姿は時に尊敬するくらいとは言え、本当はロイに止めさせて欲しいのが本音だ。そっちは今度にして、本題を振ってみる。
「ねえ、最近盗賊団が暴れてるみたいだし、守備範囲を広げたりしたらダメかな?」
ロイは少し驚いたのか、おっと口が開く。
「とても助かるよ。ちょうどお願いしようとしてたんだ。なにかあれば僕の命令だって言ってくれればいい」
「分かった! じゃあ、山の方を中心にやってみるよ」
二つ返事どころか、なんと気が合うのだろう。そういうことなら、張り切ってがんばれるというもの。ハイっと手を挙げながら笑ってみせる。
ところが、今度はどこかひっかかるような反応だった。ロイは空を見上げながら「山の方か……」とぽつりと漏らしてなにか考えを巡らせている。
「え? どうしたの? やめたほうがいい?」
「いや。騎兵がなかなか行けない場所だから助かるよ」
ただの杞憂だったのかもしれない。ロイは労うように背中に手を回して抱き寄せてくれた。山を守備範囲に選んだのはロイの考えと同じ。彼が求めていることに気づけて、任せてもらえる信頼が嬉しい。
「へへーん。でしょー? それじゃあ、行ってくるね」
本当はそのまま腕の中にいたいけれど、跳ねるように勢いよく飛び出した。
「ああ、気をつけて。何時ごろ帰るんだい?」
イリアにいた頃は、帰りの時間なんか考えたこともなかった。暗くなるギリギリまで飛びまわり、そのままエデッサに直行で夕飯の流れ。
でも、ここに来てからは違う。夜は夜で
「んー。とりあえず見回りだから、なにも無ければ午前のうち……十時ごろかな」
「そうか……」
後ろにため息でもついてきそうな、いつもとどこか違う反応。こんな元気のない声をされたら心配になるに決まっている。
「どうしたの?」
「いや、ちょうど入れ違いだなって」
思わずポンと手を打った。そういえばお互い朝から忙しいのをすっかり忘れていた。ロイはたしかオスティアでの会合に出てしまうはずだ。
「そっか。あ~あ、連れてってもらえないの残念だなあ」
こうした外出のときは最近よく護衛として同行しているが、今日は村むらをまわる予定もあり外れていた。
──あんた! 昼からデートとはいい度胸だね!
この前も
それにしても、自分がいない間しっかり仕事をしてくれた労いにスイーツを買っていったはずなのに、部隊長とはなんとツラい立場だろうか。
「すまないな。今日の会合はあちこち移動するから」
「へーき! お土産期待してるから!」
「何がいい?」
半分冗談だったのだが、ロイは流れるように快く返してくれた。思わずパンと手を叩いてガッツポーズしてしまう。
「さっすが! そりゃ、オスティアと言えば老舗デリス・アプリコの夏季限定スイーツでしょ!」
この前オスティアに護衛したときも、帰りの空き時間を使ってロイにご馳走してもらった。あの店のお菓子はとにかく絶品で、とくに季節ごとの限定ものは競争率も高い。手に入れるのはスイーツ好きにとってひとつのステータスと言えるだろう。
「はは、シャニーもすっかりリキア通だね。分かった、見てみるよ」
「ヤッター! よおしっ、今日は100倍働いちゃうぞー!」
仕事を認めてもらえて、天使のスイーツのチャンスまでとはなんと心躍る朝だろう。
手を振ってロイと別れ、ふんふん鼻歌をうたいながらスキップして皆のもとへとシャニーは戻っていった。
◆◆
シャニーと別れたロイは、中庭へと続く道を抜けて馬車を目指すわけでもなく、道から外れて袋小路へと流れていった。道具庫があるその路地は、せいぜい庭師くらいしか訪れることはなく、建屋の影になって朝でも暗い。
「よお。すっかりいい関係じゃないか」
