そこで休暇願を出すと、ロイからまさかの反応が。
彼には何も言っていないはずなのに……そこから止まらなくなっていく。
稽古場の窓越しに、じっと空を見上げる。重く垂れさがった真っ黒な雲は、今にも押し潰してきそうなくらいに低い。そこから音を立てて降り注ぎ地面を穿つ雨を聞いていると、どんどん心が塞がるようで力が抜けてくる。それに抗うように、シャニーはぐっと太刀を強く握りしめた。
雨空のごとく心に立ちこめる黎き闇を振り払うべく、一心不乱に太刀を振り続ける。許せない、許せない、許せない……湧きあがるのはそればかり。
「呼吸が乱れてるよ」
しばらくして、ため息交じりの声が呼んで手を止められた。剣先から視線を外すと正面にセチがいて、彼女は腕を組みながら見ていた。いつからいたのだろうか。
「分かってるよ」
そうしか言えず目を逸らした。セチの目がなにを言わんとしているかは察している。
「そんな状態でやっても、型が壊れちゃうよ」
それでも許してくれず、さっぱりした口調が逆に重く感じる。磨くためではなく、ただ心の闇を払い除けようと振り回す剣に精緻さなどあるわけがないだろう。いくらディークから仕込まれ、もう何年も鍛えてきた型であっても。
「はは……。いっそ……壊しちゃおうかな」
なぜだろう。ふいに涙があふれてきた。彼の構え、彼の教え、彼の流儀……そのすべてを型の中で咀嚼して自分なりの形に鍛えてきた。今の自分に騎士としての流儀があるのも、彼という精神的支柱があったからこそと言ってもいい。離れていたってそれは同じ……なのに、彼は。
「好きだったんだね。あのオジサンのこと」
「す、好きってわけじゃないし。あたしにはロイがいるしさ」
セチにいきなり問われて反射的に否定してしまった。いったい何を焦っているのだろうか。ディークのことは好きだ、大好きだった。とは言え、その好きとは違う。もっともっと……それこそ、兄……いや、父のような。
「だけど……憧れた人があんなことしてたなんて。流儀は通して仕事する人だったのに」
だからこそ、数日前に姿を現したあの人が見せた言動は、崖から突き落とされたような気持ちだった。あふれる涙を抑えられず、乾いた笑い声が掠れて漏れる。
「はは……なんでかな。人違いだったはずなのにな……」
ミント髪の男は言った──ディークではないと。会えた喜びと、それを否定したい気持ちと、どうしても抗えない事実と。心に渦巻く黎はますます厚く渦巻いて、どうしてか引きつった笑いがこみ上げてくる。
「きっと何か事情があるんだと思うけどな? あの人、最初からヤる気の剣じゃなかった」
セチも不思議そうにすると、寄ってきて頭の手を伸ばしてポンポンしてきた。慰めようとでもしているのだろうか。その手はすぐに下りて、今度はみぞおち付近に添えられた。
「あの剣技も、あんなキレじゃなさそうだし?」
そこはディークからつばめ返し……に見せた当身を喰らった場所だ。
彼のつばめ返しは一撃必殺で、動乱でも数多襲いくる竜騎士をバサバサ落としていた。装甲が厚い竜騎士でも一撃なのに、天馬騎士がもろに食らったらどうなるかなど言わずもがなだろう。
「セチもそう思う?」
「ああ。是非本気の剣とやりあってみたいもんだよ」
「は、はは……信頼して良いやら怖いやら」
事情があるか、あるいは本当に人違いか……少しだけ希望が湧いてどちらか聞こうと思ったのが間違いだった。彼女の興味は強い剣ということで、戦いたいだけに違いない。あのミント髪の男がディークだと、ますます近づいてしまっただけ。
「ま、そのときにキミがホンキ出せるか心配だけど。勝てないって分かってて、敢えて私を纏わなかったみたいだし?」
あっさり心を見透かされていて言葉に詰まる。ただの戦闘狂かと思えば、こうして勝手に人の心を読んで冷静に向きあう機会をくれる。今は観念して未熟を吐き出した。
「……信じたくなかった。感情で戦場に立つなってディークさんに言われてたのにな」
傭兵は自分を自分で守らなくてはならない。あくまで冷静な基準をもって、恩だの情だのに任せるな……。傭兵としての心構えを、耳にタコができるくらいディークから叩き込まれたはずだった。
「ありがとね、セチ。心配してくれたの?」
悩みを口にしたら少しだけ気が紛れた。こんな風な声のかけ方をされたのは初めてで不思議な感じだ。相棒が前より近く感じたのも束の間、セチは「買い被りすぎかな」そう言って嘲りの混じった目で笑いかけてくる。
「私のマスターだし? あんまり無様な姿晒されちゃ、他の精霊に笑われるのも癪だしね」
「はいはい……精進しますよーだ」
気にかけてくれたというより、説教の一環らしい。反論したところで、初伝が文句を言うなと稽古に連れ回されるに決まっている。それに、事実は事実。曲げようもない。
「はあ、確かにまた負けたんだよな、あたし」
「ふふっ。ま、あのオジサンには勝ったようなもんだと思うけどね」
口をタコにして自身の未熟にうんざりしていたら、セチはひとり納得したような笑みを浮かべ出した。ならば稽古と言って連れて行かれるかと思ったのに。どうしたか聞こうとすると、稽古場の扉が開く音がした。
「シャニー、また剣振ってたんスか?」
「まーね。暇つぶしだよ。早く中伝までになれってユキさんに突かれてるし」
ミリアたちが入ってきた。彼らは稽古する様子もなく、窓から外を見たり武器を手入れしたり落ち着かない。そのうちすることもなくなったか集まってきた。
「たまにはオスティアに遊びに行こうっス」
「おっ、いいね! デリス・アプリコの夏季限定スイーツをいただきに行きますか!」
集中力など吹き飛んでしまった。セチに頭の中から引っ張られても、もう止まらない。ターゲットは一日限定20個の超レアと聞く。ロイにもおねだりしたが、美味しいスイーツなら何個あってもいい。朝から行かなければと作戦を練る。
「よしっ、ちょっとロイに許可もらいに行こっと」
塞いだ気持ちを吹き飛ばすにも、たまにはバカ騒ぎしたいところ。さっそくロイの部屋を目指す。
「ロイ、入るね?」
くつろいでいるかと思ったら、彼は机で書類に目を通していた。
「シャニーか、お疲れ様」
「ロイこそお疲れさまだよ。さっき帰ってきたばかりでしょ?」
「ああ。まあね」
真っ先に労いの言葉をかけてくれる。今日だって会合の連続で疲れているに違いないのに、それを誰にでも、どんなときでも。心底、敵わないと思わされるというもの。
そのまま話だけ聞いてもらうつもりが、彼は席を立って歩いてくる。
「時間空いてるし、お茶でも行くかい?」
「えっ、いいの!」
デートのお誘いとはなんていい巡り。頭の中が全部吹き飛んで、気づいたら飛びあがっていた。後から理性が追いついてきて、騎士としての心に引っ張られる。
「あっ……でも勤務時間中だし」
「シャニーも真面目だな」
伸ばしかけた手を下ろしたら、ロイはさも意外そうな顔でそう言った。
「ど、どう言う意味よ……」
いったい、ロイにどう思われているのかホンキで気になってしまう。汚部屋をイメージ通りと言われたり、天馬で脱走するのがデフォルトかと思われていたり、挙句これときた。
「大丈夫さ。シャニーは僕の特別な護衛だ」
「はーん、ロイも意外とワルなんだ?」
「はは。やんちゃなシャニーと付き合って移ったかな」
でもきっと、ロイも喜んでくれるに違いない。やんちゃ同士いつもはマジメにやっているんだし、たまにはワルいことをしたってバチは当たらないだろう。マリナスには叱られるかもしれないけれど、ロイと一緒ならへっちゃらだ。
「じゃあバッチリ警護するから、はやく行こ!」
さっそく厩舎を目指すべくロイの手を引っ張った。そろそろおやつが恋しくなる空が広がっている。この時間から行くなら、やっぱり〝あの店〟に限る。
◆◆
「うーん、おいしー!」
オレンジをぎゅっと絞ったような爽やかな声が、老若男女であふれる店の中に響いた。
ケーキを頬張るシャニーはコーヒーを一口して辺りを見渡す。何度来ても、デリス・アプリコの喫茶室は雰囲気も良くて心が弾む。
「本当においしそうに食べるね」
「だってこんなケーキないよ! バターの香り高いスポンジに染みた木いちごシロップがジュワっと口の中に広がって、甘すぎないふわふわクリームとの相性も──」
「相棒? 英雄さん、ドン引きしてるよ?」
頭の中から引っ張られ、呆れたようなセチの声で我に返る。焦ってロイの様子をうかがうも時すでに遅し。彼は目を点にしてカップを手にしたまま止まっている。
「あ゛。アハハ……ごめんね、ロイ。ついつい」
スイーツのことになると、どうしてもスイッチが入ってしまう。イリアでは甘いものは貴重というのもあって、見習い時代も各地の銘菓制覇に勤しんだもの。スイーツ好きとして、ひとつの修行でもあったと言えるだろう。
「やれやれ、そのくらい剣を語って欲しいもんだよ」
「う、うるさいな。スイーツはあたしの生きる希望なの!」
セチはわざとらしいため息をついてウンザリを浴びせてくるが、ここだけは譲れないというもの。剣オタクにスイーツフリークの気持ちなど分かるまい。
「ところでシャニー、何か言いたいことがあったんじゃないのか?」
頭の中でせめぎ合っていると、ふいのロイの声に呼び戻された。
「あっそうそう。あのね、明後日、部隊でお休みもらいたいなって」
「いいけど、またここにでも来るのかい?」
「スゴい! なんで分かったの??」
「明後日といえば限定スイーツの日だし」
さすがロイと言うべきだろうか。ほんの少しの情報でここまで見通すとは。ところが、セチが腹を抱えてケラケラ笑いだした。
「キミ、お菓子を撒かれたらあっさりワナにかかりそうだね。ハトかな?」
「ぐっ……」