ロイが姿を現すや、腕を組んで壁に寄り掛かっていた男が声をかけて封書を差し出した。
筋骨隆々としてしゃれっ気の欠片もない服装は、色合いが渋いのもあって荒くれそのもので、とても城の関係者には見えない。それでも、ロイはミント髪を短く整えた男を見つけると小さな笑みを作って正面に立った。
「いつもありがとう。助かるよ」
「礼は要らねえぜ。契約だしな」
男はさっぱりそう言うと、両手を広げてハッと笑って見せた。
「あんたも変わったやつだよ。俺みたいなグレーにわざわざ頼るとは」
立派な体躯の厳つそうな男は、晒した上半身に無数の傷を刻む。英雄を前にしても物おじせず、隙なく底が知れない覇気を醸し出しつつも、その口調は気さくで、ロイを見下ろす口元は少し緩んでいるようにも見える。
「そういう方面は得意だろ? なかなか動きにくい話もあるんだ。頼りにしてる」
「ハン……。ま、金の分くらいはしっかり働くぜ。俺の流儀から逸れていなければな」
ロイもひと回りは違うだろう大男を前に、まるで友と話すかのよう。その態度に肚が読めないでいるのか、ミント髪の男は髪に手櫛を突っ込みながらドライな反応で一線を引く。それでも、ロイは仕事の話を切り上げて別件を振った。
「そうだ。この前の話、考えてくれたかい?」
それを聞くや、男の目がピクリと動く。とは言えそれは一瞬のことで、「考えるも何もねえ」ため息交じりに言って両手を広げると何のことやらと言いたげに続けた。
「俺は
「またそんなこと言ってるのか」
ロイは困惑した眼差しでミント髪の男を見上げた。その視線に堪りかねたか、口を真一文字に結んだ男は視線を外すと、そのまま目を瞑ってしばらく何も言わなかった。
「どうしてなんだ?」
「どうもこうもねえよ。知らねえヤツと何喋れってんだ? このオッサンによ?」
ロイからの追撃に、折れた男は面倒くさそうに吐き捨てた。それでも諦めそうにないロイが二の句を継ぐ前に、「ま、依頼は引き受けた」そう言って先手を取ると男は続けた。
「だが、そっちの話はナシだ」
「そうか。それは残念だよ」
そこまで明確に言われてしまうと、ロイも手がないのかトーンが萎んでいく。
あくまでこの件も男に対する依頼であり契約だ。男が彼の〝流儀〟から判断して首を縦に振らない限り成立しない。にもかかわらず、ロイの顔には納得した様子はない。
「……傭兵ってのはそういうもんだぜ、ロイ様よ。じゃあ、また報告する」
男はそれだけ言うと、背を向けながら手を振って歩き出した。その背中を見つめるロイの脳裏に、あのときの言葉が走る。
──大事だと思うからこそ……離れなきゃならねえ。あんたなら、分かってくれるだろ?
ベルン動乱収束直後に、ミント髪の男が口にした祈りにも似た願い。
ロイはギュっと噛みしめると、やり場のない気持ちを抑えられないようにポツリと漏らした。
「君たちは……どうしてそうなんだ」
◆◆
のどかなフェレは城の外にいても中の声が聞こえてくる。
城から出たミント髪の男が立ち止まって見上げた壁の向こうからは、爽やかな笑い声が聞こえてくる。複数の若い女性のやり取りを聞いていた男は、目を瞑ってほっとしたように息を吐き出しボヤいた。
「ハッ……いつまでも
やわらかい口元のまま目を開けた男は歩調を早めて歩き出し、その顔はすぐに傭兵然の厳しさで覆われて表情を消した。
「ま、おあつらえ向きってな。俺にも、おまえにも」
自身に言い聞かせるように一言した男の目は剣のごとく鋭くなり、もう振り向くことはなかった。
表紙絵はpixivの海賊ラビィさんからお借りしています。
{battle #1} © 海賊ラビィ [CC BY 4.0]