「そこは否定して欲しいんだけどな」
それならせめて気高き天馬と言ってほしかった。ハトではあまりに絵にならないではないか。それに、こんな高級店のスイーツを撒いてくれる人なんかいるワケない。セチは首を折っているが、視線をロイへ戻す。
「ちょっとね……気分転換したいなって」
「やっぱり、ショックが癒えてないみたいだね」
ロイに心配かけまいと濁したはずだったのに、彼の言い方にドキッと跳ねて一瞬言葉に詰まる。それが今度は一気に弾けるように噴き出した。
「え?! なんで知ってるの?」
「ランスから聞いた。すまない。もう少しはやく声をかけるべきだった」
「ううん?! ロイが謝ることじゃないよ! あたしと、ディークさんの話なんだし」
ディークがなぜ知らない[[rb:ふり > ・・]]をしたのか、今でも自分なりの答えは見つけられずにいた。ただ、彼が流儀を曲げて仕事をしていたのは間違いない。あれだけ……散々叱ってくれたあの人が。お前なりの仕事への心構え──流儀を確かとしろと。
「と言うか、なんで分かったの?」
「顔に書いてあったから。いつもの元気じゃなかったし」
「はは。……感情を観られるなって言われてたのにな」
これ以上考えても、答えなど出るはずもない。そう自身に言い聞かせて話を戻したつもりだった。
答えは、目の前にあった。きっと、彼も信じたくなかったに違いない。あれだけ稽古をつけた弟子が、教えたことをなにも会得していないなんて。きっと、そうだ。
「ねえ、ロイ。そんなに簡単に、人のこと、忘れられるものなのかな」
たまらず聞いていた。聞かなくたって……いや、最初から、欲しい答えなんか決まっていると言うのに。違う答えだったら、無理やり否定する材料を探して悩むくせに。
「そんなことはないと思う。シャニーはディークにとって大事なひとのはずだ」
「そんなわけないよね? ディークさん、あたしのこと、忘れてないよね」
「きっと、彼にも何か考えがあるんだよ」
胸にせり上がってきた気持ち悪いほどの不安が、すうっと引っ込んだ気がする。とは言え、それはまた違う気分悪さを連れてきた。
「考えがあったとしても……流儀を曲げて村を襲うような仕事をするなんて」
今でも信じられずとも、事実は曲げられない。目にしっかり焼き付いて離れない。彼は村人に縄をかけ、どこかへ連れ去ろうとしていたのだ。他の住人に容赦なく大剣を浴びせ皆殺しにしてまでも。
「生存者もいると聞く。シャニーたちのおかげじゃないか」
「だけどあたしは、ディークさんを……止められなかった」
ロイは認めてくれたが、今回ばかりは喜べない。
自分なりに掴んだ流儀で仕事をしてきて、図らずもディークにそれをぶつけることになった。仕事を見せること自体は望んできたことだ。彼に育ててもらった恩返しとして。しかしそれは、恩返しどころか、無様を晒すだけとなった。まるで成長できていない──恩知らず。
「あたし……何もしてあげられなかった。背負うことも、強くなったところを見てもらうことも、外れた道から助けてあげることも。流儀を……貫くことさえも……」
感情を観られ、あっさり一撃もらって目の前が真っ暗になった。何より、あのとき騎士としての使命をはっきりと跳び越えて感情で武器を握っていた。あんな啖呵を切っておいて、師を救うどころか情けをかけられるとは。
悔しい、何もかもが悔しい。裏切りのようなディークの行動も、止められなかった自分の無力も、それを招いた己の[[rb:流儀 > 意志]]の脆さも。
「そんなことはないよ」
はきとした口調でロイはシャニーから溢れだす後悔を止めさせ続けた。
「寄り添うこと……シャニーは流儀を貫いたと思う」
「あ……」
「きっと、彼に伝わっているさ」
はっとして言葉にならない声が漏れた。言われてみれば、それはだけは忘れていなかったと言える。信じて、信じて、決定的になってもそれでも彼に呼びかけ続けた。
でも……ただ──それだけだ。自ら守備範囲を広げる提案をしておいて、ロイの信頼に応えられなかった事実は何ら変わらない。
「ロイは怒ってないの? 襲撃、止められなかったのに」
「シャニーがもし、仕事だからって話も聞かずに剣を振り上げるような人なら、僕は好きになっていない。だからみんなも、シャニーが好きなんだよ」
すこし……考え違いをしていたのかもしれない。自然に貫いていた。人々の声を聞き、彼らの叫びが求めるものこそが掲げるべき剣だという流儀を。勝つ、負けるは、その次の話だ。なら……成長した姿を少しは見せることが出来たのだろうか。
「えへへ……。慰めてくれてありがと」
「ゆっくりしておいでよ。新作どんなだったか教えてくれると嬉しいかな」
「おっけ! ばっちりレポートするね!」
ロイの厚意に甘え、今は傷ついた心を休ませることにした。来るべき時に、本当の意味で勝てるように。